浅草映画『やくざ先生』

浅草関連映画DVDで探しても無かったのであきらめていたら、その後DVD化されていることを知る。先に紹介した『三羽烏三代記』(1959年・昭和34年)の後の映画、1960年・昭和35年の『やくざ先生』、1961年・昭和36年の『堂堂たる人生』もDVD化されていたのである。

やくざ先生』(松尾昭典監督)は石原裕次郎さん主演で、かつて戦災孤児で自分の世話になった更生施設「愛隣学園」に少年補導員としてやってくる。どうやら学園を出てからはやくざとなっていたようで、今はきちんと社会復帰したようであるが、頭にくると手が出てしまう。

最初は自分も実体験者だからと少年たちの気持ちを分かるつもりであった。しかし、少年たちは、自分の体験談を笠に着る先生としてかえって反発するのである。その度に辞表をだすが、圓長から辞表を印刷しておいたほうがいいのではと言われて反省して職務にもどる。

園長・宇野重吉さん、養護教員・北原三枝さん、職員・北林谷栄さん、台東警察署の刑事・芦田伸介さん等が出演。そして、「愛隣学園」の建物は人家から離れたところに建って居るのであるが、美術は木村威夫さんである。

観始めた時、これは新田先生(石原裕次郎)が生徒を浅草に連れていくのだなとすぐに判った。当りである。反抗するリーダー的少年、スリの少年、富士山に登るのが夢で園を脱走する少年、女優を自分の姉と思い込む少年、ハーフの少年、など様々である。そして、新田は外出許可を取り3人の少年を連れて浅草へ行くのである。

東武電車が鉄橋を渡り、巨大な松屋地下鉄ビルの塔がみえる。さえぎる建物がなく隅田川をはさんでよくわかる。当時ならではの風景である。4人が浅草を眺めおろすのは新世界の屋上からである。松屋でなく新世界というのは新世界のほうがもっと庶民的だったのであろう。やくざ先生らしい選び方かもしれない。新世界の屋上が出てくるのはこの映画だけではないだろうか。(プラネタリウムもある。)そこから望遠鏡で覗く浅草寺花やしきなどの映像が映る。ここで学園で持たされた麦飯の弁当を食べようとするが、少年たちにもっと美味しいものが食べたいといわれ、新田は自分の時計を質に入れる。

予算は一人200円で800円まで。店先に展示してあるメニューから200円のウナギを食べる。勘定になると1200円と言われる。200円のは売り切れたので食べたのは300円なのだと言われる。観ている方も、えっ~!である。(マスク注文したら多数の不良品が届き検品費用も税金から、えっ~!である。)

新田はそのことにも腹が立ったが、一緒にいたハーフの少年を侮辱されたことで完全に切れてしまった。その金銭的後始末を台東警察署刑事に頼み、少年たちを厩橋前からバスで先に学園に帰す。厩橋前バス停も珍しい。引率者がいなくて少年たちはきちんと愛隣学園に帰るであろうか。新田の心配は尽きない。

新田と少年たちとの悪戦苦闘はその後も続き何んとか通じ合えることができたかなと思った時には、愛隣学園にとっての新たな試練が訪れる。そしていつの時代も心の通じない相手の厚生省に嘆願に行った園長は、車に轢かれてしまう。

ついに愛隣学園の少年、職員は、それぞれの道へと旅立つこととなる。国家試験の資格のない新田は雇ってもらえなかった。来年19歳で社会に出なければならない少年たちは不安を口にする。正義感の強い新田はきちんと少年たちに応える。お前たちを受け入れられるように俺もがんばると。俺の所に来い。期待を裏切らない裕次郎さんのやくざ先生である。

この撮影中に石原裕次郎さんと北原三枝さんは婚約発表をしたということで、お二人には記念すべき作品でもあったわけである。映画での二人の関係は、いずれはということであろう。

原作は西村滋さんの『やくざ先生』で、西村滋さん(1925年~2016年)は、6歳の時母を、9歳の時父を亡くし孤児となり、放浪生活を送り少年養護施設の補導員も経験されている。著作4冊が映画化されていた。『やくざ先生』(原作『やくざ先生』)、『不良少年』(原作『笑わない青春の記』)、『悲しみはいつも母に』(原作『ある母の死より」)、『エクレール お菓子放浪記』(原作『お菓子放浪記』)

追記: 日本の三権分立は、新型コロナで国民が闘っている時に、当時の安倍政権が破壊しましたと歴史に残すつもりなのであろうか。

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