映画『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』

池袋の「新文芸坐」で、三船敏郎、勝新太郎、中村錦之助の映画の特集をやっています。驚きましたことに、このビッグな俳優さんたちは、1997年の同じ年に亡くなられたのですね。そして没後20年ということです。

今回のなかで一番見たかったのが、『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』(1952年・東宝)です。3月の国立劇場での歌舞伎『伊賀越道中双六』と関係してもいて、実際に<鍵屋の辻>に行ってもいたのでそこが映像でどう映るのか楽しみでした。                伊賀上野(忍者と芭蕉の地)(5-2)

東京国立近代美術館フイルムセンター収蔵作品で、フイルムセンターで上映の際、見逃してしまったのですが、今回借りられたようで感謝です。

監督が森一生さんで、脚本が黒澤明さんです。最初、荒木又右衛門の三船敏郎さんが、額のハチマキに投剣を数本差し、勇ましく闘っているのですが、ナレーターが入り、講談では36人斬ったというが実際に斬ったのは二人で、二人斬るということがどんなに大変なことであるかというようなことを言われ、ここでは講談ではなく史実に基ずいた話しを描くということなのです。講談調の娯楽時代劇映画と思っていたのが大逆転に大歓迎でした。

さらに、<鍵屋の辻>が、映画を撮影した時の風景が映され、説明が入り、仇討の時代に合わせてのセット組み立ての風景となり、私が見た2015年から1952年さらに仇討のあった嘉永11年(1634年)へと、<鍵屋の辻>がどんどんタイムスリップしていってくれ、お城の石垣がそばにあり、橋がありと嬉しくなりました。実際にその場に立ってみても、想像では補えない風景でした。映画用のセットだとしても一応当時の様子として全面的に受け入れます。

渡邊数馬(片山明彦)の弟が河合又五郎(千秋実)に殺されたとして、数馬、荒木又右衛門(三船敏郎)、川合武右衛門(小川虎之助)、森孫右衛門六助(加東大介)が仇をとるのです。

河合又五郎のほうには、叔父・河合甚左衛門(志村喬)がいて、荒木又右衛門とは朋友の仲なのですが、話しが前後して二人の別れの場面もでてきます。寛永11年11月7日からさかのぼって5年前から仇討ちの日まで、行きつもどりつの話しのすすめかたもこの映画のみどころのポイントでもあります。

鍵屋で仇を待つ間、それぞれが今までの5年間を思い出すのです。六助は一行の到着を知らせるため橋のたもとで待ちます。川の流れが映り彼もまた思い出しています。老齢の父から父の名前の孫右衛門をもらった日のことを。

又五郎側には槍の名人・櫻井半兵衛(徳大寺伸)がいます。その半兵衛の顔を見知るため、道中の茶屋で教えてもらいここを通ると言われ確かめます。数年後ここの茶屋に再び寄り、亭主から半兵衛の行先を聞き付けます。江戸に二回行き、行先がわからず、また江戸に向かうしかないのかというような時です。いかに仇の相手の居所をつきとめるのが大変かがよくわかります。

相手は隠れ逃げているわけで、又五郎は旗本の家中にいます。この仇討は旗本と外様をかけての果し合いでもあったのです。仇討の討つものと討たれるものの制度的な虚しさも伝わってきます。それを感じさせながらも、行きつもどりつして、今に至っているという臨場感や登場人物の心の内を上手く出していきます。

六助は一行の姿をみて動転しながらもゆっくり鍵屋に報せにもどります。しかし、橋の向こうで一行は止るのです。数えていませんが、史実では相手は11人です。問題は、川合甚左衛門と槍の名人・櫻井半兵衛です。

甚左衛門は又五郎が斬り、半兵衛に槍を持たせないように槍持ちを六助と武右衛門が阻止して、数馬は又五郎を討つという手はずです。ところが、ここにきて一行が待ち伏せに気がついたのか止ったのです。カメラは又五郎側に移ります。甚左衛門が、寒さのため着るものを重ねたのです。「こんなに着込むと、いざという時に動きがとれないであろう。」と甚左衛門はいいます。待ち伏せに気がついていません。

身を守るため、鎖帷子(くさりかたびら)を着ていますが、これが寒いといっそう体を冷やすのです。なるほどとおもいました。そして、又五郎も頭にかぶっていた鉄かぶとを取ってしまうのです。先導の馬上の人物が先に偵察をして大丈夫と手をふります。

ここから仇討が始まるのです。ここまで又右衛門の三船敏郎さんが力強く冷静に判断して3人を引っ張ていきます。このあたりが三船さんらしい役どころです。三船さんは予定どおり朋友の志村さんを斬り、加藤さんと小川さんは、槍を徳大寺さんに持たせることはありませんでしたが、小川さんは斬られてなくなってしまい、徳大寺さんは三船さんに斬られます。

一対一の片山さんと千秋さん。これが、どちらも剣に強いとはいえず勝負に時間がかかります。それだけ人を斬るという行為は簡単なことではないのです。簡単であってはこまる行為です。しかし見ていると片山さんにイライラしてきます。何をやっているのと。仇討ちを見ている人々もそうだったのでしょう。こういう心理って怖いですね。

黒澤さんはこのへんの心理も判っていたとおもいます。映画のチラシに「リアルな立ち廻りを狙った作劇は、黒澤が自身の時代劇を探っていたのではないかと森は推察する。」とあります。時間差の押し戻し、仇討ちの緊迫感、心理情況など森一生監督の腕も素晴らしいとおもいます。変化球がきちんと捕手のグローブ、観客に納まった映画でした。

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