シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』

日本近代文学館の夏の文学教室が開幕していて、4日目が終わった。昨年はこの様子を書いているが、今年はどうなるであろうか。テーマが「文学の明治ー時代に触れて」で、文豪のオンパレードであるからして、講義される方々も文豪の作品と向かい合われた痕跡があらわれ、こちらも神妙に聴かせてもらっている。

今日あたりから<文豪>さんに対し慣れが生じはじめ、聴く側の態度が軟化してきているが、書けるかどうかはまだわからない。

入ってくるものが多く、頭をめぐる血液の流れかたが少しつまり気味のような気がするので、かたまらないように適当にプッシュすることにする。ということで映画のこととなる。

野田秀樹さんが演出した歌舞伎『野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ』の映画版である。これは、大きなスクリーンの映画で観た方が面白い部分がはっきりするのではと予想したら当たりであった。

研ぎ師の研辰は、剣術を習うため侍の守山辰次(勘三郎)を名乗り剣術道場に現れる。ところが、皆が赤穂浪士の討ち入りの話しで盛り上がっているところで、仇討をばかにしたためさんざんなめにあってしまう。研辰は痛めつけられた家老(三津五郎)に復讐すべく、あやしいカラクリをつくり、板を踏むとお堂から、言い表せられないような人形(亀蔵)が飛び出し、それを見た家老はショックのあまり死んでしまう。この事件が研辰が家老を闇討ちにしたという事になり、家老の二人の息子(染五郎、勘九郎)が仇討ちに向かうのである。

逃げる研辰、追い駆ける兄弟、曽我の兄弟の仇討ちとだぶらせて拍手喝采の世間。ところが、いつの間にか討たれる側と討つ側が入れ替わり、深く確かめもしない世間は、仇討ちという現象を喜んでいる。世の中の無責任さの怖さもちらちらする。

世間の関心が覚めたころ、研辰は兄弟に殺されてしまう。こういう場面は桜となるが、赤く染まった紅葉が一面をおおう中、紅葉の一葉が研辰の亡骸に落ちるのである。

映像で見て面白いのは、勘三郎さんの道場での一人芝居ともおもえる動きと台詞である。それが、ずーとカメラがとらえている。このなが丁場飽きさせない。舞台とは違いアップである。ここを予想していて面白いく、笑えるであろうと思っていたのである。そのとおりとなった。

舞台を実際にみたとき、どうしても全体が動くので、わさわさしていて笑いがあっても捉えどころがなく進んでしまう状態であったが、最初の一人芝居がしっかりとらえることができた。動きながらも台詞ははっきりしている。

そして、家老がカラクリを踏むところが、勘三郎さんと三津五郎さんの間のやりとりである。これは映像のとらえかたが、上手くとらえたとはいえない。三津五郎さんが踏みそうで踏まない、その可笑しさと、それに一喜一憂する勘三郎さんの間は映像のアップではとらえられない間なのである。これは、お二人を映していなければとらえられないのである。これは実際の舞台の空間の勝ちであり観客の視線になれない映像の限界である。

三津五郎さんのこの足の動きは、勘三郎さんの全身で現す芸に匹敵する可笑しさなのである。三津五郎さんの踏むか踏まないかの間に答える勘三郎さんの間は、このお二人の芸の間の絶妙さであり、個人的には一番の見どころであったことを思い出しあらためて感じいったのである。

こういうところにも、勘三郎さんと三津五郎さんの面白さの違いがある。

映画『やじきた道中 てれすけ』で、とにかく体いっぱいで表現する勘三郎さん。映画『母べえ』で、語りの上手さで存在感を表現する三津五郎さん。それぞれ独立していながら、並ぶとまたその独自性が大きく広がってくれる。こんな役者さんの組み合わせをみせてもらえたことは幸せであった。

舞台と映像では、相容れない部分もあるがそれを差し引きしても、舞台を楽しんだ気分させられる映画であった。

平成17年の舞台なので、現在活躍の役者さん達の今とを比較して観るのも楽しみ方のひとつである。

皆で、『ウエストサイド物語』のステップを踏む場面ははまり過ぎで、真面目な顔がよりうけてしまう。

脚本・演出・野田秀樹/ 出演・中村勘三郎、坂東三津五郎、中村福助、中村橋之助、中村扇雀、坂東彌十郎、市川染五郎、中村獅童、中村勘九郎、中村七之助、片岡亀蔵

 

坂のある町・函館とシネマ

坂のある町・函館の出てくる映画

  • 点と線』(1958年) 小林恒夫監督・南弘、山形勲、高峰三枝子
  • ギターを持った渡り鳥』(1959年) 齊藤武一監督・小林明、浅丘ルリ子
  • 渡り鳥北へ帰る』(1962年) 齋藤武一監督・小林明、浅丘ルリ子
  • 夕陽の丘』(1964年) 松尾昭典監督・石原裕次郎、浅丘ルリ子
  • 赤いハンカチ』(1964年) 舛田利雄監督・石原裕次郎、浅丘ルリ子
  • 飢餓海峡』(1965年) 内田吐夢監督・三国連太郎、左幸子
  • 男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年) 山田洋次監督・渥美清、浅丘ルリ子
  • 男はつらいよ 翔んでる寅次郎』(1979年) 山田洋次監督・渥美清、桃井かおり
  • 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』(1980年) 山田洋次監督・渥美清、伊藤蘭
  • 俺とあいつの物語』(1981年) 朝間義隆監督・武田鉄矢、伊藤蘭
  • 居酒屋兆治』(1983年) 降旗康男監督・高倉健、大原麗子
  • 新・喜びも悲しむも幾年月』(1986年) 木下恵介監督・加藤剛、大原麗子
  • テイク・イット・イージー』(1986年) 大森一樹監督・吉川晃司、名取裕子
  • キッチン』(1989年) 森田芳光監督・川原亜矢子、松田ケイジ
  • いつかギラギラする日』(1992年) 深作欣二監督・萩原健一
  • オートバイ少女』(1994年) あがた森魚監督・石堂夏央
  • 霧の子午線』(1996年) 出目昌伸監督・岩下志麻、吉永小百合
  • 風の歌が聞きたい』(1998年) 大林宣彦監督・天宮良、中江友里
  • キリコの風景』(1998年) 森田芳光監督・杉本啓太、小林聡美
  • パコダテ人』(2002年) 前田哲監督・宮崎あおい、大泉洋
  • 星に願いを』(2003年) 冨樫森監督・吉沢悠、竹内結子
  • 海猫』(2004年) 森田芳光監督・伊東美咲、佐藤浩市、中村トオル
  • Little DJ~小さな恋の物語』(2007年) 永田琴監督・神木隆之介、福田麻由子
  • 犬と私の10の約束』(2008年) 本木克英監督・田中麗奈、豊川悦司、高島礼子
  • 引き出しの中のラブレター』(2009年) 三城真一監督・ 常盤貴子、林遣都、八千草薫、仲代達也
  • つむじ風食堂の夜』(2009年) 吉田篤弘監督・八嶋智人、月船さらさ
  • わたし出すわ』(2009年) 森田芳光監督・小雪
  • 海炭市叙景』(2010年) 熊切和嘉監督・谷村美月、竹原ピストル、加瀬亮、南果歩、小林薫
  • ACACIA』(2012年) 辻仁成監督・アントニオ猪木、北村一輝、石田えり
  • そこのみにて光輝く』(2013年) 呉美保監督・綾野剛、池脇千鶴

函館がちらっとでも出てくる映画で観たのは30本であった。函館空港から函館市内方向に車で移動する風景、函館港に入る船、函館山など、それとなく通過する映画もある。

函館には、三月に航空会社の所有マイルが消滅してしまうものがあり、あわててどこかに行こうと思い立った。調べると函館がマイル数に合ったのである。函館にはツアーで一度訪れているが、函館の坂を歩きたいと思っていたので好都合であった。2泊3日、正確には半日、1日、一日の3分の2の昼間と2夜の夜の持ち時間である。

2夜が有効に使用でき、函館山の夜景、夜の八幡坂、夜の赤レンガ倉庫街、夜の七財橋、夜の『つむじ風食堂の夜』的雰囲気の街なみ、夜の路面電車などを歩き眼にすることができた。

江差まで行きたかったが、江差線が函館から木古内までしかない。なぜか途中で消えてしまうのである。北海道新幹線の開通日に江差線は消えてしまうのである。消えるまえに函館にいきたかった。悔しい。映画では、『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』で江差追分も聞けたのでそれで我慢する。

映画『キッチン』の原作を読み、吉本ばななさんの発想の転換に驚き自分は到底考え付かない人間構成で気に入ってしまった。人が癒される空間というのは人それぞれである。森田芳光監督の映画『キッチン』は不入りだったようであるが、私は函館の風景を架空の場所として使い映画は映画で違う楽しみ方ができ、森田監督の世界と思えた。

函館市生まれの作家・佐藤泰志さんの『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』、映画監督もされた辻仁成さんの『ACACIA アカシア』。お二人には「函館市文学館」でも知ることができる。もちろん石川啄木さんも。

江差には行けなかったが、大沼国定公園で大沼湖を自転車で一周する時間をとることができた。映画のロケ一ションとしても抜群の風景で、自分の眼からの自主映画である。大沼国定公園には、駒ヶ岳がよくにあう。

上記30本の映画のほかにまだあるようで、函館市いがいの周辺の市を加えるとさらに20本位ありそうである。今までにも観れない映画が2本あったので観れるのは10数本であろうか。観てからまた付け加えることとする。

函館ということで観たが、こういう映画もあったのかと全部楽しませてもらった。初めての監督からさらに作品を観たり、この監督のをもう少しと観た映画もあり駒ヶ岳のようにすそ野は広がっている。

 

新たな視点 <江戸・文七元結・寅さん>

加来耕三さんの講演会『すみだと北斎&海舟 歴史裏話』を聞きにいく。<北斎&海舟>なら聞きたいと思ったのだが、希望者が多くめでたく抽選に当たったのである。時間は1時間で加来さんいわく、いつも1時間半なので短めでと言われたが、まさしく、勝海舟さんの話が短かった。

まず歴史は疑ってくださいとのこと。江戸っ子というが、いつからが江戸っ子なのか。<火事と喧嘩は江戸の花>というがどうしてか。火事が多かったことはわかりますが、どうして喧嘩が多かったのですか。

時代劇でいえば、江戸の火事は火消しでマトイである。恰好いい。その火消し同士がけんかするのであるから、てやんでとなってやはりいなせで花なのではないかなと思ったら、喧嘩が多かったのは、言葉が通じなかったからとのこと。江戸をつくるために地方から人が集まってきているため、言葉の壁がありコミュニケーションが大変だったらしい。江戸弁ができあがるのはずーっと後ということになる。

江戸のシンボルマークは江戸城だったが、江戸城の天守閣は焼けおち、新しいシンボルマークを打ち出したのが、葛飾北斎の富士山。加来さんの言われたごとくこれも疑ってかかりたいところであるが、いやこれはおみごとである。もしかすると、江戸城の天守閣が残っていたら、葛飾北斎さんはここまでの賞賛はえられなかったかもしれないし、北斎さんの絵の発想も突き進まなかったかもしれない。技と発想が上手く結びつくということ、これは鑑賞者に幸せをもたらしてくれる。

「暴れん坊将軍」の吉宗の時代はもう天守閣がなく、あのテレビに映るお城はどこか。疑問をもつと最初からしっかり見ることとなる。タイトルだけ見たりして。

いつの頃からであろうか、大河ドラマも、物を食べる演技でその人物の性格を誇張するようになった。さもいわくありげに食べるのである。食べる回数が多すぎ、あれは個人的につまらないシリアスな演技だとおもう。

『東海道中膝栗毛』は初めてのベストセラーで次が『東海道四谷怪談』で、先の<東海道>にあやかって『東海道四谷怪談』としたということで、これは私もなぜと思ったのでピンポンである。ちなみに、実際の旧東海道歩きは、鈴鹿峠越えを残して、京都三条大橋まで到達した。この暑さの鈴鹿峠越えはひかえたのである。到達してみると残っているのも、楽しみがもう一度あるということで良いものである。歌舞伎座八月の『東海道中膝栗毛』はラスベガスに行くそうで、お手並み拝見とする。

勝海舟さんに関しては、海舟さんの祖父の話で終わってしまい残念であった。お金のあるものが御家人株を買うという時代になっているわけで、函館の五稜郭にいってみて、海舟さんに対する興味がつよくなったのと通じあい加来さんのお話しは大変面白く参考にさせてもらった。

江戸時代は長いわけで、江戸時代といってもどこのあたりという視点が必要のようである。

視点ということで、映画の山田洋次監督から新たな視点を授けてもらった。シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』『連獅子/らくだ』の演出をされていて、歌舞伎学会の企画講演会でお話しを聞けた。

シネマ歌舞伎、落語、映画関連の話しが様々な角度から聞かせてもらったが、そのなかでも、新しい視点が二つあった。一つは「文七元結」の長兵衛は文七に会って幸運であったというのである。長兵衛は、バクチ好きの借金だらけのどうしょうもない人間である。人情噺の主人公になるような人間ではない。ところが、お店の大切なお金を紛失してしまい死ぬしかないという文七に出会い、長兵衛は娘のおかげで手にしたお金を文七にやってしまうのである。

この出会いがよりによってなんで俺なんだよと長兵衛は思うのである。えいっとお金を渡し走り去る。そのあと、しがない長屋の住人はとてつもない情のある主人公として光輝くのである。文七に会っていなければ、真面目になった長兵衛であろうか、もとの黙阿弥の長兵衛である。

もう一つは、『男はつらいよ』の風景映像である。山田監督は、この映画のために様々な場所へいかれるが、寅さんならこの風景をどうみるであろうかと思われて観ているといわれた。函館での寅さんの映画は三本ある。函館をロケ地としている映画は調べて観た限りでは30本ほどあり、海、港、函館山、倉庫群、洋館、教会、路面電車など絵になりやす場所で観ながらあそこだということがわかるのである。ところが『男はつらいよ』の場合、「函館」とクレジットされないとわからないほど観光的な場所はさらりとしている。

そうなのである。寅さんが観る風景は自分の商売が成り立つ場所と寅さんがかかわりが出来た人の生活の場それが見えているのである。

山田監督の映画の中で歌舞伎役者さんが出演している作品ということで『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』を観た。マドンナはいしだあゆみさんで、そのマドンナと出逢うのが京都の陶芸家役である十三代目片岡仁左衛門さんの家である。葵まつりの場面がでてくる。それは、寅さんが商売をしつつみているような映像である。仁左衛門さんに連れられてお茶屋にいくが、寅さんが心配してのぞく先にあるお茶屋さんである。

寅さんにとって知られている有名な場所、建物、寺院仏閣など関係ないのである。自分の眼でみた風景が、心地よいか、楽しいか、悲しいか、苦しいか、嬉しいかなのである。今まで寅さんを観ていてウケを狙っている台詞かなと思ったりした台詞が、これは寅さんにはそう見えているのだとわかり、新鮮な眼で映画が観れたのである。

その寅さんの視点で風景をみつつ映像をみると風の向くまま、気の向くままの気分になる。そして人間国宝の陶芸家の大先生も寅さんにとっては<じいさん>であり、お茶碗もただの茶碗なのである。

もう一つ山田監督は映画を観た土地のひとが、自分の住んでいるとこは良いところだと思ってくれるように撮りたいといわれていた。

勘三郎さんは、資料の山田監督との対談で、<あたらしい古典>という言葉を使われている。技と新しい視点が合体した古典という意味なのではないかと思った次第である。そうなのである。その勘三郎さんを観たかったのである。

視点と実証、視点と技。こちらは視点と好奇心を苦もなく頂戴させてもらう。

 

「芸人たちの芸能史」(永六輔著)

黒柳徹子さんのエッセイをもとにした『トットてれび』(NHK)という番組を楽しみにして見ていた。途中から見はじめたのではあるが、『夢であいましょう』の生の収録の様子などはみることができた。

リアルタイムで『夢であいましょう』を見ていたころはタイトルの出だしから、今日はどんな工夫なのであろうかと毎回楽しみであった。今日は渥美清さんの名前があるから中島弘子さん絶対笑わせられるななどと終わりに期待し、坂本スミ子さんが出てくると大人の女性を感じ、黒柳さんの変身に笑い、ジャニーズの踊りを楽しみにし、気に入った今月の歌が終わるのが残念であったり、時には今日は退屈だったと気乗りしないときもあったりの30分であった。

その番組の裏の様子がテンポよく伝えられ、黒柳さんと向田邦子さん、渥美清さん、森繁久弥さん等とのあいだがらも、ほどよい距離感で伝えてくれた。

そのテレビの創成期に欠かせないかたである、永六輔さんが亡くなられた。病気でありながら仕事を続けられラジオをやめられたときは、身体的にかなり負担な状態になられたのであろうかと残念であった。

放送作家であり、作詞家であり、様々な芸能を紹介し、旅で出会った人々の生活の様子を伝えたり、本もたくさん出されていたりと、自分の想いを様々なエッセンスを加味して伝えられたかたである。

本の一冊に『芸人たちの芸能史 河原乞食から人間国宝まで』がある。大宅壮一さん監修の<ドキュメント=近代の顔2>となっている。47年ほど前に書かれたものである。

この本での芸能史は、永さんならではの構成である。芸能史の研究家ではないので独断と偏見にみちているが、芸能を差別することはしないし、区別もしたくないとしている。

「第19回NHK紅白歌合戦」の進行状態を軸に、あらゆる芸の話がでてくる。相撲、野球、プロレスのスポーツからバレエ、落語、漫才、奇術、ボードビリアン、浪曲、活弁、新派、新劇、新国劇、宝塚、前進座、歌舞伎、色物、民謡、歌謡曲ら、出演歌手の流れにそって色々な芸や芸人さんの話に飛んでいく。歌詞の関係からだったり、歌い手の歌い方の根底にある他の芸との関係からの流れなどたしかに独断ではあるが、それだけに面白い。

この紅白の行われたのが東京宝塚劇場である。そこから掛け小屋、日本最初の様式舞台新富座の話になり唐十郎さんの状況劇場のことへと流れていく。

ダンサーが出て踊れば、新舞踏家の石井漠さんが出てき、桂小南さんの電気踊りの話となり、桂文楽さんが前座時代師匠の着物に電球を仕込む手伝いをしたという話となる。

江利チエミさんが八木節をうたう。そこから東京音頭の話となり、ロサンゼルスでチャプリンが先頭で踊っている写真を見たとあり、チャプリンさんの好奇心におどろく。

興行師との関係、戦争時代の芸人等あふれる知を、紅白歌合戦の現場と合体させ、言いたいことはきちんと主張する。

襲名というのは珍奇な行事であるが、芸人が変身してしまうという事実がある限りあらゆる批判を耐え抜いていくであろうとしていている。こちらも襲名の多さにまたかと思ってしまうが、そのあとの変身、化けるという楽しみがあるから許せるのである。そして、若くして大きな名前を襲名すると、その重みに悪戦苦闘する芸人さんの姿も観させてもらうこととなる。それはそれで芸人さんたちにとっては苦しい息切れするような道である。

永さんはさらに、「僕たちは芸の血筋を楽しむと共にそれに挑戦する芸人達を大切にしていきたいものである。」と血筋をもたない芸人を拒否したり差別してはならないとする。

芸能史を通じて、伝統芸能のほかにも素晴らしい芸能はあるわけで、自分が観なければならないもの、受けつがなければいけないものは自分で訪ねていって観て伝えるというポリシーを表明され、その通り実行され続けた。

ご自分自身をも差別したり区別されたりしなかった。病気になられ、動くこともしゃべることも不自由になられたが、それをさらけだし、現場に執着され自分の目で観ることを貫き通されたのである。そして、苦しいときこそ笑いが必要であるとした。これは難しいことである。映像の映し方によっては、そんなに大変な状況ではないじゃないと感じられてしまい誤解されたりもする。じっくり伝えたいということでテレビではなくラジオを大切にされたともいえる。

この本のあとがきに次ぎの文がある。

「僕が観なければいけないもの、受けつがなければいけないものを訪ねて歩きたい。そうすれば、この次にこうした本を書くにも浅い知識の上の独断と偏見に頼らずにすむ。」

これが<浅い知識>なら、それこそ<浅い知識>にたいする独断と偏見である。

 

合掌。

 

「第十九回紅白歌合戦」(1968年)

紅組司会・水前寺清子/白組司会・坂本九/総合司会・宮田輝

(紅組) 都はるみ、佐良直美、ペギー葉山、小川知子、ピンキーとキラーズ、ザ・ピーナツ、三沢あけみ、伊東ゆかり、西田佐知子、九重祐三子、中尾ミエ、島倉千代子、江利チエミ、青江三奈、中村晃子、園まり、岸洋子、梓みちよ、扇ひろ子、越路吹雪、水前寺清子、黛ジュン、美空ひばり

(白組) 三田明、布施明、千昌夫、ロス・プリモス、ブルー・コメッツ、西郷輝彦、フランク・永井、東京ロマンチカ、水原弘、菅原洋一、ダーク・ダックス、三波春夫、北島三郎、アイ・ジョージ、美川憲一、舟木一夫、春日八郎、デューク・エイセス、村田英雄、バーブ・佐竹、坂本九、森進一、橋幸夫

 

歌舞伎座七月歌舞伎

昼の部『柳影澤蛍日火(やなぎかげさわのほたるび) 柳澤騒動』(作・宇野信夫)、夜の部『荒川の佐吉』(作・真山青果)なので、古典歌舞伎の時より気分は軽めである。

昼の部の舞踊が七月にふさわしい『流星』で、夜の部には荒事の『鎌髭(かまひげ)』『景清』である。『流星』は三津五郎さんの残像があり、『鎌髭』『景清』は新橋演舞場で公演されたときによくわからないと書いたような気がしているので、また、まずいことを書かなければよいが。

『柳沢騒動』は初めてで、柳沢吉保は歴史のなかでも好感度の良いひとではなく<騒動>であるし、どう描かれるのか好奇心がわく。吉保が浪人で本所菊川に住んでいるときは、くず屋に書物を売ろうとしてやめるという努力の人とも映る。許嫁と貧しいが仲良く暮らしている。父親思いで、五代将軍綱吉の「生類憐みの令」の犠牲となって父が亡くなる。

綱吉に仕えてみると幕府内部のいい加減さを目の当たりにしたのか、そいう手をつかうのかといったあざといやり方で出世の階段を昇っていく。志があってというよりも、ただ出世欲だけのようである。それも政治手腕に関係なく、人の弱みを見つけのし上がっていくのである。その経過は海老蔵さんがうまく引っ張っていく。

上りつめてはみたが砂上の楼閣のごとく、次第にがたがたと崩れていく。その知略の吉保も知らなかった事実が最後に明らかとなる。

尾上右近さんが菊川時代からおさめの方となっての変化の貫録ぶりがよい。吉保の奥方の笑也さん、お伝の方の笑三郎さんとおさめの方の違いが、髪型、衣装、立ち振る舞いではっきりして、おさめの方が自分の立場に不安を抱くのが納得でき、次の話しの展開に上手く乘った。東蔵さんの桂昌院は、もとは八百屋の娘ということもあり色欲をさらけ出すが、将軍の母であるその立場の工夫がほしい。

こういう芝居は騙されているからこそ蓋をを開けてのお楽しみが倍増するのである。それなりに面白いが、もう一つの方法として海老蔵さんの吉保さんどうせならもっと柔らかい非情さになってもよいのではないか。きりきりしているよりも、にこやかに笑っている人ほど怖いということもある。裏話をのぞくようなことだけではではなく、人間の悲しき欲に左右される人物像とはのひねりも欲しい。要求が多すぎ。

『荒川の佐吉』は、やくざの三下奴の佐吉が親分の殺されたあと、親分の娘・お新の子供・卯之吉を育てるが、卯之吉が盲目のためいずれは検校にできるお金のある実の親に返してやるのが卯之吉のしあわせと、自分は旅がらすとなって一人旅立つのである。こちらは力の強いものが勝つわかりやすい世界にあこがれながら、お金の力に左右される人の幸せにあえて屈して背を向ける佐吉の意気地である。

お新と政五郎親分に卯之吉に対する想いを語るところが聞かせどころで、猿之助さんそれまでの佐吉の口調とは違う声音で聞きやすくじっくりと聞かせてくれた。両脇の若い女性客は号泣されてた。

私は中車さんが心配でそちらにも目が行き時々鼻をつまらせていた。黙っている政五郎親分は、大きさのいる役で、緊張するであろうとお節介なことを考えていたのである。『柳沢騒動』の将軍綱吉も中車さんで、こちらは吉保に操られているのも知らずといった役どころで上手く役どころを押さえれれていた。時間とともに政五郎親分にもゆとりができるであろう。

『流星』は、軽やかさのある猿之助さんならではの踊りであった。舞台に雲がわき上がっていて、織姫がふわふわと雲の間からでてきて、牽牛と会えるのがなかなかロマンチックである。巳之助さんのたたずまいに青臭さが去り、立ち姿が良い。『荒川の佐吉』の大工辰五郎も庶民の情がある。尾上右近さんと巳之助さん舞台経験を積み上げられている時間をかんじる。

『鎌髭』と『景清』理屈っぽさがぬけ、不死身の景清ここにありである。源氏側も景清と知りつつ騙されてやろうとの愛嬌でそのやりとりも可笑しい。不死身である景清は恐いものなしで、殺せるなら殺してみろとばかり大仰である。三保谷四郎の左團次さんが一人真剣なのも荒事ならではのかたちである。

市川右近さんの入道役が面白く身についてきた。猿弥さん、『柳澤騒動』でお酒を飲み過ぎている間にライバル出現である。

『阿古屋』のパロディ的牢前での廓の再現。重忠にさとされて牢を破り自分の殻から飛び出す景清。今回の津輕三味線は強弱が上手くでて、景清の足踏みとも上手く合い相乗効果を出していた。余計なことであるが、海老蔵さんの声の気になるところがある。<はぁ>などの軽く抜ける箇所である。個人的な感覚であるのであしからず。荒事のなかにある幼児性の風も届く。

脇を固める役者さんたちも、役の雰囲気が短時間の出でも伝えられる力がつたわり観ているほうも芝居になじみやすくなった。

歌舞伎座のみならず地方でも次世代が、東コース、中央コースと暑い季節を頑張られていて頼もしい限りである。

 

 

 

でこぼこ東北の旅(4)『伊勢物語』

鹽竈神社(しおがまじんじゃ)。自筆では書けないような難しい漢字である。志波彦神社(しはひこじんじゃ)もならんでいる。裏のほうから入ったが、帰りは表参道の階段をおりる。段数が多いだけに下からながめる参道はすっとのびて美しい。鹽竈神社で、昔の塩を作っていたころの参考になるものはありませんかとたずね、御釜神社(おかまじんじゃ)を教えてもらう。

御釜神社は鹽竈神社の末寺で、塩の作り方を教えた塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が用いたといわれる四つの釜が残っているとのこと。この御釜神社では、「藻塩焼神事」が今もおこなわれている。このとき使う釜は鹽竈神社から運ばれる。

<藻刈神事>7月4日 ホンダワラといわれる海藻をかりとる。<水替神事>7月5日 神釜の海水をとりかえる。<藻塩焼神事>7月6日 製塩用釜の上に竹の棚をおき、その上にホンダワラをのせ、そこに海水を注ぎ、煮詰める。できあがった塩は見学者にもくばられるそうである。

社務所に申し出ると、100円で説明付き神釜をみせてもらえる。柵があるが野天である。四つの釜の水は干上がることもなければ、あふれることもなく、さらに地震の前には水がもっと澄んだ色になるそうである。塩釜の名の由来でもあり不可思議な世界にタイムスリップした感がある。

御釜神社に行く途中で、歩道に設置された碑を写真にとる外人さんにあう。日本語でかかれているのに読めるのであろうかと碑をみると、『伊勢物語』の一部である。不思議に思ってたずねると、オランダの方で、『伊勢物語』を研究されているとのことでさすが日本語もしっかりされている。このかたと会わなければ『伊勢物語』に遭遇せず素通りするところであった。

伊勢物語』の八十一段に、源融(みなもとのとおる)の屋敷の宴で身分の低い老人が  「塩竃にいつか来にけん朝なぎに釣りする舟はここによらなむ」 (いつのまに塩竃の浦にきたのであろうか、朝なぎの海に釣りする舟はみなここに寄ってきて趣を添えてほしいものだ。) と詠んだ。この老人は陸奥の国にいったことがあり、この邸の趣が素晴らしい塩釜とよく似ていることをたたえている。

源融さんは、『伊勢物語』の一段で<しのぶもじずり>の彼の詠んだ歌が登場する。ある男が奈良の春日の里で美しい姉妹に会い心みだれて歌を詠む。その男はしのぶずりの狩衣のすそを切ってそこに歌を書いた。 「かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知らず」 (春日野の若紫で染めたこのすり衣の模様の乱れには、限りがないのです。) 筆者はこの歌は源融の 「みちのくの忍ぶもぢずりだれゆえにみだれそめにし我ならなくに」 がもとにあると説明している。昨年の福島の旅とつながってしまった。 長野~松本~穂高~福島~山形(3) 

忘れないためにもうひとつ『伊勢物語』について加える。旧東海道歩の39番目の宿・知立(ちりゅう)からすこしはずれたところに、無量寿寺というかきつばたのお寺がある。朝雨なので歩きをやめ、そのお寺のかきつばたをめでることにしようと思っていたが、駅までの間に雨が止みやはり歩くことを優先した。少し残念でもあった。この時期に再び訪れられるかどうか。

三河八橋は、古くからのかきつばたの名勝地で、『伊勢物語』の九段にもでてきて、ある男(在原業平)が、<かきつばた>の五文字を入れて歌を詠んでいる。「ら衣もつつなれにしましあればるばる来ぬるびをしぞ思ふ」 (長年慣れ親しんできた妻が都にいるので、はるばるやって来たこの旅が身にしみて感じられることだ。)

根津美術館の国宝・尾形光琳<燕子花図(かきつばたず)>の原点である。

ある男は、都を出て東国に旅をするのであるが、どこへ行きつくかというとこの九段で、武蔵の国と下総の国の境の大きな川である隅田川にたどりつくのである。そして詠んだのが次の句である。 「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(都鳥よ、お前がその名にそむかないならば、さあ尋ねよう、都にいる私の想う人は無事でいるだろうか、どうだろうかと、、、)

今回の『伊勢物語』へのつながりは驚くべき展開になった。オランダのかたのお蔭である。(歌の訳・中村真一郎)

松島は、瑞巌寺の本堂が平成21年から修復に入り、今年の4月から再拝観できるようになったということもあってか観光客が多かった。瑞巌寺は、真っ黒の甲冑に兜の三日月のお洒落さに見合う伊逹政宗さんらしい艶やかさである。宝物館の説明映像で、瑞巌寺の耐震のために、壁の中にプラステックのようなものが入れられていたのが印象的であった。比較的小さな会社が開発したようである。

円通院の厨子にはバラやトランプの模様がある。支倉常長さんが持ち帰った西洋文化を図案化したもので、西洋バラの絵としては日本最古のものというのが新情報であった。

松島湾の風景は、人のいない雄島で静かに堪能させてもらった。暑くなるのを覚悟していたが幸いすごしやすく助かった。平安時代の人々の陸奥の国へのあこがれを実地体験できる旅ともなり、そうした展開は思いがけないところで出会うものである。

      鹽竈神社の階段

       御釜神社の由緒

      円通院の厨子

        雄島から

でこぼこ東北の旅(3) 歌舞伎シネマ『阿弖流為』

五所川原の<立佞武多(たちねぷた)>は是非友人に見せたいと思っていたが、ことのほか友人もその豪快な全容に満足してくれた。あらためてその色づけの美しさと巨大でありながら細やかな色使いになぜかしみじみとした想いにとらわれてしまう。

陰陽師・安倍晴明の立佞武多もあり、歌舞伎の『陰陽師』をおもいだす。四月の歌舞伎の『幻想神空海』は、『陰陽師』の二番煎じの感がまぬがれず期待に応えてくれなかったことも浮かび上がる。私立探偵空海で、空海(染五郎)と橘逸勢(松也)の関係が、安倍清明(染五郎)と源博雅(勘九郎)とだぶり、『幻想神空海』のほうが衣装が地味で分が悪い。最後に舞台全面に曼荼羅(まんだら)がでてやっと<空海><密教>の色合いがでた。

<ねぷた>の由来はいくつかあり、坂上田村麻呂が大きな灯籠で敵をおびきだしたという一説もある。ただ田村麻呂は青森までは遠征しなかったようである。

今回は歴史館「布嘉屋(ぬのかや)」にもたちよる。無人の時にあたってしまい拍子抜けしてしまったが、<布嘉>とは豪商の佐々木家に婿養子となった嘉太郎さんが、分家して大地主となり本家の「布屋」の屋号をもらい布屋嘉太郎が「布嘉」とよばれるようになり、斜陽館を建てた棟梁・堀江佐吉さんが請け負った布嘉御殿の模型が展示されていた。斜陽館よりも外見的にも手の込んだ建物であった。

大地主。太宰治さんの心の鬱屈の原因でもあった。太宰さんの父はお金を貸しそれが返せないと担保の土地を手に入れて広大な土地の所有者となっていったのである。

五能線のリゾートしらかみ号は気にしていなかったが、乗る列車によって列車内のイベントがあったりなかったりで、さらに<千畳敷>で降りて見学する時間のとるものとそのまま通過する列車があったのである。幸い見学する時間のある列車で友人のためにホッとする。風が強く、満ち潮で岩にぶつかる波しぶきが激しく、海の違う顔がみえた。この波が押し寄せてきたらと想像すると恐ろしくなるわねと友人とうなずき合う。

次の日、仙台から塩竈神社にいくため仙石線にのる。途中<多賀城駅>があり、多賀城があるのかとそれとなく記憶にのこった。

帰ってから歌舞伎シネマ『阿弖流為(アテルイ)』を観ていたらでてきた。<多賀城>。もう一つ先にでてきたのが<いさわ城>。調べたら<胆沢城>である。歌舞伎で観たときは気がつかなかった。

多賀城は平安時代、蝦夷(えみし)の指導者・アテルイを降伏させた田村麻呂が築いた城柵である。

多賀城にあった陸奥の軍政の拠点の鎮守府をのちに胆沢城に移している。そのことからも田村麻呂は岩手までで、青森には行っていないであろう。ただ<アテルイ>には<ねぶた><ねぷた>の灯りがよく似あっている。

胆沢城は東北本線の水沢駅からバスのようである。水沢駅から盛岡駅まで早朝一本だけ列車の<快速アテルイ号>が走っている。

 

歌舞伎シネマ『歌舞伎NEKT 阿弖流為<アテルイ>

染五郎さんが少年時代に、アテルイの処刑に田村麻呂が涙したという学習漫画から二人の関係を不思議に想われたどり着いたのが、『歌舞伎NEXT 阿弖流為<アテルイ>』である。かなりの時空を経て舞台化したわけである。そして映像化となった。

こと細かに鑑賞させてもらった。カメラを何台使ったのであろうか。ここという場面の台詞では役者さんたちの顔がアップとなり表情がよくわかる。そちらに気をとられて、舞台を観た時のアテルイと田村麻呂の敵でありながらもお互いに惚れこむ二人の関係が、役者さんが近すぎて伝わり方の波長が少しずれてしまった。観賞の難しいところである。ただ圧倒的な迫力で格好よすぎである。太刀や剣の使い方にスピード感があり、止まっていう台詞がキザでも許せてしまう。

最初から観た時の感覚がもどり、そうでしたそうでした。今更ながら、勘九郎さんの田村麻呂はだまされやすいおひとじゃ。裏をよみなさいよ。七之助さんの立烏帽子、動きにつれて衣装のすそがひるがえり、アテルイ、田村麻呂の関係に視覚的にも風をおこしている。市村橘太郎さん、澤村宗之助さん、大谷廣太郎さん、中村鶴松さんらもしっかりチェックできました。

この場面はこうした表情でと撮る映画とは違う映像なのに、しっかり眼が演技しつづけている。それでいながら身体はばしっときまる。これを昼夜二回演られたのかとおもうと、考えただけ見ているほうがが酸素吸入器が必要となりそうである。

舞台映像として、複眼で楽しめた。

作・中島かずき/演出・いのうえひでのり(劇団☆新感線)

新橋演舞場 『阿弖流為(あてるい)』

 

でこぼこ東北の旅(2) 映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』

旅の持ち時間の関係から、別行動となった友人達は、弘南鉄道で黒石へ行く。津軽フリーパスという弘前周辺の二日間乗り放題の切符があり、これは行動範囲から検討するとお得な切符である。帰ってからの友人の報告によると、黒石はガイドの説明もあり酒蔵見学もでき半日コースとして楽しめたようである。

こちらは、五能線に乗り秋田を通り塩釜・松島へ行く予定なので、時間まで五所川原散策とする。五能線も五所川原も二度目であるが、初めての友人にあわせる。五所川原には太宰さんを可愛がってくれたおばさんのきゑさんが住んでいた家があり、この家は大火で焼け、蔵が残りそこで暮らしていたことがあり、太宰さんもその蔵を訪れている。その蔵が解体再生されて、「思い出の蔵」として小さな資料館になっていた。 青森五所川原の町 

資料館に角樽(つのたる)が展示されており、きゑさんの娘さんの結婚の時のもので、金木の津島家から分家とある。意味がわからず係りのかたにたずねる。太宰さんの叔母のきゑさんは金木の津島家に娘さんたちと一緒に暮らしていたが、娘のリエさんに養子をむかえ五所川原に分家したのである。養子さんが歯医者で歯科医院を開業し、現在も人気の歯科医院とのことである。叔母のきゑさんが津島の名を残したわけである。

そんな話しから、太宰さんの場合も津島の名前は女性によって残されているという印象が強い。そして小説家太宰治さんは、娘さんの小説家津島祐子さんによって乗り越えられたと以前から個人的に思っていた。津島祐子さんとは小説家と言われる前に小さな文芸誌で作品に偶然出会った。この人は面白いと思った後で太宰さんの娘さんと知る。その後小説家として名前がでるようになる。

作家津島祐子さんは残念なことに今年二月に亡くなられてしまわれた。内面的に太宰さんに負けないだけの闘いをされて小説と向き合われていたようにおもえる。ここでも津島家は女性によって突き進んでいく。

友人も私も太宰さんの生き方には、三人の女性、小山初代さん、田部シメ子さん、山崎富栄さんとの関係から懐疑的な気持ちがある。小説家太宰治の名のもとに三人の女性が不当な扱いを受けているようにおもわれるのである。そのことを友人とふたり、かなり太宰さんを糾弾する。係りのかたも聞こえていたであろうから困ったことであろう。糾弾したとしても、太宰さんの血を授かった太田治子さんも、ご自分の道をしっかり歩まれているので、太宰さんの亡くなったときとは事情が違ってきている。

最後は係りの方も加わり、映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』のサチさんは素晴らしい女性で、あのような女性はいないという結論になった。太宰さんの作品をうまく組み合わせ理想の女性像をつくっている。なるほどこういう女性像をつくりあげれるのかと、その脚色と監督と俳優の組み合わせと映画の力に感嘆したのである。

映画『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』(2009年)

常識では推し量ることのできない作家・大谷(浅野忠信)の妻・佐知(松たか子)が、世の中から糾弾されないようにとった行動。居酒屋からお金を盗んだ夫を警察に突き出されるときに妻はどう行動したか。他の女性と心中未遂事件を起こし、殺人未遂容疑の疑いで警察に拘束されてしまう。そのときとった妻の行動は。夫が釈放されて帰ってきたときの妻の行動は、夫の食べている桜桃を一緒に食べる。そして発した言葉とは。

この映画を観たとき原作は忘れていたので、佐知さんの行動がミステリーのように想像外で新鮮で賛辞を送った。

<桜桃>は、『桜桃』にでてくるが、「子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶであろう。」と思いつつひとりで食べ「子供よりも親が大事。」とつぶやく。

<タンポポ>は、『葉桜と魔笛』のなかの手紙の一節にある。「タンポポの花一輪の贈りものでも、決して恥じずに差し出すのが最も勇気ある男らしい態度であると信じます。」

ヴィヨンの妻は、夫と桜桃をたべ、タンポポ一輪受けとったのであろうか。こういうつまらないつながりなど考えさせない内容の映画であるのでご安心を。原作からこうもっていくのかと、うなってしまった。

監督・根岸吉太郎/原作・太宰治/脚本・田中陽造/出演・松たか子、浅野忠信、伊武雅刀、室井滋、広末涼子、妻夫木聡、堤真一