ヒップホップ文化(グラフィティ)

ヒップホップ文化のグラフィティ・アートを描くライターを主人公にした映画は、少ない。映画『ワイルド・スタイル』(1983年)の主人公・がグラフィティ・ライターである。この映画は、ヒップホップ文化の四大柱としグラフィティが4要素に加わるきっかけを現わす映画ともとれる。

主人公・レイモンドは<ゾロ>という名前で電車や壁にグラフィティを描いている。ゾロが誰であるかは限られた人にしか知られていない。ゾロの名はマスコミにも知られており、クラブの支配人である友人は、レイモンドにマスコミの取材を受けさせる。電車に描くなどは違法行為でもあり、顔を出すことにレイモンドは迷う。友人はマスコミにつながりを持ち、ヒップホップのパーティーを野外公会堂で開くことを任される。レイモンドはその野外公会堂のアーチと壁のグラフィティを頼まれる。

レイモンドは描き始めるが、絵の中心となる部分のアイデアが浮かばない。そんな時、彼がゾロであることを知っていた恋人が「ゾロにこだわり過ぎている。スターはラッパーよ。」と助言する。レイモンドは気がつく。グラフィティ・アートもパーティーに溶け込むものの一つであると。

パーティーが始まると、ゾロはアーチの上に登りそこから下を眺める。自分の描いたグラフィティの前でDJ、MC、ブレイクダンスが披露され、それを楽しむ人々の姿に自分もビートに乗って満足するのである。ヒップホップの四大柱のできあがりである。ヒップホップの誕生時の公園、公民館、体育館などで開かれたパーティーの様子を想像出来る映画でもある。

映画『ビート・ストリート』(1984年)よりも前のヒップホップカルチャーの映画『ワイルド・スタイル』を、遅まきながら見れることができて満足である。

映画『ビート・ストリート』に登場するグラフィティ・ライターのラモも壁や電車にスプレーペイントをしていた。描き終わった自分の絵の上に名前だけスプレーしていく者がいて、腹だたしく思っていた。ラモは電車に描いたばかりの絵に名前をスプレーする者を見つける。逃げる相手を追いかける。そして相手を捕まえ争ううちに線路の電流に触れて亡くなるという悲劇にみまわれる。

主人公のケリーはクール・ハ―クのもとでDJとMCをやっており、プロモーターに大晦日のパーティーを任される。認められるかどうかのチャンスである。友人ラモの死に臨み、とてもできる心境ではない。しかし友人達に励まされ、ラモのグラフィティ・アーティストとして讃える祝祭を考え開催するのである。ラップ、ゴスペル、フリーダンス、ブレイクダンスなどを組み合わせ、参加者が楽しめるパーティーがケリーの考案通り盛り上がるのであった。

映画『ワイルド・スタイル』と『ビート・ストリート』はヒップホップの4要素とともに、崩壊したり荒れすさんだサウス・ブロンクスの街並みを見ることができ当時の現状が垣間見える。

グラフィティを前面にだしているのは、映画『ボム・ザ・システム』(2003年)である。グラフィティ・ライターとそれを取り締まる警察官との攻防戦も描かれている。グラフィティに使うスプレー缶は盗むというのが信条らしく、かなりあぶなっかしい主人公・アンソニーとその仲間の兄弟の三人で描いていく。アンソニーの兄もグラフィティ・ライターだったらしく、幼い頃、自分を置いて描きに行き死んだらしい。その兄との連鎖が主人公の中にくすぶっているようだ。

兄弟の弟のほうが警察につかまり暴力をうける。兄は熱くなり挑発的になっていく。取り締まる二人組の警察官とのいたちごっことなり、三人がいるところに警察官二人が姿を見せる。言い争いもめるうちに兄のほうが転落死してしまう。アンソニーは大学に受かり絵と対峙する別の道もあったが、アルコール中毒になっている警察官の一人に撃ち殺されてしまう。アンソニーは兄の死の連鎖とつながってしまった。

仲間の弟・ケヴィンが「連鎖を断ち切る」と一人電車に乗り込み去る。グラフィティの才能があるゆえに自分にこだわり迷う青春の挫折ともとれる。消されて残されないグラフィティの虚しさ。それでも描く若さの無鉄砲さと、ぶすぶす飛び出す怒りが感じられる。そして連鎖を死によってしか断ち切れなかったという悲劇。

負の連鎖をどう断ち切るかということがテーマなのかもしれないが、その代償は大きい。負の連鎖から抜け出し、前に向かって進むのがヒップホップ文化の信条である。

グラフィティの映画では『タギング』(2005年)というのもあるが、この映画はグラフィティの縄張り争いがからみ、銃と暴力が飛び出しギャング化している。

ヒップホップ誕生時期に一方でポップアートの時代の寵児と言われたジャン=ミシェル・バスキアが重なるが、バスキアはブロンクスではなく、マンハッタンで放浪生活をしており、彼はヒップホップ文化とは一線を画していた。ただ、グラフィティ・アーテイストが逮捕されその後、路上で警察官5人に暴行をうけ、病院で亡くなったことにショックを受けていたと元恋人がドキュメンタリー映画『バスキアのすべて』でコメントしている。黒人アーテイストとしての扱いにバスキアは苦悩していた。

新しい美術館が開館していた。アメリカのフロリダに、グラフィティアートに特化した世界初の美術館『 Museum of Graffiti 』がオープンしていたのである。時代と共に一緒だった四大柱にもそれぞれの道が模索されているようである。

   

<ヒップホップ> →  2020年2月4日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

                                                                                                                                   

                                                                                              

気ままに『新版 オグリ』

ヒップホップ文化のもやもや感が少し薄れ、スーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』のことが出て来たので気ままに書かせてもらう。

猿之助さんと隼人さんが並んだ『新版 オグリ』のフライヤーを見た時、猿之助さんの鬘は今までのスーパー歌舞伎のイメージから納得できたのであるが、隼人さんのがわからなかった。地味系だなとおもったら、ヒップホップ系であった。舞台にオグリ6人衆が出て来て、玉太郎さんのキャップで、そいうことだったのかとパッと解明したのである。ストリートダンス映画を観ていてどうして気が付かなかったのであろうか。悔しい。

もう一つは、衣裳にフードがついている。これもストリートダンスには多い。さらにヒップホップ文化の誕生当時は、一人がMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティの全てやっていたという。グラフィティなどは、違法の場所にも描くので映画などではフードで顔を隠すためフード付きのパーカーを着ていることが多いのである。

フードを使ってダンスの振り付けを考えたら、振り付けを盗まれてしまうというのが映画『ボーン・トウ・ダンス』に出てくる。新しい振り付けはバトルの最重要課題である。映画『ユー・ガット・サーブド』でも盗まれていた。振り付けを盗まれるのでは、映画『ストンプ!』にも出てくる。<ストンプ>はアフリカで生まれたもので、それがアメリカの大学の友愛会で行われるようになる。足踏み、拍手、体を叩いて音をだしつつリズムをつくりながら踊るのである。なかなか勇壮である。

ストンプの映画は数が少なく『ストンプ!』、『ストンプ・ザ・ヤード』、『ストンプ・ザ・ヤード2』の3本を観る。『ストンプ!』はカナダ制作で高校生の年代であるが、脚本家はカナダでは高校生が踊っていて、アメリカでは大学生が殆どなのでその違いに驚いたとコメントしている。入り方もそれぞれである。

さて軌道修正し、『新版 オグリ』は、個人的興味ゆえにストリートダンスと重ねて観て楽しんだ。オグリに見いだされたオグリ軍団の仲間意識。オグリ自体が貴族社会から逸脱した人物である。馬を乗りこなすのは武士の誇りでもあったが、その能力さえもオグリには備わっていた。ただしその才能による自信過剰をなんとかしようとする人物(?)がいた。この方フットワーク抜群である。ダンスも踊れるかも。

愛し合うオグリと照手姫は離れ離れとなり、それぞれの旅をすることになる。その旅先で登場するのが二人組である。ストリートダンスのバトルでは、得意分野のダンスをしかけるとき、単独、コンビ、トリオでしかけ変化をもたせることが多い。全員でやるときは気持ちを一つにし、さらにそれぞれの持つ力を上手く発揮させること。これもバトルの重要な作戦でもあり、観客を楽しませることにもつながるのである。

新版 オグリ』でも、このコンビとトリオが流れの中に上手く取り入れられていて上手い使い方であると思った。衣裳も電飾つきの衣裳が出て来た時は、映画にもあったので笑ってしまった。もちろん立ち廻りでもこの組み合わせは使われる。

若い役者さんの活躍をみれるのも楽しみである。竹松さんは、歌舞伎『あらしのよるに』の<はく>が印象的であったが小栗一郎で活躍する。ぴったりである。博多座と南座は鷹之資 さんだそうである。どうなるのであろうか。これまた興味深い。

二郎が男寅さんで、どこか甘えん坊の雰囲気が次男坊ゆえであろうか。四郎の福之助さんの武骨さが出自と合っている。六郎の玉太郎さんが難しい役どころで、屈折した若者像を上手く出している。そしてきっちり若者に同化しているのが三郎の笑也さんと五郎の猿弥さんである。この六人を率いるのが猿之助さんの小栗判官と隼人さんの小栗判官のダブルキャストである。今、思った。猿之助さんのオグリの鬘、アフロヘア―をイメージしてるかも。そんなわけで色々想像豊かにしてくれる。

隼人さんのオグリは颯爽として仲間をひきつけ、遊行上人の猿之助さんに思慮深く導かれる。猿之助さんの遊行上人の雰囲気がいい。隼人さんの若いオグリを導くという印象が強く出た。時代の成り行きに懐疑的なオグリの猿之助さんは仲間を力強くひっぱる。隼人さんの遊行上人は、猿之助さんのオグリと共に自分も導く道を模索しているという感じである。そこの違いも見どころの一つであり、どう見るかは観客に任される。

小栗判官のお墓があるのが神奈川県藤沢遊行寺であるが面白いことを知った。河竹登志夫さんが書かれているのであるが、曾祖父にあたる黙阿弥が「阿弥」号をもらったのが、この時宗総本山遊行寺からだということである。

相模湖に行った時には小仏峠に照手姫の美女谷伝説があるのを知った。照手姫が小仏峠の麓で生まれていて、その美貌から地名が<美女谷>となったといわれていて、両親が亡くなって照手姫は<美女谷>から消えてしまったとあった。『新版 オグリ』での照手姫の運命はいかに。

照手姫は新悟さんである。新悟さんの照手姫の役にも、新悟さん自身にも自意識がみえた。あまり自分を押し出さない方だが、猿之助さんのオグリの時、凄い大きな声で台詞を言われて客席に笑いが起きた。意に介さずさらに貫いた。これは好い傾向であると思えた。次の国立劇場の『蝙蝠の安さん』の花売り娘では、細やかさが加わっていた。ひとつ突き抜けたかも。

今月の新春歌舞伎では、『新版 オグリ』の役者さん達は、あちらこちらの舞台で活躍している。悪戦苦闘している方もいるであろう。そろそろ心は、『新版 オグリ』への移行が始まっているのかもしれないが、今月の舞台、悔いのないように無事つとめられますように。

<ヒップホップ> →  2020年1月26日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

     

ヒップホップ文化(ブレイクダンス)

映画『ビート・ストリート』と同年(1984年)に公開されたのが、映画『ブレイクダンス』、『ブレイクダンス2』である。この映画からブレイクダンスという言葉が拡散したといわれている。(原題は『BUREAKIN’』)

ブレイクダンス』の場所はカリフォルニアのヴェニスビーチでストリートダンスのメッカということである。詳しくはわからないが他の場所でもストリートダンスが盛んな場所があり、それぞれに特色があるようだ。ブレイクダンスは体操競技、カンフー映画、ジェームス・ブラウンなどからも影響をうけ、様々な要素を取り込んでいき進化していく。

ブレイクダンス』はケリー、オゾン、ターボの3人が主人公である。ケリーはジャズダンスサーを目指していてオーディションで表舞台に立ちたいと思っている。そのケリーがストリートダンスを踊るオゾンとターボに出会いブレイクダンスに魅かれそのダンスを取り入れていく。紆余曲折しつつケリーの提案で3人はミュージカルのオーディションに立ち向かい自分たちのダンスを認めさせるのである。

ターボの箒を使ってのダンスは多くのダンス場面でもイチ押しである。3人に敵対するクルー(チーム)の中に、マイケル・ジャクソンにムーンウォークを教えたというポッピン・タコも出演しているのを知る.

ブレイクダンス2』は3人は同じメンバーで、その後ということになる。オゾンは子供から若者たちまでダンスなどを練習できる場所を見つけ、〔ミラクル〕と名付け活動する。建物は廃屋同然の公共の施設のため老朽化しており、資金がなく、民間が買い取りスパーにするという。皆の集まる場所が無くなるとオゾンとターボたちは反対する。ケリーはパリでの主役出演を蹴り二人を手伝い、資金集めのショーを成功させる。

この映画での見せ所の一つがターボの部屋の床、壁、天井での360度のダンス場面であるが、これはすでにフレッド・アステアが『恋愛準決勝戦』(1951年)で踊っているので驚かなかったが、ダンスの種類が違うのでその面白さはあった。振り付けの担当がマイケル・ジャクソンの「BEAT IT」の振り付け師、ビル・グッドソンということである。

ブレイクダンス』『ブレイクダンス2』からマイケル・ジャクソンにつながったが、マイケル・ジャクソンのミュージカル映画『ムーンウォーカー』(1988年)はヒップホップ文化を意識してると思えるし、この映画から新たなB-BOYたちが生まれたことが想像できる。『ムーンウォーカー』では、「最高のワル」と自称する子供たちが自信たっぷりにストリートダンスを披露している。

B-BOYたちが口にする映画に『フラッシュダンス』(1983年)がある。この映画には、主人公が歩く前でブレイクダンスを踊り出すストリートダンサーが出てくるのである。映画を観た時、ブレイクダンスとは知らずになんという面白いパフォーマンスであろうか、こんな動きがあるのだと思った。

ブレイクダンス2』では、自分たちのコミュニティーセンター〔ミラクル〕を守るが、もっと年齢が若い少年、少女が放課後に集まる児童館を守るためにダンスバトルショーを開催するという映画が『ストリート オールスターズ』(2013年)である。『 ストリートダンス TOP OF UK 』(2010年)、『ストリートダンス2』(2012年)の3作目で、3作の中で一番人気度は低いかもしれない。観始めたときはチルドレンものかとあなどった。

6人のメンバーがダンスチームを組むのであるが、言い出す少年が好きになった少女に恰好をつけて自分のダンスメンバーは凄いと出まかせを言い、急遽メンバーを集めるのである。言い出しっぺがダンスが駄目で、一人だけブレイクダンスが上手な少年、格闘技の少女、社交ダンスの姉弟、音楽がなんとかなる少年の6人なのである。期待できない6人が児童館のためにバトルダンスショーを成功させるのである。その6人の始めと最後の落差が見どころである。

印象的な場面があって、ダンスが得意な少年は、親の教育方針でダンス禁止で、優秀な学校への試験を受けるのである。その試験の最中、少年は違う世界に入り込んでいく。そこで、白い紙で作られた甲冑の武士とダンスで戦うのである。笛と尺八が流れなかなか素敵なシーンである。このシーンが映画を観る者を現実の世界につながり愉しませてくれた。

一つは、迎賓館赤坂離宮の正面屋根の左右に甲冑がのっているのである。この洋館の上で、武士の心が守るぜという感じで、歌舞伎の『暫』の衣裳のように左右に広がりをもたせている像である。映画をみたあとだったので遊び心のユーモアさが感じられ、その感性に違和感なく気にいってしまった。

もう一つは、スーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」である。地獄の鬼兵士たちの衣裳と重なったのである。この鬼兵士たち踊るのである。照明にかなり助けられていたが。

<ヒップホップ> →   2020年1月21日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

ヒップホップ文化

ダンス映画にはまったのは、たまたま映画『ステップ・アップ』に出会ったのである。アップルの創業者の一人であるスティーブ・ジョブズを知りたくて彼の映画を探してレンタルしていたのである。ドキュメンタリーやインタビューものも含めて観れるのはこれぐらいだなと思った時、すぐ横にあった『ステップ・アップ』の文字が目に入った。軽くダンスの映画でもと思ったらこれがダンスシーンがたっぷりでこれは次を観なくては。

ステップ・アップ』が5作品続いていた。主役は変わるが、たびたび登場するB・ボーイ(ブレイクダンスのダンサー)もいる。青春物なのだが、4作目『ステップ・アップ4:レボリューション』では登場人物が大人の設定となる。はじまりから何やら登場人物が謎めいた動きをしている。そして突然踊り出すのである。並ぶ車の上で。『ラ・ラ・ランド』が吹っ飛んでしまった。

すでにこのシーンをやっていた映画があったのだ。この映画の後、『ラ・ラ・ランド』を見直したが、車上で踊るシーンは、精彩をうしなっていた。かつては、物凄い衝撃を受けたのに。『ラ・ラ・ランド』はこれまでのダンス映画に対するオマージュということであるが。

ステップ・アップ4:レボリューション』の美術館でのダンス場面も違ったシチュエーションで魅了させてくれる。それからである。ストリートダンス映画をさらに探して観始めた。

飽きなかった。一つ一つの映画のストリーは単純である。苦難がありそれを乗り越えてダンスに生きるという内容である。ただ、ダンスシーンが圧巻である。ブレイクダンスは、バトルがあり、そこでそれぞれのB・ボーイ(B・ガールもいるが対等の力量から総称させてもらう)の持ち味が試される。それも、相手の出方によってそれに即興で対抗するのである。映画の場合、振り付け師がいて映画用に作られるのはわかっていても面白かった。ダンスの腕前が皆さん素晴らしい。

主演者がダンスが駄目なら、本物のB・BOYやプロ並みのダンサーが見せ場をつくってくれるのであるが、いやいや主演者たちも頑張っていた。映画に出ている日本人ダンサーのレベルも相当なものである。実際の世界大会のドキュメンタリーもみた。驚いた。日本人が堂々と戦っていたのである。ストリートダンスは若者たちが勝手に楽しんでやっているのだと思っていた。そこに懸ける情熱とB・BOYの一途さは半端ではない。

苦難の道であったので逸脱した人々もいたり、その情報が頑張る人々をかすめさせてしまうこともあった。皆人生と若さをそこに懸けていた。ダンサーは活動時期が短い。そしてお金にもならない。それなのにステップを踏み続けるのである。そして観る者を理屈無しで楽しませてくれる。

ブレイクダンス系を観続けてかなり経ってから知ったのである。ヒップホップは若者が自分たちの力で作り出した 文化 であるということを。

パトカーの上で踊るのが映画『ブレイク・ピーターズ』である。1985年に東ドイツでブレイクダンス映画『ビート・ストリート』が公開され、それに魅せられた若者がブレイクダンスに熱中する。しかし、当然認められない。国はブレイクダンスを認める代わりに皆に受け入れやすいように修正する。いいように操られてはB・BOYSの生き方に反すると思い始める若者たち。

映画『ビート・ストリート』は実際にある映画なのであろうか。実際にあった。日本では公開されなかった。DVDのパッケージの解説によると、 「1984年、日本では『ビート・ストリート』は未公開でビデオとLP盤のみの発売にも関わらず、日本における HIP HOP のパイオニアたちにとっては衝撃的作品であった。」 この作品はヒップホップカルチャーというものを認識させてくれる作品となった。

ヒップホップ文化の四大柱といわれるのがMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティということで、ニューヨークのブロンクス区で誕生する。それを体現する登場人物の友情が描かれているのが映画『ビート・ストリート』なのである。ダンスだけを追い駈けていた者に基本形を示してくれた。

ギャングになるかクスリの売人になるしかないという環境で若者たちは、銃と暴力の対立から全く相手に肉体的危害を加えないバトルをみいだしたのである。それも人種の違う人々が住む地域で。ダンス教室に通えるような環境ではない。家の前で、ストリートで、年齢関係なくステップを踏む。新しい若者文化。文化を生み出すなどと考えられない場所から出現するのである。

ヒップホップという呼び方は、1978年か1979年からという。

ダンス映画の多くの鑑賞ラストに近づいて知った。ブレイクダンスは、ユースオリンピック(14歳から18歳)ではすでに競技種目に入っており、さらに2024年のパリでのオリンピックの競技種目に加えられたのである。軽く手にしたステップが大きくアップしてしまった。

追記: ダンス映画から始めたのでヒップホップ文化の生まれた状況が不安定であったが、DVD『ヒップホップ・レジェンド』を観て、そのインタビューからかなり実態を固めることができた。この映像、好い出会いであった。

<ヒップホップ> →  2020年1月15日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの継続(3)

〔 謹賀新年 〕 新しい年を迎えたが、内容は昨年の続きである。

東京国立博物館で『御即位記念特別展 正倉院の世界 ー皇室がまもり伝えた美ー』が開催されていた。シルクロードの一つの終着点が奈良正倉院と言われるが、イランがペルシャ帝国と言われていたころの文化が日本に到着し正倉院に保存されていた。

ペルシャ系人とおもわれる「伎楽面 酔胡王(すいこおう)」、聖武天皇が愛用されペルシャで流行っていた水差し「漆胡瓶(しっこへい)」、胴にペルシャの天馬(ペガサス)が描かれた「竜首水瓶」、80もの円形切子のあるガラス器「白瑠璃椀」、紺色の中にかすかに残る白濁色が残る「ガラス皿」、草原の狩猟を描いた四絃琵琶「紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうのびわ)などペルシャから伝わった展示品をわくわくしながら鑑賞した。

五絃の「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」も展示されていて、四絃はペルシャで五弦はインドで多く使われ、「螺鈿紫檀五絃琵琶」は新たに復元したものも展示されていた。この復元の琵琶の糸は絹糸で、美智子上皇后が育てられている蚕からの絹糸が使用されていた。この蚕は日本の在来種小石丸といい、奈良時代からのものだそうである。このお仕事は、雅子皇后に受けつがれるのである。

イラン関係の本によると、『続日本紀』には736年の記録には当時中国姓を名乗ったらしいペルシャ人も渡来しているということであり、日本に現存する最古のペルシャ文書は1217年に渡来したペルシャ語の詩句とある。

さらに太宰治さんが『人間失格』の中に挿入しているルバイヤットの詩句が、ペルシャのオマル・ハイヤーマの詩集『ルバイヤート』からなのだそうで、11篇も挿入している。この詩句のことなど頭になく、それがペルシャの詩集からなどということも当然知らなかった。さらに『人間失格』の作品の中でどう関連しているのかも。『人間失格』を開いたら確かに挿入されている。読み返してみる必要がありそうである。

さらに、松本清張さんが『火の路(みち)』の中で、自説の古代史の仮説を提示しているという。奈良の飛鳥の石造遺物が、ゾロアスター教(古代ペルシャで生まれた世界最古の炎を崇拝する拝火教)の拝火壇で、日本に渡来したペルシャ人が造ったのではないかという仮説である。推理小説なので殺人もでてくるようだ。興味がそそられる。松本清張さんの著作に『ペルセポリスから飛鳥へ』もある。

迎賓館赤坂離宮に行きたいと思いつつ実行していなかったので、和風別館「遊心亭」のガイド付きで申し込む。映像での紹介の場所があり先に予習をした。見どころいっぱいである。その中にイスラム風の「東の間」があり、意外なつながりに嬉しくなってしまった。世界のあらゆるものを取り入れていたのである。パンフレットにも写真が載っているが、残念ながら公開はされていない。

独特の美しさを持つイスラム風を味わいたい。モスク(イスラム教寺院)である東京ジャーミィ(トルコ文化センター)が公開しているのを知る。曜日によっては案内ガイドつきである。その時間に合わせる。自由にお茶を飲みつつ待つことができる。ガイドのかたの話しが、こちらは知識ゼロのため面白い。チューリップの原産はオランダではなくトルコであった。チューリップバブルというのがおこっていたのである。

礼拝の様子も見せてくれた。生のコーランを耳にする。途中でガイドされたかたも礼拝に参加された。ガイド終了後はゆっくり静かに内部の模様や色使いを楽しませてもらう。美しい。

というわけでトルコ映画へとなったのである。鑑賞したのは『海難1890』(日本・トルコ合作)・『少女へジャル』・『裸足の季節』の3本だけである。

もう一つ長期間、ハマっていた映画の分野がある。ダンス映画である。それもストリートダンスである。30数本観た。なかでも多いのがブレイクダンスである。身体表現は映像であってもやはり魅力的である。その他のダンス映画も観ていたのでダンス系は50本は観たと思う。それと並行しての鑑賞なので、トルコ映画は観れるリストは作ったのでこれからとなる。