新橋演舞場 『阿弖流為(あてるい)』

染五郎さんが『アテルイ』を演じたときに観ている。坂上田村麻呂が堤真一さんである。アテルイと田村麻呂の立場を超えた男気も呼応といった感じで面白かった。

阿弖流為(染五郎)は蝦夷(えみし)で田村麻呂(勘九郎)は大和とそれぞれにと生きている土地が違う。大和朝廷は、蝦夷を大和に吸収し一国としようとしている。そのやり方に蝦夷の人々は納得できず抵抗する。その中心的人物が長の息子・阿弖流為なのであるが、そこが事情があるらしく紆余曲折である。この事情が、ずーっと阿弖流為の気持ちにしこりをのこすのである。

田村麻呂も、姉が帝を操る力をもっている巫女・御霊御前(萬次郎)で何かとそちらになびかせられ、叔父の藤原稀継(彌十郎)にも大和のために利用されるという足かせがある。

戦さとなっても、それぞれの生き方を貫くことで、お互いを認め合おうとする阿弖流為と田村麻呂二人の想いは一筋縄ではいかないのである。

阿弖流為の事情というのは、阿弖流為は恋人の鈴鹿(七之助)が人が入ってはいけない神の領域に入り、神の恐れから鈴鹿を救ってやるが、それが神を怒らせ、蝦夷の一族全体に神の災いがあるとして、二人は蝦夷を去る身となっていたのである。しかし、大和の横暴さに、阿弖流為は立烏帽子という盗賊になった鈴鹿と再び蝦夷のために戦うのである。しかし、神というものは、そう簡単には許さないのである。

そういうなかで、裏切者はいるもので、蝦夷であるのに懲りずに大和についたり、また戻ったりとする男が、蛮甲(亀蔵)である。このパートナーが熊子である。めす熊ちゃんである。熊がビラ配りなんぞしているので、この熊はいったい何と思って居たら、七之助さんが「ハーイ!」と手をあげて聞いてくれた。タイミング抜群である。熊子ちゃんは蛮甲のパートナーと判明。

何かの恩返しではなく、熊のままの姿で日蔭者ではない。愛する蛮甲のためなら火の中、水の中である。裏切りまくる蛮甲であるから、人間では心理が重くなる。そこが熊子ちゃんの存在たる由縁であろうか。人間の術策陰謀がまかりとおるので、このコンビなかなかである。終盤の熊子ちゃんの行動は驚きである。そのことによって、蛮甲はとんでもない役目を働き、蛮甲おとこでござるとなるのであるから。熊チョップも凄いが、それよりも蛮甲に対する愛の深さが凄い。

花道を二つ使い、阿弖流為と田村麻呂の別々の道をも現している。もう少し阿弖流為と田村麻呂との関係に捻じれがあってもよかったと思う。二人とも良い男の感じが物足りなさを残した。染五郎さんも勘九郎さんも動きはさすがで、何処かで殺陣の手順を勘違いしないであろうかと心配してしまうほどの動きの回数が多い。動くためか、染五郎さんの声が少々籠る時があるのが残念。

七之助さんの立烏帽子と鈴鹿の違いがいい。阿弖流為の内面の投射の役目をはたす。是非古典でもこの変化生かして見せて頂きたい。萬次郎さんの巫女は、独特の声できっちり大和をしきり、彌十郎さんの権力者としての野望とエゲツナサもよく出ていた。

パンク頭の亀蔵さんのノリで変わる生き方と熊子ちゃんに愛されたツキのよい蛮甲も合っていた。静かめの新吾さんがかえって印象を残す。

観て聴いて、頭の中で話しの積木を積んでいくので、細かく一人一人の役者さんを捉えていられなかったが、積木は崩れることなく満足いく完成度であった。

自分の運命を納得し、阿弖流為は田村麻呂に託すのである。

腕のペンライトが時間で光り出すのは、ねぶたの神の仕業であろうか。

作・中島かずき/演出・いのうえひでのり/出演・市川染五郎、中村勘九郎、中村七之助、坂東新吾、大谷廣太郎、市村橘太郎、澤村宗之助、片岡亀蔵、市村萬次郎、坂東彌十郎