最澄への私感から視感拡大(2)

最澄さんの概略が頭に入りましたので、ここからは舞台、映画などでみての視感といきます。ですから史実的にはハチャメチャなところがあり、それがまた楽しいという感想です。

道鏡さんはもう悪僧のレッテルを張られていますが、映画『妖僧』では孝謙天皇の純な愛に応えてしまったという筋でした。とにかくこの時代は、加持祈祷の力で奇跡を起こせる僧が尊ばれていたわけです。ところが、愛という感情によって道鏡さんは妖力を失ってしまうのです。破戒ということになるでしょうか。

歌舞伎の『鳴神』は破戒するように朝廷から絶間姫が差し向けられます。鳴神上人も加持祈祷、呪術の力のある僧なのです。天皇の世継ぎを祈りで成就して、そのみかえりに戒壇建立の約束をとりつけるのですが約束は守られなかったので、龍神を滝つぼに押し込め雨を降らなくさせたのです。民はあえぎ苦しみます。そこで絶間姫の美しさで色香に迷わせて龍神を放そうとするわけです。

戒壇建立とはたいそうなことを約束してしまったものです。それを無視されたのですから鳴神上人は怒りますよ。さらに色香に迷わされてしまうのですから。こういうところを笑いをも含ませて、色っぽく描くというのが歌舞伎の<カブク>ところなわけです。

桓武天皇の時代は蝦夷征伐ということで坂上田村麻呂とアテルイを思い起こします。最澄さんも生きていた時代なのです。『歌舞伎NEXT 阿弖流為アテルイ〉』が再演されるときはどんな配役になるのでしょうかね。僕たちがやりたいと名乗り出るでしょうか。冗談じゃないよ、まだ譲れないよと言うでしょうか。どちらにしても楽しみですが。

ちょっと意外だったのが、日蓮さんです。映画『 日蓮と蒙古大襲来』では奇跡的なことが起こりますし、<南無妙法蓮華経>と声だかにとなえる激しさからもっと新しい経典の解釈をしたのだと思っていましたら『法華経』にかえれなのですね。

「日蓮は、おそらくは法然の口称念仏から学んだと思われる口称題目という新しい法華仏教の信仰のあり方を発明したが、彼自らは、はっきり智顗と最澄の伝統の復古者であると考えていたのである。」(「最澄と空海」梅原猛著)

歌舞伎『日蓮』では、最澄さんが登場しましたが、こうして考えていけばすんなり納得できました。

歌舞伎舞踊『連獅子』の間狂言で「宗論」が入りますが、法華僧と浄土僧が自分の宗派が正しいと争って<南無妙法蓮華経>と<南無阿弥陀仏>を取り違えて唱えてしまうというものです。宗派の争いをこれまた笑いにかえます。狂言からとったものですが、能、狂言、文楽なんでもござれと取り入れていくのも歌舞伎ならではです。

前進座『法然と親鸞』は気になっていた舞台でした。前進座でDVDを販売していましたので取り寄せました。

3時間弱で大舞台でした。二回目の鑑賞では確認事項を調べたりしてかなり時間が要しました。法然の中村梅之助さんは70代後半、親鸞の嵐圭史さんは70代前半で、台詞の量と説得力の妙味に敬服しました。法然さんと親鸞さんは念仏を禁止されたり、流されたり、厳しい生き方を貫かれました。

驚いたのは熊谷直実が登場します。もちろん出家したあとです。直実さんは歌舞伎『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』でのラストの花道の引っ込みで止まっていまして、歌舞伎上の人物という形でおわっていました。法然の弟子になっていたのです。時代的にそういうときなのですね。法然さんや親鸞さんの生きておられた時代背景がみえてきました。文字だけではなかなか時代が浮かび上がらないのですが映像や舞台がいろいろなリンクの仕方で拡がってくれました。

今月は関連舞台が上演されています。『鳴神』は、『伝統芸能 華の舞』でツアー中ですし、「宗論」は歌舞伎座第2部で『連獅子』がありますし、国立劇場では『一谷嫩軍記』を上演しています。面白いつながりです。案内は下記をクリックしてください。

「伝統芸能 華の舞」2021年公演 (zen-a.co.jp)

2111kabukiza_hh1000_e8d42fca71b22da9d8106e03a92677e5.jpg (1000×1414) (kabuki-bito.jp)

2021_11kabuki_hon_f_rev.jpg (1200×1697) (jac.go.jp)

舞台、映画に関しては興味がありましたら下記でどうぞ。

2021年7月6日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2021年6月30日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2017年3月2日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

2015年7月12日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です