歌舞伎『花競忠臣顔見勢』関連情報(3)

さて次は、映画、ドラマからの歌舞伎『花競忠臣顔見勢』関連情報とします。

(1)のほうで、歌舞伎『松浦の太鼓』と『土屋主悦』の違いに少し触れましたが、『土屋主悦』のほうは観ていないのです。ただ1937年の長谷川一夫さんが林長二郎時代の古い映画のDVDを観ていたので内容的にはわかっていました。ただそれも、長谷川一夫さんが、土屋主悦と杉野十平治の二役を演じていて今回の舞台とも少し違っています。

元禄快挙余譚 土屋主悦 雪解篇』(犬塚稔監督)

杉野十平治は芸者から吉良家の絵図面を渡されます。十平治はこの図面通りかどうか吉良邸に探索に行き見つかって隣の土屋家に逃げ込みかくまわれます。そしてそこで奉公している妹のお園と会います。

その後、土屋主悦は杉野から手紙をもらい、その手紙と其角への大高源吾の歌から討ち入りがあるということを知るのです。土屋はしどころのない役です。特に、映画のほうは大高源吾が土屋家に報告に来ないのでなおさらです。長谷川一夫さんは二役で義士引き上げでの場面にも登場なのでなんとか納得します。

今回の舞台で、槌谷主悦と大鷹文吾の場面がなければ気の抜けた炭酸水か生ぬるいビールです。槌谷主悦の、「塩谷殿はよい家来を持たれた」のセリフも生きてこないのです。そう考えると二人の対面にはお互いに熱いものが通っているわけです。

さて、兄との別れがかなわなかった赤垣源藏ですが、その映画は動画配信で観れました。

忠臣蔵 赤垣源藏 討入り前夜』(池田富保監督) 

これまた古いです。1938年の映画です。赤垣源藏は坂東妻三郎さんで、酒飲みで兄のところに居候しています。兄嫁は義弟は何もせずお酒を飲んでいるだけなので好きではありません。兄は源藏との碁の勝負で「仇討ち」の言葉をつかい、それとなく暗示をかけますが、源藏は取り合いません。

この場面を舞台では、通行人(猿三郎、喜猿)の会話に上手く差し入れて、源藏と新左衛門に聞かせ奮い立たせるのです。上手い使い方をしたと映画を観ておもいました。映画では源藏は兄の家まで行き、衣文掛(えもんか)けに兄の羽織をかけて持参した徳利の酒を飲み別れの盃とするのです。それを道端で兄嫁を優しくして短時間に描くという手法に変えて表現したわけです。濃縮しました。

由良之助が葉泉院を訪れ、無事門前外で本意を伝えることができたとき寺岡平右衛門の宗之助さんが姿を出します。おそらく由良之助にお供してきていて身を隠して迎えに出たわけです。平右衛門は足軽なので由良之助の世話係としてそばにいても不審には思われません。

映画では寺岡吉右衛門として登場し、討入りに参加していながら身分が低いということなどで途中で仲間から身を隠してしまいます。そのため映画『最後の忠臣蔵』など、その後の吉右衛門には内蔵助から託された仕事があったのだというような話がいろいろ取りざたされます。

そういうこともあって舞台でもチラッとでも登場させ、さらなる外伝を匂わせているようにも感じました。細かいところにも、その心はと勘ぐってしまいます。

テレビドラマではあの必殺シリーズの中に『必殺忠臣蔵』というのがあり、寺岡吉右衛門(近藤正臣)は必殺仕事人であったというのですから飛びすぎで驚きで面白かったです。そして、吉良上野介には影武者がいて死んでいなかったと。それではやはり仕事しないわけにはいきません。

最後は、葉泉院が、夫の位牌で由良之助を打つという今まで観た映画の中ではない感情の出し方だったので、あの場面に関連するものはないかと探しましたらテレビドラマで『忠臣蔵 瑶泉院の陰謀』が見つかりました。

南部坂の別れがない代わりに、瑶泉院と内蔵介との濃密な別れがあるというこれまた発想の切り替えが必要でした。

人形浄瑠璃で『仮名手本忠臣蔵』をやっていて、それを瑶泉院がお忍びで見物しているというところから始まります。討ち入りから十年後のことです。というわけで前に戻ってその経緯が描かれるわけですが、瑶泉院も義士たちの同志としての気持ちで行動するのです。

将軍綱吉の時代を悪政とし、討ち入りによって御公儀を正すといった想いが中心に流れています。

「陰謀」とあるので瑶泉院のものすごい企みがあるのかと思いましたら、瑶泉院はあくまでも優しく、赤穂藩の人々を助けたい、浪士を助けたい、そのためには自分はどう動くべきかを考えています。浅野内匠頭は心に深い闇のある病があり、それが時々爆発しそうになります。それを瑶泉院は穏やかに穏やかにと支えています。

討ち入り後の彼女の動向も丁寧に描かれ、義士たちのお墓のこと、伊豆大島に流された義士の子供たちを助けようと奮闘します。

大島に行ったときに義士の子供たちが流されたのを初めて知りました。十五歳以上の男子4人が遠島で、十五歳以下の子も十五歳になったら遠島と決まっていました。十五歳以下の子が15人いました。

ドラマでは、次の将軍家宣(綱豊)の正室が赤穂義士びいきで、瑶泉院に次の時代まで待ちなさいといいます。大石内蔵助の次男が13歳だったのですが、出家させたものを流した例はないと教えます。そのあたりが強く印象に残りました。

瑶泉院は稲森いずみさんで、真実味があって歴代の瑶泉院とはまた違う描き方の瑶泉院に合っていてすんなり受け入れられました。瑶泉院、大石内蔵助(北大路欣也)、柳沢吉保(高橋英樹)との駆け引きもひきつけられます。

綱吉から家宣への時代背景も納得できました。浅間山の噴火、富士山の噴火、地震、大火など自然界も大変な時代でした。

歌舞伎『花競忠臣顔見勢』の若手役者さんの演技を愉しみつつ、さらにあちこ首を突っ込み、時代背景や、当時の民衆の支持を得た「忠臣蔵」の力を改めて感じとらせてもらいました。

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