映画『赤い夕陽の渡り鳥』『黒い椿』

浄土平ビジターセンターで紹介されていたのが、小林旭さん主演の日活<渡り鳥シリーズ>の『赤い夕陽の渡り鳥』である。

浄土平を中間点とする磐梯吾妻スカイラインは、1959年(昭和34年)に開通し、映画『赤い夕陽の渡り鳥』は1960年7月封切である。磐梯吾妻スカイラインは、11月中旬には雪のため翌年の4月中旬まで封鎖となるので、この映画が磐梯吾妻スカイラインの宣伝に大きな役割を果たしたことになる。

クランクインが1960年5月31日、クランクアップが6月25日であるから一か月弱で撮った映画ということになる。映画の内容は、新しいバス道路が計画され、そこに温泉の元湯があり、その所有権を悪徳業者が狙っているのである。バス道路は地域の人のためであるが、悪徳業者に温泉の権利を渡すわけには行かないと所有者と悪徳業者の対立となる。当然所有者は善で、そちらには美しい若き女性が頑張っていて、その女性を助ける流れ者のナイトが現れるのである。このお二人が<渡り鳥シリーズ>のコンビ、小林旭さんと浅丘ルリ子さんである。

最初と最後に、吾妻小富士と磐梯吾妻スカイラインの映像がドーンと映る。監督は斎藤武一さんで、助監督に神代辰巳さんの名がある。このシリーズは映画『南国土佐を後にして』の好評からシリーズ化され、小林明さんの歌も登場する。主題歌「赤い夕陽の渡り鳥」、「アキラの会津磐梯山」。井上ひろしさんが「煙草が二箱消えちゃった」を歌う。「アキラの会津磐梯山」の歌が楽しい。小原庄助どんはでっかいことが好きで、朝寝朝酒酒樽あけて、あけた酒樽櫓に積んで、会津磐梯山と背比べをするのである。

ロケはどこで行われたかはっきりしないが、湖から磐梯山を望んだ映像もある。磐梯吾妻には、吾妻小富士の浄土平を中心とする、磐梯吾妻スカイライン、磐梯山を望む磐梯ゴールドライン、檜原湖や秋元湖をに向かう磐梯吾妻レークラインとかつて有料だった道路が三つある。2013年から無料となった。三つのラインがあるのを今回知った。恐らくはまだ出来てはいなかった磐梯吾妻レークラインのあたりの風景や道も多く使われたのではなかろうか。撮影は川島雄三監督と組んでいた高村倉太郎さんである。

小林旭さんと宍戸錠さんがトランプでの対決で、手品のような手の動きだけを交互に映すテンポ。小林明さんの格闘シーンのスピード感や、バックの斜めに入る空と山肌の稜線など筋よりそちらの方に目がいく。宍戸錠さんのスーツの着こなしが格好よく、主人公を助けたり邪魔したりと気ままに動く。浅丘ルリ子さんはあくまで愛らしく清楚である。

最初からツッコミ部分もあって、男の子が道から転げ落ちたらしく崖下で泣き声がする。その子を助けるため主人公・滝伸次は格好良く駆け降りるのであるが、ダメダメそんなに勢いよく下りては一緒に石も転がってしまい、少年にあたるかも。助けられて主人公と馬で自宅に届けられるが、あそこまで少年はどうやって行ったの。遠すぎる。

どの映画の時かわからないが、小林旭さんはスタントマンのかたが怪我をして見舞いに行ったら痛い痛いの声が聞こえそれからは、スタントマンをほとんど使わなかったそうである。

吾妻連峰、安達太良山、磐梯山と山あり、湖あり、沼あり、温泉ありの観光地へ主人公がギターを友に馬にまたがって流れ着くという破天荒な映画が、雄大な自然を上手く使い可能にした映画である。赤い夕陽の美しい自然の映像もある。磐梯の紅葉はこれから美しい時期をむかえる。この風景の中で旭さんの高い声が響くと赤さが増しそうである。

『黒い椿』は東映の時代劇映画。大川橋蔵さんの若さまが保養で伊豆大島に来たところ殺人事件が起こりその事件を解決するのである。<若さま侍捕り物帖シリーズ>の第九作である。監督は沢島忠さんである。殺人の疑わしき容疑者が多く、最後の最期に謎が解けるという内容で、見ているほうもそこまで引っ張られる。それと、疑わしくなるような、出演者の突然の怖い顔のアップがあって、結構混乱させられる。

若さまの大川橋蔵さんと島の娘・お君ちゃんの丘さとみさんが、出会うのが三原山の火口である。こちらも、大島ロケたっぷりの映画であるが、若さまの大立ち廻りはなく、思索する若さまである。お君ちゃんのお母さんが、江戸から来た侍と恋仲となり侍は江戸に帰ってしまい、お母さんはお君ちゃんを産むが侍はもどって来ず、三原山の火口に飛び込んでしまう。そんなお君ちゃんを若さまは何かと励ますが、大島を仕切る強欲な網元ととの関係など、お君ちゃんとお君ちゃんのお爺ちゃんは苦しい立場に追い込まれる。殺されたのが網元であるから、益々、お爺ちゃんとお君ちゃんは窮地に。若さまは救うことができるのか。

お君ちゃんの恋人役が坂東吉弥さんで、お君ちゃんがお母さんのことから島民から奇異の眼で見られていて、その状況を打破して結婚するだけの覇気がない。若い頃の吉弥さんを見ることが出来た。

若さまは<椿亭>に泊まっていて、そこの女主人お園・青山京子さん(小林明さんの奥様ですね。偶然です。)がお客あしらいがなかなか上手である。番頭・田中春夫さんは、真面目でそこへ、怪しげな兄が密航してくる。油商人の新三・山形勲さんも怪しい。そして、鎮西八郎為朝の子孫という名主の千秋実さんが御用の役目も仰せつかっていているが混乱させるだけである。そんなこんなで混線しているが、若さまはきちんと犯人をみつける。

溶岩流が冷えて固まったごつごつした柱、岩の切り立つ海岸や美しい波打ち際、さらに、地層がずれてむき出しになった美しい断層の断面の壁は大島ならではの風景で映画の中でも映し出されている。椿の咲き誇る道はセットであろう。

いつもの明るい役とは違い嘆き通しの丘さとみさん。橋蔵さんの笑顔と青木京子さんの艶やかさがないと暗いだけの映画になってしまう。若さまと御神火様は、お君ちゃんとお爺ちゃんを守ってくれる。大島の自然たっぷりの映画である。

『黒い椿』は1961年(昭和36年)公開で、『赤い夕陽の渡り鳥』の一年あとである。まだまだ映画が娯楽の中心の時代であろう。

伊豆大島 (三原山)  伊豆大島 (椿)

吾妻小富士・鳥海山・月山

<吾妻小富士><鳥海山><月山>を、我足で踏みしめることが出来た。ハイキング程度であるが、山の一部を歩けたので満足である。

<月山>は、出羽三山の一つである。昨年羽黒山に行ったとき、残りの二山も行かねばと思っていたので、<月山>を目にして、ツアーに申し込む。<月山>の八合目までバスで登り、<弥陀ヶ原湿原>を1時間ほどの散策である。平坦な木道の遊歩道になっておりバスで登ってきた時の景色を思うと好いとこ取りをしているような気分で、修行とは無縁である。紅葉も始まっていた。途中に<月山中の宮>(御田原神社)の鳥居井がある。稲田の守護神が祀られている。残念ながら月山の山頂は雲に邪魔をされて望めない。所々に<池塘>と呼ばれる水たまりがある。八合目であるが、広い広い頂上に居る感じである。

<鳥海山>は行くまでも帰りも、バスの中から<鳥海山>尽くしである。ぐるっと<鳥海山>を周る感じでの道である。夏の間の東海道は、富士山に嫌われ裾野の見える場所でありながら雲に邪魔されたので、今回は<鳥海山>大好きの心境である。富士山は冬にリベンジするつもりである。<鳥海山>は、<獅子ヶ鼻湿原>を2時間ほど歩く。こちらは神秘に満ちた森の中という観じで妖精が出てきそうな雰囲気である。異形に育ったブナの木が林立していたり湧水中には<鳥海マリモ>と呼ばれるコケが水の中に浮いているようである。

日本の自然はまだまだ魅力的な所が残っているらしい。途中のパンフで見つけた。象潟(九十九島 )は、芭蕉も魅了され松島のような島々だったのが、地震のため今は水田の間にかつての島々が点在しているのだそうである。陸の松島と呼ばれている。地震国・火山国・日本ならではの変遷する風景なのであろう。

行程を反対に書いているが、<吾妻小富士>は、浄土平の駐車所から登り、火口を1時間ぐるっと歩く。伊豆大島の三原山では時間がなく火口まで行けなかったので、火口散策は<吾妻小富士>で願い叶ったりである。すり鉢のような火口跡を見下ろしつつ、雲間の山々を眺めつつ歩く。吾妻山は活火山である。今は静かに乾ききったような火口である。

火口を巡って下りてから、今度はビジターセンターに隣接する湿原を散策。ここは、20分もあればまわれる。草花は残念ながらエゾリンドウが少々である。しかし、白い苔のハナゴケが頑張って群生していてくれた。その白さが可愛らしい。

ビジターセンターで日本野鳥の会の発行の小冊子があり、ページ数はすくないが、写真と文がなかなか味わい深い。好きな星野道夫さんの写真も載っている。その中で、福島原発の身体に対する影響を心配し、いわき市の主婦らが立ち上げたNPO法人『いわき放射能市民測定室 たらちね』の紹介があった。「β線放射測定ラボ」を立ち上げつつあるという。この冊子は2014年12月発行なのですでに開始しているようだ。放射線のセシウム測定はよく聞くが、β線のほうが横綱級で骨に取り込まれ延々と体内で放射線を出し続けるのだそうで、β線を測定するには多大な費用、技術的な問題があるのであるが、それを稼働し始めるという話しである。

福島にきて原発問題を提起される。若いお母さんたちが、心配するのは母親として当然のことである。一番きがかりのことである。こうした会が生まれ存在してくれることは若いお母さんたちに大いなる力となるであろう。ただ営利目的の団体もできているとのことで、その辺は利用される際には充分確かめられたい。

自然を通して素晴らしい面も破壊される面もはたまた、自然の驚異や横暴さも様々な姿が見えてくる。その中で人はどう生きていくのか。そんなことも想い至る時間であった。処理方法が決まらず何処にも持って行きようのないものは使用しないのが自然の流れと思う。

さて、映画好きとしては、磐梯山と吾妻山の周辺の風景をロケした映画の情報も得たのでその映画と、伊豆大島を舞台とした映画の話しを次には書くことにする。

追記: 

月山中之宮・御田原参篭所の案内

弥陀ヶ原湿原

鳥海山・獅子ヶ鼻湿原

流れる水は、川などの流れを落下しているのではなく、鳥海山に浸み込んだ雨や雪解けが伏流水としてここで地表に湧き出しています。

燭台と名付けられた奇形巨木ブナ。太い幹と、幹から立ち上がった形が西洋のロウソク立て似ているため。

鳥海マリモ解説

吾妻小富士

歌舞伎座 九月秀山祭 『競伊勢物語』

『競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)』は、歌舞伎座では半世紀ぶりの上演ということである。

またまた、主のために身代わりとなって死ぬ話しである。江戸時代の芝居が全部復活しているわけではないのでこの身代わりの忠儀の死の話しが多いのかどうかは定かではないが、多い。どうしてなのであろうか。忠儀となれば、武士。武士と庶民の世界観は別である。庶民は、武士の世界を忠義で見ることに寄って、現実の武士との違いを置いといて涙したのであろうか。泰平の世の<忠臣蔵>が武士道とするなら民衆が絶賛したのも、武士はときには武士道の忠儀を見せて欲しいとの要望の事件ともいえる。

『競伊勢物語』はややこしい。伊勢物語とあるから、在原業平と関係するとおもわれる。時代は王朝時代である。惟喬(これたか)親王と惟仁(これひと)親王が跡目相続で争っている。主人公といえるであろう紀有常(きのありつね)は、先帝の子・井筒姫を自分の娘として育てている。井筒姫は在原業平と恋仲であるが惟喬親王は井筒姫を差し出せという。有常は井筒姫と業平のために一計を考える。

有恒には実の娘がいて、この娘・信夫(しのぶ)は、奈良春日野に住む小由(こよし)に預けている。なぜ預けているのかはわからない。この信夫と信夫の夫・豆四郎が、選りにも選って、井筒姫と業平に似ているのである。有常は、実の娘夫婦の身代わりを考えたのである。

豆四郎は惟仁親王の旧臣の子である。惟喬親王側に奪われた神鏡の八咫鏡(やたのかがみ)が立ち入ってはいけない玉水渕(たまみずぶち)にあると聞き、信夫は夫のために禁を犯して悪党の銅鑼の鐃八(にょうはち)と争って手に入れるのである。今は反物を売って歩いているが、生まれがわかるような行動である。

有常は、小由の住居へ訪ね昔を懐かしむ。どうやら有常は昔、庶民の暮らしまで身分が下がったようである。小由は、有常にはったい茶を振る舞い、有常は頭に手ぬぐいを置き、昔の太郎助の姿ではったい茶をご馳走になる。このあたりは、娘を返して欲しい本当の理由を言わず小由と昔語らいをする柔らかな有常であり、太郎助と接して心から懐かしむ小由である。

信夫は禁を犯したのである。母・小由に難が及ぶのを考え、親子の縁を切るためにあえて難癖をつけるのであるが小由は取り合わない。夫の豆四郎との夫婦喧嘩かなにかで機嫌が悪いのであろうと信夫をなだめる。信夫には信夫の母に対する想いがあったのである。

それを納めるのが有常の信夫を預かるという言葉である。信夫は京に上るのである。有常は信夫の髪を梳いて整えてやる。死を前にして、父が娘の髪を梳くというのはこの芝居のほかにあるであろうか。嬉しそうに似合うかという娘。心の内を隠し似合っているという父。なんとも悲しい情愛のこもる場面である。こちらからは見えないが、親子二人の映る鏡の絵が想像出来る。

自分が身代わりとなる覚悟の出来た信夫は、小由の頼みで琴を奏でる。身分違いという事で小由と信夫の間には屏風があり、母は砧を打ち、小由は琴を奏でる。音楽的にも上手くできた場面である。琴の音が止り不思議に思う母。信夫は父に切られ、豆四郎は切腹し身代わりとなる。赤と白の布に包まれた二つの首を、有常は抱えている。そして、井筒姫と業平がその死をそっと悼むのである。

であろうと思う。

時間が立つと覚束なくなる。奈良街道での、娘たちが背負って京に売りにいっていたのが、かつて陸奥の国の信夫郡(現在の福島県福島市)で作られていた信夫摺りの反物らしい。有常が小由に娘を預けたのも、陸奥でのことらしく、娘・信夫の名もそのへんと重なっているようである。

隠されたいわれが幾つかあるらしいが、芝居自体からそれを読み解くのは難しい。

印象が強いのは、有常と小由の再会の場と、有常と信夫の髪梳きの場である。有常が決めた忠臣は、小由や信夫を目の前にしても変わらない。そういう生き方しか選べない人としての悲哀がある。

有常の吉右衛門さんは、小由と信夫に再会し心和ませているようでいて、自分の役目を疑わぬ生き方を選んだ男の頑なさも見えた。今回はその生き方に狭さを感じてしまった。それに対する信夫の菊之助さんは、自分の思うところを突き進む激しさとあきらめの対比が顕著であった。小由の東蔵さんはあくまでも庶民の生き方を貫く、信夫の心を知らず母として娘をなだめたり、有常の心を知らず心から懐かしがったり、その裏切りに成すすべのない位置を保った。豆四郎の染五郎さんは事の成り行きにじっと耳を傾け、自分の立場に身を添える役どころを静かに貫いた。悪役の又五郎さん多種多様な役をこなされ、今回も手堅い。大谷桂三さんの息子さん・井上公春さんが初お目見得である。これを機に歌舞伎がもっと好きになってくれるとよいが。

この芝居、通しで残っているのであろうか。通しで観たい作品である。

<紀有常生誕1200年>とある。このかた、『伊勢物語』の十六段目にでてくる。三代の天皇に仕えながらのちに普通の人に落ちぶれ、それでいながら昔と同じ心持ちで暮らし生活のことは考えない。そのため40年連れ添った妻は嫌気をさし尼になってしまう。別れに対し何もしてやれないのを嘆く有常に代わって友人が気の毒に思い、有常の代わりに夜具を贈ってやる。その志に感謝し二首詠むが、後の句が「秋や来る露やまがふとおもふまで あるは涙の降るにぞありける」である。(秋がきたのか、それで露がこんなに置き乱れているのか、とそう思うまで私の袖が濡れているのは、涙が降っているのでした・・・)(中村真一郎訳)

 

歌舞伎座 九月秀山祭『双蝶々曲輪日記』『紅葉狩』

『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の序幕で、観れる機会の少ない演目である。『引窓』はよく上演されるが、そこに登場する南方十次兵衛と妻・お早は遊郭で知り合った仲で、その時の話しである。南方十次兵衛は後に亡父の名前を継いだもので、今は南与兵衛(梅玉)といい笛売りをしている。お早は遊女・都(魁春)として勤めている。

都には与兵衛が、朋輩の遊女・吾妻(芝雀)には若旦那・与五郎(錦之助)という恋人がいる。廓の世界である。都には与五郎の手代・権九郎(松之助)が吾妻には侍の平岡郷左衛門(松江)が、横恋慕している。与五郎は吾妻が身請けされてはとあせって預り金に手をつけてしまう。ところが権九郎と太鼓持ちの佐渡七(宗之助)の計略にはまり盗人にされてしまうが、与兵衛が全てを聞いていて与五郎を助ける。

そのことから与兵衛は襲われ佐渡七を切り殺してしまい、与兵衛も佐渡七に小指を噛み切られてしまう。犯人は指のない者とされ、発覚してしまうのを救うのが都である。権九郎に指を切ってくれればなびくと誘いをかけるのである。上手く逃れた与兵衛は、郷左衛門と三原有右衛門(錦吾)に再び襲われるが新清水の舞台から笛を下げた傘を開き飛び降りふわふわと空中散歩し悠々と去るのである。

『引窓』では、与五郎の贔屓の力士・濡髪が、郷左衛門と有右衛門を殺し逃げ、実母の家で与兵衛と都に会うこととなる。

序幕は、『引窓』からすると、かなり奇想天外な話しになっている。廓の中での恋人たちの自分たちのことしか考えない身勝手さともとれる行動を、さらにふわふわと飛んでしまうのである。或る面、次第に重い話しとなって行く流れに先だっての明るさともいえる。まずは深く考えず役者の動きを楽しんで下さいとでもいうようなところである。

梅玉さん、魁春さん、芝雀さんとベテラン揃いで、錦之助さんも与五郎のような若旦那役は板に着いてきているから芝居の流れを愉しめる。松江さんは今回は悪役で台詞だけでなく声の出し方も工夫されている。宗之助さんは殺されるわけであるから、もう少し素直でなくひねていても良いのでなかろうか。隼人さんが立派な役人で、そのすっきりさが、誤認逮捕なので松之助さんともどもお気の毒と可笑しかった。

序幕だけでありながら楽しめたのは役者さんの力であろう。

『紅葉狩』は若手の力の見せ所であるが、不可ではないが、もう少しという感じである。期待していた響きが弱かった。

平維茂は戸隠に紅葉を堪能するため訪れる。すでに女性達の先客があり、誘われるが一度は断りさらに誘われ共に紅葉狩りとなる。

惟茂は更科姫の踊りを観つつうとうとする。更科姫は踊りつつ険しい視線となるが惟茂が目覚めると何事も無い様に二枚扇を使って踊り続ける。惟茂も従者も次第に深い眠りに入る。寝入ったことを知るや更科姫は男の声と足遣いで立ち去る。染五郎さんの踊りは優雅で美しく二枚扇も上手くこなしているが、何か物足りない。それが何なのかはわからない。

寝てしまった惟茂の松緑さんのもとに山神が夢の中に現れる。山神は足拍子などで更科姫は鬼女であるから起きるようにと知らせるが惟茂は目を覚まさず、山神はあきれて帰ってしまう。山神の金太郎さんは、現在の自分の力を形よく素直に出し切った感じである。可愛らしさから次の段階に入っている。

惟茂はやっと目覚め、鬼女と気がつき姫の後を追う。姫は鬼女となって姿を現し、惟茂はこれを退治する。

惟茂の松緑さんの、鬼と気がついた時の一呼吸を見逃してしまった。更科姫の美しさに酔うというより、紅葉の中での妖気さに酔い山神が夢の中で起こしても起きないくらいなのである。それを知った時の勇者の想いとは。

と言いつつ、また詞と踊りを一致させることの出来なかった、観る側の把握できない力不足なのである。

歌舞伎座 九月秀山祭 『伽羅先代萩』

<政治の日常化>を生活時間の中に組み込むことを心がけようと意識したら、これが怪物で時間がどんどんとられ、新聞を読むにしても時間が多くなる。というわけで、日常の習慣化につとめ時間配分の工夫に努めるしかない。もう一つ、生活の中での思考が観た芝居などの想いに影響されるようで、歌舞伎のような古典芸能も現代に生きる感情が左右され過ぎる傾向にあるように思い、冷静になってからとも考えた。しかし、古典であろうと現代に演じられ、現代の人が観るのであるからそれはそれと考えることにする。

『伽羅先代萩』。玉三郎さんの政岡の<人としての政岡>が胸に一撃を受ける。<飯(まま)炊き>の場は、じっくりと鑑賞させてもらったが、上手くできた場面である。主君・鶴千代を孤立無援で守る乳人・政岡、鶴千代を守るために我が子千松を身代わりとして教育する母親としての政岡。その二面性が、茶道具で飯を炊く美しい自然な所作と相まって展開される。お腹を空かす二人の子供は、低い屏風からそーっと覗きにくる。そこには主従の関係のない頑是ない子供である。

千松に対しては、母として叱り、次に来た鶴千代には千松がまた来たと思って叱ろうとして、鶴千代と知ってへりくだるあたりも二人の子供を挟んでの政岡の立場がわかる。この場での政岡のあらゆる行動によって、鶴千代と千松のそれぞれ立場を教え込む政岡の心のうちが伝わる。母として甘えたい千松。鶴千代にとっても母と同じであるが、その二人の甘えを拒否して、屏風をくるっと廻し自分を隠して涙を流す政岡の後ろ姿。こういう道具の使い方の先人の考えには唸ってしまう。ここでの三人の交流があってこその千松は母に教えられた行動へとつながるのである。ある意味で、政岡は意識的にか意識外なのかは判然としないが、千松をコントロールするのである。

千松は鶴千代の毒見役である。幼い当主を殺そうと企む執権仁木弾正(吉右衛門)一派から守るためである。そのため管領(将軍の補佐職)の妻・栄御前(吉弥)のお見舞いのお菓子を千松は走り出て口にするのである。毒のため苦しむ千松をみて弾正の妹・八汐(歌六)が手にかけ殺害してしまう。鶴千代をかばい懐刀の紐を解く政岡。鶴千代に害が及ばないと判断するや、静かにその紐を巻き整える。眼は逸らさず大きく見開き我が子の最期を見つめる。

栄御前が殺されたのは入れ替えた鶴千代と誤解し連判状を預けて去り、全てを身に受け、政岡は千松の遺骸の前で初めて母政岡となる。こともあろうに八汐のような者に殺された悲しみ。今回一番耳に残ったのは懐剣を持つ手を千松の首の上から反対側に渡し、懐剣を畳に立てた形で 「死ぬるを忠義と云う事はいつの世からの習わしぞ」 である。胸にぐっときた。母政岡の悲痛な叫びである。主人に仕えるキャリアの政岡が子供までも捧げる立場の嘆き。

ここまで至る憎っくき八汐も、沖の井(菊之助)と毒薬を調合した医師の妻・小槙(児太郎)の助力もあり政岡の怒りの一刺しとなる。ところが、連判状を鼠に持ち去られる。その鼠を捕らえようとするのが、荒獅子男之助(松緑)である。忠儀者で床下で鶴千代を守っていたのである。この設定も面白い。ところが、鼠は妖術を使う仁木弾正だったのである。花道に現れ太々しさを残し消える。

さらに面白いのは、妖術を使う仁木弾正も忠臣の渡辺外記左衛門(歌六)らの訴えにより幕府の問注所での裁きとなる。栄御前の夫・管領山名宗全(友右衛門)が弾正に有利な判決をだすが、管領細川勝元(染五郎)が現れ外記等の逆転勝訴とする。弾正は外記に襲いかかるが、忠臣たちに助けられ痛手を受けた外記は弾正に止めを刺す。

目出度く鶴千代の家督相続が許可される。

では、鶴千代の父上とは。それが最初にある<花水橋>に登場する、足利頼兼(梅玉)である。闇夜での出来事、だんまりの情景であるが、見えても見えなくても頼兼はゆったりと品格をみせ、闇から伽羅の匂いを醸し出さなくてはならない。こういう役は梅玉さん。いつも足の歩幅や動きの流れに目がいく。この感じを会得するには時間を要す。この殿様の放蕩からお家騒動となるわけである。

役者さんの置き所が的確で、それぞれの見せ場をたくさん作り芝居の空間を絞め、お家騒動ならではの苦慮が浮き彫りになった。

刺客に襲われる頼兼を助ける絹川の又五郎さんも力士の愛嬌と力がある。忠臣の沖の井の菊之助さんも八汐にしっかり対抗し政岡の忍に答える。児太郎さんも落ち着いて役どころの転換を見せる。男之助は出は少ないが弾正の正体を知らしめ、女たちの世界から男たちの世界へ転換する大事な場面であることを押し出してくれた松緑さん。八汐の歌六さんは憎々しく今までの八汐を演じた役者さんたちと肩を並べる。ガラッと変わった外記はお手の物。

大きな色悪の仁木弾正の吉右衛門さん。<対決>で自筆を書くだんで心の中で迷っている様子が吉右衛門さんならではの思索の人の一面が。その弾正の悪を暴く勝元の染五郎さん。高い音質が細くなるので心配したが、高低自在に変化をセリフに乗せ聞かせる工夫がみられ、急に高い声を張らせて語るあたりこれからのさらなる楽しみが増える。

今回の芝居でも、空白のある年代があることを思わせられるが、そのことを乗り越えて心している役者の意気が頼もしい。

常総市の石下

大雨による鬼怒川の氾濫で、常総市が大きな被害を受けてしまった。常総市の石下は二回ほど訪れたことがあり、テレビ映像から見ていて、あの静かで平和な田園に泥水が襲い亡くなられたかたやまだ行方がわからかたもおられ、なんとも痛ましい限りである。一日も早く生存の確認が取れることを願う。自然の残酷さを思い知らされる。

細長い常総市の真ん中を常磐線の取手駅から水戸線の下館駅へつながる関東鉄道常総線が鬼怒川と平行して走っていて、この鉄道も水に埋もれたようである。

石下は、歌人で作家の長塚節さんの生まれた土地であり、生家がある。石下駅から鬼怒川にかかる石下橋を渡り歩いて50分位のところに生家があり、西地区といわれ、そちらの方は少し高いようである。石下駅から川を渡らず10分くらいのところの東地区に、お城の建物があり、常総市地域交流センターである。その六階に長塚節さんの関係資料が展示されている。この交流センターも一時は孤立状態となったようである。豊田城として市民の交流の場とされ図書館や多目的ホールもあり、ここは高く位置しているのであるが、その高さをも孤立させるだけの水かさとなったのである。

七階は展望室になっていて、そこからは、遥か彼方に筑波山が見え、一面田畑なのである。二回目に行った時は、東日本大震災の後だったので、上階には上がれなかった。茨城は震災のときも被害を受け、農作物も放射能汚染の疑いから苦しい立場となり、やっとそれを乗り越えてきたところである。

農作物の被害も相当なものとなるであろう。収穫できない想い。心のケアと同時に経済的ケアが必要である。再び芽を出す田畑の整備がなされれば、また自然とともに生きる力も湧いて来るであろう。そのための経済的援助が欠かせない。そのことも平行して、先に進む道をつけてあげて欲しい。

被害は石下だけではないが、豊田城から一度目にした風景が焼き付いていて、目にした土地が特別となっている。一日も早く再び優しい実り多き大地となることを祈るばかりである。そして亡くなられた方々のご冥福を。(合掌)

 

東海道の言葉遊びとアニメ

井上ひさしさんが文を書き、さしえ絵は山藤章二さんの『新東海道五十三次』という本がある。言葉の好きな井上さんならではの言葉のことがたくさん出てくる。こちらとしては、井上さんと山藤さんの弥次喜多道中と思って購入したが、開いてみたら東京圏内での東海道体験では、つんのめるばかりで先に読み進めない。では府中まで進んだのだからと思って開くと少し楽しめた。

たとえば、江戸の寺子屋では、『都路』というのが教材として用いられていたそうである。どんなのかというと次のような文である。

都路は五十(いそじ)余りに三(み)つの宿、時を得て咲くや江戸の花、波静かなる品川や、やがて越えくる川崎の、軒波(のこは)並ぶる神奈川は、はや程ヶ谷のほどもなく、暮れて戸塚に宿るらむ、紫匂ふ藤沢の、野面に続く平塚も、ものの哀れは大磯か、蛙(かわづ)鳴くなる小田原は、箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や、宿は沼津の真菰草(まこもぐさ)さらでも原の露払ふ、富士の根近き吉原と、ともに語らん蒲原や、休らふ由井の宿なるを、思ひ興津の焼塩の、後(のち)は江尻のあさぼらけ、けふは駿河の府中行く

 

この調子で京まで続くのである。そして、この変形のひとつが明治期の「鉄道唱歌」ということである。この『都路』を覚えて次の東海道歩きのときには、紹介したいものであるが、暗記は苦手。コピーを渡すことになりそうである。

「道中新内節」というのもあって、

日本橋から二人連れ、七つ発(だ)ちにてやつやまをはなし品川いそいそと、磯辺伝いの鈴ケ森、古川薬師横に見て、わたしを越して川崎へ、ひとり行くとは胴欲な、晩に必ず神奈川(かんなかわ)

 

と続くのである。

枕詞東海道などというのもある。それが、戦争中カナダ人修道士が日本の収容所にいれられ、監督官が軍部から軍人勅諭を暗記させろと命令されたがあんなもの覚えても仕方がないから、むかし寺子屋で枕ことばを暗記するのに使ったものを教え、それを習ったカナダ人の修道士から井上さんが教わったのである。

おおふねの 沼津。あおやぎの 原。よしきがわ 吉原。あおやぎの 蒲原。さつひとの 由井。みさごいる 興(沖)津 ・・・

そこから、井上さんは枕詞に凝る。

岸恵子さん「いわそそぐ岸の恵子さま」。若尾文子さん「わかくさ若尾のむさしあぶみの文子さま」。五木寛之兄「みずとりのかもめのジョナサンしずたまき数にぞ売れしかきかぞう五木さん」。佐藤愛子さん「しろたえの月の光も照り負くる男まさりの愛子姉さま」などなど。

井上さんと山藤さんに比べようもないのが、こちらの東海道のお遊びはアニメの突っ込みであった。アニメ『バケモノの子』が面白そうというと、細田守監督のアニメ幾つかDVDになっているというので、ネタとして『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』を観る。アニメは実写の映画より突っ込みどころが沢山あり、道中には楽しいなぐさみとなる。時として突っ込みに夢中になり道を間違え暑い中をもどる羽目となってしまったりもした。

『時をかける少女』は、大林宣彦監督のとどう関係するのか尋ねたら、大林監督の続きがアニメ映画で、博物館で修復の仕事をしていた女性が原田知世さんで、アニメの方の時をかける少女はその姪にあたるのである。なるほど。

『サマーウォーズ』の旧家の素敵なお婆ちゃんの声は富司純子さん。『おおかみこどもの雨と雪』の頑固なお爺ちゃんは菅原文太さんの声である。『葛の葉』などは、狐が子供を産むのであるが、『おおかみこどもの雨と雪』は、人間が狐の子供を産み、その子は人間の世界で暮らしてもいいし、狼の世界で暮らしてもよく、子供が成長の段階で選ぶのである。子供が夢中になると、耳が出て狼のように走ったり発想が面白いと思ったが、かなり突っ込まれる。

ネタも必需品だが、テーピングも必需品である。箱根から三島への「下長坂」は「こわめし坂」とも呼ばれる急な長い坂である。あまりにも長く急な坂で、背負っていたお米が、汗と熱でこわ飯になったといわれる坂である。ここで足を痛めてしまった。なんとかテーピングで、次の日も歩くことが出来たのでホッとした。どういうわけかその日はテーピング持参していたのである。カンが働いたのか。ところがハサミがなくて、友人が爪切りを持っていてそれで引きちぎった。旅はなにがあるかわからない。くわばらくわばら旅まくら。

旧東海道と『興津坐漁荘(おきつざぎょそう)』

暑さの中、一泊二日の三回の旅で元箱根から箱根峠を超えて三島へ、三島から沼津間は歩いているので、沼津から静岡(府中宿)まで到達した。天候と相談しつつであったが、喜ぶべきか、晴れに晴れてくれた。しかしJR静岡駅まで行けたのである。日本橋から19番目の宿である。旧東海道の三分の一まで来た事になる。

その旅で東海道ぞいにあった、『興津坐漁荘』について書く。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: SANY0101-768x1024.jpg

『興津坐漁荘』は西園寺公望(さいおんじきんもち)さんの別荘である。本来の『坐漁荘』は、愛知の犬山にある明治村に移築された。その後で、興津に復元され、『興津坐漁荘』として公開されているのである。本来の『坐漁荘』に忠実に復元されているらしい。材料が吟味されていながら、これ見よがしの所が無いシンプルな日本家屋である。時間が早かったため、家屋の雨戸などを開けている途中であったのが係りの方が、快くよく見学させてくれ、もう少しすると詳しく説明できる者が来るのですがと言ってくれたが、先を急ぐ旅人ゆえ、簡単な説明で充分に堪能できた。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: SANY0114-1024x768.jpg

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: SANY0115-1024x768.jpg

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: SANY0116-768x1024.jpg

『坐漁荘』は、劇団民芸の『坐漁荘の人びと』(2007年)という芝居を観て、頭の中に残っていた。西園寺公望さんという方は、最後の“元老”と言われた人で、政界を退いても影響力のある人であったようだ。しかし国の行方は彼の思うようには行かず憂いを残して亡くなられたようである。

『坐漁荘の人びと』は、昭和10年(1935年)の夏から、昭和11年(1937年)の二・二六事件を通過した、3月までの『坐漁荘』の中での使用人や警備の人々に囲まれた西園寺さんの登場である。視点はあくまで、一般の人々の目線である。

以前奉公していた新橋の芸者・片品つるが坐漁荘を訪れる。そこで、もう一度女中頭として勤めて欲しいと執事に懇願され、引き受けることとなる。新しい女中頭のつるが、奈良岡朋子さんで、西園寺が大滝秀治さんであった。

西園寺さんは、軍部に対しても物申す人で、身辺の危険が心配され、坐漁荘の中は女中と西園寺さんだけの世界である。そのため、内なる女達のまとめ役が必要であったわけである。女中頭のつるは、今までの経験を駆使して、ご主人の気の休まるような環境をと、七人の女中をまとめていくのである。

『興津坐漁荘』を見て廻ると、女性達の動線が自分の動きと重なる。兎に角、開け放たれた部屋はどこも明るい光が入り、台所も明るく、暗い場所がない。庭からの景色は風光明媚である。かつては。今は埋め立てられグランドになっていて、野球部の学生が練習に励んでいる。それもまた、主の居ない風景としては理に適っているかもしれない。戦争の足音の聞こえる時代の風景が今は、若者が好きな野球に打ち込んでいる。一部の人々のための風光明媚よりも現代に相応しい明るさと美しさである。

『坐漁荘の人びと』を観ていなければ、政治家の別荘の一つとしてしか見なかったであろう。竹が好きなようで、窓の格子も竹であるが、侵入を防ぐため竹の中には鉄棒が入っていた。そういうところも、きちんと復元したようで、中の網代や外の桧皮壁も質実剛健に見えるのが好ましい。

“元老”は西園寺公望さんが最後でよい。

作・小幡欣治/演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子、樫山文枝、水原英子、鈴木智、千葉茂則、伊藤孝雄、河野しずか、大滝秀治

東海道も弥二さん喜多さんや、浮世絵の世界だけでなく、時代時代の動きを垣間見せてくれる。時には、出会った人から、市町村合併の理不尽を聞かされることもある。その話しを聴いた後で歩くと、その人の怒りがもっともに思える町並みの風景に出会うこともある。集めるだけ集めて回って来ない置き去りにされる地域が生じることもあることを知る。

8.30国会包囲10万人集会と映画

8月30日、『国会包囲10万人集会』の安保法案反対の集会に参加する。その前に、7月28日の日比谷野外音楽堂での集会とデモに参加していて8月30日の行動を知る。7・28の集会では、脚本家の小山内美江子さんが元気な姿を見せられ、座ったままで良いというのでと、その場で発言された。かつて、小山内さんの著作を読ませてもらったので、この場に居なくてはとの力強いお元気な声が聴けて嬉しかった。集会が1時間位でそのあと国会までのデモであった。

8・30は、2時間の集会である。日比谷野外音楽堂は座っていれたが今回は立ち尽くしを覚悟しなくてはならない。

国会議事堂前は混むであろうと永田町駅で降車。永田町の駅構内には食事処があり、食べる予定ではなかったが空腹よりも良いと食事をする。お手洗いには15分くらい並ぶ。降車予定駅のもう少し手前の駅で済ませなかったのを反省。それから目的の改札口に向かうと、動きが取れないので他の改札へと案内があり、そちらへ回る。改札と階段はスムーズであった。外は人でいっぱいである。

さてさてどうしようか。国会正面までは迂回しなくてはならないらしいし、子供連れの方々もいるし、さらに込み合う必要もない。国会の裏とする。まずは歩道を渡り歩く。スピーカーからは、無理に進まずにそこに留まって下さいという。しかし、この位置はスピーカーの音が大きすぎ、長くは居られない。スピーカーの音が適度で、人の群がらないところを探すことにする。歩道の半分は参加の人々が三列ぐらいに並ばれている。後ろのほうの方は座られている。そのうち、集会が始まり政治家のアピールが始まる。

歩きつつ、スピーカーの設置位置により、全然聞こえない位置もあるのを知る。やっと右手に人々が程よく両脇に並んでいる歩道を見つける。スピーカーの音も程よい。ではゆっくりと拝聴しよう。位置を決める間に政治家の話しは終わっていた。時々、皆さんしっかり聞かれていて、時々笑いがあったり、拍手があり、シュプレヒコールが入り、それぞれの思いで時間が経過する。雨が降り出してもかなりのかたが傘以外の雨具持参である。こちらも、ポンチョを着る。

若い人たちのシュプレヒコールがラップ調で、<何々だー!>ではなく<何々だろう>と巻き舌になる。年配者も次第に調子に慣れてくる。

SEALDs(シールズ)のデモときは、時には過剰警備が疑われ弁護士が不当な扱いがないか監視して見回っているそうである。メッセージも映画関係となると耳がそばたつ。神山征二郎監督は師匠の新藤兼人監督の『一枚のハガキ』の意思を伝える。神山監督の『郡上一揆』秩父事件の『草の乱』『宮沢賢治』が頭に浮かぶ。坂本龍一さんがあきらめていたが若者に期待すると。坂本さんが出てくると、『戦場のメリークリスマス』を思い浮かべるが、よく解からなかった。デヴィッド・ボウイにハグされ戸惑う坂本さんの顔。たけしさんの「メリークリスマス」という時の笑顔。大島渚監督の映画のイチ押しは『少年』である。前日、京橋のフィルムセンターで数十年ぶりで観た。最初に観た時の想いは裏切られなかった。少年の心の内。雪一面の中の少年と三歳の弟。映像的にも美しかった。

横を歩く方々がそれぞれのメッセージを前にかざして通る。連帯の意思表示であろう。誰かとはぐれた人が携帯で連絡しながら歩いている。そんな動きもスピーカーから流れるメッセージやアピールの邪魔にはならない。発言者が係りの人に話が長いといわれているらしく、あと少しですからと焦られたりして聞いているほうにも笑いが起こる。シュプレヒコールのあと拍手で終わりそれぞれの思いを胸に帰路につく。2時間近く立ちっぱなしというのは後で応えた。主権は国民にある。

集会の日の夜、返す期日が迫っている映画『日本列島』(熊井啓監督)を観た。これは、芦川いづみさんが観たかったのである。芦川さんは、日活だけでなく、松竹系も似合いそうな女優さんであった。シリアス系もコミカル系もこなされていた。『日本列島』に、1960年安保闘争の国会前の抗議行動の映像が出た。

映画『日本列島』は、昭和34年に米軍基地で通訳として勤務していた秋山(宇野重吉)が、上司の中尉から、米軍の軍曹が殺された真相を調べるよう要請される。そこには占領下時代の闇の部分が介在していて、その闇の組織に父親を拉致された娘・和子(芦川いずみ)と秋山は出逢う。軍曹の死の真相の探索を頼んだ中尉自身から中止の命令があり、如何にやっかいな組織であるかがわかるが、秋山は真相究明を続ける。和子の父が沖縄で生きているらしいとの情報から秋山は沖縄に向かう。和子のもとに届けられたのは、秋山と父が殺されたという情報であった。

この知らせを聞いたときの芦川さんの演技が見事である。ラスト、国会をバックに和子が、胸を張って穏やかな表情で歩く姿には違和感があるが、負けるなという意味であろうか。下山事件、松川事件などの当時の迷宮入りの事件も映し出され、時代性が膨らみ、真相が隠されているので映画としては捕らえづらいが、そういう事もあったというドキュメンタリー的要素が強い映画である。劇団民芸の役者さん達が、リアリティーを加える。その中で芦川さんは大奮闘である。(原作・吉原公一郎/監督・脚本・熊井啓/撮影・姫田真佐久/出演・宇野重吉、芦川いづみ、二谷英明、鈴木瑞穂、武藤章生、大滝秀治、佐野浅夫、内藤武敏、北林谷栄)

日活がこういう社会派と言われる映画を創っていたのである。

映画人のほうが、今の政治家以上に勉強されている人が多いであろうと思える。政治家のお金目当ての私利私欲の姿がテレビの映像に現れそのリアルさに呆れかえる。演技賞は政治家に贈ったほうが良いかもしれないが、恥も外聞もなく国民に税金という観覧料を払わされているのに腹が立つ。