『美しきものの伝説』(宮本研の伝説)

6月に新派の『新釈 金色夜叉』を観たのであるが、尾崎紅葉の原作で宮本研の脚本である。どう捉えて良いのか考えがまとまらない。そうこうしている内に、かつてNHKの衛星放送で放送していた<昭和演劇大全集>の『美しきものの伝説』の録画があった。この脚本は伝説の部類に入るもので、見たいと思いつつ難解そうでそのままにしていたのであるが見るタイミングのようである。

面白かった。痛快でもある。大正時代を背負って走り抜けた美しきものたちへの賛歌でもあり、批評眼でもあり、交信でもある。この<昭和演劇大全集>は最初に演劇評論家(だけでわない)の渡辺保さんと俳優(だけではない)の高泉淳子さんが、これから放送する演劇について、役者について、本について、演出家についてなど突っ込みを入れつつ話されるのであるが、それに係るとこちらの書くことがなくなるのでこの部分は幕とする。

今回見た舞台映像は平成6年(1994年)俳優座での新劇人の合同の「座、新劇」公演で、作・宮本研/演出・石澤秀二である。

登場人物のニックネームがこれまた見事である。荒畑寒村(暖村)・伊藤野枝(野枝)・大杉栄(クロポトキン)・小山内薫(アルパシカ)・神近市子(サロメ)・久保栄(学生)・堺利彦(四分六)・沢田正二郎(早稲田)・島村抱月(先生)・辻潤(幽然坊)・中山晋平(音楽学校)・平塚らいちょう(モナリザ)・松井須磨子はそのままのようである。松井須磨子にニックネームが無いのは彼女の遺書に自分が観客からただ好奇の目で舐めずり回されていただけであるという言葉があり、ニックネームを持つだけのゆとりのなさを表しているように思える。

政治的にそれぞれの考えと実行があり〔堺・寒村・大杉・辻・野枝・神近・らいちょう〕、文学的にそれぞれの考えと実行があり〔辻・野枝・神近・らいちょう〕、演劇的にそれぞれの考えと実行があり〔抱月・小山内・沢村・久保・須磨子〕その中から歌も生まれる〔中山〕

男女関係では〔辻と野枝〕・〔大杉と神近〕・〔大杉と野枝〕・〔抱月と須磨子〕実際には舞台に登場しないが〔らいちょうと奥村博史(ダヴィンチ)〕。

これらの人間関係を上手に場面、場面に登場させ、論じ合わせ、語らせ、吐露させ、主張させ各自の考え方、生き方を浮き彫りにしていく。政治も演劇もお金とどう折り合いをつけていくのかという問題も浮かんでくる。お金などいらない。主張していくだけである。しかし、その主張を広めるための資金がなくては。大衆を信頼できるか。観客を信頼できるか。できる。信じている。暗い時代の突入を前にして体ごとでぶつかった<美しきものの伝説>である。そして伝説的に名前だけがぶらさっがていた<宮本研の伝説>の幕開けでもあった。

 

 

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