『瀬川昌久の94才 僕の愛した昭和モダン流行歌』

  • 刺激してくれるCDである。『瀬川昌久の94才 僕の愛した昭和モダン流行歌』。こういう素敵な構成はさすが94才の音楽とともに生きて来られたかたならではであると嬉しくなる。淡谷のりこさんは、テレビの映像で胸の前で手を組んでブルースを歌う姿しか印象にないが、こんな歌も歌われていたのかと淡谷さんの歌の領域が広がる。二葉あき子さんもしかりである。「僕の愛した」が根底にあるのが聞く者を楽しさと驚きの世界に運んでくれるのであろう。

 

  • 瀬川昌久さんが三才のときロンドンで聞いた西洋メロディを、日本に帰って来て日本人が唄っているのを聴いてその違いをも楽しむのである。日本版になるとこうなるのかと。昭和8年(1933年)から昭和28年(1953年)までである。解説が軽く専門的で、なるほどなるほどと知った気にさせてくれるのが、これまた瀬川昌久流であろうか。

 

  • 劇団民藝『時を接ぐ』を観たばかりなので、李香蘭さんにも注目する。瀬川昌久さんは、アメリカ映画が上映禁止になったので、中国人の李香蘭さん(そのころは日本人とは誰も知らなかった)がハリウッド女優に代わる異国情緒の魅力的存在となったとされ、そういうことも加味されての李香蘭さんの人気だったのかと当時の人々の気持ちも伝わる。

 

  • 満映と東宝提携映画『私の鶯』の主題歌『私の鶯』の李香蘭さんのソプラノには驚愕してしまった。『蘇州の夜』は仁木他喜雄さん作曲であるが、仁木さんがこの旋律を映画『そよかぜ』のなかでバンド演奏のメドレーにいれているというので観なおした。

 

  • 映画『そよかぜ』はGHQの検閲を通った第一号映画である。『リンゴの唄』は大ヒットした。歌手を目指す18歳のみち(並木路子)が照明係をしつつ舞台をみつめ、バンド演奏の『蘇州の夜』を聴きつつハミングしている。あの中国メロディを思いっきりアレンジしている。つながっていたのだと「接ぐ」が浮かぶ。

 

  • コロムビア収録のものが中心である。昭和10年代、銀座や浅草の劇場では、映画とコロムビアの歌手がコロンビア・オーケストラをバックで新しい流行歌を歌っていたのである。10代の少女がタップを踏みながら『靴が鳴る』や『お祖父さんの時計』を歌っている。ミミ―宮島さん。初めて名前を知る。可愛らしい歌い方である。

 

  • サトウハチローさんなどもこのことは知っておられたであろうし、美空ひばりさんが登場した時あまりにも堂々と歌われるので、なんだあれはと思われたのもうなずける。少女には可愛らしさを求めていたのである。でも少女は大人になるわけで、何の違和感もなく大人になられた美空ひばりさん。歌に関しては、世の中の可愛らしさのみそぎを自ら済ませての登場である。CDには美空ひばりさんは出てこないのであしからず。

 

  • 解説をながめつつワクワクしながら聴いた。映像で流される「思いでのメロディ」とか「懐かしのメロディ」とは違う。どんな時代にもワクワクさは大切である。どんな時も前を向く時間はそれぞれれ、一人一人違う。戦時下でもワクワクしているものを持っていた人はいた。それが音楽だったり、本だったり。瀬川昌久さんの「昭和モダン流行歌」は、次はどんな歌なのと今の時間をワクワクさせてくれた。そして勝手に飛ばさせてもらった。

 

  • 瀬川昌久さんには15年ほど前にカルチャーでお話を聞いたことがあった。その資料を探したらでてきた。フランク永井さんの『君恋し』は、二村定一さんが唄ってヒットしたもので、アレンジを変えてフランク永井さんの歌のようになったのを初めて知った。この後で下北沢の小劇場で『君恋し~ハナの咲かなかった男~』の舞台を観劇して二村定一さんがよりインプットされる。二村定一さんの『青空』『アラビアの唄』は日本版ジャズソング第一号とのこと。CDでは川畑文子さんが歌われる。それは、瀬川昌久さんの個人的こだわりがあるからである。

 

  • ミュージカル『青空~川畑文子物語~』(監修・瀬川昌久)も博品館劇場で上演されたが5日間で時間がとれず、いまでも残念に想っている。舞台『君恋し』、『青空』はもう一度上演してほしいと今でも願っている。映画『舗道の囁き』も瀬川さんから聞いていたのであるがその映画を観た時は忘れていた。瀬川昌久さんのCDを聴かれて、文字的歌のながれが、メロディーにのった歌としてよみがえったかたが多くおられるのではなかろうか。そのひとりがここにもいるのである。

 

 

新橋演舞場『夏のおどり』

  • 災害日本を見せつけるような昨今である。西日本の大雨は多くの尊い命が失われてしまう事態となっている。(合掌) テレビの映像から、このあとあの土砂を取り除き生活する空間をどう確保されるのかと思っただけでどっと疲労感が襲う。友人の御主人の実家が四国なので電話したところ、今四国に家族で来ているとの事。ドキッ!しかし、災害の地域ではなかったようでホッとする。お義母さんの100歳のお祝いを兼ねて帰っていたという。災害のとき、よく実家にお孫さんなどが帰られて災害に会われてしまったとの悲報を聴いたりして、よりによって何でと悲憤を感じるが、人の事情など考えてはいないのが災害の恐ろしさである。友人には関東も地震頻発であるから体力を温存して無事に帰ってと伝える。これからのことを思うと、災害被災者関係の人々やボランテアなど、遠くからのそれを手助けするための働き方改革も考えて欲しいと願う。

 

  • 15分片づけをやっている。15分で終わるわけでは無いが、15分でいいのであるとおもうと気が楽でいつでも簡単に始める。途中で少しでも空間ができると嬉しくなって少しつづけてしまう。ここにこれがあったのかと確かめただけでまた戻すが、次の時、処分するかどうか仕分けの段階となったりする。とにかく頭と足下は確保と防災頭巾と安く購入したすぐ履ける短いブーツを寝ていて手の届くところに置いてある。冷凍庫には、7割は調理済み物をいれている。冷蔵庫も幸い場所的に大きなものは置けないので倒れても動いてもなんとかなりそうである。そんなことを考えつつの15分かたづけである。だからといって大きな変化はない。ただ、上にある重い物と下にある軽い物とは入れ替わったりした。そして、片づけてはいるとの自己満足感である。

 

  • さて新橋演舞場での、OSKの『夏のおどり』である。高世麻央さんのラストステージでもある。和と洋のレビューである。昨年初めて観て楽しかったのである。今回は、第一部和物に変化が乏しかった。踊りが同じような振りなのが優雅ではあるが残念である。舞台装置は去年より豪華である。昨年は手作り感に新鮮さがあった。これは、高世麻央さんのラストのステージとあって、麻央さんの代表的な作品を並べたからではないかと思う。楊貴妃などもあり、おそらく長く観つづけている観客にとっては、想い出のステージを一気に観て様々な想いに浸られたであろう。昨年とは違う特別のステージとしての趣旨は理解できる。

 

  • 第二部洋物のほうが個人的に面白かった。高世麻央さんの貴公子ぶりも際立っていた。ラインダンスの衣裳がカジュアルで、そうだよ、こんな雰囲気のラインダンスがあってもいいのだよと楽しかった。なんなら、太鼓の音で、法被を着たラインダンスだってありだよなとおもう。来年3月新橋演舞場での『春のおどり』公演が決まったことが報告される。4月は松竹座、7月は南座だそうで、高世麻央さんがここまでけん引されて、お土産を置いていかれるような感じである。OSKはさらに100周年を向けて突き進んでいくのであろう。記念というだけではなく、まだまだOSKの経験と新鮮さに向けて羽ばたける力がある。高世麻央さんご苦労さまでした。あなたの舞台でレビューの楽しさを感じさせてもらいました。肩の荷を下ろされOSKを客観的な眼で応援し後押しされますように願っております。

 

  • 新しいチラシがあった。藤山直美さんが舞台に帰ってこられる。来年7月新橋演舞場『笑う門には福来たる ~女興行師 吉本せい~』である。まだ場面場面の一部は記憶に残っている。早くも今年の10月にはシアタークリエで『おもろい女』である。さらに、さらに歌舞伎座9月に福助さんが復帰される。『金閣寺』の慶寿院尼で、児太郎さんが雪姫である。児太郎さん嬉しいと同時に緊張するであろうと推測するが、喜びのパーセンテージが大きいであろう。体調を考慮され無理をせずゆったりと復帰されてください。

 

戦没学生のメッセージ(戦時下の東京音楽学校・東京美術学校)

メディアで、東京音楽学校から学徒出陣として出征され自決された村野弘二さんが作曲されたオペラの譜面がみつかったということを知りました。そのオペラは、岡倉天心さんの原作で歌舞伎の『葛の葉』にもある狐と人間の物語です。残されていた譜面は狐の<こるは>が月に向かって命の恩人である<保名>を助けるために人間に姿をかえてくださいと祈る場面です。

これは、声なき声の強いメッセージと思えました。その他の方々の作品も含めてコンサートが上野の東京藝術大学の奏楽堂で行われました。(2017年7月30日)

コンサートの前にシンポジウム「戦時下の東京音楽学校・東京美術学校~アーカイブ構築に向けて」もあり参加させてもらいました。アーカイブとはなにか、今どうして学徒出陣なのか、などの問題提起から、どう活動しているのかということを報告されました。

大きな要因は、学徒出陣に関して大学にその記録がきちんとされていないこと、今やらなければ学徒出陣時代の人々が高齢化していて生きた証言が残せないということでしょう。学徒出陣というと、明治神宮外苑競技場での雨の中の行進する出陣学徒の壮行会が映像として残っていて映画などにもこの映像がつかわれますが、ではその実態はとなるときちんとした記録がないのです。

壮行会の送る側にいらした作家の杉本苑子さんも今年の五月に亡くなられました。杉本苑子さんの小説はフィクションとわかっていてもしっかり調べられているという信頼感がもてます。若い頃に戦争を体験されている方々は誤った情報を体験していますので、その分調べることにこだわられる世代でもあるように思われます。

学徒出陣は高等教育機関に在籍していた学生でエリートということもあり、エリートを特別視しているようで検証するのが遅れたということもあります。今多くの大学で調査されているようです。

美術関係ではすでに信州の戦没画学生慰霊美術館「無言館」があり、遺族の方々が亡くなったあとも保存、展示してくれる場所ができています。まだ訪ねていないのでこの夏に訪れる目的地の一つです。

コンサートのトークショーには、「無言館」の設立のために同級生たちの絵を集められた野見山暁治さんも出演されました。遺族を訪ねられた時、帰りにお母さんがコートを着せてくれて背中に手を押し付けられ、その辛さで遺族を訪ねるのは止めようと思ったこともあったそうです。生き残った方達の罪悪感は想像できない苦悩でもあった話はテレビなどでも静かに語られます。

シンポジウムが二時間でコンサートが三時間だったのですが、内容が濃く、それでいてこれはほんの一部で、まだまだしっかり調査して、保存と公開を続けていきますという今の時代のメッセージが伝わってきました。シンポジウムの調査経過の報告で、いかに大変で時間を用することかがよくわかりました。

コンサートでは、トークショーや作品解説などもあり、同じ作品の複数の譜面から作り手の考えを探ったり、今回はこちらの譜面で演奏しますなど、より作品に寄り添うというコンサートでした。

聞きたいと思っていた村野弘二さんの<こるはの独唱>は永井和子さんの独唱で蘇り最後はやはり感極まりました。感情面だけではなく『葛の葉』が洋楽になるとこんな感じなのかという同じ作品の多様性も鑑賞することができました。当時「出陣学徒出演演奏会」でも演奏されたということで、皆さんどんな気持ちで聞かれたのでしょうか。帰ってこれるということはどなたも思っていないわけですから。

まだまだ静かに探してくれるのを待っている作品もどこかにあるのでしょう。こういうことをしているということを知り、こういうものがあるのですがという事もこれからあることでしょう。

時間を超えて言葉ではいい伝えられない気持ちを交信できたような素晴らしい催しでした。

主催:東京藝術大学演奏芸術センター・東京藝術大学 / 協力:東京藝術大学大学美術館・戦没画学生慰霊美術館「無言館」・野見山暁治財団

 

夏の汗だく文学教室 <第54回 日本近代文学館 夏の文学教室>が始まり2日目が終了しました。今回は「大正という時間 ー 文学から読む」ということで、明治と昭和に挟まったすき間に差し込んだ庶民文化の兆しの短さというような雰囲気で、短い時代ということもあるのでしょうか講師の方々の語りも熱く感じられます。気のせいでしょうか。

思いがけない視点をいただいて楽しませてもらっていますので、書き込みはしばしお休みです。今回は報告はなしで、いただいたものから飛びたいと思います。おそらく映画のほうへ飛ぶことが多くなると思います。

2017年7月31日(月)~8月5日(土)午後1時~4時20分 (有楽町よみうりホール)

 

映画『ハクソー・リッジ』そして「蘇る戦没学生の音楽作品」

映画『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)は、人を殺す武器は持てないという宗教と自分の体験のに基づく信念のもとに、軍法会議にかけられながらも除隊を拒否しやっと衛生兵として戦場へ行き、傷ついた仲間を安全な場所へ運び命を助けた兵士の実話の映画化です。それが沖縄戦でのことだということを知り急遽見てきました。

意志を貫く青年も凄いですが、やはり沖縄戦がいかに棲ざまじい戦いであったのかということがあらためてわかりました。その前の大戦で戦争に行って心を病んだ父親の姿にも戦争の爪痕は残っており、アメリカ側から見た戦争ですが、何のために人間は殺し合わなければならないのであろうかと敵も味方もなくなって見ておりました。

その後、沖縄の戦争を描いた映画、『激動の昭和史 沖縄決戦』(岡本喜八監督)も見直しましたが、再度、映画としてよく残してくれたと感嘆しました。そして、全然違うきっかけから北野武監督の『ソナチネ』を見て、これは、ヤクザの世界のことであるが、北野監督は沖縄での戦争をも視野に入れて違う形で撮った映画なのではないかと思えました。死ぬことがわかっていながら沖縄に行くことになってしまう主人公。沖縄の美しい自然の中で悪ふざけをして愉しむ姿が可笑しくもあり悲しくもあるという死の匂い。何の表情も見せずに撃ち込むピストルの弾。エンドクレジットの後に映る、時間が過ぎ去り忘れられてしまった当時の釣り道具や舟の残骸の映像。

ハクソー・リッジ』を見たなら、日本側からの沖縄の映画『沖縄決戦』でも『ひめゆりの塔』でもいいですから見て欲しいですね。沖縄に住む人々や兵士がどう闘い亡くなっていったのかを。岡本監督が一番こだわったのは場面は戦闘場面ではなく、夜間の雨も中での群衆の撤退場面だそうです。この場面がなければこの映画を撮る意味がないとまで言われたそうです。そして是非見て欲しいのが『ソナチネ』です。ヤクザ映画と同じにするなというかたもあるでしょうが、設定は違いますが人間の虚しさが共有できます。 映画『沖縄 うりずんの雨』『激動の昭和史 沖縄決戦』

深作欣二監督が、『仁義なき戦い』シリーズで1作目の最初に広島のキノコ雲を2作目から5作目の最後に必ず広島の原爆ドームを映したのは、深作監督の中に燃えたぎる上に立つものへの怒りです。

沖縄の地に立った時、沖縄戦の映画をみているかどうかで感じ方が違うでしょうし、その後で沖縄の自然を満喫していただきたいです。<ハクソー・リッジ>は浦添市の<前田高地>だそうで『沖縄決戦』では、<嘉数高地>とか<棚原高地>などはとらえられましたが、<前田高地>は気がつきませんでしたので再度時間的経過などを確かめつつ見ようと思います。

かつて学徒出陣で戦争に行きやむなく命を絶った村野弘二さんのことを書きましたが、村野さんの作品が7月30日、東京芸術大学で開催されるコンサートで聴くことができます。   白狐の「こるは」

東京藝術大学130周年記念「戦没学生のメッセージ(スペシャル・プログラム)~戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」

童謡「夕焼け小焼」(中村羽紅作詞)を作曲した草川信さんの長男である草川宏さんも東京音楽学校に在学し戦没され、今回『ピアノソナタ』が演奏され、その他の在学した戦没者の作品も披露されます。志なかばで亡くなられた若い人々の、生きておられればやりたかったことの作品が紹介されるわけです。入場券はチケットぴあでも購入できます。

村野弘二さんは作曲家の團伊玖磨さんと同期で、團さんは生きてもどられ、團さんの書かれた随筆『陸軍軍楽隊始末記』を映画化されたのが松山善三監督・脚本による『戦場にながれる歌』で4月にラピュタ阿佐ヶ谷で見ることができました。

戦争末期で音楽経験のない人がほとんどで、猛特訓の末戦場へて旅立ちます。教官とのやりとり、珍演奏に笑いも起こりますが、次第に過酷さだけが映しだされ、映画としての引っ張る力が単調化してしまうのが残念です。森繁久彌さんが中国人で娘の結婚のために踊るため京劇の衣裳での出演で印象を際立てますが唐突な感もあります。後半、松山善三監督のヒューマニズムが多くの出演者を活かしきれなかったところが見受けられました。(児玉清、久保明、加山雄三、加東大介、藤木悠、名古屋章、青島幸男、大村崑、桂小金治、千葉信夫、佐藤充、小林桂樹、森繁久彌)

映画としては、岡本喜八監督の『血と砂』のほうがエンターテイメント性が強いのに心に沁みる度合いが濃いです。音楽性からいっても。松山善三監督のほうは、真面目に多くのものを取り入れ拡散したように思います。岡本喜八監督は、ハチャメチャに撮っているようでいながら一人一人の人物像が生きていて、伝わってくるものがあるのです。  映画 『血と砂』

若人たちが戦争で出来なかったことの遺作が整理され発表され、今の人々とつながることによって鎮魂となれば、こちらも少し救われます。

映画『ハクソー・リッジ』から、戦争での若人の命が投影され、再び光輝くきっかけとなりました。映画館は若い人、中年、老年まで巾ひろいかたが鑑賞していたのが嬉しいです。捉え方はそれぞれでいいとおもいます。色々思い起こさてくれた映画でした。

 

白狐の「こるは」

『保名』から『葛の葉』について書いたが、『白狐』が素晴らしい姿を現してくれた。

岡倉天心さんが、信太(しのだ)の森の葛の葉伝説をオペラの台本『白狐(びゃっこ)』として作られていた。そして、その作品の作曲の一部が見つかったのである。悲しいことに、そのかた村野弘二さんは、東京音楽学校から学徒出陣され、終戦を知らずに1945年8月21日に自決されていた。

1942年4月に東京音楽学校予科に入学され、1943年の11月に校内演奏会で『白狐』を披露、12月には陸軍通信隊に入営。その一年後にはフィリピンのマニラへ。ルソン島の山岳地帯では飢えと伝染病の為に多くの死者がでる。村野さんは見習士官であったが、マラリアにかかり歩くこともままならず部下を指揮することも出来ない状態で、覚悟の自決であったようだ。

村野さんの同期に作曲家の團伊玖磨さんがおられ、村野さんの作曲を「傑作」として楽譜を捜したが見つからなかった。その一部が発見されたのである。

『白狐』の狐は<こるは>という名前で、この、<こるは>がピアノ伴奏で独唱する第二幕の楽譜の一部と「こるは独唱」のレコードも見つかったのである。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

詳しい事を知りたい方は、図書館ででも、「毎日新聞」の6月19日、20日、21日の朝刊のお読みください。

戦争によって夢多き時代に夢破れた人々の想いはどこかで息づいていて、姿を現してくれたり、捜し出してくれるのを待っているのである。余りにも多くの人々がいるので、村野弘二さんはその方々の代表として<こるは>を送り届けてくれたのであろう。

友人が、「読売新聞の19日の夕刊に谷崎潤一郎の佐藤春夫あての書簡が見つかったと出ているわよ。」と知らせてくれた。図書館でよんだが成程である。横浜の神奈川近代文学館での『谷崎潤一郎展』でも、谷崎さんと佐藤さんのその後の関係は円滑であったと思えたので驚きはしなかったが、谷崎さんの佐藤さんに対する信頼度を示す書簡で、谷崎さんの無防備さがわかる。 『谷崎潤一郎展』

もう一つ、同じ新聞に思わぬ発見をさせてくれる記事にあう。東京国立近代美術館工芸館の建物が旧近衛師団司令部であったことである。その日にこの工芸館を訪れていたのである。何回か訪れていて、いつも、古い建物だがいつ頃の物なのだろうとは思って居たが調べもしなかった。新聞の記事が無ければ、あの『日本のいちばん長い日』の舞台となった場所とは思ってもいなかった。 岡本喜八監督映画雑感

こちらは、21日までという「近代工芸と茶の湯」を観て、その作品の一つ一つの美しさに人間技なのであろうかと感嘆したのである。時代劇小説だったと思うが、銀と銅と金の合わせ方に<四分一>というのがあるというのが出てきてその<四分一>だけ記憶にあって、その水指があった。「これがそうなのか。」と想像していた色合いで嬉しくなってしまった。調べたら<四分一>でも色々あるらしいが、最初に出会えた色合いに満足である。

その場所が、時間の経過によって、全然違う想いの人間の感情を受け止めているのである。平和という時間が如何に大切な時間であることか。

ここに並べられるような技を具えていた人で亡くなられた方もいたであろう。こんなものは戦争の役には立たないとされ仕事を止められた方もいたであろう。見るのさえ出来ない時代である。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

<こるは>のこの願いの言葉と同じ想いでお月さまを眺める人は沢山いるであろう。

 

 

『ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル』と『馬と歌舞伎』

『ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル』と『馬と歌舞伎』

二つの関連性は何もありません。プロのクラシックのピアノだけの音楽会は生まれて初めてと思う。学校教育での音楽の時間の音楽鑑賞は、今日こそ眠りに勝つぞと思ってもいつも睡魔には勝てなかった。ピアノだけとなるとなおさらである。それゆえ、感想など書くどころではないので、<と>ということで二つのことで字数を増やそうとの魂胆である。

苦手なピアノ・リサイタルになぜ行ったか。映画 『パガ二ー二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』 『不滅の恋 べートーヴェン』 から 映画 『楽聖 ショパン』 『愛の調べ』 の映画へと音楽家の映画が続いたが、その時、ピア二ストでもあるフランツ・リストの技巧的なピアノ術に興味をもった。クラシックの場合、技巧的に走るのを嫌煙しているように思って居たのである。ダニール・トリフォノフさんという方がどんな方か全く知らないのであるが、チラシの演奏曲目の一つに注目した。 <F・リスト:超絶技巧練習曲集 S.139/R.2bより> 暗号みたいである。<リスト>と<超絶技巧練習曲> ここだけに注目である。ピアニストの指の動きを見たいがすでにそういう席は無し。

東京オペラシティコンサートホールである。驚いたのは、ピアノの音がおおげさに言うとぼあ~んと響くのである。CDなど聞いていると、ポンポンと切れるのにポンのあとに響きがあるのである。生演奏はやはり微妙な音域があるのであろう。

始まってすぐ、困ったことに、空調のため、喉が咳を要求する。両手で口を押さえ、口の中で舌を動かし唾液を分泌させ、何んとか難関を切り抜ける。静か過ぎてバックからハンカチも取り出せない。マスクを持参したほうがよさそうである。それからこういうところでは、靴音のしない靴がよい。何かで急に退出するとき歩けなくなってしまう。

演奏のほうは素晴らしかった。ピアノも体力勝負の格闘技に思えた。やはり技巧的であった。技巧的をわかって言っているのではない。指の動きが速い演奏も加わり、何かを表現しているのであろうと思うがその風景は観えない。しかし帰ってから、ピアニストのグレン・グールドの録画を見たくなって見たのであるから、相当の刺激を受けたことは確かである。自動ドアを開く位置には立ったようである。

『馬と歌舞伎』は日本橋三越でやっているイベントであるが、JRA60周年記念で、海老蔵さんがイベントの案内人ということで、歌舞伎の馬に関しても展示があったのである。競馬は興味がないので、歌舞伎の馬を見てきた。人が入り動かす馬である。競馬の馬も今日は走りたくないと思うこともあるであろう。歌舞伎の馬は競争はできないが、そういう時は戯人化して伝える能力がある。歌舞伎演目『寿三升景清ー関羽-』で海老蔵さんが乗られた白馬が展示してあり、なかなか立派である。馬の前の首のところから、前足担当の役者さんは舞台を見ることが出来ることがわかった。

下座音楽で使う<馬子唄鈴>も触ることができ、沢山鈴が付いていて軽やかな鈴の音を出す。竹でできた<馬のいななき笛>、街道や宿場を現す<駅路>と名のつく鳴りもの道具もあった。馬の足音を出すものも。『助六』が身につける印籠も展示されていて、黒地に真っ赤な牡丹で葉が金地である。助六さん、なかなかオシャレで派手な印籠を下げている。『勧進帳』の巻物は軸が水晶である。さすが、さすが、歌舞伎の小道具である。<超絶技巧>的である。

二つ、少しつながったようなのでこの辺で。