映画『湖の琴』からよみがえる旅(2)

京都から湖西線で近江塩津まで行き、北陸本線に乗り換えて、米原で東海道線に乗り換えるという旅を計画したことがあります。当然、高月が入ります。途中、近江今津と余呉に寄ることにしました。

近江今津の観光案内で観光スポットを地図に書き込んで教えてもらいました。水色丸が琵琶湖周航の歌記念碑。青丸が琵琶湖周航の資料館。黄色丸はヴォーリズ通りと称して、アメリカ人のヴォーリズが近江八幡へ英語教師として来日し、その後キリスト教布教と社会福祉事業のために建設設計事務所を開き、洋館を設計します。今津ヴォーリズ資料館日本基督教団今津教会旧今津郵便局と並んでいます。赤丸は江若(こうじゃく)鉄道駅跡

琵琶湖周航の歌碑の形は今津の地形をかたどっています。赤御影石の歌碑には歌詞1番から6番まで刻まれています。琵琶湖には歌碑が、今津、竹生島、長浜、彦根、近江八幡、大津、近江舞子にもあります。

ヴォーリズ通り今津ヴォーリズ資料館日本基督教団今津教会旧今津郵便局

ヴォーリズ建築は近江八幡に行ったとき知りましたが、やはり近江八幡が一番多いです。当時、アメリカで開発されたメンソレータム(今のメンターム)の輸入販売も開始し、設計の収入とで売り上げ収益もよかったようですが、全て社会事業などに使われました。近江の人はヴォーリズを「近江の百万損者(そんじゃ)」とあだ名しました。

日本人女性と結婚し日本国籍を取得しましたが、太平洋戦争では苦難の時期だったようです。

江若鉄道近江今津駅跡。浜大津駅から近江今津駅まで走っていた鉄道でその後、湖西線に変わります。この三角屋根で親しまれた駅舎跡の建物も惜しまれつつ昨年解体されました。

次は余呉駅で途中下車。余呉湖に行ったときには気にもとめませんでしたが、左側の黄色丸が西山大音です。ピンク丸が天女の衣掛柳。現在地に余呉湖観光館。案内板も賤ヶ岳周辺での秀吉と勝家のそれぞれの陣地を示す案内でした。

余呉湖に伝わるいくつかの「天女羽衣伝説」の内の一つ。天から舞い降りた天女と村人との間に生まれた男の子が、後の菅原道真公で幼少期の道真公が預けられたと伝わる菅山寺があります。

小説『湖の琴』では、『湖北風土記』から紹介しています。余呉湖の畔に桐畑太夫という長者がいて柳に掛かる天女の衣を見つけてこれを隠します。桐畑太夫は天女を連れて帰り、天女は泣く泣く嫁となり二人の子ができました。ある時、天女は子守女の唄から隠されていた衣を見つけ天に帰ってしまいます。母の居なくなった子供たちは、夜な夜な湖畔の石の上にたたずみ泣きました。菅山寺の老僧が二人を寺に連れ帰り一人はなくなってしまいますが、もう一人は後に学者となりました。それが菅原道真公です。

子供たちが立って泣いた石は、「夜泣き石」として残っています。映画でも喜太夫が自分の解釈でさくに説明しています。

余呉湖の役目の説明板がありました。

人がいなくて本当にひっそりとした余呉湖でした。余呉湖観光館の食堂がお休みで空腹のためなおさら寂しさを感じる風景でした。

いよいよ十一面観音の高月へ。

文学碑。「慈眼 秋風 湖北の寺 井上靖書」。この十一面観音のことは井上靖さんの小説『星と祭』に出てくるのです。

星と祭』読もうとおもい図書館から借りましたが、知床での船の事故と重なるようでつらい話となります。

映画『湖の琴』に誘われてのかつての旅の反芻はこの辺でお開きとします。まだまだ途中下車して楽しめる場所がありそうです。近江の白髭神社もよさそうです。

追記: 国立劇場大劇場で前進座『杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)ーお六と願哲ー』鑑賞。鶴屋南北さんのまぜこぜはやはり面白し。八ツ橋花魁に佐野次郎左衛門とくれば、『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』となりますが、この芝居ではお六と破戒坊主の願哲が主導権をにぎり、佐野次郎左衛門は浪人中の侍の設定です。名刀の「籠釣瓶」も登場し、さらにもう一刀「濡れ衣」が登場。複雑そうですが、國太郎さんの早変わりを楽しみながら、わかりやすいお芝居となっていました。

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