仏教関係の映画(1)

「仏教関係の映画」とくくりましたがかなり大雑把です。6月歌舞伎座の『日蓮』の上演を知ってから見始めました。

映画『日蓮』は、中村錦之助(後の萬屋錦之助)が日蓮で、『日蓮と蒙古大襲来』は、長谷川一夫さんが日蓮で、お二人のスター性を堪能する楽しみもあります。物語の経過は同じで、比叡山から故郷の安房に帰り清澄寺での初講和で異端とされ命さえも狙われるということになります。自分の説く仏教だけが本当の仏の教えなのだとその一途さはほかの宗派にあって共通しています。

日蓮は伊豆に流されその後佐渡にも流され、元寇の襲来では祈りを捧げ撃退させます。日蓮宗の開祖。

映画『日蓮』のほうに、日蓮の弟子・日朗に中村光輝(現・又五郎)さんが、北條時頼として染五郎(現・ 白鸚)さんが出演しています。

日蓮と同じころ、親鸞(1173~1263年)、道元(1200~1253年)、日蓮(1222~1282年)が重なっているのです。とにかく人々を助けたいという一念を思い起こさせる世の中だったのでしょう。そして勉強しなおしたらそれぞれが違う解釈の仏法が誕生したということでしょうか。それと上流階級のものであった信仰が全ての人のものだという解釈が生まれた事にもよるのでしょう。

親鸞は映画『親鸞 白い道』を観ました。かなり以前に友人がよくわからなかった言っていましたので覚悟してみました。確かにわからなかったです。仕方がないので映画の紹介サイトであらすじを読みやっとそういうことなのかと場面場面があてはまりました。

親鸞は新人の森山潤久さんで教えの道の厳しさが地味で苦難の旅であることが伝わりますが映画も地味です。三国連太郎さんは、親鸞をしっかり研究されていたのでしょう。映画としても妥協しないという姿勢が感じられました。

法然(1133~1212年)から親鸞へとつながっているのは知っていましたが浄土宗から浄土真宗へと変わったわけでその違いについてはわかりません。宗教の教義については全てがわからないと言ったほうが正しいですが。

さて『歎異抄』というのは教科書にも出てきましたのでそういう宗教的本があるというのは知っています。アニメで『歎異抄をひらく』がありました。親鸞のもとで学んだ弟子の唯円が、親鸞の死後、親鸞の教えが間違って教えられていることに危惧を感じて親鸞はこういう風に教えられていたのですよというのを書き表したのが『歎異抄』だったのです。

アニメでもありわかりやすく唯円が親鸞と出会い親鸞の元で修業し、『歎異抄』を書くまでが描かれていました。倉田百三さんの『出家とその弟子』は、親鸞と唯円を中心に描かれている戯曲という事も知り、この戯曲読みたくなりました。

その後に登場するのが蓮如(1415~1499年)ですが、これもアニメ『なぜ生きる ー蓮如上人と吉崎炎上―』がありました。妻と子供を失った男が蓮如の説法から弟子となり了顕と名乗ります。いろいろな迫害があり、越前の吉崎にたどりつき、吉崎御坊が建てます。しかしそこも火を付けられ、蓮如は親鸞直筆の『教行信証』を置き忘れたのに気がつきます。弟子の了顕が取りに火の中に飛び込み見つけますが逃げ出せません。腹を切り裂きその血で教本を守ったのでした。

アニメになると教えも簡略で解りやすくなっていて受け入れやすいです。

道元の映画は、映画『禅 ZEN』です。道元は宋に渡り如浄禅師からひたすら座禅すことを教えられます。ついに心身ともに脱落して自由となる境地まで達し、日本に帰ってきます。これまた理解されるまでには年月がかかり、越前の永平寺でやっと心おきなく自分の進むべき道を貫き曹洞宗の開祖となります。道元は中村勘太郎(現勘九郎)さんで役どころにあっていました。

さてこの人々のもっと先に最澄(767~822年)や空海(774~835年)がいるわけです。映画『空海』は空海が中心ですが、最澄も出てきます。同じ時期に二人とも唐に渡っています。

最澄は特別扱いで一年で日本に帰国し密教も持ち帰りますが、空海は留学生で20年いなくてはならないのに滞在期間が2年で帰国します。長安の青龍寺で恵果和尚から密教を全て学び、多くの経典を持ち帰ります。最澄は空海から密教の教えをうけます。最澄は国師でもあり多忙でありさらなる教えは弟子にまかせ比叡山延暦寺に入り天台宗の祖となります。

空海は讃岐においてそれまで洪水による堤防決壊のためにため池を造成します。そして真言宗の祖として高野山にて没します。空海の場合は永遠の瞑想に入っているということで入定(にゅうじょう)となっています。

空海が北大路欣也さんで最澄が加藤剛さん。朝廷の争いなども整理されて描かれています。

映画「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」もありました。原作は夢枕獏さんの『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』で、唐にいる空海が怪奇な世界に導かれます。それは一匹の猫が楊貴妃の死の真実を伝えたいということから起こり、空海はみごとその真実を探しあてます。ではこれから仏の教えの道に集中しようと青龍寺に向かいます。今まで閉ざして開かれなかった門が向こうから開いて受け入れてくれるのです。

そこで待っていた恵果和尚とは、、、、。

美しき王妃の謎解きができなければ空海の密教への道はなかったわけです。まったく異次元の楽しみ方ができる映画です。

追記: 『出家とその弟子』を読みました。唯円は親鸞に導かれて恋を成就しますが、親鸞の息子の善鸞はついに仏を信じると言えませんでした。唯円と善鸞の対比がこの戯曲の主題におもえます。そして親鸞の苦悩もそこにありました。善鸞の誠実さもわかります。