『浅草文芸、戻る場所』(日本近代文学館)

  • 京王井の頭線・駒場東大前駅西口改札から歩いて7分の「日本近代文学館」で『浅草文芸、戻る場所』展をやっている。関東大震災のころは、写真というものが庶民に広く普及していたわけではないので、十二階の凌雲閣などの様子も銅板画とか錦絵などで、こういう貴重な絵をしっかり保管しておられる方がいての展示である。2時からギャラリートークもありそのあたりのことの解説があった。

 

  • 凌雲閣は関東大震災で二つに折れて倒れ、その後爆破されて消滅してしまうが、今年の2月にその建築跡が出て来てきちんとその位置が確認されたそうである。そのときに分けてもらった赤レンガの破片が展示されていた。凌雲閣が重要な場面となっている文学作品の紹介もあった。爆破のときのことは、川端康成さんの『浅草紅団』にもでてくるし、江戸川乱歩さんの『押絵と旅する』にも出てくるらしい。乱歩さんが使いたい建物である。青空文庫にもあるらしいがまだ読んでいない。

 

  • 凌雲閣の映画といえば、『緋牡丹博徒・お竜参上』である。最後の闘争の場所が凌雲閣なのである。お竜さんが、鉄の門を開けるのであるが、そこからすぐに凌雲閣の建物がありこんなに狭いのだろうかとおもったが、絵からするとかなり正確である。架空の東京座という劇場の利権争いがあるが、この東京座の前に実際にあった電気館の建物が映り、この六区のセットには相当力を入れていたのがわかる。

 

  • 監督は加藤泰監督で脚本も鈴木則文さんとふたりで書いているので、意識的に凌雲閣を選んだのであろう。お竜さんが世話になるのが鉄砲久一家で、色々調べられて、六区を選んだ以上その雰囲気を作り出そうと頑張られている。映画人の心意気である。お竜さんが馬車で走る鉄で覆われた橋はかつての吾妻橋のように思える。今戸橋の雪の中をころがるミカン。この映画の事は書いているかもしれない。

 

  • 文学のほうにもどると、ひょうたん池に噴水があったが、もう一つ浅草寺の本堂の後ろにも噴水があってその真ん中に立っていたのが、高村光雲作の龍神像で、今はお参り前に清める手水舎に立っているのだそうで、よく見ていないので今度いったときは見つめることにする。その噴水で子供の身体を洗ってやる親子のことを書いているのが、堀辰雄さんの『噴水のほとりで』である。堀辰雄さんは橋を渡ったすぐの向島の育ちであるから浅草育ちと言ってよいだろう。

 

  • 浅草はレビュー、カジノフォーリー、オペレッタ、浪花節、女剣劇、喜劇などのエノケン、ロッパ、シミキンなど多くの芸人さんの名前が登場する。シミキンこと清水金一さんなどの「シミキンの笑う権三と助十」の宣伝ポスターもある。伴淳さんもロック座で一座を構え、喜劇とレビューをやっていたが、レビューのほうが人気となりそれがストリップとなり、伴さんの退団でストリップ劇場になったとあった。こういうポスターやチラシなどを収集しているかたがいてその方たちからお借りしての展示となったようである。

 

  • 同時開催として『モダニズムと浅草』として、川端康成さんを中心にした展示室もある。川端さんは映画『狂った一頁』(1926年)で映画製作にも参加している。小説『伊豆の踊子』の発表が1926年で、小説『浅草紅団』が1929年に発表され浅草が評判となり、1930年には映画化されている。そして『伊豆の踊子』が1933年に映画化されている。大正時代の経験が小説となり、そして、映画化さる。川端康成さんの作家として、あるいは作品としての知名度は芸人さんと芸人さんのいた場所と映画とが結びついて始まっているわけである。

 

  • 大正モダニズムについては、日比谷図書文化館で特別展を『大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン』も7月1日まで開催していたが、そこで観たいと思っていた浅草ひょうたん池の夜の絵葉書があった。

 

  • 高見順さんの『如何なる星の下に』で、主人公と嶺美佐子という女性がひょうたん池の橋の上から池に映るネオンをみて「綺麗だ」という場面がある。展示物に東京の地図に当時の写真の絵葉書をそえて名所を紹介していたものがあった。名所用でもあるから、夜のひょうたん池はネオンの灯が映って美しかった。けばけばした歓楽街とすたれた歓楽街の両極端のイメージがついて回りちょっと気の毒な六区なので、「綺麗」の言葉にちょっと気恥ずかしがっている六区に思えた。

 

  • 東京モダーンズ』では、大正時代の印刷術の発達と出版文化の興隆時代であることに触れている。なるほどと納得する。雑誌の表紙や挿絵、そして、浅草でのカジノフォーリー、レビュウー、演劇、音楽などのポスター、パンフレット、プログラムなどにどんどんポップな絵やデザインが使われるのである。それが『浅草文芸、戻る場所』の六区のポスターなどにもあらわれている。

 

  • 女性や子供に人気があったのが竹久夢二さんである。その他、杉浦非水さんなどが図案集などをだし、そこから商店などが宣伝用に図柄を使っているのである。「新時代のジャポニズム」として小村雪岱さんや橋口五葉さん、鏑木清方さんなどの絵も新しい浮世絵として見直される。

 

  • 次に出てくるのが写真ということになる。浅草の芸人さんたちも写真で紹介され雑誌などにも写真で登場ということになる。劇場も実演が成功すると芸人さんは浅草六区から出て行き映画のほうが主となっていく。この辺の変遷は沢山あった劇場のそれぞれの変遷でもあり複雑で手に負えない分野である。浅草を舞台とした小説も書かれた年代によって浅草の顔が違う。

 

  • 高見順さんの『如何なる星の下に』は、1939年(昭和14年)に連載され、その時代の浅草なのであるが、主人公はその一年前に浅草の本願寺うらの田島町に部屋を借りるのである。しかし主人公は六区や浅草寺の境内や仲見世などにはいかないのである。その反対側にある「風流お好み焼 惚太郎」が軸になっていて、そこで出会う芸人さんなどとのことで回転していくのである。

 

  • 活躍している芸人さんたちではないのでその人達からきく六区の様子はかなり厳しい状態のようである。浅草国際劇場の松竹歌劇団華やかなりし頃で、そのお客は脇目もふらずに田原町の停車場か地下鉄駅と劇場を真っ直ぐに往復すると書かれてある。そういう時代である。

 

  • 「風流お好み焼き 惚太郎」は現在の「染太郎」さんで、「高見順の観た浅草」ということで、日本近代文学館では染太郎二代目ご主人の対談があったようである。『如何なる星の下に』で主人公は、浅草レビュー発祥の水族館も廃屋のままで、ただ食い物屋は凄いと言っている。確かに無くなってしまった飲食店もあるがいまだにしっかり残っているところもあり、主人公の考察は当っていることになる。また半村良さんの『小説 浅草物語』は時代も違い、浅草の別の顔がみえるが、長くなるのでこのへんで・・・。

 

  • 『浅草文芸、戻る場所』の主催は「浅草文芸ハンドブックの会」である。

 

浅草映画一覧

現時点での浅草映画の一覧である。◎は観た映画。▲は内容を書き記したと思われる映画。●はまだ観ていない映画である。浅草を舞台にしているもの。浅草が重要な意味をもつもの。浅草が観光的にちょこっとでてくるもの。浅草にある建物や飲食店がでてくるもの。すでにないのでセットで作ったもの。全く架空の名前にして浅草に関係あるようにしたもの。いわれて気がつくなど様々である。順番はメモや思い出すまま並べただけで何の意図もない。観たあとで情報を得て確かめていないものもある。

つい先ごろ、「キネマ旬報・2006年10月号・1468号」が書棚にあり何のために購入したのだろうと開いたら浅草がでている。表紙は加瀬亮さんで、10数年前それほど浅草も加瀬亮さんにもハマっていなかったとおもうが、今回は参考になった。「浅草六区映画地図」(絵と文・宮崎祐治)の地図の絵がわかりやすくて、よくぞ買っておいたと自分をほめた。1942年(昭和17年)、1956年(昭和31年)、1987年(昭和62年)の絵地図がのっている。六区の変貌は激しいので大助かりである。そしてその場所のでてくる映画も映画俳優さんのイラストつきである。

小沢昭一さんと川本三郎さんの浅草の対談、浅草キッドおふたりの「我らのフランス座修業時代」の対談もある。加瀬亮さんはその後の映画でも観ていて上手い俳優さんであるとは思っている。さらに映画を探して観てもいいなあなどとおもうし、ずーっと横目でみて観る気まで起きなかった『カポーティ』が作品特集で載っていたので観ることにした。一冊だけあった『キネマ旬報』の影響力強し。『とんかつ大将』で三井弘次さんが佐野周二さんに声をかけるのが、ひょうたん池のほとりの設定らしい。『男はつらいよ』で武田鉄矢さんがアルバイトしていたのがとんかつ屋『河金』などチェックしていなかった。これからもそういうことが出てくるのであろう。シントト、シントト。(日を追って追加していく)

  1. パレード ◎
  2. 喜劇 にっぽんのお婆ぁちゃん  ◎ ▲
  3. 笑いの大学  ◎ ▲
  4. 異人たちとの夏  ◎
  5. 夢みるように眠りたい  ◎ ▲
  6. 乙女ごころの三人娘  ◎ ▲
  7. しゃべれどもしゃべれども  ◎
  8. 菊次郎の夏  ◎ ▲
  9. 陰日向に咲く  ◎
  10. 転々  ◎
  11. 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく ◎ ▲
  12. 東京暗黒街・竹の家  ◎ ▲
  13. 深海獣雷牙  ◎
  14. ばしゃ馬さんとビッグマウス  ◎ ▲
  15. ナイト・トーキョー・デイ  ◎
  16. 100回泣くこと  ◎
  17. こちら葛飾区亀有公園前派出所  ◎ ▲
  18. 風立ちぬ(アニメ)  ◎
  19. 君に幸福を センチメンタル・ボーイ  ◎
  20. 夢売るふたり  ◎
  21. ガキ☆ロック  ◎
  22. 月  ◎
  23. 福耳   ◎
  24. 浅草・筑波の喜久次郎 ~浅草六区を創った筑波人~ ◎  ▲
  25. まむしの兄弟 懲役十三回   ◎
  26. ひとりぼっちの二人だが  ◎ ▲
  27. 青天の霹靂  ◎
  28. 下町の太陽  ◎
  29. カルメン純情す  ◎
  30. の・ようなもの  ◎
  31. 浅草キッドの浅草キッド  ◎ ▲
  32. 日本侠客伝・雷門と決斗  ◎
  33. とんかつ大将  ◎
  34. 浅草の灯 (1937年) ◎
  35. 浅草の灯・踊子物語  ◎
  36. 帝都物語   ◎  
  37. もどり川  ◎
  38. 緋牡丹博徒・お竜参上  ◎
  39. 浅草の肌  ●
  40. 浅草紅団  (1952年) ◎   ▲
  41. 浅草の夜  ◎
  42. 彼奴は誰だッ  ●
  43. セクシー地帯  ◎    ▲
  44. 泣いてたまるか  ●
  45. 清水の暴れん坊 ◎ ▲
  46. 下町  ◎ ▲
  47. 夢を召しませ  ●
  48. お嬢さん社長  ◎ ▲
  49. 胸より胸に  ●
  50. 押絵と旅する男   ●
  51. 男はつらいよ 寅次郎忘れな草  ◎
  52. 男はつらいよ 私の寅さん  ◎ ▲
  53. 男はつらいよ 噂の寅次郎  ◎
  54. 男はつらいよ 翔んでる寅次郎  ◎
  55. 忍ぶ川  ◎
  56. 男はつらいよ 拝啓車寅次郎  ◎
  57. 男はつらいよ ぼくの伯父さん ◎
  58. 海の若大将  ◎
  59. アルプスの若大将  ◎
  60. 赤線地帯  ◎ ▲
  61. 踊子  ◎ ▲
  62. 風速40米  ◎
  63. 抱かれた花嫁 ◎  ▲
  64. 妖婆(台詞のみでその場所が浅草とされる) ◎
  65. ひまわり娘  ◎
  66. 牝犬  ◎
  67. 渡り鳥いつ帰る  ◎
  68. にごりえ(第一話・十三夜、第二話・大つごもり、第三話・にごりえ) ◎
  69. 日本残侠伝  ◎
  70. 総長の首   ◎
  71. 渡世人列伝  ◎
  72. 南太平洋の若大将  ◎
  73. 昭和残侠伝 血染の唐獅子  ◎
  74. 昭和残侠伝 人斬り唐獅子  ◎
  75. 博徒一家   ◎
  76. 喜劇 駅前女将  ◎ ▲
  77. 女の子ものがたり  ◎
  78. 野良犬  ◎
  79. ヘルタースケルター  ◎
  80. キネマの天地  ◎ ▲
  81. 関東テキ屋一家 浅草の代紋 ◎
  82. 風の視線  ◎
  83. 侠花列伝 襲名賭博  ◎
  84. 墨東奇譚  ◎
  85. 若者たち  ◎ ▲
  86. 不良少年  ◎
  87. パッチギ! love&peace  ◎
  88. 監督・ばんざい!(浅草花やしきの写真のみだが笑える) ◎
  89. キトキト! ◎
  90. 三羽烏三代記  ◎  ▲
  91. その人は遠く  ◎  ▲
  92. やくざ先生  ◎ ▲
  93. 堂堂たる人生  ◎ ▲
  94. 青春怪談  ◎ ▲
  95. 太陽のない街  ◎ ▲
  96. 陽気な渡り鳥  ◎ ▲
  97. 人生劇場 新飛車角  ◎
  98. 夕映え少女(浅草の姉妹) ◎
  99. 日本人のへそ  ◎
  100. 浅草姉妹  ◎
  101. 愛怨峡   ◎
  102. トワイライト ささらさや  ◎ 

歌舞伎座9月『俊寛』『幽玄』

  • 俊寛』。今回は芥川龍之介さん、菊池寛さん、倉田百三さんの『俊寛』を読んでみた。鬼海ヶ島にひとり残った俊寛は生きのびていてそこへ都で仕えていた童の有王が尋ねてくる。芥川さんのほうは、俊寛は何んとか生きていくと有王をかえす。菊池さんのほうは、成経は島の娘と結婚するが島に置いて行ってしまいう。俊寛はといえば、たくましく魚を採り畑などを耕し、結婚して5人の子持ちとなっている。既に清盛の時代ではなくなっているが、都には未練がなく俊寛は死んだとしてくれと有王をかえす。倉田さんのは、有王は俊寛と共に島で暮らし、俊寛が亡くなるとその遺体とともに海に飛び込むのである。

 

  • 近松門左衛門さんは、迎えの使者として瀬尾太郎兼康を登場させている。俊寛、成経、康頼の人間関係は上手く行っている。成経に千鳥という恋人があらわれると俊寛は祝言の盃事をしてやる。千鳥も、康頼を兄、俊寛を父と想っていると慕う。そこへ、赦免状を持った船があらわれる。その使者である瀬尾がとにかく清盛の権威を全身で背負っているような人である。俊寛赦免の名がないのをざまあみろとばかりの悪態である。頭をかきむしって転がって悲嘆にくれる俊寛。

 

  • そこへ、丹左衛門尉基康が現れ、清盛の子・重盛の情けによって備前国・岡山まで帰参を赦すとの赦免状をみせる。皆喜ぶのである。どうして基康はすぐ自分の持参している赦免状をみせないのか疑問であった。これは、平家のなかにあっても瀬尾のような清盛しか頭にない人と重盛ならこう裁くのだがという人もいたとの権力構成を表しているようにおもえ、とにかくうるさい瀬尾に言いたいだけ言わせないとかえって面倒だとの思惑のようにおもえる。

 

  • ところがここで一つ問題が生じる。千鳥である。成経も千鳥を一心同体と想っている。しかし瀬尾は乗せるわけにはいかないという。三人だけであると。成経は残るといい、それなら皆も残るという。そこで瀬尾のさらなる言葉が飛ぶ。俊寛の妻・東屋は清盛に従わなかったために首をはねられたとつげる。清盛に従わない者は許されないという平家の世を支えているのが瀬尾のような人間なのである。近松門左衛門さんは、台詞少なくとも時代をきちんと表現している。呆然とする俊寛をはじめ三人は船に押し込められてしまう。

 

  • 残された千鳥のクドキである。島の娘である。時代的に言えば主人公になりえない存在であるが、ここも近松さんはきちんと浮き彫りにして千鳥の心情を押し出してやる。その心情を妻の死と重ねたのが俊寛である。帰ったところで自分に何があるのだ何にもないのである。父と慕ってくれたこの娘を幸せにしてやろう。その想いが瀬尾を殺す原動力となる。観客もそうこなくちゃである。基康は、君がごちゃごちゃいうからこんなことになってしまったんだから、僕は見物するよである。しかし、それを成し得て一人残って船を見送った後に俊寛に見えてくるのは・・・

 

  • 心中物にしろ、登場人物を取り巻く世界というものを近松さんはきちんと構築している。無我夢中で自分の道を見つけ出すのであるが、気がついてみればのっぴきならないところにはまっている。そういう道筋のつけかたは観ている者は自然に運ばれていくが、客観的にながめると用意周到に仕組まれているのである。心理劇だけにはしないしたたかさがある。その用意周到さを感じさせないで、それぞれの役にはまって隙間なく埋めてくれたのが下記の配役の役者さんたちである。
  • 俊寛僧都(吉右衛門)、海女・千鳥(雀右衛門)、丹波少将成経(菊之助)、平判官康頼(錦之助)、瀬尾太郎兼康(又五郎)、丹左衛門尉基康(歌六)

 

  • 幽玄』。他の劇場のときとかなり変えられていた。歌舞伎座ということもあってか、歌舞伎役者さんが多数登場し、「羽衣」「道成寺」「石橋」を、「羽衣」「石橋」「道成寺」の順番にして、「道成寺」を夜としたのである。

 

  • 「羽衣」が全く明るい舞台としていて場内がザワザワしているところに奏者さんが現れ、これは前の薄暗い中から現れたほうが神秘的でした。伯竜が三保の松原で仲間と釣りに来て、木に掛けてある羽衣を見つけるのが朝だからでしょうか。釣り仲間がおおぜい出てきたのには驚きました。歌昇さんを中心に11名です。動きは一糸乱れずで綺麗でした。衣裳が上はブルー系で下は白の袴。動きを見ていて、これを波としても生かして欲しかったとおもいました。ひろーい海。役者さんも今回は貴重な経験をされた。(喜猿、千次郎、玉雪、鶴松、種太郎、萬太郎、弘太郎、吉太朗、猿柴、蔦之助)

 

  • 「石橋」は、歌昇さん、萬太郎さん、種之助さん、弘太郎さん、鶴松さんの五人が獅子の精となってあばれます。能の世界、打楽器、歌舞伎役者さんの身体的表現を合わせるとどういう表現ができるかという試みのようでもあり、これが一番わかりやすかったです。打楽器の力強さと一体にになっていた。

 

  • 「道成寺」の花子の玉三郎さんの鞨鼓(かっこ)の音が太鼓の音に負けてしまい全然聞こえなくて、玉三郎さんが動き回って指揮をとっているような感じで残念であった。蛇体が花四天の方達が20人以上であろうが太鼓に合わせて動きこの息の合わせ方はみごとであった。それに対する僧侶もでて、これだけの人数を動かす構成の緻密さにおもいいたる。かなりの実験的舞台であった。秀山祭、自分が初代だと思って若い役者さんは、切磋琢磨してほしいですね。

 

歌舞伎座9月『河内山』『松寿操り三番叟』

  • 河内山』。<上州屋質見世の場>からである。河内山宗俊の吉右衛門さんがいつものように、怪しい棒切れを持参して、これは由緒正しい木刀だからお金を貸せとせまる。いつも偽物を大仰に言ってはお金をせびられるのであろう。番頭はことわる。お店をおもう忠実な番頭である。ところが、宗俊は番頭など初めから相手になどしていなくて軽くあしらう相手でしかない。そこら辺が宗俊の軽口の様子からよくわかる。

 

  • 取込み中らしいが、宗俊はお構いなしで奥へ行こうとする。後家の女将・おまきが出て来てその取込みの説明をする。思案にくれて、宗俊に頼まなければならない意思を腹におさめて魁春さんはしっかりと説明する。娘の浪路が奉公先の松江公に妾になれと閉じ込められているというのである。商家ではどうすることもできない。そこをイチかバチかで宗俊なら何か考えだしてくれるかもと期待するのである。宗俊は引き受けて、200両を要求する。手付として100両。その100両は和泉屋清兵衛の歌六さんが差し出す。女将と清兵衛に頼まれて宗俊は引き受けたのであるが、ことによると自分の命と引き換えの大仕事と覚悟を決める。上州屋の場があるといかに危ない仕事であるかがわかる。

 

  • 松江邸に行く時はすでに覚悟のことゆえ、こちらの策略にいかに相手を乗せるかであり、堂々と相手が怖れるのを確かめつつの演技と口である。松江邸では、腰元までが浪路の苦境を心配している。皆ピリピリしている。特に主人の松江侯は面白くない。主人をいさめるものと、主人をたきつけるものとに分かれている。そんなところへ上野寛永寺からの使僧がやってくるのである。何事か。どんな些細な事でも外に知られてはならないと戦々恐々の家臣たちである。そこも宗俊のねらいどころである。

 

  • 取り繕うとする弱みに付け入ろうとの魂胆でもある。しかしそんなそぶりは見せない。僧として人望を感じさせる吉右衛門さんである。家来たちも何とかしなければの心もちであるが、主人が姿を出さない・・・。そこへ不快という松江侯があらわれる。家臣に対する時とは違う表向きの顔の幸四郎さんである。宗俊はその表の顔を体よくはがしていく。相手の心理を読みつつ、使僧の役目を果たさなければ私も困るのですよ、まあお互い上手くやりましょうよの方向にもっていく。なんとも裏に通じている方であるから言い回しが上手いのである。松江侯は深入りしないように申し出を承諾。

 

  • 家臣たちも、お家大事であるからお金で済むならと、要求にこたえる。事なきようにと取り仕切る家老の又五郎さんと数馬の歌昇さん。それに従う種之助さんに隼人さん。この芝居のときは、そのほかの従者の動きも失敗しないかと気にかかるのである。家臣の動きは松江家の格式を感じさせるところであり、そこがしっかりしていないと河内山の大きさも出せない。そして玄関先で北村大膳の吉之丞さんに見破られてがらっと態度をかえる河内山。しまった!と思いつつもからっと明るくその場の空気を変える。松江侯も出て来て厄払いである。そこに持って行けた河内山の笑いは小気味よい自画自賛でもある。

 

  • 黙阿弥さん、松江邸の場は幾つかの展開を考えていたのではないだろうか。悪人であるのに観る者がやったー!と溜飲を下げる落ちの腕前は作者も役者もさすがである。河竹黙阿弥住居跡が浅草の仲見世のそばにあり、思いつつ浅草に行くと訪ねるのを忘れてしまう。先頃、突然思いもかけない時にその石碑に遭遇した。肝心なものを忘れてはいませんかってんだいと言われたようであった。

 

  • 黙阿弥さんは浅草から本所へ移るが、司馬遼太郎さんは『街道をゆく』の「本所深川散歩」で、今の墨田区亀沢二丁目だが、私にはさがしあてられなかったと書いている。今は「河竹黙阿弥終焉の地」としての表示がある。

 

  • 松寿操り三番叟』。理屈ぬきに楽しかった。国立小劇場の『音の会』で『寿式三番叟』を観て、「三番叟」のテープなかったかなとさがしたら、「操り三番叟」が出てきた。9月の演目にもあるのでと聴いていたので気分は上昇。後見の吉之丞さんが箱から操り人形の三番叟を出してくる。出されているように見せかけるのは三番叟の幸四郎さんである。吉之丞さんの所作台を踏む音も気に入ってしまう。テープのなかでも聞こえていたがあの通りなのであろうか。聞き直してみたら足で調子をとるがなかなか難しい。歌舞伎ギャラリーなどで、映像を映して、足を下すとあのような好い音をだしてくれる装置を考え出してくれないであろうか。足を踏み鳴らすところをしらせてくれて。気分爽快とおもう。上手く出来ればの話しであるが。

 

  • 幸四郎さんは、幸四郎という名跡を継がれて、変声期のような変わり目を通過中のような気がする。役者さんとして大きくなりつつあり、人を楽しませるということも大事にされているので、それを同時にと思われているような気がする。襲名という立場に委縮されていないのが頼もしい。

 

歌舞伎座9月『金閣寺』『鬼揃紅葉狩』

  • 御存知、初代中村吉右衛門さんの俳名をとっての「秀山祭」である。一代で中村吉右衛門という名前を世に残されたのであるから、凄いことである。その「秀山祭」が十一回目となるのであるから二代目吉右衛門さんの「秀山祭」にかける意気込みもうかがい知ることができる。役者さんも初役などで大活躍である。

 

  • 金閣寺』。三姫のひとつ雪姫を児太郎さんが初挑戦される。将軍・足利義輝の母・慶寿院尼を福助さんが舞台復帰での出演となり児太郎さんにとっても、嬉しさと緊張の舞台となりこの先忘れられない舞台の一つとなるでしょう。観客も児太郎さんが、雪姫を演じるたびにこの舞台のことを思い描くことになりそうである。

 

  • 慶寿院尼を人質にとり、雪姫に横恋慕するのが松永大膳の松緑さんでこれまた初役である。雪姫の夫・絵師・狩野之介直信が幸四郎さんで、演じられたような気がしていたが初役だそうである小田春永(信長)を見限って大膳の味方になる此下東吉(秀吉)が梅玉さんで胸を貸すかたちである。
  • 面白かったです。児太郎さんの雪姫はお姫さまの可愛らしさというより理知的な雪姫でした。自分がどう行動したらよいかを状況に合わせて判断していく。捕えられている夫・直信の命を助けるため大膳の要求を受けいれることにし、大膳に金閣の天井に龍の絵をかけといわれると手本がないと描けないと拒否。大膳が、ではと所持していた刀を抜くと滝に龍が映る。雪姫はそれが父を殺して奪われた名刀とわかり、父殺しが大膳であることを見抜く。そのことを、殺される夫に知らせるために縛られた縄をほどく方法として、祖父・雪舟が自分の涙で鼠に絵を描いた故事を思い出し、桜の花びらを集めつま先で鼠の絵を描き、絵の鼠が本物の白鼠に変身。鼠は縄を食いちぎり、雪姫は夫のもとに刀を持ってかけ出していく。途中ふっと刀に自分の顔を映して髪をなでつける。大膳の悪に翻弄されつつもひとつひとつ自分の意志で決めていく感じが爽やかである。

 

  • 夫・直信の幸四郎さんも縛られて引き出される出に憂いと品があり、雪姫が夫のために、自分を犠牲にしてもと想うのがうなずける。短い出の人物像の力量がでた。大膳は悪の碁石を沢山持っているような人物で、松緑さん手の内を見せるような見せないようなところがある。ゆうゆうと碁をうち、雪姫に自分の要求を次々と押し付け、さらに此下東吉にも難題を提示しその知恵者ぶりを確かめる。名刀の力で龍の手本を見せ、それによって自分の所業が雪姫に露見しようとそんなことではびくともしないでせせら笑うごとき底なしの悪である。

 

  • その大膳に味方するとみせかけて雪姫を助け、慶寿院尼を救いだす、実は真柴筑前守久吉のあざやかな梅玉さん。慶寿院尼の福助さんは将軍の母という気品と人質でもおそれない凛としていながら、穏やかなセリフでさすがお見事。兄にぴったり寄り添う大膳の弟の坂東亀蔵さん。味方とおもわせて春永側の彌十郎さん。此下家の家臣の橋之助さん、男寅さん、福之助さん、玉太郎さんもきっちりと主人に仕えていた。

 

  • 鬼揃紅葉狩(おにぞろいもみじがり)』。鬼女が美しい姫君に化けて登場し貴人をだまして襲うという解りやすい内容である。ところが姫の侍女たちも鬼女となり、あれっ!侍女たちまでも変身するのとおもった。鬼揃いとある。これは、中村吉右衛門劇団が1960年(昭和35年)に初演されたのだそうである。『紅葉狩』は黙阿弥作とされるが、萩原雪夫作となっている。

 

  • 平惟茂(これもち)が戸隠に紅葉狩りにくる。平家が東国で紅葉狩りとおもったら、この方信濃守で、関東で武勇として知られていたのである。さすが平家の勇者・惟茂の錦之助さん美しくさっそうと登場。従者は隼人さんと廣太郎さん。そこへ更科の前の幸四郎さんがあらわれる。戸隠山の鬼女である。初々しい姫かと思ったら、お化粧のしかたであろう。かなり意志的に罠にはめるぞうの姫の印象である。侍女は、高麗蔵さん、米吉さん、児太郎さん、宗之助さん。宗之介さんがこのところ躍進している。

 

  • 惟茂と従者をお酒と侍女と更科の前の舞で酔わせて眠らそうとする。更科の前の二枚扇もさらさらと、途中鬼女を表す表情も出の印象からすると強く感ぜず、様子をうかがうと予定どおりと去っていく。眠る惟茂たちを起こしに登場するのが、男山八幡の末社の東蔵さんと玉太郎さん。油断するなと舞いで知らせる。山神の印象が強いので少し物足りない。

 

  • そして現れたのが戸隠の鬼女たちである。侍女も鬼女となっているので、立ち回りの組み合わせも派手である。鬼女になる初役の役者さんもいるであろうなと思いつつながめる。最後は、男山八幡の神刀の力によって鬼女は惟茂に退治されるのである。女形の侍女までもが最後まで息を抜けない鬼揃いの形となった。

 

アニメ映像『ワンピース』『NARUTO』

  • アニメ映像の『ワンピース』<チョッパー登場 冬島編>と『NARUTO(ナルト)』<巻ノ1~巻ノ12)とを観る。『ワンピース』ではト二―トニー・チョッパーの辛かった過去が知らされる。あの可愛いいチョッパーからは想像できなかった。涙、涙である。愛らしくて可笑しいのは、ものかげに隠れる時、頭隠して尻隠さずのドジちゃんでもある。サンジには食材として見られるし、ルフィには仲間、仲間、仲間として猛アタックされるしで、やっと船に乗ることになる。

 

  • 青いお鼻のトナカイさんのチョッパーを受け入れてくれたのが、ヒルクル。全ての医術の教えてくれたくれは。素敵な人たちであった。そしてボン・クレーが登場した。「マネマネの実」を食べていたのである。これから一波乱あって、ルフィとボン・クレーとのつながりが解き明かされるのであろう。芝居では、サンジは恰好をつけたキザな人に思えたが、料理人だから手が一番大切で闘いは足なのである。納得!。ウソップのキャラもわかってきた。

 

  • NARUTO』は、ナルトサスケサクラが忍者アカデミーを卒業し、下人としての任務には励むが、(はく)少年との遭遇が印象的で、実写・芝居なら神木隆之介さんで決まりとおもった。まだナルトとサスケの過去がはっきりしないので、白が先にその短い人生を披露し存在感を示す。ナルトとサスケの前哨戦のようで効果的な配置である。

 

  • そして中忍試験で大蛇丸が早くも登場。あの長い舌。歌舞伎の大蛇丸のほうが格好良かったなあ。あのメガネのカブトが新作歌舞伎では大蛇丸側についていて冷静で気になる存在であったが、どうやらこれから何かが起こるらしい。アニメ映像を観つつ、三代目火影イルカ先生カカシ先生などが芝居の役者さんと重なって思い出す。ナルトとサスケはまだ子どもなので、特にナルトのその稚気さを出す度合いが難しかっただろうなと思えたが、脚本が上手い展開だったので、そのことにとらわれることなく物語の中に運んでいってくれた。歌舞伎には出てこなかったが三代目火影の孫・木ノ葉丸もどうなるのか興味あるところである。

 

  • このアニメを観て終われば全く違う他の事を考え、またアニメの世界にもどるということで、頭の切り替えの必要性を感じてその辺も面白い経験であった。それも、気分に任せて『ワンピース』『NARUTO』とごちゃごちゃに観たのである。さらに舞台のスーパー歌舞伎『ワンピース』と新作歌舞伎『NARUTO』が頭の中できちんと別物として存在していているのでそちらとも上手く切り替えられた。役者さんたちも二つの芝居で重なって出演しているのに、区別できたのは、しっかりその役を作り上げて別人物となっていたからであろう。

 

  • ただこの先を観る時は、ここまでは『ワンピース』を観終ってから『NARUTO』というふうに観る予定であるが、レンタルDVDの棚の前で溜息が出てしまう。数の多さに。さてどうなることであろうか。途中で挫折しそうであるが、スーパー歌舞伎と新作歌舞伎に登場した人物たちは観ておきたい。

 

椿大神社・大正村・熊谷守一つけち記念館への旅

  • 『熊谷守一つけち美術館』が第一の目的であった。そこに一日コースとして『大正村』を加え、半日コース『椿大神社』を加える。天候が不安定で、日程を変更に変更を重ね、さらに一日目が『熊谷守一つけち記念館』であったが、雨の三日目に変更。晴れの一日目を『椿大神社』とする。災害が猛威をふるい、突然、人の命が奪われたり(合掌)、長い間かかって築きあげてきたものが一瞬にして崩壊してしまう方々が多く、悲しく辛いことが押し寄せる昨今である。外国人の方の旅行者も少なかった。

 

  • 椿大神社』は、伊勢国一の宮で、主神は猿田彦大神である。幾つかの行き方があるがJR関西本線の加佐登駅から一時間に一本のバスを利用した。加佐登駅は、旧東海道の桑名宿から関宿まで歩いた時、近鉄・内部駅からJR・加佐登駅までは近くに電車の駅のないところで、加佐登駅まではと時間配分に気を使った場所である。予定通り加佐登駅を通過し次の井田川駅まで進むことができホッとした記憶がある。加佐登駅は無人駅で周辺の案内板に『佐々木信綱資料館』『石薬師寺』などが書かれてある。

 

  • これは44番目の宿・石薬師宿で歌人・佐々木信綱さんの生家もあり、石薬師寺も趣のあるお寺であった。小沢本陣跡には明治に建て替えられた旧家があり資料がたくさんあった。宿帖には、忠臣蔵の赤穂の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や、伊勢山田の奉行だった大岡越前守の名前もあった。次の井田川駅との間に庄野宿があり、昔の面影が少しのこっている。桑名宿→四日市宿→石薬師宿→(加佐登駅)→庄野宿→亀山宿と続いている途中の駅が加佐登駅である。ここから『椿大神社』まではバスで40分である。

 

  • 境内には、猿田彦大神の妻神・天之細女命(アメノウズメ)を祀った『細女本宮椿岸神社』もある。天照大神が岩戸に隠れた時踊ったあの神様で芸能の神様とされている。朱色の鮮やかな社である。そして、古くなった扇を納め、新たな気分で芸道に励むことを願う『扇塚』もあった。さらに、倭建命(ヤマトタケルノミコト)とその御子の建貝児王(タケカイコノミコ)を祭神とする『縣主神社(あがたぬしじんじゃ)』もあった。四日市宿と石薬師宿の間の石薬師宿側に杖衝坂(つえつきざか)がある。ヤマトタケルノミコトが剣を杖がわりにして越えたといわれる坂であるが、そんなに急だったかどうか思い出せない。

 

  • 芭蕉が江戸から伊賀に帰る途中この坂が急で落馬したともいわれ、その時の句碑がある。「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」(めずらしく季語がない句である) さらに『血塚社(ちづかしゃ)』の小さな祠がある。ヤマトタケルノミコトが、坂でけがをして足から流れた血を封じたところだという。とにかく箱根を下って、三島にはいる「下長坂」、別名「こわめし坂」が一番と思っているので記憶として残らなかったのであろう。『椿大神宮』に「かなえ滝」というごく小さいが流れの勢いのよい滝があってその横に絵馬を掛ける場所がありる。絵馬が椿の絵でなかなかいい感じであった。どうか自然界をお静め下さい。

 

  • 大正村』は、JR中央本線恵那駅から明知鉄道に乗り換えた明智駅のすぐ近くから展開する。ところが、5年ほど前に一度計画して失敗したことがある。PCの乗り換え案内で検索して、名鉄広見線の明智線の明智駅へ行ってしまったのである。明智駅が二つあろうとは。もどるには時間がかかり過ぎるので『大正村』は一旦中止である。今回行く気になったのは、明智光秀さんの生まれたところでもあるということからである。

 

  • 明知鉄道からの風景がいい。実りの稲穂が一面うす黄色なのである。朝ドラはみていないが途中の駅・岩村駅はロケ地のようで、城下町として残っておりで散策によさそうである。花白温泉駅もあり駅前に温泉がある。明智は現地についてからの勝負であるが、大正ロマンコースと歴史探訪コースの両方を周る予定である。

 

  • 観光案内で説明してもらう。ところが明知城址に登って下りる道を、教えてくれたのと反対側に下り、時計回りにもどってくる予定が、実際には反対方向に歩いていて何かおかしいと思い、土地の人に尋ねて反対側におりたことに気がつく。とにかく出発点にもどることにする。明知城址からの下りの表示通りに下ったのが間違いのもとである。下りた場所に何か表示しておいてほしかった。ということで、明智光秀公の母堂・お牧の方墓所だけパスとなった。

 

  • 『大正村』は、土木工事現場で働きつつ木曽路の写真を撮り、木曽路を広く知らせた澤田正春さんというかたが発案して観光地となったと説明があった。大正路地絵画館八王子神社(光秀公が柿本人麻呂を祀り手植えの楓あり)→明智光秀公御霊廟龍護寺(遠山家累代の墓、桔梗が咲いていた)→代官屋敷跡大正ロマン館旧三宅家明智城(白鷹城)址天神神社(光秀公幼少の頃の学問所)→ここからおかしなことになったらしい→予定では・お牧の方墓所→千畳敷公園光秀公産湯の井戸大正時代館うかれ横丁日本大正村資料館であるが、明智城址下から半周して明智駅前にもどり千畳公園にむかう。明智城址への途中、大正村役場などなど見学できる場所などは、さっーとのぞかせてもらう。

 

  • 面白い新しい発見は、宝田明さんと司葉子さんの映画『青い山脈』が、中津川、恵那市で撮影されていたことである。『日本大正村資料館』には、恵那市にあった元・大栄座の歌舞伎のポスターがあった。市村羽左衛門、松本高麗蔵、市松延見子の名があり、演目『絵本太功記」『佐倉義民伝』『隅田川(法界坊)』『一谷嫩軍記』『雪月花』『野崎村』である。岐阜地歌舞伎の盛んなところでもあり、芝居小屋『五毛座』(恵那市)『相生座』(瑞浪市)『常盤座』(中津川市)『蛭子座』(中津川市)『かしも明治座』(中津川市)がある。

 

  • 仁丹の広告があり、印度のバロタ国王もお買い上げで「諸君今日はアツイと思す時 必ず仁丹を口中あれ!」とある。蓄音機のところには、「見世物で始まった蓄音機」と説明が。明治に浅草の花屋敷の五階建ての奥山閣(おうざんかく)で「ひとりでものをいうきかい」として聞かせ、二か月後には團十郎さんや菊五郎さんなどの歌舞伎俳優の台詞を吹き込んだものを聞かせたとある。

 

  • 大正の館では、家屋と庭の間におりる階段がありそこに水が流れていた。水が流れているところに家を建てたのであろうか。上からみると普通の家と庭である。帳場には立派な電話室があった。当家には電話があるよと文明の利器を誇示し、特別扱いのようである。新聞の大正十大ニュース。桜島大噴火・第一次大戦・ロシア革命・シベリア出兵・米騒動・原首相暗殺・有島武郎の心中・関東大震災・大杉栄の暗殺・ラジオ第一声。有島武郎の心中が入っているのが驚く。

 

  • 明知鉄道の恵那駅から明智駅まどの往復運賃は1380円でフリー切符も同額である。帰りは、花白温泉駅でおり、目の前の温泉へ。疲れていたのでラッキーである。さらに貸し切り状態。群馬のわたらせ渓谷鉄道水沼駅にはホームから入れる温泉施設があるが、それに次ぐ駅からの近さかもしれない。前日80パーセントの雨予報だったが少しの雨で涼しくて助かった。もし、風の強い雨なら、金山の名古屋ボストン美術館と平針東海健康センターで大衆演劇を観つつゆっくりするつもりであった。

 

  • 熊谷守一つけち記念館』へは、JR中央線中津川駅から一時間に一本のバスがあり下付知バス停まで40分ほどかかる。付知川のそばにあり、記念館の休憩コーナーからは下に付知川、前方の斜面に民家、その先に山々が連なっている。その奥が木曽なのであろう。付知川の両側は春の桜、秋には山々の紅葉、冬には雪山だそうである。この日付知川は濁って水嵩が高かったが雨のためで、いつもは非常に透明度が高く、夏は子どもの川遊びの場となり、蛍も楽しめ別名・青川である。近くには商店もあり付知ギンザと称し(案内地図があった)、ランチも楽しめそう。

 

  • 海に白い波がさらっとひと筆描かれているのに波が動いてみえる。開拓地で働く人の腰の曲がり方に、その大変さがみえ、緑の葉っぱの下に隠れるカタツムリ、雨がぽつりと降り始めたようである。どうしてこの色とこの色でバランスがとれて心地よいのかとその配分加減に感心する。簡単に出せそうで出ない色なのかなもしれないが、その苦闘の感覚がなくて楽しい。生きていることを楽しんでいる。

 

  • 以前、『熊谷守一つけち記念館』はもう少し先にあり、今はそこは画家の娘さんの『熊谷榧(かや)つけちギャラリー』となっている。同じバスで先の新田バス停でおりる。3キロくらいだそうであるから季節のよいころなら歩くのもいいかもしれない。熊谷さんが東京で暮らしていた場所は『熊谷守一美術館』となっている。絵を観たいとおもえば東京でも会えるが、「つけち(付知)」の風景が美しい。

 

  • 切り出した木材を付知川上流から下流に流す仕事にふた冬、熊谷守一さんも従事している。30歳のころである。一本の丸太の上に乗って、まわりのたくさんの材木を上手く運ぶのである。付知ではこの仕事をするひとをヒヨウ(日雇)とよんでいた。下付知には、かつての北恵那鉄道の下付知駅があった。木曽川に大井ダムが出来、川で木材を運べなくなったための見返りの鉄道である。中津川駅の近くの中津町から下付知まで走っていたのである。今は廃線である。

 

  • 大井ダム・大井発電所を造ったのが、福沢諭吉さんの養子で電力王と言われた福沢桃介さん。南木曽に桃介橋というのがありました。そして、大井ダムによってできたのが今の恵那峡ということです。人工が加わっていたのである。自然というのはつながっているわけです。電車で旅をしていると、このつながりがわからず、えっ!と山を飛び越えてのつながりに驚くこととなる。川もつながっているのである。熊谷守一さんは東京の家にこもっていたが、その中にはきちんと自然の大きさが内蔵されていたのである。やはり訪ねてきてよかった。

 

  • 役者さんなど亡くなられる方々が多くて、お一人お一人触れているわけにもいかず失礼することにしていた。樹木希林さんは、今回の旅で電車で隣り合わせた方との話しにでたので触れさせてもらう。その方は名古屋から加佐戸に向かう車中ご一緒し、奈良から名古屋までお母さんの介護に通うご婦人でした。旅のことを聞かれ、その日程を話したところ、映画『モリのいる場所』をご覧になっていた。観たきっかけが、テレビの映画の宣伝映像の樹木希林さんの着ている物に目が留まってのことであった。樹木希林さんが、着物のリフォームも、着物としてはどうもと思うもののほうが着やすくてよくなるといわれていたのだそうである。生き方や生活感にも役者さんとしての力量と拮抗させて魅了させたかたであった。(合掌)

 

第20回『音の会』(国立小劇場)

  • かなり日にちが過ぎてしまいましたが。『音の会』というのは、国立劇場での歌舞伎音楽の研修修了者が成果を発表する会である。歌舞伎俳優養成研修者の終了者の発表は『稚魚の会』でこちらは観た事があるが、『音の会』は初めてである。竹本、鳴物、長唄の研修修了者さんたちである。『稚魚の会』と同じように若手の先輩たちや、熟練された先輩達も助演ということで手をかしてくれる。そして、歌舞伎の役者さんたちも参加しての舞台もあり、聴いたり観たりするほうもめったに主では観れない役者さんたちの演技を楽しませてもらった。

 

  • いつもながらの解説と詞章ありのパンフつきなのがこれまた嬉しい。鳴物・義太夫『寿式三番叟』。本来は鳴物・義太夫の方々を紹介しなければならないのであるが、人数が多いので演者紹介とします。詳しくは「伝統歌舞伎保存会」を検索してください。翁・中村吉兵衛さん、千歳・市川蔦之助さん、三番叟・市川新十郎さんです。いつもは脇を守っておられる役者さんですが、さすが身体がしっかりしていて、どうどうとされていて驚きました。格式高い三番叟でした。鳴物も義太夫もしっかりしていて浄瑠璃のかたりは硬いかなと思わせられましたが、緊張感に負けることなくこなされていました。

 

  • 解説によりますと、人形浄瑠璃の三番叟は、二世豊沢団平さんが従来のものに増補作曲したものを主に上演していて、それを歌舞伎に移したものを踊ったのが二代目猿之助さんだそうである。二世豊沢団平さんは、『浪花女』で映画や芝居にも描かれていて、新派の若手でのアトリエ新派公演で観たことがある。

 

  • 長唄『矢の音』、長唄『俄獅子』は演者無しなので、詞章をながめつつ聴かせてもらったが、若い方ながらの綺麗な声であるが、助演者のかたの唄になると、何かやはり違うのである。長く声を使ってきたかたの粘りであったり、軽さであったり、重厚さがすっーと挿入されたりと、その差が味わえてなかなか経験できない体験でもありました。『矢の音』などは、メチャクチャ面白い詞章の連続である。今度『矢の音』を観る時は、もっと長唄と演者とが一体化して楽しめるとおもう。おせち料理や、七福神の棚卸は耳にしていたが、兄の十郎が夢に現れて、そりゃ大変だ、飛んでいくぞとの勢いが、大根を積んだ馬にまたがるという場面が浮かび、改めてアニメの世界かと思ってしまった。歌舞伎十八番といわれるとずしっとくるが、結構裏をかいているようでおもしろい。

 

  • 俄獅子』は江戸吉原の俄(にわか)を題材にしているのだそうで、吉原俄というのが興味ひかれる。「俄」というのは即興劇の意もあり、各地にあって大衆演劇の原点のような気がしているのである。作曲した四世杵屋六三郎さんは、吉原のにぎわいが好きで、引手茶屋の二階で本曲を作ったと伝えられている。現代では絶対に作れない曲で、想像の世界だけではなかなかつかみづらい唄である。三味線の音によって、その世界を味わった気分にさせてくれるところがこの長唄のよさでもある。

 

  • 歌舞伎『傾城反魂香』は、浮世又平・中村又之助さん、女房お徳・中村京蔵さんで、お弟子さんに京屋と播磨屋の芸が伝わっているのだと確信した。そばでずーっとみているのであるから当たり前のことではあるが、話しの中とかでは聞くことはあっても、その身体で実際に観る機会がないので、貴重な現場をみせてもらった。おそらくこの場面のこの姿はいいなあとか、そう動くのかとか観られていたことであろう。家の芸というものは、こうして伝わっていくものでもあるのかと納得した。こちらも観るのに力が入ってしまった。近頃の脇の役者さんたちは、上手くなっている。百姓の役者さんたちもそのやり取りの間がうまく、小劇場だったのでじっくりとながめさせてもらった。しっかりとした芝居になりました。(雅楽之助・京純、修理之助・吉二郎、北の方・竹蝶、光信・宇十郎、百姓・吉兵衛、音之助、蝶三郎、仲助、吉助)

 

  • 歌舞伎演技の方が、音よりも上手、下手がわかりやすい。素人にはその楽器などの演奏の微妙さはとらえきれない。その微妙さと闘いつつ修了生のかたはこれから長い道のりを歩かれるわけである。息ながく頑張ってほしいものです。でも面白かったです。素浄瑠璃と同じで、それぞれの声と音を堪能するのもいいものだと改めて思わせてくれました。今回は『稚魚の会』はスルーしてしまいました。