道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(4)

<道成寺><安珍清姫鐘巻縁起>で話は終わらない。この後この鐘はどうなったのか。二代目の鐘が再興されるが、これが戦国時代を経て流浪の旅となり、今は京都の妙満寺蔵となっているのである。

鐘が再興され、その鐘供養の日に、美しい白拍子が現れる。実はそれは、清姫の亡霊であったという、能、歌舞伎などの芸能で、さらに鐘は注目の対象となる。この<道成寺>ものが数多く創作され、今現在、観るものを楽しませてくれている。 <絵解き説法>の部屋は縁起堂といわれ、様々の道成寺ものの演者の写真などが奉納されている。

その中で、<福島県白河市歌念仏安珍踊根田保存会>の写真がある。安珍は奥州白河の出身で、そこに安珍を供養する念仏踊りが残っているのである。さらに、沖縄の組踊にも、『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』というのがある。熊野権現を信望する山伏修験者によって、語り伝えられ、沖縄の物語りと重なって作りあげられていったのである。この辺は、どなたかが道成寺もの演られるとき、もう一度しっかり探ることとする。

<安珍清姫鐘巻縁起>の前から<道成寺>はあったわけで、では、開設由来はないのかといえば、これまた、<宮子姫髪長譚>というのがある。しかし書くのはやめる。一つくらいは、行ったときに知るのも楽しいではないか。和歌山と大阪が近いと解ったし、関西空港って、和歌山と大阪の間? 奈良へ来るときは、京都経由だったが、関西本線使えば、連絡悪いが、忍者に近いではないか。今、忍者にはまっている。市川雷蔵さんの映画に近づいているともいえる。

<紀三井寺>。西国観音霊場第二番札所である。

 

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結縁坂(けちえんざか)

 

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今回の旅では4人ほど御朱印帳を持参していた。梵字もあったりして、墨と朱印が似合っていなかなかいいものである。ただ自分ではやろうとは思わない。楼門、鐘楼、多宝塔の朱色が鮮やかである。紀州の湧き出る三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)から<紀三井寺>と親しまれているとのこと。新仏殿の御本尊は、日本最大の木像で、金色が眩しい大千手十一面観音菩薩である。ここを開基された僧は、はるばる唐から渡られた為光上人とのことである。桜もまだであった。

 

三つの井戸の一つ清浄水

 

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ついに阪和線である。そして、天王寺駅から加茂駅までは大和路線である。奈良駅で降りず通過してしまうのが不思議な気持ちである。木津駅から加茂駅への風景が山の中に入って行く感じである。加茂駅で乗り換えるとき、浄瑠璃寺と岩船寺の写真があり、加茂から行けるようである。奈良からばかりと思って居た。改札で、行き方のパンフを聞く。あった。まずい。また見つけてしまった。加茂から、岩船寺、浄瑠璃寺とたどり、奈良へ出ればいいのである。

外は暗くなっていく。山の中にどんどん分け入っていく感じである。石川五右衛門が伊賀の生まれで、忍者であったという説もある。知らなかった。

観光的には、伊賀上野から、伊賀鉄道で上野市駅までいかなければならないのである。そこは、芭蕉の生まれたところでもある。伊賀鉄道の電車の網棚には、伊賀忍者の人形が目立って隠れていた。色がショッキングピンクや黄色なのである。難しい。隠れていなくてはいけないが、見つけてもらわないと面白がってもらえない。手裏剣シュシュシュ。

 

つづき→   2015年4月3日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

神倉神社・道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(3)

昨年の旅では登れなかった<神倉神社>に登ることが出来た。美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮) で書いた明治大学での1月11日に行われた『第8回 熊野学フォーラム」にも参加した。<「がま蛙神」はなぜ熊野に出現したのか!> 山折哲夫さん、加賀見幸子さん、林雅彦さん、山本殖生(しげお)さんの4人の方が講演をされ、そのあと4人の方が自由に意見交換されたのであるが、なぜ<がま蛙神>なのかという結論は出なかった。カエルは顔や姿から好かれない面があるが、月には、うさぎではなくカエルが住んで居るというおとぎ話の残る国もあるらしい。

朝、小雨が降っていて、石段の滑るのが心配なので時間的ゆとりをとって予定より早く神社に向かった。三大社派は、本宮の熊野古道を歩くかどうかで時間配分が違うので、昨夜から別行動と決めていた。一度歩いているので道は解っているため今回も歩いて神倉神社下までスムーズに行ける。さて石段である。手すりがなく、不揃い石なので、ゆっくり慎重に登る。途中から石段の幅が広くなる。すると、カエルの綺麗な声が聞こえる。早朝で湿り気があり、石段と大きな<ゴトビキ岩>が反響効果を作ってくれているのか、私にとっては、<ゴトビキ岩>は俺様たちの守り神、ケロ、ケロ、ケロと聞こえる。自然界の調和した象徴のようにとれた。

 

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<神倉神社>に到達すると、眼下には、新宮の町があり、先には、熊野灘が霞んでいる。ここから、松明を持った人々が駆け降りる火祭りは、市内からは、火山が爆発したかのようにも見えるという。自然界の持つ威力を認識し、祈り鎮める。

<ゴトビキ岩>に静かな平和をと思いを込めて手を触れる。帰りの石段で、再びカエルの鳴き声で送ってくれた。神倉神社といえば、カエルしかない。

無事お詣りもでき、荷物を取りにもどり、次の目的地へ向かう。当地の新聞記事に、東くめさんの童謡『はとぽっぽ』が、4月からお昼のチャイムとしてながされるとあった。これで、歌碑の童謡もよみがえるわけである。三重県の亀山駅から和歌山駅までを紀勢本線、途中の新宮駅から和歌山駅までを<きのくに線>と愛称があるらしい。車中の路線案内に<きのくに線>とあり帰ってきてから調べたら、そういう事であった。頭の体操と考えればよいが、ややこしい。二つ名のある路線ということだ。ただあまりブツブツ切って欲しくない。ブツブツ。

電車からの海側の景色がいい。橋杭岩を眺めるのは三度目である。山もいいが、海もいい。山には桜の木が飛び飛びに満開で春の色を添えてくれる。旅の友が多いのも楽しいが、どういうわけか風景が残らないのである。目よりも、口と耳の活躍であるから。紀伊田辺駅前に武蔵坊弁慶の像があるというので降りる。

『義経記』に、熊野別当家の嫡子で幼名を鬼若といったと記述があることから、田辺が出生地とされているとのこと。紀伊田辺駅周辺は賑やかである。この辺りで、一日とってもいいのかもしれない。<まちナビ音声ガイド>なるものも、レンタルしているとある。

 

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田辺から南部(みなべ)、岩代、切目、印南(いなみ)、名田、上野、塩屋をへて日高川河口までを<清姫海岸>というとのこと。<道成寺>の『道成寺絵とき本』に載っていた。紀州路の最も風光明美な路線とある。清姫が裾乱し素足となり安珍を追った場所で、風光明美のなか、清姫の形相は次第に変っていったことになる。その場所であったかどうかは定かではないが、座席のない広い窓からしばし窓外の風景を楽しんだ箇所もあった。ただ、日高川を渡るところを注意していたのであるが、渡った所は想像していた日高川よりずっと細い川であった。

<道成寺>の宝仏殿で、<絵解き説法>を聞くことができた。時間が決まっているのですかとお聞きしたら、ご本尊を拝観したあとで始めますよとのこと。よかった。ここでどの位時間がかかるのかが心配だったのであるが、予定通り進めそうである。奈良時代の初代本尊千手観音菩薩は本堂におられ、平安時代の現本尊千手観音菩薩(国宝)は間近で拝観できる。明るいので、手に持たれている物の一つ一つがよくわかる。身の中心には両手で薬を持たれている。一番下の右手は、何も持たず優雅に優しく手を広げておられる。このお寺の説明をされ、自由に他の仏像もゆっくり拝観したころに声がかかり、別室で<絵解き説法>が始まる。

美しい修業僧・安珍が、熊野詣での途中で泊まった屋敷の娘に惚れられ、帰りに必ず寄ります。想いはその時にと約束するが、寄らずに帰ってしまったので、清姫は蛇に変身して日高川を渡り、安珍が逃げ込んだ道成寺では同情して鐘の中に隠れさせたが、蛇になった清姫は、鐘に巻き付き焼き殺してしまう。今も安珍塚と、鐘巻の跡が残っている。あの世で安珍は清姫と夫婦にされ蛇の姿で、道成寺の住職の夢枕に現れる。住職が弔って二人を邪道から解脱させ、目出度く二人は、天上界で結ばれるのである。説法として、妻を家の宝とすれば家も繁栄し、家庭は妻方極楽の浄土となるという教えである。

昔は、<絵解き説法>をするお寺が多々あったようであるが、今はこの、<道成寺>だけである。絵巻をくるくる回して、解かりやすく楽しい説法の一つの形である。

 

「道成寺絵とき本」

 

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つづき→   道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(4) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(5)

源蔵は、管秀才を匿っていることが時平に知れ、管秀才の首を討つようにとの命を受けたのである。その首の検分に松王丸と春藤玄蕃(亀鶴)が来るという。源蔵は、家に戻った時、管秀才の身代わりにできる子はいないかと見回したのである。そして、小太郎を見たとき、この子なら品もあり、身代わりになると決心するのである。さらに信じられないことに、我が子を身代わりにするために送り出したのが、松王丸夫婦なのである。

現代では考えられないことである。那智の補陀洛山寺で、西方浄土を信じ、生きながら補陀洛渡海を試みた頃の人々の宗教観とおなじである。主人に仕えるという事は、全てを犠牲にするのが、当り前の時代感覚だったのであり、それが美徳だったのである。そうした観念の時代をも想像しなければ、成り立たなくなる。

源蔵は戸浪にそれを告げ、お互いに乱れる心を押さえ、管秀才を物入れに隠し、源蔵は、菅丞相からの筆法伝授の一巻を懐に入れるのである。今回初めてこの意味がわかったのであるが、源蔵は菅丞相の自分に対する心を懐に入れ、この場に臨むのである。松王丸と玄蕃が首実検に現れる。寺子屋の生徒を親に渡し、身代わりにしたなら見抜くつもりなのである。松王は、管秀才の顔を知っているため、この役が回ってきたのであり、そのことによって、管秀才の身の危険をいち早くキャッチして、先手を考えたのである。

緊張する源蔵夫婦と、小太郎が既に討たれているのか疑心暗鬼の松王とが、室内でぶつかり合う。こういうところは、言葉に出来ないゆえに、歌舞伎特有の形で現す。形は、約束事になると、役者と観客にとって都合のよい、以心伝心の役割を果たす。なかなか都合の良いものである。

まだ小太郎の首を討っていないと知ると、松王は、源蔵の迷う心を追い込んでいく。決心しながらも苦しい源蔵。こちらの苦しみを知らぬ松王に憎しみを持ったであろう。それが、松王の駆け引きでもあった。源蔵は事を成す為、奥に入る。小太郎の寺入りの時、持参した立派な文机を誰のかと尋ねられ、「今日寺入りした・・・」と答える戸浪に「ばかな」と戸浪の言葉を止め、管秀才の机だと言わせる。自分の子を身代わりにするのであるから、玄蕃にもしっかり納得させないと、露見しては、小太郎の死が無になってしまうのである。源蔵の刀を下した叫びが聞こえる。

玄蕃に悟られることなく首実検が終わり、病でありながら役目を果たした松王は立ち去るのである。玄蕃に捨て台詞を言われ二人になった源蔵夫婦は、わなわなと下半身の力が抜けてしまう。

千代がもどってくる。ここで源蔵と千代の探り合いがあり、斬りかかる源蔵に、解っていての寺入りであったことを告げる。そこに、松王が、松の一枝に和歌をつけて投げいれる。その歌が「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」である。「松のつれなかるらん」は、<何て松王はつれないのであろう>と、<あの松王がつれないわけがあろうか>の二つの意味を含んでいるらしい。その意味が、我が子を身がわりにした松王丸の行動でもわかる。

ことの次第から松王丸夫婦への想いを深くし、小太郎が最後は笑って身を処したと語る源蔵。泣き笑いとなる松王。泣きくずれる千代に「あれほど家で泣いたのに吠えるな。」と押さえる松王。あの<賀の祝>の千代がここに至った様子が想像できる。「それにしても、不憫なのは桜丸。」と「御免、源蔵どの。」と泣く松王丸。ここで、松王は、我が子と桜丸を重ねての涙となる。その涙も源蔵夫婦との目に見えぬ心の交流があり、心ゆるせてのことである。

菅秀才と園生の前(高麗蔵)も再会し、小太郎の野辺送りも済ませ、それぞれの想いでの幕切れとなる。

まだ腹に納めて、形で見せるというところまでには至っていないので、心の動きが、演技ということで、手に取るように見せてもらった。役に対する想いと、芝居の内容に対する想いが、若い人達にとって、ずれを感じる事もあるであろうなと思えた。そこを、どう乗り越え継続していくかも、これから長く続ければ続ける程、一つの壁となるのかもしれない。ただ、そのずれが、今を考えさせることでもあり、歌舞伎だからこそ出来る世界なのである。

何が起ころうと、感情を露わにせず、信念を貫く、菅丞相。その周囲で起伏の幅を自らの手で何んとか乗り越え受け入れようとする人々。通しで観ると、やはり作品の深さと面白さが増す。名作である。

<車引>で、金棒を引いて時平の通ることを知らせる役者さんの声が良く、誰なのか知りたくて筋書を買ってしまった。片岡松十郎さんである。と思うのだが。もし違っていたらショックである。腰元の宗之助さんも芯がありよかった。家橘さんも局としての貫禄が良い。亀三郎さんと亀寿さんは、あれ、役が反対のようなと思ったが、亀三郎さんの「そーれ!」の声の良さに、勢いが加わり成程である。

大宰府天満宮に行った時に、「菅原道真公 花の歳時記」(福田万里子著)を購入してきた。『菅原文章』と『菅原後集』を中心に、道真公が草花を読まれた歌や詩などを取り上げられている。道真公だけではない方々の歌も載せられ、道真公の自然に対する想いが伝わるようになっている。今回は、この本も味わいつつ、芝居も味わわせてもらった。

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」

いえいえ、あるじも春も忘れることはありません。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(4)

梅、松、桜の三つ子の兄弟のお嫁さんたちの様子を少し。<賀の祝>は、三兄弟の親の四郎九郎の古稀の祝いである。四郎九郎という名前が面白いが、菅丞相はお祝いとして白太夫という名前を送る。松王丸の女房・千代と梅王丸の女房・春は祝いの準備をしつつ、庭に揃った、桜、松、梅の木を夫になぞらえて、それぞれ褒めちぎる。ここも、桜丸の死という後半部分など想像出来ない、笑いをとる場面である。このお二人の着物の色がまた良いのである。千代の孝太郎さんは、先に起こるべき自分たちの悲劇など全く頭になく、浮き浮きとしている。梅王丸の女房の役者さんが誰か解らないでいたら「大和屋!」の声がかかり、新悟さんであった。古風な雰囲気が好い。

白太夫とともに戻った桜丸の女房・八重の梅枝さんは、松王と梅王が揃っても桜丸が姿を見せず、心ここにあらずの態である。それとなく全体の状況を感じとる白太夫の左團次さん。しかし、上機嫌だった白太夫は、松王と梅王の願い文に怒りをあらわにする。菅丞相のもとへ行くという梅王に浮き足だっていることを律し、時平の家来である松王は勘当を願い出たため、勘当を認め追い出してしまう。このとき、松王丸は、白太夫に悪態をつくが、梅王丸との稚気あふれるやりとりのまま<寺子屋>の松王丸に突入かと心配していたら、白太夫とのやり取りで、大人の悪へと変身していったのである。ここは、染五郎さん見せてくれました。これで、安心して<寺子屋>に入れる。梅王も追い出されるが、気にかかることがあるのか、そっと家の後ろに隠れるのである。

白太夫の松王と梅王に対する怒りは、桜丸に、「お前だけが間違えたのではない。あとの二人だって、お前と同じような間違いをおかすようなものだ。」と知らせているように思えた。何んとか桜丸を死なせたくないとの親心に映った。しかし桜丸は姿を表し、自刃の決意を告げる。八重を説得し、白太夫は親として悲しい立ち合いとなる。驚き現れた梅王丸夫婦にも看取られ、桜丸は、自らの責任を取るのである。どこか儚い菊之助さんの桜丸であった。あの、<加茂堤>での桜丸夫婦の若やいだ楽しそうな一瞬も、華やいだ女房達のかしましさも、梅王と松王の喧嘩も、それらは一時の、この一家の倖せの時間であった。

寺子屋を開いている源蔵宅へ、千代が息子を連れて現れる。一子の母として、松王丸の女房としての威厳と心根を見せる孝太郎さんである。やんちゃな田舎の生徒を束ねつつ、菅秀才(左近)守る源蔵女房・戸浪の壱太郎さんと、千代の対面である。ここでもよだれくり与太郎(廣太郎)という腕白っ子を出して、千代が息子をなぜ寺子屋へ預けにきたかなどとは考えさせないようにする。千代は、源蔵の息子という管秀才をきちんと確認する。息子の小太郎を置いて隣村まで用事を足しに行く時の千代と小太郎の別れ方に何か含みがありそうである。その後、その様子をよだれくりと小太郎の立派な文机を運んできた下男(錦吾)が真似をして笑いとる。

深い考えに囚われている源蔵の松緑さんが、花道を歩く。家に入って生徒たちを見回す。しかし、その目は宙を浮き思案は重いようである。戸浪が小太郎を紹介する。小太郎は殊勝に挨拶する。その顔を見て、源蔵に一つの考えが浮かんだようである。それは、苦しい選択であった。

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(3)

河内の土師(はじ)の里に、菅丞相の伯母である覚寿(秀太郎)が住んで居て、大宰府に出立つ前、ここで伯母の為に自分の木像を彫りあげる。今でも<土師ノ里駅>という駅名が残っている。道真公は、<土師寺>へも訪れたらしく、その後この寺は、道真公の号に因んで<道明寺>と改められ、伯母の館での場面を<道明寺>としている。道明寺も現存しており、道明寺駅もしっかりとある。

芝居の方の<道明寺>は、木像が重要な役割を担い、菅丞相の木像が菅丞相の命を助けてくれるのである。

苅屋姫(壱太郎)は、覚寿の娘で、菅丞相の養女となっている。苅屋姫は姉の立田の前(芝雀)の計らいでこの館におり、菅丞相に会いお詫びをしたいと思って居る。母の覚寿は何んということを仕出かしてくれたかと、苅屋姫と立田の前を杖で打ちすえる。それを、隣室から菅丞相が止めるのである。しかし声のみで、隣室には木像があるだけである。今回は、ここですでに魂の込められた木像の力が暗示されたことが判った。この後、菅丞相の命を狙う者が、出立の時間を早めて向かえの輿に乗せるのである。この場面、初めて観た時、仁左衛門さんが奇妙な動きをされるなと思ったものである。後で納得したのであるが、木像が菅丞相になり、仁左衛門さんが菅丞相の木像になっていたのである。人形振りなのであるが、菅丞相の品格はそのままなのである。解ってからは、この動きが見どころの楽しみの一つとなる。

この悪人たちが、立田の前の夫・宿禰太郎(彌十郎)とその父親・土師兵衛(歌六)で、立田の前にさとられ、立田の前を殺して池に沈めてしまう。その立田の前を池から見つけ出すのがひょうきんな奴(愛之助)で、殺伐とした場面に笑いを入れる。そして、母の覚寿が娘の仇を討つのである。秀太郎さんが、二人の娘に対する、難しい立場を腹に据え、杖打ちと、仇討ちを見せる。そしてもう一つ、苅屋姫が来ている事をそれとなく菅丞相に知らせる。それを鏡でそっと見る菅丞相。

木像に危機を救われた菅丞相は、正式な輝国(菊之助)の迎えを受けての出立である。苅屋姫は堪え切れなくなって姿を現す。しかし、檜扇をさらっと開き顔を隠す菅丞相の仁左衛門さん。大きな袖、檜扇で別れの心理状態を表す機微。こういう形式は歌舞伎ならではの美しさである。さらさらと檜扇の音を聞いた気持ちになっている。

梅王丸はあとを追って飛ぶといい、桜丸は自らを散らせ、松王丸はつれないと言われて悔しがり、源蔵は筆法伝授などより御目文字をと願った御方は、ついに別れを言葉にされず、人々に心を残されて大宰府へと旅立たれたのである。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習手習鑑』(2)

桜丸は、何を仕出かしたのか。桜丸は、醍醐天皇の弟の斎世親王(ときよしんのう)の舎人(とねり)である。斎世親王と菅丞相の娘である苅屋姫(かりやひめ)は恋仲で、桜丸夫婦は気を利かして、二人の逢引の手助けをし牛車に乗せてしまう。加茂神社での神事中の逢引で、斎世親王(萬太郎)知れては辱めを受けると、苅屋姫(壱太郎)とともに姿を隠してしまう。

それを、左大臣の藤原時平は、菅丞相が自分の娘を親王と結ばせ、皇位を奪おうとしていると讒言するのである。そのことにより菅丞相は大宰府に左遷となる。桜丸夫婦の好意はとんでもない方向に進んでしまう。長閑な色香を添える梅の咲き誇る<加茂堤>に残された桜丸の妻・八重(梅枝)が、動かぬ牛に難儀して牛車を引き帰るところが皮肉にも笑いを誘う。

菅丞相の館には、職場恋愛で勘当になった式部源蔵夫婦が、菅丞相に呼び出され訪ねてくる。この夫婦と松王丸の夫婦は、後に不思議な糸で結ばれ対峙することとになる。この<筆法伝授>での源蔵夫婦は染五郎さんと、梅枝さんで、後の<寺子屋>の源蔵夫婦は松緑さんと壱太郎さんで、松王丸夫婦が染五郎さんと孝太郎さんである。

菅丞相の妻・園生(そのえ)の前は二人の様子から、浪人となって困窮していることを悟る。魁春さんは心痛めつつも、菅丞相の妻としての品格と威厳を保つ。

学問所で菅丞相と対面する源蔵。逢いたい人であるのに、静謐な深さを醸し出す仁左衛門さんの菅丞相に対面すると、ただただ畏まってしまう源蔵の染五郎さんである。菅丞相は、源蔵が、寺子屋を開きつつ、筆を捨てていないことを知ると、自分の手本を写すように命じる。ありがたくも机と書道具を借り受けた源蔵は、兄弟子の希世(まれよ)に邪魔されつつ書き上げる。ここで、喜劇的邪魔する希世(橘太郎)を入れることによって、そんな状況でも書き終え、腕の落ちていない源蔵の字を確かめ、菅丞相は、筆法を伝授するのである。しかし源蔵は、筆法伝授よりも、勘当をといて欲しいと食い下がる。菅丞相は、静かにきっちりと「伝授は伝授、勘当は勘当。」と告げる。この場面は感涙する。

菅丞相は、宮中からの呼び出しがあり、源蔵夫婦は参内する菅丞相を陰ながら見送るのである。

屋敷に戻る菅丞相は、藤原時平の讒言により装束を脱がされ、罪人の扱いで、静かに、外には見せぬ憂いを内に秘め屋敷の中に消える。屋敷の門には、太い竹が打ちつけられ閉ざされる。源蔵は、菅丞相の息子、菅秀才の今後の身を案じ、菅丞相に仕える梅王丸から預かるのである。

桜丸の心中はいかばかりであろうか。こともあろうに、かつての父の主人で、三つ子が生まれたとして名前までつけて貰った菅丞相を、大宰府に流す原因を作ってしまったのである。

そして、筆法を伝授されても、会う事も適わず、今また、菅丞相の流罪を知った源蔵。後は、菅秀才を守り抜くことだけである。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(1)

菅原道真公を中心に据えた、通し狂言である。道真公は、醍醐天皇の御代、右大臣の地位にありながら大宰府へ左遷させられてしまう。その史実を土台に、道真公が名前をつけた三つ子、筆法を伝授した式部源蔵、そして家族との別れを加え膨らませた名作である。

今現在、当代仁左衛門さんしか考えられない菅原道真公(菅丞相)と、道真公を慕う人々を演じる次世代のぶつかり合いでもある。次世代のリアル過ぎると思われる役への思い入れも感じられたが、そのリアルさが、時間とともに深みある芸となり形となって行くのであろうと想像した。そして、思いを一つ一つ確認している姿から、こちらが見落としていたことなども気づかされる。

この名作も悲劇が次々と展開されるため、その場面ごとで上演されても、一つの悲劇が普遍的な問題性を提示させるだけの力のある作品である。それでいながら、芝居の随所に可笑し味を提供してくれて、肩の力を抜いてくれるようになっている。

菅丞相(かんしょうじょう)に名前を付けてもらった三つ子の、松王丸、梅王丸、桜丸は、それぞれが仕えた主人が違うことによって、政争に巻き込まれ、それぞれの木として自らの道を進まなければならなくなる。そのことが「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と読んだ菅丞相の歌に重ねられる。道真公が実際に読まれた歌ではないが、歌人としても優れていた道真公と菅丞相とを重ね合わせる芝居の妙味でもある。

肩の力を抜く場面で音楽的リズム感とも相まって楽しいところで、一番こちらが楽しかったのは、父親の70歳のお祝いで実家での、梅王丸と松王丸の兄弟喧嘩である。相対する主人に仕えているという事よりも、親元に帰り、子供の頃もあったであろう、稚気あふれる喧嘩の可笑しさである。さらに、無量寺での芦雪さんの虎図と龍図を重ねてしまったのである。虎が梅王で、龍が松王である。あの襖絵から飛び出したらこの二人のような喧嘩になると思えたのである。

愛之助さんの梅王は、まだ幼さの残るそれこそ、飛べもしないのに飛ぶぞと飛んでしまう虎である。染五郎さんのほうは、何を小癪なと思いつつも、弟の向こう見ずなけしかけに乘ってしまう龍である。龍は飛べるのであるが、その力を出しては公平でないとばかりに絡みつく。そんな様子が浮かび、梅王と松王に乗り移ったらこんな楽しい喧嘩であろうと思って楽しかった。そして、桜の枝を折ってしまう。桜丸は兄弟喧嘩のできない立場である。稚気は消え薄せ、自分の責任問題に決着をつけなければならない立場に立っていたのである。その辺りのアップダウンの構成も上手くできている。

三人は実家での<賀の祝>の前の<車引>の場で顔を合わせるが、桜丸の菊之助さんは、どこか憂いがある。梅王丸は菅丞相に仕えていて、その主人が左遷となったのは、この車に乗っている藤原時平の懺悔からであるから敵という思いで怒り怒りであるが、桜丸は梅王と同じに怒りを表に出せない。それは、菅丞相の流される原因を作ってしまっているのである。松王は、時平に仕えているから、弟二人を相手に、自分の主人に何事かと立ち向かう。善悪でいうなら、松王は悪である。その三人三様の立場での太棹に乘った、様式美の場面である。この場面の菊之助さん、愛之助さん、染五郎さんが、役柄に相まって生き生きとしている。

しかし、桜丸と松王丸の悲劇が、後を追っている。

 

串本・無量寺~紀勢本線~阪和線~関西本線~伊賀上野(2) 

2日目の朝、なばなの里派と別れる。

新宮駅で熊野三大社派は那智へと向かい、フリー孤独派は、串本の<無量寺>に向かうがその前の空き時間に<徐福公園>にダッシュ。

 

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<無量寺>を訪ねようと思ったのは、前回の熊野の旅の時、「佐藤春夫記念館」で手にしたチラシである。大きな虎の半身図の墨絵の横に<芦雪寺>とある。正確には<無量寺>でそこに<応挙芦雪館>があり、そこでこの虎図に会えるらしい。龍図もあり、筆は長沢芦雪である。チラシは虎の大きな顔の前に大きな爪を立てた前足があり目は獲物を狙う睨みがある。ところが、なぜかその顔は「何やってるのよ」と、頭をポンと叩きたくなるような雰囲気なのである。長沢芦雪も記憶にない名前である。いつか行けたらと思っていたら、早くに実現した。

串本は、本州の最南端であった。<無量寺>は紀勢本線串本駅から徒歩10分であるが、人に道を尋ねる。原画は収蔵庫に保管してあり、雨の日は見せてもらえない。雨が降りそうなので、先に収蔵庫の原画を見せてもらう。

 

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<無量寺>は、富士爆発の直前、南紀に大津波があり、この無量寺も流されてしまい、40年後に愚海和尚が本堂を再建し、友人である円山応挙に襖絵を頼む。多忙の応挙は自分の作品を持たせ、弟子の芦雪を代わりに行かせるのである。芦雪が本堂の中の間の左右のふすまに描いたのが、虎図と龍図である。龍図も龍の顔と爪を伸ばした大きな前足だけ描かれ、身体の部分は墨をふすまを立てて流し、激しい風を巻き起こしているような感じである。

 

絵葉書入れの龍と虎

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虎図の裏側に猫が何匹か描かれ、その一匹が池の魚を狙っているような、ちょっと脅かしてやろうかというような襖絵になっていて「薔薇図」としている。そう言われれば左上に薔薇が描かれている。しかし猫に目がいく。何か芦雪に遊ばれているような気がする。師匠である円山応挙の緻密な絵と比べると、明らかに長沢芦雪の絵には、応挙には無い枠を超えた自由さがある。

収蔵庫のあと、<応挙芦雪館>を見せてもらう。そこで芦雪を取り上げたテレビ番組のビデオを見ていると、虎図は、裏側の襖絵の魚を狙っていた猫を、魚側から見た図であると解説していた。<見た目>の手法である。<見た目>は岡本喜八監督の映画の撮り方でも出て来たので納得できた。たとえば、引き出しを開けるのを、引き出しの中から撮るという手法である。そうなのである。あの虎の構図は狙われたものから見たと思えば納得できるのである。

この館でもう一つ楽しませてもらったものがある。それは、熊谷守一さんからの前住職さんへの年賀はがきが展示されていたのである。

このあと本堂で、デジタル再生画の虎図龍図の襖絵を見せてもらうのである。良い状態で長く保存するために、色々なことを考慮しなくてはならない訳である。

芦雪さんは、南紀ではこの<無量寺>だけではなく、幾つかのお寺にも襖絵を描いている。南紀での画作は師匠の応挙さんの名代として、それでいながら芦雪さん自身の絵を見つける旅であったように思える。円山応挙さんの虎図『遊虎図』が、四国の金刀比羅宮で見れるが、芦雪さんのほうが面白さがある。

この芦雪さん司馬遼太郎さんの小説になっていた。『芦雪を殺す』。今回実際に芦雪さんの絵を見て、遊び心があり、これは苦しんで苦しんで到達したという絵ではなく、どこかゆとりがあり、才に任せるところがあると思えた。芦雪さんは、旅先の大阪で急死しており、殺されたという説もある。司馬さんは、小説で芦雪さんの死を手の込んだ形で死の原因を作っていて想像していない設定でそうくるのかと感心する。そして、最後は、芦雪の女房のつもりのお里の<見た目>で結んでいる。

<無量寺>のあと、串本駅から歩いて25分位の海に突き立つ<橋杭岩>(はしくいいわ)を見に行こうと思ったが、雨が降り始めたので止めて電車の中からの見学とした。新宮へもどるので、車中から2回見れたわけで良しとする。<橋杭岩>まで行けば新宮へは遅く着くから、こちらのことは気にせずそちらだけで夕食はどうぞと伝えておいたが、新宮駅に着くと、見慣れた人達が前を行く。どうやら那智から同じ電車だったようだ。那智の滝を下りたところで雨となったようで、なんとか雨を避けて歩けたようである。

食事をしつつ、次の日の雨の場合の予定を検討している。こちらは、神倉神社に行くために新宮までもどる予定にしたので、早朝に<神倉神社>に行き、<道成寺>に向かうこととし、そこで別れを告げる。

 

つづき→   神倉神社・道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(3) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

なばなの里~紀勢本線~阪和線~関西本線~伊賀上野(1)

<なばなの里>のウインターイルミネーションを見に行きたいという希望があり、2年ほどたっての実現である。どうせなら、熊野の三大社も行きたいとの希望もあり、<なばなの里>まで派と熊野の三大社派と熊野からフリー派と八咫烏の足のごとく三本足となる。熊野からフリー派は三大社を拝観済みの私一人である。

<なばなの里>へは、JRか近鉄の長島駅そばからバスが出ている。<なばなの里>に関しては全て友人がセットしてくれ何も考える必要がなくおんぶである。ただ寒いであろうと思ったら20度で、夜はこういう時期は風が出て寒くなるのよと、用意周到な防寒グッズの出番を待ったが、出番がなかった。寒い方がイルミネーションは綺麗なのよねと強がり言っても、点灯されればなんのそのである。混み具合が解らないので入場券もコンビニで先に購入しておいてくれた。入場券プラス金券が付いていて、とにかくこの金券を使ってしまおうと、お土産派と飲食派に分れる。飲食のところは並んでいたので飲物と軽食をゲット。ところが、会場の中にはお洒落なレストランもあった。お花も咲いていないだろうし、寒空で点灯までどうすりゃいいのと案じていたが、予想外のプレゼントあり。

枝垂れ梅のコーナーがあり、これが見事。あんなに沢山の枝垂れ梅を見たのは初めてである。梅といえば可憐ではあるが、どこか淋しさがあるが、まとめて植えてあり、白、薄紅と垂れ下がっているのでほど良い華やかさである。この通路も通ろうと歩いているうち二周してしまった。

 

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そこを出ると暗くなってきて、河津桜が夜桜となってくる。伊豆まで行く必要がなかったと皆満足。人工池であろうか水辺にイルミネーションが点灯される。次は光の通路である。少し並ばされたがゆっくり進むので待たされる感覚がない。

 

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どうも、このあたりから、仲間は二つに分かれたようである。こちらが4人いるということは、あちらは3人だからまあ良いであろうとこちらのペースで進む。いよいよ今年バージョンの<ナイヤガラの滝>である。これまたひとサイクル終わると前の人は自然に後退してくれるので、問題なく一番前で観れる。こちらもひとサイクル終わると後退する。なかなかよく出来ていて楽しめた。下一面のブルーも美しい。

 

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階段を上がり上からもどうぞということらしい。眺めつつ進み階段を降りる。帰りの道は、来た時の隣の違う光の通路を通る。人の流れもスムーズで快適である。

 

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土日はそうはいかないのかもしれない。桜をライトアップで水に映す<鏡の桜>は紅葉の時もそうであるが、水底から手招きされているようで、サラッと見るのが良い。鏡の自分の顔と同じである。

もっと広くて、時間を持て余すと思ったが、飽きさせず楽しませてくれた。仲間たちが合流するまでゆっくりグラスを傾け、皆、金券も使い果たし、疲れも程々、満足の夜であった。この様子では、お花の時期も楽しませる工夫をしてくれそうである。

 

つづき→  2015年3月22日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

岡本喜八監督映画雑感

岡本喜八監督特集の中に、テレビドラマの上映も入っていた。『幽霊列車』『着ながし奉行』『昭和怪盗傳』『遊撃戦』で、『着ながし奉行』と『昭和怪盗傳』を見た。『着ながし奉行』は、後に市川崑監督によって、『どら平太』として映画化されている。『どら平太』は見ていて面白かったという印象はあるが、全体像が思い出せないまま、『着ながし奉行』を見る。さすが岡本監督テンポが良い。そして、仲代さんの奉行はある藩に着任するのだが、奉行所には出仕せず、濠外の悪所に遊び人として出仕するのである。

濠外へ遊び人として橋を渡るときの仲代さんの身体のリズムが実に良いのである。あらよ!とっとという感じでまさに着流しの遊び人の態である。何回か橋を渡るだんになると客席から笑いが起こる。遊び人への変身ぶりが上手いのである。そのリズム感に乗せられる。『どら平太』の役所広司さんの時はこのリズム感の記憶が出て来ない。『着ながし奉行』に、役所さんと益岡徹さんが出られてる。お奉行の着流し小平太にあっけにとられ、言葉の出ない表情が写された時はなんとも可笑しかった。お二人は、役どころの小平太と師匠の仲代さん両方に驚いているような形となった。そこまで岡本監督が読んだわけではなかろうが、時間が立ってみるとそんな構図も出来上がる結果となったのである。

濠外の顔役の小沢栄太郎さんに兄弟分の盃を交わすが、着流し小平太のほうは、宴席で余興に綱渡りの様子の芸を見せ、小沢さんにもやらせて参らせるという趣向で、どら平太は切り付けられての立ち回りの末、顔役の菅原文太さんに頭を下げさせる形と、この辺の違いも面白い。

菅原文太さん主演の『ダイナマイトどんどん』も面白かった。ヤクザに野球の試合で決着をつけさせるという設定で、文太さんに任侠物のほろ苦さとトラック野郎の三枚目とを同時に演じさせてしまうというサービスぶりである。アイデア満載でありテンポはいいが、上映時間が少し長かった。もう少し短縮して欲しかった。長すぎると面白いネタも新鮮味に欠ける。飽きが来る一歩手前で止めなくてはワクワク感のテンションが下がってしまう。

そのあとすぐ、テレビで『どら平太』を放送してくれて見直したら、役所さんの着流しのほうは、遊び人の態ではなく、やはり奉行がお忍びで偵察に行くと言う雰囲気であった。初めて『どら平太』を見た時は、その展開に驚き楽しんだが、岡本監督と比べると、市川監督のほうが理詰めで登場人物に語らせる。

江戸詰めの殿からのお墨付きも『どら平太』では最初に出してしまうが、岡本監督はいいだけ小平太を動きまわらせてから、白紙のものを読ませる。そして幕府からの隠密が入っていたらどうするかと脅す。これが脅しと思ったら、今日も出仕せずと粛々と記録していた珍しく穏やかな天野英世さんが隠密で、濠外の掃除もおわったあとで、「この藩には何も問題なし」というところが可笑しい。これは狙ってのことである。

その濠外と家老たち重臣とのパイプ役が『どら平太』では宇崎竜童さんで、どら平太の居る場で責任をとり切腹するが、『着ながし奉行』では、中谷一郎さんで、切腹したと字幕か、ナレーションだけで知らされる。

こういう娯楽痛快時代劇も、映像ではもうあまりお目にかかれない時代のようである。映画やテレビの主人公の解決で溜飲を下げるが、上の方のお金の流れの構造は昔から全く変わっていない。今は格好良いヒーローなぞ来ないから自分たちできちんと監視しなさいということか。『着ながし奉行』でなく『着服奉行』であり『金平太』である。

岡本監督の面白さは、役者さんの身体の動かせかたが上手いというか、引き出してしまうのであろうか。『ああ爆弾』などは、刑務所の収監部屋で、狂言で人間関係を語らせたり、映画の随所に歌舞伎、浪曲などが自然に繋がって流れて行く。それでいながら、宝塚出身の、越路吹雪さんには南無妙法蓮華経と団扇太鼓を叩かせるだけである。動けると思う人を動かしても面白くないということであろうか。

『ああ爆弾』の喜劇役者伊藤雄之助さんが、『侍』では、油断することのない周到な統率力の首領役で、あの大きな顔の存在感を示す。新納鶴千代の三船敏郎さんは年齢的に無理があるが、桜田門外での立ち回りシーンの映像は、岡本監督の時代劇の見せ所でもある。

岡本監督は、リアルさを押しつけず、編集の上手さからアッㇷ゚ダウンもあり、笑わせられるのが主流であるが、想像の空間にはきちんと印象づけるだけの材料も提供してくれる。

『日本のいちばん長い日』などは、様々の人々が戦争を終わらすかどうかの考えを指し示し、終わるということの難しさが伝わって来る。始めるよりも終わり方のほうが、ずーっと難しいものなのだということがわかる。そして、事実を知らされず、意識的に一つの方向に流される情報の力も妖怪である。

三船敏郎さんの陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)が、責任を取り自決する。最後に部下に、<死ぬよりも生きることの方が辛いぞ。どんな国になっていくのか、俺にはそれは見れない。>と語る言葉が、今を照らす。実名の方々が多数出てくるが、出番が少なくとも一人一人の役割がきちんとしていて岡本監督の構成力を感じる。顔を出されないが、昭和天皇陛下が最後の決断をされ、玉音放送までもっていくのが大変だったことを知る。誰が演じられたか映画では判らなかったが、八代目松本幸四郎さんである。

1967年、<日本のいちばん長い日>を撮り終えたら、無性に<肉弾>を撮りたくなった。

どっちもいわば我が子であり、どっちにしても親としての責任はあったのだが、この兄弟、性格はまるっきり違っていて、<日本のいちばん~>は、当時の日本の中枢、つまりは雲の上の終戦ドキュメンタリーであり、<肉弾>は、戦争末期から敗戦にかけての、庶民も庶民、一番身近な庶民の、私自身の体験から起こしたフィクションだったからである。

 

庶民も庶民、まぎれもなきくたびれた庶民であるのに、<肉弾>は見逃してしまったのである。<日本のいちばん長い日>の鈴木貫太郎首相役の笠智衆さんが<肉弾>では、古本屋の爺さん役という予習はしてあるのであるが。肉木弾正にてドロン!

旅の前で、慌ただしく締めくくったが、『肉弾』については 水木洋子展講演会(恩地日出夫・星埜恵子) (1) での 恩地日出夫監督と岡本喜八監督のエピソードも再度紹介しておく。今回の旅先での<道成寺>で一枚の映画ポスターに岡本みね子さんの名前を発見。中村福助さん出演の『娘道成寺 蛇炎の恋』で総合プロデューサーをされていた。この映画も見逃がしている。残念である。