旧東海道と『興津坐漁荘(おきつざぎょそう)』(興津宿・江尻宿・府中宿)

暑さの中、一泊二日の三回の旅で元箱根から箱根峠を超えて三島へ、三島から沼津間は歩いているので、沼津から静岡(府中宿)まで到達した。天候と相談しつつであったが、喜ぶべきか、晴れに晴れてくれた。しかしJR静岡駅まで行けたのである。日本橋から19番目の宿である。旧東海道の三分の一まで来た事になる。

17番目の宿興津宿。

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東海道ぞいにあった、『興津坐漁荘』について書く。

興津坐漁荘』は西園寺公望(さいおんじきんもち)さんの別荘である。本来の『坐漁荘』は、愛知の犬山にある明治村に移築された。その後で、興津に復元され、『興津坐漁荘』として公開されているのである。本来の『坐漁荘』に忠実に復元されているらしい。材料が吟味されていながら、これ見よがしの所が無いシンプルな日本家屋である。時間が早かったため、家屋の雨戸などを開けている途中であったのが係りの方が、快くよく見学させてくれ、もう少しすると詳しく説明できる者が来るのですがと言ってくれたが、先を急ぐ旅人ゆえ、簡単な説明で充分に堪能できた。

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『坐漁荘』は、劇団民芸の『坐漁荘の人びと』(2007年)という芝居を観て、頭の中に残っていた。西園寺公望さんという方は、最後の“元老”と言われた人で、政界を退いても影響力のある人であったようだ。しかし国の行方は彼の思うようには行かず憂いを残して亡くなられたようである。

『坐漁荘の人びと』は、昭和10年(1935年)の夏から、昭和11年(1937年)の二・二六事件を通過した、3月までの『坐漁荘』の中での使用人や警備の人々に囲まれた西園寺さんの登場である。視点はあくまで、一般の人々の目線である。

以前奉公していた新橋の芸者・片品つるが坐漁荘を訪れる。そこで、もう一度女中頭として勤めて欲しいと執事に懇願され、引き受けることとなる。新しい女中頭のつるが、奈良岡朋子さんで、西園寺が大滝秀治さんであった。

西園寺さんは、軍部に対しても物申す人で、身辺の危険が心配され、坐漁荘の中は女中と西園寺さんだけの世界である。そのため、内なる女達のまとめ役が必要であったわけである。女中頭のつるは、今までの経験を駆使して、ご主人の気の休まるような環境をと、七人の女中をまとめていくのである。

『興津坐漁荘』を見て廻ると、女性達の動線が自分の動きと重なる。兎に角、開け放たれた部屋はどこも明るい光が入り、台所も明るく、暗い場所がない。庭からの景色は風光明媚である。かつては。今は埋め立てられグランドになっていて、野球部の学生が練習に励んでいる。それもまた、主の居ない風景としては理に適っているかもしれない。戦争の足音の聞こえる時代の風景が今は、若者が好きな野球に打ち込んでいる。一部の人々のための風光明媚よりも現代に相応しい明るさと美しさである。

『坐漁荘の人びと』を観ていなければ、政治家の別荘の一つとしてしか見なかったであろう。竹が好きなようで、窓の格子も竹であるが、侵入を防ぐため竹の中には鉄棒が入っていた。そういうところも、きちんと復元したようで、中の網代や外の桧皮壁も質実剛健に見えるのが好ましい。

“元老”は西園寺公望さんが最後でよい。

作・小幡欣治/演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子、樫山文枝、水原英子、鈴木智、千葉茂則、伊藤孝雄、河野しずか、大滝秀治

旧東海道にもどると右手に『清見寺』。徳川家康が人質として今川家にいた竹千代時代時々ここで勉学に励んだと言われている。五百羅漢など見どころが多いお寺である。

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延命地蔵尊と常夜灯

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旅の途中で倒れた人々の埋葬碑

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巴川にかかる稚児橋の河童の像の一つ。稚児橋は家康の命によってかけられた。渡り初めに地元の老夫婦が選ばれ渡ろうとしたらおかっぱ頭の稚児があらわれ橋を渡って府中方面に消えたという伝説がある。

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久能山に向かう追分の道標

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清水次郎長が森の石松のかたきを討った場所で討たれた都鳥を哀れに思った里人が建てた都鳥の供養塔

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東海道の解説版

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草薙一里塚  (江戸から43番目の一里塚) 一里塚のそばに大きなタヌキの像があった。笠を首にかけ徳利を持っている。それらには意味があるようなのである。狸八相縁起

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旧東海道記念碑。昭和37年国鉄操車場の建設により旧東海道が分断され旧東海道が一部消えたことから記念碑を残す。

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西郷・山岡会見跡の碑。江戸城無血開城についての会談。

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東海道も弥二さん喜多さんや、浮世絵の世界だけでなく、時代時代の動きを垣間見せてくれる。時には、出会った人から、市町村合併の理不尽を聞かされることもある。その話しを聴いた後で歩くと、その人の怒りがもっともに思える町並みの風景に出会うこともある。集めるだけ集めて回って来ない置き去りにされる地域が生じることもあることを知る。

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