映画 『山中常盤(やまなかときわ)』

「山中常盤物語絵巻」を素材にした映画があった。

監督は羽田澄子さん。羽田監督は十三代目片岡仁左衛門さんの記録映画『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』 全六部を撮られたかたで、全六部を3日程かけて見たことがある。全部で11時間近くになる。見たのは1996年であるから、今見るともっと発見があるであろう。印象的だったのは目が不自由になられてから、形は全て身体が解かってられるので位置の確認をされていた姿である。出から何歩でこの位置に立ってそこから何歩でこの位置に来てと確認され、演じられると目が不自由とは思われない演技であった。

さらに羽田監督は武智鉄二演出の記録映画『東海道四谷怪談』も撮られている。伊右衛門が中村扇雀(現・坂田藤十郎)さんでお岩が白石加代子さんという異色の組み合わせである。これも見ることが出来た。こうであると捉えることが出来ずこれはこれとの感想である。当時様々な意見がだされたようであるが、文学者なども交えての議論百出という幸運な演劇環境で熱き時代であったと羨ましい限りである。

さて映画『山中常盤』であるが、見ていないのである。映画のチラシはとっていたのであるから、おそらく羽田監督の映画なので見たいと思ったのであろう。岩波ホールで2005年4月23日~29日までの一週間の特別上映である。羽田監督は、以前近世初期の風俗画の映画を作っていて(「風俗画ー近世初期ー」1967)絵をとることが非常に面白いことを知り、絵巻物を撮ってみたいと思い「この絵巻き・・」と思ったのが「山中常盤」だったのだそうである。文楽の鶴澤清次さんが作曲と三味線を、さらに浄瑠璃・豊竹呂勢大夫さん、三味線・鶴澤清二郎さん、胡弓・鶴澤清四郎さんも加わっている。

出遅れたというのか、岩佐又兵衛さんとはちょっとすれ違いのところがあるのである。

 

 

創造の情念の色・岩佐又兵衛

【傾城反魂香】(けいせいはんごんこう)の又平のモデルは、江戸初期の絵師・岩佐又兵衛とも言われている。かなり数奇な人生を歩まれた人である。昨年、熱海のMOA美術館で展覧会があったが、私が行った時には終わっていた。

岩佐又兵衛さんとは縁が有るような無いような関係で、彼の絵巻物の作品に、裸に近い女性が胸から血を出している絵がある。彼の絵の中でも異質でどうしてこのような絵を描いたのか。気にはなったが深く知りたいとは思わなかったのでそのままにして置いた。熱海で出会っていれば違っていたかもしれない。今回少し近づいて見る事にした。古本屋で<岩佐又兵衛>の名を目にしたので天井近くにあったのを取り出してもらったが、彼の三十六歌仙の絵の特集であった。後日図書館で画集を借りた。その絵は「山中常盤物語絵巻」であった。

絵巻のあらすじは <牛若丸が鞍馬から奥州平泉へ行き着き母・常盤に手紙を書く。常盤は牛若丸会いたさに侍従を一人伴い京から平泉に旅立つ。途中美濃の国・山中宿で旅の疲れもあり病気になってしまう。常盤の豪華な着物に目を付けた盗賊の一団が常盤と侍従の着ているものを身包み剥いでしまう。常盤は「こんな恥ずかしいことはない、肌を隠すものを返さないなら命を奪えと」叫び、盗賊はその言葉どうり常盤を刺し殺すのである。牛若丸は母が夢枕に現れるので気になり京に向かい偶然中山宿で泊まり、事の次第が解かり母の仇を討つのである。>

牛若丸と常盤御前の母と子の物語であった。この絵巻は、近世の古浄瑠璃の詞書(テキスト)とともに描かれていて、当時人気のあった古浄瑠璃の出し物である。(古浄瑠璃→慶長から元和・寛永のころにかけて上演された操浄瑠璃) 絵巻は十二巻ある。絵巻はこの頃は貴族から庶民の中にも入ってきたわけである。その事が解かりやすいリアルな絵になったのかもしれないが、もう一つ想像できる理由がある。それは、岩佐又兵衛のおいたちである。

岩佐又兵衛は織田信長に信任の厚い城摂津伊丹城主・荒木村重の末子として生まれる。父は突然信長に反旗を翻し、城が落ちる前に脱出、怒った信長は荒木一族600人あまりを処刑。当時二歳の又兵衛は乳母の手で京都の本願寺教団にかくまわれて育ったと云われている。成人してから信長の子信雄に仕え、名を母方の岩佐に改名したが武人としてではなく村重の遺児として詩歌や書画の才能を生かす渡世を選ぶのである。その後、越前北之庄・福井の城主・松平忠直(菊池寛著「忠直卿行状記」のモデルでもある)の下で暮らす。晩年の十数年間は江戸で暮らし江戸で亡くなっている。

父の村重は逃げ延び、剃髪して道薫と号する茶人として秀吉に仕え摂津にわずかな所領をもらい堺で没している。又兵衛が父と会ったかどうかは不明である。「山中常盤物語絵巻」の常盤の最後の場面は、又兵衛の母の最期と重なっているように思う。こうした血なまぐさい情景を凝視しつつ、母と子の物語を描いた又兵衛の中には、自分が仇をとったような高揚感があったかもしれないし、それを見る庶民も常盤の悲惨さが盗賊退治により一層喝采したのであろうか。そう思って見ると、又兵衛もここで母に対する想いが突き抜けたようにも感じる。

<浮世又兵衛><憂世又兵衛>とも云われた絵師を、近松門左衛門は<浮世又平>のモデルとして選び作品として仕上げた想像力と創造力の合体に何かしら細い糸が共鳴しあっているように思われてくる。近松も武士を捨てている。<又兵衛>と<又平>と<近松>。この情念の色はきっと同じ色である。

 

 

 

新橋演舞場 『壽新春大歌舞伎』 (2)

【寿式三番叟】(ことぶきしきさんばそう) 我當さんの翁、風格があった。足が少し弱られたようだが上半身の動きが、体が覚えこんでいる事を示し、袖を巻いて手を頭上に上げる形も優雅にきまった。かなりの年齢になられても、重ねてきた時間を体は知っているのである。

YouTubuで、中村芝翫さんと中村雀右衛門さんの「吉原雀」を見たがどこをとっても善い形である。何回も一時停止してみたがお二人とも長唄と三味線に乗ってゆったりと踊られ形善く停止するのである。点の集まりが線であるが、線が点の集まりであることを教えてくれる。長年の修業の積み重ねの線である。

【車引き】 時平・富十郎さん、松王丸・幸四郎さん、梅王丸・吉右衛門さん、桜丸・芝翫さんの時の舞台の大きさが頭に残っていて、どうしても今回は小さく見えてしまう。その中で桜丸の中村七之助さんの台詞は桜丸の悲哀がよくわかった。何れ彼は責任を取って切腹するその気持ちが、すでにここであるのだと思わせられ胸にきた。梅王丸・坂東三津五郎さん、松王丸・中村橋之助さん。

【戻橋】  渡辺綱(幸四郎)が一条戻橋で美しい女(中村福助)に会い、その女が水鏡をし、その水に映った影から怪しいと感じる。実はその女は鬼女で、綱が鬼女の片腕を切り落とし、鬼女は宙を飛ぶという話で期待したのであるが、筋通りで面白みに欠けた。

【ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)】 「ひらかな盛衰記」は木曽義仲の滅亡とその遺児を巡る話と、梶原家(梶原景時)の家族劇とからできている。<逆櫓>は、義仲の遺児・駒若丸が大津で漁師の子・槌松(つちまつ)と取り違え、駒若丸は漁師権四郎(松本錦吾)の孫として育っている。そこへ義仲夫人・山吹御前の腰元・お筆(福助)が駒若丸を引き取りにきて、山吹御前ともに槌松も駒若丸の身代わりとなって死んだことを伝える。権四郎とお筆のやり取りは漁師と武家のやり取りで、この福助さんが光る。こういう腹のある女性役が似合ってきた。

嘆き腹ををたてる権四郎。ここで婿の松右衛門(幸四郎)が駒若丸を抱いて現れる。松右衛門は実は義仲の家臣・樋口次郎兼光であると明かす。松右衛門は梶原から義経の船の船頭に取り立てられている。権四郎からなっらた逆櫓という技術の御蔭である。松右衛門は義仲の仇・義経を討とうとしている。ところが梶原は樋口と解かっていて捕らえようとする。権四郎はそれより早く畠山重房に訴人し、駒若丸を槌松として助けるのである。槌松の父は死んでおり、その後で松右衛門は婿に入っており、槌松の実の父ではないのである。この物語は漁師の権四郎と武士の松右衛門の話でもある。漁師の生き様、武士の情け、その辺りをもう少し交差して欲しかった。その綾の彩りが薄かったのが残念だ。

【釣女】 重厚な舞台が続くので最後は肩の凝らないものをという配慮であろう。軽くさせてもらった。橋之助さんの大名がおっとりとして世間知らずでよい。殊更笑わせようとしないのが却って品があってよい。三津五郎さん、又五郎さん世代は、かなり重い伝達役の年代で、これからの一層の飛躍を期待される立場にある。

 

 

 

新橋演舞場 『壽新春大歌舞伎』 (1)

今回印象に残ったのは、<四世中村雀右衛門一周忌追善狂言>の【傾城反魂香】と【仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場】での中村吉右衛門さんと中村芝雀さんのベストコンビである。

【傾城反魂香】では、お二人は浮世又平(吉右衛門)と女房お徳(芝雀)の夫婦愛を情愛深く演じられた。絵の師・土佐将監光信(中村歌六)に物見をせよと命じられ、又平は花道の七三に正座し見張りをする。この時の又平は、キッと目を見開き瞬きもしない。この辺からも又平の物事に対する真面目さ真摯さがわかるのだが、お徳はその又平をじぃっと背後から見守り又平がミスなどしないようにと見詰めている。その間、雅楽之助(うたのすけ・大谷友右衛門)が土佐家に関係する姫が悪人にさらわれたとその様子を説明をする。お徳はそちらには目もくれない。その夫婦一心同体の様はその後の場面で発揮される。又平が師から拒絶され絶望するとき、自分も一緒に死にますから最後に自画像を描いてくださいとお徳は言う。お徳の言葉を素直に受け入れる又平の気持ちが、それまでのお徳の行動から無理なく伝わるのである。さらに呆然自失の又平をしっかり世話し、手水鉢の絵が抜けた事を知らせるのもお徳である。女房お徳が居なければ又平の出世は在り得なかったのである。

この話はお家騒動も絡んでいるらしいがその辺りは詳しく調べていないので、又平の吃音の苦しさと、その苦しみを理解する女房のお徳との夫婦愛として観た。この又平の吃音の嘆きは映画『英国王のスピーチ』を遅ればせながら観ていたのでその内面性なども思いやりながら、吉右衛門さんの演じる又平の心の内を推し量る。。時代を越えてその表出は共通していると思えた。

【祇園一力茶屋の場】では、お軽(芝雀)と寺岡平右衛門(吉右衛門)との兄妹愛である。平右衛門は由良之助(松本幸四郎)の東下りに同行を願い出るため由良之助が遊ぶ一力茶屋をたずね、妹のお軽と会う。お軽の父は勘平の為にお金を作ろうと娘を祇園に売ったのである。その父は殺され、勘平は自分が鉄砲で間違って舅を殺したと勘違いし切腹している。父の死も勘平の死もお軽は知らない。親と夫を想うけなげなお軽。それを思いやる兄。情が滲み出る。さらにこの兄妹に試練が。お軽は由良之助に身請けされるという。由良之助が読んでいる手紙をお軽が二階から鏡で読んでしまったからである。平右衛門は理解する。由良之助は読まれては成らない手紙を読まれたので、身請けしてから殺すのだと。平右衛門は、由良之助に殺されるなら自分が手にかけ手柄にし、お供をさせてもらおうと考える。全てをお軽に話、命をこの兄にくれと頼む。

お軽は夫の勘平が居ない今、永らえようとは思わない。勘平に武士を捨てさせたのは自分なのだから。主人・塩冶判官(えんやはんがん)が大事の時、勘平を誘い逢引をしていたため自分の里に逼塞させる事になったのである。

お軽に勘平との越し方を思い起こさせるきっかけを作るのが平右衛門であり、そのあたりを吉右衛門さんはふっくらと演じ、お軽の嘆きを芝雀さんは余すところなく兄に訴え兄妹の心の通い合いをきっちり観客に伝えてくれた。

この手柄を立てなくては認めてもらえないというのは、又平も平右衛門も身分の低いゆえである。又平は吃音ゆえに手柄を立てられなかった事が幸いし、絵筆でそれを成し遂げ、平右衛門とお軽は兄妹のの深い絆を由良之助に認められ敵を討ち手柄を立てるのである。

大星由良之助の幸四郎さんは、一力茶屋での遊びを周りに悟られることなく、酔い姿もゆったりしたリズミカルな動きで自然に演じられた。この動きは今まで見た由良之助役の中で一番だと思う。

花道で力弥(大友廣松)の手紙を受け取る為に酔いながら辺りを伺い、虚と実の見せ方も上手い。手紙を受け取り、<祇園を通り過ぎてから急げよ>と最後まで気を配る。廣松さんも見事に大役を果たしホッとした。

 

 

『新春浅草歌舞伎』

『勧進帳』から入る。エネルギッシュな『勧進帳』である。弁慶、富樫、義経の三人の心理の探りあいでもあるが、長唄の音楽性の高度さは、一時期は、また『勧進帳』なのかと思ったこともあるが、あの長唄が始まると気持ちが乗ってしまう。富樫(片岡愛之助)の出も良い。義経(片岡孝太郎)の花道での形もきまった。四天王(尾上松也・中村壱太郎・中村種之助・片岡市蔵)の行儀も台詞の声も良い。弁慶(海老蔵)の一声もよく、義経と弁慶のやり取りも主従の関係が伝わる。弁慶の顔の作りが上手い。鼻の両筋の茶の入れ方、眉・目の作り、顎の青、文句なしである。

勧進帳をはじめゆっくり、富樫に覗かれて朗々と声高に始まる。このあたりはどう切り抜けるか考えていた弁慶が一気に気合で行こうと決めたように一直線に進む。(弁慶と富樫が近づき過ぎとも思えるが)問答も力強く、富樫も気迫では負けていないが本物の山伏と納得。弁慶が義経を打つ場面も弁慶はこの気迫を持ち続けて打ち据える流れである。今回の弁慶はそういう空気を作った。その空気に主従の強い結束を感じた富樫は見逃すことを決意する。

ただ、義経に手を差し出された場面での弁慶はリアルに泣きすぎと思う。まだホッとしてはいけない訳だし、義経たちを先に立たせたあと花道でホッとするその時の弁慶の顔が非常に良い表情をしてたので、あの流れなら泣きは押さえてほしかった。それと延年の舞もその部分だけなら勇壮でよいが、酔ったと見せつつ腹に収めているものを観客と富樫に感じ取らせるのがここの面白さと思うので舞い過ぎずが難しいのかも。舞いつつ<早くゆけ>と四天王への合図はどうするのかと楽しみであったが一回できりっと合図した。綺麗であった。

手練手管の無い一直線の弁慶である。まずそこから始めようという事なのかもしれない。

『幡随院長兵衛』。これは出の柔らかさと男伊達が必要な役。海老蔵さんやはり出の柔らかさは出せなかった。これは時間がかかると思う。懐の大きさから来る柔らかさ。それを消しての水野のとの対決。ここはすっきりとしていた。水野十郎左衛門の憎たらしさ愛之助さん好演。幡随院の弟分唐犬権兵衛は中村亀鶴さんが長兵衛の男伊達の助けをしてくれた。

そして長兵衛の女房お時(孝太郎)がしっかりしていた。腰から下のすっきりした線。死に装束の真新しい着物を着せるときの衣服の扱い方。それが新しさゆえに死に臨む時に着せる悲しさと辛さがあるのだが、その扱い方が美しく、それがお時の覚悟のようで、幡随院長兵衛の女房として心に残る動きだった。女形さんは立ち役にやり易いように気を使い小道具など衣服の世話をするが、それを芸の一つとして溶け込ませて見せてくれた。

そのことを踏まえると壱太郎さんの『毛谷村』のお園は荷が重かったように思う。武家の娘。それも力持ちときている。どうしても柔らかな女形が多く出てしまう。これは武家の娘が主で六助(愛之助)の事になると女が顔を出すくらいのほうが愛嬌がある。それに釣られて六助も愛嬌が出るのである。その微笑ましさもこの芝居の楽しさでもあるがこの巾が狭かった。この芝居では海老蔵さんの観客へのサプライズもある。

<曽我兄弟の仇討ち>は伊豆半島の伊藤一族の相続問題から端を発した話が元のようであるが、舞台『寿曽我対面』は、曽我兄弟(尾上松也・中村壱太郎)が始めて敵の工藤祐経(海老蔵)と対面する場面で、海老蔵さんが華やかな舞台を締めていた。曽我兄弟は若いからといって務められるわけではなく、形にこだわる役であることを強く感じた。

若い役者さんがここ一番頑張り、裾野を広げて欲しいと願う新春歌舞伎であった。

 

『新春浅草歌舞伎』の口上

今年の歌舞伎観劇は浅草で始まった。第一部と第二部を続けて観る。浅草歌舞伎の楽しみである第一部の口上(年始の挨拶)は片岡孝太郎さん。第一部の口上は日によって役者さんが変わる。孝太郎さんは素顔の羽織袴である。何かとチャーミングな現・市川左團次さんの楽しい話題から入られた。そして、左團次さんから是非舞台でやって欲しいことがあると頼まれたのでこれからそれをやります。やった後で拍手を頂かないと引っ込みがつきませんのでと前置きをされ披露した。ネタばれになるとこれから観る予定のかたは楽しさが半減するのでここまでとする。その後、歌舞伎役者になりたい場合の道筋なども説明。お話好きの方なのかもしれない。

第二部の口上は全て市川海老蔵さんである。初春、市川家の<にらみ>を受け取ることが出来るのである。したがって鬘をつけて裃での出で立ちである。今回は演目にもある『勧進帳』の話である。初代團十郎の時すでに『勧進帳』のもととなる演目があり、四代目のとき『御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)』が大当たりし、七代目の時、能の『安宅』から現在の『勧進帳』が出来たと。

ここからは少し補足も加えるが、その後七代目松本幸四郎にも引き継がれる。七代目松本幸四郎は子供たちを他所の家で修行させる方針を取り、長男を市川家に養子とし後の十一代目市川團十郎(現・海老蔵さんの祖父)、次男は初代中村吉右衛門に預け後の八代目松本幸四郎(現・染五郎さんの祖父)、三男は六代目尾上菊五郎に預け後の二代目尾上松緑(現・松緑さんの祖父)となり『勧進帳』を演じる役者の裾野が広がる。幸四郎さん、吉衛門さん、に繋がり、猿翁さん、仁左衛門さん、三津五郎さんら先輩たちも演じられている。

何と言っても初代から現・團十郎さん、海老蔵さんへと繋がっている時間の経過は永い。そうした中で海老蔵さんは十五年前初めて演じ(正確には十四年前かもしれなが気持ちを語るときそれは些細なことである)、今回初心に返り務めますと、『勧進帳』との今までの葛藤を言葉にならない思いを含ませ、今後の意気込みを伝え、集中されて<にらみ>に入った。

今回の口上は、孝太郎さんの<もし歌舞伎役者になりたかったら仲間にならないかい>と呼びかけ、海老蔵さんの<歌舞伎役者って何やってんだろうと思うかもしれないが、背負う時間の重みに何とか立ち向かおうと現在の時間と闘ってもいるんだよ>と発し、若さから一歩進んだ位置に到達した一つの地点を感じた。演目の感想は次になってしまう。

 

 

新橋演舞場 『十二月大歌舞伎』

昼の部は【通し狂言 御摂勧進帳(ごひいきかんじんちょう)】。これも「義経記」を土台にして作られた作品らしい。本歌どりのパロディの感があるが「勧進帳」よりも約70年前にあったというから驚きである。能は武士が愛好し庶民は人形浄瑠璃や歌舞伎を愛好し芸能の階層のようなものがあった。歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」を基にしており、直接見れないので、能舞台の床下に潜んでぬすんだというようなこともきく。

<暫><色手綱恋の関札><芋洗い勧進帳>

昼夜共に若い役者さんがずらりと並び、あれは誰でと楽しんで確認しつつ見ていた。書くほうも歌舞伎の専門用語はきちんとしていないし、筋は頭に入っていないしで若い方と共に勉強させてもらった。

やはり歌舞伎は難しい。江戸時代の人々は、「平家物語」なども琵琶法師の語りから聞いていて、もっと歌舞伎の物語が身近のものであってお弁当を食べつつでもわかったことであろう。その辺の感覚が今とは違っている。楽器も琵琶から三味線へと変わり、浄瑠璃・一中節・常磐津・長唄・端唄などその違いの耳を持っていたことだろう。羨ましい。

夜の部の「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」は何回か見ているので、菊之助さんの初役の八ツ橋がたのしみであった。菊五郎さんも次郎左衛門は初役だそうである。

顔にあばたのある佐野の大百姓次郎左衛門(尾上菊五郎)が吉原の花魁道中で八ツ橋(尾上菊之助)に微笑みかけられ心奪われ八ツ橋のもとに通う。この八ツ橋の花道での微笑みが見せ場であるが、菊之助さんの八ツ橋は綺麗で愛らしかった。この微笑みは次郎左衛門に向けたわけではなくちょっと微笑んだだけが、次郎左衛門にとってはそうではなくなってしまい、身請けの話まで進んでしまう。八ツ橋には浪人の栄之丞(坂東三津五郎)という間夫(まぶ)がいて次郎左衛門との縁切りを迫られる。このとき菊之助さんはかなり気持ちを露にし泣き崩れるが、間夫を目の前にすれば惚れた男とただのお客との比較でここではそこまで感情を出さなくてもと思ったが。愛想づかしのところでだんだん気の毒な気持ちが出てくるのではないだろうか。しかしそこを押し通す辛さを押さえての愛想づかし。少々ヒステリックに見えた。それは菊五郎さんの次郎左衛門が傷つけられた気持ちをかなりストレートに出しているからか。今までの愛想づかしと違って感じられた。ここでも若手の役者さんが並び頑張っていた。

「奴道成寺」は三津五郎さんの踊りで、花子になりすましてしていたのがばれた時の愛嬌、三つの面を使っての踊り分けなど巧みであった。

松也さん・梅枝さん・萬太郎さん・右近さん・廣太郎さん・宗之助さん等がこれから育っていくと役者さんの層も厚くなり楽しみである。

 

 

 

国立劇場12月歌舞伎 『鬼一法眼三略巻』 (2)

【檜垣】周囲の思惑や重盛のいさめもあり、清盛は常盤御前を一條大蔵卿長成に嫁す。清盛の愛妾を、はいはいと受ける一條大蔵卿を皆笑い者にしているが、大蔵卿は毎日、舞にうつつを抜かす〈阿呆〉なのである。
鬼一の弟・鬼次郎(梅玉)は 、常盤御前の本心が知りたく様子を探る為、妻・お京(中村東蔵)を女芸者の狂言師として大蔵卿に仕えさせる。この場は 大蔵卿の出が見所である。どう呆けて出るのか。吉右衛門さんの出は、公家の呆けであった。柔軟で軽い。フワフワと世の中を楽しんでいる。自分の境遇など考えてもいない。平家も源氏も関係なし。今まで演られた大蔵卿で最高の出来と感じた。

宮廷装束の文化を守り伝承している衣装道大倉流の装束劇で「光源氏の加冠」の儀式をDVDで見たが、平安時代の公家は儀式が多かっただけにあの衣装を着こなし優雅な動きをしていた。その公家が呆けても動きはゆったりと優雅でなくてはいけない。その想像に今回はぴったりであった。

誰にも悟らせない、作り阿呆である。その大蔵卿のそば近く仕える鳴瀬(市川高麗蔵)が 、周りの者達をしっかり裁きキリッとしていて良い。主人の作り阿呆を知っていて、悟られないように気を配っているのかもしれないなと思わせる謎がいい。

いいだけ楽しい呆けを見せて花道へ。大蔵卿はそこで鬼次郎に気付くがそこでも正気を見せずに檜扇を開いて顔を隠す、この形もよく考えられていると思う。

この場の茶屋の主人が、鳥羽院が押し込められたと噂し、きちんと時代背景も台詞の中に出てくる。

【奥殿】常盤御前(中村魁春)の本心は、平家討伐であった。夜中まで楊弓に興じていて業を煮やしていた鬼次郎夫婦に明かされたのは、牛若丸の牛に因んで丑の刻に清盛の絵姿を的の下に隠し射ていたのである。それを密告しようとする鳴瀬の夫を大蔵卿は殺し自分の作り阿呆を明かす。この辺りも正気と阿呆の演じ分けが見所である。また、魁春さんの常盤も数奇な運命をたどっていながら気丈に平家打倒の強固な意志を秘めていた。

大蔵卿は鬼次郎に<小松>になぞかけた歌を送る。重盛がいては駄目だ。小松の枯れるのを待たなくては。ここも今回台詞でわかった。「平家物語」を読んでいなければ<小松>は<重盛>と気が付かなかった。

一條大蔵卿の周到さも、その頃の清盛の力の凄さが判ると納得である。再び大蔵卿は作り阿呆に戻るが、観客は笑いつつ共犯者にされているわけである。これは現代劇にも通ずるドラマ展開である。

常盤御前と牛若丸。やはり義経がその中心に一本の線を成している。全部通しでやはり見てみたいものである。

種之助さんの腰元白菊と隼人さんの頼兼は判ったが、米吉さんの弥生が吉右衛門さんの阿呆に気をとられよく見ていなかった。残念。

 

 

国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』 (1)

『鬼一法眼三略巻』(きいちほうがんさんりゃくのまき)

「義経記」(ぎけいき)などの説話や史実から創作された芝居らしい。

<菊畑>(きくばたけ)<一條大蔵譚>(いちじょうおおくらものがたり)などは単発で見ているが義経の話が基本にあるとは知らずにいた。ただ「平家物語」を読んでいたので平家がまだ奢り高ぶっている時代の、源氏側の水面下の平家攻略の話で面白かった。

史実にもあるものは、そこでは登場しなかったり目立たない人物でも古典芸能・芝居・映画・ドラマなどで表に大きく登場させることが出来るし、脚色しやすい。これが小説などになると、作家の作った登場人物であるから、作家の描いた人物を壊し過ぎると作品自体の崩壊にもなるのでかなりの制約があるように思う。

歌舞伎に出てくる鬼一法眼も、一條大蔵卿もそんな時代の中で登場する人物であろう。今回初めて自分の中で時代に解放して見せられた登場人物である。時代背景が芝居だからと軽くみていたのである。ところが時代が解かると嬉しいことにもっと人物が生き生きとしてきて、役者さんの演技にも深く入っていけるのである。

このところ「平家物語」様様(さまさま)なのである。

芝居は今回【六波羅清盛館】が約40年ぶりの上演で本当は三段目なのを序幕にもってきている。本来は序と二段目で義経と弁慶の生い立ちをやるようで今回はない。さらに五段目で義経と弁慶が出会うそうで、ここまで知ると、全部通しで見たくなる。

清盛(中村歌六)は吉岡鬼一法眼が所持している兵法の書を差し出すように云うがなかなか差し出さない。それは鬼一法眼が今は平家で元は源氏である。これは明かされないが此のくらいは知っていた方が次の幕での鬼一法眼(中村吉右衛門)の演技がわかる。父の代わりに娘の皆鶴姫(中村芝雀)が持参するが、読み上げろといわれて読むとそれは重盛(中村錦之助)の清盛が義朝の妻・常盤御前を愛妾にしている事への意見書である。出ました重盛。ここでも思慮深い。ここだけの出だが錦之助さんは美しい。少々ひ弱わだがこの辺から重盛の悩みが続くとすればそれも良い。鬼一には幼い頃別れた鬼三太・鬼次郎の二人の弟がいてこの二人が源氏がたについているためその詮議のために湛海(中村歌昇)が鬼一の館へ遣わされる。歌昇さん大きさに欠けるが張り切っているのがわかる。

【菊畑】鬼一法眼の館で鬼一が庭の菊見物に出てくる。この館の奴として智恵内(中村又五郎)と虎蔵(中村梅玉)が仕えている。智恵内は実は鬼三太。虎蔵は実は牛若丸。二人は兵法の巻き物を手に入れたいと思っている。いつも思うが梅玉さんの牛若丸が幾つになっても牛若丸である。その歩き方、座っている時の型が若き貴公子なのである。この役が体の一部になっているのであろう。弟としりつつ清盛の探索から救うため二人に暇を出す鬼一。そこにいたるまでの鬼一と智恵内の探りあい。智恵内と虎蔵との主従関係を見抜く鬼一の仕掛け。吉右衛門さん初役だそうだが初役とは思えない。智恵内は演られているから頭に入っているのであろう。

その後皆鶴姫は虎蔵に思いをよせ、それを取り持つ智恵内のひょうきんさも出す場面でもあるがここの智恵内は難しい。鬼一とのやり取りとは違う智恵内を出さなくてはならない。

鬼一の出から引き付けられたのが、女小姓楓。とても良い形である。鬼一にメガネを渡したりするのであるがその姿のよい事。動いても形が崩れない。胸を張って膝は少し折って少し片足を引いたり。女小姓に見とれたのは始めてである。子供の時から型を体に覚えさせるので他の演劇が敵わないところなのである。大谷廣松さんと思うが。

この後に今回は無い【奥庭】があって牛若が鞍馬で天狗から兵法を習ったという伝説とそれが鬼一法眼であったという展開になるらしいが残念である。時間の制約があるので仕方がないが、それだけこの演目は大きい作品ということである。

【一條大蔵譚】は次になってしまう。これは、現代人も好む話と思う。

 

 

 

勘三郎さんの芸を映像で

十八世中村勘三郎さんの特番の映像が次々と放映される。

一番見て欲しいのは NHKEテレ「十八世中村勘三郎の至芸」である。「髪結新三」と「春興鏡獅子」の二演目が放送される。(9日午後9時から)

ただ見ていただきたい。

追記 (12月11日)

好い映像を放映してくれた。「髪結新三」(かみゆいしんざ)は素晴らしい豪華メンバーである。

新三(勘三郎)・忠七(芝翫)・お熊(玉三郎)・弥太五郎源七(仁左衛門)・大家(富十郎)・勝奴(染五郎)

平成12年の公演であるが、そんなに時間がたってしまったのかと驚いた。あの時、大家さんの富十郎さんと新三の勘三郎さんのやり取りの間を楽しませてもらった事を思い出した。今回映像で見て、小悪党の 新三の上をいく大家さんの強欲さも二人の掛け合いでよく出ている。

きちんと型にはまり、それでいて生身の小悪党のどうしょうもない性根が見え隠れし、本性が出て、また型がきまる流れは見るものをあきさせない。この独特の魅力が勘三郎さんにはそなわっていた。

そして、がらっと変わる女形の舞踊。

リアルタイムで勘三郎さんの芸を見れた事を拳(こぶし)に握りしめる。