井上ひさし 『太鼓たたいて笛ふいて』

太鼓たたいて笛ふいて』は林芙美子さんの評伝劇である。井上さんの評伝劇は、資料を調べるだけ調べて、そこから井上さんの思いを込めて人物像を造形していく。

林芙美子さんに関しては、母と養父の行商について歩く貧しい少女時代。本に夢中となり、職を転々として詩や小説の創作に打ち込む時代。長谷川時雨主宰「女人芸術」に発表した『放浪記』がベストセラーとなり流行作家となった時代。日中戦争が始まり戦争従軍記者として活躍する時代。戦後一転して戦争が引き起こす女性の悲劇を描いた林芙美子さん。その林さんを生活する庶民と文学者の境界を造る事無く走り続けた小説家として肯定し、そこから見えてくる、物書きとしての矛盾をも映し出す井上戯曲。歌を挿入することによって、攻撃性を弱めたり、雰囲気を明るくしたり、理論性で疲れる脳を休めてくれ、新たな問題点、思考すべき事がないのかなどを提示してくれる。

この芝居の中の林芙美子と一緒に林芙美子を探している。戦争従軍記者として戦地におもむいた作家は日中戦争前からいた。あの正岡子規さんも新聞記者として従軍しその報告を書いている。林さんは、東京日日新聞(毎日新聞)の従軍記者として、南京に一番乗りし、女性で一番乗りということもあって脚光を浴びる。そして、火野葦平さんの芥川賞受賞が内閣情報部の目に止まり、作家達による「ペン部隊」がつくられ、林さんはその一員として漢口に行き、またまた一番乗りとなり、一段と名を売るのである。日本へ帰ってからも、現地の様子を知りたい残されている家族は、林さんの講演会に殺到する。内閣情報部は見せたいものと、見せたくないものはコントロールしているので、その中で動いた林さんの見たものは、戦場の全貌では無かったであろう事は想像できる。内閣情報部の狙った通り、作家の戦場と銃後をつなぐ一体感は上手くいくのである。戦後そのことに気付いた林さんは、戦争で傷ついた女性たちを題材として小説を書くのである。

『太鼓たたいて笛ふいて』には、驚くべき人が登場する。それは、島崎藤村さんの『新生』で書かれた藤村さんの姪御さんの島崎こま子さんである。芝居は芙美子さんの家で、そこに芙美子さんのお母さん、レコード会社の人、昔の行商隊の人などに交じって島崎こま子さんも登場するのである。これには芝居を観ていて驚ろいた。帰りに慌ててパンフレットを購入する。それによると、こま子さんは藤村さんと別れ結婚もするが、幼い娘を抱え、貧しさと過労から倒れ養育院に収容され、林さんはこま子さんを訪ねる。そして、そのことを「婦人公論」に手記として発表していたのである。

「女の新生 島崎藤村氏の姪荊棘の道を行くこま子さんを訪ひて」  <「新生」と云う作品は岸本と云う男の主人公の新生であり、そうしてまた藤村氏自身の新生でもあって、作中の不幸な女性節子さんの新生ではあり得なかったのだと思います。>

芝居では、こま子さんが突然林さんを訪ねてくる。彼女は貧しい子供たちの託児園の仕事をしていて、「新生」の中では言えなかった事を語る。

小説の中ではない現実のこま子さんと芝居の中のこま子さんを知りそして観ると、小説のこま子さんは藤村さんに作られたこま子さんであるという視点に立つ。

『新生』  「節子の残して置いて行った秋海棠の根が塀の側に埋めてあった。『遠き門出の記念として君が御手にまゐらす。朝夕培(つちかい)ひしこの草に憩ふ思いを汲ませたまふや。』」(岸本はこの節子の言葉が気になり、引っ越しで慌ただしく植えたのが気になる。その根は土の中かから転がって出ていた。二人の子供と一緒に植え直す。)「こういふ子供を相手に、岸本はその根を深く埋め直して、やがてやって来る霜にもいたまないようにした。節子はもう岸本の内部にいるばかりでなく、庭の土の中にも居た。」

この前に節子の手紙もあり、そこからの流れは、節子も<新生>を成し得たように読者は思わせられる。林さんは、そこのところを突いているのである。井上さんは藤村さんに異議ありとした林さんの一本気なとこと、それが、<太鼓たたいて笛をふく>ことにもなる全ての林さんを芝居にしている。林さんを見ると同時に自分を肯定しなくては生きていけない人間の強さと弱さの表裏一体を見るのである。

それは大文豪にも言える事である。しかし、『新生』は書く必要があったのであろうか。物書きの<業>であろうか。

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