日光街道千住宿から回向院へ(3)

山梨は富士山が美しい姿を見せてくれることで有名ですが、北千住からもかつてははるか彼方に見えたようです。

北斎の富嶽三十六景のうち「武州千住」「隅田川関屋の里」「従千住花街眺望ノ不二」の碑があります。

武州千住 冨嶽三十六景と千住|足立区 (city.adachi.tokyo.jp)

隅田川関屋の里 冨嶽三十六景|足立区 (city.adachi.tokyo.jp)

さらに富士塚のある神社が三つあります。大川町氷川神社千住神社は登ることができます。柳原稲荷神社の富士塚は通常非公開です。

特に見学したかった「千住宿歴史プチテラス」はお休みでした。地漉紙問屋・横山家の内蔵(土蔵)を移築して歴史展示館となっています。

土日に開館していることが多いようですが、あくまでも参考です。

千住のやっちゃ場だけに投師(なげし)と呼ばれる店を持たない商人がいました。仲買人の店先を借りてセリに参加して、大八車で東京市内の全市場へ駆けつけて売りさばきます。昭和初期には150人くらいいたそうですが、一人一台とは限らず、四、五百台の大八車が朝明けないうちからガラガラ音を立て、手ブラ提灯の光とともに天の川のようだったそうです。

昭和20年4月の空襲で焼け幕を閉じますが、その子孫が築地や北足立などの市場で仲買商として脈々とつながっているということです。

凄い光景だったでしょうね。映像とかで残っていないのでしょうかね。

さらに千住には日本に一つしかない長ネギ専門の卸売市場があるそうです。「千寿ねぎ」は薬味にするとぴりっと辛く香りよしで、煮ると甘いとのことです。

千住宿奥の細道プチテラス」。

矢立初めの芭蕉像」。矢立て初の句「行く春や鳥啼き魚にの目に泪」を書きとめているのでしょう。芭蕉さんの足元の敷石はやっちゃ場に敷かれていた御影石とのことです。

千住大橋が見えてきました。

千住公園にある「奥の細道矢立て初めの地碑」。

ここで北斎さんの「従千住花街眺望ノ不二」の碑にお目にかかれました。

この近くに「石洞美術館」がありました。二回ほど行っていますが、美術館に行ってもどるという行動でしたので、千住大橋に近かったのだとはいやはや驚きです。大千住マップ、ありがとう。

ではこの辺りで小休憩です。距離的に短いのによく休憩があります。

北千住駅前のマルイ10階には千住宿の模型があるそうで、灯台下暗しでした。北千住は飲食店も多いのにそちらには全然貢献していません。古い建物の板倉家は人が中にいまして和食やさんとなったようです。そうした古い建物の利用も盛んのようで、次の機会には入ったつもりではなく、味わいましたとなりたいものです。

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