浅草映画『乙女ごころ三人姉妹』

乙女ごころ三人姉妹』は成瀬己喜男監督の浅草の門付け芸人を母にもつ三姉妹のそれぞれの生き方を描いた作品です。原作は川端康成さんの『浅草の姉妹』で、脚本は成瀬己喜男監督です。川端康成さんは一高生時代に浅草で暮らしており、その後も浅草に住み浅草を散策していまして、『浅草の姉妹』も浅草物作品の一つです。

川端康成さんは映画にも興味を持ち、衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』では、脚本に参加していまして、この作品は大正モダニズムのアヴァンギャルドな映画です。見た時、これが衣笠監督の映画かと驚きました。

成瀬監督の映画のほうに舵をとりますが、<映画監督・成瀬巳喜男 初期傑作選 >特集の中から『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)『サーカス五人組』(1935年)『旅役者』(1940年)と見たのです。『乙女ごころ三人姉妹』の長女が細川ちか子さん、次女が堤真佐子さん、三女が梅園龍子さんで、堤さんと梅園さんは、『サーカス五人組』での団長の姉妹となって登場していました。

乙女ごごろ三人姉妹』 母親が三味線を抱えて民謡や俗曲などを歌って流す門付けの置屋のような商売をしていて、そんな母親に育てられた実子の三人姉妹のそれぞれの生き方をえがいています。実子のほかにも何人か女性の流しの芸人を抱えています。

この仕事はいつ頃まであったのでしょうか。三味線を抱え、浅草の繁華街の飲食店ののれんをくぐり聴いてくれるお客を探して歩きます。三人姉妹のうちこの仕事をしているのは、次女のお染だけで、なかなか厳しい仕事で、くじける妹弟子におこずかいをそっと渡したりします。酔ったお客にからまれたり、お店の女給さんなどから、あなた達に用はないわよとばかりにレコードをかけられたりします。民謡などのレコードも出てきている時代で先の無い仕事にみえます。

妹弟子たちは、母から厳しく稽古をつけられたり、勝手にお金を使ったと叱責をうけたりします。そんな生活をいやがり、長女のれんはバンドのピアノ弾き(滝沢修)と駆け落ちし、三女の千栄子はレビューの踊子になっています。

お染は性格が優しく、姉のことを心配し、妹に恋人(大川平八郎)がいることを喜びます。そんなとき姉と浅草の松屋の屋上で会います。姉はよくこの屋上が好きでそこから下を眺めていました。話しに聞く1931年(昭和6年)にできた浅草松屋の屋上のロープウェイ「航空艇」もしっかり見ることができ、これが見れる貴重な映画です。屋上とその下の生活の違いをうかがわせるように下の風景が映しだされます。れんは下の生活のみじめさをじっと眺めているようです。

れんは浅草の不良仲間では名前を知られていましたが、駆け落ちして夫もバンド仲間からはじかれてピアノの仕事が出来ず胸をわずらい、夫の故郷に行くことをお染に告げます。お染は見送りに行くことを約束しますが、妹の恋人が不良仲間に因縁をつけられているのを見てその場に飛び込み刺されてしまいます。それを隠して姉を見送りに駅に行きます。

姉は汽車賃を得るために、知らずに妹の恋人を不良仲間のところに案内する役目をしていました。お染は何も言わず、妹に恋人が出来たことを嬉しそうに姉に告げ姉夫婦を見送るのでした。

次女の堤真佐子さんと、三女の梅園龍子さんは、創立間もないPCLの売り出し中の新人で、堤真佐子さんは初主演です。見始めたときは、あまりのオーソドックな演技に、ものすごく古い映画を見ているような感じでした。細川ちか子さんのれんに、かつては粋がっていたが今は生活に押しつぶされそうな雰囲気が出ていて、三人姉妹の境遇にもそれなりの厚みが増します。

細川ちか子さんは、演技に対しては一言申しますといった気概があり、お化粧も個性的な新しさがあります。梅園龍子さんは榎本健一さん代表の「カジノ・フォーリー」の踊子さんでもあり映画でも彼女のレビュー舞台姿が映されます。川端康成さんはカジノ・フォーリーに出入りしていて、それが作品『浅草紅団』となります。大川平八郎さんは二枚目で、『音楽喜劇 ほろ酔い人生』『乙女ごころ三姉妹』『サーカス五人組』『旅役者』にも出演されていますが、スターという二枚目ではなくおとなしめです。

藤原釜足さんも出られてました。弟子が民謡を稽古するのをそばの住人が聴いてそれに合わせて仕事をする桶屋です。子供達が、流しの彼女たちを「お客さん、ご馳走して。」とはやし立て、はじかれていく一方で、その歌に調子を合わせるという生活もあったわけで、このあたりの表現の交差は成瀬監督ならではの細やかさです。

お店でレコードがかかる場面で、レコード時代が到来しているときなのであろうかと思ったのですが、タイミングよくテレビで『人々を魅了した芸者歌手』という番組がありまして時代背景がわかりました。

民謡や小唄などをすでにプロとしてお座敷で披露していた現役の芸者さんが、歌手としてレコード録音するのです。藤本二三吉さんの『祇園小唄』が1930年(昭和5年)で、その後、<鶯芸者三羽がらす>の市丸さん、小唄勝太郎さん、赤坂小梅さんが、故郷の民謡と同時に新民謡を広めるんです。

門付けの三味線を抱えての流し芸は、持ちこたえられる時代ではなくなっており、三人の姉妹はそうした変化の中で無理解な母のもとでもがいて各自の道を探すのです。そして、人々は浅草からもっとモダンな銀座へと移って行った時期でもあるのでしょう。

この映画は映画の中だけでなく、出演している俳優さんの経歴の違い、さらに演劇と映画、浅草と文学、浅草の時代性、さらに日本のその後など、様々な切り込みのできる映画でもあるといえます。この時代の浅草を映像で残してくれた貴重な映画でもあります。

話しは飛びますが、市丸さんが浅草橋で住まわれた家が改装され、今は「ルーサイトギャラリー」となっております。このギャラリーの信濃追分店は、「油や~信濃追分文化磁場~」となっていまして、堀辰雄さん、室生犀星さん、立原道造さんなどの文学者にゆかりのあるかつての油屋旅館で、一階はギャラリーで二階は宿泊できるようなったようです。

「油屋」は中山道追分宿の旧脇本陣で、一度火事にあっています。私が訪れた時は、建物はありましたが公開はしていませんでした。思いがけないところで新しい「油屋」さんを知りました。追分宿にひとつ景観がよみがえったわけです。しなの鉄道の信濃追分駅から徒歩20分位で近くには、堀辰雄さんの旧居が堀辰雄文学記念館になっています。

 

川島雄三監督映画☆『箱根山』(俳優・藤原釜足)

藤原釜足さんの脇役で出演されている映画は沢山ありますが、川島雄三監督目的で見に行った『箱根山』に出演されていて、物語の展開からもかなり重要な役どころでした。

箱根山』 加山雄三さんと星由里子さんを主人公にした青春ものといえますが、その周辺の大人たちに演劇力ある俳優さんたちをきちんと配置して、その大人たちをも越える新しさで若い人が自分たちの生き方を目指すというコメディ映画です。

箱根の山は天下の嶮の箱根が観光開発で交通関係会社が二分する争いの中、二つの老舗旅館はもとは血縁同士なのですが150年以上前から犬猿の仲です。玉屋には老齢ながらかくしゃくとした老女将・里、大番頭、若番頭(東山千栄子、藤原釜足、加山雄三)が、若松屋にはアマチュア考古学研究で商売がお留守な主人、女将、女子高生の娘(佐野周二、三宅邦子、星由里子)がおります。

観光開発会社のワンマン社長(東野英治郎)は、箱根にも乗り出し観光化に驀進しています。視察にきた社長に社員が、富士山のすそ野に見える木々を「じゃまですから切りましょうか」と言うと「あれが無くなったらただの山じゃ。そのまま。」と言います。自分は発想が違いそれで成功したのだということを強調しているような発言ですが、富士山をただの山というのが逆説的で可笑しかったです。俺の手に架かればという強気です。

加山雄三さんの乙夫は、父が外国人で本国に帰り、日本人の母は亡くなり玉屋の里に育てられ、里に恩義を感じていますが、今の箱根と旅館の状況をよく分析しています。若松屋の星由里子さんの明日子とはロミオとジュリエットのような関係ですが、明日子は名前の通り、先のことしか考えていません。

なんと乙夫はワンマン社長の会社に就職します。観光化の波に自ら飛び込み学ぼうじゃないかという考えです。明日子も自分も女将業の勉強をして何れは二人で新しい旅館経営を考えようということなのです。

大番頭はそこまでのことを知ってか知らずか、二人の仲を知っていながら里には隠しています。

玉屋が火事にあってしまい里は、若松屋で明日子に優しくしてもらいます。里はお礼を言いつつも、若松屋に助けられた自分が情けなくご先祖様に申し訳ないと寝込んでしまいます。ところが、お金をつぎ込んで温泉を掘っていたのですが、お湯がでましたとの大番頭の報告に、床を上げさせこうしちゃいられない負けてなるものかと闘志を燃やすのです。それを聞いた若松屋の主人も、よしうちも負けられないとご先祖からのいがみ合いはまだまだ続きそうです。

大番頭は、里にごもっともですと仕え、温泉を掘る職人(西村晃)の機嫌をとったり、里の命令通りあちらこちらに気を回しながら忙しく動き回ります。大人たちの思惑とは関係のないところで若い人たちの生き方が、大番頭の苦労をねぎらってくれそうな予感ですが、深く考えてはいなくて、ただその場その場を里のために動く大番頭の藤原釜足さんが番頭そのもの色で好演です。

老政治家の森繁久彌さんがお馴染みの玉屋を訪れ、その扱いかたの東山千栄子さんの老女将がこれまたいい味です。政界から身を引いている森繁さんと東山さんがでてくることで、老舗の格が上がり、老舗旅館の女将とはこういうものであろうという空気が出ています。東山千栄子さんは『紀ノ川』では、孫娘を嫁がせる旧家の祖母としての品ある貫禄で存在感のあるかたです。

ホテルの中で一日遊ぶというリゾート型の新しいホテルの支配人の有島一郎さんなど役者を上手く使う川島雄三監督の手法は、この作品でも生かされています。

原作は獅子文六さんの『箱根山』で、脚本は井手俊郎さんと川島監督です。原作にはモデルがあるようで、場所は箱根の芦之湯で、<芦之湯バス停>から元箱根に向かうバス停一つ先には、<曽我兄弟の墓バス停>があり、されに一つ先には<六地蔵バス停>があり、このあたりは石仏群もある歴史の古い場所です。この辺りのことは 映画『父ありき』 に書いています。

藤原釜足さんは黒澤明監督の常連でもあります。脇役で出られている作品は沢山あります。『天国と地獄』でも、犯人が身代金に入っていたバックを自分の勤めている病院の焼却場で焼きますが、煙突から警察の仕掛けて合った赤い煙があがります。焼却場の仕事をしているのが、藤原釜足さんです。刑事に質問される短い時間ですが、知らないことをマネして演じるというより、そのままの雰囲気を無理なく演じられていて空気のようにふーっと出てふーっと消えます。

黒澤明監督は、今井正監督の『青い山脈』で次のように話されています。

何でも一番最初の作品がたいていよくてさ、すぐ『青い山脈』か『伊豆の踊子』ってなっちゃうんだから。今井監督のこれはとてもハツラツとしているし、釜さん(藤原釜足)の所なんかすごく良いでしょ。 (『黒澤明が選んだ100本の映画』黒澤和子編)

釜さんのでていた所が全然頭に残っていません。録画していないかと探したのですが無いんですよね。釜足さん、濃い色は出されていないと思います。自然にそこにいるんですよ。

『祇園祭』にも、戦いで無くなる大工役で、その意志を息子が継ぐという流れでした。

これからも見る映画のなかで、おっ!釜さん出ましたという出会いがあるでしょう。

監督・川島雄三/原作・獅子文六/脚本・井手俊郎、川島雄三/出演・加山雄三、星由里子、東山千栄子、藤原釜足、佐野周二、三宅邦子、東野英治郎、有島一郎、小沢栄太郎、中村伸郎、藤田進、西村晃、藤木悠、児玉清、北あけみ、塩沢とき、森繁久彌、

 

映画『音楽喜劇 ほろよひ人生』『サーカス五人組』『旅役者』(俳優・藤原釜足)

古い映画を見ていると、この方が主役をやっておられたのかと驚かされたり、その後もしっかり脇を押さえられて、沢山の映画に出られている俳優さんたちがいます。ここ数カ月注目度の高かったのが、このかた藤原釜足さんです。

日本初のミュージカル映画とされる『音楽喜劇 ほろよひ人生』(木村荘十二監督)に主役で出演されているのが藤原釜足さんです。<音楽喜劇>とあるようにミュージカルというより音楽劇が妥当だとおもいます。

シネマヴェーラ渋谷の「ミュージカル映画特集Ⅱ」のアメリ映画の中に、邦画の『舗道の囁き』と『音楽喜劇 ほろよひ人生』が特別上映されたのです。『舗道の囁き』(1936年)は見ていましたのでパスしました。 映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(2)

『音楽喜劇 ほろよひ人生』『突貫勘太』『シンコペーション』と見て、大谷能生さん&瀬川昌久さんのトークショーがありました。別の日にすでに『音楽喜劇 ほろ酔い人生』のあと、矢野誠一さん&瀬川昌久さんのトークショーがあり、この日は『音楽喜劇 ほろよひ人生』のお話は少なかったです。三本続けて大丈夫かなと気がかりでしたが、それぞれに楽しみかたが違い、見たい作品でしたのでゆるやかな疲労感ですみました。

洋画のミュージカル映画に『突貫勘太』(1931年)という題名は驚きます。この映画で歌われる「Yes, Yes, My Baby Said Yes, Yes!」(エディ・キャンター)が『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年)でも使われています。榎本健一さんの映画でも使われたようです。

音楽喜劇 ほろよひ人生』 実際にあったのかどうかビール会社の宣伝もあったようですが、駅のホームでビールを売っていまして、その売り子・エミ子(千葉早智子)に恋するアイスクリーム売りのトク吉(藤原釜足)が、お金はないけれど一生懸命で、エミ子が人気の「恋の魔術師」の歌が好きと言えば練習したりするのです。ところが、彼女は「恋の魔術師」の歌を作った男性(大川平八郎)と結婚してしまいトク吉はふられてしまいます。

ルンペンになり、偶然泥棒が元恋人の新婚家を狙っていること知り、侵入する泥棒たちを退治します。トク吉は、その後ビアホールで成功し、彼女の写真を飾っています。元恋人は夫と何も知らずその前を通り過ぎてしまうという話です。

駅のホームの様子、泥棒たちの動き、泥棒退治騒動などを可笑しくえがき、歌も入るといったもので、音楽学校校長の徳川夢声さん独特の台詞や、古川緑波さんが意味もなく歌ったりして花をそえています。見ていて藤原釜足さんが主役なのには驚きましたが、喜劇で釜足さんがひょうひょうとしたコミカルさをだしていて違和感がありませんでした。

洋画『突貫勘太』の方が、パン製造工場の女子工員がレビューさながらの衣装で軽やかに働いたり踊るのと比べると何んとクラッシクなのかと思えてしまいますが、当時の日本としては、大正時代のモダニズムの流れが感じられる作品です。

『日本近代文学館 夏の文学教室』で川本三郎さんが(一日目、二講時)関東大震災のあと驚くべき速さで復興し、歓楽街は浅草から銀座に移ったと言われましたが、トク吉のビアホールも銀座なのかもと思えます。

映画会社のPCLに藤原釜足さんを紹介したのは、丸山定夫さんで、この映画では丸山さんはルンペンで出演しています。後に丸山定夫さん、藤原釜足さん、徳川夢声さん、薄田研二さんの4人で劇団「苦楽座」を立ち上げています。

藤原釜足さんの喜劇性は、『サーカス五人組』(1935年、監督・成瀬己喜男)や『旅役者』(1940年、監督・成瀬己喜男)でも発揮されています。

サーカス五人組』 五人の楽団が催しものがある町を回っていますが、頼まれた運動会が無期延期となり、仕事にあぶれてしまいます。巡業中のサーカス団の団長が横暴のため団員はストライキとなり、団長はこの五人組の楽団を雇います。サーカス団長の娘などとの交流も加わり、音楽だけではなく得意芸も見せ、五人の人物像も照らしだされます。旅回りという不安定な境遇の悲哀を可笑しさで包む作品です。五人の一人藤原釜足さんは女好きでドジで、捨ててたきた女性の清川虹子さんに追いかけられ捕まるという、皆を笑わす愛嬌者を引き受けています。

芸達者がそろう成瀬監督の旅芸人もので、原作は古川緑波さんの『悲しきジンタ』で、<ジンタ>という言葉も大正時代につくられた造語です。今では死語になってしまいました。雰囲気のただよう単語です。

五人組(大川平八郎、宇都木浩、藤原釜足、リキー宮川、御橋公)、団長(丸山定夫)、団長の娘・姉妹(堤真佐子、梅園龍子)

旅役者』  成瀬己喜男監督(原作・宇井無愁「きつね馬」)も旅芸人もので、こんどは旅回り一座の馬の脚専門の役者が藤原釜足さんです。これが研究熱心な馬の脚役で、本物の馬をみては研究し、弟子(柳谷寛)に教えるのに余念がありません。このコンビの関係もほのぼのとしていて良い具合です。映画では藤原釜足さんが主役です。

劇団の名前は「中村菊五郎一座」で、田舎の人々は、菊五郎が来るのかと驚きます。このあたりからもう怪しい雲行きです。馬の脚役者は、町へ行っても、かき氷を食べながら、座敷では芸者(清川虹子)に馬の脚の重要性を話して聞かせ、関心も持たれてしまいます。そのあたりが嫌味がなく、自分の脚役に自信をもっています。それも、この一座の一番の出し物は『塩原多助』なのです。

ところが、興行者をめぐるいざこざから、かぶり物の馬の顔が壊されてしまい、舞台には本物の馬を使うことになり、馬脚役者には、本物の馬の世話が回ってきます。舞台に出なかったことを芸者に言われ、それでは見せてやると修繕してキツネのような顔になった馬をかぶって走り回り、馬小屋を壊し逃げる馬を追いかけるのです。まるで、本物の馬が芝居の馬の勢いにおびえて逃げるようで、馬脚役者の一世一代の舞台でした。

前と後ろ脚のコンビの馬の脚のことしか考えない真面目さが、肩に力の入らない自然さで、そこがまた共感できる可笑しさでもあるのです。藤原釜足さんのテンポになぜか巻き込まれているのです。

リアルとも違い、演技をしているという感覚をこちらには与えず、こういう芸人もいるかもなあと思わせてくれます。

この三本が、藤原釜足さんの主役と主役級のこの数カ月で出会った作品です。その他にあるのかもしれませんが、それは今後の出会いにまかせます。

 

歌舞伎座八月『野田版 桜の森の満開の下』

野田版 桜の森の満開の下』は、観劇するのが楽しみであると同時に解るであろうかの疑念がありました。

<野田版>とあるように、下敷きの坂口安吾さんの『桜の森の満開の下』と『夜長姫と耳男』です。その二作品は読み、篠田正浩監督の映画『桜の森の満開の下』も見ておきました。

坂口安吾さんの『桜の森の満開の下』は、山の中に住む男が、桜が満開の森の中に入ると気が変になってしまうことを知り怖れていますが、美しい女を手に入れ、その女の欲望のままに動き、女の望み通り山から京に出ます。美しい女のために生首を集めてきますが、男にとっては何の意味もありません。次第にあの桜の下の魔力が思い出され男は山へ帰ると言います。思いがけず、女はそれじゃ私も一緒にいくといい、男は喜んで女を背負って満開の桜の下に入っていきます。女がいれば桜の下も怖くないと。しかし、背中の女が自分の首を絞め、鬼になっていました。思わず男は女を絞め殺します。そこには美しい女の顔がありました。

篠田監督の映画『桜の森の満開の下』は原作に少し京での男の行動を膨らませていますが、基本的に原作を映像化しています。

野田版では、女がもてあそぶ生首の場面などは無く、そこに『夜長姫と耳男』を挿入しています。

『夜長姫と耳男』は、<耳男><小釜><青笠>の三人が夜長の長者に仏像を彫るように命ぜられます。夜長の長者には美しい娘の夜長姫がおります。耳男と夜長姫が会ってからは、この二人の物語となります。夜長姫はとてつもない理解しがたい美意識と感性の持ち主で、耳男は名前の通り大きな耳を持っていますが、その耳を女奴隷のエナコに斬り落とさせるのです。

足かけ三年、耳男は姫の笑顔に魅かれる自分に対抗するようにモノノケの像を彫ることにします。自分の意識を覚醒させ、蛇の生き血を飲み、残りはバケモノの像にしたたらせ姫の笑顔と闘います。この像が姫に大層気に入られます。姫はバケモノの像の力を試し、その力が無くなると姫は耳男に命じ蛇を捕まえさせ、自分がその生き血を飲み、人々がきりきり舞いをして全て死すことを祈り眺めていたのです。

耳男は姫の無邪気な笑顔とミロクとを重ねて彫っていましたが、そんなものが何の意味も無い様に思え、姫を殺す以外に人間世界は維持できないことを知り、耳男は姫をキリで刺し殺してしまうのです。

刺された姫の最後に残した言葉は・・・・。

さて、『野田版 桜の森の満開の下』では、どうなるのでしょうか。『桜の森の満開の下』に挿入された『夜長姫と耳男』は、登場人物が多くさらに鬼が加わります。仏像を彫る男三人は、耳男(勘九郎)、マナコ(猿弥)、オオアマ(染五郎)の三人で、耳男はわかります。オオアマも鬼を使って国盗りをするという人物です。

マナコがわからなかったですね。カニになったりもするのです。野田芝居特有の言葉あそび、パロディが散りばめられていますから、わからないなりに笑わせてもらいます。その笑いの多いマナコがよくわからなかったわけです。カニ軍団のカニ、カニ、カニの動きも意味もわからず可笑しいのです。

鬼も人間になりたいと人間になったりもします。人間に利用されているだけなのか、鬼そのものの力があるのかあたりもわかりません。鬼の中心はエンマ(彌十郎)そして赤名人(片岡亀蔵)、青名人(吉之丞)、ハンニャ(巳之助)。

これまたよくわからない人で作る遊園地はお見事でジェットコースターなど動きも抜群です。ところどころにこうした流動的躍動感が舞台一面に広がるのですから細部はまあいいかと楽しませられます。

夜長姫(七之助)だけではなく、早寝姫(梅枝)もでてくるのです。たしかに夜長姫があれば、早寝姫があってもいいわけで、この名前を見ているだけでも可笑しいです。二人の娘に翻弄される親のヒダの王(扇雀)。早寝姫は、歌舞伎ならではの国盗りに手を貸し、ここは歌舞伎を意識しての挿入でしょうか。それだけではない地図の広さを感じます。

その上には空があり、空が下がってきてしまうという恐怖感もあります。おそらく野田さんは世界を意識されているのでしょう。

夜長姫は人々がきりきり舞いをするところで、「いやまいった。まいったなあ。」といい、その軽さにもっていくのが印象的だったのですが、最後の耳男のせりふが、「いやまいった。まいったなあ。」でしたので、やはりここにくるのかとおもったのですが、今の世界を表しているのでは。自然界も人間界もその根の深さがむくむく首をもたげ異常な噴出を始めているようです。

『桜の森の満開の下』だけのことならいいのですが。その上の青い空がおりてきたら・・・・。

いやまいった。まいったなあ。

まいっている暇のない、野田ワールドの沢山の笑いと役者さんの動きも愉しまれてください。

 

神保町シアターで、三代目猿之助さんが襲名のときの映画『残菊物語』を上映しています。溝口健二監督の花柳章太郎主演の映画はDVDにもなっており見ることができますが、大庭秀雄監督の三代目猿之助さんの映画はつかまえられず、やっと見ることができました。舞台場面も多く若い猿之助さんと岡田茉莉子さんが一見です。(23日19時15分~、24日16時40分~、25日12時~)

 

 

歌舞伎座八月『修禅寺物語』『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帳』

修禅寺物語』は彌十郎さんのお父さんである初代坂東好太郎さんとお兄さんの二代目吉弥さんの追善公演でもあります。

吉弥さんは観ていまして、独特の声質で頭の中にその響きが残っております。好太郎さんは、溝口健二監督の映画に出ておられて、『歌麿をめぐる五人の女』はビデオテープを持っていまして今回見直しました。歌麿が六代目蓑助さんで、その歌麿に反感を持ちますが、歌麿の絵の力に敬服し、武士を捨て絵師になるのが好太郎さんの役です。一途に女の愛を貫き愛人をも殺してしまう田中絹代さんもからんで描きたい女をも畳み込む溝口監督ならではの相関図が展開されます。

見たい作品は溝口監督の『浪花女』で、好太郎さんが主役ですが残念ながら残っていないようなんです。

修禅寺物語』は、伊豆の修禅寺に住む面(おもて)作り師夜叉王(彌十郎)が時の将軍源頼家(勘九郎)から頼家自身の面を頼まれますが、納得のいく面が打てません。それは、似てはいるのですが面に生がこもらず死んでいるのです。こんなものは後の世に残せないと自分の腕に苦悩しますが、後にこれは、頼家の死を暗示していたのだとわかり、自分の腕に自信をとりもどし瀕死の姉娘・桂(猿之助)の顔を描くのでした。

些細な幸せを願う妹娘・楓(新悟)と許嫁・春彦(巳之助)の対極に、田舎に埋もれることをきらい頼家に見初められ、頼家の面を付け頼家の身代わりとなる桂。頼家に付き添う修禅寺の僧(秀調)など所縁の方々を配しての上演です。

夜叉王という芸術至上主義者を通して、鎌倉源氏の権力の危うさを映し出した岡本綺堂さんの作品で、彌十郎さんは信念を動かない腹を示めされました。勘九郎さんの声が勘三郎さんそのもので、もてあそばれる運命にあがなう気品をだされ、猿之助さんと新悟さんが性格の違いをはっきりさせ良い彫りの舞台でした。

東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帳(こびきちょうなぞときばなし)』。宙乗り下りで、あの弥次喜多が木挽町歌舞伎座に帰ってきました。再び歌舞伎座での黒子のアルバイト。この二人がいる場所には、かならず何かが起こり、またまた舞台はとんだことになりますが、今度は殺人事件勃発です。

それが『義経千本桜』の<四の切り>の練習場面で起こるのです。座元、その女房、役者、その家族、弟子、大道具、女医、同心、若君と家来、そして、竹本の少掾と三味線などなどなど・・・なぞなぞなぞ・・・

弥次さん喜多さんのドジぶりは相変わらずですが、役者さんこの舞台で実舞台のうっぷん晴らしかもと思わせる熱演もあったりで可笑しいのなんの週刊誌よりも歌舞伎界のスクープ性ありかも。もちろん瓦版の取材もあります。

<四の切り>の舞台装置が、謎解きの展開で公開され、舞台装置の断面図の実際の作りも出てくるのですから大道具さんも大変です。三代目猿之助(現猿翁)さんの舞台から、本の写真でその仕掛けを知った者としては、嬉しいサプライズでもあります。役柄上は大道具・伊兵衛の勘九郎さんが造ったことになります。

<四の切り>で舞台正面の三階段から狐忠信が現れますが、染五郎さんの弥次さんが吹っ飛んで飛び出してきて大爆笑です。大丈夫です。知っていても笑えますから。ところが、これが笑わせるだけではないんです。この時の役者がどう出てくるかが、重要な謎解きのひとつでもあり、さすが狐忠信役者猿之助さんならではの手が混んだ脚本です。

大詰めで、謎ときのバージョンが観客によって決めます。座元の女房児太郎さんと隼人さんの芳沢綾人の弟子・小歌の弘太郎さんバージョンからの二者択一でした。

書きたいことは沢山ありますが、観てのお楽しみで控えますが、歌舞伎ギャラリーでのトークショーで門之助さんと笑三郎さんのお話を聞きましたのでそこから少し。

門之助さんは竹本の鷲鼻少掾(わしばなしょうじょう)で、笑三郎さんは三味線の若竹緑左衛門の役でして、実際に床に座し語り、弾かれるのです。門之助さんと笑三郎さんの不満なところは、最初はお客さんが観てくれるのですがどうしてもお客さんの目が舞台の正面にもどってしまうことだそうで、わかります。お二人を観ていたいのですが、舞台上ではそう簡単には観れない場面をやっているわけで、どうしても舞台に目がいきます。ただ耳はそばだてていまして、時々、本当にお二人がやっておられるのか確かめはするのです。そんな観客の想いもわかってくださり、実際に語り、弾いてくださいました。見台にはカマキリの紋が入っています。

座元の中車さんが釜桐座衛門でして、昆虫の解説をされるのですが、それが毎日違う解説をされているそうです。洒落かなと思っていまして真面目に聴講していませんで不覚を取りました。

義経と静なら明日やれと言われればできますが、まさかこんなお役がくるとは思わなかったと言われるお二人。しかし、猿之助さんの役の振りあてお見事で、やると聞くとでは大違いと言われつつ、お二人のプロ根性はさすがです。猿翁さん、猿之助さん、巳之助さん、それぞれの狐忠信の間の違いも感じられておられました。

皆さんと一緒にでているのに仲間はずれのようでさみしいとのことでしたので、役者としても観てあげて下さい。

歌舞伎ギャラリーでのトークショー、30分という時間でしたが、中身の濃い充実した楽しい時間でした。

とにかく目と耳を使い切る訓練の必要な演目で、日頃表立って出られない役者さんたちもいてもっと注目したいのですが、残念ながらとらえきれません。シネマ歌舞伎を期待することにしましょう。

こちらも弥次さん喜多さんに刺激を受け、旧東海道歩きのその後を見てきました。三島スカイウォーク・日本一のつり橋です。歩いていた時、何か工事があり旧東海道は歩けず国道一号を迂回することになった場所です。巨大なコンクリートの土台がありなんであろうとぶつぶつ文句を言いつつ歩いたのです。友人と三島スカイウォークの入っているツアーでリベンジです。文句言っていないで、じっくり橋の無かった風景を脳裏に残しておけばよかったと反省。

テレビで紹介されたとかで、添乗員さんも驚く混みよう。一列になっての橋上ウォークは少し興ざめでしたが、よくこういう場所につり橋を作ることを考えて観光にするものだと、その思考と技術に驚きを感じます。この時期は富士山は無理です。見えれば絶景だと思います。

弥次さん喜多さんより高いスカイウォークだと思いましたが、あの二人は花火で打ち上げられてもどってきたのでした。負けです。

 

歌舞伎座八月『刺青奇偶』『玉兎』『団子売』

刺青奇偶(いれずみちょうはん)』は長谷川伸さんの作品で、勘三郎(18代目)さんの半太郎、、玉三郎さんのお仲で観ていますが、今回は玉三郎さんが演出のほうで、七之助さんが玉三郎さんのお仲そっくりで驚いてしまいました。

声の調子、身体の線、しどころなどよくここまで受け継がれるものだと思って観させてもらっていましたが、勘三郎&玉三郎コンビでは無かった涙が、中車&七之助コンビでは、出てしまいました。

七之助さんのお仲には捨て鉢ながらも儚なさがあり、飛び込んだ川から半太郎に助けられ、行くところもなく半太郎という男に賭けてみようという最後にすがるよりどころを見つけた必死さがありました。同じに見えてもそこから出てくるそれぞれの役者さんの色というものがあるのを改めて感じました。

中車さんは、棒杭にもたれて江戸の灯を見るしどころがよく、ゆっくりではあるが一つ一つ身体に叩きこんでおられるなというのがうかがえました。他の歌舞伎役者さん達が小さい頃から見て教えられてきた時間の違いがあるわけで、そのしどころの数は中車さんにとっては大きな山が目の前にそびえているのです。ところが、他の役者さんはさらに先へ進むのですからたまりません。自分の中に少しづつ収めたものを大切にされ進まれてほしいです。

博打しか頭にない半太郎は、死ぬしか先がなかったお仲を助けます。自分の体しか用のない男たちを見て来たお仲にとって半太郎の無償の行為は、かすかな光でもありました。そんな二人が夫婦になりますが、半太郎の博打好きはなおりません。

病身で自分が助からないと悟ったお仲は、半次郎の右腕に刺青をさせてくれと頼むのでした。この場面思いがけず涙でした。お仲は、自分の亡きあと、半次郎が身を滅ぼさないことを願ったのです。ここまでは許すがここからは許さないよというお仲の戒めでした。その間、きっと目を見開いている半太郎。

場面変わって半太郎。ここは勘三郎さんのときは、やはり半太郎にはお仲の想いは通じなかったのかと思わせました。そう思わせてこそのその後の展開となります。あらすじがわっかているためか、中車さんはそう思わせてくれる雰囲気がありませんでした。政五郎親分(染五郎)がでてからの半太郎の台詞は聴かせます。どう語ろうかと工夫に工夫を重ねたであろうという語りで心の内を聴かせます。政五郎にぽっーんと紙入れを投げさせる力がありました。

この雰囲気が魔物でして、勘三郎さんの絵は頭に残っていますし、天切り松の松蔵を見たあとですので中車さんには不利ですが、『吹雪峠』のときよりもずーっと前に進まれています。政五郎の染五郎さんも声の出し方、雰囲気が大きさを見せてくれ、半太郎をしっかり受けておられ、中車さんも幕切れはしっかりきめられました。

玉兎』の勘太郎さん、勘太郎の名前を背負っての一人踊りです。「可愛い!」で終わらせることを拒否しての踊りに挑戦していました。観ていますと、<腕が伸びていない><真っ直ぐ><足がちがう><早い><音をよく聴いて>など、誰かさんの叱咤激励が聞こえてきそうです。でもこうした歌舞伎ならではの五線譜ではない間と流れをつかんでいかなければならないのが歌舞伎役者さんの修業ですから、可愛いらしさを返上しての第一歩、真摯に受け止めさせてもらいました。

団子売』。勘九郎さんと猿之助さんの団子売りの夫婦の仲の良さを見せつけられて、こんなに短かったかしらと思わせられるほどの速さで終わってしまいました。

もっと短いのが『野田版 桜の森の満開の下』の感想です。

いやまいった。まいったなあ。

<『野田版 桜の森の満開の下』贋感想>が書けるかどうか。その前に第二部があります。

 

テレビドラマ『天切り松 闇がたり』

「近代文学館 夏の文学教室」での浅田次郎(作家)さん(三日目 三講時)の講演は『「天切り松 闇がたり」の大正』でした。

小説『天切り松 闇がたり』関係の参考本に『天切り松読本』(浅田次郎監修)がありまして、作品に出てくる、浅草、上野、本郷、銀座、丸の内等の地図や写真が掲載されてい風景が具体化されて面白いです。<天切り市電マップ>というのもありまして『天切り松 闇がたり』はもちろんですが、ほかの作品でも市電がでてくれば参考になるとおもいます。〔洲崎〕とあれば映画『洲崎パラダイス』が浮かびます。

さらに『天切り松 闇がたり』上演一覧というのがありまして、すまけいさんと鷲尾真知子さんとの朗読劇が載っていました。このお二人の朗読劇でこの小説を知ったのです。沁みる朗読劇でした。テレビドラマにもなっていまして、そのことは、『天切り松 闇がたり』第三巻(集英社文庫)の解説を十八代目勘三郎さんが書かれていてテレビドラマとなることに言及していますが、このテレビドラマがDVDになっていたのです。

2004年7月30日放映(フジテレビ) 監督・本木克英/脚本・金子成人/出演・松蔵(中村勘九郎・18代目勘三郎)、安吉(渡辺謙)、栄治(椎名桔平)、寅弥(六平直政)、志乃(篠原涼子)、きよ(井川遥)、永井荷風(岸部一徳)、東郷平八郎(丹波哲郎)、逆井重美(中村獅童)他とあります。

嬉しいことにとんとん拍子に動いてくれて、DVD、レンタルできたのです。

テレビドラマ『天切り松 闇がたり』は、「黄不動見参」「百万石の甍」「昭和俠盗伝」「衣紋坂から」が編集・脚本されて、松蔵が語ります。

警察の留置所に出入り自由の村田松蔵は、今夜も雑居房で六寸四方にしか聞こえない夜盗の声音、闇がたりで自分の歩んできた道を語っています。

松蔵は、盗賊の安吉一家に九歳のとき預けられますが、親分から黄不動の栄治に修業をまかされ天切りを教えこまれます。天切りとは江戸時代から続く屋根を切って忍び込む夜盗の技なのです。黄不動の栄治は、手広くやっている建設会社花清の妾腹の子で、母子は体よく追い払われ、口は悪いが腕のいい棟梁に育てられ一通りの大工仕事はしこまれています。

花清は実子を亡くし、前田侯爵を通じて安吉親分に栄治を花清の跡取りにと話しがありますが、栄治は前田侯爵邸から仁清の色絵雉香炉を盗み、育ての棟梁に急ぎ汚い長屋に床の間の部屋を普請してもらいます。そこに香炉を鎮座させ、棟梁の腕を花清の実の親に見せ、あるべきところにあるという心意気をみせ、栄治は後継ぎの話しを断ります。

修業は積んだが大きな仕事のやっていない松蔵が奮い立つときがきました。兄貴分の寅弥は二百三高地で戦った経験から、「どんな破れかぶれの世の中だって人間は畳の上で死ぬもんだ」という想いがあります。ところが大切に世話をしていた上官の子供の姉弟の弟に赤紙がきたのです。怒る寅弥。寅弥に頼まれ姉弟の面倒を見て来た松蔵は決心します。

「生きた軍神」の東郷平八郎が持つ大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)を盗みだすことでした。東郷平八郎の寝屋に忍び込んだ松蔵は眠りを継続させる栄治兄貴から習った息移しに失敗し、東郷平八郎は目を覚ましてしまいます。そこで松蔵は話します。勲章をお借りしたいと。

「紙切れ一枚でしょっ引いて親、兄弟を泣かせるお上の仕方は女郎屋の女衒と同じ心だと存じます。だが俺たちは表立ってお上に邪魔立てできゃしねえ。戦に駆り出される若いものに、そんな勲章なんて欲しがるなと言って送り出してやりとうござんす。」

東郷平八郎は、承諾する。誰に盗られたのかを本名を言うわけにいかないからと、<天切り松>と二つ名をつけてくれるのです。忠犬ハチ公の除幕式がありその銅像のハチ公の首に勲章が架かっていました。

松蔵の子役の場面が続くなかで、この話しは勘三郎さんの松蔵でやはり見せてくれます。闇がたりの松蔵はかなりの老年になっており、それはそれで勘三郎さんの話術の聴かせどころですが、若い松蔵の動き、感情の導入や押さえなど、期待していた演技力と台詞です。こういうところを突き抜ける勘三郎さんのその後が観たかったです。

留置所の新入りの逆井を諭すように、おまえは女衒とおなじだと姉・さよが吉原に売られそれを捜しあてた時の話しをします。松蔵は吉原の遊郭の息子と友達となり姉が白縫花魁となっているのを知ります。兄貴分の寅弥が日にちをかけて花魁のもとへ通い身請けし、松蔵はむかえに行きます。その時姉は、スペイン風邪にかかり助からない状態でした。

雪の中姉を背中に結わえておぶり姉の言われるままに三ノ輪に向かいます。背中で姉は亡くなり、途中で永井荷風に会い浄閑寺を教えられます。追いかけて来た遊郭の息子と永井荷風と松蔵の三人は、姉のために「カチューシャの歌」を歌います。

役者さんも揃い、テレビドラマとしても『天切り松 闇がたり』を充分味わわせてもらい満足でした。

原作に出てくるような大正時代の建物を映すことが出来ないので映像的に苦労するところですが、その分、勘三郎さんの滑舌がものをいいました。松蔵があこがれる安吉親分の渡辺謙さんと栄治兄貴の椎名桔平さんも大正時代のお洒落なダンディズムがあり、寅弥兄貴の六平直政さんは怖い顔をして情あらわすことで違う風を吹かせます。丹波哲郎さんの達観したような動じない老境さも魅力的でした。

そんな人々に自分は作られてきたのだという松蔵の恍惚感と使命感が闇のなかで妖しい光を放っていました。

こう涼しい夏の夜ともなれば、『天切り松 闇がたり』を開き、勝手気ままな一夜を愉しむのもいいかもしれません。

 

映画『幕が上がる』

昨年の『近代文学館 夏の文学教室』で平田オリザ(劇作家・演出家)さんの講演の後、平田オリザさん原作の映画『幕が上がる』をDVDで見ていたのですが、書く機会を逸してしまいました。

映画『幕が上がる』は、高校演劇全国大会を目指す高校生の話しです。監督が『踊る大捜査線』の本広克行監督と「ももいろクローバーZ」の5人が主役です。「ももいろクローバーZ」というメンバーは知りませんでした。ですから「ももいろクローバーZ」の5人というより、その役を受け持った俳優さんとしてみました。

彼女たちが住む場所は静岡の岳南鉄道の通るところで、岳南鉄道の吉原駅と比奈駅のホームがでてきました。岳南鉄道吉原本町駅をでたところが、旧東海道の吉原宿ですが、ここは新吉原宿で、かつては、田子の浦そば、駿河湾近くに吉原宿がありました。波風が強く、津波も被害もあり、中吉原宿、新吉原宿と移転したのです。場所によっては旧東海道でも富士山がすそ野までの姿を表わし、歩いているところなので、ここが舞台なのと親しみがもてました。

一年前ですので再度見直しました。今回は全国大会を目指す演劇部長が、『銀河鉄道の夜』を脚色した台本でもあったので、一年前に見た時より深さを感じとることができました。

もうひとつは、今回、平田オリザさんが全国高等学校演劇大会について触れられたことにより全国高等学校総合文化祭というのがあるのを知りました。

2017年の全国高等学校演劇大会は歴史が古く第63回で、全国高等学校総合文化祭は第41回です。今は文化祭の演劇部門として重ねて開催されているようですが、演劇部の生徒にとっては、全国大会決戦の場なのです。今年は宮城県の仙台が会場でした。

演劇部の全国大会は厳しく、地区大会、県大会、ブロック大会があり、全国大会となります。ブロック大会(9ブロック12校が決まる)は11月から1月の間に行われ、さらなる全国大会は次の年の夏なので、ブロック大会に出た三年生は全国大会には出場できないのです。

このあたりのことも今回知りましたので『幕が上がる』も演劇部員の行動もよくわかりました。

地区大会で負けた富士ケ丘高等学校の力量のない演劇部は、先輩の三年生がいなくなり部長は高橋さおりときまります。顧問の溝口先生は頼りにならず、新入生のオリエンテーションで『ロミオとジュリエット』の抜粋をやりますが観る人もまばらで相手にされません。そんな時、新任の美術の吉岡先生からアドバイスをもらい、自分たちの家族を紹介しつつ自分の肖像を描く『われわれのモロモロ 七人の肖像』を外部の観客を呼んで公演します。これが評判がよく、自信がでてきました。

かつて学生演劇の女王と言われた吉岡先生の口から、全国大会を目指すことを提案され、東京での合宿へと怒涛の展開となっていきます。しかしそのために台本の作成の重荷を部長のさおりは担うことになり、実力演劇部の高校から転校してきた中西に相談します。中西は、さおりに全国高等学校演劇大会へのボランティアスタッフとしての参加をすすめます。それが2014年の<いばらぎ総体>です。

上演時間は60分。その中に20分のしこみ(上演舞台の設置)時間がありますから上演は40分です。高温度の高校生の演劇への情熱を体感したさおりは中西に演劇部への入部を誘います。その場面が岳南鉄道比奈駅の夜のホームなのです。その時さおりは、『銀河鉄道の夜』の脚本を書くアイデアを中西からもらいます。

二人の旅の岳南鉄道は車両が一両で、車窓からの風景などが印象的です。富士山もですが、この地域は水が豊富なので、製紙工場など工場群でもあるのです。そして、演劇部の全国大会の様子も興味深いです。

東京合宿へは中西も参加しました。吉岡先生は東京で演劇を目指す人が星の数ほどいることを教えてくれます。練習の甲斐が合って地区大会で県大会への参加校3校に選ばれます。県大会へ向けてさおり部長のもと練習が続きます。そこには吉岡先生はいません。そして県大会の今を、富士ケ丘高校の演劇部員は味わっています。

現実の全国高等学校演劇大会を軸に、その代表として一つの高校演劇部が紆余曲折して県大会の今に行きつく映画です。昨年見た時は、よくある青春映画と思っていましたが、今回は演劇部とさおり部長の脚色した『銀河鉄道の夜』の練習場面や大会での舞台の切れ切れを見ながらその関連性と<ももクロ>メンバーの俳優への一歩一歩も重なりました。

幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦』というメイキングDVDも出ていて、これも二回目ですが、平田オリザさんのワークショップもあり、アイドルを払拭した俳優一年生から挑む彼女らの真面目さも、一層気持ちよく受け止められました。編集のためでしょうか、本広克行監督が<ももクロ>メンバー一人一人の特性を生かし、彼女らと一緒に作り上げていくのが印象的です。監督からの強い語調の場面がなく、カットしたのと思うほどです。それほど、彼女たちの演技の感性の良さに、彼女らの力の出る状況を作り出す配慮をしておられました。

演劇世界の果てしなき先を目指す高校演劇部員の映画です。

監督・本広克行/原作・平田オリザ/脚色・喜安浩平/音楽・菅野祐梧

頼もしくなっていくさおり部長(百田夏菜子)、お姫様から実力派に変身のユッコ(玉井詩織)、ひょうきんでがんばり屋のがるる(高城れに)、演劇を捨てなかった中西さん(有安杏果)、失敗も多いが可愛がられる二年生の明美ちゃん(佐々木彩夏)、頼りないが語りたがる顧問の溝口先生(ムロツヨシ)、いつも毅然として部員のあこがれ吉岡先生(黒木華)、抜群の声の持ち主滝田先生(志賀廣太郎)、オジサン演出家の名前は知っているさおりの母(清水ミチコ)、演劇部の杉田先輩(秋月成美)、演劇部員2年生(伊藤沙莉、大岩さや、吉岡里帆)、演劇部員1年生(金井美樹、芳野京子、那月千隼、松原奈野香)、最後にやっと登場(松崎しげる、笑福亭鶴瓶)、ちらっと映る(平田オリザ人形)

 

全国高等学校総合文化祭で選ばれた「演劇・日本音楽・郷土芸能」の三部門の最優秀校、優秀校は、東京の国立劇場で発表会があるのも知りました。(今年は8月26日、27日ですがチケットぴあでの予定枚数すでに無し。残念。)

スーパー歌舞伎にたずさわり、さらに、スーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』の脚本を担当されている横内謙介さんは神奈川県立厚木高校演劇部時代、全国高等学校演劇大会に出場され優秀賞と創作脚本賞を受賞されています。経歴としては知っていましたが、全国大会の実態が今回わかりました。全国の高校演劇部員、頑張れ!

 

アニメ映画『君の名は。』まで(2)

『新海誠展』にあった女性用のヒールの靴は、『言の葉の庭』で出会いました。映画が終わり、エンドクレジットになってしまい、あの靴は出てこないのであろうかと不満に思っていましたら、その後で登場しました。手が込んでいます。にくい手法です。

高校生の秋月孝雄は、雨の新宿御苑の休憩場所で会社をさぼったらしい年上の女性と出会います。孝雄は雨の日は授業一限目をさぼってこの場所で靴のデッサンなどをしていました。彼は靴職人を目指しているのです。どこか波長が合い、雨の日はいつもお互いに出会うのが楽しみとなるのです。

新海誠さんの作品には、片親がいない設定が幾つかあり、この作品も孝雄には父親がいないらしく、母親と兄が働いているため食事は彼が作っています。『星を追う子ども』のアスナも母親にかわって家事をして、台所仕事の場面も多く、これが生活感を匂わせ、日常と物語性が微妙に絡み合っているのも新海監督の魅力のひとつです。孝雄が作ったお弁当と女性の作ったお弁当。そこに味覚という暗示も含まれています。

題名が『言の葉の庭』とあるように当然言葉へのこだわりもあり、万葉集の歌もでてきます。この女性の部屋にある本が映し出され、ぱっと変わりましたので、どんな本を読む女性かなと思い、一時停止で捉えましたら『額田王』(井上靖)『一絃の琴』(宮尾登美子)『千載和歌集』でした。この女性に関してはこれくらいの情報で見たほうが作品の展開と心の内を捉えるためにも良いとおもいます。

新宿御苑、それほど魅力的な場所とも思えませんでしたが、映像の雨とか緑をみていますと、時間のある時、久しぶりに寄ってみようかなと思わせられました。

新海監督は信州の小海線の小海町出身ですが、新宿とか渋谷の風景が好きなんだそうです。『君の名は。』の宮水三葉も住んでいる山奥の田舎が嫌いで、東京に住む立花瀧と入れ替わって、東京に自分がいるということが嬉しくてという感じでした。それは三葉が宮水神社の娘で巫女の仕事もさせられ、狭い土地にさらに何かに縛られているという感覚なのでしょう。作品では宮水神社もキーポイントの重要なひとつです。

女生徒の三葉と男子生徒の瀧が入れ替わるというのは、すでに幾つかの映画で観ていますので驚きはありませんでした。ただ時間差などでどういうことなのと混乱はしましたが、二人が入れ替わるのは夢の中なんですよね。夢の中というのは時間の観念がちがいます。捉えられない時間です。とまあそう思う事にしました。夢での事なので、名前も忘れてしまう。だから 君の名は。 でピリオドで締めとなり、夢の中での感覚がかすかに残っていてそれを探し求め、新たに名前をたずね合うのです。

しかし、三葉は現実に東京に来ていて、瀧と会っているのです。それが、組みひもというキーポイントです。夢の中と現実の時間が組みひもでつながっていたのです。再度、<君の名前は>ということになります。

「夏の文学教室」で平田オリザさんが<賢治の祈り、東北の祈り>で、『銀河鉄道の夜』のジョバンニは友人のカムパネルラの死を受け入れられるまで、遠い銀河を旅するほどの長い時間が必要だったのですというようなことを言われました。あの作品を平田オリザさんはそのように読まれるのかと読み返しました。

ジョバンニは、カンパネルラと銀河鉄道を旅して、結果的にはカンパネルラを別の世界へと送っていってあげることになります。銀河鉄道の旅のその時間はひとりひとり違います。夢の時間のように計ることのできない時間です。その時間を経て、ジョバンニは父が帰って来ることを母に告げるため走り出します。

新海監督の主人公たちもよく走ります。助けるために。探すために。宇宙でも夢の中でも。そして現実でも。

ほしのこえ』『星を追う子ども』『君の名は。』と見ました。『ほしのこえ』の特典映像に『彼女と彼女の猫』があって、新海監督は語りもしていますが違和感がなく素敵な語りです。彼女の猫が全然リアルではなく、猫の語らいが字幕なのもひねっていてオシャレです。新海監督猫好きです。

映像の中の登場人物を追いつつ、時として黒板に板書するチョークの粉が散ったりする細かさにおっ!と思わされたりするのも愉しいところですし、ロケ現場探しのように風景を探して忠実に描いているというのも現実感から遊離させすぎない計算なのでしょう。

喪失からの新たな旅は、次の作品ではどう展開するのか、それとも全く違ったテーマとなるのでしょうか。

彼女と彼女の猫』(2000年)『ほしのこえ』(2002年)『雲のむこう、約束の場所』(2004年)『秒速5センチメートル』(2007年)『星を追う子ども』(2011年)『言の葉の庭』(2013年)『君の名は。』(2016年)

 

アニメ映画『君の名は。』まで(1)

「日本近代文学館 夏の文学教室」の一日目一講時の長野まゆみさん(作家)の講演から、深海誠さんのアニメ映画に飛んでしまいました。この時点ではまだ『君の名は。』は見ていません。

大岡信さんが亡くなられたこともあり、三島駅のすぐそばなので『大岡信ことば館』へ旅の途中で寄りました。開催していたのが『 新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』でした。

書きつつ思ったのですが『君の名は』ではなく『君の名は。』で  がついているのですね。

アニメ映画『君の名は。』はヒット作品であることは知っていましたが、その監督が新海誠さんであることは自分の中に刷り込まれていませんでしたので、あの映画の監督さんなのだと、入場券を買う時に知ったのです。映画よりも先に、その創作過程を見た事になります。

絵コンテなどから、光と色にこだわっておられることがわかりました。中高校生時代を主人公にしているので日常生活に使う文房具や手紙、携帯のメール、通学路の風景などリアルに細かく描かれていました。傘の閉じた時と開いた時、靴の形と色とその底裏の部分、登場人物の背の高さなど物語を作る過程の作業の細かさに驚きました。

新海監督の作品を見ると解りますが、これだけ細かい作業をしていても、映し出されるのは一瞬でテンポが速いです。これだけ時間をかけたらその映す時間を長くしたくなりそうなものですが、あっ!あれだと思う間に映像は流れていきます。

バイクのカブの展示もあり、特別な靴なのでしょう、女性用の大人っぽさのなかに可愛らしい結び紐のついた靴の展示もありました。これらのものがどの映画に出てくるのか映画の題名は覚える気もなく、どの映画のどんな場面ででてくるのかが見てのお楽しみでした。この時点で新海誠監督のアニメ映画を見ようと決まっていましたので。

実写の映像がありまして、中村壱太郎さんが踊られています。巫女さんが踊る舞の振りつけを考えられたのが壱太郎さんで、神楽鈴についている朱色の紐を上手く舞に取り入れた素敵な舞になっていました。映画では、全てを映しませんので、これは展覧会での映像のほうが舞としては美しいです。これだけは、『君の名は。』であることを記憶しました。

展示物からみますとSF的な作品もあるようです。大岡信さんのコーナーで大岡さんを偲んで、その帰りレンタルショップへ。

映画を見てから『新海誠展』を見ると、あの映画のものだと展示物を注視しするのでしょうが、こちらは反対で、映画を見ながらあのことかと反復することとなりました。

秒速50センチメートル』『雲のむこう、約束の場所』『言の葉の庭』の順番でみて、そのあとに「夏の文学教室」の長野まゆみさんの講演「宮沢賢治をナナメに読む」だったのです。参考資料は薄茶の封筒に入ったはがき大4枚の藍色を使った今までに手にしたことのない可愛らしい資料でした。ただ字が小さいのです。長野まゆみさんがその小ささについて意地悪をしたのではなく、自分が宮沢賢治を読んだときルーペを使って読んだその想いがあらわされていたのです。

そして話の内容が、宮沢賢治さんの『春と修羅』の言葉からでてくる光と色でした。この時点で、新海誠さんのアニメ映像とつながりました。蜘蛛の糸についても言及され、即こちらは『スパイダーマン』を思い出していました。そんなわけで、「夏の文学教室」のこちらの捉え方がかなり飛んでいますので、これからも「夏の文学教室」に触れていても講演者の高尚な内容とは距離があります。報告ではありませんので。

その後の他の講師の方々の講演からの啓示があり、新海誠監督の作品に宮沢賢治さんが、ちらっ、ちらっと顔出されるのです。

最初に見た『秒速5センチメートル』はとても気に入りました。<秒速5センチメートル>は、さくらの花びらの散る速度なんだそうです。この作品は「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三つの短編で構成されていて、「秒速5センチメートル」が一番短いのです。まさしく「秒速5センチメートル」の短さです。

特に興味を引いたのは「桜花抄」で、小学卒業で東京から栃木へ引っ越した篠原明里に会うため、遠野貴樹が電車に乗るのです。中学1年生になっていますが、栃木遠いなあという貴樹の感覚がわかります。それも、明里の待つ駅はJR両毛線の岩舟駅で、今は新宿からなら湘南新宿ラインがありますから小山まで一本でいけますが、貴樹のときは、大宮まで行き、そこから小山に行き、両毛線に乗り換えます。両毛線は時には一時間に一本です。

こともあろうにその日は関東が夕方から大雪になってしまいます。下校してからの旅で貴樹はきちんと電車の時間を調べていました。両毛線に乗り換えが上手くいくかどうかが問題ですのに雪。貴樹の不安が伝わります。その描き方がいいのです。電車が雪のため遅延していきます。知らせのアナウンス。調べた時刻表など関係なくなります。

携帯のある時代ではありません。連絡のつけようもない。時々点滅する電車のなかの蛍光灯。電車の連結部分の描写。止った駅で座っていられず、開いた電車のドアから雪と駅を佇んで眺める貴樹。突然ドアが閉められます。在来線にある手動の開閉ボタンつき電車で、寒いためドアの近くに座っていた乗客がボタンを押してドアを閉めたのです。びっくりして気がつき謝る貴樹。ああいいよという感じの乗客。そこらあたりの描写がリアルで細かく見ているなと感心します。

アニメでありながらこのリアルな丁寧さと繊細さ。貴樹の不安とあきらめと、とにかく進むというおもいが交差します。その心理を映し出す場面設定。映像テンポははやいです。この部分で新海監督やりますなと思ってしまいました。そして、明里は駅のベンチで待っていてくれたのです。

貴樹は、そのあと鹿児島に転校してしまいます。そこでのことが「コスモナウト」で高校時代はカブで通学します。澄田花苗と見上げる、打ち上げられたロケットの行く先。貴樹が見ている先。途絶えてしまった明里との経験した時間。

そこから抜けだせない貴樹は、東京で社会人となっても彼女を探しています。踏切ですれ違った女性。走る電車が過ぎ去ってしまったあとの踏切の先には女性はいません。

ロケットは相手との距離感をあらわし、踏切りも新海監督の映画には重要なシチュエーションとなります。当然電車は新海監督の映像で多く通ります。言葉では説明できない交信できた人との別れの喪失感。これがテーマとなります。ただ探します。そのための遠い冒険の旅にもでます。喪失感を埋める旅が果てしない危険を要する冒険ともなります。それほどの振幅が心の中で存在する闘いとしてあるということです。