映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』 (1986年)(3)

1986年版映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のDVDには特典映像があり、ロジャー・コーマン監督も現れました。

二日で撮ったといわれる1960年版のそのことを語られています。

あるスタジオの関係者が昼食の席で「撮影が終わったばかりのセットがそのままある」というので、じゃそのセットで何か撮ろうということになった。「どのくらいで撮れる?」と聞かれたので「2日で挑戦してみよう。」と答える。

セットの手直しを終え、脚本家のチャック・グリィスと話し合って人食い植物の話を2週間で書き上げ、1週間分のギャラで役者を雇い、リハーサルは月曜から水曜日で、大方の撮影は木曜と金曜でほかに少し追加のシーンを撮り終了したと。

舞台も観に行っていて「気にいったよ。とにかく楽しくてテンポがあって、ナンセンスで、映画版のセリフも見事に生かされていた。」と監督は満足していました。

この映画を舞台にしたのがデビット・ゲフィンで、この方やり手です。ワーナー・ブラザーズ映画の副会長を5年間務め、その後、音楽業界に返り咲きゲフィン・レコードを立ち上げ、ジョン・レノン、エルトン・ジョンらが所属していたというのですから。

1960年版の映画は日本で劇場公開されていないのですから評判はよくなかったようで、あの映画を舞台にするとはと不思議がられたようです。ところがそれを当ててしまったわけです。

脚本・作詞がハワード・アッシュマンで作曲がアラン・メンケン。この後、二人は長編アニメ『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』でオスカーを手にし大活躍です。(アラン・メンケンは『アラジン』の途中で亡くなります。)3作品とも観ていませんので音楽を目的で鑑賞したいと思います。

舞台をさらに映画化した製作者がデビット・ゲフィンです。ワーナーから監督としてスピルバーグやスコセッシの名前も挙がったのだそうですが、ゲフィンは最初から低予算でのリメイクを考えていてそれを貫きました。

そして声を掛けられたのがフランク・オズ監督でした。最初フランク・オズ監督は断ったそうです。やることが多すぎてとても無理だと。ただコーラスの3人を舞台で自由に出入りしていたように、衣装を変えて映画的にどこにでも出現させればよいのだと思いつきやる気になったようです。

コーラスの3人は、1960年代の動きを習うためダンスレッスンを受け、それはステップではなく動きなので、すぐできる娘と苦労した娘とがいたと本人たちがコメントしています。時代を感じさせる動きということは踊ることよりも難しいかもしれません。でも踊らなかったのがやはりよかったです。

撮影はイギリスのスタジオでのセットで、当時としては最大規模といわれていた<007>のセットを飲み込む大きさだそうで、ダウンタウンのあの高架線に電車が走っていたのには驚きました。

セットは細かいところまでこだわり、ものすごい量の60年代の小道具がニューヨークから運ばれたようです。ゴミバケツなどは車に新しいのを積んで古いのと取り換えて集めたと。映画人のこのこだわりは映画への愛としか言いようがありませんね。どこの国でも。

ですからオードリーⅡなどは、大きさが7種類あって、最後は床下に30人が機械を使ったり、大きな梃子(てこ)や長いレバーを手で動かしたりしていました。なんせオードリーⅡのツルがレジを開け、コインを取り出し、電話にコインを入れて、ダイヤルを回すのですから。

フランク・オズ監督の狙いは、いかに観客を納得させるか。あまりわざとらしい演じ方だと観客はキャラクターに関心をもってくれないし、反対にあまり正攻法でもメロだラマになってしまう。目指したのは<誇張したリアリティ>。

ラストの撮り直しには、監督もアッシャマンも不満だったようですが最後は映画は観客のためにつくるものという結論にいたったようです。

観客の一人としましては、オードリーⅡにはどうやっても勝てると思えないシーモアが勝って、幼いころから苦労してきた二人が幸せになれたことにはやはり拍手ですね。

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