池田満寿夫と内田康夫を繋ぐ謎

池田満寿夫の青 で信州松代で「池田満寿夫美術館」に遭遇したことを書いたが、そこで熱海に「池田満寿夫記念館」と「創作の家」があるのを知る。

「創作の家」は池田満寿夫さんと佐藤陽子さんが1982年から1997年3月池田さんが亡くなられるまで住まいとして、また、アトリエとして使われていた家で熱海市に寄贈され公開されている。MOA美術館に行く途中にあり坂がきついのでバスを利用したほうがよい。駐車場は無い。

「池田満寿夫記念館」のほうは、伊東線網代(あじろ)駅から熱海駅行きバスで5分「下多賀」バス停下車20分とある。歩ける範囲である。チラシの後ろには車用に、歩くものには役立たないような池田さん自筆の芸術的地図載っている。「下多賀」バス停からの道は一応調べて印刷したが、こちらもあまり役に立たず道ゆく人に聞くこととなる。住んでいる人が楽なように教えてくれたのであるが、教えられる方の力不足で山肌に面した道をかなり遠回りしてしまった。それと網代駅前バス停も少し駅から離れていて人に聞かなければわからない。バスの時間までバス停そばの川などを辿っていたが、そこではなく網代駅周辺をもう少し散策しておけばよかったと思っている。なぜなら内田康夫さんの推理小説「『紫の女』殺人事件」で網代が出てきたのである。網代→池田満寿夫→内田康夫→紫の女(ひと)と繋がってゆく。

この推理小説には内田康夫さんと浅見光彦さんとが登場する。これもなかなか楽しい。内田さんは実際にこの網代のリゾートマンションに仕事部屋を持たれていた時に事件が起こるのである。内田さんのマンションの住所は熱海市下多賀である。池田さんの陶の作品が中心の記念館も熱海市下多賀である。この小説の目次に〔第一章 網代日記〕とあったので1ページを開いたら熱海での殺人である。これは読まなくてはならない。

熱海の紹介もある。古くは『吾妻鑑』に記載されてるそうだ。江戸時代徳川家康が湯治にきており、明治になると新政府の高官の社交場となり、別荘も立ち並ぶ。尾崎紅葉の「金色夜叉」、演歌の「熱海の海岸散歩する、貫一お宮の二人連れ~」も熱海を全国区にするのである。

熱海も今は時代から取り残された温泉場のイメージが強いのかもしれないが、谷崎潤一郎さんの「台所太平記」の場所でもあり、熱海にて でも簡単に紹介したがなかなか面白い街である。小説の方は熱海、網代を舞台に京の宇治まで旅するのである。作者に言わせるとこの作品は「駄作揃いの僕の作品群の中でも突出してケッタイな作品の部類に入りそうでです。」とあるが、私にはお気に入りの作品である。和菓子を見ても思い出す作品である。出てくる和菓子のお店も実在するとか。この作品の文庫は1995年に出ている。まだあることを願い確かめに行きたいものである。時間があれば「池田満寿夫記念館」にも再度足を延ばしたい。

 

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