歌舞伎座六月・第三部『京人形』『日蓮 』

銘作左小刀 京人形』。またまたバーチャルな染五郎さんでした。役が人形ということですからなおさらですが。染五郎さんの女形は初めての観覧と思うのですが記憶は怪しいです。

内容はたわいないといいますか、上手くつくられているといいますか気軽に楽しめる演目です。名工の左甚五郎が郭の小車太夫の人形を作り、その人形を前に太夫と楽しい宴の時間を再現するという趣向です。それをどうぞどうぞとおおらかな夫婦関係でもあります。

名工の作った人形ということもあり、人形が動き出します。動き始めが男のようなギクシャクとした動きで、人形の懐に鏡を入れると驚いたことに今度は優雅な女性の動きになり甚五郎も共に踊るのです。さらに、鏡を抜くと男になり、もどすと女となる可笑しさです。話はそこへお家騒動を差し入れています。甚五郎は人形を箱にもどします。

甚五郎は井筒姫を隠していて栗山大膳が差し出すようにとやってきますが、上手くいなします。ところが甚五郎は間違って味方の奴・照平に右腕をきりつけられます。井筒姫を奴・照平に託します。そして大工に成りすました敵と大工道具を使っての立ち回りとなります。

頭に豆絞りの手ぬぐいを巻き、半纏の大工姿の立ち回りは若々しくて素敵です。右手を怪我した甚五郎の白鸚さんが左手だけで鷹揚に立ち回りの相手をつとめ和やかな舞台となりました。

日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』(日蓮聖人降誕八百年記念)は、映画『日蓮』、『日蓮と蒙古大襲来』やその他の仏教関係の映画やアニメなども観ていましたので、それを払拭するだけの舞台になるであろうかと興味津々でした。最後の日蓮の言葉はバーンとパワーがきました。

映画は、比叡山で修業した蓮長(後の日蓮)が得度した安房の清澄寺に戻ってきて講和をするというところから始まるのです。清澄寺の住職も両親もその晴れ姿を喜びと自慢の気持ちで迎えます。ところが、蓮長は自分が学んで追及した法華経が正しい仏の教えでほかの教えは間違っているということから始まるのです。今までの教えが間違っているといわれた武士などは思い上がりと激情します。しかし日蓮はどんな迫害のにも負けずそれを貫くという内容です。

今回の『日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』』その前の描かれていない比叡山での修行の蓮長に焦点を合わせています。この時代のことはよくわかっていないようです。

蓮長は比叡山でも自分の仏法に対する一途な思いは強く他の僧からの風当たりも強いのです。その内面の強さと優しさを阿修羅天と幼少のころの善日丸とを登場させて、蓮長の葛藤を表現します。

世の中は災害や疫病がはやり末法の世なのです。日蓮は人々が救われるためにはどうしたらよいのかと経典を読み直し、今までの教えでは駄目だとして行きついたのが法華経でした。

比叡山にもそんな蓮長に同調する僧・麒麟坊や、もう少し周りと同調するようにと諭そうとする僧・成弁もいます。

蓮長は、賤女・おどろと再会します。おどろはかつて蓮長の教えに救われたと思いましたが、そんな教えは何の役にも立たなかったと蓮長を責めます。そんな時赤ん坊の声が聞こえます。おどろが生んで捨てた子供でした。蓮長は赤ん坊を抱きつつ、この世に生まれ出た赤子の命をいつくしみます。しだいにおどろの気持ちに新しい命に対する愛おしさが芽生えてきます。

そんな様子を見ていた成弁は意見するどころか、弟子になりたいと申し出ます。蓮長は勇気づけられ気持ちも新たに日蓮と名乗り法華経を広めることを決めます。

さらに最澄が姿を現し、自分の信ずる道を進めと祝福します。

日蓮はこの世を浄土にするために自分は歩き続けると決意を表明するのでした。

舞台はここで終わるのですが、人々の中に入っていき布教していく先には、執権北条氏の圧力や他の宗派との相克もあり修行以上の厳しい現実が待っているわけです。

日蓮の父母の慈愛や清澄寺住職・道善房の期待もよくわかります。その先の状況に想いが至りますが、時間的に上演時間が許していたなら、猿之助さんの日蓮はぐいぐい引っ張っていったことでしょう。そのエネルギーは十分にありました。

セリフ劇で、澤瀉屋ならではのこれまでの培ってきた結集が感じられ、それぞれ一言一言がはっきりと聞きとれて、観る、聴く、感じるの循環がスムーズに流れ、今に通じる世界観でした。

初心に帰り、時代に合った進み方を見つけるというのは宗教だけではなく、あらゆることが今求められているように感じます。

成弁の隼人さんもスーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』の遊行上人のセリフに比べると、浮つきさが沈んで修行中の僧の言葉になっていました。おどろの笑三郎さんと蓮長の猿之助さんのやりとりも主題をはっきりとさせ、ここに絞ることによって分かりやすく物語に集中できました。

猿弥さんの阿修羅の姿と善日丸の右近(市川)さんの愛らしさの対峙も上手くいっていました。右近さんはこのまま素直にたくさん吸収していって欲しいです。

音楽はこれから映画が始まるような感覚だったのですが、開幕すると即セリフに集中しましたのでその後の音楽は記憶に残っていません。

カーテンコールがなかったのがかえってこの時期潔しの感覚で、席を立ちました。

追記: 歌舞伎座正面に飾られている演目絵の絵師・鳥居清光さんが5月に亡くなられ、『日蓮』の絵は間に合わなかったそうで、今回は横山大観さんの「日蓮上人」となったようです。改めて歌舞伎関係の歴史的継承を感じさせていただきました。(合掌)

通行の人に邪魔にならないように慌てて撮りましたので雑ですみません。

追記2: 今秋、東京国立博物館で、特別展『最澄と天台宗のすべて』が開催される予定です。ほんの少し身近になれた気分ですので楽しみです。

東京国立博物館 – トーハク (tnm.jp)

追記3: 上野東照宮の唐門には、左甚五郎作の昇り龍と降り龍の彫刻があるらしい。今度きちんと眼にしてこよう。

上野東照宮公式ホームページ : 見どころ (uenotoshogu.com)