歌舞伎座 『鳳凰祭3月大歌舞伎』 (日本振袖始・二人藤娘)

夜の部の『日本振袖始(にほんふりそではじめ)と昼の部の『二人藤娘』について。

玉三郎さんが勘九郎さんや七之助さん世代を育てようとの思いの演目であろうと思われる。

『日本振袖始』は、あまり好きではない演目である。後半の大蛇に変身する玉三郎さんは観たくないというのが本音であるが。(笑) 原作が近松門左衛門である。近松といえば心中物をイメージするが、これは、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説がもとのようである。一年に一度八岐大蛇に娘を差し出さなければならない。今年は稲田姫(米吉)である。村人はなんとかして八岐大蛇を退治したいと思い、八岐大蛇が好物のお酒に毒を入れて酒壺を八つ置いておく。大蛇の化身・岩長姫(玉三郎)が現れ大好きなお酒を壺から次々と飲み干していく。このお酒をどう飲み、それによってどう酔っていくのかが見どころである。ここが、藤娘の酔い方と違い、時々大蛇の本性を現しつつ、姫としての妖艶さも出すのである。壺にもたれかかったり一気に飲む様子であったり、一つ一つの壺に立つ玉三郎さんを追いかける。

そして後半は、スサノオノミコト(勘九郎)によって退治されてしまうのである。後半は勘九郎さんの生き生きとした立ち回りが見せ所である。大きな動きで、ジャンプ力も効いていた。米吉さんは自分の役をひたすら努めるという感じであった。

『二人藤娘』 玉三郎さんと七之助さん二人での『藤娘』である。一月に大阪松竹座
でお二人で踊られ、テレビでも生中継されたので観たいと思って居たら、歌舞伎座での再演である。テレビで一つ気になったのが七之助さんの眉を八文字にした泣き顔であったが、歌舞伎座では踊った回数にもよるのか、しっかりとされた顔つきになっていて安心した。着物の色の違いなどから、七之助さんの持つ黒の塗笠に対して玉三郎さんは黒地の着物の袂を傍に寄せるという工夫もあり、ここはこうなってこうなんだと思って居るうちに変化するので、その場その場で堪能しつつも終わってみれば書く表現の力がないのである。

真っ暗な中で長唄の<若紫に十返りの花をあらわす松の藤波>の独吟がある。まずははこの詞と声にしびれる。そしてパッと明るくなり、舞台中央に藤の一枝を肩にかけ黒塗笠の藤娘が立っている。今回は七之助さんが舞台中央で白い藤を、玉三郎さんが花道からせり上がり薄紫の藤である。『藤娘』の詞はかなり艶っぽい空気がある。<若紫に十返りの花をあらわす松の藤波>も、若紫は藤のことで、十返りの花は百年あるいは千年に一度花が咲くというたとえで松のことである。松に藤の花が巻きついているとうたわれているのである。舞台装置は大きな松の大木に見事な藤の花房が幾つもしだれ下がっている。その情景を、暗闇から長唄で始めるという大胆さである。これは六代目菊五郎さんの新演出といわれている。そして、この美術は小村雪岱の原案とあり、さすが雪岱さんと思う。(初めて雪岱さんを知る 腕に抱え込んだ継続 (小村雪岱) ) 今回は、いつもの舞台装置より派手さを押さえたおとなしめであった。

『藤娘』に関しては、二人だとどうしても散漫になり、藤の精が人間化した面白さや色香が薄れてしまう。それとお二人の身体のつくりに差があり、身体的訓練の差を感じてしまった。七之助さん一人だと可憐であるの表現になるのであろうが、玉三郎さんの藤娘をDVDや舞台で何回となく観ているものにとっては物足りないのである。

『藤娘』は近江八景と、男に対する女の恨み言を重ねたり、言葉遊びがあったり、松にお酒を飲ませ自分も飲んで酔ってしまうなど、詞と音色と藤娘にこちらも酔わされてしまうのであるが、酔い足りなかったのである。もう少し鍛錬の時間が必要に思う。

などと生意気なことを言うと玉三郎さんに、私の教えることに何か文句があるのかしらとお叱りを受けそうである。勘三郎さんが「道行旅路の嫁入」「山科閑居」で、玉三郎さんが戸無瀬、勘九郎さんが小浪、勘三郎さんがお石のとき、勘三郎さんは勘九郎さんにもう少しこうした方がいいのではと注意されたら、玉三郎さんに<私の教えることに何か文句があるのかしら>のようなことを言われ<兄さんがそういうんだよ>と嬉しそうに話されていたのをどこかで目にしたことがある。勘三郎さんは迷惑をかけないようにとの親心だったのであろう。それに対する玉三郎さんの全て承知で預かっているのだからの気持ちとして、勘三郎さんは受け取られたのかもしれない。本当に嬉しそうであった。

勘三郎さんの『藤娘』はかなりご自分が酔いい過ぎる『藤娘』の時もあった。

七之助さんも次の時には、覚え込んだ身体から、また新たな『藤娘』を作られるであろう。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です