でこぼこ東北の旅(3) 歌舞伎シネマ『阿弖流為』

五所川原の<立佞武多(たちねぷた)>は是非友人に見せたいと思っていたが、ことのほか友人もその豪快な全容に満足してくれた。あらためてその色づけの美しさと巨大でありながら細やかな色使いになぜかしみじみとした想いにとらわれてしまう。

陰陽師・安倍晴明の立佞武多もあり、歌舞伎の『陰陽師』をおもいだす。四月の歌舞伎の『幻想神空海』は、『陰陽師』の二番煎じの感がまぬがれず期待に応えてくれなかったことも浮かび上がる。私立探偵空海で、空海(染五郎)と橘逸勢(松也)の関係が、安倍清明(染五郎)と源博雅(勘九郎)とだぶり、『幻想神空海』のほうが衣装が地味で分が悪い。最後に舞台全面に曼荼羅(まんだら)がでてやっと<空海><密教>の色合いがでた。

<ねぷた>の由来はいくつかあり、坂上田村麻呂が大きな灯籠で敵をおびきだしたという一説もある。ただ田村麻呂は青森までは遠征しなかったようである。

今回は歴史館「布嘉屋(ぬのかや)」にもたちよる。無人の時にあたってしまい拍子抜けしてしまったが、<布嘉>とは豪商の佐々木家に婿養子となった嘉太郎さんが、分家して大地主となり本家の「布屋」の屋号をもらい布屋嘉太郎が「布嘉」とよばれるようになり、斜陽館を建てた棟梁・堀江佐吉さんが請け負った布嘉御殿の模型が展示されていた。斜陽館よりも外見的にも手の込んだ建物であった。

大地主。太宰治さんの心の鬱屈の原因でもあった。太宰さんの父はお金を貸しそれが返せないと担保の土地を手に入れて広大な土地の所有者となっていったのである。

五能線のリゾートしらかみ号は気にしていなかったが、乗る列車によって列車内のイベントがあったりなかったりで、さらに<千畳敷>で降りて見学する時間のとるものとそのまま通過する列車があったのである。幸い見学する時間のある列車で友人のためにホッとする。風が強く、満ち潮で岩にぶつかる波しぶきが激しく、海の違う顔がみえた。この波が押し寄せてきたらと想像すると恐ろしくなるわねと友人とうなずき合う。

次の日、仙台から塩竈神社にいくため仙石線にのる。途中<多賀城駅>があり、多賀城があるのかとそれとなく記憶にのこった。

帰ってから歌舞伎シネマ『阿弖流為(アテルイ)』を観ていたらでてきた。<多賀城>。もう一つ先にでてきたのが<いさわ城>。調べたら<胆沢城>である。歌舞伎で観たときは気がつかなかった。

多賀城は平安時代、蝦夷(えみし)の指導者・アテルイを降伏させた田村麻呂が築いた城柵である。

多賀城にあった陸奥の軍政の拠点の鎮守府をのちに胆沢城に移している。そのことからも田村麻呂は岩手までで、青森には行っていないであろう。ただ<アテルイ>には<ねぶた><ねぷた>の灯りがよく似あっている。

胆沢城は東北本線の水沢駅からバスのようである。水沢駅から盛岡駅まで早朝一本だけ列車の<快速アテルイ号>が走っている。

 

歌舞伎シネマ『歌舞伎NEKT 阿弖流為<アテルイ>

染五郎さんが少年時代に、アテルイの処刑に田村麻呂が涙したという学習漫画から二人の関係を不思議に想われたどり着いたのが、『歌舞伎NEXT 阿弖流為<アテルイ>』である。かなりの時空を経て舞台化したわけである。そして映像化となった。

こと細かに鑑賞させてもらった。カメラを何台使ったのであろうか。ここという場面の台詞では役者さんたちの顔がアップとなり表情がよくわかる。そちらに気をとられて、舞台を観た時のアテルイと田村麻呂の敵でありながらもお互いに惚れこむ二人の関係が、役者さんが近すぎて伝わり方の波長が少しずれてしまった。観賞の難しいところである。ただ圧倒的な迫力で格好よすぎである。太刀や剣の使い方にスピード感があり、止まっていう台詞がキザでも許せてしまう。

最初から観た時の感覚がもどり、そうでしたそうでした。今更ながら、勘九郎さんの田村麻呂はだまされやすいおひとじゃ。裏をよみなさいよ。七之助さんの立烏帽子、動きにつれて衣装のすそがひるがえり、アテルイ、田村麻呂の関係に視覚的にも風をおこしている。市村橘太郎さん、澤村宗之助さん、大谷廣太郎さん、中村鶴松さんらもしっかりチェックできました。

この場面はこうした表情でと撮る映画とは違う映像なのに、しっかり眼が演技しつづけている。それでいながら身体はばしっときまる。これを昼夜二回演られたのかとおもうと、考えただけ見ているほうがが酸素吸入器が必要となりそうである。

舞台映像として、複眼で楽しめた。

作・中島かずき/演出・いのうえひでのり(劇団☆新感線)

新橋演舞場 『阿弖流為(あてるい)』

 

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