『木田金次郎展』(府中市美術館)

  • 暑さのため美術館へ行くのが少なかったが、気に入ったのは『木田金次郎展』と『河井寛次郎展』である。

 

  • 『木田金次郎展』(府中市美術館)は、9月2日までなのでギリギリセーフであった。有島武郎さんの小説『生まれ出づる悩み』のモデルである画家・木田金次郎さんの作品が予想以上に沢山展示されていた。好い絵である。有島武郎さんと木田金次郎さんとの実際の出会いを小説だけではなく、木田さんの文章などからも紹介していて文学展としての意味合いもあり、複合的な展覧会になっている。

 

  • それぞれの生い立ちからどうして巡りあったのか。そのあたりも興味をそそるように展示物され、解説文を読むことで解き明かされていくようになっていた。解説文も読みやすかった。字の大きさなどから、その前に人が立っていても横からも読めるようになっている。この間隔が上手であり、なるほどこういう風にして読むことができる置き方というのもあるのだと思わされた。そのためしっかり時間をかけて見学する気にさせてくれた。

 

  • 木田金次郎さんは、北海道の岩内の海産物を営む家に生まれている。裕福で東京の中学校で勉学する。ところが、父が漁業に乗り出しうまくいっていたのが、岩内港の修復工事で木田家の漁場に土砂が流れ込み漁業が上手くいかなくなった。岩内にもどる金次郎さん。東京時代は、萩原守衛、高村光太郎、藤島武二、有島生馬などがヨーロッパから帰国し活躍し始めていた。そんな空気を感じつつの帰郷である。

 

  • ある時、札幌で有島武郎の表札の家に偶然出会う。金次郎さんは、黒百合会の展覧会で有島武郎と名のある絵に感銘を受けたことがあった。後日、自分の作品を持参して見てもらう。いい絵だといってくれる。有島武郎さん32歳、木田金次郎さん17歳である。金次郎さんは家のこともあり漁師の出稼ぎにもでたりして7年後の再会となる。大きな体の人が訪ねて来て有島さんは、金次郎さんとはわからなかった。そしていろいろ相談に乗ってくれ最終的に、地元に残りその土地を絵に描くのがよいという意見をもらう。

 

  • 有島武郎さん自身も、親から受け継いだ有島農場や自分が作家として生きていくことなどの模索があり、自分とその青年とを重ねて、作品を生み出す悩みを小説に書いたのである。有島武郎さんは農場を小作人たちに個人個人に譲るのではなく共有するという形で譲っている。そのあたりのこともわかるように展示されている。有島武郎さんの死に衝撃を受けながらも、金次郎さんは、岩内に残り絵を描き続ける。1954年、岩内で大火がある。連絡船洞爺丸が沈没した台風の時である。映画『飢餓海峡』にも出てくる。その火災で金次郎さんは、1500点の絵を焼失してしまうが、有島武郎さんからの手紙だけは持ち出している。

 

  • 岩内港の焼け跡をすぐに描いている。その絵が岩内地方文化センターホールの緞帳となっている。その絵のほうも展示しているが、60歳になって初めて個展を開いている。絵の色合いが好きである。そしてどの絵にも微かに明るさがある。明るさは後の作品にどんどん増していく。絵は小説『生まれ出る悩み』のモデル画家から解放されている。芸術とはそういう物なのだとおもう。

 

  • 「青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち」ということで、作家・水上勉さんが「若狭がうんだ農民画家の第一人者」と評した渡邊淳さんの絵も展示してある。独創的な感覚をもった絵を描かれている。水上勉さんは、渡邊淳さんに触発されて作画されるようになったそうで水上さんの絵も二点あった。水上勉さんは『飢餓海峡』を書かれたかたで、あれ、つながってしまったとおもった。北海道で『生まれ出づる悩み』コンテストというのをやっているらしく、そこで選ばれた若手画家たちの作品の展示もあった。

 

  • <有島武郎『生まれ出づる悩み』出版100年記念>とも表記されているが、どうして府中市なのであろうかと美術館のかたにお聞きしたら、有島武郎さんのお墓が近くの多摩霊園にあるからとのことであった。なんにせよ画家・木田金次郎さんの絵が観れてよかった。絵をみて『生まれ出づる悩み』を読むとまた違った味わいになるかもしれない。

 

  • 美術館には、時々面白い本を置いてある。今回は、町田康さんの『猫とあほんだら』の題名が気に入りすぐ読めそうで購入。パナソニック汐留ミュージアムでの『河井寛次郎展』(~9月16日)では、獅子文六さんの『ちんちん電車』を。こちらは都電のお話で、浅草もでてくる。獅子文六さんが見る影もなくすたれているようすから、若い頃通った浅草六区を懐かしんで書かれていて楽しかった。

 

録画歌舞伎『梅初春五十三驛』『四天王楓江戸粧』

  • 鶴屋南北さんの作品は、表だけではなく裏も書いてもいるので、新劇の方たちも挑戦されたりする。脚本の鶴屋南北賞などもあり歌舞伎のみならず視線の熱い作者さんである。鶴屋南北といえば四代目をいうが、五代目は四代目のお孫さんにあたるひとで、『盟三五大切』にも出てきた、深川の二軒茶屋の息子に生まれているのである。役者から狂言作者に転向し、四代目の作品の改訂や補作をしたようである。2007年国立劇場開場40周年の初春公演に『梅初春五十三驛(うめのはるごじゅうさんつぎ)』を166年ぶりに上演しているが、五代目鶴屋南北(合作)作である。四代目鶴屋南北さんの『獨道中五十三驛』をもとにしている。

 

  • 四代目鶴屋南北さんの『獨道中五十三驛』は最近では、2016年の地方公演でも、猿之助さんと巳之助さんがダブルキャストで上演されている。『獨道中五十三驛』は南北さんらしく、十返舎一九さんの『東海道中膝栗毛』にお家騒動を加えて『獨道中五十三驛』としたのである。岡崎宿で化け猫がでてくるところから通称「岡崎の化け猫」と言われたりもする。観た人は、行灯に顔を突っ込み魚油をぺろぺろ舐める猫の顔が映りだされたり、化け猫の妖術によって娘がくるくる回されたり、飛んだり、転がったりとする場面が思い出されるであろう。

 

  • 梅初春五十三驛』のほうもその場面はもちろんある。さらにパロディ化されていて、八百屋お七を思わせる木戸開けの櫓太鼓の打ち鳴らしもある。『盟三五大切』なども、「忠臣蔵」という誰もが知っていた事実を念頭にいれそこに集約される観客の意識を違うほうから持って行くという発想は、さすが大南北(おおなんぼく)である。『梅初春五十三驛』の映像は、生中継で時間が長く、録画の設定時間を間違えたらしく途中で切れてしまった。山川静夫さんが案内と解説をされておられ今観ても参考になる。芝居の中に田舎芝居の劇中劇があって、そこは、日によって変わるらしくネタばれなしということで公開されなかった。劇場にてということである。

 

  • 以前はお正月にこうした一つの劇場での生中継があったが、今は各劇場からのダイジェスト版である。ところが、初春ということもあって、録画しつつこれを観る時間がなく、実際に劇場で観て映像はそのままということが多い。時間が経過しているから芝居のことは忘れていることが多い。今回も、芝居の内容よりも10年前の役者さんの演技に目がいく。特にもう観ることのできない十代目三津五郎さんの台詞や体の動かし方などに目を凝らす。幕間の田之助さんのお話で脇役のかたで楽屋にもどって身体を振ると衣裳がバラバラっと解けて、そのくらいゆったりと着られていたというのも面白かった。花柳章太郎さんの着崩しかたを写真で研究される役者さんもおられ、芝居をしてもそれ以上は着崩れない着方は難しいという話も聞いたことがある。

 

  • 若い役者さんの10年前も面白い。お化粧のしかたや動きなどこうであったのかとその変化がわかる。今の若い役者さんでも、自分より年上の役などで、出てきて、誰?と思わせるかたもいる。そのあとの演技までは続かないが、研究されたなというのは分かる。芝居のほうは初日であるから、数日の稽古である。今までの蓄積からすっとー動く役者さんの身体はお見事である。出ておられたのであろうが、現彦三郎さん、坂東亀蔵さん、萬太郎さんなどが録画切れで観られなかったのが残念である。
  • その他の出演/菊五郎、時蔵、菊之助、團蔵、権十郎、片岡亀蔵、秀調、松也、梅枝、松緑 、八代目彦三郎(楽善) etc

 

  • 四天王楓江戸粧(してんのうもみじのえどぐま)』は、国立劇場開場30周年の公演である。1996年、20年前ということになる。この時に出ている役者さんで、変ったなあと思わせる方は、亀治郎時代の四代目猿之助さんと、弘太郎さん。現在のお名前で書きますが、猿之助さん21歳で、花園姫を演じられていてこの姫が今のような活躍をするとは想像できない姫君ぶりです。歌舞伎の姫君はとんでもない行動にでますがその血を受け継いでいるのかもしれません。弘太郎さんは、13歳で懐仁親王で身分を隠している時は禿で可愛らしく、2014年の明治座では、坂田公時。

 

  • 段四郎さんの碓井定光は「しばら~く」と荒事で花道から登場しますが、段四郎さんの荒事はそこはかとない鷹揚さがある。猿翁さんとは太陽と月のような関係でおもだか屋をここまでにされている。国立から18年後の明治座での、役も交代を紹介する。辰夜叉御前、蜘蛛の精、平井保輔、良門(猿翁→猿之助)、小女郎狐(笑三郎→猿之助)、左大臣高明(歌六→彦三郎)、石蜘法印(猿弥→猿三郎)、花園姫(猿之助→笑野)、坂田公時(右團次→弘太郎)、和泉式部(田之助→笑三郎)、七綾姫(田之助→尾上右近)、碓井定光、渡辺綱、(段四郎→右團次)、卜部季武(段四郎→猿弥)、保輔の母(歌六→秀太郎)。変わらないのが、さぼてん婆の竹三郎さんと、和泉式部の妹・橋立の笑也さんと、頼光の門之助さんです。さらに国立では登場しなかった卜部季武の弟として團子さんが登場し活躍する。かなりの世代交代となっている。

 

  • 国立劇場のほうの録画『四天王楓江戸粧』から一通り整理しておく。昼夜通しなので7時間ほどの上演時間である。そのため映像は「戻り橋の場」までダイジェストでみせて、そのあと3時間ほどの映像となっている。天下を狙う左大臣高明は、懐仁親王(やすひとしんのう)を失脚させようと、死んでいる姉の辰夜叉御前を石蜘法印の術で生き返らせ、蜘蛛の魂をやどらせる。辰夜叉は夫を源氏に討たれ、自分も自害したのである。追ってきた渡辺綱を翻弄し、宙乗りで姿を消す。『将門』の滝夜叉をおもわせる。高明は自分が即位に必要な刀を、名刀・小狐丸を手本にして作れと刀工(実は大宅光国)に命じる。これは『小鍛冶』に通じそうである。

 

  • 坂田公時(金時)は、東下りの頼光から不思議な力をもった二本の矢を探すように命じられれ、母の住む足柄山にむかう。母は実は山姥であった。ここは『山姥』の挿入である。母は術を使い二本の矢を公時に渡すがその術は自分の死を意味していた。

 

  • 辰夜叉は平井保昌に紛失の宝剣を見つけることを命じ、見つからなければ頼光の首を差し出せという。保昌と保輔の母は、弟の保輔の首を頼光の代わりにすることを決める。保輔は刃ものを見ると体が固まってしまう奇病をもっている。そのため、兄の保昌は妻の和泉式部に梅の一枝をもたせ、その切り口で死ぬようにと暗示する。その奇病は暴れ者の保輔を封じる手立てをしてあったがそれを解いてやり、保輔は自刃する。保輔への想い人で和泉式部の妹・橋立は嘆き悲しむ。刃ものをみると気が狂う『蘭平乱心』と類似。

 

  • ここでだんまりが入る。名刀子狐丸が誰の手に渡るかである。だんまりは役柄を表すとともに次の話しの展開に便利な場面でもある。名刀小狐丸は卜部季武が手に入れ、さらに良門と七綾姫が赤旗を首にかけ垂らし、この二人は平氏であることがわかる。ただ説明なしで観ているだけでは誰が誰とわからないこともある。今回も役の字幕紹介があってそうなのだとわかったのである。(大宅光国、相馬良門、卜部季武、七綾姫、小女郎狐)

 

  • 和泉式部は、頼光の身代わりの保輔の首を辰夜叉の前に差しだす。首実験となるが、橋立と頼光の許嫁・花園姫が首との哀しみの対面となる。ここは『熊谷陣屋』の相模と藤の方を思い起こす。窮地に陥ったところに現れるのが碓井定光で『暫』の登場である。碓井定光によって辰夜叉は骸骨となり消え、高明も退散する。辰夜叉に宿っていた大蜘蛛が現れ、頼光、公時、定光が退治する。ここは『土蜘蛛』。

 

  • 「紅葉ヶ茶屋の場」は今までの流れから登場人物も変わり、四天王の一人、卜部季武と将門の息子の良門とその妹の七綾姫と小女郎狐の話しとなる。それも町人などにやつしての登場となる。季武は茨木五郎、その居候に良門の伝七、七綾姫は五郎の女房・おまさ、小女郎狐は後からの押しかけ女房・おつなとなっての、良門、秀武、七綾姫、小女郎狐が中心である。季武は、七綾姫と小女郎狐を女房とする。七綾姫と小女郎狐は酔いつぶれて寝てしまう。夢の中にそれぞれの父が現れ、ふたりの正体がわかり、季武はふたりを離縁する。ここで七綾姫は兄・良門と合う事が出来、赤旗を渡す。

 

  • 小女郎狐は季武が持っている名刀小狐丸を手に入れたかったのである。「狐忠信」が浮かぶ。良門は、雪の中に隠してあった名刀小狐丸を見つけ出し、宙乗りで下りてきた小女郎狐に花道の梯子の上から手渡す。感謝する小女郎狐。このあと、平家の良門と源氏の季武の争いとなるが、七綾姫と小女郎狐が間に入り、大団円となって終わる。主なる登場人物でのあらすじである。

 

  • もっと、他の歌舞伎作品を思わせるところがあるのかもしれない。それにしても南北さん散りばめてくれました。実際にはもっと長い作品だったのでしょうから、まだまだ何かが隠れているのかもしれません。二本の矢がどう使われたのかもダイジェストの部分だったのでわかりません。おそらく7時間にやっと短縮したのでしょう。さらに短縮したのが明治座での公演です。これまた思い切って短縮したものだとおもいます。明治座の『四天王楓江戸粧の感想はこちらで参考まで。明治座 11月 『四天王楓江戸粧』

 

歌舞伎座8月『盟三五大切』

  • 通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』 鶴屋南北さんの作品である。南北さんは、もとある作品を書き換えているものが多いが『盟三五大切』も、先輩戯作者並木五瓶さんの『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』を借りて、そこに「忠臣蔵」を混ぜ、さらに「四谷怪談」の民谷伊右衛門が住んでいたという長屋の一室も出てくる。「忠臣蔵」も出てくるので登場人物に<実は>という展開がある。

 

  • 『五大力恋緘』は観た事があるであろうかと脚本を読んでみたら観ていないようだ。「五大力」と三味線の裏皮に書いた芸者小万の源五兵衛に対する心の誓い。それがやんごとないことにから三五兵衛に「三五大切」と「三」と「七」が加え書き換えられ、源五兵衛は裏切られた思い小万斬るのである。これに、「忠臣蔵」の敵討ちが重なっているのが『盟三五大切』である。登場人物の名前が二つの作品に重なっているひともいる。

 

  • 浪人の源五兵衛の幸四郎さんは、芸者・小万の七之助さんに惚れている。ところが小万には、三五郎という夫がいる。三五郎は獅童さんである。大川が流れ込む佃沖で、小万が乗り三五郎がこぐ舟と、小万を身請けしようとする伴右衛門(片岡亀蔵)が乗り伊之助(吉之丞)のこぐ舟が出会う。そして、源五兵衛が乗る尾形船が近づき、小万は源五兵衛に愛想をふりまく。

 

  • 源五兵衛は小万にお金をつぎこんでいて家来の八右衛門(橋之助)は心配している。家財道具のなくなった住まいに小万が、芸者・菊野(米吉)、幸八(宗之介)、虎蔵(廣太郎)らを連れてやってくる。そして小万が腕に「五大力」と彫って源五兵衛に心中立てしたと告げる。そこへ源五兵衛の伯父・(錦吾)が百両のお金を持参し、遊び過ぎるなとたしなめて帰る。小万たちは、八右衛門に追い返される。

 

  • 小万から源五兵衛がお金を持っていると聞いた三五郎はお金目当てで、小万の誘いの手紙をもって迎えに来る。幸四郎さんは、好いた小万の腕に「五大力」と彫られるなど恋に気を奪われた男そのものである。獅童さんと七之助さんは、お金のことしかない。深川の二軒茶屋では、伴右衛門、伊之助、長八(男女蔵)などがいて、伴右衛門の小万の身請け話で、小万はこばんでいる。源五兵衛は心を決め、伯父からの百両をだす。ここへ伯父が現れ源五兵衛を勘当する。源五兵衛が小万を連れて帰ろうとすると、三五郎が小万はおれの女房で、全て金を巻き上げるためのウソだという。これで恨まなければウソである。

 

  • 伴右衛門、伊之助、長八は三五郎の仲間であった。三五郎は、小万の腕の「五大力」を「三五大切」に書き換える。その夜、源五兵衛が現れ次々と斬っていく。しかし、三五郎と小万は逃げることができた。源五兵衛は実は、不破数右衛門で、元塩谷判官の家臣であったが、御用金紛失の咎(とが)で浪人の身。伯父は富森助右衛門で、源五兵衛に仇討に参加したいと頼まれ百両用意したのである。仇討より小万にかけたのである。こうなれば、小万と三五郎を殺すだけである。このあたりから南北さんらしい展開となってくる。南北だぞと期待がたかまる。

 

  • 四谷の長屋に八右衛門が越してきますが、幽霊がでるので引っ越すことにする。大家・弥助の中車さんは、ここには伊右衛門がすんでいたのでお岩さんの幽霊がでるのだという。一日でもひと月分はいただくという。八右衛門は番屋に休ませてもらう。そこへ新しく引っ越してきたのが、三五郎、小万。里親(歌女之丞)が赤ん坊を抱いている。二人には子供もできたのである。驚いたことに大家は小万の兄であった。さらに三五郎の父・了心(松之助)が通りかかり、三五郎は百両を父に渡す。百両は助右衛門→源五兵衛→三五郎→了心へと渡りそこからどこへ。了心の元主人である不破数右衛門へである。

 

  • 源五兵衛が三五郎と小万の前に現れる。新たな付き合いをしたいとお酒を差し出す。役人が五人殺しの犯人として捕らえに来るが、八右衛門がじぶんがやったとして身代わりとなる。大家の弥助がしきりに樽代という。何かと思ったら入居時の礼金であった。その為ニセ幽霊で樽代と二重の家賃を儲けようとしていたのである。妹さえもだまそうとする欲張りであったがばれて酒を飲んだところこれが毒酒であった。源五兵衛が許すわけがないのである。三五郎は樽の中に隠され、父・了心の愛染院に運ばれる。

 

  • 源五兵衛は、二人の様子を見に来る。怖れる小万。小万の腕をみると「三五大切」と書き換えられていた。子供だけはと頼む小万の手に刀を握らせ子供を殺してしまう。そして小万も。人とは思えない状態の源五兵衛の幸四郎さんである。御用金紛失も弥助であった。その罪をきせられそれでも主君の仇討に参加しようとしていたのである。自分が小万に迷ったためではあるが、それにだまされるとは。

 

  • 源五兵衛は小万の首を持って隠れ家の愛染院にもどる。了心は、三五郎が手に入れた高野家の絵図面と百両を渡す。不破数右衛門は源五兵衛であったのを、樽の中で知った三五郎は、出刃で腹を突いていた。全ての罪を背負って。源五兵衛・不破数右衛門は目出度く討ち入りに参加することができたのである。目出度くかどうかは死んだ人にとってはどうなのであろうか。目出度くにしないと浮かばれないということである。もっと早くに事実がわかっていれば、死ななくて済んだかもしれない。そして「色に耽ったばっかりに」にも通じるかな。幸四郎さんを中心にそこのあたりが浮き彫りになった。

 

  • 郡司正勝著『鶴屋南北』に面白いことが書かれていた。近松門左衛門が其角に送った書簡を南北さんが所有していたのである。赤穂浪士事件の評判を、堺町の勘三郎座で曽我の仇討の中に組んだ知らせを、近松が其角に送った手紙であった。南北宅の床の間に掛物として掛かっていたのだそうだある。驚きの組み合わせである。

 

歌舞伎座8月『東海道中膝栗毛』『雨乞其角』

  • 東海道中膝栗毛』 再伊勢参? YJKT! (またいくの こりないめんめん) 筋はなるべくさらにしてどう観せてくれるのかという愉しみかたをすることが多いのだが、今回は前もって読んでおいて、ここではこの役者さんをとチェックしておいた。筋を読みつつ笑ってしまった。そう来るのかと。筋を知っていても実際の芝居は立体的になるわけで、もっと笑ってしまった。

 

  • 呼び込みの一つは、猿之助さん、獅童さん、七之助さん、中車さんの早替わりである。早変わりも多すぎると何だったのということになるだけで逆効果のときもある。4人もの役者さんが早変わりである。ここを上手く考えた。獅童さん、七之助さん、中車さんの三人をセットにして6役受け持たせたのである。昨年の弥次喜多のパロディあり、歌舞伎の演目のパロディあり、老若男女あり、将軍・武士・商人・庶民ありで、短時間にこの役になって観せなければならないのであるから役者さんにとては忙しいのと同時に難易度である。観るほうは、意表をつかれつつその役に身体が表現されているかをチェックしつつ笑うのである。

 

  • 猿之助さんの喜多八は亡くなっているのであるから大きな遺影と幽霊だけではちょっとということなのであろう。赤尾太夫の二役である。弥次郎兵衛の幸四郎さんが喜多八の死をあまりにも悲しむので、忘れさせてあげるには、美しい太夫が一番との設定である。それも『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋と佐野次郎左衛門との出会いのパロディである。場所は神奈川宿。弥次さんを元気づけようと、賢い二人の梵太郎の染五郎さんと政之助の團子さんがお伊勢参りにさそったのである。五代政之助?あっ!團子さん五代目なのだ。気がつくのが遅すぎ。「ボーッと生き てんじゃねえよ!」チコちゃんに叱られそう。

 

  • 赤尾太夫は今宵は箱根五日月屋とのこと。上手い。泣きつづけの弥次さんじゃ箱根まで登れません。赤尾太夫がいるならなんのそのでしょう。追いかけてくる幽霊の喜多さん。五日月屋は前の伊勢参りの時幽霊の出た宿。そのためお札がはられている。番頭の廣太郎さんが主人になっていた。お札をはがしてくれるのが犬と猫。幽霊の姿の見えるむく犬(糸あやつりの弘太郎)と三毛猫(糸あやつりの鶴松)。幽霊との言葉も通じ合う。

 

  • 五日月宿では、お金のない弥次さんを可愛いいとして、身請けをしようとしていた阿野次郎左衛門(あの)の片岡亀蔵さんは怒り、女将・おさきの米吉さんも赤尾太夫の勝手さに怒る。女将怖い。二人を殺すようにそそのかす例の早替わりの三人組。さてこの三人の本当の正体は。これだけの人数のだんまりも初めてであろう。

 

  • 三人の正体は地獄への使者。獅子堂獄之助(獅童)、鬼塚波七(七之助)、暗闇の中治(中車)だ!冷静な梵太郎と政之助は、例の名刀・薫光来でむく犬と三毛猫の言葉を理解、地獄へ落ちた弥次さんと喜多さんを助けるため、地獄につながる洞穴に飛び込む。

 

  • 地獄の閻魔庁では、年に一度の祭りの日。観客も好い日に閻魔庁を見学でき、楽しい歌舞音曲に閻魔大王の右團次さんと楽しめました。赤鬼(橋之助)、青鬼(福之助)、黄鬼(歌之助)、大鬼(鷹之資)、中鬼(玉太郎)、小鬼(市川右近)、さらい女歌舞鬼(千之助)がひきいる一座の華やかな踊り。これをひとりひとり確認するのが大変である。キラ星のごとく三鬼踊り、大中鬼踊り、座長の「藤娘」ら次々とつづく。

 

  • 歌之助さんは久しぶりである。鷹之資さんには富十郎さんの踊りを引き継いでほしい。右近さんの阿波踊りも愛嬌たっぷり。もう一人のチョッパーの猿さんもいて可愛い舞妓である。(『ワンピース』<チョッパー登場 冬島編>から見始めた。チョッパー、本当にトナカイだった。)少しだけ先輩格の舞子さんもいます。最後は、にぎやかに阿波踊りである。さすが話題は逃がしません。

 

  • 無事、洞穴から現生に戻った弥次さん、喜多さん、梵太郎、政之助。弥次さんしこたま頭を打つ。喜多さんの言葉が通じる。それってもしかして。えっ!基督の門之助さんが。確か喜多さんのお葬式のときはお坊さん。基督の横には日光天使(染五郎)と、月光天使(團子)。もうひとつの呼び込みの幸四郎、猿之助、染五郎、團子の4人宙乗り。2人プラス天使2の行先は・・・・

 

  • この芝居の川は富士川でした。今月の芝居で舟が足りないのか、歩く舟もありました。そしてとっておきは、そもそも喜多八はなんで死んだのか。それは高麗屋さんの襲名に関係していたのです。そして、幸四郎さんと猿之助さんにも関係していました。まあ喜多八がドジであったのが一番の原因ですが。しかしこれは一番笑えます。

 

  • 舞台番・虎吉(虎之助)、舞台番・竹蔵・閻魔庁の書記官(竹松)、茶屋娘お稲・閻魔妻(新悟)、閻魔庁・泰山府君(片岡亀蔵)、町名主伊佐久(寿猿)、後妻お紀乃(宗之助)、家主七郎兵衛(錦吾)

 

  • 休憩時間のロビーでは、筋書を開いて今のはここで今度はここへいくわけで、あれはだれだれさんでと確認しておられるご婦人たちもいる。ご家族で観劇なのであろう。お父さんが娘さんに注意されている。聞くともなく耳にしたが、どうやら娘さんが遅れてきたらしい。役者さんも集中できないし観ている方にも迷惑だし、この時間に入るためにはどのくらいの時間をとったらいいか計算できるでしょう。ごもっともです。インターネットに頼ってかえってぎりぎりな計算になるときもある。幕間まで立っていてもいいのだが、親切に案内してくれるので、ごちゃごちゃ言っても仕方がないとそれに従ってしまう。いやいや、余裕をもってである。

 

  • 雨乞其角(あまごいきかく)』も初めてであったのでたのしみであった。『三囲神社』に碑があるが、それを題材にした舞踊があるとは。俳諧師宝井其角さんは、歌舞伎では『松浦の太鼓』でお馴染みで忠臣蔵がらみでの登場であるが、『雨乞其角』は「夕立や 田をみめぐりの 神ならば」の句を詠んだところ雨が降ったということに由来している。隅田川の様子を彷彿とさせる舞踏である。

 

  • 舟遊びをする其角のそばを大尽の舟なども通り過ぎる。三囲の土手に上がれば、弟子たちが雨が降らず困ったことですと。そこで其角が雨乞いの一句を献ずると雨が降り、皆踊り出すのである。其角の扇雀さんと船頭の歌昇さんと虎之助さんがお酒を酌み交わしてののどかさ。大尽の彌十郎さんは芸者の新悟さんと廣松さんをお共に楽しんでいる。土手に上がるとおおぜいの弟子たちがまっている。

 

  • 雨が降って、橋之助さん、男寅さん、中村福之助さん、千之助さん、玉太郎さん、歌之助さん、鶴松さんら弟子たちの総おどりである。今度は閻魔庁とは違った江戸の粋さのなかでの踊りで、気分を変えて楽しませてもらう。

 

  • 三囲神社には、其角さんの「山吹も柳の糸のはらミかな」の句碑もある。また老翁老嫗の石像がある。元禄の頃、三囲稲荷にある白狐祠を守る老夫婦がいて、願いごとがある人に変わって狐を呼び出し願い事をかなえてもらっていた。この夫婦の呼び出しにしか応じなかったのである。その老夫婦の死後、像が建てられた。それを其角さんは、「早稲酒や狐呼び出す姥が許」と詠んでいる。コケが綺麗なところがあり、草取りされているかたが、手をかけなくてはと言われていた。何事も陰の力あっての美しさである。ただ人手が少なくなっているのは現実である。

 

  • 其角さんは芭蕉さんの弟子であるが、お酒も好きだったようで、ヒナよりも江戸の粋な風俗を好んで詠まれたようである。鷲神社には「春をまつことのはじめや酉の市」の句碑がある。

 

歌舞伎座八月『花魁草』『龍虎』『心中月夜星野屋』

  • 八月の歌舞伎座は、歌舞伎アカデミーの生徒と思えるような超若手役者さんも含め、おおぜいの出演なので、見逃さないようにと筋書を前もって歌舞伎座の切符売り場で購入しておいた。今月は全ての演目に「川」が関係していてその図や関連の場所も記してくれていたので楽しみも倍増である。

 

  • 花魁草(おいらんそう)』は、安政の大地震で吉原から逃れてきた女郎・お蝶と歌舞伎役者の中村幸太郎が出会うのである。その場所が中川の土手で、江戸は火事で燃えている。二人はその時、栃木宿に帰る百姓の米之助の小舟に乗せてもらい栃木に行くことにする。米之助夫婦の助けもあって二人はおばと甥の関係でつつましくもおだやかな暮らしをしている。そんなおり、芝居茶屋の女将・お栄がひいきだった幸太郎の姿をみかけ、幸太郎が芝居にでれるように手はずをととのえる。

 

  • 幸太郎を送ってお蝶は江戸までいくが、その後行方がわからなくなる。立派になって巴波(うずま)川で舟乗り込みをする幸太郎の姿をお蝶はそっと陰からそっと幸太郎の姿を見送るのであった。お蝶は米之助に祝言をあげてはと勧められたことがあった。しかし、お蝶は自分自身が怖れている過去があったのである。幸太郎がお蝶を訪ねてきたときお蝶はいなくて自分の植えた花魁草が咲いてた。北條秀司さんの原作で、新派と思うような作品である。

 

  • 年下の少し気が弱くて優しい幸太郎の獅童さん。そんな幸太郎を命をかけて惚れているが、それゆえに自分の気持ちをおさえるお蝶の扇雀さん。純朴にお蝶の話しを聞く米之助の幸四郎さん。何も知らずお蝶と幸太郎の世話をする米之助の女房・梅枝さん。そんなささやか生活に幸太郎の芝居に対する想いを思い出させるお栄の萬次郎さん、猿若座元・勘左衛門の彌十郎さん。川でつながっていた江戸と栃木宿。農家の様子や江戸から役者がきてはなやぐ土地の人の様子などがしっとりと描かれた舞台で、お蝶の女郎から世話女房になる変化と、過去を語る押さえどころをしっかりと扇雀さんが演じられた。そして、花魁草がいきる獅童さんと扇雀であった。

 

  • 栃木は今も蔵の街として巴波川の両脇には蔵や建物が残っている。その建物の中で盛んだったころの様子なども紹介したり、街の中心では、かつての豪商の内部などを見せたりしていている。その頃芝居小屋もあって江戸の役者さんがきたほどの繁栄ぶりであった。どれだけ、幸太郎の舟乗り込みがお蝶にとって嬉しいことであったかが想像できる。それだけに寂しさも切ない。

 

  • 山本有三さんもこの町の裕福な呉服屋で生まれていている。公開されているかつての商家に、玉三郎さんの『女人哀詞』のポスターが飾ってあり、山本有三さんがこの地の出身であることを知った。その他、何代目かはわからないが座敷に猿之助さんの書を飾ってある家もあった。日本橋→江戸川→利根川→渡良瀬川→巴波川へと商品を運んで栄えた栃木が想像できる。累(かさね)の関連場所も近く台詞にもでてくる。大きな世界を表しているお芝居ではない。それだけに脇の役者さんの力を必要とする作品で、そのあたりもしっかりしていた。もう一度、栃木も訪れたくなった。
  • 市蔵、高麗蔵、松之助、松江、吉之丞、梅花、新悟、虎之助 etc

 

  • 龍虎』。龍と虎の闘いを踊りにしたもので、龍は幸四郎さんで虎を染五郎さんが受け持った。この踊りいつも獅子の踊りと勘違いして観てしまうので、龍と虎と言い含めて観た。洞穴などの背景もでてきて、なるほどと納得しつつ観る。染五郎さんの虎が爪をあらわすような仕草となりこういう表現があったのかと。龍は空を飛ぶが、虎は千里を走りまわるわけである。そして龍を翻弄して飛びかかろうとする。そんなことを想像しつつ、引き抜きなども楽しんだ。この戦いの勝敗は決まらずお互いに引くのである。

 

  • 『龍虎』は十代目三津五郎さんの振り付けである。染五郎さんは襲名ということがあるので意味合いが違ってくるかもしれないが、八月、十代の役者さんが多くでておられるので、坂東三津五郎さんが『踊りの愉しみ』で書かれていることを少し紹介します。「十代の時分は時間があるのですよ。その頃は、役がつかないですからね。」「逆に二十歳か二十一歳になって大人の身体になってくると、今度は毎月、舞台に出されてしまいます。」「ですから、舞台に毎月出るようになる前に、自分の身体にきそてきな素養を身につけておかないといけません。」この本を読んでから『龍虎』を観れば「風」の現象も受け取れたかもしれないがそこまで気がまわらなかった。

 

  • 心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)』は古典落語『星野屋』を基にした新作で初めての上演である。男と女の化かし合いで『たぬき』などよりは軽めでおやまあと楽しめる作品である。青物問屋の主人・照蔵の中車さんが深い仲の三味線の師匠・おたかの七之助さんの家にきて相場に手を出して失敗したから、20両の手切れ金で別れてくれという。どうして一緒に死のうと言ってくれないのとつい言ってしまったおたか。つい言ってしまったところが軽くて面白い。本気にして喜ぶ照蔵。今夜、吾妻橋から飛び込もうと約束する。

 

  • しめたと家に帰るおたかとお熊。新しい旦那を紹介してもらおうと泉屋藤助の片岡亀蔵さんを呼ぶ。亀蔵さんはこういう役は手慣れたもので、照蔵が枕元に現れたと話し、おたかは髪をおろすことになる。さてお金のゆくえはいかに。中車さんの業突く張りぶりもほどほどで、おたかもお熊も生きるための庶民のささやかな悪ととれる愛嬌ぶりである。単純にアハハでチョンである。七之助さん、中車さん、獅童さんトリオは次の『東海道中膝栗毛』へのウオーミングアップでもある。

 

新橋演舞場・新作歌舞伎『NARUTO ーナルトー』

  • G2の脚本・演出である。かつて『憑神』のとき、最初の休憩で帰ったことがある。この後から面白くなるのかもしれないが、とするならそこまで持って行く過程が長すぎと思って座っているのがいやになってしまったのである。今回は竹本の語りからで、それも聴きなれていない人のためにと字幕を用意してくれた。このベンベンの音に最初から腰をすえる。

 

  • うずまきナルトとうちはサスケには、本人たちの知らない過去がある。それぞれの過去が本人それぞれに知らされる過程が違う。うずまきナルトには九尾(きゅうび)というバケモノを半分封じ込められており、そのことで死んだ父(四代目火影)と母がナルトにいきさつを教えるのである。それは、父と母の愛として届けられるのであるが、その展開が工夫されていて面白い。

 

  • サスケのほうは、うちは一族の生き残りで、兄・うちはイタチがうちは一族の父と母をはじめとして皆殺し、弟のサスケだけは殺さなかったのである。命を助けられてもサスケは兄を許すことができずに、仇として忍者学校でも頑張ったのである。ただ、ナルトに対しては、ナルトにも両親がいないので心ゆるすところがどこかに少しある。

 

  • ナルトは、落ちこぼれでライバルのサスケにもばかにされるが、自分は木ノ葉隠れの里の頂点の忍者である火影になるときめている。周りの上忍からは、ばかもこれだけばかなら大したものだと暖かく見守られている。サスケに心ひかれる春野サクラ、サスケ、ナルトは教官のはたけカカシのもとで木ノ葉隠れの里を守るために働く。伝説の三忍・綱手(つなで)、自来也(じらいや)、大蛇丸(おろちまる)がからんで自体は次第に怪しくなってくる。この三忍がでてくると四代目・雀右衛門さんが友右衛門時代の映画『忍者児雷也』を思い出してしまう。舞台での大なめくじ、大ガマ、大蛇の登場も映画のこともあって待ってましたである。

 

  • 大蛇丸は自分の忍者としての能力を不変にすることが第一で、木ノ葉隠れの里と一線を引いている。サスケはこの大蛇丸に、サクラは綱手に、ナルトは自来也のもとで修業する。サスケは大蛇丸に学ぶものはないと大蛇丸を切り刻む。そしてナルトとサスケはさらなる敵のうちはマダラに立ち向かうのであるが、ナルトは自分の過去も父母の愛で知ることができたが、サスケは真実を曲げて教えられている。それをきちんと教えるため自分の命をかけるのが自来也である。ナルトが、父母の愛を受け、サスケが可哀想だなと思うところなので、自来也の行動は感動ものである。

 

  • そしてナルトとサスケは見事うちはマダラを倒すのである。しかし、サスケの心は晴れない。ついにナルトとサスケの決闘となる。ここの本水の場も見せ場である。二人の対決は必然の若さの爆発であり、一度はぶつからなければならない宿命である。お互いそれで自分の進む道が決まるのである。

 

  • ナルトの体に九尾が封印されたいわれが解けていくのが中心であるが、そこに過去をもつサスケと、それら全体をとりまく忍者がナルトとサスケの成長を助けていくところが上手くできている。

 

  • ラーメンが好きで落ちこぼれでも夢をすてないナルトの巳之助さんは四代目火影も。一族の滅亡で世の中を斜めからしか見れないサスケの隼人さん。真正面からお互いに正々堂々と受けて立つ二人の関係も若さ溢れるさわやかさ。駄目だよなとわかっていてもサスケを想うサクラの梅丸さん。エロ仙人でもあるが目配りのきく自来也の猿弥さん。五代目火影となりしっかり者の綱手の笑也さん。大蛇丸と愛いっぱいのナルトの母との二役の笑三郎さんの違いも見どころ。非情なサスケの兄・うちはイタチで通す市瀬秀和さん。教官として優秀なはたけカカシの嘉島典俊さん。

 

  • うちはマダラは、猿之助さんと愛之助さんの交互出演。九尾やガマ仙人の声も担当。両方を観たのであるが愛之助さんの声はわかったが猿之助さんの声とはおもえなかった。お二人の違いを言葉であらわすのは難しいのであるが、声質も含めて愛之助さんは少し妖気がかったマダラで、猿之助さんは声を落とし時代がかった古風さのあるマダラであった。

 

  • 立ち回りも大人数ではなく、一人、一人の動きがわかるようにして、登場人物の内面の表出をおおってしまわないようにし、大蛇の切られるところの工夫は、そうなるかと面白かった。巳之助さんと隼人さんは『ワンピース』の延長での役者さんを周りに固めてもらい、猿之助さんと愛之助さんのバックアップもあり、幸運な新たなスタートである。音楽は「和楽器バンド」の提供であるが、「上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)」の曲調を思い出し心地よかった。

 

  • 原作・岸本斉史/脚本・演出・G2/猿飛ヒルゼン・三代目火影(猿四郎)、木ノ葉隠れ里の相談役・水戸門ホムラ(欣弥)、同じく相談役・うたたねコハル(段之)、薬師カブト(國矢)、うみのイルカ(蝶一郎)、綱手の弟子・シズミ(梅乃)、干柿鬼鮫(安田桃太郎)、etc

 

  • 帰りにDVDのレンタルショップに寄ったら、あるわ、あるわ、「ナルト」の数多いDVD。若いカップルが借りてゆく。やはり人気があるのだ。劇場でも年輩のご婦人が、おおざっぱによくまとめてあると話していた。「ワンピース」より原作を読んでいる年齢層の巾が広いのかもしれない。うずまきナルトは落ちこぼれで、いじめにもあっているらしいので、忍者学校の様子などはちょっとアニメで観てみようかなと思う。名前に漢字があるとカタカナだけより印象が強くイメージを膨らませてしまう。年代の差。

 

  • 『NARUTO』(巻ノ一)を借りたら24分で終わってしまった。何話か入っていると思ったのだが、もっと借りてくればよかった。ナルト、イルカ先生から忍者の額あてをもらって忍者アカデミーを無事卒業した。舞台の木ノ葉隠れの里の町の絵の背景の雰囲気、どこかで見ているような気がするのだが思い出せない。

 

『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (6)

  • 作家・佐伯一麦さんは仙台在住で、東日本大震災にあわれている。そのあとなぜか月を眺め、月を友とする生活であったという。そして、敗戦の後、鎌倉で月を見ていた川端康成を思い出していた。活字では、『方丈記』と『源氏物語』の<須磨>が心に入ったそうである。映画『まあだだよ』での先生が東京大空襲で持って逃げるのが『方丈記』一冊である。震災のあと(半年後とおもうが)読書会があり、それは前もって決めていたのであるが川端康成の『雪国』である。震災を経験した読書会の人々は、主人公の島村に否定的であった。

 

  • 死、食べる、住まうとかの困難を経験した人々にとって、はっきりしない島村がなんともいらだたしかったようである。佐伯さんは、浮いた言葉を言わない島村にかえって矛盾した人間性をみたといわれ、筋のほかの関係のないところの風景描写の細部が上手いとおもったと。震災で佐伯さんは、底が無くなってしまったような感覚で、それが川端さんの底が無くなった魔界の世界のような『みづうみ』と重ねての話しとなった。『みづうみ』は三島由紀夫さんは否定的で、文芸評論家の中村光夫さんは高く評価したようである。不浄なものみにくいものの中に聖なるものがやどる。

 

  • 川端康成は徳田秋声を敬愛していて、川端は、『仮装人物』のただれが怖いと。『仮装人物』は踏み外しが激しいのだそうだ。『雪国』は温泉場で火山で『みづうみ』は爆発の後にできるもので、手書きのうちの思いつきの表意文字もみうけられるそうだ。みづうみ→水虫、天の虫であった『雪国』の駒子が我のある虫になる。蚕→蛾。美しいものがグロテスクになる。それを聞いて反対の矢印も←成り立つということにもなると思った。『みづうみ』の銀平は、みにくいとおもっている足の指をもっていることを意識しつつ、若い美しいものを求めて、その足で後をつけ追いかける。結論は書かれていないが、銀平は母のふるさとにある「みづうみ」に沈んで死ぬような気がする。そこに向かっていると思えて。そこにしか銀平の底はないのではないか。実際に底があるかどうかはわからない。

 

  • 『雪国』の読書会の最後に年輩の女性が、戦争中、親に怒られながら中里介山の『大菩薩峠』を読んでいて、その時間はその世界に没頭したと発言されたそうである。そういう時間空間をもてるのが文学の魅力であろう。反発も自由である。

 

  • 作家・池畑夏樹さんは、石牟礼道子さんについて話された。石牟礼さんといえば、『苦界浄土』で水俣病を世に知らしめるきっかけをつくられたかたでもあり、あまりにも崇高のイメージがあって近寄りがたいかたとのおもいがあったが、染色家の志村ふくみさんとの往復書簡などを読むと、公害の運動家的なイメージが、ただ自然と対話していたら自然も人も傷つけるのはいやであるとする想いが、言葉で表せない自然や人の叫びを文字に表してあげたら社会現象とつながっていたという印象が濃くなった。

 

  • 池畑さんは石牟礼さんの過去について話してくれた。おじいさんが、石工で道を造っていたのであるが、自分の造った道は崩れてはならないと、請け負うお金よりもお金をかけてしまうことになり、山を売り、そのうち家も差し押さえられるような人だったのだそうである。吉田道子さんが結婚されて苗字に石牟礼の「石」がついたのも縁であろうと。5歳の頃の様子には同年配の子供が出て来なくて、上手くコミュニケーションができなかったようである。次第に自我も出て来て代用教員となり短歌をつくるが自分を出し切れず、「サークル村」の文学運動に加わり、その時水俣病と出会うのである。

 

  • 『苦界浄土』は、患者さん達を書いているところは小説家で、医学的なところは官僚の人間ではない記述で、ノンフィクションではないからと大宅壮一賞をことわるのである。石牟礼道子さんは古代の人で、山に行ってたから、頭を下げて山の物を食べ海の物を食べる。チッソはプラスチックを作っていた。それに水銀を使った。それが有機物質としてながれ、プランクトンが食べ、魚が食べ人間が食べる。高度成長であったため、国も止めるわけにいかなかったのだと。

 

  • 歴史小説『春の城』は島原の乱を描き、そこでは3万人の人が殺された。キリスト教は異民族で、異民族であるから殺してあたりまえであった。地方にいるという文学者は、近代文学者ではめずらしい。石牟礼道子さんは、料理でも縫い物でもなんでもできて味にもうるさく、体が不自由になって人に作ってもらったものでも味のあわないものは食べなかったそうである。なんでも受け入れ耐える人ではなかったのである。何かほっとする。

 

  • 文芸評論家・安藤礼二さんは、折口信夫さんの『死者の書』についてであるが、『死者の書』は奈良の當麻寺の當麻曼荼羅の中将姫伝説とも関係している。そして當麻寺と二上山の大津皇子のお墓とを結ばせている。人形劇アニメ映画『死者の書』(川本喜多八監督)では大津皇子が暗い顔で現れた。ただわかりやすくまとまっていたと思うが時間がたってしまっているので記憶が薄い。折口信夫さんの原作の難解さはすんなりとは進んでくれない。

 

  • 貴族の娘の郎女(いらつめ)は、二上山に人の姿をみる。それは悲しそうで衣服をまとわず郎女に衣服を織らせるきっかけとなる。それが蓮の茎の糸で織った布である。當麻寺曼荼羅伝説では曼荼羅を織ったことになっている。折口さんは、郎女に絵をかかせたらそれが曼荼羅になったとしている。さらに、安藤礼二さんのお話は聞いている時はそうなのかと思うが、メモをみるとどうしてこうなるのかがわからない。聞き手は、『死者の書』を捉えているだろうとの前提で話されているのかもしれないが、『死者の書』は筋を追うだけではとらえきれない語り部、大津皇子と郎女の代を経ての関係などなどがでてくる。

 

  • 死者がよみがえり、それをよみがえらせたのが郎女で、郎女は死者の無念さとか想いということまではとらえていないと思う。ただあのくらい悲しい顔と衣をまとわぬ白い姿に被うものを作ってあげたいとの想いである。とまあそこまででギブアップである。それだけでは折口信夫さんも困ったものであると嘆かれるであろうが面目ないである。當麻寺を囲む風景は現代を離れた日本の原風景のようである。

 

  • 書き込みさせてもらった講師の方々の順番は、実際の講義登場の順番ではない。何となくそうなったのである。テーマにも意識しないで聴いて心動いたことに基づいた。今回出てきた小説はいままでより沢山読んだ。まだ、積ん読を平にしなければならないが、来年は前もって少しは読んでから聴講したいとおもったが、一年先のことである。

 

『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (5)

  • 詩人・荒川洋治さんは、本にかかっているパラフィン紙をいいですねと言われた。今回の講義に出てきた作品を読まなくてはと文学全集をから探し出して積んで、図書館から探して積んでとやっているうちにそれだけで疲れてしまった。そして邪魔なのが、全集の茶色く焼けたパラフィン紙。ばりばりと破り捨てる。乾いた音と真新しい本がまぶしい。がさつで申し訳ない。荒川洋治さんは、黒島伝治の作品を紹介。小豆島で貧しいなかで育つ。プロレタリア作家で44歳でなくなり、短編60と長編1を書き残している。

 

  • 黒島伝治さんは1919年(大正8年)に召集され、1921年(大正10年)にシベリアへ派遣され1921年(大正11年)に病気のため日本にもどり、そのときのことを書いたのがシベリアものといわれる反戦小説である。大正デモクラシーのためか発禁にはならなかったのである。体験から考えると貧しいひとや、戦う意味がどこにあるのかわからないで死んで行く兵隊のことを書くのは自然のことであったとおもわれる。シベリア出兵というのがよくわからない。

 

  • 荒川洋治さんが紹介してくれた作品に『二銭銅貨』『』がある。『二銭銅貨』は、弟が兄の使っていたコマをみつけるのだが上手くまわらない。ヒモだけでも新しいのが欲しいとねだる。母は一尺ばかり短いヒモが二銭安くしてくれるというのでそれを買う。弟は他のより短いというのに気が付き、それを牛の番をしながら、柱にそのヒモをかけてのびるようにと両端をひぱったのである。ところがヒモの一方が手からはずれころんだところを牛につぶされて死んでしまうのである。『紋』は老夫婦が飼っている猫の名前で、よその鶏を食べたりと悪さをするのでしかたなく捨てにいくのであるが帰ってくるのである。そこで帰ってこられないように船主に頼んだ。船主が捨てて帰ろうとしたら紋は船に飛び乗ろうとしたのであるが船主の棒が当たってあっけなく死んでしまう。

 

  • シベリア出兵は日露戦争の後である。日露戦争は1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月までである。作家・木内昇さんは、『坂の上の雲』から司馬遼太郎さんが描いた近代を話された。明治維新などの主人公は欠点もあるが行動する人として力強く書き進めているが、明治30年以降からの作品が少ないとされる。日露戦争は、三人の人物からの三視点でみている。秋山兄弟は士族で明治になって仕事がなくなるが、名を上げたいと思っている。没落士族の多くがそうのぞんでいた。兄は陸軍、弟は海軍、正岡子規は市井のひとである。

 

  • 日本側とロシア側の近代化を司馬さんは冷静に見つめている。戦争をすることによって藩中心であった日本が国家という一つになったが、西洋に追いつけ追い越せとなって進んで行く。司馬さんは戦争体験があるので、のめり込んでいくことに懐疑的である。そこから第二次世界大戦に進み、日露戦争とは違う軍部、関東軍の暴走のカギがわからない、理由がわからないとしている。こちらはもっとわからないのでお手上げである。司馬さんは生前『坂の上の雲』の映像化を許さなかった。慎重であった。読むのがベストであろう。

 

  • 作家・林望さんは中島敦さん『山月記』の全文をプリントしてくれ、一部を朗読された。声がよく通り、文章が気持ちよく頭の中を通過していく。日本には二つの文脈があって、和文脈は源氏物語のように女性的で柔らかく、漢文脈は漢文の影響で男性的で、悲壮感、孤独感、高揚感があるという。漢文脈は声で味わうのがよいということであろう。中国の『人虎伝』をもとにしているのだそうだ。

 

  • 『山月記』は自分の才を信じている主人公・李徴は、境遇に満足できず発狂してしまい、いなくなってしまう。翌年、猿慘というものが勅命で出かけた先で藪に中から人の声がし、その声が李徴であった。そして姿は見ないで話をきいてくれという。姿が虎になって、そのうち心も虎になるであろうから今人である内に自分の想いを告げて置くという。李徴は切々訴え、帰りにはここを通るなと告げる。李徴と別れ後ろを振り返ると一匹の虎が茂みから躍り出た。「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二聲三聲咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入って、再び其の姿を見なかった。」内田百閒さんの『豹』を思い出した。

 

  • 森鴎外さんの『寒山拾得』もプリントにのせてくれた。これは子どもたちにせがまれて書いた児童文学なのだそうであるが、ここにも僧が虎になったような話がでてくる。これは中島敦さんが、6歳の時にでている。中島家は近世以来、代々の儒学の家柄で父は国漢学者であった。幼い頃から漢文の読みに慣れ親しんでいたであろう。林望さんは、高校の教科書にも載っているので、分析しないで『山月記』を先ず耳から味わってほしいということのようである。

 

  • 中島敦さんの年譜から22歳の時、「浅草の踊り子を組織して台湾興行を企てしようとしたという」の箇所を見つけてしまった。中島敦さんも浅草へ行っていたのか。今、駒場の近代文学館では「教科書のなかの文学/教室のそとの文学Ⅱ ー中島敦「山月記」とその時代 」展(~8/25)をやっており、次は「浅草文芸・戻る場所」展(9/1~10/6)なのである。

 

『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (4)

  • 日比谷図書文化館での『大正モダーンズ』展を最終日に観にいった。そのことはまた別のこととするが、図書館のほうに「ジェーン・スーさんと考える 親のこと、わたしのこれからのこと」という講演会の案内があり、そこに、三冊の本が並べられていた。その一冊に北杜夫・斎藤由香・共著の「パパは楽しい躁うつ病」があった。

 

  • 作家・磯崎憲一郎さんは、北杜夫さんの作品が好きで、芥川賞を受賞したとき北杜夫さんの本のことを書いたところ、娘さんの斎藤由香さんから手紙をもらい北杜夫さんの自宅で会うことになった。北杜夫さん、奥さん、斎藤由香さんとで話すことになったのであるが、北杜夫さんは話しの輪に入らないで始終黙っておられる。磯崎さんは、北さんの小説について話をふってみたら、黙っていた北杜夫さんが乗ってこられた。それが2011年2月で、2011年3月に対談を計画したが、東日本大震災で中止となり、2011年11月に再度決まるが、その前に亡くなられてしまう。斎藤由香さんは、父は忘れ去られた作家ですからと言われたがそんなことはない。全国紙の一面のコラムが北杜夫の死にふれていたのは井上ひさし以来で忘れ去られた作家ではないと。

 

  • 北杜夫さんは、子供のころは野っ原で昆虫と遊んでいるのが好きであった。父の斎藤茂吉が怖くて避けていた。斎藤茂吉は医者になれしか言わなかったのだそうである。動物学を勉強したかったが許されず東北大学の医学部に入り、ペンネーム・北杜夫は茂吉の子供であることを隠すためでもあった。北杜夫の自然描写は風通しがよく『谷間にて』は台湾に蝶を取りに行く話であるが、実際に台湾にいく予定が埴谷雄高に空想で書けと言われて中止している。風景描写を人の内面としては描かない。そこが当時の作品としては異質であったとされる。

 

  • 『楡家の人々』は40代になって書く予定だったが、亡くなる人が多く30代で書くこととなった。磯崎さんが、小説家になって『楡家の人々』を読むと、外向きの視線に驚かされたと。青山の病院がすごい建物となって表されていて表現の過剰さ、大げささをあげる。読み手に感情移入させない、近代文学の中では乾いていて(ドライとは違う)個人の内面から離れていて外に向かっているとされる。文学少年ではなかったことがそうした作風を生んだのであろうか。

 

  • 北杜夫さんの行かなかった時の台湾から時代的にもう少し前の台湾について、評論家・川本三郎さんが話された。佐藤春夫、林芙美子、日影丈吉、邱永漢、丸谷才一の台湾関係の作品名などを資料としてプリントしてくれた。台湾の人々が日本に親日的であるだけに、台湾という国の過去も知っておいたほうがいいのではないかということだと思う。

 

  • 日清戦争の勝利によって日本は台湾の統治国となる。それが第二次世界大戦のポツダム宣言まで50年間続くのである。他国に統治されるということは、その国の人々とっては様々なおもいがある。佐藤春夫さんは、台湾を舞台とした幻想的な作品『女誡扇綺譚(じゅかいせんきたん)』。林芙美子さんは、新聞社の主催で台湾にいき、総督の官邸の招きより、庶民の町を歩くことを好んでいる。日影丈吉さんは、戦時中の台湾にいた日本軍人を主人公にしたミステリ。邱永漢(きゅうえいかん)さんは、自伝の『濁水渓(だくすいけい)』、『2・28事件』。丸谷才一さんは日本在住の台湾人が「台湾共和国」という独立国家を夢見る『裏声で歌へ君が代』。時間のながれによる台湾に関係した作品である

 

  • さらに映画として紹介されたのが『悲情城市』(侯孝賢・ホウ・シャオシュン監督)である。第二次世界大戦が終わり、長男を中心とした一つの家族・林家が、外からの侵入により内から崩壊していくのである。この映画では外の力がよくわからないのである。一日一日を生活している者にとって政治がどう動いていてそれがどうやって襲ってくるのかなどわかりようもない。特に戦争のときには。観終ってからどういう事だったのかと台湾の日本統治をへてから中華民国からの国民党による2・28事件にいたるという歴史を知ると、林家が翻弄された経過がわかってくるのである。独立を望んでそれが違う形で抑えられてしまう外からの力である。4男の文青(トニー・レオン)がろうあ者なのであるが、どの言葉も正確にはわからないという象徴でもあるようで、さらに弱者が主張できないままに闇のなかに閉じ込められる恐怖が伝わる。

 

  • 内田百閒さんは怖がりであった。闇も怖がった。それを笑われると君たちは想像力がないから怖くないのだといった。作家で演出家でもある宮沢章夫さんは、悲劇と喜劇の横滑りのようなこととして内田百閒さんの『豹』を紹介した。檻のなかの豹をみてその豹が自分を狙っているとして恐怖をいだきある家に逃げ込み皆に話すが皆笑っていてとりあわない。そして豹がその中にいたという小説である。話しを聞きつつ、着ぐるみの豹がふっと浮かんで苦笑してしまった。そういう話しではないのであろうが。宮沢章夫さんは、横光利一さんの『機械』を一行づつ読むという企画で11年間連載したのだそうだ。読んでいないので想像できない。

 

  • 『機械』『日輪』の二字の題名にあこがれ、図書館に本を返しにいったら図書館がなかったという小説を思いつきその題名を考えた。こちらの頭にぱっと浮かんだ。『返却』。当たり! 別役実さんが面白いという話し。別役さんは喫茶店に一緒にいても話さない人で、ある時「ああ、今日はめずらしく話した。」といったのだそうである。いつもと変わらないのに。あるインタビューで別役さんのことをほめて終わったら別役さんが「いやぁ!」といって離れたところにいた。どうしてそこにいるの。聞いているほうは、何も起こっていないのに可笑しい。

 

  • チェーホフは『桜の園』を喜劇『桜の園』としていて悲劇とはしていないのだそうである。そして桜の園の敷地は千代田区の広さなのだと。ちょっと待って下さいな。そんな広さなら嘆くまえに何とかなったんじゃないのですか。持っていない者のひがみか。それを一緒に悲嘆している観客は喜劇。

 

『日本近代文学館 夏の文学教室』(第55回)から (3) 

  • 国家総動員法にしろ法律の原案を考えるのは各省庁の役人である。官僚は優秀な人がなるのであろうが、頭の悪い国民など簡単にだませるとおもっているのであろうか。改ざんなどどうやら平気のようである。それが曖昧になって映画『まあだだよ』ではないがチーチーパッパ、チーパッパである。優秀でおそらく大蔵省の官僚になったであろう三島由紀夫さんは大蔵省を辞めて作家となった。

 

  • 作家・島田雅彦さんは、三島由紀夫さんの『春の雪』などから三島さんの「文化防衛論」をはなされた。三島さんの描いた世界というものが、あまりにも一般大衆から遊離した世界で、こちらは三島さんの独自の世界という感覚である。島田雅彦さんは、三島さんはある意味のロマンス主義であるといわれる。『春の雪』は小説4部作『豊饒の海』の第1部で一番読みやすいというので読み始めたことがあるが途中で投げ出した。その後映画を観たが、読んでいないのにこれは、原作の感覚とは違うのではと勝手に思ってしまった。

 

  • 宮様と婚約した女性の愛を奪ってしまうのである。主人公にとっては愛もそこに破滅するような世界がなければならないのである。それも破滅しても、いや破滅させるに値する「みやび」がなければならないのである。三島さんにとって肉体は自分の世界に従属させるものであって、それも弱体ではだめなのである。鍛えた肉体でなければ。今回、『春の雪』読めそうな気がして購入したが、読み始めるのはもっと先になりそうで積んである。ナポレオンは文学青年で1パーセントの可能性にかけたのだそうで、三島の決起にもそれがあると島田さんはいわれた。こちらは、老人の三島さんが見たかった。1パーセントの可能性もないのであるが。

 

  • 映画『春の雪』は行定勲監督の作品であるが、行定勲監督の映画で面白いのは『パレード』である。浅草の花やしきの場面があって浅草の映画として観たのである。面白いというのはわかっているようでわかっていない、わかっているのにわからないことでつながっているのかもしれないという世界である。

 

  • 法律に関しては、作家・中島京子さんが、教えてくれた。憲法第24条の草案を考えたのが当時23歳だったベアテ・シロタ・ゴードンさんという女性であったということである。アメリカからあてがわれた憲法であるから改正しなくてはならないというが、それが現代の国民にとってふさわしいものであれば、誰が考えようといいではないかと思う。中島京子さんは伊藤整さんの『女性に関する十二章』と世界の#MeTooを考えての話しであった。セクハラ問題を #MeToo と表現するのは、アメリカの映画界での告発から知った。中島京子さんは、友人が財務省のセクハラ問題は知っているが#MeTooに関しては知らなかったのに驚いたという。

 

  • 伊藤整さんの『女性に関する十二章』(1954年)は60年以上も前のものなので今読むと古いが、憲法の24条に関しては、伊藤整さんにとっても改革であったらしい。9章で、自分だけ犠牲になればよいという情緒はよくないと書いているのだそうで、伊藤整さんは、演歌が好きであるが、情緒で行動するのは危険であるとしているらしい。家父長制を長く経験していた日本人男性がもし考えたらなら、憲法24条など考えられなかったであろう。結婚していようと、子供があろうとなかろうと、家族があろうとなかろうと幸福になってはいけないのであろうか。今の政府が家族、家族というとなぜか何をたくらんでいるのと勘ぐってしまう。クーラーのない部屋での書き込みで頭が沸騰してきているので、涼をとることにする。

 

  • 映画『まあだだよ』(黒澤明監督)は流される予告の映像でばかばかしくおもえて観ていなかった。内田百閒さんもそのため素通りであった。ミュージシャンで作家の町田康さんが、友人が町田康さんを、「まるで内田百閒みたいやな。」といわれ内田百閒を読んで「あっ!これは自分だ。」とおもったのだそうである。町田さんは、喫茶店で友人と向かい合わせに座り、テーブルのうえの、おしぼりとかコーヒーとか自分の前のもろもろを自分のこだわりできちんと並べるのだそうである。それを、前の友人の分までやってしまい「おまえ!何をしてるんや!まるで内田百閒みたいやな。」となったのである。

 

  • 町田さんは、お財布のなかの札もきちんと表で向きも同じなければいやで、コンビニのレジのお金も、銀行のお金も、強盗のようにピストルをつきつけて綺麗にならべかえて、終わったら解放してやりたいくらいなのだそうである。内田百閒さんのこだわりについて話された。そのこだわりは、よそからみると滑稽でもあるが、本人にとっては重要なことなのである。百閒さん(明治22年)は、岡山の造り酒屋で生まれ、わがままは全て聞いて貰える環境で育ったが家は没落し、その処分したお金で学校へ行き、明治44年に夏目漱石さんの弟子となっている。

 

  • お金はないが育ちのせいか、自分のしたいようにするのである。そのため借金もするが、収入支出が百閒さん独自の使い方であるため合わない。借金で免職になったりもしている。お金のない人は人にお金を借りるため頭を下げたりして修養できるが、お金のある人はそれがないから傲慢であるとし、生きているから借りるのであって死んだらちゃらであるから、死んだとき返しますという理屈が百閒さんのなかでは成りたったりもするのだそうである。死んで返しますではないのでお間違いのないように。

 

  • 映画『まあだだよ』は、百閒さんを慕う生徒が開いた『摩阿陀会(まあだかい)』で、かくれんぼ(亡くなられる)にかけて、生徒が「もういいかい」「まあだだよ」「まあだかい」「まあだだよ」によっている。映画は黒澤監督の百閒像である。百閒さんの作品を読むと黒澤監督よりもっと面白い百閒像を自分でつくることができる。百閒さんは、列車の旅が好きである。行先に目的があるわけではない。もちろん目的地に着かなくてはならないが、列車に乗っているのが旅なのである。

 

  • 目下『特別阿房(あほう)列車』『第二阿房列車』と読み進めているが、こだわりとその通りにすすむかどうかのせめぎ合いが愉しいのである。お金のことも出てくる。考えた収支決算のゆくえはいかに。鉄道唱歌の第一集、第二集の付録もおつなものである。

 

  • 百閒さんは、50歳になったときから汽車は一等に乗ろうと決めた。「どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。」という。大阪へ用事のない汽車の旅を思いつき、行きは、一等で帰りは三等と決める。金銭的には二等の往復である。きちんとそこまで考える。ところが、切符が取れなくて行きは一等、帰りは二等となる。帰りは、帰るという用件があるから我慢する。ところが、お金の脚は長すぎてしまう。

 

  • 陸軍士官学校の教官のとき、仙台に出張となる。自分は京都に行きたいとおもう。仙台は初めてなので仙台も行きたくないわけではない。そこで、出張の途中京都に立ち寄ることにした。仙台、東京、京都では立ち寄るとは普通考えない。東京を通ったのでは駄目なので、仙台から常磐線で平へ出て、磐越東線で郡山に出て磐越西線を通って新潟へ行く。新潟から北陸本線を廻って、富山、金沢、敦賀、米原、京都へ行く。遠回りであるが、一日の内に太平洋の平から、日本海岸の新潟へ出てみたかったのと磐越東線という新路線を通りたかったのである。銭金(ぜにかね)は年度末の出張旅費だから心配することはないとしている。現代であれば、公費の無駄使いと炎上である。もしそうなっても、百閒さんは自分なりの決着をしたであろう。それにしても汽車旅名人である。

 

  • 映画『まあだだよ』の中で、先生は可愛がっていた猫のノラがいなくなって意気消沈する。食べ物ものどを通らない。先生の祈るような気持ちをあらわして戦争のガレキの中からノラが出てくる映像なども映される。小学校の門に立ち、ノラの様子を書いたビラもくばる。小学生が「猫なら沢山いるじゃないか。」というと先生は「君は弟がいるかね。」と聴く。「いるよ。」「その弟でなくどこの弟でもいいかね。」「いやだよ。」「おじさんもそれと同じなんだよ。」「わかった。いたら報せるね。」「頼むよ。」 黒澤監督は、戦争で子供と別れてしまった親の気持ちと子供の不安を、先生と猫の関係から描かれているなと感じた。ノラは帰ってこなかった。