加藤健一事務所『女学生とムッシュ・アンリ』

フランスのコメディーである。時間が経ったが書いていなかったので。映画『母と暮らせば』を観て思い出した。

ムッシュ・アンリは老人である。老人のところへ女学生がルームメイトとして住み込むこととなる。アンリ老人の息子・ポールが、一人住まいの父を心配して貸部屋の広告を出したのである。

偏屈で頑固そうなアンリ老人(加藤健一)。女学生・コンスタンス(瀬戸早妃)は、部屋を借りたいとアンリ老人を訪ねて来る。断るアンリ老人。コンスタンスは根本に老人は偏屈で頑固という固定観念があるのであろうか、めげずに食い下がる。ついにアンリ老人は条件を出す。

アンリ老人は息子の嫁・ヴァレリー(加藤忍)が嫌いである。そこで、コンスタンスに息子・ポール(斉藤直樹)を誘惑してくれるならと条件を出す。ポールとヴァレリーの間に亀裂を生じさせ、二人を別れさせたいのである。

最初からとんでもない発想が出てくるものである。

コンスタンスは、躊躇するが、引き受ける。誘惑するふりはするが、それで息子夫婦が別れるかどうかは別の問題としている。コンスタンスが誘惑したとしても、それにポールが誘われるかどうかもわからないのである。

ポールがヴァレリーを伴って食事にくる。舅のアンリ老人が嫁のヴァレリーを気に入らないのはポールもヴァレリーも承知している。何んとか食事の間だけでもとおもうがギクシャクしてしまう。

アンリ老人は、コンスタンスに頼んだことに一層執着し、力を入れ、息子の好きなものを教える。

コンスタンスは、ポールの好きな物を有効に使い、ポールは偶然にも自分と同じ好みの女性として、少し心惹かれたようである。喜ぶアンリ老人。

アンリ老人の妻が弾いたピアノがあるが、ピアノの蓋を開けさせない。奥さんは、お酒を飲み窓から転落していたのである。ピアノによって奥さんの思い出にふれるのがいやだったのである。

コンスタンスは本当は音楽関係の学校に行きたいのであるが、父に反対され違う方向に進もうとしていた。自分で作曲した曲をピアノで弾く。

それを聴いていたアンリ老人は、コンスタンスに自分の進みたい道へ進むように進言する。コンスタンスもその気になり音楽学校の試験を受けることにする。

ポール夫妻には、赤ちゃんができた。アンリ老人が、あの嫁の子供などは見たくないとまでいっていたのであるが、ポールは、コンスタンスに誘惑され、その燃える気持が妻の方にいったのであ。

アンリ老人の策略は全く逆作用となってしまったのである。

時間が経過し、コンスタンスがアンリ老人を訪ねると、アンリ老人は亡くなっていて、ポールが荷物をかたずけている。コンスタンスは、試験に落ちたのであるが、受かったと嘘をついていた。アンリ老人は最後は、全てを認め安らかに旅立っていたことを知る。

コンスタンスは、もう一度、試験を受けることを決心するのである。

収まるところへ収まるのであるが、アンリ老人は、最初から妥協はしない。嫌なものは嫌なのである。それに対し思いがけない発想をするが、その逆転の結果に対しては受け入れたようである。いや、結果的には親を乗り越えて進む道を切り開いてやったともいえる。

アンリ老人の荒療法は、若い人たちへの後押しとなったのである。

この荒療法は見ている方は怖い者見たさではないが、ポールが誘惑され次には気分も乘って、若い格好をして現れたり、アンリ老人がしてやったりと喜んだり、コンスタンスが偶然のようにポールの気持ちを引きつけたり、ちょっと嫌われるタイプかなと思わせるヴァレリーなど、コメディーならではの役者さんによってつくられる笑いが沢山である。

アンリ老人の突飛な発想には笑うしか付いて行けないのである。まさか、アンリ老人が亡くなって皆に倖せを残すなどとは考えられなかったのである。

そして、コンスタンスの瀬戸さんが実際に弾かれるピアノ曲(鈴木永子作曲)も素敵なのである。あのピアノ曲で浄化されたのであろうか。

『バカのカベ~フランス風~』もそうであるが、フランスのコメディーは、人の見方が結構きついところがある。グサッときて笑わせるのがフランス風であろうか。

映画『母と暮せば』を観ていても、あの上海のおじさんの戸を閉めてからの一言が加藤健一さんの間だなと思わせられた。あのとぼけた間で笑わせるのである。

作・イヴァン・カルベラック/翻訳・中村まり子/演出・小笠原響

劇中『ケセラセラ』の歌が流れたが、ドリス・ディであろうか。帰り道メロディーを口づさんでいた。紀伊國屋サザンシアターから新宿の南口のイルミネーションが人も少なくおとなしめなのがいい。帰ってからブレンダ・リーのCDで聞いた。

汐留のビルに挟まれたイルミネーションを<闇>歩きで観たが、闇歩きの達人・中野純さんが、実際のけばけばしいイルミネーションではなく、ビルのガラス窓に映る柔らかな光のイルミネーションを見てくださいと言われた。なるほど、実物はよくみると一つ一つの灯りがきつい色をしている。月でも実物よりも何かに映るほうを愉しむ心である。

いろいろ愉しませてもらったり考えさせられた一年であったが、2015年の最期はコメディーで締めるとする。

 

 

映画『母と暮せば』

映画『母と暮せば』を今年中に観ておきたかったので、朝イチで観る。多くの若者と同じ映画館の階でエレベターを降りる。彼らは『スター・ウォーズ』であろう。

やはり今年中に見ておいて良かった。どうして12月の公開にしたのか疑問であったが、それには意味があったのである。

長崎に原爆を投下する、アメリカの飛行機の中から映画は始まる。天候が悪く、第一候補の小倉から長崎に変更される。レーダー関知ではなく目視確認で投下せよとのことで視界は雲で覆われている。目視できなければ中止との命令である。

ところが一瞬雲が切れ長崎市街が眼下に見える。

青年は長崎大学の医学生である。教室でインクの瓶のキャップを取り、大事にしている万年筆にインクをつける。光とともにインク瓶は軟体物のように、変形していく。

それから3年、青年は、あちらの世界から母の前に姿を現す。

映画『父と暮らせば』は、広島の原爆で生き残った娘のところへ死んだ父親が現れる。生き残ったことに罪悪感を持っている娘を、その状況から救い出し父親は姿を消す。

『母と暮らせば』は、やっとのおもいで生きている母親が、死んだ息子の魂を鎮めてやる役割となる。母にとって、息子があちらの世界でもし生きていると同じ感情があるとすれば、自分の死に対してどう思っているかということが気がかりなことである。クリスチャンの母は息子の死を運命とは思っていない。それは、人が考え計画した理不尽な死と考えている。

おしゃべり好きで明るい息子は、母との会話で自分にとってつらい悲しいことがあると消えてしまう。そのことを知っていながら、母はつらくて悲しいことがらにも触れる。

あの子のことである。必ずまた会いにきてくれると信じている。母は死んだ息子を導いてやるのである。そのことを成し遂げなくては、息子の魂は鎮まらないと考えているようにみえる。

母は息子と共に、最後の人ととしての仕事を成し遂げるのである。

息子の浩二役の二宮和也さんの少し幼い感じが、亡くなって三年経って、その間生き残った人々の試練に耐えている時間差の違いが上手く表れていた。

吉永小百合さんの母親は、その幼さの三年間を埋めてあげるように、浩二と会話していく。最初は、ただ会えることに喜びを見出して思い出話などをしていると思っていたが、途中から死した人でありながら、この母親は失われた三年間の息子の成長に手を貸しているのだと思えた。時には優しく、時には凛として、時には笑顔で。そうすることが、息子の魂を鎮めてあげることなのである。

そう思えた時からは、もう涙、涙であった。

生と死の間での濃密な母と息子の時間である。こういう関係もありなのである。山田洋次監督の優しさである。さらに山田監督は、その濃密な時間を共有してしまった人に、さらなるつらい過酷な時間をこれ以上与えてなるものかと一つの結論を与えた。山田監督流のいたわりであろう。

浩二の恋人役の黒木華さんの己の内面の成長ぶりがホッとさせつつ心に沁みる。そこに加わる婚約者の浅野忠信さんの誠実さがしっかり前を向いている。

本当にいい人なのかどうか、ちょっと疑ってしまう闇物資ブローカーの上海のおじさんの加藤健一さんの存在も無理が無い。

ところどころで、台詞に想像力が加わる。生徒が傘がなく学校に行けないと泣くので先生が生徒の家によって傘に入れてあげる。この先生が浩二の恋人の町子なのであるが、<栄養失調で抵抗力がない子が多く、雨で風邪などひいては大変なので学校は休んでいいというのですが>というところがある。これは、戦後の当時の子供たちの切実な状況を現していると思えた。

浩二は映画監督になりたいと思った時もあって、映画を観て来たと母につげる「どんな映画。」「イギリスの『ヘンリー五世』。」「お母さんが近頃観た映画は何。」「『アメリカ交響楽』。」「ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」いいよね。どうしてアメリカはあんな良いものを作りながら、あんなことも出来ちゃうんだろう。」

私だってアメリカの映画や音楽などを楽しんでいる。でもどうしてなのであろうか。戦争となると、無抵抗の市民の命をも簡単に奪ってしまうのである。だから全面的には信用はできないのである。

目をしょぼつかせて外に出ると、買い物客で賑わっている。三人ほどの友人や知人に遭遇する。

映画を観て来たことを告げると、余裕だねと言われたり、観たいと思って居るんだけど年末に入ったからね、さすがやりたいことは朝のうちに済ませたのねなどと言われる。

夜中にもう一つやることがある。『アメリカ交響楽』を観る事。

 

新橋演舞場『舟木一夫特別公演』(2)

至極気ままなな小吉さんを舟木さんは楽しんで演じられていた。

武士ではあるが、気ままに生きており、江戸の市井の人々との交わりのほうが多いのであるから、どの方向性の台詞でいくかは難しいところではある。小吉さんの父(北町嘉朗)や兄(林啓二)等との対応の時とやくざに対するときの違いがもう少し台詞の調子の上で明確になったほうが、小吉さんの人としての面白さも増したように思う。座敷牢の場面は、喜劇性が加わりどんな時にもへこまない小吉さんとして良い場面となった。

気がつかなかったが、右腕を故障されたということであった。立ち廻りにはそれは影響していなかった。着ている女物の小袖を使ったり、当て身であったり、きちんと刀を返されて峰内ちであったりと基本は崩されてなかったと思う。千穐楽であるから息もあって、周りのかたがそれとなくカバーされていたのかもしれない。こういうときにやられ役の役者さん達の判らないところでの技の使いどころである。

小吉さんとほどよいコンビの英さんが、新派の女形をたっぷり久しぶりに見せてくれた。葉山さんは、おばばさまから小吉さんを解放し、出かけて行く小吉さんをうっとりと見つめ、密かな自負と爆発の心意気をみせた。

水谷さんは、小吉さん対抗する憎まれ役を貫禄をもって貫き通し、孫可愛さの祖母の弱さを上手く露呈させた。

林与一さんは小吉さんとのあうんの呼吸で、美しい立ち廻りにも花をそえられ、乞食のあにさんから顔役への変化がいい。曾我廼家文童さんが易者の口上など大阪弁の話術を上手く使い、場面転換のきっかけもつくり、風邪もまき散らしていたような疑いあり。

笹野高史さんがテンションアップのナレーションで、小吉さんのきままぶりを呆れつつも結果的にはあおりたてていた。

コンサートは、<雨>がテーマだそうで、舟木さんの持ち歌ではない歌であった。舟木さんがこだわっての並べ方のようである。ラストの「思案橋ブルース」「長崎は今日も雨だった」が印象に残っている。アンコールが、舟木さんも名曲ですと言われていたが「黄昏のビギン」である。この歌はいい。ちあきなおみさんの声のが好きなのであるが、舟木さんのも悪くなかった。好きな曲が聴けて満足である。

さて、本所といえば、本所の銕こと長谷川平蔵さんがいる。時代的な関係を調べたら、長谷川平蔵(1746~1795)、勝小吉(1802~1850)で、平蔵さんが亡くなって七年後に小吉さんが生まれている。勝海舟と西郷隆盛の薩摩屋敷での会談が1864年で、小吉さんが亡くなって14年後である。

本所という場所の空気が両国橋を渡ることによってお江戸とは違う型破りな人物を生み出したのであろうか。そして勝小吉さんも一つの時代の申し子だったというふうに言えるであろう。

12月14日の夜から朝にかけて両国から泉岳寺まで歩いたが、両国の吉良邸跡と小吉さんが住んで居て麟太郎君の生まれた場所は近い。両国橋の本所側と日本橋側には江戸時代には広小路があり賑わっていた。小吉さんもこの辺りで露店を開いたのかもしれない。

かつて両国橋はもっと川下にあった。闇歩きは両国橋下に行き、かつての橋の架かっていた場所へゆく。雲が多く、月の明かりは無い。左手上に現在の両国橋。前方には柳橋の灯りが見える。写真でみると川面に映る柳橋の灯りの色が実際よりきつい色になってしまった。柳橋は小吉さんのこれのあれのこれとわけあり場所である。

新橋演舞場の帰りに築地の市場から汐留まで歩いた。赤穂義士の道である。築地市場は来年は豊洲に引っ越し、今年が最後の年末である。銀座周辺からまた一つ歴史が消えてしまう。早朝3時前に築地市場のそばを歩けただけでも良かった。引っ越しまでに何回行けるであろうか。

江戸を出奔するたび、小吉さんは、浜松町の金杉橋からは旧東海道を通ったことであろう。そして後に自分の息子が江戸を守るために西郷さんと会談する場所などとは知らずに通過していたのである。もしかして、足跡をつけていたのであろうか。無意識の行動。

作・斎藤雅文/演出・金子良次/出演・舟木一夫、林与一、葉山葉子、北町嘉朗、林啓二、山内としお、坂西良太、小林功、真木一之、川上彌生、山吹恭子、矢野淳子、長谷川かずき、曾我廼家文童、英太郎、水谷八重子

 

 

新橋演舞場 『舟木一夫特別公演』(1)

『-巷談・勝小吉ー 気ままにてござ候』  千穐楽には、二部のコンサートが、それまでとは違う歌の構成との情報を得て、千穐楽の昼を予定にいれた。

芝居のほうであるが、勝小吉という破天荒の実在人物をモデルにしているが、昔ながらの痛快娯楽時代劇にしたかったようである。

小吉さん(舟木一夫)の周りには三人の女性がいる。まだいるらしいが姿は見せないので一応三人としておく。乳母のお熊さん(英太郎)と女房のお信さん(葉山葉子)とお信さんの祖母の環さん(水谷八重子)である。男谷家の三男坊の小吉さんは、お信さんと環さんの勝家に養子に入ったのである。三男坊であるから貧乏御家人といえども当時としてはありがたいことである。

ところが小吉さんは全然ありがたいなどとは思わない。自分の思うままに行動するのみである。そんな小吉さんを無償で後押しするのがお熊さんで就活のための挨拶廻り、吉原遊び、露店の道具売りの店番と、お坊ちゃまの行くところどこまでもついて歩く。さらには座敷牢の鍵までも手に入れて小吉さんに渡してしまう。

女房のお信さんは勝手気ままな小吉さんが好きであるが、いつもその想いは信用されすぎてか、置いてきぼりである。時には、我慢にも限度があって行動にでるが、また、置いていかれる。

祖母のお環さんは、勝家を立て直して欲しいと思って養子に迎えたのであるから、気ままな小吉さんなど気に入るはずもない。小吉さんのことを、散々あしざまに怒鳴り散らす。ところが、天はこの人を見捨てなかった。いや鎮まらせようとしたのか、優秀な孫を与えてくれたのである。

外での小吉さんは喧嘩三昧である。放浪時代に知り合った乞食のあにさん(林与一)と偶然にも喧嘩の場所であう。さらに、乞食のあにさんは吉原から両国へと渡り、言い顔役になって小吉さんと再会する。お互いに心の内はわかっているが、刀を持つと勝負したくなる性分である。

そんな男の世界にもお環さんは薙を持って介入する。丸く治めるのが8歳になった孫の勝麟太郎少年である。自分の着ている将軍家から拝領の葵のご紋の羽織の前に皆をひれ伏せてしまう。さらに麟太郎少年、おばあさまの心をしっかり掴んでいて、自分の父母の小吉さんとお信さんのまだであった祝言の許可をおばあさまから取り付けるのである。

小吉さん柄にもなく、未来を知っているのかどうか、俺の好きなお江戸を守ってくれよと麟太郎少年に託すのである。

麟太郎少年賢いので、自分がおばあさまのそばに居れば勝家は丸く治まっていると知っている。そんな孫が可愛くて イヒヒヒ と満足の環さんである。

桜の下で小吉さんとお信さん、皆に祝福され目出度く祝言となります。ここで芝居は幕ですが、あの小吉さんのこと、お信さんまた置いてきぼりにされる予感がしないでもありません。

復習アラカルト

12月の観て聴い読んでのものから、復習かつ手探りで進んだ。

『赤い陣羽織』の原作スペインの喜劇『三角帽子』のバレエ『三角帽子』の録画を捜したらあった。

2009年「パリ・オペラ座バレエ、バレエ・リュス・プログラム」として、『薔薇の精』』『牧神の午後』』『三角帽子』『ペトルーシカ』の四公演である。

バレエ『三角帽子』はスペイン喜劇らしく、フラメンコを取り入れている。振付はレオニード・マシーンである。粉屋夫婦と代官という設定である。初演の時、粉屋をマシーンが踊っており、古典とは違う画期的な振り付けとなっている。

代官を粉屋夫婦がやりこめてしまい、代官は仕返しに粉屋の主人を逮捕し、その間に粉屋の女房に言い寄るが橋の上から川に落とされてしまう。代官は粉屋の中で寝てしまい、兵士たちが逃げた粉屋と勘違いして代官を袋叩きにする。村人たちと粉屋夫婦がともに悪徳代官として踊りつつ、代官の人形を放りあげる。

バレエは物語としてのストーリーがあるが、踊りが見せ場なので、所々に、ここは踊りを楽しむという場面がある。村人の群舞でもそこに幾組かの主軸があったりして、芝居のストーリー性に慣れているとどういう関係なのかと何処かで考えていて愉しみ逃してしまうことがある。

バレエという舞踊を見せるためのストーリーと思った方がより楽しめる。この作品ではさらに、スペインという設定を生かす為であろう、フラメンコを取り入れ、それとバレエとを融合させている。バレエを見ていると、とにかく身体のみの表現に圧倒される。飛んだり跳ねたりするが、バレエは天を目指して、和物は反対に足が地に着き、地球の中心を目指しているように見える。

久しぶりでバレエの映像をみて、古典は古典として、さらに探し求められる身体表現の無限さに驚かされた。こういう刺激も有効である。

長唄『秋の色種』(七代目芳村伊十郎長唄特選集)をCDで聴く。他の長唄の作品『勧進帳』、『京鹿子娘道成寺』『鷺娘』『鏡獅子』など伊十郎さんで聴いているのですぐに入っていける。

松虫の音ぞ <虫の合方> 楽しき

清掻く琴の爪調べ <琴の合方>

あとのほうが<琴の合方>というのである。両方とも<虫の合方>と思っていた。歌舞伎とは関係のない演奏を目的としているので、なかなか出会う機会がない長唄『秋の色種』である。出会うと谷崎さんでなくとも気に入ってしまう音曲であるが、やはり谷崎さんに一礼である。

他の音曲も心掛けて置いて再会したいものである。

もう一つ年内に片付けたいのが『図書館戦争』なのであるが、4冊の半分から進んでいないので友人に進まないというと、じゃアニメで一気にいったらということなので(一)を見たら違和感がなく面白い。先ずアニメで一気にいくことにする。

 

『谷崎潤一郎  文豪の聴いた音曲』

国立小劇場での邦楽公演である。

谷崎潤一郎没後50年。<文豪の聴いた音曲>

国立劇場でこのチラシを見たときは、こうい企画ができるのだと嬉しくなった。さて企画が良くても、構成と実際の公演は見て聴いてみなくては判らない。実際の公演は、谷崎さんが味わったよりも贅沢な音曲だったかもしれないと思わせるものであった。

谷崎さんの小説の中で、文字で表された音が実際の音になる。ただ音だけではなく、その文章を損なわずその文章を高める音でなければ意味がない。この条件を完全にクリアしていた。

一部が東京での音曲、清元節『北州(ほくしゅう)』、長唄『秋の色種(いろくさ)』。二部が地唄『茶音頭』、地唄舞『雪』、地唄『残月』。

谷崎さんは日本橋区蠣殻町生まれである。人形町と言ったほうがわかりやすい。明治座から甘酒横丁を通り、人形町通りを渡って「玉ひで」の前を通り「小春軒」の隣のビルの空間に<谷崎潤一郎生家跡>の碑が壁にある。幼いころから明治座で歌舞伎を観ていたわけである。

かつての日本橋や大阪の写真、歌舞伎『吉野山』や文楽『心中天網島』の映像などを使い、進行は梅若紀彰さんの朗読である。梅若紀彰さんの声と間が、自分で谷崎作品を黙読するよりも数段も高尚になって響く。

そこから音曲の実演である。清元の『北州』は詞は追っているが、その声に聞き惚れてしまう。高音がさらに高い音になる。語る太夫さんが扇子を持つので、この太夫さんとこの太夫さんが共に語ったらどんなハーモニーになるわけと耳が立つ。そして三味線。どうしてこういう節が出来上がったのであろう。言葉遊びのようなところもありただ不可思議な高音の世界。(小説『異端者の悲しみ』より)

長唄『秋の色種』は、三味線の虫の合方が谷崎さんは気に入っていた。詞も唄い方も秋の自然界に分け入れそうな身近さがある。その中で現実の虫の音よりも人が求めてしまう美しい技巧の虫の音が聞こえてくるのである。たっぷりと。(随筆『雪』より)

関西に行って小説『春琴抄』より地唄『茶音頭』である。ここが趣向を凝らし、演奏者のかたが、春琴と佐助になって、春琴が厳しく佐助に『茶音頭』を教える場面を再現された。梅若紀彰さんがそっと覗いたりして、みなさんご存知の場面ですよと誘いをかけられているようである。本を開くと立体画が出てくるような楽しさが加わった。そしてそれが終わり正式の『茶音頭』となる。お琴の音色が入ると三味線が打楽器のような感じに聞こえる。茶の湯に関連する詞が出てくる。

お琴と三味線の時はどうしてもお琴の音の多さに惹かれてしまう。三味線はどういう働きをしているのかよくわからないのである。『春琴抄』では口三味線で春琴は佐助に教えるわけで、お琴と合わせるにはそれではダメだということなのであろうか。とにかく難しい曲なのであろう。聞く方は棚からぼたもちである。

小説『細雪』で妙子が舞う地唄舞の『雪』である。これは、山村光さんが舞われた。二本の蝋燭の炎に照らされ和傘から透ける姿は上村松園さんの絵の世界であった。『雪』は好きな舞いなのでひたすらその無駄のない地唄舞の動きに目を凝らしている内に終わってしまった。

最後は、小説『瘋癲老人日記』の中で、自分の告別式には誰か一人富山清琴のような人に『残月』を弾いて貰うと書かれている地唄『残月』である。指名された息子さんの富山清琴さんである。

「磯辺の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の 光や夢の世を早う 覚めて真如の明らけき 月の都に住むやらん  今は伝だに朧夜の 月日ばかりはめぐり来て」

谷崎文学の中に、音曲だけでもこれだけの厚さのものが凝縮されているということである。あなたに解ったのと言われれば、すいません、私は小説家ではなく読者ですので、自分の能力に応じて愉しませてもらうだけですと答えるしかない。

企画、構成、上演までの力関係が増殖して深いところまで誘われた感がある。構成演出は、倉迫康史さん。

今更ながら、耽美な世界に潜り込める小説家という分野があったからこそ、谷崎さんは、文豪としてどうどうと生きられたことを讃えたい。

『北州』(浄瑠璃・清元梅寿太夫、清美太夫、成美太夫/三味線・清元栄吉、美三郎、美十郎) 『秋の色種』(唄・杵屋勝四郎、巳之助、今藤政貫/三味線・稀音家祐介、杵屋弥宏次、彌四郎) 『茶音頭』(唄・三絃・菊重精峰/筝・菊萌文子) 『雪』(歌・三絃・菊原光治/胡弓・菊萌文子)

国立劇場 『東海道四谷怪談』(3)

最後は、討ち入りである。

ここは、亡くなった人が生き返ったのではありません。役者さんが違う役を演じるのです。亡くなっていなくても違う役になっていたりします。どなたがどの役をされるかは見てのお楽しみということでしょうか。とまでは、鶴屋南北の染五郎さんは言っておりませんが。『ワンピース』よりは、二役めを捜すのは簡単である。皆さん大いに活躍をしてくれる。

赤穂義士は目出度く本懐を遂げるのであるが、ここで小平へのスポットライトのため、自分たちがないがしろにされたと言われる人も出てくる。直助とお袖である。直助だって悪人である。このままでいいのかとなる。これが、三角屋敷の場である。これもまた、数奇な運命の結末があるので、来年の夏あたりにでも上演された時はご覧じあれ。

江戸時代の人々は、長くて入り組んだ芝居が好きだったようで、今の漫画の長さと似ているのかもしれない。漫画談義をするように、芝居で食べたり飲んだりしながらああでもないこうでもないと話す人がいたのかも。集中しないと理解できない現代人なので、それはご勘弁願いたい。

幸四郎さんの伊右衛門は、根っからの悪党ぶりには凄味があった。その分、お岩がこの伊右衛門と一緒にならなければこんな酷いめにあうことも無かったのにと、お岩の怨めしさが納得できる。染五郎さんのお岩は、儚さと品もある。

小平は義士の陰に隠れた貢献者の代表的存在で、南北さんの筆の入れ方の鋭さがわかる。

義士たちの、隼人さん、錦之助さん、松江さん、高麗蔵さんがその心意気を流れとして引っ張てくれた。そのことの功績は大きい。廣松さん、宗之助さんは悪側としては弱かったが、その分幸四郎さんが前に出ているのでカヴァーされた。米吉さんのお梅には、年の差を感じたが、伊右衛門を想い夢の中状態である。襟もとが少し膨らみがあるほうが良いのでは。新悟さんのお袖で三角屋敷をやっても良いと思うがこれから機会があるであろう。

彌十郎さんの直助の悪役とがらっと変わっての小平の父・孫兵衛もきっちり色分けされていた。宅悦の亀蔵さんは、どうして宅悦はこんなお金のない伊右衛門のところにいるのかと思って居たが、お岩さんの面倒となると腰が軽くなり、そうかお岩さんを好いているのだと思わせた。だから本当のことを話し、お岩さんをだまし続けることが出来なかったのである。萬次郎さんのお熊は、いかにも伊右衛門の母である。

伊藤家は、他の事は考えず孫娘お梅のためだけにひたすら行動する人々で、ちょっと常識から考えると不思議な人々であるが、そこを高家の家来としているのがつぼであろうか。自己中ともいえる。役者さんも、納得できなくて成りきるのが難しいこともあることと思うが、ひたすらお梅のために動く伊藤家の人々であった。

「四谷怪談」と「忠臣蔵」とが整理されてつながり、2015年の歌舞伎観劇も無事終れた。

話しは七代目幸四郎さんへ移るが、11月の歌舞伎座『実盛物語』で瀬尾役の亀鶴さんがくるっと回られた。これを<平間返り>というらしく呼び方が解からないので書かなかった。月刊誌「演劇界」で、尾上右近さんが尾上菊十郎さんに曾祖父である六代目菊五郎さんのことを尋ねられていて、そのなかで、七代目幸四郎さんが瀬尾役で<平間返り>をやったと話されていた。染五郎さんがそのあたりのことを知っていてやろうということになったのであろうか。大変興味深かった。思いがけないところで教えて貰った。若い役者さんは今のうちに大先輩から話しを聴いておくと、思わぬ発見に出会うかも。

さらに、歌舞伎学会の研究発表で、1926年の七代目幸四郎さんとデ二ショーン舞踏団との映像を見せてもらった。(早稲田大学 児玉竜一)『紅葉狩』等を踊られている映像である。今度歌舞伎座に行ったときは、三階にある七代目幸四郎さんの写真を少し親しみをもって拝見できそうである。

 

 

国立劇場 『東海道四谷怪談』(2)

塩谷判官(えんやはんがん)側でありながら裏切る者 →民谷伊右衛門(幸四郎)、直助(弥十郎)

民谷伊右衛門宅の人物→妻・お岩(染五郎)、宅悦(亀蔵)、奉公人・小仏小平(染五郎)、秋山長兵衛(廣太郎)、関口官蔵(宗之助)、中間の伴助(錦弥)

お岩の家族 → 父・四谷左門(錦吾)・妹・お袖(新悟)

塩谷判官側 → 四谷左門(よつやさもん)、佐藤与茂七(染五郎)、奥田庄三郎(隼人)、小汐田又之丞(錦之助)、矢野十太郎(松江)、赤垣源蔵(高麗蔵)

伊右衛門は悪事がばれ、お岩を実家に連れ戻されたことから舅・左門を殺してしまう。直助は、佐藤与茂七(染五郎)という許嫁のいるお袖に横恋慕して与茂七を殺してしまう。それでいながら二人は仇をとってやると姉妹に嘘をいい、お岩は伊右衛門のもとへ帰り、お袖は直助と夫婦になる。

お岩は出産し産後がおもわしくない。雇った下男の小平は傷に効くという民谷家に伝わる薬を盗んでいなくなってしまう。小平の主人は、元塩谷家来で仇討ちを目指す又之丞で、主人の又之丞が怪我をしたため薬を盗んでしまったのである。しかし見つけ出され伊右衛門宅の戸棚に押し込められてしまう。

高師直側 → 伊藤喜兵衛(友右衛門)、娘・お弓(幸雀)・孫娘・お梅(米吉)、乳母・お槙(京蔵)、医者(松助)

高家の家来である喜兵衛の孫娘・お梅が伊右衛門を恋い焦がれ、喜兵衛は、孫娘のために伊右衛門と祝言させることとし、邪魔なお岩に顔の崩れる薬を産後に良いと渡すのである。

ありがたがって薬を飲むお岩。お岩は突然熱がでて、顔が変貌してしまう。伊藤家に呼ばれていた伊右衛門が帰り驚き、さらに離縁するために宅悦にお岩と密通せよと言い残して出ていく。お岩は事の次第を知り、伊藤家に怨みの挨拶い行こうとし、宅悦と揉み合いとなり誤って死んでしまい、赤子は大きなネズミにさらわれてしまう。

帰ってきた伊右衛門は、小平がお岩を殺したことにし、無残にも、小平を殺してしまい、二人の死体を一枚の戸板に打ち付けて川に流してしまう。

伊右衛門は、祝言のためお梅を迎えいれるが、お岩の亡霊と思い込み、喜兵衛とお梅を斬り殺す。伊藤家は没落し、お弓とお槙は乞食となって伊右衛門を仇として追う事になる。

お弓とお槙が伊右衛門と巡り合うのが、伊右衛門が釣りに来た本所砂村隠亡堀であるが、二人とも非業の最期をとなる。ここで、伊右衛門は直助とも再会するが、お岩と小平を打ち付けた戸板が流れつき、戸板からお岩と小平の亡霊が現れ怨みをぶつける。

闇のなかで、伊右衛門と直助、そして、直助に殺されたはずの与茂七が通りかかり三人の探り合いとなる。与茂七は庄三郎と入れ替わって、直助に殺されたのは庄三郎であった。この場で、伊右衛門は母のお熊に会っている。

<深川寺町の又之丞の隠れ家>が上演され、殺された小平の忠義が浮き彫りとなりこの人のスポットライトがあたる。

又之丞の隠れ家 → 小平の父・仏孫兵衛(彌十郎)、伊右衛門の母で後妻のお熊(萬次郎)、小平の子・次郎吉、赤垣源蔵

刃傷沙汰の起こった足利家の門前にいて、十太郎に事の次第を聞いている。しかし、そこで怪我をして歩けなくなり小平の父宅にかくまわれていたのである。この主人のための小平は薬を盗み殺されてしまう。義士の一人である源蔵が討ち入りを知らせにくるが、ここでは、伊右衛門の母が、又之丞を罪に落とし入れようと策略し、又之丞は源蔵に見捨てられる。お熊はもと高家に仕えていたのである。そこを救うのが小平の亡霊である。

ここまでで、忠臣蔵の忠義の線の流れが、四谷怪談の間に編み込まれているのがわかる。四谷左門、与茂七、奥田庄三郎、小汐田又之丞、矢野十太郎、赤垣源蔵。殺された左門、庄三郎を意外は、討入りの場へと進むのであるが、お岩の亡霊は、その前に伊右衛門を又之丞によって討たせる。

お岩と小平の亡霊の伊右衛門に対する復讐の場である本所蛇山庵室は、お岩の亡霊を払おうとしているのである。お岩はお熊を殺し、伊右衛門を苦しめ、ついに復讐劇は完結へと向かうのである。この場の仕掛けも、じわじわとすうーっと展開されて夏の冬という雰囲気である。

 

 

 

国立劇場 『東海道四谷怪談』(1)

突然のpcのトラブルである。お岩さんさんとは関係ないと思うが。

12月14日の夜から15日の朝5時半にかけて両国の<吉良邸跡>から<泉岳寺>まで赤穂浪士の討ち入りあと歩く企画があり参加した。夜歩くのであるから、日中とは違う景色である。途中休憩は入るが予定では朝6時までで、8時間である。そんな長時間歩き続けられるか心配であったが、いつもとは違う闇の世界の見どころなどがあり、異空間体験が新鮮であった。

11月歌舞伎座の『元禄忠臣蔵』で、両国橋は通らなかったとあったが、両国橋を渡ればすぐ将軍お膝元のお江戸である。やはりそれは避けて、一之橋(一ッ目之橋)を渡っていた。

さて『東海道四谷怪談』であるが、チラシには雪が降っている。冬の四谷怪談は怖いよりも寒々しいのである。どうなることかと観劇したが、きちんと夏と冬があった。赤穂浪士の忠義臣とそこから滑り落ち悪の転落が加速する反忠義臣の夏で終わり冬に至れなかった明暗がはっきりした。

「四谷怪談」が「忠臣蔵」と切っても切れない物語であることがわかりやすく展開した。そして早変わりや仕掛けも芝居を妨げることなく納得できる流れであった。義士の陰で、表にに出ぬ忠義が悲惨な最期となり、幽霊となって出現しなければ恨みは晴らせないとの想いが仕掛けとなって表現されるというのもわかる。それが、お岩さんとの恨みと重なるところのつながりも、やはり上手く出来ているのが改めた整理できた。

そして、討ち入りまでの義士の姿も手堅い役者さんが押さえて、そちらも冬を貫く一本の線が出来上がっていてすっきりとおさまった。

討ち入りは元禄15年12月14日であるが、西暦に直すと1703年1月30日であるとも言われている。しかし現代でも12月14日討ち入りの気分が強い。

討ち入りの時間も、午前3時と4時の二説があったりするらしい。ただ、事実が曖昧な部分も多いだけに忠臣蔵に対する想像が膨らみ、あらゆる見方ができるということでもある。

それをさらに、芝居として「四谷怪談」と「忠臣蔵」を合体させたり離したり出来るというのがまたまた観客を喜ばせ続ける芸の継承である。

 

劇団民藝『根岸庵律女ー正岡子規の妹ー』

司馬遼太郎さんの本に『ひとびとの跫音』という作品がある。正岡子規さんについて書かれていると思ったら、その妹・律さんの養子で正岡家を継いだ忠三郎さんのことを書いた本であった。

当然、律さんのことも書かれているが、律さん自身が余計なことはしゃべらないタイプのかたで、忠三郎さんはそれに輪をかけて子規さんのことも自分のことも語らず書かず、遺品等の資料はきちんと保管していたかたである。

司馬さんは、文字としては何も語らなかった忠三郎さんの友人や身辺の人々のなかの忠三郎さんを探り出し、これといった社会的な活躍などはなかったが不思議な魅力を持っている人物として描かれている。

律さんにしろ、忠三郎さんにしろ、子規さんに対し、情の押し売りなどはせず自分たちの位置を、死後の子規さんの飛び立つ自由空間の妨げとはならないところへ置いた。このことが、かえって多くの人に子規を解き放させている。子規を抱え込むこともなく、家族の世間的情をひけらかして汚すこともしなかった。

そんな律さんを主人公とした舞台である。

脚本は小幡欣治さんである。初演の時、律を演じた奈良岡朋子さんが、今回は子規の母の八重さんである。司馬さんによると母の八重さんは、子規の名前の升(のぼる)をノボさんと、律をリーさんと呼んだとある。奈良岡さんの<ノボさん><リーさん>と呼ぶのが、芝居の中で良い響きをしているのである。

事実をどう脚色して脚本にし、その本をどう演じ、どう芝居として完結するのかが楽しみであった。

場所は東京の下谷区上根岸の子規の家である。ここで子規は多くの俳句仲間と新しい俳句を模索している。中でも、松山での後輩・河東碧悟桐(かわひがしへきごどう)がよく顔をだす。子規は、結核菌が骨髄に入りカリエスになってしまう。その看病を最後までし続けたのが母の八重と妹の律である。

妹の律は三つ年上の兄が子供時代泣き虫だった頃から体を張って兄を守護してきた。二回結婚しているが別れて、兄の介護をテキパキとこなすが、兄には気が利かないと怒られる。それでも、律は兄を守るのが自分の当たり前のことと思っている。

仲間と議論をし、子規の外の世界に対する関心や俳句に対する思いは、病魔に侵されても絶えることはなかった。しかし酷い痛みの発作が続く。それに対しては八重もどうしてやることもできず、「ノボさん収まるのを待つしかない。」としか言えないのである。

子規は自分が死んだ後の母と律のことを心配しつつ、ヘチマの句を三首残して亡くなってしまう。しかし、律は負けてはいなかった。共立女子職業学校に通い、そこで裁縫の教師となるのである。そして正岡家を継いでもらうため養子をもらうことを決める。

養子の雅夫は、正岡家を避けるように仙台の高等学校へ行ってしまう。そこで、俳句を始める。ところが、律はそれを許さない。俳句は世襲でできるような仕事ではないという。律にとって、子規を超えることなど不可能なのであるから俳句は子規一代でよいという思いがある。つまらない形で、子規を汚してもらってはならないのである。

雅夫は承知する。その代り、大学は京都に行かせてくれと頼む。せっかく一緒に住めると思っていたが、律は承諾する。雅夫も自分で考えて決めたのだから大丈夫だと伝えお互いに納得する。

母の八重が、ヘチマの棚に飛ぶ蛍に「ノボさんあんたが悪いのよ」とつぶやく。

律は一本気でもあり、融通もきかず、意味のない子規の歌碑建立なども断ってしまう。そんな律に八重は何かあると「リーさん」と声をかけつつも静かにその場から姿を消す。律が律でありつづけることによって、正岡の家も死後の子規も保たれるのを知っているのである。

母・八重さんが呼んだ「ノボさん」と「リーさん」がよく描かれており、役者さんもしっかりした演技力である。『大正の肖像画』といい、民藝はこうした芸術家や文学者などをしっかり演じられる劇団である。

現在残っている<子規庵>を再度訪れた。まだヘチマが幾つか枯れずに残っていた。子規さんが寝ていた部屋のガラス戸は、外が見えるようにと門人仲間が障子をガラスに入れ替えた。さらに昭和20年の空襲で焼失するが、門人等の尽力で昭和25年に当時のままの姿で再健される。舞台をみていたので、八重さんと律さんの動きが思い出され、実際に住んでいた動線もより明確に想像できた。

正岡子規さんは34歳11か月で亡くなっている。

演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子、中地美佐子、齋藤尊史、大中輝洋、桜井明美、吉田正朗、横島亘、和田啓作、前田真理衣 、その他

三越劇場  12月19(土)まで