2006年舞台 『獅子を飼う―利休と秀吉』

平幹二朗さんが亡くなられました。平さんはテレビで、健康と体力維持もかねて歩いて移動し、途中に銭湯があればよく寄られて汗を流されると話されていたことがあり、それ私もやりたいと思ったことがあります。

平さんの舞台は、『王女メディア』と『獅子を飼うー利休と秀吉』を観ています。蜷川幸雄さんと平幹二朗さんの『王女メディア』は演劇界にセンセーションを巻き起こした舞台です。

1998年5月に < 復活!! 平幹二朗の「王女メディア」! 世界に船出した伝説のギルシャ・アクロポリス公演から15年 > のチラシの言葉に心躍らせて観に行った記憶があります。場所は世田谷パブリックシアターで、これが『王女メディア』なのかと芝居の内容よりも、蜷川さんと平幹二朗さんの『王女メディア』を観れたという既成事実に満足したところがありました。

丁々発止の台詞のやりとりでは、2006年1月の平幹二朗さんと坂東三津五郎さんが共演された『獅子を飼うー利休と秀吉』です。1月21日~26日ですから上演期間が短かったのに驚きます。これは、利休の平さんと秀吉の三津五郎さんのぶつかり合いがすざまじく、利休と秀吉が命をかけて闘い、役者同士のぶつかり合いもあって面白かったのですが、内容が一筋縄ではいかない作品でした。

最初はお互いに楽しんで競い合っていたのが、お互いの関係が微妙になりはじめた頃からの話しとなり、そのすき間がずれてきて、利休の死ということになるのです。

2006年作品は、NHK衛生第2の「山川静夫の新・華麗な招待席」で放送され録画していましたので、今回見直しましたが、お二人の台詞と演技の見事さを、改めてじっくりと鑑賞させてもらいました。

ひょうご舞台芸術第33回公演とありまして、少し込み入りますが、この「ひょうご舞台芸術」というのは、建物を作る前に、実際の舞台芸術を発信しようということで最初に発信したのが、1992年第1回公演で初演の『獅子を飼う』です。建設にとりかかっていた「芸術文化センター」は、1995年の神戸・淡路大震災が起こり文化は後回しといった風潮のなかで、芸術顧問の山﨑正和さんが、兵庫の阪神間は文化的産業で生きてきた街で、ここでもう一度文化を復興させることが大切との考えを広め、2005年12月に「兵庫県立芸術文化センター」が完成します。その第1回公演が2006年1月10日~15日までの『獅子を飼う』で、14年ぶりの再演となり、1月21日から東京公演となったのです。

建物ができあがるまで、「ひょうご舞台芸術」は、舞台芸術を発信しつづけていたのです。

『獅子を飼う』の脚本を書かれたのが山崎正和さん。演出の栗山民也さん、平幹二朗さん、坂東三津五郎さんの初演メンバーでの再演となったのです。初演時は三津五郎さんは八十助時代で、おそらく年齢的にも再演のほうが、役者どうしの駆け引きも深くなっていたと想像しつつ録画を観ていました。

神戸・淡路大震災を通過して『獅子を飼う』という舞台が獅子奮迅して再演に至ったようにもおもえてきます。

秀吉は、帝を聚楽第にお招きし、お茶席をもうけ利休とともに歓待し無事大役も終えますが、同時に成し遂げた達成感よりも焦燥感が大きくなってきています。

小田原の北条氏をまだそのままにしていて、全国制覇をしていません。なぜか北条攻めを残していて、大明国への出兵などに次々と手を染めていきます。利休は、お茶という文化を秀吉のもとで次々と発進し続け、茶に関しては、利休の一言で価値が決まるまでになっています。

利休は、秀吉のたてがみを振るい立たせていた勢いと自分の茶に対する美意識とをぶつかり合わせることに、恐れと快感を味わっていました。自分の中に秀吉という獅子を飼っていて、それがどうあばれ、それをどう静めるかに、自分の命をかけているところがあります。

秀吉は、いくら城を造っても利休の茶よりも価値がないのでは、ということに囚われはじめます。ところが鶴松が生まれ、自分の死後も秀吉の功績が続くことが確信でき、利休の力の必要性もなくなり、最後の仕上げの北条小田原攻めを決めます。小田原攻めも成功しますが、弟の秀長の死とともに、鶴松の死も知らされます。

その少し前に、秀長のはからいによって利休と秀吉は茶室で久しぶりで二人だけで向かいあっていたのです。鶴松の死の知らせのあと、利休の茶道職を辞すという文が届きます。鶴松が死んで、秀吉は再び利休を必要としているのを知っている利休に拒否された秀吉は利休を殺すことを命じます。

戦さが終ればそれに代わる発進は文化であることを秀吉は知っています。ところが、利休の手を借りなければ世の人々にさすが秀吉様といわれることができないのも秀吉は知っているのです。

利休は利休で、茶人はお客様の鏡であって生身の茶人を見せてはならないのに、自分はお上(秀吉)に甘えていたと語ります。茶人としての道をはずれていたのなら、今は勝ちにでます。宗易(利休)は死にません。宗易の茶はお上のすみずみにまで染み込んでいます。お上が茶室に一人座れば宗易は天地の風のように満ちているのですと。

時代の流れ。茶々の存在も意識しつつのねね。利休と秀吉の複雑な関係の間に立つ秀長。利休を快くおもっていない石田三成と津田宗及。利休に囲われている於絹。キリシタンの弥八郎。陶工の新三郎。イスパニア人のドン・ペドロ・ロペス。それぞれが、自分の生き方と生きるための損得を計算する登場人物。それらが交差しあっていますので、そこから利休と秀吉の人間像を浮かび上がらすということも加わり、こうであると決めるのが難しいところです。

秀吉だってぞうり取りから天下をとった男です。それだけに本心がどこにあるかわかりません。秀長は利休に秀吉の素顔を見ようとするなと助言します。しかし利休にとって秀吉は自分の茶に対する素顔をみたくなる獅子であるわけです。自分を獅子のエサとして喰らわされたとしてもぶつかる存在であってほしかったのです。自分の茶を武器にしてしまった利休の自我の強さともいえます。

個人的には小田原攻めがでてくるとアンテナが動きます。北条氏がよくわからなくて、三回目の小田原城で友人とああじゃらこうじゃら話しあって、やっと秀吉の小田原攻めまでの過程が組み立てられました。八王子城の悲惨な最期を知っての影響もあります。秀吉がなぜ北条攻めを決めるまで2年もかけたのかという芝居上の設定も時代性を想起させてくれました。

利休と秀吉の関係は、謎です。それだけにその関係は一筋縄では表せない面白さでもあります。

映画でも『利休』(勅使川原宏監督)、『千利休 本覺坊遺文』(熊井啓監督)、『利休にたずねよ』(田中光敏監督)があり、名作ぞろいです。

平幹二朗さんの利休も、舞台人としての作り上げの緻密さを感じさせてくれました。 (合掌)

作・山崎正和/演出・栗山民也/キャスト・利休(平幹二朗)、秀吉(坂東三津五郎)ねね(平淑恵)豊臣秀長(高橋長英)、於絹(大鳥れい)、ドン・ペドロ・ロペス(立川三貴)、津田宗及(三木敏彦)、石田三成(石田圭祐)、弥八郎(渕野俊太)、新三郎(檀臣幸)、(篠原正志、坂東八大、坂東大和、松川真也、大窪晶)

見えない子供の貧困

日本で貧困のために食事を満足に食べれていない子供さんたちがいるという情報を目にしたり聞いたりしていましたが、それに関する話をきちんと聞く機会をえました。

「NPO法人 フードバンク山梨」の理事長の米山けい子さんのお話です。映像を見せていただきつつの適格で実際に行動されているかたの判りやすい説明、米山さんの静かでありながら理解しやすい話術に好感がもて、内実がよくわかり聞いてよかったと友人と同じ感想をもちました。

厚生労働省の発表によると、日本の子どもの貧困率は16.3%で6人に1人が「相対的貧困」状態ということです。日本でこの位なら生活できるであろうという所得にみたないということです。親としては自分の子どもがいじめられたりしないようにとほかの子どもたちと同じようにと頑張りますが、病気や失職などでギリギリの生活となり、そこで削っていくのが食費ということになります。

ひとり親の家庭の「相対的貧困率」は50.8%と高く、いちばん低いデンマークで9.3%ですから、ひとり親の金銭的、精神的負担は大変なものです。ひとり親ということで、その負担を子どもにかけたくないという気持ちがはたらき、そんな親の気持ちを察して子ども我慢して気持ちを外には出さないため、その実態を見えづらくしているのです。

SOSを受け取った地域のフードバンクはそうした人々の支援をします。その一つであるフードバンク山梨の活動を聞かせてもらったのです。<フードバンク>という活動さえしりませんでした。

フードバンク山梨ではその活動の一つとして、市民、企業、行政と連携して食料を支援しているのです。その家庭構成にあった食料品を宅配で送り届けます。アメリカでは50年前からこうした運動があり、視察などもして、アメリカのやりかたも学ばれたようです。たとえば、アメリカでは、学校で、お菓子など食料の入ったリュックサックを子どもに渡したりします。これは日本ではいじめの対象となり同じ方法はできません。

そこでフードバンク山梨で考えておこなっている方法が宅配便で届けます。たとえばスタッフが届けると、近所にも好奇の目でみられたり、送り主にも気を使います。そういう負担のない方法を考えられたようです。荷物の中にスタッフからの手紙が入っています。

この宅配を送られた家庭の子供たちは「宝物が届いた」と大喜びです。ある家庭では、皆で分け合い夕食でお腹がいっぱいにならない子が、働いているお母さんの分を食べようとして上の子に「残しておかないとお母さんの分なくなるでしょ。」と怒られるような状態なのですから、宅配の段ボールを開けた時の喜びの声は、歓声そのものです。

入っているお米と調味料をみて、今夜はカレーだねとか、おやつの袋に、一人二袋だけと調整する声が飛びます。しっかりおやつを握った手。そんな状況の反面、日本で毎日捨てられしまう食料の量のなんと膨大なことでしょう。

フードバンク山梨では、寄付金とともに、食糧品の個人の寄贈。そして箱が壊れたり、包装が破れたり、印字が薄くなったりして安全に食べられるが販売できない食品を企業から寄贈してもらい、それを必要としている家庭や施設などに届けているのです。

その食品の仕分けや荷造りなどは、ボランティアのかたが担当しています。高校生の学生さんなども協力されています。

どうしても内に内にとこもってしまい、困窮してどうしていいのかわからない状態の家庭がどこかとつながっているという意識を持ち、これから先も自分たちの力でやっていけるかもしれないという灯りとなっているように思えます。

米山けい子さんは一人で始められ、生活保護以外しか支援の道がなかった、生活に困っている方々の支援を「食のセーフティネット事業」とし、山梨モデルとしても注目され、報道関係でも紹介されるようになりました。

見えない貧困ということが次第に問題視されてきていますが、貧富の差がどんどん大きくなってきて、子どもたちが食べるものまで食べれない状態が日本にあるのです。震災や災害なども含めこんな時代がくるとは思っていませんでした。

立ち上がろうとする気持ちを大切にした支援。それが、日本にとっては大切な支援の仕方の一つのように思えます。学ばせてもらいました。知らないことが沢山あります。

親の貧しさが子の世代にまでつながってしまい、そこから抜け出せないという社会構造にはなって欲しくないものです。

 

 

伝統歌舞伎保存会 研修発表会 (第18回)

伝統歌舞伎保存会では、歌舞伎俳優や歌舞伎関係の音楽演奏家の養成をおこなっており、そこで研修を受けた役者さんや演奏者の発表会が国立劇場でありました。

国立劇場では、全く歌舞伎を知らない人でも志望者を募集していて、そこで研修を受けることができます。また歌舞伎役者を師匠として入門しているひとも既成者研修を受けることができ、それらの経験者の発表会ということで、実際の公演舞台ではなかなか演じられることのない大きな役を演じることとなります。

今回は、10月国立劇場で公演されている『仮名手本忠臣蔵』の二段目「桃井館 力弥使者の場、松切りの場」三段目「足利館 松の間刃傷の場」を発表されたのです。

これが皆さん堂々と演じられ、緊張していて、ためておけないでテンポが速くなったり、衣装が上手く自分の動きにそってくれなくて、姿に見苦しさがでたりするのではと思ったのですが、そんなこともなく芝居の中に素直に入れました。

二段目などは、今月初めて観ましたから、今回で二回目ということとなり、三段目も台詞などを聞き逃していたり記憶からおちた部分などがよみがえり、観ている方も勉強になりました。若狭之助が、高師直に怒りをぶつけて去る場面で「ばかめ」の記憶が残っていて、河内山じゃないんだからそれだけではないなと思っていたのですが「ばかな侍めが」でした。と書きつつ「が」があったかなかったのか怪しいのですが。メモすればいいのでしょうが、いやなのです。正確ではなくても自分の中の空気は乱したくないので、そのうち図書館あたりで調べることにしましょう。

加古川本蔵や高師直などは、芝居の内容から顔の作りが老人になりますから、どうしても役者さんの若さが浮かんでしまいますが、役者さんたちはそんなことは意に介せず役になりきられていましたので、こちらもそれにのりました。

塩冶判官の着物の色が薄い鼠系というか水色系といおうか素敵な色でした。判官の役者さんとの映りもよくて、この色を選ばれたのは良かったとおもいます。もう少し濃い色が多いですが、判官と師直の関係と役者さんの関係からすると腹の深さが衣装の色に負けるということもありますので、そのあたりも検討してえらばれたのかどうか興味のあるところです。

戸無瀬と若い小浪、力弥との風格の差もはっきりし、若狭之助と本蔵の主従関係と松を切る意味合いも伝わり、刃傷沙汰に至る判官と師直の場面も細かく展開し、鷺坂伴内も道化役としての役目をはたしていました。

判官が刃傷に至り大名たちがそれを止めるため集まりますが、その時の長袴の動きがドタバタした感じがありそこだけ一つ気になりました。あれはリズムがあるのでしょう。咄嗟の出来事ではありますが、リアルさよりも美しさが大切とおもうのですが。そのくらいですね。観ている者の気持ちを乱されたのは。出の少ないほど芝居を乱すことがありますからこれが芝居の怖さであり、脇役の熟練度の重要性なのです。

研修生の皆さんの発表の場が増え、その力の認知度が高くなることを望んでおります。

二段目/桃井若狭之助(中村東三郎)本蔵妻戸無瀬(中村京紫)本蔵娘小浪(中村蝶次)大星力弥(大谷桂太郎)近習(中村蝶一郎)近習(坂東八重之)本蔵家来(片岡りき彌)本蔵家来(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)

三段目/塩冶判官(市川蔦之助)桃井若狭之助(松本錦次)鷺坂伴内(中村かなめ)大名中村富二朗)大名(片岡千藏)大名(中村蝶一郎)大名(坂東八重之)大名(片岡りき彌)大名(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)高師直(中村梅蔵)

竹本 浄瑠璃(竹本豊太夫)三味線(鶴澤翔也)/浄瑠璃(竹本六太夫)三味線(鶴澤公彦)/浄瑠璃(竹本東太夫)三味線(鶴澤公彦)

<お楽しみ座談会>

中村梅玉、市川左團次、市川團蔵、中村錦之助、市村萬次郎、市村橘太郎、中村米吉、中村隼人 / 司会・葛西聖司

歌舞伎のあとに、今回の指導をされた歌舞伎役者さんたちの座談会がありました。

司会の葛西さんが、仮名手本忠臣蔵を中心に、梅玉さん、左團次さん、團蔵さん、錦之助さん、萬次郎さん、橘太郎さんそれぞれが、どんな役をされてきたかを聞かれたのですが、芸歴が長いだけに皆さん様々な役をされていて、さらに、このときはどこの劇場でだれがこの役とこの役をされていたということも頭にしっかり入られていました。忠臣蔵は誰でもが全部の役の台詞が入っていなければならないのが基本だったそうで台本など渡されなかったというのです。恐ろしき世界です。

このかたから教えられたとか、他の子弟には教えるけれども自分の子弟には教えないので観て盗んだというような話があって、話しが進むにつれて次第に皆さんサイボーグにみえてきました。カチャ、カチッと受け取った芸が、技能の精度をたかめて身体にはめ込まれていく感じなんです。そうまさしくサイボーグです。

これは録音でもしておかなければ正確には伝えられない芸の歴史のながれです。

そのなかでお一人いつのまにかサイボーグの装着をどこかへ隠してしまう方がいらっしゃいましたがどなたかはお判りとおもいます。

若い米吉さんと隼人さんは、お客さまよりもこのサイボーグ軍団に緊張されたことでしょう。隼人さんの力弥は、田之助さんから教えを受け、米吉さんの小浪は魁春さんから教えを受け、さらに指導の側にもまわられたわけですから、この体験がより多くの事を感じるきっかけとなることでしょう。

一つ一つ人を通して積み重ねられてきた様子がわかり、観る側も大変興味深く聞かせてもらいました。

研修発表会は二回目ですが、なかなか楽しいです。

余談ですが、バレエのオーケストラの場合、指揮者によっては、あくまでも音楽優先で踊り手など無視で自分の音楽の世界観で指揮をする方もいて、踊り手が苦労することもあるそうです。その点歌舞伎は役者さんに合わせますから、歌舞伎の演奏者の腕は自由自在といえます。ツケ打ちの方もそうですね。芝居とともに音も作り上げていくというシステムがあってのことでしょう。

 

歌舞伎座十月 成駒屋襲名披露公演

中村橋之助さんが中村芝翫を、中村国生さんが橋之助を、宗生さんが福之助を、宜生さんが歌之助を襲名されての公演です。

新橋演舞場の『十月花形歌舞伎GOEMON石川五右衛門』の盛況さをみて、歌舞伎の世襲制と芸の継承、新しいお客の集客と、これからどのようにより高い歌舞伎の芸の伝達につながっていくのか課題は多いとおもえました。すでにそのことを察知されている若い世代に任せるしかありませんが。

さて八代目新芝翫さんの誕生ですが、芸の継承ということでは、芝翫型の『熊谷陣屋』です。チラシから熊谷の顔の化粧の赤が強く、金と朱の衣装でいつもと違うなといぶかしくおもっていましたが、観るのがはじめての芝翫型でした。花道の出から違和感をおぼえ、芝居が進むにつれて、流れにのっていけました。細かく違いを指摘できませんが雰囲気が違っていました。舞台の敦盛の影をみる障子の部屋の作りも違います。

團十郎型を見慣れていて、それも熟練の役者さんと若手の役者さんでは芝居の雰囲気が違うので、その型が違うとまたまた観るものにもハードルが上がってしまいます。

ただ、今回の襲名での芸の継承から考えると芝翫型を新芝翫さんがこれからこれを伝えるぞという具体的な心意気の伝わる演目であったとおもいます。

最終的には、見慣れていないということを差し引いても、熊谷の花道での引っ込みがないだけに熊谷の悲哀の印象が違いますが、芝翫型は芝翫型で戦の虚しさをあらわしていました。とまどいはしましたが、新芝翫としての強い意志は通された熊谷でした。

できれば藤の方の菊之助さんと『幡隨長兵衛』の女房お時の雀右衛門さんとを入れ替えてほしかったです。これから芝翫型がどれだけ公演されるかわわかりませんが、吉右衛門さんの義経、魁春さんの相模、歌六さんの弥陀六に、雀右衛門さんの藤の方で重厚さを固め、『番隨長兵衛』では、前半が芝翫さんの色気がおもっていたほど出なかったので、菊之助さんで色をそえてほしかったとおもったのです。

『幡隨長兵衛』の劇中劇は、七之助さん、亀三郎さん、児太郎さんらでそのまま続けてくれていいですよといいたいほどの面白さでしいた。芝翫さんは、色気ある河内山から期待していたのですが一般的で、後半は心意気をあらわして本領発揮というところでしょうか。水野側が菊五郎さんに東蔵さん。橋之助さん、福之助さん、歌之助さんが子分で親子4人の共演。

3兄弟は、『初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからふね)』の長唄舞踊で明るく勤めます。来月は親子4人での『連獅子』ですから今月は序盤戦といったところでしょう。来月の最後には3兄弟の『芝翫奴』がありますから、身体がどれだけできあがるか、短期間の挑戦はつづきます。

『女暫』は若手で、思いのほか台詞がはっきりしていて、それぞれの役どころがよく判りました。七之助さんの巴御前も寸法があっていて、松緑さんの愛嬌も活きました。玉三郎さんの巴御前の時のような緊張感がなく少し物足りなさもありますが、皆さん伸び伸びと演じられていていましたので気持ちよかったです。さらにここで先輩たちからご意見を頂ければよりみがきがかかるのではないでしょうか。お化粧が濃いので、声で役者さんを当てるのが楽しかったです。発声がよくなっていて、これが、年数とともにそれぞれの味がでてくるでしょうから楽しみです。

『浮塒鷗(うきねのともどり)』を観るのははじめてです。舞台に久方ぶりに三囲神社の鳥居がみえました。お染(児太郎)と久松(松也)の心中しようかどうしようかという踊りがあり、そこへ通りかかった女の猿曳き(菊之助)が、ちまたの噂で聞いていたのでしょう、二人がお染と久松であることに気づき、歌祭文で意見して心中などさせないようにしむけるのですが、やはりお染と久松は心中の道を選ぶという踊りで、猿曳きの女の踊りを期待していたのですが、面白いふりもなく残念ながらよく判りませんでした。

『外郎売(ういろううり)』は久方振りで、曽我兄弟ものです。曽我兄弟物の登場人物にも慣れ親しんできたので、だれがどの役か楽しみになっています。ういろうはお菓子と薬があって、東海道を歩いた時、お城にかたどった建物がありそこがういろうのお店と判ったのですが先を急ぎ寄りませんでした。小田原城の改修も終わり友人を伴い再度小田原へいきういろう屋さんへもよりました。お店に歌舞伎役者の團十郎さんが外郎売りに扮してくれて有名になったと書かれてありました。お薬のほうで、五郎が外郎売りとなってその故事来歴、効能などを早口で披露するのです。今回は松緑さんが五郎で、以前聞いたときはもっと長かったようにおもいましたが思いのほかさらさらと短く感じました。

人気物の曽我兄弟の五郎を外郎売りに仕立てるとは、二代目團十郎さんのアイデアも大したものでそのお店が残っているというのも凄いことです。

『藤娘』は、玉三郎さんの一人での舞踊はこれまたお久しぶりで、今回はかなりお酒に酔われた藤娘でした。これは酔い過ぎてて危ない。番犬になって遠回りで守らなくてはなどと、べらぼうなことを考えてしまいました。舞台の松の幹も細く、藤も少なめで、そのかわり衣裳が藤いっぱいで、片身変わりの色違いで、襟がまたその反対という使い方をしてました。片身変わりを色違いで二種類変えられしごきもされていて、いつもとは違う衣装だったようにおもいます。藤の精でした。

口上で印象的だったのは、どなたであったでしょうか「これだけ成駒屋さんがそろえば、福助さんも必ずや舞台に復帰されることと思います」と言われていて、本当にそうであってほしいとおもいました。それまで今まで同様児太郎さんも、橋之助さん、福之助さん、歌之助さんたちと競ってともにさらに精進されることでしょう。

今回は手短で役者さんたちのお名前も省略気味ですがこれにて。

 

映画『バレエ・カンパニー』ドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』

映画『リトル・ダンサー』に触発され手にしたのが『バレエ・カンパニー』です。この作品の映画監督がロバート・アルトマンで、そういえば見たいと思っているうちに終わってしまったアルトマン監督のドキュメンタリーがあったなとおもいだしました。それが『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』です。

映画のチラシを探していましたら『リトル・ダンサー』のチラシが出てきて、< 世界のトップダンサー、アダム・クーパーが特別出演しているのも見逃せない!! >とあり、やはりアダム・クーパーであったかと、たしか?と思っていた疑問符も消すことができました。いまとなっては、あれはアダム・クーパー以外考えられないショットです。

『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルドリー監督を調べたら、『めぐりあう時間たち』『愛を読む人』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の監督でもありましたが、見ていながら記憶のなかではつながっていませんでした。

ロバート・アルトマン監督のほうにいきます。『リトル・ダンサー』からバレエの映像が見たいと思って手にした『バレエ・カンパニー』ですが、これがバレエのドキュメンタリー映画を見ているようなダンスのシーンがたっぷりで、主人公がいるのですが、その物語の部分はバレエシーンの間にほどよく配置されていて、そのほど良さがアルトマン監督の上手さであるとおもいます。

主人公の恋愛、所属バレー団の運営、練習場面、バレリーナの怪我などの話しが流れているのですが、その流れがバレエシーンの流れを邪魔せず、その華麗なおどりはバレエ映像を見たいと思っていた者を満足させてくれました。

バレエ・カンパニー「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」のトップ・ダンサーたちとアルトマン監督とのコラボレーションが見事で、こちらもチラシがあり、主役のライは女優・ネーヴ・キャンベルさんで代役なしとのことで、見ていてダンスシーンが違和感がなかったので納得できました。キャンベルさんはナショナル・バレエ・オブ・カナダ出身で、自らの経験から企画・制作・主演をされていたのです。

アルトマン監督流のエスプリもあって、それでいてリアリティたっぷりの稽古風景などはドキュメント感にみなぎっています。

20世紀最高の振り付け家・モーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画『ベジャール・バレエ・リュミエール』も見たのですが、こちらは、振り付け家ベジャールの発想がどう踊り手にのり移っていくかという視点なので、作り上げていく過程が興味深いところですが、ダンスを楽しむというよりも、その試行錯誤と苦慮をたどるというかたちで、アルトマン監督のその重さを軽くしていかにその技術も伝えるかという映画としてみせたのは、映画とドキュメンタリー映画の狭間に開化させた映像の面白さでした。

ベジャールさん関係では死後、その意志を継ぐモーリス・ベジャール・バレエ団のドキュメンタリー映画『ベジャール、そしてバレエはつづく』もありました。

アルトマン監督をえがいたドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』はどうなのか。ジェットコースターに乗っているような一生ともいえます。映画のことなど全然知らないのに映画界に潜り込み、独力で映画技術を勉強し、映してはいけないと言われる映像を映してクビとなり、『M★A★S★H』が大ヒットとなりそれから快進撃ですが、また谷底へ。『ザ・プレイヤー』『ショート・カット』『プレタポルテ』で再び走りだします。このあたりは評判になっていましたので見ましたがよくわかりませんでした。見直しますが。

『プレタポルテ』などは、スターの総出演で、スター登場、字幕、ストーリー、ファッション界の内幕と追っているうちにラストへ、ラストの落ちには笑えました。

今回見ていない『Dr・Tと女たち~スペシャル・エディション~』と『クッキー フォーチュン』を見て、ゆったりと善良な人々の生活がながれ、次第に状況がかわり竜巻にまきこまれたり、自分が仕組んだ芝居にはまって殺人犯になったりと、自然とことが運んでいくながれにどこで歯止めをすればよかったのかがわからないのですが、最後は少し違う位置の倖せの場所にいるという展開がくりひろげられます。

アルトマン監督最後の映画『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は遺作ということで映画館でみましたが、どうしても外国のことになると時代背景がぼんやりで身にそはないのがもどかしいのですが、ラストになにがくるのかというアルトマン監督の楽しみは、最後の映画ということもあってか<死>が暗示されていました。

アルトマン監督のドキュメンタリー映画をみて、アルトマン監督の映画をみることがアルトマン監督のドキュメンタリーをみることなのだと想えました。さすが監督落ちをつけてくれました。

これを機に見直したり新たに見たアルトマン監督の映画

『マッシュ』『ギャンブラー』『ロング・グッドバイ』『ナッシュビル』『クインテット』『ウェディング』『ゴッホ』『ザ・プレイヤー』『ショート・カッツ』『プレタポルテ』『相続人』『クッキー・フォーチュン』『Dr・Tと女たち』『ゴースフォード・パーク』『バレエ・カンパニー』『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(2)

加古川本蔵が師直に進物の贈賄をするのは、師直が足利館へ登城する門前で、師直は駕籠のなかで、家来の鷺坂伴内(さぎさかばんない)が応対します。鷺坂伴内は芝居の緊張をゆるめる道化役でもあります。

足利館の門前ではもうひとつ若い一組の男女、勘平とお軽の悲劇の幕開けともなる場所です。お軽は顔世御前から判官を通じて師直に渡るようにと文をあずかり、勘平に渡します。この文は顔世御前が師直を拒絶する内容で、このことから師直の判官にたいするいじめは増幅します。

そのあとお軽は勤務中の勘平を誘い、勘平もお軽に引きづられるように逢瀬の時をもってしまいます。このへんが力弥と小浪とは違う、もうすこし情欲を含む男女の関係となります。この二組の男女の行く末は芝居の経過のなかでみていくことができます。鷺坂伴内も再度登場します。足利館のなかでは刃傷がおこり門は閉められ、勘平とお軽は門外に締め出された形となってしまうのです。

判官は自分の館に蟄居(ちっきょ)の身となり、顔世御前は夫を慰めるため様々な種類の桜を集めますが、そこへ上使がきて、判官は切腹、お家断絶、城明け渡しがつたえられます。

判官は切腹を前に国家老の由良之助を待ち、幾度となく力弥に由良之助はまだかとたずねます。力弥は未だ参上つかまつりませんと答えますが、本当に力弥は自分自身の最後を見苦しくなく終えるまで若くして重圧を担っていたのがわかります。

由良之助を待てずに判官は切腹となりますが遅かりし由良之助もやっと判官の死の間際に駆けつけ、判官の仇をとってくれとの遺言を受けとることができます。静かにおごそかに判官を見送るゆかりの人々。

顔世御前の秀太郎さんは、兜改めから、夫の判官を見送るまで、動揺を内に秘めどのようなことが起きようとも判官の妻としての威厳をもって立ち振る舞う気丈さをみせます。

勘平の扇雀さんは真面目でありながら、お軽の誘いにふっとのってしまう気のゆるみと動揺を台詞まわしが妙味で、お軽の高麗蔵さんも身体の動きで恋心を匂わせます。このあたりが小浪の米吉さんの可愛らしさとは違う色香で面白いところです。

鷺坂伴内の橘太郎さんの道化役は軽快で、少し疲れてきている観客をなごませ、師直の狡猾さの代役を笑いで引き受けてくれます。

判官の梅玉さんは、襖が開き上使の前に進み出る時の足の動きの間が覚悟している人の動きで、坐したときなは上使に対する態度も大序でのおおらかさにもどり、由良之助に自分の想いを伝えるときは悲壮感と悔しさがあり、それを受ける由良之助さんの幸四郎さんは大きさと同時に実務家の雰囲気がありました。

死の直前の判官の顔もまじかに見、父を待っていた心も知っている力弥の隼人さんは、父のもとでただ自分は言われた通りに動くのみと静かに別れの支度にかかるのが印象的です。

上使役は、塩冶家に好意的な左團次さん(師直との二役)とお上の言いつけ通りにことを運び塩冶家の人々の気持ちを混乱させる彦三郎さん。

まずは、主人の塩冶判官との最後の別れを終えて、これからが由良之助の大仕事の序盤戦です。どういう方向で残された者たちをまとめていくか。判官の遺言は受けているので由良之助の気持ちは決まっています。それを信頼できるものたちにどう伝えていくのか。

主人の死、城明け渡しなど家来にとっては承服しかねる状況です。そこで由良之助が持ち出したのが塩冶家の資産を公平に分配するということです。ここで籠城して主人の後を追ったのでは判官の意志を受け継ぐことができません。しかし一時的な感情で同志を引っ張ることはできません。落ち着けば先行きの生活のこともおもいいたります。この過程を公開してくれるのが家老の斧九太夫(おのくだゆう)です。見事に、お金によって本心をあらわす一人の人間を浮かびあがらせ当然道は別れることをしめします。

ついに由良之助は本心を打ち明けます。由良之助にとってもこれからこのおのおのの人々をまとめていけるかはわかりません。しかし、判官の一念を受けた以上やるしかありません。

様々な想いの交差する自分を隠し血気はやる若い人々を由良之助の真意を知る人々によってしずめさせ、すでに手腕の知略は働きはじめています。

城の外でひとり主人に対する情感の想いを解き放し、改めて自分の中に判官の気を入れ込みます。そして迷うことなく花道をさっていきます。

仇討に賛同する人々が花道にさがり由良之助と心を一つにするところも圧巻です。この辺の展開も由良之助の幸四郎さんの感情だけではなく実務家としての一端がうかがえます。もう実践は始まっているのです。押さえて鎮めて、それぞれの内に家族にも話さない約束事をおさめるのです。

そして、判官の形見の切腹刀についた血を口にするとき、判官の想いがすべて幸四郎さんの中におさめられます。それは、由良之助と同時に役者幸四郎さんの中に由良之助がおさまったことでもあります。幸四郎さんの由良之助は、感情を外に出す場面がところどころにあり、最初から出来上がった腹のある由良之助というより、やっと判官の死に間に合って、判官の本心を明かされ、それを待ったなしで采配する人物に変っていく過程をも観客には垣間見せ、家来たちには大きくみせる由良之助でありました。

由良之助を信頼する人々にも役の位の違いの落ち着き、はやる気持ちを抑える切れのある動きがあり、斧九太夫の錦吾さんにはそちらとは違うという色をだされていました。

さてさて、これらの登場人物は次の登場ではどんな人生がまちうけているのでしょうか。

秀調、桂三、宗之助、竹松、男寅、橘三郎、桂三、由次郎、友右衛門等一同

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(1)

10月、11月、12月と三カ月連続通し上演です。これもまた国立劇場開場50年記念企画公演ということでしょう。

10月は大序の兜改めから四段目城明け渡しまでとなります。二段目の「桃井館力弥使者の場」「桃井館松切りの場」は省かれることが多いので、今回この場があることによって、由良之助と加古川本蔵の関係がよくわかり、ここがわかれば、八段目の「道行旅路の嫁入り」九段目「山科閑居の場」など単独で上演されてもつながりがわかり、頭の中もすっきりとして観劇できるとおもいます。

大序の幕開け前に人形による配役の紹介があり幕が開いてゆっくり役者さんたちが動きます。人形浄瑠璃での初上演が数ヶ月早いのでそれに敬意を表してという風にもとれますが、実際のところはわかりません。今でいえば、アニメの実写化決定という触れ込みで、早くも歌舞伎に登場「仮名手本忠臣蔵」と呼び込みをしたのかもしれません。

大序は、江戸時代に起こったことは時代をずらさなくてはなりませんから鶴ケ岡八幡宮前で始まります。戦死した新田義貞の兜改めをしています。義貞の兜を知っているのが切腹することになる塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前です。いじめの師直(もろなお)は、この顔世に懸想していますが上手くいきません。それをじゃまするのが桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)で、この若狭之助は師直が嫌いなのです。

師直も最初はこの若狭之助をいじめます。ところが若狭之助の家来の加古川本蔵が主人の性格と師直の性格をよくつかんでいて、主人が師直を斬ると打ち明けられるととめてもむだとしって了解し、その代り師直に賄賂を使います。師直は喜んで態度を変え、若狭之助にはおべんちゃらを言い、こんどは顔世御前にもふられたため塩冶判官をいじめの対象とします。そこで癇癪を押し殺せなかった判官は刃傷となり、それをとめるのが加古川本蔵なのです。

この時から本蔵は塩冶側からうらまれる立場となるのです。

そのながれの間に、由良之助の息子・力弥が桃井家の屋敷に使いにきます。力弥と本蔵の娘・小浪は許婚なのです。このふたりの初々しい顔合わせと、三段目のおかると勘平の逢引との違いなどとも比較できる幼さない恋心の見せ場です。

兜改めのあと、これから何が起こるかなど露知らず、自分の立場をのみ貫く足利直義の松江さんゆっくり花道をさります。

さて、高師直の女好きで、あからさまないじめ、賄賂で手のひらを反す変貌ぶりを左團次さんが余すところなく演じられ、枯れた声にときより丸みをもった発声があり、人をばかにしているようでいっそうそのにくにくしさが増しました。

最初観た人は判官と間違えてしまうほどいやがらせを受ける若狭之助の錦之助さん。怒り心頭で家来の本蔵に打ち明け、よしと覚悟しますが、師直の豹変ぶりに当惑するも嫌いなものは嫌いとその一徹さを通されます。

力弥が使者に来ると、娘に自分のかわりに使者の言伝えをきくようにと二人だけで合わせるよう取り計らう母の戸名瀬の萬次郎さん。嬉しいのであるがどうしたら良いのかわからない小浪の米吉さん。使者としての務めをいかにきちんとできるかしか頭のなかにないような力弥の隼人さん。なかなかない場面なので、若い役者さんとしても貴重な経験です。

特に力弥の役は、二段目があることによって「力弥は見ていた」ではないですが、重要な場面に出てくるのです。一番若いので摺り足でさがることも多く、役としても役者としても粗相のないように美しい立ち居振る舞いが要求されます。

潔癖な主人の若狭之助のために策をねり主人の気を晴らさせ、即自分は次の行動にでる本蔵の団蔵さん。まさか判官の刃傷となるなど思いもよらず主人のために手をよごしたのです。

最初は何事もなくおおらかに振る舞っている塩冶判官の梅玉さん。このおおらかさが、突然師直のいじめが矛先を変え自分集中することによって度を失い、何度か思いとどまりますが、踏み止まることができませんでした。

二段目があることによって観るほうは、その心の内を説明なしで受け止められ、役者さんもここはこの気持ちでと貯めてその場に出るという空白の部分が埋まっているので自然な流れになっていてわかりやすかったです。

 

劇団民藝公演『篦棒(べらぼう)』

<篦棒>(べらぼう)と読み、はじめて見る漢字で眺めていてもすご~く難しい題名です。1980年代からの現在までの経済のながれも関係しているらしく多少気を重くして観にいったのです。

役者さんの一人が「べらぼう!」と発して気がつきました。その<箆棒>だったのかとあっけにとられました。

辞書によりますと次のようありました。 ①ばかげたさま ②はなはだしいさま 例文「べらぼうに寒い」

「べらぼうめ!」です。

「べらぼう!」の台詞を発した舞台の人物はフレチレストランを始め、それを大きく大きく飲食店グループにまでするのですが、お金の問題、家族の亀裂などがありそれも乗り越え、そこに待っていたものはといった流れですが、きちんとそれを取り巻く社会状況の動きも分かるようになっています。

「べらぼう!」の奥さんの大友凛さんが、夫である大友信勝さんとの出会いから語りはじめます。そして、大友家の応接間兼居間のリビングルームだけの場所で、大友家の人間関係から経済の流れから震災も含めてどう人々が生きてきたのかがわかるようになっています。

大きな動きが実は小さな場所で渦巻いていたのです。そして当然それは大きな渦へとつながっているのです。中津留章仁さん作、演出の『箆棒』は気が重くなるどころか、次はどうなるのかとその展開に舞台上の人々と同じように驚きとこの家族はどうなるのであろうかと好奇心いっぱいで引きつけられていました。

家族だけではなく、事業をし経営するということはどいうことなのか。震災に対し企業や東京に住む人々は本当に真摯に向き合っていたのか、消費するということに思考は必要ないのかというような疑問符がピッピッと弾けていきます。

ごく日常的な会話のなかで、それらが垣間見えてくるのです。ではそのことについて討論しましょうではなく、こういう問題は日常の当たり前の場所でも派生しているのだということが披露されています。

こういう考えの人いますいます。役者さんたちの技量もそなわり、日常のあちこちにいる普通の人々が会話しているように抵抗なく受け入れられ、芝居の流れの思いがけない展開が、芝居に弾みを加えてくれます。

現代を時間差なく展開する中津留章仁さんの作品と劇団民藝の役者さん、特に樫山文枝さんの役をさらに役者を浮き彫りにするかたちとなりました。夫の信勝に意見できるのは妻である凛がもっともふさわしく、その静かながらあきらめの中からうまれた自信に充ちた立ち居振る舞いの樫山さんにその力がありました。

2時間55分。約3時間。全然長いと思いませんでした。

日本の自殺者の数が世界で上位にあるということは悲しいことです。べらぼうめ!

作・演出・中津留章仁/出演者・樫山文枝、西川明、齋藤尊史、飯野遠、みやざこ夏穂、神保有輝美、河野しずか、桜井明美、境賢一、小杉勇二、白石珠江、山梨光國、松田史朗、竹内照夫、山本哲也、吉田陽子、吉田正朗、竹本瞳子

紀伊國屋サザンシアター 9月28日~10月9日(日)

書いていない『二人だけの芝居 クレアとフェリース』『炭鉱の絵描きたち』についても少し。

『二人だけの芝居 クレアとクレアとフェリース』は奈良岡朋子さんと岡本健一さんの題名のごとき二人芝居でした。女優である姉のクレアと劇団を率いる作家でもあり俳優でもある弟のフェリースが、劇団員には逃げられ、劇場に閉じ込められてしまいます。とにかく二人だけでも芝居をしようと練習をはじめるのですが、クレアがなんだかんだと文句を言い始め、幼い頃の話しなどをもちだします。

フェリースは姉に翻弄されないように姉に合わせ、何とか芝居の練習に集中させようとします。その経過のなかで、この二人には、芝居の台詞の中にしか二人をつなぐ言葉がないように思えてきました。もう芝居などやりたくはない文句をいう姉は、やはり芝居の台詞をしゃべりたがって、いやなはずなのにそれしかないのです。そこにまたもどってしまうのです。フェリースは姉を安息させ、自分もその中で安息できるのはお互いが芝居の台詞の中と気がついていて、いつまでもふたりだけの芝居がつづくようにおもわれました。

考えても結論はでないであろうと途中からは、こういう動きをするのか、こういう台詞のいいかたをするのかとお二人のせりふと動きを楽しんでいました。

作・テネシー・ウイリアムズ/訳・演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子・岡本健一

『炭鉱の絵描きたち』はイギリスの炭鉱に文化部のようなものができて美術を学ぼうというので美術の先生がきて講義をしてくれるのであるが、全然わからないので実際に絵を描こうということになります。

ここで絵の才能を見出される人もいて、展覧会も開かれ、埋もれていたものは石炭だけではなかったということですが、今まで知らなかった世界をみてどんどん楽しくなる明るさがほしかったです。イギリスということもあり、遠さがあり身近にせまってこなかったのが残念です。

映画の『リトル・ダンサー』の作家の作品でもありますが、『リトル・ダンサー』の少年が、ラストでマシュー・ボーン振付の「白鳥の湖」の主役になっていたという驚くべき感動があったので、『炭鉱の絵描きたち』のほうは地味すぎる舞台に思えてしまったとおもわれます。

作・リー・ホール/訳・丹野郁弓/演出・兒玉康策/出演・安田正利、境賢一、杉本幸次、和田啓作、横島亘、神敏将、新澤泉、細川ひさよ、伊藤聡

着物の展覧会

日本の着物地、布、和紙、染め、色などを眺めているのは楽しい時間です。

世田谷美術館で『母衣への回帰 志村ふくみ』を開催しています。志村ふくみさんは自然の草木からの染色の絹糸で紬織をされている重要無形文化財保持者でもあります。60年におよぶ創作活動をされていて、染めて織られた着物の作品が初期から最新の作品まで展示されていますが、字も、文章も読みやすくそれでいて深く、文章を読むと作品に会いたくなり二回訪ねました。

説明文はあとにして、何を感じとれるか自分の感覚を楽しんでいくため、織物の<題>は作品を見てからにしたのですが、一つも当たらず、そうくるのですかとその題名も楽しませてもらいました。

興味があるであろうと思う友人に展覧会のことを伝えておいたのですが、二回目のとき友人と偶然遭遇しました。「母衣曼荼羅(ぼろまんだら)」は志村ふくみさんのお母さんの使われていた残った糸で志村さんが紡がれたもので、友人がその前に立っておりました。声をかけると涙がでてきてしまったと自分の世界に入っていましたので、私は二回目なので、好きに味わってと各々の空間へ。時間がないので後日ランチでもと別れました。

二回目は『いのちを纏うー色・織・きものの思想ー』(志村ふくみ、鶴見和子)と『遺言ー対談と往復書簡』(志村ふくみ、石牟礼道子)の二冊を読んだ後だったので、しゃがんだり、すかしたりと結構時間をようしました。

志村ふくよさんの作品が残っていて美術館の展覧会で作品を観れるのは、新橋の芸者さんが、志村ふくみさんの着物をみてこの着物を着たいと購入しはじめ、その後、滋賀県立近代美術館に60枚ほど寄贈されそれが引き金となって志村さんも「源氏シリーズ」を寄贈されて、地元の美術館に収蔵されることとなった経緯があるからです。この紬の着物に魅かれ、後を濁さず美しいながれが続く行動を起こされた方も、やはり志村さんの紬の着物に行動させる命の芽ぶきを感じられたのでしょう。

こちらは、後日のランチが次の日となり、口の大活躍となりました。志村さんの本はさらに数冊積んでますので、目も活躍させます。色々なことがつながって驚きと楽しさと深さの空間の中に漂わせてもらっています。

世田谷美術館 11月6日(日)まで

終ってしまったなかで面白かったのは、泉屋博古館分館『きものモダニズム』(2015年9月26日~12月6日)です。大正から昭和にかけて花開いた「銘仙(めいせん)」とよばれた着物たちです。日本の古典的柄を色、大きさの配置で新しい感覚で描き、さらに花などの植物や幾何学的模様の大胆な構図が、現代よりも解放されていました。こういう感覚も戦争によって閉じられてしまったのだという時代が左右する文化の閉塞が思いやられました。

ただ、この展覧会に来られている若いひとたちの着物の着方が、展示されている着物に劣らないくらいの楽しさでした。帽子をかぶっていたり、長い羽織をきていたり、そのコーディネートは、色の組み合わせ、小物の配置のしかた、手の持つ袋物など、じろじろながめてしまいました。

おそらく、着物をきてこられたかたたちは、見られるだけの感性を着方に集中されていて、ご自分の着物を通しての芸術的センスを造形しておられたとおもいます。若いだけにシックな色をもってきて着物の着方の基本をくずしても落ち着いた雰囲気でした。それが、展示の<きもののモダニズム>と上手く共有し、観る者を楽しませてくれました。

全然わからなかったのが、弥生美術館での『耽美華麗悪魔主義 谷崎潤一郎文学の着物を見るーアンテイ―ク着物と挿絵の饗宴』(2016年3月31日~6月26日)です。

谷崎さんの文学作品に出てくるヒロインの着物姿とはどんなものかを再現させたのです。『細雪』などの映画のなかで女優さんが着ているような着物を想像するとおもいますが全然違うのですとありましたが、その通りでした。

半衿から帯から帯締めの飾りから帯揚げから羽織から、すべてに模様があり、どこをどう見ればよいのかわかりませんでした。全部が主張していて、記憶に残らないような組み合わせなのです。作品の文章も紹介されていますが、どうやら、文章は目で追いつつ、頭の中の映像は映画の映像だったようで、正しく文を捉えていませんでしたが、それを知っても、着物の姿を思い描くことはできないということを知りました。

<耽美華麗悪魔主義>とは、これだけならべると何が耽美で何が華麗で何が悪魔なのかわからなくなってしまうということです。上から下までトータルで見る見方をしているためか、ひとつひとつの価値がわからないということなのかもしれません。

布その他工芸にかんしては、東京国立近代美術館工芸館でたくさん見させてもらっています。芹沢銈介さんの作品(2016年3月5日~5月8日『芹沢銈介のいろは』)もここでじっくり楽しませてもらいました。この国立近代美術工芸館は金沢に移転されるそうで、全て東京に集中せず地方へというのは賛成ですが、国立近代美術工芸館東京分館として、今までと同じように作品は楽しませて欲しいものです。

 

 

 

歌舞伎巡業公演『獨道中五十三驛』映画『超高速!参勤交代』

猿之助さんと巳之助さんダブルキャストの『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』の巡業公演が埼玉県の入間市市民会館から始まりました。

この演目を巡業で、さらにダブルキャストで、さらにそのひとつを受け持つのが巳之助さんでと少し心配なのと、猿之助さんがこれをどう仕切るのか興味津々でもありました。

観たのはAプロのほうで、巳之助さんが十三役早変わりで、早変わりのたびに大きな拍手があり気持ちよかったです。巳之助さんを激励する意味を含んだ拍手だったとおもいます。もちろんこちらも拍手しつつ一役一役確認するように観ていましたが、巳之助さんは芝居に入り込んで下半身もしっかり安定させ声も出ていました。

歌舞伎座などでの赤っつらの役の時なども誰なのかと思うほど大きな声を出していましたから、意識して声をだすようにされていたのでしょう。この巡業での経験がなにかの形で身体に残るのではないでしょうか。

役者さんもそうですが、裏方さんも大変なことです。入間市民会館はかなり年数を経た建物で、楽屋裏が広いとはおもえませんので、あれだけの道具をよくスムーズにだせたとおもいます。そして背景幕の降ろし、宙乗りと、これだけの舞台装置は地方ではなかなか観れないと思います。

前半は岡崎の古寺での化け猫の場が見せ所で、Aプロでは宙乗りは猿之助さんです。後半の小田原からの浄瑠璃お半・長吉『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』は巳之助さんの早変わりと同時にどんどんどんどん宿場が進んで行き背景も変わります。

昼の部よりも息が合ってきたという弥次さん(猿三郎)と喜多さん(喜猿)は、その速さにまけてはならじとお先にと江戸をめざして行ってしまいました。

そして紛失した九重の印も、由留木家にもどり、めでたしめでたしと無事終わりました。最後は、裃姿の猿之助さんが今日はこれにてと幕となります。休憩をいれて2時間35分という超高速でしたがよく収め切ったものです。

人使いが荒いとぼやく最高齢の寿猿さんをはじめ、笑也さん、笑三郎さん、春猿さん、猿弥さん、門之助さんの息の合った澤瀉屋一門のチームワークのよさの巡業公演です。

入間市民会館での初日は温かい拍手のなかでおわり、気持ちよく観劇できました。

この超高速に、そうだ映画『超高速!参勤交代』を観て見ようと思い立ちました。今映画館でやっているのは『超高速!参勤交代リターンズ』ですが、遅れていますが前作のほうです。

こちらは東海道ではなく、今の福島県のいわき市から江戸までですから奥州街道ということになるのでしょうか。湯長谷藩に参勤交代から帰ったばかりなのに、幕府から再度5日で江戸に参勤するようにとのお達しがとどきます。

民を想う優しいお殿様で、今回の参勤交代でお金は底をついているのにどうすればよいのか。知恵をだす家老、武勇に優れた家来などの結束によって、難関を突破します。虐げられたものが勝つという最後はめでたしめでたしの痛快時代劇で、次はどう乗り切るのかとそのアイデアを楽しめる作品です。

スパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻む者』に参加した佐々木蔵ノ介さんが気が弱そうでいて情があり家来を信頼するお殿様で、猿之助さんが徳川吉宗になって出ております。悪役老中の陣内孝則さんが悪役を一気に引き受け、悪役系の石橋蓮司さんが良いほうの老中で画面を締めています。

正規のルートの街道をいったのでは間に合わないと大きな宿場だけは人を集めて行列で通り、あとはひたすら走ります。勧善懲悪ものですから突っ込みはなしで、気楽にたのしむのが前提です。

水戸の斉昭公は若い藩士を、水戸八景の景勝地役80キロを一日一巡させて鍛錬させたというような話もありますから、そこまでしなくても、藩の存続にかかわればこの映画に近い力は実際に発揮できたのかもしれません。

監督・本木克英/脚本・土橋章宏/他の出演・深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、上地雄輔、知念侑季、柄本時生、六角精児、神戸浩、西村雅彦