映画『わが街セントルイス』『グランド・ブタペスト・ホテル』『THE 有頂天ホテル』

映画『わが街セントルイス』(1993年)は、1933年の大恐慌時代に少年がその苦境に闘うという映画ということで手にした。少年がどう闘うのか。

12歳のアーロンは、父が不況で職を失い今は装飾用のローソクを売って歩いておりホテル住まいである。弟のサリバンは叔父の所に預けられ、母は病弱でサナトリウムに入ってしまう。父は時計のセールスの仕事を得て旅立ち、少年は一人ホテルに残される。少年に手助けしてくれるのが同じホテルの住人でレスターという若者である。卒業式の服を調達してくれたり生きていく方法の手ほどきをしてくれる。

お金がないためホテルの住人は次々とホテルから消えてゆき、アーロンも追い出されことになるが部屋に閉じこもり何んとか生きのびる。アーロンは頭がよく、弟を呼び戻すため叔父に父の名で手紙をだす。「サリバン(弟)がいたクラスに伝染病が流行している。潜伏期間は数カ月。しかし、兄弟の輸血で簡単に治せるらしい。至急サリバンをこちらに帰して欲しい。」

父は、政府事業庁の採用にも応募していてその採用通知がくる。父の居場所はわからない。時計会社の父宛に採用通知を送る。その事によって父は採用を知り、窮地の兄弟のホテルに帰って来る。無事家族は新しい家で一緒に住むことができることになる。

気持ちに余裕が無いのは分かるがこの父親には疑問を感じてしまう。アーロンを励ます言葉が他にあるのではと。実際にはアーロンの機転が何んとか持ちこたえさせ良い方向へと導ていくのである。そして、レスターとの関係がアーロンの大きな力となってくれている。レスターは警察に連れ去られてしまうが。

レスター役のエイドリアン・ブロディが印象的だったので、彼の出演映画を探したら、映画『戦場のピアニスト』の主役をつとめていた。この映画は評判になったが観ていない。映画『グランド・ブタペスト・ホテル』(2014年)にも出ていて、ホテル関連でこちらを観る。この映画の出演者が凄い。

レイフ・ファインズ、ハーヴェイ・カイテル、ウィレム・デフォー、ジュード・ロウ、ビル・マーレイ、エドワード・ノートン、シアーシャ・ローナン、エイドリアン・ブロディなどである。

映画は架空の場所の設定で、話しはホテルだけに留まらない。1932年にグランド・ブダペスト・ホテルには富裕層の人々が利用していた。そこの名高いコンシェルジュ(ホテルでのお客様の要望にあらゆる面からお世話する役目の人ということのようである)のグスタヴ(レイフ・ファインズ)がお客であったマダムDの死を知り、ベルボーイのゼロを連れてマダムDの邸宅へ旅立つのである。

マダムDの邸宅では遺言の公開があり、グスタヴは名画「少年と林檎」を相続する。マダムDの長男ドミトリー(エイドリアン・ブロディ)はグスタヴを嫌い、母の殺人者にしてしまう。グスタヴは監獄へ。ところが、そこで脱獄に参加。脱獄したグスタヴを待っていたのがゼロで、二人のその後に何があったのか。

話しがホテルから随分逸脱していくが、そのことを語るのが老人となったゼロである。グランド・ブダペスト・ホテルはかなり古くなっており、ゼロが所有者となっていたのである。グランド・ブダペスト・ホテルで出会ったグスタヴとゼロが突然巻き込まれる事件と大きくとりまく戦争による話しである。ホテルマンの情報網や連係プレイには驚かされる。グランド・ブダペスト・ホテルで銃撃戦が行われたりセットも見どころである。

登場人物が個性的で人数の多いホテルの映画といえば、三谷幸喜監督『THE 有頂天ホテル』(2006年)である。23人の人々がホテルの副支配人を中心に新年を迎えるカントダウンのイベントを目指し、様々に関り合いを持つのである。この映画は観客のほうが映画を観ながら人間関係がわかっており、映画の中の人の方が関係がわからなくて奇妙な行動に出てしまうところに笑いが起こるという設定である。それに加えて俳優さんたちの個性的な役作りも注目度が高い。

歌い手になるという夢があったベルボーイがそれをあきらめ田舎に帰ることにする。ギターとマスコットとバンダナを、一緒に働いたホテル仲間にプレゼントする。ホテルはカウントダウンまでの短い時間に色々な問題が生じるが何とか成功させることができるのである。気が付いてみればギター、マスコット、バンダナはベルボーイのところにもどり、彼は夢を追い続けることにする。

ギターを背負って仕事をしていた客室係の女性とバンダナを巻いて逃げ回っていたアヒルは、敢闘賞ものである。筆耕係りには笑えた。垂れ幕に謹賀新年と書く時、垂れ幕の上を膝を折って足首をあげて移動する様子などは性格をよく表していた。

ホテルでは、皆笑顔で新年をむかえ有頂天となり、それぞれの新しい年への一歩を踏み出すようである。23人のそれぞれの生き方、仕事分担、思いがけないハプニングが印象強く残るようにできているのが見事である。

さて登場人物の役者さんの多さで期待できるのが4月から始まるテレビドラマ『半沢直樹』である。前作は最終を含め3回分しか観ていないのでDVDで観直した。今のほうが台詞がびんびん響くような気がする。銀行だけではくくれない体質が想像でき広がる。今回もラストのテンションが納得いかない。頭取は、常務を自分の目の届くところに置き、半沢にはさらなる成長を望んだのか。それとも単なる保身か。もう一回テンションを上げてくれることを期待し楽しみである。

現在・過去・現在・未来への回線

日々の報道や観てきた映画、ドキュメンタリーなどから想いは様々に巡っていく。過去の人々が経験してきたことを今見つめている。

常磐線の全面開通。9年かかった。良かったと思ったら、放射線量の高い帰還困難区域はまだ存在していてそこを通るのである。そこを飛び越えて東北に来て下さいということである。東北を元気にすることは大切である。この開通を喜ぶなら、帰還困難区域のことへも思考の回線をつなぐ必要がある。現状が落ち着いたら乗車し車窓を眺めたい。

ドキュメンタリー『“中間貯蔵施設”に消えるふるさと福島 原発の町で何が~』では、“中間貯蔵施設”というのを知る。福島県内の除染で出た除染土などの除染ごみを仮りに置く場所である。30年間の仮りの貯蔵施設である。その場所を所有している人々の苦渋の決断を伝えてくれた。自分がこの世にいなくなったあとにどうなっているのかをも思考しての決断である。

アメリカ文化ヒップホップに興味をもって映画やドキュメンタリー映画などを追い駈けていたら日系アメリカ人のことにぶつかった。ドキュメンタリー映画『N.W.A & EAZY-E:キングス・オブ・コンプトン』(2015年)は、ヒップホップグループ「N.W.A」のイージ―・Eの半生を描いたドキュメンタリーである。グループの映画としては『ストレイト・アウト・コンプトン』(2015年)がある。

ドキュメンタリー映画のほうで、メンバーのイージ―・Eとドクター・ドレ―を会わせたのが日系アメリカ人のスティーブ・ヤノという人であった。スティーブ・ヤノは、ローディアム(カリフォルニア州ロサンゼルスの南部の蚤の市)の伝説のレコード店の店主である。当時彼は、地元の大学院で心理学を学んでいた。この店に行けば流行りのレコードが全てそろっていて、ミックステープもあり、皆、彼の店で音楽を調達していた。

スティーブは音楽をわかっていて、ドレーのミックステープも置いていた。イージ―もこのレコード店を訪れていてドレ―に会いたいとスティーブに伝えていたのである。三人は電話で話したようである。それが「N.W.A」結成のきっかけとなるのである。日系アメリカ人がアメリカ文化に関係していたということを知ってから次の報道に目が留まる。

カリフォルニア州議会下院本会議は2月20日、第2次大戦中の強制収容など不当な扱いにより日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を可決したというのである。決議案の提出の中心議員が日系アメリカ人のアル・ムラツチでカリフォルニア州は日本人移民の多い場所であった。調べたら、1988年、アメリカ政府は公式謝罪をしている。

強制収容所に関しては、ドキュメンタリーで『シリーズ日系人強制収容と現代 暗闇の中の希望』を昨年観ていた。こちらはカナダでの日系人強制収容所でのことである。教育を受けられない子供たちのために収容所に高校を設置しそこで教えた女性カナダ人宣教師と子供たちとの交流が紹介されていた。そこで受けた教育はその後の子供たちの成長に大きな力となっていた。カナダ政府も日系人強制収容に対しては1988年謝罪している。

これらの事実を知ってもらいたいと思っている人々は、世界中が行き来する現在、過去の差別的考えを知ってそういう状況が発生することがないようにと願ってのことであろう。新型コロナウイルスのまん延する現在にもあてはまるように思える。

この機会にこの映画を観ておかなければ。映画『バンクーバーの朝日』(2014年・石井裕也監督)。今だからこそ差別と閉塞感がひたひたと水か煙のように迫ってきた。野球によって何か変わるのではないかという希望は強制収容所への道となってしまう。

3年間働けば一生楽に暮らせるとの話しから日本人はカナダのバンクーバーに到着する。ところが白人より低賃金で、日本人の真面目さはかえって反感をもたれる。バンクーバーで生まれた子供たちは働きながら野球チーム朝日で野球の練習に励む。体力的にもチームは最下位であったが、チビといわれながらも体力差を頭脳プレーに変え日系人を勇気づけ野球を面白くした。

日華事変がはじまりますます職が無くなっていく。朝日は優勝して対外試合に呼ばれ野球で新しい世界があるように見えた。息子(妻夫木聡)は父(佐藤浩市)に「野球ができるならここで生まれてよかった」と伝えるが、真珠湾攻撃により敵性国人として強制収容所へ隔離されるのである。

日系人が自由になったのは日本が負けて4年後であった。2003年、朝日軍はカナダ野球の殿堂いりをするが、その時大半の選手がこの世を去ったあとであった。この映画は、バンクーバー国際映画祭で観客賞を受賞している。

映画『ハワイの夜』(1953年・マキノ雅弘監督)では、二大スターの共演ということで恋愛作品となっている。日華事変の頃、ハワイでの水泳の親善大会で日本人男性(鶴田浩二)と日系人女性(岸恵子)とが出会い、第二次大戦となってもその想いは変わらず死を賭けて再会を果たす。深くは掘り下げていないが、親と二世の子供たちの千々乱れる苦悩は伝わってくる。移民できた親たちは日本への郷愁が強く、ハワイで生まれた子供は自分はアメリカ人だと宣言し志願して戦争にいく。

国立歴史博物館で企画展示「ハワイ:日本人移民の150年と憧れの島のなりたち」を開催していて興味があったのであるが知ってから日にちが無く観ることができなかった。残念である。過去に生きた人々は現在の私たちへ様々な足跡を残していてくれる。その回線を少しでも感知していたいものである。未来への回線は・・・

役立つかなテンプルちゃんとアニー

学校が休校となり、姪のところの姉妹にDVDを送ることにした。映画『テンプルちゃんの小公女』『アニー』である。姪から助かるとメールがきたが楽しんでもらえるかな。

BS世界のドキュメンタリー『カラーでよみがえるアメリカ ハリウッド黄金期』を見た時、テンプルちゃんことシャーリー・テンプルが子役を越えてスターとしてあつかわれていた。1930年代の大恐慌時代に健康的な愛らしさで国民的人気を得ていた。当時のルーズベルト大統領が「この国にシャーリー・テンプルがいるかぎり私たちは大丈夫だ」とまで言ったのである。そのことがあってこのDVDを目にしたとき購入しておいた。

もう一作品ないかなと古本屋をつらつら探していたら『アニー』があった。アニーは大恐慌時代の話しであった。結構ミュージカル『アニー』の宣伝などは目にしているが子供用と思っていてスルーしていたので内容は知らなかったのである。この二作品を観て制作時代と物語の時代とがかさなる。二作品とも自分の信じることを一途に突き進む姿にうるっときてしまった。

さてこちらがこの映画から知ったことである。『テンプルちゃんの小公女』(1939年)の原作はバーネット夫人の「小公女」である。映画のほうは、お母さんを亡くしているサラが、お父さんがアフリカの戦場にいくためロンドンの寄宿学校に預けられる。ところがお父さんが亡くなったとの知らせが入る。お父さんからの寄付金が無くなり、特別扱いされていたサラは一転使用人として働かされる。お父さんが死んだと信じないサラは、軍の病院を毎日訪ねる。そして、お父さんとめぐりあうことができるのである。

サラは偏見なく様々な人と交流していく。使用人として働いているベッキーやインド人、女教師とその結婚相手の馬術の先生など。その自然さと笑顔がテンプルちゃんの強みであり、タップの上手さが楽しさと明るさを加えてくれる。

1933年テンプルちゃんは5歳の時、フォックス・フィルム社と7年契約を結ぶ。大恐慌下、テンプルちゃんによってフックスは倒産をまぬがれる。1935年、20世紀映画と合併し、20世紀フォクス映画が誕生。テンプルちゃんの主演映画は次々ヒットして、彼女がいなければ『スター・ウォ―ズ』『タイタニック』等の20世紀フォクス映画は存在しないとDVDの特典映像で言及している。

ハリウッドにとっても救いの主である。ハリウッドの映画は、セックスと暴力を賛美しているとして宗教団体などから抗議されていた。ハリウッドは「下品、軽薄、低俗なものを排除します。」と宣言したのである。そこに登場してくれたのがテンプルちゃんなのである。というよりもハリウッドが利用したのかもしれないが、テンプルちゃんは大人たちの思惑をはねのけて成長する。

『オズの魔法使』(1939年)は、テンプルちゃんが第一候補であったが、ジュディ・ガーランドに決まる。なるほどテンプルちゃんでも大当たりしたであろうが、ジュディ・ガーランドも好かった。ダイアナ・ロスがドロシー役を33歳で演じたのが映画『ウィズ』(1978年)であるが、ダイアナも頑張っていた。カカシのマイケル・ジャクソンがクリクリっとした眼の愛らしい表情で、カカシの骨のない動きが素晴らしい。やはり天才である。

映画『アニー』(1982年)は、大恐慌時代のニューヨークが舞台で、貧しい親たちは施設に子供を預けるのである。子供たちは両親が迎えに来る希望を胸に頑張っている。その中の一人がアニーである。ある時、大富豪のウォ―バックスが施設から一週間子供を招待することにする。アニーは招待の子に選ばれる。

お金のことしか頭になかったウォ―バックスはアニーが気に入り自分の子供にしたいと望む。アニーは赤ん坊のころ施設の前に置き去りにされ、両親の顔も知らないが実の親がいるからと断る。ウォ―バックスはあらゆる手を尽くし両親を捜してくれるのであるが...

アニー役のアイリーン・クインもお茶目で愛らしい。ブロードウェイ・ミュージカル舞台からの映画化なので、歌やダンスなどもたっぷりである。アニーのまわりの子供たちの動きも見どころである。アニーはウォ―バックスの金力によって貸し切りの映画館でグレタ・ガルボの映画『椿姫』(1937年)を観たり(歌の中にシャーリー・テンプルの名前も出てくる)、ルーズベルト大統領と会ったりと1930年代が再現されている。

アニーが助けた犬・サンディーも共に行動し、インド人のマジックもあったりと多種多様の見せ方をしていて、そのあたりは『テンプルちゃんの小公女』との時代の流れを感じる。

休校がなければこちらも今の時期にこの二作品は観なかったであろう。他にも姉妹が観れる映画はないかなと置き去りにしていたジュディ・ガーランド作品や『若草物語』を観直したりした。

『若草物語』再確認。長女は『サイコ』のジャネット・リーには驚き。次女は『グレン・ミラー物語』のジューン・アリソンで声が何とも言えない魅力。三女はエリザベス・テイラーでそれほど光はかんじられないが。四女は名子役マーガレット・オブライアンで『ジェーン・エア』にも出ていたそうだ。ジュディ・ガーランドの『若草の頃』でマーガレットがもっと小さくて四女役で出ていたのを今回発見した。一番楽しんでいるのはだれであろうか。

追記:暖かいところは青空卒業式もいいのでは。さらに上着を着て暖かくして。来賓ご挨拶や議員の祝電などのない卒業生中心の卒業式。パーティやゴルフ、マスクの転売まで誰のために仕事をしているのでしょうか、この人達は。自分だけのため。