でこぼこ東北の旅(1)

三月末に函館へ旅をした時の帰り、函館空港にいくバスの乗り場で「フェリー乗り場に行きますが」とバスの運転手さんに言われる。「空港にいきます。青森までのフェリー今もあるのですか。」「ありますよ。」

その言葉から、今度は友人達と函館へフェリーで集合と思い立ち、帰ってから連絡したところ即連絡した四人が参加である。

ところがきちんと調べていなかったので、検討したところフェリーは時間的に無理であった。急遽弘前集合となる。まだまだと思っているうちに旅の日となり、五人集まれるのは奇跡かもという予想をこえて無事実現したのである。

ただし、一緒の行動は、一泊二日、二泊三日、三泊四日とでこぼこになってしまったが、とにかく五人で乾杯できたことは旅の神様に感謝である。

弘前はお城などはいっても、お城の周辺を見ていない。寺町があったり、驚いたことには洋館も多い。距離的に見学しやすい<青森銀行><旧東奧義塾外人教師館><旧市立図書館><藤田記念庭園>を散策する。<旧東奥義塾外人教師館>の裏側には、弘前の洋館のミニチュアがならんでいてこれがまた建物の全体像がわかり親しみがわく。

この一画には、<市立観光館>があり中には「ねぷたまつり」の山車が展示されていて係りの人が説明してくれる。<弘前市立郷土文学館>には「石坂洋次郎記念館」があり、作品が多数映画化されており映画ポスターもならんでいる。

小説の『若い人』は、函館の「遺愛女学校」をモデルとしていて、映画では函館ではなく長崎をロケ地としているようである。函館の「遺愛学院本部」はピンクの可愛らしい建物で外からのぞかせてもらったが、劇団民藝の『真夜中の太陽』はこの学園を舞台としている。

石坂洋次郎さんの作品は読みやすいとされているが、『若い人』を読み始め途中でギブアップしてしまう。古い文庫本で字が小さく、描写がこまかく、男性教師・間崎からみた登場人物にたいしても一人一人を観察し感じた気持もかかれ、簡単におわるとおもっていたのがくつがえされてしまった。

『若い人』では、女学生が間崎も引率教員のひとりとなり東京に修学旅行にくるところがあり、宿に戻らない生徒がでて、原作と映画ではその生徒がちがっている。映画では、吉永小百合さん演じるところの江波恵子である。間崎が石原裕次郎さんで、宿から恵子を捜しに行く場面でニコライ堂が映る。御茶ノ水である。明治大学で『映画のなかの御茶ノ水』の著者・中村実男さんの無料の公開講座があり、その場面を写してくれた。そのあとDVDも見直したのであるが、江波恵子はむずかしい役である。そのことを吉永さんは『夢一夜』のなかでかかれている。ほかに吉永さんが御茶ノ水に映画の中で立たれているのは『伊豆の踊子』である。

劇団民芸には『満天の桜』の舞台があり、津軽藩二代藩主信枚に嫁いだ家康の養女・満天姫の話である。 三越劇場 『満天の桜』 こちらの探索は止ったままである。

弘前市内をみてまわるには半日では足りない。100円バスが15分おきにでているのでかなりかつてより便利になった。

次の日は金木である。私は再訪である。今回は津軽鉄道の金木駅から一つ先の芦野公園駅まで行き、そこから金木に歩いてもどる。芦野公園はひっそりとしていて桜の時期には美しいであろうと思われる桜並木がつづく。「津軽三味線発祥の地」の碑、二重マント姿の太宰治さんの像がある。芦野湖(藤枝溜池)にかかる桜松橋のつり橋は通行どめであった。

金木では定番の<津軽三味線会館>で生演奏を聴き、<斜陽館>見学である。今回はそこから駅に向かう途中にある<太宰治疎開の家>(旧津島家新座敷)での時間をとる。前回時間がなく説明を超スピードにしてもらったのである。

ここはもともとは、津島家の長男文治さんの新婚の離れ座敷としてつくられたもので、太宰さん夫婦が戦中焼け出され津島家に疎開したとき住んだのである。座敷といっても様式を含めて5部屋あり、津島家から見放された太宰さんが、疎開ということで津島家に守られた時期である。<津島家>に複雑な想いをもっていた太宰さんにとってそれはどんな想いを心にのこしたのか判断の難しいところであるが、妻にも胸をはれる優遇を受けたこととおもわれる。

この時期に太宰さんが心穏やかに多くの作品(23作品)を残したことなどを、館長さんが作品を紹介しつつわかりやすく説明してくれる。かつて太宰さんが、兄の文治さんのお嫁さんをのぞきにきた座敷でもあり、病床の母を見舞った離れ座敷でもある。今この座敷は津島家の<斜陽館>から分断され移動されて残されている。長男の文治さんの死後、津島家の斜陽がおとずれるのである。太宰さんは故郷で終戦をむかえ、ふたたび東京へもどることとなる。

弘前、五所川原、金木には豪商がいて、その住いは贅沢で大きい。太宰さんの父・源右衛門さんは津島家に養子に入っており、津島家をさらに大きくしたひとである。実家も裕福で、津島家の屋敷も自分の実家に模して造られたそうである。津島家は女系で持ちこたえる傾向がある。

 

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