歌舞伎座 『九月花形歌舞伎』 (1)

「新薄雪物語」は、恋を裂かれた息子と娘のために、双方の父親が切腹し犠牲となり子供を逃がす話である。好きな芝居ではないが、幸崎伊賀守の息女薄雪姫の腰元籬・まがきの七之助さんの芯のある演技に見惚れて見続けられた。年代的に親子を演じるには無理な配役設定である。薄雪姫の梅枝さんは、腰元籬の助けを借りて恋する姫君の可憐さをだしていた。

一方、園部兵衛の子息・左衛門の勘九郎さんは時として動きが、狐忠信を思い出させ少し違うなと感じた。もう少し柔らかさが欲しかった。園部兵衛の家臣・奴妻平の愛之助さんは籬の七之助さんと恋仲で共に薄雪姫と左衛門の中を取り持ち、<花見>の幕切れは、薄雪姫に横恋慕する藤馬軍団との、たぷり返しの立ち回りがある。<花見>の段は桜の名所清水寺で腰元たちが、愛宕山、マツタケの名所稲荷山などと遠くの山々を指さすのも清水寺から周囲を遠望するようで楽しい。

天下をねらう秋月大膳の海老蔵さんは思いのほか小さく、家来の団九郎の亀三郎さんが惡役として光る。<詮議>の場で、左衛門と薄雪姫に味方し扇の下で二人の手をそっと重ね合わせる葛城民部・海老蔵さんとの三人の場面もどうも腹がなく味が薄かった。秋月大膳の惡と葛城民部の腹の大きさの違いを際立たせて欲しかった。

<合腹>は、相手方の親に預けられた子供を、それぞれの親が逃がし、相手に悟られないように腹を切り子供に代わって責任を取るのであるが、双方の父親は相手の気持ちを理解しての腹切りである。

伊賀守の松緑さんは『熊谷陣屋』での代役を成し遂げたゆえであろうか、老け役に違和感がない。兵衛の染五郎さんは、高音が若々しく損である。菊之助さんの兵衛の妻・梅の方は、伊賀守の家来が左衛門の首を切った刀を届けたため、伊賀守が首桶を持って現れると動揺する。伊賀守の娘・薄雪姫は逃がしたのに何たることか。夫・兵衛にそのうろたえを叱責され、伊賀守と兵衛の合腹を知り三人笑いになるあたりまで上手くつないだ。若過ぎる配役ではあるが、長い場面をよくもちこたえさせた。

『吉原雀』は、七之助さんのしめやかな美しさに勘九郎さんも合わせた踊りとなった。少々、おきゃんなところがあっても良いかなとも思うが、今の七之助さんの美しさを壊す必要もないのかもしれない。『新薄雪物語』の最後の重さを軽くする出し物である。

新橋演舞場の『男女道成寺』『馬盗人』の芝居の間への入れ方も気分を変えてくれ変化に富んでいた。

 

「あまちゃん」の原風景

人気テレビ朝ドラが今日で終了した。その日に、脚本家・水木洋子さんのラジオドラマ「北限の海女」の脚本を読むことが出来た。

市川市八幡に故人・水木洋子さんの家が修復され、決められた日時に公開されている。今回が二回目の訪れなのであるが、市川市文学ミュージアムの永井荷風展で水木さんのラジオドラマ脚本に「あまちゃん」に先駆けて、海女を題材とした作品があるというポスターを目にする。その資料展示も今回見れるということである。

水木さんの家は、鎌倉にある吉屋信子さんの家を参考にされていて様々な工夫をされている。吉屋信子邸にも行ったが細部の記憶がないが、水木邸の書斎の方が明るい印象がする。ただ物書きの方は明る過ぎると落ち着かないと考える方もある。

ラジオドラマの話にもどすと、「あまちゃん」のロケの行われた久慈市の小袖海岸に50数年前、他の取材が上手くいかず、偶然と云うか縁と云うか、北限の海女のことを知るのである。「あまちゃん」の設定では北三陸の架空の場所ということになっている。「北限の海女」にも特定の地名は出てこないが、全くの陸の孤島が昭和31年に6年かけて小袖海岸道路が開通し、小袖海女が北限の海女として注目を集めたのである。そのことは、久慈市の<北限の海女 今昔 編集委員会>のかたが、「北限の海女 今昔 」の雑誌を平成25年3月に出され、水木洋子邸で手に入れることができたから知ることが出来たのである。

ラジオドラマ「北限の海女」は1959年NHKで放送され、その年の芸術祭賞をラジオ部門で受賞している。それから50年後の2009年に久慈市で50年を記念してドラマの資料展を開催している。そして2013年には宮城県出身の宮藤官九郎さん脚本の「あまちゃん」誕生となったのである。

水木さんの「北限の海女」は、夫を亡くした三十歳の私が、夫の母と三歳の子供を抱えて、洋服に名前を刺繍する仕事でやっていけるのかどうか思いあぐね、東京からこの北国へ旅だって来たのである。そこで、同じ海女でも境遇の正反対の二人の女性に会うのである。一人は北山ひで(68才)で高波で両親を亡くした孤児で一人で海女の技術を身に着け、さらに三人の夫を失っている。もう一人は岩田たか(70歳)でひでに比べると生活も安定している。この二人はお互い海女の腕くらべの仲間でもある。その勝敗を着けることになり、私は自分の境遇から考えてひでに勝たせたい、そのことによって自分の生きる方向も決まるような気がしている。結果的には、ひでのほうが勝つのであるが、生活というものは、それで全て良しとは成らない現実を暗示して終わる。私にとっては辛いことであるが、しかしひではそのことは初めから分かっていたように、勝ちに頼ることもなく、今までの生活を続けるのである。それが、ひでの生きてきた現実なのである。

私がそれを、どう見てどう考えるかは水木さんは結論を出していない。これはラジオドラマを実際に聞くと何かが見えてくるのかもしれない。話の中から、かつての北限の海女の厳しさが、岩に砕ける冬の波の音と供に伝わってくる。

今度、このドラマ公開をするようなときは市民サポーターのかたが連絡してくれると言ってくださった。さらに横浜の放送ライブラリーで、このラジオドラマのほか数点、水木さんのテレビドラマも見られるそうで、そちらで先に聴くことになりそうだが。

演出・森理一郎 / 作・脚本・水木洋子 / 出演・北山ひで(原泉) 岩田たか(賀原夏子) 私(荒木道子)

市民サポーターの方々が水木さんの家の管理、資料の整理、説明などしてくださるのだが、水木さんの事だけではなく、永井荷風さんの話もでき、さらに、市川には平 将門伝説もあるそうで、その話も聞くことができ、市川市民でないこちらとしては随分お世話になってしまったのである。

水木さんの取材ノートには、方言として<じぇ じぇ じぇ>も記してあり、サポーターのかたが、資料の中からそれを見つけ、自分が印をつけたと言われていた。何人かのサポーターのかたを独占してしまった。

20代の頃、旅で三陸の浄土が浜が気に入り、仕事先に仮病をつかい休暇を伸ばしたことを思い出した。 宿泊先の夕食が炉辺での海産物の焼き物で、あのほの暗さの煙のもやは忘れられない心地よさであった。

 

新橋演舞場 『九月大歌舞伎』

坂東三津五郎さんが病のため休演である。歌舞伎座の8月に心満たされる演技を受け、舞踏「喜撰」がよく掴めていないのでDVDも出ていることだし、少し探って見ようかなどと考えて居た矢先である。友人で同じ病で手術をし、体力がつくまでかなり時間を要したのを知っているので、ゆっくりと治療にあたって戴きたいものである。それまでDVDで堪能して心静かに待つことにする。

『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』の綱豊は中村橋之助さんである。この役は橋之助さんに合う役であると思って居たのでゆったりと観ることが出来た。役の大きさはまだでも、台詞が納得させれるか、そこが真山青果作では重要である。片岡我當さんの新井白石と、赤穂の浪士たちに仇討をさせたいものだと吐露し、白石が手で目頭を押さえるあたり綱豊の考えが固まっていくのがわかる。赤穂浪士・富森助右衛門が御浜御殿での浜遊びを見学したいと知り、吉良の面体を確認するためなら仇討があるのかもしれないと綱豊は読み、助右衛門を傍近くに呼び探りを入れる。仇討を悟られてはいけないし、吉良の顔を確認したいし、そのあせる気持ちを中村翫雀さんはソワソワしたり、ふてぶてしさを見せたり、綱豊との対決に面白味を加えた。

浅野大学によって浅野家再興が認められれば、仇討は意味がなくなる。その鍵を握っている綱豊は明日浅野家再興を願い出るという。行き場の無くなった助右衛門は、妹の手引きで、吉良を討つことに決める。これから舞台に出ようと能装束に身支度した吉良上野介に槍を突く。それは、吉良の身代わりの綱豊卿で、助右衛門の知慮のなさを叱責する。大石は自分の手で浅野家再興を差出し、自分の手から仇討という大義名分を逃してしまうかもしれない立場にある。その苦しみは如何ばかりか。そこに至る道を考えろ。そこに至る事が大事なのだ。橋之助さんは能装束姿の美しさと、台詞により仇討への過程の美しさをきちんと押し出して絞めてくれた。演じるにしたがい、大きさは加わっていくであろう。

『不知火検校』、悪がどんどん増幅されていき面白かった。河内山宗俊よりも非情で、不知火検校からすればお数寄屋坊主の河内山などはお人よしの悪人なのかもしれない。魚売りの富五郎は自分の子が生まれるための金欲しさから、親元に帰る途中の按摩を殺しお金を手に入れる。ところが、生まれてきた子は目が見えなかった。この子は不知火検校という盲人の最高位の所に弟子入りし富の市と名乗り一人前の按摩となる。小さいころから手癖も悪く、悪巧みにたけている。まるで悪のツボを心得ているように、そのツボを確実に一針うち悪を成功させていく。相手が騙されたと思った時にはすでに手の出しようがないのである。その辺りを松本幸四郎さんは富の市や自分の師匠を殺し二代目不知火検校になるまでの一針を手もとを狂わせることなく、時としては嬉々として、非情に成し遂げていく。その成し遂げる過程が、最後花道で一般庶民は検校に嘲られるが、嘲られるのが当たり前なくらい、ただただ、えっ、そうなるわけとあっけにとられるのである。

台詞の中に、熊谷宿の場面では、生首の次郎に呼び止められると、呼び止められた敦盛ではあるまいになどと、敦盛と熊谷直実の場面を引き合いに出したり、歌舞伎座での演目『新薄雪物語』や、常盤御前に例えたりとチラリチラリと台詞に色を添えてくれる。歌舞伎独特の江戸の悪の華、堪能しました。富の市や不知火検校に接するとき、相手は、どこか自分のほうが優位に居ると思っているところがあり、そこが、ねらい目でもあるわけである。油断をさせて置いて、全ては自分の手の内である。ただ、不知火検校の悪の大きさに恐れをなした小者が、不知火検校の弁慶の泣きどころであった。

 

『太鼓たたいて笛ふいて』(the座 第48号)

太鼓たたいて笛ふいて』のパンフレットは、こまつ座の出している2002年7月の「the座 第48号」である。このお芝居は何回か上演されているので、その度に違う資料なども載せているようである。「the座 第48号」には、演劇評論家の大笹吉雄さんが連載で「女優二代 鈴木光枝と佐々木愛 第13回」も載せている。

劇団文化座の代表として係ってきた鈴木光枝さんと佐々木愛さん親子の歩みを書き記しているらしい。この第13回は火野葦平さんの『ちぎられた縄』を文化座の創立15周年記念公演で上演した事から書き始められている。『太鼓たたいて笛ふいて』の舞台を見たとき、この大笹さんの連載は素通りしていた。NHKスペシャル『従軍作家達の戦争』で火野葦平さんのことを知らなければ、永井荷風展に行かなければ見返すこともなかったであろう。

『ちぎられた縄』は火野葦平さんの二作目の戯曲で、沖縄がまだ米軍の占領下にあった頃で、火野さんの弟さんが沖縄線で戦死しているため強い関心があり、沖縄の文化を取り入れた戯曲を書いたようである。この芝居は大変評判を呼び、文化座の旗揚げにカンパした花柳章太郎さんも補助席でみたという。鈴木光枝さんは新派の井上正夫さんに弟子入りしている。

『ちぎられた縄』は本土の作家が初めて沖縄のことを取り上げた戯曲で意欲作であったが、大笹さんは、作者の“二度と戦争があってはならない”のテーマが明確に打ち出されていないのと、人物の描き方に突っ込み足りぬところがあって惜しいとされている。しかし、この芝居の好評判で文化座は経済的に助かったらしい。

今は沖縄に「国立劇場おきなわ」もあり、東京の「国立劇場」でも琉球舞踏は見ることが出来るが、芝居の中に琉球舞踏がでてきたのは火野さんの戯曲が初めてなのかもしれなし、沖縄文化というものを考えさせる作品でもあったのであろう。

時代の中で自分の小説のテーマを庶民の生活の中に模索しつつ突き進んでいた火野さんは、死者たちはまだまだ語りたいことがあるのだと伝えに来たような気がする。