日光街道千住宿から回向院へ(2)

どうして甲府に飛ぶかと言いますと、千葉佐那さんのお墓が甲府にあるのです。千葉佐那さんは、北辰一刀流の開祖・千葉周作の弟・千葉定吉の娘として生まれ、剣術の腕は確かなようです。この佐那さんのことを知ったのは、太宰治さん関係の甲府市小冊子からでした。

甲府市朝日町は太宰治さんが新婚時代に住んだところです。結婚前には佐那さんのお墓のある清運寺のすぐそばの下宿・寿館に住んでいました。散歩好きの太宰がおそらく佐那さんのお墓のあることは知らずに散歩で寄ったであろうということでした。ここに佐那さんは眠っているのです。

山梨県立文学館に再訪したときさらに教えてくれたのが、坂本龍馬と佐那さんの生き方の小冊子でした。これらは甲府市の「つなぐNPO まちミューガイドブック」です。

薄くて中には表紙のような絵が描かれてあってきちんと調べていますが親しみやすい内容です。太宰さんのことから千葉佐那さんを知りました。

文学館が企画しているものもあり手元に10冊ほどありますが調べたら興味惹かれるものがまだまだ沢山あるようです。さらに改定されてもいるようです。

龍馬が剣術修行に江戸に出てきて定吉の千葉道場に通うのです。龍馬18歳、佐那さん16歳の時です。龍馬も姉・乙女に手紙で佐那さんのことを書いていますから、ほのかな恋心はおたがいにあったようです。ただ佐那さんのほうは、後に小説や新聞記事で龍馬の許嫁としてしられるようになりました。佐那さんもそう思っていたようです。

龍馬との関係があろうとなかろうと佐那さんの生き方は素晴らしいと思います。有名な千葉一門に生まれながら明治維新はそのブランドは何の価値もなくなったわけです。

その後佐那さんは学習院女子部の舎監を務めたこともあります。千葉家には千葉周作が水戸藩に仕えていた時、水戸斉昭からおそわったという灸の施術があり、千葉家が開いた千葉灸治院での仕事で佐那さんは生計を立てていたのです。

明治維新によって価値観が変わり生活が全く一変した女性は沢山いました。佐那さんはそうしたなかで自立の道を切り開いたのです。龍馬との関係で名前が知られようと知られまいと立派に時代を生きぬいた一女性としても魅力的な人だったとおもいます。

なぜ甲府にお墓があるかです。千葉灸治院には板垣退助も治療をうけにきました。甲州の自由民権運動家・小田切謙明は脳卒中の後遺症に悩み、千住まできたのです。その後佐那は甲府まで治療に行き、謙明の妻・豊治とも交流がありました。

ある日、豊治さんは谷中にある佐那さんの墓地を訪れましたが、お参りにきている人もないようで無縁仏になってはと、分骨してもらい小田切家の墓所に埋葬したそうです。ご主人の墓の一角に、佐那さんのお墓を建てました。その時、「千葉さな子墓」とし、裏に「坂本龍馬室」とあり、「室」は妻を意味します。豊治さんは佐那さんの想いを大切にして上げたのかもしれません。谷中墓地のお墓はその後わからなくなったようです。

今では剣道大会に「千葉さな子杯」が甲府で開かれているということで、佐那さんの魅力アップです。

というわけで甲府へ飛びましたが、千住での佐那さんが仕事をして暮らしていた町の様子が少し見えたようでつながって安心しました。

もう一つ明治に入って仕事を変えた人々がいました。市川市行徳へ飛びます。かつて仏師だった人々が、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、仏師の仕事がなくなり、御神輿(おみこし)を制作するようになりました。すでに廃業されていますが行徳にある旧浅子神輿店の店舗兼主屋は、行徳ふれあい伝承館として中を見学することができます。ボランティアのかたが解説してくれまして心おどりました。

このことは「塩の道」で書こうと思っていたのですがなかなかやりはじめませんのでここで少し記しておきます。これから行きます千住宿の千住大橋を渡った南千住にあります素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)が浅子神輿店が最初に納めた御神輿なんだそうです。

それを聞いて素盞雄神社に親近感を覚えたのですが、河原稲荷神社にあります千貫神輿にも惹きつけられます。どこでどなたが作られた御神輿なのでしょうか。作る人や神輿店によって特色があるようですが、依頼主の好みということもあるようです。

もともとは御神輿つくりを専門にしている家はなく、それぞれの専門の職人さんが御神輿を頼まれると同時に神輿のために自分たちの専門部分の仕事をして、それを組み立てていったのだそうです。そのため、専門の神輿屋となっても職人さんたちは同時進行で仕事をしていたそうです。きちんと組み合わせられるという自信ある技術を身につけていたわけです。神輿店ができたのは明治に入ってからです。

行徳では、中台製作所さんが神輿店を続けているようで、神輿ミュージアムとして日曜日見学できるということでしたがこの時期ですのでどうでしょうか。日曜日ではなかったのでお邪魔しませんでした。

行徳ふれあい伝承館で行徳のことなども結構時間をかけてお話してもらいました。塩の町からどう変わってきたのかなども。また違う日に来ると違う人から違う話が聞けますよと言われていました。今年の7月頃には地元の人たちによる行徳の本ができるということでした。どんな本か楽しみです。

では千住宿に戻ってまた歩き始めます。

追記: 浅子神輿店では富岡八幡宮にも納めていて、この神輿は神輿庫に収まっていて見れるようです。鳳凰の翼が左右に大きくひろげられているのが浅子神輿店の特色なのだそうです。ミニチュアと違って迫力ある翼です。

日本一の黄金大神輿 (tomiokahachimangu.or.jp)

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