パソコンを閉じて旅に出よう

寺山修司さんの、『書を捨てよ、町へ出よう』を捩らせてもらった。加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』を観に、下北沢の本多劇場に行った帰り、劇場の下にある名前の判らぬ、楽しいお店に寄る。様々な雑貨や本、CDなどが置いてあるお店で、眺めているだけで楽しい場所である。迷路のような雑貨の間に本が、分野別にあり、その分野が無造作でありそうで、結構こだわりで置いてありそうで手が伸びる。そして、『 回想 寺山修司  百年たったら帰っておいで 』(九條今日子著)、『 寺山修司とポスター貼りと。  僕のありえない人生 』(笹目浩之著)をゲットする。

<天井桟敷>の設立の様子や、当時の若者を魅了した演劇という異界が裏から見れるという著書である。お二人とも、私的なことをも含め深く係られていたのであるが、お二人の生き方が、自分の仕事の役割という事を客観的に捉える眼を持たれていて、寺山さんをまやかしの情念の方向に持っていかないところが爽やかである。

今回の四日間の東北の旅は、バスツアーを二日入れており、<青森三沢市寺山修司記念館>には寄れないのである。もう少し寺山さんの作品を読んでからのほうが良いかもしれない。寺山修司没後30年「寺山修司◎映像詩展」のとき、九條今日子さんの話を聞いている。元女優であり、寺山さんの元夫人ということであったが、思いのほか虚勢の無い方であった。この好印象が、『回想 寺山修司』の本に手が伸びた要因の一つでもある。それは当たっていた。きちんと回顧録になっており、この手の一度読めば結構の妙な甘さがないのである。最後に九條さんに寺山さんのことを託された、<修ちゃんのお母さん>は修ちゃんのために最善のことをされたわけで、それに九條さんは嵌められたのか、知っていて嵌ったのかその辺は想像の域である。

この「寺山修司◎映像展」では、笹目浩之さんが経営するポスター・ハリスカンパニー主宰でポスターハリスギャラリー(渋谷・文化村通りドン・キホーテの裏)でポスター展をやっていたのであるが、、そのあたりを探したが場所が判らなかった。時間も無かったのであきらめた。残念な事をした。

今回の旅に「青森県立美術館」を入れていた。白い建物も見たかったのである。何を展示しているのかも調べていなかった。常設展として、<寺山修司×宇野亜喜良 ひとりぽっちのあなたに>があり、寺山修司さんに逢えたのである。しかし、動かない展示物としての寺山ワールドは東京の街中で逢う寺山ワールドと違い、至っておとなしくうつった。青森に飲み込まれてしまったようである。それを考えるとあの、『田園に死す』の映像のインパクトが必然だったのか。『回想 寺山修司』の映画『田園に死す』の箇所で、民族考証として加わった田中忠三郎さんの名前があったのも嬉しい。田中さんを知ったのは、映画 『夢』 である。

寺山さんの作品は映像で、美輪明宏さんの『毛皮のマリー』を見ている。蝶を追いかける少年が誰だったのか覚えていない。少年は蝶を追いかけるのが目的か、捕まえてピンで留めるのが目的か、自分がピンで留められるのが望みか、逃げて自由に飛び回るのが望みか結論がない。飛んでは傷つき毛皮に包まれ、飛んでは傷つき毛皮に包まれ、そんな事を夢観ているのかもしれない。

どこかで蝶に出会うと、君はどんな少年に追いかけられてるのかと問いただしたくなる。

確か、映画『ビートルがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』で、リンゴ・スターが本ばかり読んでいて、マネジャーらしき人に「本を捨てて町に出よう」らしき事を言われるところがあったと思う。この映画も、ドキュメンタリータッチで、歌謡映画的予想をして観に行って戸惑った記憶がある。

戸惑いは、前進か裏切りか、安住でないことは確かである。

 

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