上野から四世鶴屋南北終焉の地へ(1)

四世鶴屋南北さんの終焉の地が地下鉄東西線門前仲町駅近くにあり、以前から行きたいと思いつつ実行していませんでした。上野の東京芸術大学美術館から地下鉄千代田線根津駅まで徒歩10分とのことです。大手町で乗り換えです。

南北さんの終焉の地は、江東区牡丹一丁目にあります黒船稲荷神社なのです。深川です。黒船稲荷の境内に住んでいて傑作を残されました。今は狭いところに鳥居とお堂があるだけですが、江戸時代は「スズメの森」といわれて大きな木々が茂っていたようです。

案内板がないのかなと思いましたら鳥居を入って右手にありました。要約します。

「1755年、生まれは日本橋新乗物町で、父親は紺屋の型付(かたつけ)職人。幼名は源藏で狂言作者を志し、初代桜田治助の門下に入門。1804年、河原崎座の『天竺徳兵衛韓話(てんじくとくべえいこくばなし)』で大当たりをとり、作者としての地位を確立。『心謎解色糸(こころのなぞときいろいと)』『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』などを次々と発表。1811年、鶴屋南北を襲名。その後『お染久松色売販(おそめひさまつうきなのよみうり)』『東海道四谷怪談』などの傑作を書き続ける。1829年11月27日、黒船稲荷地内の居宅でなくなる。享年75歳。」

また一つ気になっていたことを終わることができました。ところがそれから地図上の旅が始まりました。

見づらいかもしれませんが門前仲町駅の少し上の朱丸の黒船橋を渡り黒船稲荷へ。近いです。下の方の緑の丸が富岡八幡宮。そして黄色の丸は『髪結新三』関連です。一番上に永代橋がああります。その橋を渡ったところのピンクの丸は赤穂浪士が討ち入り後に休憩した場所です。碑があります。永代橋を渡って泉岳寺へ向かうのです。

その下の三つの黄色の丸は下に福島橋とありその上が新三の住んでいた長屋のある富吉町です。

ずっと下がりますと法乗院で通称・深川のえんま様で閻魔堂があります。江戸時代から少し移動しているようです。黄色のは今はない富岡橋の位置がわからないのと閻魔堂橋が実際にあったのかどうか、富岡橋が閻魔堂橋のことなのかよくわからないのでにしました。

かつて訪ねたときには、閻魔堂橋前の場面の派手な絵看板がありぎょとしました。

白丸は、『東海道四谷怪談』の三角屋敷がこの三角の地域ということなので印をしました。

髪結新三』の「永代橋川端の場」で新三は忠七を足蹴にし置き去りにし永代橋を渡って深川に入り、富吉町の長屋に帰るのです。「富吉町新三内の場」で乗物町の親分・弥田五郎源七が新三にさんざん悪態をつかれ、「深川閻魔堂橋の場」での二人の切り合いとなります。南北さんじゃなく黙阿弥さんじゃないのと言われそうですが、『東海道四谷怪談』の北南さんの方が先に「三角屋敷の場」でこのあたりの場所を芝居にしていました。

さらにお岩さんと小仏小平の戸板を神田川の面影橋から隅田川を通って小名木川に入り込ませ、隠横十間川から隠亡堀へとのことなんですがはっきりしないので追いかけるのはやめます。隅田川から小名木川に引っ張ったというのが凄いです。

黙阿弥さん、当然知っていたと思うのです。まったく違う世話物で南北さんに挑戦、なんて考えるのも楽しいです。

切絵図ですといかに深川が川や堀で囲まれていたかがわかります。番号13・久世大和守の下屋敷が今の清澄庭園で、元は紀伊国屋文左衛門の屋敷があったところで、後に岩崎弥太郎が買い取り庭園にしました。

番号17の右手、黒の点々が小名木川です。

切絵図を拡大ルーペで観ましたら法乗院、富岡ハシ、三角の文字がわかりました。

江東区で出している『史跡を訪ねて』をながめていましたら、法乗院には、曽我五郎の足跡石があるようです。このあたり何回か散策していますが、伝説や旧跡あとがまだまだありそうです。

三世坂東三津五郎さんも住んでいたようです。富岡八幡宮そばの永木横丁と呼ばれた通りに住んでいて「永木の三津五郎」「永木の親方」といって親しまれたようです。

パソコンの画面から地図を写真に撮り、『史跡をたずねて」の地図からおそらくこのあたりだろうと予想をたてました。

永代通りの青丸が都バス富岡一丁目バス停です。その右の四つの茶色丸がおそらく永木横丁とおもいます。碑はないようでこのあたりに住んでいたということだけです。

南北さんも亀戸村に住んでいた時には「亀戸の師匠」と呼ばれていたそうです。

それにしましても南北さんは、黒船橋を渡った、お偉い方たちの下屋敷に囲まれた静かな森の中で書かれていたのですね。頭の中は静かどころか激しく回転していたことでしょう。

追記: 江戸切絵図の世間の世界へいざなってくださった柳家小三治さんが亡くなられました。私の中での三大噺家さん、古今亭志ん朝さん、立川談志さん、柳家小三治さん、皆さんがあちらへ行かれてしまった喪失感は深いです。生で聴かれたことは幸せでした。(合掌) 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です