歌舞伎『花競忠臣顔見勢』から神奈川へ飛ぶ(4)

歌舞伎『花競忠臣顔見勢』の大詰最終場が「花水橋引揚げの場」なんですが、「花水橋」が何となく引っかかりました。聞いたことがあるような。なんとなくむずむずします。

調べてみると神奈川の平塚と大磯の間にありました。花水川というのがあり花水橋がありました。あ~、あそこですか。旧東海道を歩いているときに渡っていたのです。

仮名手本忠臣蔵』が江戸時代を室町時代に代えて登場人物の名前も変えて上演したのですからさもありなんです。赤垣源藏の「徳利の別れ」も「稲瀬川々端の場」で稲瀬川も鎌倉の由比ガ浜に流れるこむ川の名前なのです。当時の人々は、だれもその川を想像してはいなくて、隅田川を思い描いていたわけですが当然花水橋の名も知っていたでしょう。

江戸の人が日本橋から出発して東海道で最初に泊まるのが戸塚宿ですからそこから藤沢宿、平塚宿、大磯宿ですから、人々の頭の中にはインプットされていたように思えるのです。

花水川というのは江戸時代にもあったわけで下記地図の朱色の丸の羅列は旧東海道です。東海道本線を右側に進むと平塚駅で左に進むと大磯駅となります。この間は歌舞伎での登場人物と縁のある場所でもあります。

平塚駅の近くに「お菊の塚」があります。近いはずなのに探すのに手間取りました。『番町皿屋敷』のモデルとなったお菊さん。奉公先のご主人に家宝の皿を壊したとして手打ちになったとされています。解説文によると家来が隠したとあります。歌舞伎ではご主人の青山播磨とお菊は恋仲で、お菊が播磨の愛を試してお皿を割るということになっています。「あるほどの花投げ入れよすみれ草」

   お菊さんの墓ですが、この場所も探すのにてこずりました。きちんと戒名を記されたお墓があるのですが、気の毒で哀れに思えて写真が撮れずこちらを写しました。

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下の史跡絵図の左手矢印の方向に花水橋があり、右手矢印方向が平塚駅です。二つの黄色丸が見附けでこの間が宿場町・平塚宿なわけです。朱丸は歌舞伎『鏡山旧錦絵』の「お初の墓」(お初のモデルの本名はたつ)と「平塚の塚」(平塚の由来)です。

義女松田多津顕彰碑」 ご主人の仇を討ったということで「義女」となっています。歌舞伎座8月には、その後の物語が上演されました。『加賀見山再岩藤』(かがみやまごにちのいわふじ)<岩藤怪異篇>。

花水橋を渡ってからの旧東海道には道なりに案内があります。

ここからは、曽我兄弟の十郎の恋人の虎御前関係となり、化粧坂と呼ばれていました。

弥次さん、喜多さんでしょうか、虎御石を持ち上げようとしています。あがったでしょうか。

延台寺

虎御石の解説

虎御前祈願の龍神 十郎との恋の成就を祈願したといわれる龍神様。実家にあったものを尼になって虎御前が移された伝えられています。

虎御前の供養塔

神奈川まで飛びましたが花水橋周辺からは忠臣蔵に関係することには巡り会えませんでした。お菊、お初、虎御前(大磯の虎)と歌舞伎に登場する女性たちを偲ぶ地図と写真の旅ということになりました。飛んで神奈川編でした。

今月の歌舞伎座<第二部>「寿曽我対面」には大磯の虎が登場されていますね。ということは神奈川から飛んで歌舞伎座の芝居の中に大磯の虎さんは戻してくれました。

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