劇団民藝 『大正の肖像画』

新宿区落合三記念館散策  この散策で、画家・中村彝(なかむらつね)さんを近く感じることができ、劇団民藝公演『大正の肖像画』も忘れずに観ることができた。

肺結核が死の病の頃で、多くの美術家が若くして亡くなっている。中村彝さんはそうした人々の中でも、20年間病と共存しつつ、かつ肉体の中に潜む病と精神の分離との葛藤と闘いつつ画布に向かった人である。その生き方を劇作家の吉永仁郎さんは、大正という時代背景を、中村彝さんを取り巻く人々を通して構成されている。

新宿中村屋サロンの空気の中で絵を描き、中村屋の長女・相馬俊子との愛と別れ、そこに「カーサン」と呼んでいた中村屋サロンの中心的な存在の相馬黒光との複雑な関係を絡めている。

吉永仁郎さんの、相馬黒光さんと中村彝さんとの恋愛感情の設定には、荻原守衛(おぎわらもりえ)さんと黒光さんの関係を反映させ、そのことで芝居にアクセントをつけ、下落合で彝さんの身の回りの世話をしていた、岡崎キイさんという老婦人との対比にもつながる面白さを加えた。

相馬黒光さんは、中村屋の創業者・相馬愛蔵の妻で、本名を<良>というのであり、どうして<黒光>というのか不思議であったが、パンフレットの説明に「女学校時代から、芯が強く向上心のある女性だった。「黒光」はあふれる才気(光)を目立ち過ぎるため少し黒く隠しなさい、と女学校の校長が命名した筆名。」とあり疑問が解決した。

彝さんの絵16枚をスクリーンに映し出し、どういう想いでその絵を描いていたのかの流れも加わり、彝さんの絵を堪能できるようにもなっている。下落合のアトリエに喪服を着た老婦人の絵の題名が「老母の像」とあり、その女性が世話をしてくれていた人で、<老母>としたところが印象的であったが、そのあたりも、吉永さんは最後に締めとしてもってこられた。

<中村彝作品 劇中映写画像>として、その作品がどこの美術館にあるのかを書かれたプリントも配布してくれ、中村彝作品がきちんと紹介されているのが嬉しい。

登場人物/ 中村彝(みやざき夏穂)、相馬俊子(印南唯)、中原悌二郎(小杉勇二)、エロシェンコ(千葉茂則)、相馬良(白石珠江)、大杉栄(境賢一)、神近市子(河野しずか)、宮田巡査(松田史朗)、古川巡査(梶野稔)、山村巡査(岡山甫)、岡崎キイ(塩屋洋子)、相馬愛蔵(伊藤孝雄)

中村彝さんは、水戸藩士の家系で兄二人と同じように陸軍幼年学校に進むが、結核のため退学する。次兄は在学中に事故で亡くなり、長兄は日露戦争で亡くなっているから、病気にならなければ、違う形で亡くなっていたかもしれない。そして絵と出合い、美術家の仲間が出来、生命感にあふれた相馬俊子と出逢うのである。

中村屋サロン美術館に相馬黒光さんが晩年になってからの聞き書き『碌山のことなど』の小冊子があった。芯のしっかりしたかたで、自分の言いたいことは冷静な感性で語っている。碌山とは、荻原守衛さんが、夏目漱石の『二百十日』の主人公の碌さんの自由さに共感して自分に使ったのである。碌山が外国から戻ったとき「先ずかけつけてきたのは、中村彝さん、中原悌二郎、広瀬常吉の三人で、生命の芸術とは何だろうといふわけでした。」とある。作品の中にそのものの本質、命を表出するにはどうしたら良いかを求めていたことが想像される。中村彝さんにとっては、その描く対象も人も俊子さんであったわけである。

それが破れ、実業家・今村繁三さんの援助で下落合にアトリエを持つのである。そしてついに、37歳でその生命は閉ざされてしまう。

新劇の役者さんの細かい手順の演技をみるのも刺激になる。その日常の動きに人物の投影がなされて生命を宿すからである。そこにフィクションがあっても、そういう事があれば、この人物はこう考え、こう動いたであろうと共感できるからである。

11月、友人達が長野善光寺に行っていないから信州方面に行きたいとの希望があり、それでは穂高の「碌山美術館」まで足を延ばそうと思っている。

『大正の肖像画』公演 新宿・紀伊國屋サザンシアター 10月20日~11月1日

 

国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(2)

『研修発表会』の『伊勢音頭恋寝刃』は<古市油屋店先の場><古市油屋奥庭の場>である。若い役者さんだけではなく、いつもは脇を固めておられるベテランの役者さんも大役に挑まれる。

福岡貢(中村亀鶴)、仲居お万(中村鴈之助)、油屋お紺(中村梅丸)、料理人喜助(松本錦弥)、今田万次郎(中村春之助)、油屋お岸(中村春希)、油屋お鹿(中村東志也)、仲居千野(中村蝶紫)

春之助さんの万次郎を見たとき、〔つっころばし〕というのは難しい役どころだと思った。これは時間のかかる役どころである。貢は〔ぴんとこな〕といわれる型で、柔らかいのであるが、武士の一面をものぞかせるといった役で、亀鶴さんは強さの中に柔らかさがあるといった配分であった。梅丸さんのお紺は、幼さが見受けられ若すぎると思ったが、貢に愛想づかしをするあたりから、乗ってきて不自然ではなくなっていた。鴈之助さんのお万と亀鶴さんの貢とのかけひきも体形的に立派なので上手く見せてくれる。

梅丸さんが、折り紙を貢にぽんと投げるところなどは、幼さが却ってよくやってくれたと思わせる。名刀・青江下坂を抜いてからの亀鶴さんは、妖刀に操られているといった感じを強く出し、刀に引っ張られる感じで、それはそれで面白かった。一回の舞台であるからか、全てを出し切りたいとの思いが強いであろうが、動きは丁寧に次第に芝居に乘って来る感じで邪念なく演じられていたようで、気持ちのよい舞台となった。それぞれが、自分もモチベーションに力を尽くし、それが芝居の形を上手く作り上げ見応えある舞台となった。

『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』は序幕から初めてであるから興味津々である。油屋のお岸(梅丸)等を連れての今田万次郎(高麗蔵)の花道からの出、放蕩好きの頼りない万次郎を高麗蔵さんがよく表している。この後も、そんな頼りなさでいいのと思わせる程のつっころばしである。将軍家に献上する名刀・青江下坂は質に入れ売り払われ、折紙(おりがみ・刀の鑑定書)は持っているから、刀を捜すようにと奴・林平(亀鶴)にいうが、その折紙も侍に化けた阿波の商人に騙し取られてしまう。

伊勢の御師で、万次郎の叔父・左膳(友右衛門)の配下である貢(梅玉)は、左膳に刀を捜すよう頼まれる。貢の実家は今田家に仕えていたことがあり、貢は今は御師の福岡孫太夫の養子となっていた。左膳の逗留する宿で、貢と万次郎は会い阿波国のお国騒動の絡んでくるのがわかる。

奴・林平は、万次郎のそばにいた大蔵(錦弥)と丈四郎(梅蔵)が裏切者であることを知り、敵がわの密書を手に入れるべき大蔵と丈四郎との追い駆け合いとなり可笑しさを誘う場面となる。亀鶴さんは、研修発表会も終わったためか弾けていた。

貢も加わり、夜明け前の二見ケ浦でのだんまりは綺麗に決まっていた。夫婦岩から朝日が差し手に入れた密書を貢が読むというこれまたユーモアに富んだ場面となる。

貢養子先での場<太々講>である。養父の孫太夫は留守で、弟の彦太夫(錦吾)の甥・正直正太夫(鴈治郎)が、孫太夫の娘を口説いたり、今田家の敵側から刀を手に入れば侍にするとの密書が届いていたため、貢の伯母・おみね(東蔵)がまだお金を払ってはいないが、青江下坂を持参していたのを、手に入れようとする。その為、太々講の奉納金を盗んだりと大忙しである。そこには、油屋のお紺(壱太郎)も貢を訪ねてきていてややこしいことになっているが、伯母はお紺に貢のことを頼み、名刀・青江下坂のいわれを話す。この刀を手に入れた貢の父はその刀で人を斬ってしまい、子孫まで相性が悪い刀だから、心して扱うようにと伝え聴かす。

この刀のいわれと、お金も無いのに刀が貢の手に入るのが、ここでの面白さで、狂言回しが正直ではない正直正太夫の役どころで、あたふたと軽妙に鴈治郎さんは演じられる。

これで、貢と刀との関係、お紺との関係、万次郎との関係が明らかになり、後は、刀を早く万次郎に渡し、折紙を捜すことである。ここから、油屋の場へと移るのである。先は見えてきているのに、油屋の仲居万野がそこに立ちはだかってしまう。父がここ刀で人を斬ったのも、朋輩に罵らからであり、貢も同じ道を歩むこととなる。今度は、お紺の心を知らずに、衆人の中でお紺にまで愛想づかしをされたという義憤が加わり大勢の人を斬り殺す結果となってしまう。

お鹿の松江さんは、身体は女形としてはスムーズではないが、声が女形としても自然の声で台詞はよくわかった。お鹿の出をじっと待って愛想づかしの壱太郎さんの一途さがある。お岸の梅丸さんは、今度は健気に、貢さんの怒りを静めようとする。

貢は武士の出といっても早くに養子に出ているわけで、自然な身体の柔らかさの中に主に仕える志がうかがえる。魁春さんの万野とのやりとりも上手く相対している。伯母に刀のことを言われながらも、違う刀を手にしていると思っているわけで心ならずも妖刀に引きずられていく。

通しで観ることによって、油屋の場面の因果関係がより明確になった。お紺の愛想づかしも、<太々講>で伯母に認められ、ここで貢さんのために何かしなくてはとの想いがあったから、後でことの次第を話せばよいと考えたのであろう。しかし、刀への作用が違う方に傾いてしまうのである。貢と万野のやり取りにしても、可笑し味を誘い、この演目はそうした可笑し味を多く取り入れつつ終局にもってくるように計算されて構成されているのである。

国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(1)

「伝統歌舞伎保存会」という組織があり、初めて『研修発表会』(第16回)を観た。その月に公演されている演目を若手の歌舞伎役者さんたちが演じるのである。

10月の国立劇場『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』をまだ観ていないので、若手の役者さんのを先に観ることとなった。『研修発表会』の前に、<お楽しみ 座談会>があり、中村梅玉さん、中村東蔵さん、中村松江さん、中村壱太郎さん、中村鴈治郎さん、中村魁春さんが出席され葛西聖司さんの司会で文字通りお楽しみなお話しであった。

今回の『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』は、国立劇場では初めての上演で、二幕目の<太々講(だいだいこう)>は歌舞伎座上演から53年ぶりということである。鴈治郎さんによると、二代目鴈治郎さんの時には、<太々講>のみの上演が何回かあり、この場面だけでも観客に喜ばれていたようで、ただ、どのような音楽が入っていたのかなどの記録がないので、新たに作られていったとのことで、4代目を襲名された年に二代目の得意とした正直正太夫の役で演目を復活されての出演は興味深いところである。

<太々講>で、妖刀とも言える名刀・青江下坂のいわれも分かり、その場面が可笑しみのある一幕なわけで観た事のない者にとっては楽しみである。さらに、序幕も初めてである。東蔵さんが、この作品では一番多くの役を演じられている。松江さんが、お鹿をされるのには驚きである。立ち役のお鹿ではなく、女形のお鹿として田之助さんに習われたそうで、笑いをとるお鹿ではなく、貢を一心に思うあまりの可笑しさにしたいと語られた。

お紺の大役を受けて、壱太郎さんは、大詰の油屋のところだけの出と思っていたら<太々講>にもお紺が出てくると初めて知ったそうで、松江さんが国立劇場開場の年の生まれなら、その時壱太郎さんはまだこの世に登場していないのであるから、当然である。

魁春さんは、万野は自分の性格と似ているからそのままでやってますといわれたが、貢の梅玉さんから、もう少し強くでていいよとの注文もあったようである。梅玉さんは、襲名の時が貢の初役でそのときの配役の豪華も話された。葛西さんが、歌右衛門さんに強く出れたのは魁春さんだけだそうですがの問いに、魁春さんが父の意見が長くなったので、「もうわかりました」と言っただけですの答えに、梅玉さんは「とても言えません」。どなたも言えなかったでしょう。

今回の研修会でも刀のことがはっきり出てくることを前提に梅玉さんは指導され、江戸と上方とあるが、江戸のほうでやらせてもらいましたと。鴈治郎さんは、料理人喜助も演じられている。喜助が鞘を取り換えられた本物の青江下坂を貢に渡し、万野に刀が違うから貢を追いかけて刀を取り換えてくるように言われ、花道で「ばかめ」というところを「あほうよ」とだけ言わせてもらっていると。

1796年5月に起こった事件を題材に、7月には大阪で上演されている。凄い早さである。憧れの伊勢参りの場所が舞台であるから、江戸でも大阪の芝居の話が話題になったことであろう。人形浄瑠璃になったのは1838年だそうで意外と時間がかかっている。

<お楽しみ座談会>は、『研修発表会』、本公演を見るうえで大変参考になり、楽しかった。

 

 

歌舞伎座 10月『音羽嶽だんまり』『一條大蔵譚』

『音羽嶽(おとわがだけ)だんまり』。平将門に関連するだんまりである。音羽嶽の八幡神社に刀と旗が供えられる。その刀が平将門の遺品の名刀・雄龍丸(おりゅうまる)であり旗には、繋馬(つなぎうま)の印がある。その二品を、狂言師に化けた盗賊・音羽夜叉五郎(松也)が盗んでしまう。そこから、この二品を巡り、平将門の遺児・将軍太郎良門(権十郎)、妹・七綾姫(梅枝)、源頼信(萬太郎)保昌娘小式部(児太郎)、夜叉五郎、弟分・鬼童丸(尾上右近)、6人の奪い合いとなり、その見せ場が暗闇でのだんまりとなっている。

CD『歌舞伎下座音楽集成』によると、「音楽を主奏とした暗中の奪い合い、探り合いの立ち廻りの、パントマイムの一種。舞踏とは全く異なった動作美に加えて、衣装の引抜、ブッ返りの技巧を用い、同時に見得、型の静止美がある。」とある。

だんまりの見せ場の見せ所は薄かった。若手の役者さんで動きが良かったのは萬太郎さんである。体全体がバランスよく気持ちよく動いてくれた。松也さんは、上半身でのくねりが気になる。歌舞伎役者さんの場合、動きのバランス、動きの大きさを見せるめに、背が高くても低くても苦労する。先輩達から習い盗むしかない。

『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』。 阿呆の一條大蔵卿は、平清盛に破れ亡くなった源義朝の妻・常盤御前を妻としている。平清盛が常盤御前を寵愛したが、息子の重盛に意見され、歌舞音曲に現を抜かす大蔵卿の元へ押しつけたわけである。

源氏方のものは、清盛に寵愛され、さらに輿入れした常盤御前の行動が信じがたい。もし本心なら、打擲せずにはおけないと、吉岡鬼次郎夫婦が策をねる。そして、吉岡鬼次郎の妻・お京が狂言師として大蔵卿の屋敷に入るのである。この鬼次郎夫婦の菊之助さんと孝太郎さんが、源氏としての常盤御前に迫る気持ちがぴりっとしていて良い。

お京は白川御所の外<桧垣の茶屋>で大蔵卿の出るのを待つのである。なんとも上手い趣向である。誰が見てもよい場所で大蔵卿は狂言師を雇い入れるのである。舞台設定であるのに、大蔵卿の用意周到さのようにも思わせられる。そして大蔵卿の阿呆ぶりが衆人にも一目瞭然である。仁左衛門さんの大蔵卿は、公家の柔らかさと阿呆の気を抜いたところが一体となって、公家の阿呆とはこういうものであろうと思わせられる。屋敷へ帰る花道で鬼次郎の姿に気がつくが、表情も目線の強さも表さない。どんな視線になるかオペラグラスで見つめていたが変わらなかったので、そうくるのかと思った。

大蔵卿を取り巻く雰囲気がわかり、鬼次郎はお京の手引きで常盤御前の部屋に忍び寄る。今回この二人には緊迫感がある。常盤御前の時蔵さんも本心を隠し自分を打擲する二人の忠誠心にやっと威厳をもって本心を言って聞かせる。

そして、大蔵卿は平家の世を忌み嫌いつつ作り阿呆として、世渡りしていたのである。鬼次郎夫婦の出現によって初めて本心を現したということは、この夫婦に源氏に対する信頼をおいたということである。またこの夫婦も、大蔵卿の本心から源氏を思っていてくれる人がいるという大きな力を貰うわけである。

大蔵卿は本心を見せた後、また阿呆に返るのであるが、今回は本来の一條大蔵卿の公家の品格と位を見せての幕となった。武士の気概とは一味違う、公家としての仁左衛門さんの妙味を含んだ一條大蔵卿であった。

歌舞伎座 10月『矢の根』『人情噺文七元結』

『矢の根』二世松緑さんの二十七回忌追善狂言で、現松緑さんの曽我の五郎である。この五郎の動きは松緑さんの身体の中に、完璧に入っている感じでスムーズに動かれる。この動きを安心して見せられていると、少し五郎のヤンチャなアクセントが欲しくなる。稚気さが欲しい。台詞で工夫されているのかもしれないが、それが一本調子に聴こえる時がある。そこが松緑さんの稚気としての狙いなのかもしれないが。

十郎の藤十郎さんは、夢の中に出てきているのだと思わせる雰囲気である。手の動かし方の柔らかさ。短い出なのに十郎が夢の中にでてきていると考えなくても納得できるのである。それを観て、十郎が夢に現れた前後での五郎の気持ちのクッションが欲しいと思えた。

古い雑誌を読んでいたら(断捨離するべきが読んでしまった)、小沢昭一さんが「虎が雨」という文があり、 小学唱歌に「曽我兄弟」があったいう。♪ 富士の裾野の夜は更けて 宴のどよみ静まりぬ 尾形尾形の灯は消えて あやめも分かぬ五月やみ ♪ 十八年のうらみを果たしてから兄弟は討たれ、十郎の死を知って遊女虎御前の流した涙を<虎が雨>といって俳句の季語になっていると。

私も一句。「柴又を 番傘で去る 虎が雨」・・・アッ、これは「虎」ではなく「寅」か、没です。

そう言えば、五郎の台詞や大根をムチにして兄救出に馬を駈けさせる五郎には、寅さんに通ずる可笑しさもある。

『人情噺文七元結』こちらも二世松緑さんの追善狂言である。左官長兵衛は菊五郎さんで、相手とのせりふの妙味で聴かせる芝居であった。女房お兼(時蔵)とのからみ、角海老女将お駒(玉三郎)からの諭しに対する会心、娘お久(尾上右近)との親子の情愛、自殺しかける和泉屋手代文七(梅枝)とのやりとり、和泉屋清兵衛(左團次)とのお礼のやりとりなど、それぞれに相対するところから浮かび上がる江戸っ子職人左官長兵衛の可笑しくも憎めない人間像を浮き彫りにしっていった。

角海老で足をしびれさせるところも大袈裟にはせず、和泉屋清兵衛との文七にやった50両のお金のやりとりも何回も固辞せずさらりっと納得して受け取り、笑いを強調するのではなく、貧しい中での江戸の庶民の人情をさらりっと表現した。

長兵衛の貧しさに気を効かす角海老手代藤助(團蔵)、店子の世話を焼く大家(松太郎)、ここぞという時に締める鳶頭伊兵衛(松緑)など役者さんもそろった。

文七の梅枝さんは、かなり主張の強い手代でおかしかった。主人に信用され仕事も完璧と思っていた若者の挫折から死しかないと思うとすれば、こうなるかもと思わせた。

お久の右近さんの長屋にもどった時の着物の柄が良かった。これはいつも決まっているのであろうか。今回どういうわけか柄に目がいった。角海老の女将がお久にあう着物を選んで着せてくれたと思わせるものであった。

ちょっとしたところにも、貧しいその日暮らしの江戸の庶民の交流が芝居の中にはあった。

 

 

歌舞伎座 十月歌舞伎 『阿古屋』

体調不良で街歩きには最適な季節なのに、用事が済めば、じーっと閉じこもっていた。『歌舞伎 下座音楽集成』という150種類に近い下座音楽が収録されているCDがありそれを聴いたりした。下座音楽というのは、舞台下手の黒御簾(くろみす)の中で場面に合った音楽を演奏していてくれて、そこから流れてくる音楽のことである。

例えば、<巽合方(たつみあいかた)>といえば、『髪結新三』の閻魔堂橋の場で演奏され、観客の耳に入ってくるということになる。こういうふうに、歌舞伎の場合この場面にはこの下座音楽が流れるとか決まっているのである。そのことが頭に入っている観客は相当の歌舞伎通である。

こちらは、役者さんが出てくればそちらの感覚が優先するから、どんな下座音楽であるかなど飛んでいる。そこで、流し聴きしようと考えたのである。ところが、次から次流れていくだけである。歌舞伎の役者さんたちは、この音楽はこの場面とそれに合わせて体も自然に動くのであろう。

聴いたことのある音楽もあるが、次々と流れるのを聴いていると退屈過ぎて飽きてしまう。そしてひらめいた。そうだ、ポータブルDVDプレーヤーで音だけ聴けばいいのである。これを購入すれば、映像を見る時間が増えすぎると控えていたのである。今、座ってDVDを観る元気はない。『阿古屋』のあの素晴らしかった三曲をDVDで聴けるだけでいい。

これが思いのほか成功であった。聴くことに集中できるのである。無理して小さな映像を見る必要もない。聴きつつ、生の舞台を思い出していた。やはり、生の舞台の空気や音は違うなと思いつつ。

『阿古屋』。浄瑠璃『壇浦兜軍記』全五段の三段目の<琴責め>の場だけが残ったのである。浄瑠璃の場合は、琴、三味線、胡弓を別々の奏者が弾くが、歌舞伎では、遊君阿古屋役者が三曲を唄いながら演奏するわけである。今の歌舞伎界では、玉三郎さんしかいない。

平家が壇の浦で破れ、源氏の世界となっており、逃げている平家の景清の行方をかつて馴染みのあった遊君(遊女)阿古屋に景清の行方を詮議する場面である。詮議をするのは、秩父庄司重忠(菊之助)と岩永左衛門(亀三郎)であるが、岩永左衛門は阿古屋を拷問にかけると主張するが、重忠は琴、三味線、胡弓の三曲を弾かせて景清の行方を阿古屋が知っているかどうかを調べるという。拷問強硬派の左衛門は人形振りである。ここが、この芝居の摩訶不思議なところであるが、三曲を弾かせて阿古屋の心の中を覗くというのであるから、これもまた奇想天外である。そのお陰で、観客は阿古屋役者さんの芸のしどころを堪能できるわけで至福の時間である。

阿古屋の玉三郎さんは出から大きく、さらに、火責め、水責めなどには耐えられるが、重忠の情けには心も砕けるから、殺してくださいと身を投げ出すところは覚悟のほどが知れる。その阿古屋に三曲弾かせ、阿古屋は景清の行方を知らない。なぜなら、どの楽器を弾いても、その音締めに狂いがなく、知っていれば心乱れて音も狂うであろうとの重忠の判断である。

阿古屋は、重忠の本心を知らないから、弾きつつ景清との逢瀬が思い出され、ふーっと遠くを見る視線になったり、心が余所にむく素振りなどが微かに匂う時もあるが、しっかりと三曲の腕をみせるのである。玉三郎さんの三曲のコンサートとも言える場面である。聴き惚れていた。途中で入る拍手も邪魔なくらいである。

唄いつつ弾きつつ想いつつの芸の見せ所。重忠から景清との成り染を尋ねられて答える台詞。その台詞がまた上手くできていてる。平家全盛の頃、景清が尾張から清水に毎日参拝にきて五条坂を通りそこで逢うのである。

互いに顔を見しり合い、いつ近付きになるともなく、羽織の袖のほころびちょっと、時雨(しぐれ)のからかさお易い御用。雪の朝(あした)の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒(ささ)一つ、こつちに思へばあちらからも功徳(くどく)は深い観音経。普門品(ふもんぼん)25日の夜さ必ずと戯(たわむ)れの、詞を結ぶ名古屋帯。終わりなければ始めもない。味な恋路と楽しみしに、寿永の秋の風立ちて、須磨や明石の浦船に、漕ぎ放れ往く縁の切れ目、思い出すも痞(つかえ)の毒。

 

語り終わり恥じらいを見せる阿古屋。身体を張って殺せと言った阿古屋とは思えぬ阿古屋の一面である。

これだけの阿古屋の玉三郎さんに対し、菊之助さんと亀三郎さん、玉三郎さんに位負けしているかなという感もあるが、重忠の品格のそなわり、美声を押し込めての人形振りの可笑しさの左衛門と、お二人とも初役としての形は見せられた。

聴いてたDVDは、歌舞伎座2002年(平成14年)で、阿古屋(玉三郎)重忠(梅玉)左衛門(勘三郎)である。

 

歌舞伎座 十月歌舞伎『髪結新三』

今月は<二世尾上松緑二十七回忌追善狂言>とされる演目が三つある。『矢の根』『文七元結』『髪結新三』。

京都千本閻魔堂のからみで『髪結新三』からとする。松緑さんの新三には、すさみがある。<深川閻魔堂橋の場>では、今までだれも見せたことのない、すさみからくる一か八かに生きるはぐれものの狂気をみた。腕の入墨の二本の線がくっきりと目につく。かつては、羽振りをきかせた弥太五郎源七(團蔵)を鼻からバカにしてかかり、弥太五郎源七もこわっぱの新三めという憎さが現れていた。

<深川閻魔堂橋の場>は、お付き合いといった感じがあるが、今回は、月代を伸び放題にした新三のすさみが一層協調され着物の着方もよく、対する團蔵さんも殺気がある。新三という人物がいかに世の中からはぐれて自分の価値観だけで生きてきた男であるかがわかる。ここで殺されても仕方のない男と思わせられた。

こう思わせる新三の描きかたが、悪を格好良く見せる歌舞伎の様式美からすると異論のでるところかもしれない。

一つ問題は、これだけのすさみを出すなら、店を持たずに出張して髪を結いを生業とする、腰の低さと客に取り入る明るさが欲しい。新三というのはその辺りが上手い人間と思っている。ところが相手が利用価値のない人間となるところっと変わるのである。松緑さんは、その辺りの高低さが低い。予想がついていても、親切そうな新三がと、忠七との花道から驚かせてくれなくてはならない。その点、時蔵さんの忠七は、私が悪かったと新三の本心がわからず、新三の機嫌を損ねないように取り入り次第に騙されたのかという状態を上手く演じられていた。

<深川閻魔堂橋の場>の新三の台詞が気に入ったので記す。

ちょうで所も寺町に娑婆と冥土の別れ道 その身の罪も深川の名さえも閻魔堂と鬼といわれた源七がここぞ命の捨てるのも 我鬼より弱い手業(しょうべえ)の地獄のかすりを取った報いだ おれも遊び人 釜とはいいながら 黒闇地獄(ごくあんじごく)のくらやみでも亡者(もうじゃ)の中の二番役 業(ごう)の秤(はかり)にかけられたらば貫目の違う入墨新三 こんな出合もその内にてっきりあろうと浄玻璃の鏡にかけて懐に隠しておいたこの匕首(あいくち) 刃物があれば鬼に金棒 どれ血塗れ仕事にかかろうか

今までにない新三の命の張り方を松緑さんは見せた。この命のやり取りは途中で幕となる。話としては、新三は弥太五郎源七に切り殺され、大岡裁きとなるのである。

粋がっているが、新三ははぐれ者である。そのすさみ部分の出し方はここでもかという感じがあり、そこを上手く粋さと組み合わされば、他では見られない松緑さんの新三になるであろう。この歩合をどう持っていくかが秤のかけどころである。

難しいだけにやりがいのある黒闇役者道である。

(体調がすさんでいて、気は焦るが良い思案が浮かばない。これにてチョン!)

新橋演舞場 『ワンピース』

『ワンピース』をはっきり耳にしたのは、国立劇場での歌舞伎のとき、観客のご婦人が「若い人が『ワンピース』がお面白いというが、どこが面白いのでしょうかね。」との会話を耳にしたときである。若い人にそんなに人気があるのかと印象に残った。

猿之助さんが『ワンピース』をすると聞いた後と思うが、伊賀に行って忍者屋敷に行った時購入した『忍者の教科書』の後ろに「『NARUTO』と『ONE PIESU』」(吉丸雄哉)の一文が載っていた。この2つの漫画は世界で多くの人々に読まれているらしい。

『NARUTO』は、うずまきナルトという少年忍者の戦いと成長を描いた忍者漫画で、ハリー・ポッターシリーズに似ていて、『ONE PIESU』は、海賊の少年モンキー・D・ルフィが“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を求めて大海原を巡る冒険漫画で『トム・ソーヤの冒険』に似ていると説明されている。そうか、冒険物語なのかとその程度までしか押さえず、<スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース>を愉しむこととなる。とにかく生の芝居で勝負である。

チラシから、どうやら仲間がいるらしく、それぞれのキャラを駆使して冒険が進むのであろうと想像する。麦わら帽子も気になっていた。映像を使い影絵のように麦わら帽子もひらひらと飛んでいる。<母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね>ではなかった。男の子は誰かにその麦わら帽子をかぶせてもらう。これは最後のほうでわかる。気にかけて置いて良かった。

ルフィの八人(七人と一匹かな)の仲間が、白浪五人男よろしく自分の特技を披露しつつ見得をきるが、覚えてられないので、紫おネエ、ピンクおネエ、グリーンヘアー、骸骨、ピノキオ、イケメン鬼太郎、白リボン、おちびちゃん(のちにトナカイちゃん)と命名する。この連中が冒険をしていくのであろうから、そのうちキャラもはっきりしていくであろう。

大きな権力組織があって、人間以下と判断した者は奴隷にして、その印を背中に烙印する。人魚が売買されるのを助けるために現れた仲間とルフィは熊チョップで飛ばされてしまう。『阿弖流為』の熊子ちゃんは今大阪です。(頑張ってね)鳥のフンのようにルフィが落ちてたどり着いたのは、女だけの住む島であった。女王は、訳ありの三姉妹の一人を姫としている。この姫がルフィに恋をする。ここでルフィの性格や弱点や闘争心や自由を求める心や様々なことが明らかになってゆく。そして、兄が捉えられ公開処刑になることを聞き、兄を助けるため兄の捕らえられている監獄へと侵入する。「監獄ロック」は無かった。ピッタリの舞台雰囲気だったのにそれどころではなかった。

兄・エースは生まれがわけありで(ルフィもわけありである)そのことを利用され、父として慕う白ひげ海賊の白ひげは、子供として育てた子分に刺されてしまう。白ひげの親分、知盛みたいに血だらけでエースのために戦う。

この監獄には隠れ場所がありそこは、おかまの世界であった。そこにも自由を愛する人々がルフィを助け仲間となってくれ一緒に戦ってくれる。例の勝手に命名した仲間8人は無事ではあるが遠くにいて会えない状態である。(よかった。これで連中がでてきたらややこし過ぎて頭の中パニックである。)ルフィは偏見というものがなく、だれでも仲間にしてしまう何かがある。

監獄所長や副署長、さらに海軍などと、エースやおかまの皇子様(勝手に命名)やおかまのルフィのダチやルフィらとの闘いがくり広げられる。ここでの、本水使いは、むち打ちにならないでと心配になるくらいの水の量である。旗を使っての動きや、黒衣ならぬ赤衣さんたちの動きもよい。やはりエースは、かつて泣き虫だったルフィを守ったように、今また自分の命をかけてルフィを守ってくれた。白ひげがエースを守ってくれたように。

海軍は、海賊白ひげの援軍として来た他の海賊船の勢いから休戦とする。

ルフィにとっての兄・エースと父・白ひげの死は、ルフィから全ての力を奪う。皆に励まされ、麦わら帽子をくれた人から、もっと成長したら麦わら帽子を返しにくると約束しただろうといわれる。僕は仲間がいなくてはダメな人間だが、8人の仲間とは2年後に大きく成長してから合うと大海原へと向かう。ワンピースを捜し当てる冒険の旅への海賊の船長としての力をつけるために。

最大の見せ場はルフィのサーフィンボードに乘って空中波乗りである。一番気に入ったのがクジラくん。クジラくんの存在は大きい。ただゆらゆら浮いているだけなのに、クジラくんがいるのといないのとでは空間が違ってしまう。クジラくん大当たり。

家族愛、仲間の絆、偏見のない心、自由を求める心、冒険心など、船長のルフィは傷つきながらも灯りをともしていくのであろう。

歌舞伎関係の人でも解かるのに時間がかかった。役が多いようなので、話しについていけるかどうか心配したが何んとかついていけ、後半からは楽しむ余裕も出来た。ただし役名は覚えていられないので、勝手に命名して進んだ。(竹三郎さんがお元気で出演され良かった。声ですぐわかった。)一旦8人の仲間から離れ、兄・エースを助ける話しに進んだので、ルフィのことも浮き彫りとなり、夢は大きいが仲間がいないとダメなさびしがりやのルフィを印象づけられる。

観る方も、観る冒険に旅立ち波は高かったが何んとか捉えられたようである。主題歌を歌って空中波乗りを応援できたらもっと楽しさが増すかも。

2年後に船長ルフィと仲間が船出できることを祈る。

原作・尾田栄一郎/脚本・演出・横内謙介/演出・市川猿之助/スーパーバイザー・市川猿翁

出演・市川猿之助、市川右近、市川笑三郎、市川笑也、市川猿弥、市川男女蔵、市川春猿、市川寿猿、市川竹三郎、市川門之助、市川弘太郎、坂東巳之助、中村隼人、福士誠治、嘉島典俊、浅野和之、市川欣弥、市川段之、市川蔦之助、市川門松、坂東竹之助、市川笑野、市川猿三郎、市川猿紫、市川猿四郎、市川喜猿、市川喜昇、穴井豪、石橋直也、市瀬秀和、井之上チャル、三笠優 (書ききれない人数)

パンフレットを読んでから観るか。観てから読むか。後者を選んで良かったと思う。女だけの島の女王としたのは間違いで、島を取り仕切っているおばばさん(ニョン婆)であった。衣装が女王とは言えないので迷ったが、島の実質的采配者と理解したので女王としてしまった。というわけで細かい点での間違いはあるが、勝手にクリアしたこととする。こちらの紹介には登場していない沢山の面白いキャラがあるが、それはパンフを見つつ、ウシシシシ~と楽しんでいる。

ペリー荻野さんは、海賊をキーワードにその関連の本や映像などをあげられ、やはりこれは読まなくてはならない運命かとか、この映画再度観る必要ありなどと、チェックしつつグリコ現象である。

 

京都魔界めぐりの旅(2)

<千本ゑんま堂・引接寺(いんじょうじ)>のある千本通りは、かつての朱雀大路で羅城門から朱雀門までを貫いていた。朱雀大路の西側は水はけが悪く、疫病も蔓延し、船岡山の西嶺は<蓮華台>と呼ばれる葬送の地であった。死者を弔う無数の卒塔婆が立てられたことから、千本通りと言われるようになる。都の中心は東に移り、朱雀門も荒廃し鬼の出没する場所となる。

<千本ゑんま堂>のしおりによると、小野篁(おののたかむろ)は、この世とあの世を行き来する神通力を持っていて、昼は宮中、夜は閻魔庁に仕えていた。閻魔法王より現世浄化のため亡くなった先祖を再びこの世へ迎えて供養する「精霊迎え」の法儀を授かり、篁自ら閻魔法王の塔を建立したのが始まりとされる。

旧盆には、水塔婆を流し迎え鐘をついて、その音にのって閻魔様のお許しを得て帰ってこられる「おしょらいさん」を、お仏壇の扉を開いてお迎えするのである。

ここには紫式部さんの供養塔もあり、紫式部さんと小野篁さんのお墓は、北大路堀川に並んであるらしい。不思議なつながりである。

そのほか、京都三大念仏狂言の一つ<ゑんま堂狂言>があり、春には花冠のままぼとりと落下して散る<ゑんま堂ふげんざくら>が咲く。堂のおもむきは地域に親しみを込めてにらみを効かす閻魔大王様といった感じである。

今月の歌舞伎座『髪結新三』では「深川閻魔堂橋の場」がある。<深川閻魔堂>へはまだ行っていない。行かなくては。

<白峯神宮>へ行く途中で、<京都市考古資料館>があり入館してみた。係のかたがこちらの時間にあわせて資料の説明をしてくれた。ここでは来館した人で希望者に、一人4コースの、京都歴史散策マップをくれる。40コースあって、選ぶのに迷ってしまった。コースの地域で発掘された遺跡と、裏には散策地図がのっている。近ければすべて手に入れたいが残念である。

白峯神宮> 明治天皇が崇徳上皇の霊を鎮めるために創建された。崇徳上皇は不義の子とされ、父・鳥羽法皇にうとまれ、父の死後、後白河天皇と対立し保元の乱がおこり、後白河天皇に負け、讃岐に流されて亡くなる。

ここは、蹴鞠(けまり)、和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅のあったところで、蹴鞠は落とさない競技なので、球技や学業の神様とされている。蹴鞠がはめ込まれた<蹴鞠の碑>がある。

晴明神社> 安倍晴明さんは陰陽寮の最上位になったのは57歳で、85歳で亡くなっている。当時としては驚異的長寿といえるであろう。初めて訪れたときは他の有名な神社に比べると狭いのでがっかりした記憶がある。一の鳥居の中央には五芒星が掲げられている。五芒星は晴明桔梗とも言われるらしい。晴明が操った式神の石像、五芒星のしるされた石から流れる晴明井戸や晴明像などがある。<千利休聚楽屋敷趾>の碑があった。晴明神社の地に千利休の屋敷があり、晴明の井戸の水を茶湯に使ったとされる。利休さんこの屋敷で切腹したのでしょうか。そうだとすると、利休さんの映画の場面の見方にこの地が加わってくるが。

一条戻橋> 葬送の際に遺体を運ぶ橋であった。現世と来世をつなぐ橋といわれ、歌舞伎の演目にもあり沢山逸話が残されている橋である。この橋の上で死からよみがえった人もいて、それから戻橋といわれる。堀川に架かるコンクリートの短い橋でそんな力のある橋とは思えない。晴明さんはこの橋の下に式神を隠していたとも言われている。今はこの橋の下が川に沿って遊歩道となっていて、時間があれば歩いてみたい場所である。どこに通じているのか。

この近くに「樂美術館」があった。一度は訪れたいと思っている美術館の一つである。

最終地のは<下御霊神社>である。ここは、桓武天皇の第三皇子・伊予親王が謀反の嫌疑をかけられ、母と共に服毒自殺をされ、その霊を鎮めるために祀られている。

あの世とこの世を行き来するということが異形のことで、それを鎮めたり、あるいは、一年に一度この世にお迎えし、またお送りするといったことには、異形とはならないようにとの願いと祈りがあるようである。

<上御霊神社>→<船岡山公園>→<千本ゑんま堂>→<京都市考古資料館>→<白峯神宮>→<晴明神社>→<一条戻橋>→<下御霊神社>

 

京都魔界めぐりの旅(1)

雑誌の<京都魔界巡りガイド>に3コース載っていた。2つのコースは行っていない個所が一箇所で、選んだコースは行った個所が一箇所である。

下御霊神社 → 一条戻橋 → 晴明神社 → 白峯神社 → 千本ゑんま堂

すでに訪れているのは、晴明神社である。ただその頃は『陰陽師』に興味がないから、単なる見学である。さらに、最後に 上御霊神社 を加えた。これで、南、西、北と御所を中心として周ることになる。

<京都観光一日乗車券(二日)>を購入。これは京都市バス全線、市営地下鉄全線、京都バスが乗れる。バスだけ、地下鉄だけの一日乗車カードもある。小銭の用意をしなくてもよいのが助かるし、場合によってはお得度も高い。しかし地下鉄など出口によっては進む方向性をつかめなくなるときがあり、出る前に確かめるがそれでも迷うことがある。方向音痴らしい。

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)>。謀略などで命を奪われた魂は御霊になるといわれ、この高貴なかたが謀略の御霊を鎮める御霊信仰の始まりは<上御霊神社>からで、早良(さわら)親王の御霊を祀ったのがおこりである。早良親王は崇道(すどう)天皇の尊号を追贈されている。その他にも憤死した方々の御霊が祀られている。驚いたことに、ここは<応仁の乱>勃発の地であった。いやはや先人も静かには眠っておられません。

そしてここに晴明心の像がありました。違いました。<清明心の像>でした。中国宋代の学者・司馬温公が子供のころ、一緒に遊んでいた子供が、水の満ちた大甕に落ちてしまった。すぐさま大きな石で甕を割り友人を救ったということから、物より命が大切の心ということらしい。機転の早い子がそばにいてくれて良かった。

次に<千本ゑんま堂>に行こうとバスに乘ったところ、<船岡山>という停留所があり下車する。船岡山公園となっていて、その上からは、思いがけず五山送り火の左大文の<大>の字が見えた。こういう出会いは声が出てしまう。

「今より千二百年の昔、京都に都がさだめられる際、船岡山が北の基点となり、この山の真南が、大極殿、朱雀大路となった。これは、陰陽五行思想、風水思想に基づいて、船岡山は大地の気が溢れ出る、玄武の小山であるとされたためである。」

応仁の乱の際にこの山が西軍の陣地となり、この周辺を西陣とよんだ。そうなんだ。西陣織りの生まれたところと思っていたが、元をただせばそいうことなのだ。ここに建勳神社がある。秀吉はここに信長の御魂をまつろうとし、それ以来信長公の大切な地とされ、明治天皇が創建された。<人間五十年 下天の内ををくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか>の織田信長が舞った「敦盛」の一節の碑もあった。

さて、<千本ゑんま堂>へと思っても道がわからず、地元の人に尋ねて歩いて行くと<長岡温泉>があった。ここであったか。雑誌で、京都の銭湯の一つとして紹介されていて頭に残っていた。銭湯は庶民のお風呂で、京都といえども同様である。ホテルのバスルーム兼トイレの狭さがいやで、近くに銭湯がある知ると利用することがある。猫ぎらいは行けそうにないような、猫だらけ銭湯もあった。バスルーム兼トイレは、東京オリンピックのとき考え出されたそうである。ホテルも大浴場ありだと嬉しい。疲れの取れ方が全然違う。とにかく、<長岡温泉>見つかり、大地の気も踏んだのである。

千本ゑんま堂>無事到着。雑誌のガイドとは反対に進んでいる。深く考えなかったが、こういう魔界巡りの場合、巡る方角など決まりがあるのであろうか。いまさら考えても遅いし、これからも考えないことにする。平安のころは、方角が悪いとして方違い(かたたがい)と称し、出立位置を違う場所に変えて、それから出立したりしている。時々それを言い訳に平安の色男たちは、恋人を訪ねてくるのが遅かった理由にしている。ゑんま様には効き目が無い。