程好い打ち水の小三治さん

小三治さんの「青菜」「小言念仏」二席を堪能する。「小言念仏」は小三治さんの十八番との解説もあるがこれは2回目の出会いでそのリズム感は軽快で楽しく笑わせてくれる。枕に陽と陰の話から入り陽を選ばれた訳である。

「青菜」の枕は、今日の暑さは特別なのでその暑さと湿度の関係などをゆったりと話しつつ、暑さに対する工夫などもかたりつつ本題へ。植木屋さんの仕事の話がなかなか含蓄がある。仕事の前日どう仕事をするか考えるが、やはり庭をみてから、松の右を払おうと思ったが、いやその左の木の方を払ってその下の灯篭を少しずらしてとかその場で眺めつつ思案するとの話が師匠の芸の段取りを聞いているような面白さがある。その事を受けて屋敷の主人が植木屋の仕事ぶりを家の者が庭に水を撒くと水溜りが出来たりするがあなたの場合は程よさがあって枝の間から落ちるしずくの間を風が通り涼やかな風となるというよううな事を話し、その庭を眺めつつ呑んでいたお酒を一口にして植木屋に勧める。お互いが庭を通して気持ちの通じたいい場面である。

植木屋がお酒を呑み始めてからが、屋敷の主人と植木屋の生活の違い、植木屋の性格のよさがその呑み方、食べ方などで表現しつつ、主人のゆったりと生活を楽しんでいる様があらわれこちらも暑さを忘れてしまう。

庶民の食卓の食材の青菜が主人と奥さんの隠語から、特別美味な物に変化するところであるが、それを植木屋が自分の家で試したいとして実行する。新鮮な青菜が、次第に当たり前の青菜にもどっていくようで落語的である。屋敷と長屋。このあたりも小三治さんにかかると敷居が高くなくそれでいて植木屋が感心する屋敷風情があり嫌味でないのが心地よい。

主人と奥さんの隠語→主人の「青菜を出しなさい」の奥さんの返答が「鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官」(菜を食べてない。その菜を食らう判官)「じゃ義経にしておきなさい」(よしておきなさい)

植木屋と女房の隠語→女房「鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官義経」植木屋「じゃあ弁慶にしておけ」

噺自体もよく出来ている。

 

「市川崑物語」

岩井俊二・監督・脚本・編集・音楽 「市川崑物語

岩井監督がいかに市川監督を敬愛しているかが伝わり、市川監督の仕事を知る上で大変参考になり、市川監督作品を見る上で多数の視点を貰える映画である。

市川監督は少年時代、チャンバラと絵を画く事が好きで、それが映画のアニメの仕事へと繋がり、さらには実写映画へと移行して行き、和田夏十さんとの二人三脚へと道は続くのである。

その中で、和田夏十さんの脚本ではない例外があるという。映画化されないで宙に浮いている脚本があって、市川監督も夏十さんも映画化されるべき良い本だと考えが一致した。それが水木洋子さんの「おとうと」である。この話は嬉しかった。さらに試写会のあと夏十さんが「ラストがいけないわね。なんであそこに音楽がないの」と。それは市川監督のねらいだった。弟を失った姉の孤独感、それを引き立てるためにドライに仕上げたのである。しかし夏十さんは音楽にこだわった。「やさしい音楽でしめくくるべき」。考え直した。ラストに音楽を加えた。キネマ旬報ベストワン。

岩井監督のこの映画の素敵なところは、写真とか映像を入れながら字幕が効果的に出てくるところで、そこがドキュメンタリーでありながらスッキリしていて新しく市川監督にふさわしい工夫のあるところである。

予想外の面白さ新米銭形平次

映画「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」(東宝 1953年)

原案 野村胡堂・ 脚本 和田夏十・市川崑・ 監督 市川崑・ 音楽 黛敏郎・

銭形平次(大谷友右衛門) お静(杉葉子) 八五郎(伊藤雄之助)

録画して見たらばかばかしいので数年そのままにしていた。処分する前にと思って見たら「青い山脈」の杉葉子さんが時代物に出てきたので珍しいと見続けた。大谷友右衛門さんが出ていたので録画したのであるが歌舞伎の中村雀右衛門さんの印象が強く、それもあり途中で頓挫したのであるが予想外に面白い。

大映で長谷川一夫さんが既にシリーズ化され映画「銭形平次捕物控」を3・4本出されているので、これに対するパロディーかと思ったらそうでは無いようで、江戸時代の新米目明しの実態を現代感覚に直すとこのようなズレが生じそこにおかしみが出現するのでは、といったようなところであり、ドタバタしながらもドタバタだけではなく見ている者に色々な事と比較させて笑わせてしまうのである。とにかく貧しくてどうして目明しになったのかもよく解からない。飴やの仕事を精出したほうが良さそうなくらいである。子供がチャンバラに憧れるように捕り物に取り付かれているようで、小柄な友右衛門平次さんが一生懸命になると八五郎と一緒に応援したくなる。雄之助さんの八五郎も大きな身体を折り曲げて、走り動く平次親分によく着いて行く。

大捕り物も、市川監督がもし正当な時代劇を作るなら「雄呂血」のように撮りたいと思わせるような形だけのリアルでない大捕り物である。このへんも笑えてしまう。美しく楽しい大型娯楽時代劇あった時代にこのアイデアは素晴らしい。さすが「東京オリンピック」で唖然とさせられた監督である。運動部の友人は試合前の選手の気持ちがよく解かると言ったが。わたしは不完全燃焼であった。

銭形平次の映画の台詞の面白さは、市川監督夫人の和田夏十さんの力によるであろう。髪結いでの女たちの会話や平次を挟んでのやりとりなど立て板に水である。さもありなん。

最後、平次がご褒美に貰った衣文にかけた浴衣だけ写して終わるのも、貧しき事は楽しかるべしでさっぱりとした江戸っ子である。走り周ってるのは、どうも京都伏見あたりのようですが・・・・

それと、その後、大映映画 長谷川一夫 三百本記念 「雪之丞変化」は、シナリオ・和田夏十 監督・市川崑 で撮られている。10年後の1963年である。

熱海にて

七夕が近づいて来たが、熱海のMOA美術館で「七夕祭」と題する浮世絵があった。作は奥村政信(江戸時代 享保年間1716~36)とあり記憶に刷り込まれていない絵師である。

絵は中央にお琴を奏でる娘とその上にと牛星と織女星が描かれている。説明には、七夕はと牛星と織女星の天文上の接近に因んだ祭りで同時に稽古事裁縫の上達などを願う年中行事とある。お琴を奏でる娘さんが大きく描かれているので、お琴の上達を願っているのであろう。どんな曲を奏でて願ったのであろうか。

熱海では<湯~遊~バス>を利用した。1日乗り放題(800円)で上手く使うと熱海の名所、旧跡等が無駄に歩かずに周る事が出来、途中の景色もよく、さらにお勧めが車中でボランティアさんの説明である。かつて著明人が好んで移り住んだ所でもあり耳新しい話が聞ける。坂の多い所なので重宝した。ただ一方方向に巡回していてお昼1時間半ほど走らない時間帯があるので要注意である。