歌舞伎座六月・第三部『京人形』『日蓮 』

銘作左小刀 京人形』。またまたバーチャルな染五郎さんでした。役が人形ということですからなおさらですが。染五郎さんの女形は初めての観覧と思うのですが記憶は怪しいです。

内容はたわいないといいますか、上手くつくられているといいますか気軽に楽しめる演目です。名工の左甚五郎が郭の小車太夫の人形を作り、その人形を前に太夫と楽しい宴の時間を再現するという趣向です。それをどうぞどうぞとおおらかな夫婦関係でもあります。

名工の作った人形ということもあり、人形が動き出します。動き始めが男のようなギクシャクとした動きで、人形の懐に鏡を入れると驚いたことに今度は優雅な女性の動きになり甚五郎も共に踊るのです。さらに、鏡を抜くと男になり、もどすと女となる可笑しさです。話はそこへお家騒動を差し入れています。甚五郎は人形を箱にもどします。

甚五郎は井筒姫を隠していて栗山大膳が差し出すようにとやってきますが、上手くいなします。ところが甚五郎は間違って味方の奴・照平に右腕をきりつけられます。井筒姫を奴・照平に託します。そして大工に成りすました敵と大工道具を使っての立ち回りとなります。

頭に豆絞りの手ぬぐいを巻き、半纏の大工姿の立ち回りは若々しくて素敵です。右手を怪我した甚五郎の白鸚さんが左手だけで鷹揚に立ち回りの相手をつとめ和やかな舞台となりました。

日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』(日蓮聖人降誕八百年記念)は、映画『日蓮』、『日蓮と蒙古大襲来』やその他の仏教関係の映画やアニメなども観ていましたので、それを払拭するだけの舞台になるであろうかと興味津々でした。最後の日蓮の言葉はバーンとパワーがきました。

映画は、比叡山で修業した蓮長(後の日蓮)が得度した安房の清澄寺に戻ってきて講和をするというところから始まるのです。清澄寺の住職も両親もその晴れ姿を喜びと自慢の気持ちで迎えます。ところが、蓮長は自分が学んで追及した法華経が正しい仏の教えでほかの教えは間違っているということから始まるのです。今までの教えが間違っているといわれた武士などは思い上がりと激情します。しかし日蓮はどんな迫害のにも負けずそれを貫くという内容です。

今回の『日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』』その前の描かれていない比叡山での修行の蓮長に焦点を合わせています。この時代のことはよくわかっていないようです。

蓮長は比叡山でも自分の仏法に対する一途な思いは強く他の僧からの風当たりも強いのです。その内面の強さと優しさを阿修羅天と幼少のころの善日丸とを登場させて、蓮長の葛藤を表現します。

世の中は災害や疫病がはやり末法の世なのです。日蓮は人々が救われるためにはどうしたらよいのかと経典を読み直し、今までの教えでは駄目だとして行きついたのが法華経でした。

比叡山にもそんな蓮長に同調する僧・麒麟坊や、もう少し周りと同調するようにと諭そうとする僧・成弁もいます。

蓮長は、賤女・おどろと再会します。おどろはかつて蓮長の教えに救われたと思いましたが、そんな教えは何の役にも立たなかったと蓮長を責めます。そんな時赤ん坊の声が聞こえます。おどろが生んで捨てた子供でした。蓮長は赤ん坊を抱きつつ、この世に生まれ出た赤子の命をいつくしみます。しだいにおどろの気持ちに新しい命に対する愛おしさが芽生えてきます。

そんな様子を見ていた成弁は意見するどころか、弟子になりたいと申し出ます。蓮長は勇気づけられ気持ちも新たに日蓮と名乗り法華経を広めることを決めます。

さらに最澄が姿を現し、自分の信ずる道を進めと祝福します。

日蓮はこの世を浄土にするために自分は歩き続けると決意を表明するのでした。

舞台はここで終わるのですが、人々の中に入っていき布教していく先には、執権北条氏の圧力や他の宗派との相克もあり修行以上の厳しい現実が待っているわけです。

日蓮の父母の慈愛や清澄寺住職・道善房の期待もよくわかります。その先の状況に想いが至りますが、時間的に上演時間が許していたなら、猿之助さんの日蓮はぐいぐい引っ張っていったことでしょう。そのエネルギーは十分にありました。

セリフ劇で、澤瀉屋ならではのこれまでの培ってきた結集が感じられ、それぞれ一言一言がはっきりと聞きとれて、観る、聴く、感じるの循環がスムーズに流れ、今に通じる世界観でした。

初心に帰り、時代に合った進み方を見つけるというのは宗教だけではなく、あらゆることが今求められているように感じます。

成弁の隼人さんもスーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』の遊行上人のセリフに比べると、浮つきさが沈んで修行中の僧の言葉になっていました。おどろの笑三郎さんと蓮長の猿之助さんのやりとりも主題をはっきりとさせ、ここに絞ることによって分かりやすく物語に集中できました。

猿弥さんの阿修羅の姿と善日丸の右近(市川)さんの愛らしさの対峙も上手くいっていました。右近さんはこのまま素直にたくさん吸収していって欲しいです。

音楽はこれから映画が始まるような感覚だったのですが、開幕すると即セリフに集中しましたのでその後の音楽は記憶に残っていません。

カーテンコールがなかったのがかえってこの時期潔しの感覚で、席を立ちました。

追記: 歌舞伎座正面に飾られている演目絵の絵師・鳥居清光さんが5月に亡くなられ、『日蓮』の絵は間に合わなかったそうで、今回は横山大観さんの「日蓮上人」となったようです。改めて歌舞伎関係の歴史的継承を感じさせていただきました。(合掌)

通行の人に邪魔にならないように慌てて撮りましたので雑ですみません。

追記2: 今秋、東京国立博物館で、特別展『最澄と天台宗のすべて』が開催される予定です。ほんの少し身近になれた気分ですので楽しみです。

東京国立博物館 – トーハク (tnm.jp)

追記3: 上野東照宮の唐門には、左甚五郎作の昇り龍と降り龍の彫刻があるらしい。今度きちんと眼にしてこよう。

上野東照宮公式ホームページ : 見どころ (uenotoshogu.com)

陛下の研究者としての理論性

2019年に学習院大学資料館で『華ひらく皇室文化 ー明治宮廷を彩る技と美ー』で「ミュージアム・レター No.40」を手にしました。

そこに親王であられた現天皇陛下が一文<「華ひらく皇室文化展」に寄せてーボンボニエールの思い出ー>を寄せられています。素敵な内容なのです。

「ボンボニエールとは、明治中期頃から、皇室での慶事の際に引き出物として配られてきた小型の菓子器のこと」と説明されます。

「私が、ボンボニエールを初めて知ったのは、4歳の時の「着袴の儀」であったように記憶している。皇室では、4歳になると袴を着ける儀式を行う。民間でいうと七五三に当たる。儀式は碁盤の上から飛び降りることによって終了するが、私は、直前の行われた東京オリンピックの体操競技をみていたためか、体操選手のように手を挙げて着地したように思う。その時に作られたものは、銀製で碁盤の形をしていた。」

ボンボニエールに入っていた甘い金平糖の味と「袴の儀」の着地の思い出から次のように続きます。

「碁盤型のボンボニエールを考えてくれた両親に感謝している。」

そして視点は研究者としての探求心に移ります。

「ここ10年ほど、私は、「西園寺家文書」の中でも、鎌倉時代の西園寺家の当主が乗った牛車の絵図について共同研究を行っているが、史料館には、牛車形をしたボンボニエールもあると知り、驚いた。」

思い出から一転、ご自分の研究にも触れられ、展示を鑑賞する者への楽しみ方まで教えてくださっています。

「私も、客員研究員としては最後となる今回の展示を、史料館で過ごした日々を思い返しながら、心ゆくまで鑑賞したいとおもっている。」

ご自分の思い出からボンボニエールに親しみを持たせ、研究者としての視点を示し、鑑賞する人と共にご自分も楽しみたいとされる姿勢は、国民と共に歩まれるとする陛下の心を感じます。

ボンボニエールに対してと同じように、新型コロナの感染下におけるオリンピック開催に対しても、陛下の肌感覚と研究者としての視点と理論性は、大きく国民をとらえられて考察をされていることは十分に想像できるのです。

一方、知性のみじんも感じられない「安心、安全」のむなしさと責任感のみじんも無い言葉の繰り返しがただ落ち葉のように散っています。どこに視線があるのでしょうか。

・ボンボニエールのポストカード

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』から映画『近松物語』(2)

映画『近松物語』は、歌舞伎の下座音楽を主体でもちいています。音楽担当は早坂文雄さんです。早坂さんは黒澤明監督映画の音楽も多く担当し溝口健二監督とは『雪夫人絵図』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』『楊貴妃』『新・平家物語』を担当しています。

タイトルで邦楽の伝統楽器での音楽が流れます。物語が始まるとしばらく音楽がありません。不義のために刑場へ行く男女二人の馬上の行列が映されて初めて音楽が流れます。それは不吉な感情を呼び起こさせます。映画的もその計算で挿入されています。この登場人物たちに、これだけ栄えている家にも起こるかもしれないという。

そして、おさんと茂兵衛が会話する場面からまた音楽が入ります。音楽と言っても盛り立てるような旋律とは違います。秋山邦晴さんは、「「近松物語」の一音の論理」で、下座音楽で「現代劇でみられるような人間の心のうごきをの表現として使っている。」としています。

観ているほうは、登場人物たちは気がついていないであろうが事態が悪い方へ悪い方へと引っ張られていくのを感じます。音楽もその方向へ静かに運んで行きます。観ているほうの気分と音が共鳴していくように感じます。

邦楽楽器としては、横笛、締め太鼓、大太鼓、三味線、附け打ちなどが使われています。これらの楽器の「一音」に秋山さんは注目しています。

「太棹三味線の一撥(いちばち)、横笛の一吹き、大太鼓の一打による一音は、その一音だけの存在そのものが複雑であり、それ自体ですでに完結しているともいえる。いくつかの音の関係で旋律や和声という組織によって意味をうちだす西洋音楽とは対比的に、一音の存在それ自体によって意味をもつのである。」

歌舞伎ではこの一音で、風、雨、雪、波などの自然現象を表す効果音がすでに出来上がっていました。それは生で聞く音です。秋山さんは映画音楽の録音という特色から早坂さんが、マイクロフォンを通してその増幅を普段聞いたことのない人にも下座音楽や日本の伝統楽器をの力をつきつけたというのです。

私が興味ひかれたのは、茂兵衛とおさんが茂兵衛の実家に隠れているところを捕まってしまい、茂兵衛とおさんは引き離されてしまう場面です。そのとき附け打ちの音が激しくなります。その後この付け打ちが要所要所で用いられ、観ている者の不安感を増幅させます。

行き先きはハリツケという映像がすでにインプットされていますからそうはさせたくないという願望がわいてくるわけですが、無情にも附け打ちがもう行き先きは決まっているといっているように思わせるのです。

秋山さんは、音楽による心理描写といわれましたが、私には、もっと全体を包む大きな力として感じました。

恋愛は認められないという観念です。さらに身分違いの恋愛は認められず、男性は浮気はいいが女性はならぬということです。おさんも茂兵衛も決まりの枠に収まっていたのです。大経師の主人にとっては、不義密通が家没落となるためとんでもないことなわけです。ただし事が大きくなる原因は主人が作っているのです。おさんの説明をきちんと認めればよかったのです。

おさんは実家のために結婚をし、実家のためにお金をなんとかしようとして茂兵衛に相談します。おさんの衣装はモノクロの映像で美しい光沢を出します。美しく着飾っていてもそれは形式美で満たされてはいないのです。

茂兵衛はおさんを想う心から何とかしようとして主人に見放される。それを助けようとする茂兵衛を想う女中のお玉。お玉は主人に口説かれていたのです。

強欲な人は別として登場人物は良い方向へともがくのですがそれが悪い方向へと転がってしまう力。それに音楽が添っているように思えるのです。

茂兵衛は貧しい家の出です。雇い主のもとで認められ出世するのが夢でしたが、おさんに恋心を抱き、それがかなえられる。それでも、何とかおさんだけは生かそうと考えますが、おさんのほうが自分のいままでの犠牲に成り立っていた生き方に我慢ならなくなり、さらに愛を得るのです。おさんの気持ちの強さに茂兵衛は引っ張られていきます。

ところが強い愛をあざ笑うように観ている者をも不安にさせていく音楽。特に後半の附け打ちの音には効果がありました。

言ってみれば、秋山さんとは違う音楽の感じ方をしていたように思います。

そしてやはり溝口監督はスター長谷川一夫を弱めることはできなかったと再認識です。長谷川一夫さんが大写しになるとやはりスターのオーラを発してしまうのです。立ち振る舞いが美しいですからカメラが引いていても美し映像となります。それがアップになるとやはりスターなのです。

最初に観た印象は簡単には払しょくされないようです。

色々な見方が発見できるのは楽しいことですし、新たなる視点をもらえます。そして、それを陰で工夫している映画にたずさわる人々の想いも素敵です。

ようこそ映画音響の世界へ』の音響スタッフが、こんな楽しいことはないしお金ももらえてとのコメントがいいですね。

近松物語』に劇化・川口松太郎さんの名前があります。川口松太郎さんの戯曲『おさん茂兵衛』が下敷きともなっているのです。川口さんと溝口さんは浅草の石浜小学校で同級生だったのです。お二人とも小学校しか出ていません。お二人の対談で川口さんはそのころの様子を、「『たけくらべ』だね。まるっきり・・・。」といわれています。さすがぱっと情景が浮かぶコトバです。

追記: アンハッピーな映画が続いた後は録画しているBS時代劇『大富豪同心2』を観ます。相変わらずほわーんの卯之吉のそっくりさんの幸千代登場。性格が違うので卯之吉の性格の良さがくっきり。いいぞ!中町隼人! 間違いました  中村隼人!

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』から映画『近松物語』(1)

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』(2020年・ミッジ・コスティン監督)は、音響が映像に隠れていた位置を前面に押し出してくれて、映画の歴史をも教えてくれるドキュメンタリー映画でした。出てくる映画を観なおさなくてはと思わせてくれ、何といってもわかりやすいのです。無声映画からトーキーとなり音響の効果と工夫が、マニアックに収集していた人の起用により発展をとげるのです。

一時、ハリウッドは映画を量産し、効果音もスタジオが所有しているものを使いまわしで、拳銃の音も爆発音も同じ音という状態でした。会社は映像ありきで、音は何の力もないとしていたのです。

ところが、そのうち映画はテレビに変わり衰退します。そこから新たな世代の監督たちの音への重要性と工夫がはじまるのです。映像よりも音のほうが観客の感情を引き付けるとしたのです。

スターウォーズ』はシンセサイザーの電子音とおもっていました。ところが、一年間生の音を探し録音し新たな音を作り出していたのです。人間の声と動物の声を重ねたりと観ていて楽しくなってしまいます。

ヒッチコック映画の恐怖を呼び起こす効果音や音楽についてはほかの映像で観ていましたので理解はしていましたが、この世に存在しない登場者やロボットなどの言葉をどうするかなど、こう作られたのかとその手腕に感嘆します。

監督が音響デザイナーとして活躍された方なので、やはり説得力があります。

さてそこから近松映画へというのはどういうことかといいますと、興味深い文章からなのです。

溝口健二集成』(キネマ旬報等からの記事を集めたもの)中に 「「近松物語」の一音の論理」(秋山邦晴)の一文がありました。

日本に映画音楽に邦楽器が早くから使われていて、その前の無声映画時代にも、弁士とともに伴奏音楽として洋楽器とともに参加していたというのです。これは映画『カツベン!』(2019年・周防正行監督)を観れば洋画も時代劇も和洋楽器の合奏で弁士の語りを違和感なく耳にすることができます。

カツベン!』のラストにクレジットがでます。

「 かつて映画はサイレントの時代があった しかし日本には 真のサイレントの時代はなかった なぜなら「活動弁士」と呼ばれる人々がいたから 映画監督 稲垣浩 」

洋画のサイレントの字幕が外国語ですから、それを伝えるために活弁が始まったのかもしれません。そうなると上手、下手が生じ、映像の説明も朗々と伝える芸に代わっていったのでしょう。それが洋画」だけではなく邦画でも続いたのであろうとの個人的予想です。

ハリウッドでは、楽団が音楽を演奏し、台詞はスクリーンの裏でしゃべったようです。そのため効果音の演奏者も映画と共に旅をしたようです。

1877年にト―マス・エジソンが蓄音機を発明します。目的は映画で映像と音の同時再生だったようですが失敗してしまいます。エジソンの志は高かったのです。

1926年、ワーナー社が『ドン・ファン』で音声トラックとして機械で映写機に接続し、映像と音楽が合体するのです。

ハリウッドの話しではなく溝口健二監督の『近松物語』の一音の話しでした。

音の前に、佐藤忠男さんが『溝口健二の世界』で、『近松物語』を「西欧的なラブ・ロマンス」としていますのでその事を少し。

私は 市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2) で、<『近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。>と書きました。

佐藤忠男さんは、溝口監督がヒロインたちに彼女たちにふさわしい美しい男性と素晴らしいラブシーンを展開する映画はあまりつくっていないとし、日本的な恋愛映画として『滝の白糸』『残菊物語』『お遊さま』をあげています。これは納得です。

そして「西欧的なラブ・ロマンスを彼が創造したのは、あるいは最晩年の1954年作品である「近松物語」だけであるかもしれない。」としているのです。

私が違和感をもったのは、それまでの溝口作品とは違って愛のためにと駆り立てられひたすら引き離されても会うために行動する激しさだったのです。それともうひとつは、おさんと茂兵衛が琵琶湖で死のうとする場面が美しいのです。ここで終わってほしいという願望でもありました。なぜなら、不義のため刑場に送られる馬上の二人をおさんは実際にみていて、あさましい、主人に殺された方がいいのにとまで言っているのです。

ところが溝口監督は、近松の道徳的解釈から、西鶴の好色さも加えて西洋的ラブ・ロマンスにしたと佐藤忠男さんはいうのです。近松の『大経師昔暦』と西鶴の『好色五人女』巻三をひもといて解説しているのです。ここは二つの作品を丁寧に比較しなかったので参考になりました。

死を覚悟したのでもう言葉にしてもいいだろうと茂兵衛は前からおさんをお慕い申し上げていましたと心の内を伝えるのです。ここで何もかもが変わります。おさんは死にたくないというのです。愛にめざめてしまったのです。

そして、佐藤忠男さんはここから「伝統的な二枚目を型どおりに演じている長谷川一夫が、後半、積極的に恋に生きる決意をしてから、恋人のために決然として運命と闘う西欧的ロマンスのヒーローになるのである。」とし、さらに溝口監督が「その晩年の円熟の絶頂期ともいえるこの作品において、はじめて、二枚目にヒーローとしての力強さを加えることができたのだった。」と活動弁士並みの力の入れようです。

そう捉えるのですか。

今度は、秋山邦晴さんの「「近松物語」の一音の論理」を参考にして再度見直してみることにします。

市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(3)

市川雷蔵さんの『炎上』の主人公・溝口役はスター性を全て消し去っています。こんなに消し去れるものかと驚かされます。どこかにスターとしての顔を出さないと不安になるようにおもうのですが、それを消しても恐れない何かがあります。

市川雷蔵さんが映画に出てから4年目で48本目の映画でした。

原作から考えるとよく映画化に踏み切ったと思います。最後の「生きる」を変えています。なるほどとおもいました。原作と離れて映画は映画として観た方がいいでしょう。

炎上』(1958年・市川崑監督)

溝口が国宝の驟閣寺(しゅうかくじ)を焼いた犯人として捕まり、取り調べ室からの始まりとなります。溝口は小刀で二か所自分を刺し薬で意識朦朧の中を捕まったのです。何も話しません。

溝口の父が亡くなり、その遺言を持って驟閣寺に来た日のことから回想されます。要所、要所でさらにさかのぼって回想されたりしますが、その展開が見事です。そのことがこの作品の流れと、溝口の上手く語れない心情の流れをも助けていて効果的に作用しています。

何といっても雷蔵さんの一つ一つの表情がいいです。驟閣寺に再会した時の表情。自分が吃音であることを寺の人々の前で副師に大きな声で言われ、その後で老師が優しい笑顔で励ましてくれた時の安堵感のわずかな微笑み。

副師は、自分の息子を徒弟にしてもらえない鬱屈した気持ちが溝口に向かったのです。

母が寺に来ます。溝口は母が嫌いでした。母が不貞を犯していた回想となり、父が黙って岬の岸壁に立ち海を見ながら語ります。今度、驟閣を見せに連れていこう。驟閣ほど美しいものはない。驟閣のことを考えただけで世の中の汚い事を忘れてしまう。

溝口は母から寺が人手に渡ったことを聴かされます。父の病からの借金のためです。もう溝口の帰る寺はないのだから一所懸命修業して驟閣の住職になってくれるのが母の夢だといいます。

ところが老師は次第に溝口の話しをゆっくり聞いてくれることがなく溝口を避けるようになります。そんなとき、新京極で女性と一緒の老師で出会うのです。二度も。

溝口は大学で足の不自由な戸苅に近づきます。戸苅は人の表と裏の顔を知っていてズバズバと物を言います。その言葉に反応する溝口の表情も繊細に反応します。戸苅は汚い世間に踏み込んで同じように汚れてながめ、暴くようなところがあります。戸苅は老師が一番嫌がることをするように溝口をけしかけます。

溝口は女性の写真を朝刊に挟み老師に届けます。その結果、溝口は老師にどんどん見放されていきます。溝口は小刀と睡眠薬を買い、故郷の父と立った岬から海を眺め、小刀と薬を握りしめます。

溝口はかつての父の寺をそっと眺めます。知らない住職が出て行き次に父の葬式の列がでてきます。この回想の運びが素晴らしい。溝口もその葬列に加わり、海辺で火葬となります。じっと炎をみつめる溝口。ここで驟閣を美しいまま永遠のものにすると決めたのかもしれません。

勝手に寺を出た溝口は寺に戻されます。

溝内は戸苅と議論します。戸苅は実家が禅宗のお寺でお金を持った住職がいかに俗物で偽善者であるかを語ります。戦争が終わり、老師は世間的手腕があり驟閣を発展させました。溝口はしかし驟閣は違うと言います。驟閣はもともと美しいままそこにあったのだ。金儲けの道具にはしない。驟閣は変わらない。驟閣を自分が変わらせないと言い切ります。

そこに後ろ向きで座っていた女性が、かつて徒弟仲間の鶴川と南禅寺の勾欄から天授庵でみた美しい女性であった。生きているものは変わる。

老師がくれた授業料で溝口は五番町に行き遊郭に上がります。まり子という女が相手しますが、話しただけで何もせず帰ってきます。

驟閣には父の修業時代の仲間の和尚が来ていました。どうやらこの和尚の方が老師よりまともな仏教徒のようですが、溝口の決心を変える力はありませんでした。

溝口は、京都駅から東京に刑事に付き添われ護送されます。駅構内では人々があれが驟閣を焼いた犯人で、母親は鉄道自殺したとささやきます。車中で溝口はトイレに行きたいと言いデッキから刑事を振り払って飛び降り自殺します。

溝口の生きる一番良い道は驟閣のそばで修業し驟閣の住職になる事だったのかもしれません。しかし、その驟閣がお金を生み出し老師さえも変えてしまった。驟閣を美しいまま残すにはどうしたらよいか。溝口の考えた焼くという結論がこういうことだったのでしょう。

美しいとお題目を唱えていたらとんでもなくお金まみれであったというのは今もかわらないことでもっと醜悪になっています(オリンピックなども)。それが日本でも戦争で生き残った人々が作り上げたきた世界でもあるというのも明白です。

出演・溝口(市川雷蔵)、老師(中村鴈治郎)、戸苅(仲代達矢)、溝口に父(浜村純)、溝口の母(北林谷栄)、天寿庵の女(新珠三千代)、副師(信欣三)、鶴川(舟木洋一)、五番町のまり子(中村玉緒)

登場人物がそれぞれ問題を抱えていて、その役どころを皆さん細かい点まで考えられて演じられていて、当時の状況をデフォルメしてくれます。原作で「生きる」としたのは三島由紀夫さんの当時の心象を表しているのでしょう。

市川雷蔵さんは、この後市川崑監督では『ぼんち』(1960年)、『破戒』(1962年)で主演し、『雪之丞変化』(1963年)で助演しており、三島由紀夫原作では『』(1964年・三隅研次監督)に主演しています。『』では雷蔵さんは魅力的な真摯な生き方をみせてくれます。

市川雷蔵さん、37歳という短い生涯においてその幅広いジャンルの映画に出演されていたのには驚かされます。

追記: ここ数週間で観た映画の原作や脚本に川口松太郎さんの名前が多いのにこれまた驚きました。『雨月物語』『近松物語』『編笠権八』『日蓮』『大江山酒天童子』。『大江山酒天童子』は、『茨木(いばらぎ)』『土蜘(つちぐも)』『勧進帳』の変化球の挿入もあり超娯楽時代劇の醍醐味で衣裳が豪華でした。『日蓮』もというのにはその活躍ぶりがうかがいしれます。

追記2: 心配し過ぎと笑われるほうが気が楽です。

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市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2)

文芸評論家・中村光夫さんが「ときどきの世間の注目を曳いた事件から取材するのは、この作者にめずらしいことではなく」とし『親切な機械』『青の時代』『宴(うたげ)のあと』をあげています。さらに「評判の事件を小説か戯曲の仕組む伝統は、我国においてはジャーナリズムの発生とともに古く、近松や西鶴に多くの名作がかぞえられます。」としています。

さて今回は、描かれいる場所のほうに視点をかえます。

主人公が住んでいた日本海側から金閣に住むようになってからで舞鶴周辺と京都ということになります。時には三島由紀夫さんは実際に取材して歩いたであろうと思われる詳しい表現の場所もあります。そういう場面になると読み手も気を抜かせてもらい一息つくのです。

ただその場所の歴史的解説もあり、その場所を選んだ三島さんの計算もあるのだろうとおもうのですが、そこまではついていけませんのでただわかる程度に楽しませてもらいました。

溝口の生まれたのが、舞鶴市の成生岬です。そこから中学校がないため叔父の志楽村の家から中学校に通います。そこで有為子に出会います。有為子は舞鶴海軍病院の看護婦で、海軍の脱走兵と恋に落ち安岡の金剛院に隠します。憲兵に詰問され、隠れ場所を教え、金剛院にて脱走兵の銃弾に倒れます。

水色丸が成生岬で黄色丸が金剛院の位置です。

溝口は京都の金閣寺の徒弟となります。

心を許す同じ徒弟の鶴川と南禅寺にいきます。三門の勾欄(こうらん)から天授庵(てんじゅあん)が眼下に見え広い座敷が見えます。そこで戦地に向かう陸軍士官と長振袖の美しい女性との別れを目撃します。

 

溝口は大谷大学へ進学させてもらいます。

大学で出会った柏木が女性二人を連れて来て嵐山へ遊びに行きます。今まで知らずに見過ごした小督局(こごうのつぼね)の墓にも詣でます。

渡月橋そばの水色丸が小督塚です。今の小督塚は女優の浪花千栄子さんがあまりにも荒れていたので化野から石塔を運び設置したのだそうです。この近くに浪花さんが経営していた旅館があったようです。今はありません。美空ひばり館もすでにありません。

四人はもう一つの水色の丸で印した亀山公園に行きます。この公園の門からふりかえると保津川と嵐山が見え対岸には小滝が見えるとあります。

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溝口が金閣から逃れて旅に出る時寄ったのが船岡公園にある建勲神社(たけいさおじんじゃ)です。ここでおみくじを引くと「旅行ー凶。殊に西北がわるし」とあり、西北に向かいます。

京都駅から敦賀行に乗り、西舞鶴駅で降ります。そこから宮津線と直角に交わってから由良川にでて、その西岸を北上して河口にむかいます。そして海に向かいここで「金閣を焼かなければならない」という想念に達するのです。

途中、溝口は和江という部落で由緒の怪しい山椒太夫の邸跡のあるのを思い出します。立ち寄る気がないので通り過ぎてしまいます。

山椒大夫で、出ました!とおもいました。溝口健二監督の映画『西鶴一代女』『雨月物語』と観て『近松物語』を観ました。『近松物語』はその特報と予告で、三つの作品が三年連続ベニス映画祭で賞をとり、その勢いで期待される新作と凄い力の入れようです。受賞した三作品とは『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』で、『山椒大夫』ももう一度観なくてはと思っていたところだったのです。

近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。

桃色丸が西舞鶴駅で、白丸が山椒太夫の邸跡です。

こんな感じで少し地図上の旅を楽しみました。舞鶴方面と京都の小督塚と亀山公園には行っていません。

現在の雪の金閣寺です。

金閣寺垣。

銀閣寺も。

追記: 水上勉原作の映画『五番町夕霧楼』(1963年・田坂具隆監督)を鑑賞。金閣寺炎上と関連していたのを知りました。水上勉さんならではの視点でした。

 

市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(1)

市川雷蔵さんの演技に関しては以前か興味がありました。時代物も現代物も、着物も洋服も違和感なく見せてくれる俳優さんです。

今回も『好色一代男』『大阪物語』を観てその役どころの違いにもきちんと対応されていました。そこで、『炎上』が再度見たくなったのですが、やはり原作からぶつかろうと三島由紀夫さんの『金閣寺』から始めましたが、難解で疲れました。読み終わったらエネルギーを全て吸い取られたような疲労感で、それでいて明確な回答が浮かばない状態で天才にお付き合いするのも大変です。

読み進んでいて飛ばしたいのですがそれが出来ないのです。書かれていることは一つとして省くことは出来ず、よくもまあ無駄のない言葉で埋めてくれましたと思いました。

主人公の溝口は吃音のため、話題に何か意見や感想を言っても人はその言葉を待ってはくれず笑いとなり、自分の想いは正確に伝わることがないのです。自分と外界との間に常に溝があって上手く通じ合えないのです。その孤独感が、父から聞いていた金閣を自分の中で美しさとして温めています。

それは父が肺病という体でやはり外界と溝のある立場であり、そうした父の言葉に親しみと信用をもっていたのでしょう。父は舞鶴から東北にある成生岬(なりうみさき)にある小さな寺の住職でした。

実際に父に連れられて見た金閣は美しくなかったのです。ところが離れて見ると自分の中にまた金閣にあこがれがよみがえってきます。

主人公の周囲に登場する人物は皆それぞれの短編が出来ると思われるほど一筋縄ではいかない人物ばかりです。最初に異性として惹きつけられた有為子(ういこ)には「なにさ吃りのくせに」と言われますが、これは溝口に対する蔑視でありながら、「吃りぐらいなんなのさ。私はもっと皆から非難されることをやっているのよ。」ともとれる行動に出るのです。彼女は死と対峙している行為の中にいたのです。

日本海側の田舎で育った溝口は、あこがれの金閣寺のそばで暮らすことが出来るようになります。そして、心の中の金閣と現実の金閣は重なって美しい金閣となったいきます。しかしそこで出会う人々は金閣のように美しい人ではありません。ただ同じ徒弟の鶴川だけは、溝口とは反対に位置する明るさの象徴でした。しかし、事故で亡くなってしまいます。ところが後に鶴川は自殺であったことがわかります。それは鶴川とは相容れないと思っていた柏木から聞かされます。

柏木は自分の不自由な足への同情で女性の心を捉えてほくそ笑んでいる大学生でした。その柏木の相手の女性に、かつて鶴川と南禅寺から眺めた塔頭の部屋で見た美しい女性もいたのです。生身の美しいと思うものは全て壊されていきます。

金閣の老師もその一人でした。父とは共に修業時代を過ごし、父亡きあと父の遺言通り自分を受け入れてくれたのです。大学にも通わせてくれました。ところが老師は女遊びをしており、そのことを知った溝口は老師が自分と同じ位置にいる人間だという思から身近に寄り添いたいと願います。老師は自分の位置を下げることは無くむしろ自分の庇護を棒に振る哀れな奴と溝口の事をおもうのです。それでいながら表面をつくろうことは心得ているのです。

そうした人間関係の中で金閣だけは美しかったのです。ところが現実の金閣ではなく、美しい金閣は溝口の中にある金閣となっていきます。さらに自分の思い通りと思う金閣も現実世界で邪魔をするようになります。たとえば女性にたいする欲望の真っ最中に姿を現し邪魔をするのです。

大きな時代の流れの戦争中の金閣と溝口の関係は、一緒に空襲のなかで死ねると思っていた幸福な時代でした。敗戦となりそれが叶わなくなった時、新たな現実世界で金閣は人に翻弄される自分をささえるのではなく邪魔をするのです。適当に生きようとする自分の邪魔をするのです。

溝口は何もかもから逃げだします。故郷の舞鶴から由良の海を前にして、金閣を焼く決心をするのです。金閣を焼くことによってこの世の中のなにかが変わると思うのです。

金閣を焼く決心から行動への後押しは、老師の脳裏に自分をもう寺にはおいておけないという認識がうまれたことと、朝鮮動乱が勃発したことでした。

金閣を焼くと決心するや溝口は柏木に対して、金閣の美は自分にとって怨敵だと主張するのです。そして五番町へ女を買いに行きます。そこに有為子が生きているという空想にとらわれます。そしてまり子という女性を抱くのでした。金閣が邪魔をすることはありませんでした。

認識から行為へと着々と進んでいきます。うまい具合に火災報知器までが故障してくれるのです。さらに老師と父の友人である禅海和尚がきており、溝口は自分を和尚の前に投げ出します。溝口は和尚に理解されたと感じ、一層行為への力をもらうのです。

行動に移すとき見た金閣はどこをとっても美そのものでした。火をつけ金閣と共に死のうとしていた溝口は三階の部分が開かなかったため、左大文字山の頂にのぼります。金閣の燃える火の粉を見つつ、溝口は死ぬつもりで購入した小刀と睡眠薬を捨てて煙草を吸うのです。

そうして生きようと思うのです。

主人公は金閣を燃やすことによって何かが変わると考えたのです。実行することによって「私の内界と外界との間のこの錆びついた鍵がみごとにあくのだ。」と幸福感に浸ります。実行の結果、生きようと思うのです。

『金閣寺』という小説が、金閣という美を自分と一体化するために火をつけたと思っていました。ですから怨敵と思うなど考えてもみませんでしたし、最後に主人公が生きようとおもうなどとも思いませんでした。結果的に金閣は主人公が生きるために焼かれたわけです。そうではなく、焼いてみると生きようと思っている自分がそこにいたということでしょうか。

邪悪な世界。そこに長く存在している金閣寺。しかしその金閣寺にも何の力もなく、そう認識したとき焼かなくてはならないという行為にまで進まなければならなかった。そして、金閣寺とい後ろ盾も内的美もない虚無とともに主人公は生きると決めるのです。そういうことですかね。今はそう思うことにします。

井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(2)

雨月物語』(円城塔・訳)。最初の物語「白峰」は主人公が逢坂の関を越えて東国の歌の名所を巡る旅に出たらしいのです。そして旅路の表現になります。

「尾張に入れば浜千鳥の足跡続く鳴海の浜を、先に進めば富士の山をと心惹(ひ)かれるものばかり、駿河の国の浮島が原、清見が関に杖をとどめる間にも、風にたなびき行方も知れぬ富士の煙を我が身に重ね、ようやく相模の国は大磯小磯の浦々をすぎた。」として、武蔵野、陸奥鹽竈(むつしおがま)、出羽の象潟と続くのです。この主人公は誰でしょう。西行です。なるほどです。引っ張り方がなかなかです。

先に読んだ時よりも物語の場所に実際に行った場所が増え身近な気分にさせてくれました。

映画『雨月物語』も見直さなければです。

通信総籬』(いとうせいこう・訳)。えん次郎がヤブ医者のしあんと喜之助を誘って吉原へ出かけその中の様子を描いているのです。その前に喜之助宅での様子も書かれています。喜之助の女房は「宣徳の火鉢の上に掛かっている広島薬罐(やかん)から」茶をついで出し、喜之助は半戸棚から豆の混ざった金平糖をだします。<宣徳の火鉢>とか<広島薬罐>などはどんなのかなと思いますがいとうせいこうさんはさらぬ注釈をつけていて、その注釈を読むだけでも興味ひかれます。<金平糖>など食べ物も豊富にでてきます。

さらに登場人物の着物や小物なども微細に表現されています。喜之助の女房は、更紗の風呂敷を前掛けがわりに帯にはさんでいます。オシャレですね。

山東京伝は浮世絵をならい挿絵も描いていましたので、ファッションなどにたいしても目がいくわけです。それは西鶴にもいえるのです。西鶴さん、挿絵も描いていたのです。

同時代人として、酒井抱一、葛飾北斎がいたのです。

春色梅誉美』(島本理恵・訳)。男女の色恋沙汰が描かれていて大ベストセラーになった作品です。元々は吉原の唐琴屋でのことでした。唐琴屋の養子だったはずの丹次郎は今では隠れ住む身の上に。丹次郎の許嫁で唐琴屋の娘・お長。唐琴屋の売れっ子花魁の此糸(このいと)。丹次郎の面倒を見る芸者の米八。女性三人はよく知った仲なのです。ただお長と米八の想い人は丹次郎なのです。二人の想いに火花がちらちら。そこに唐琴屋の客・藤兵衛が絡み、腹黒い現在の唐琴屋の経営者などが位置しているのです。

単純なようで登場人物の心情と事の起こりなどが絡み合っていて最後に上手く落ち着くと言った筋立てです。一人称で書かれていて、当時こんな書き方をしていたのかと驚いたのですが、そうではなく訳された島本理恵さんのより楽しめるようにとの配慮でした。これまた現代語訳の面白い試みです。

会話が生き生きとしていて、読みながら歌舞伎を観ているような感覚にされました。

この作品がベストセラーとなり、今度は米八の恋敵となる仇吉を主人公にした『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』が発表されます。その原作をもとに歌舞伎『梅ごよみ』が出来上がるのです。2004年の『梅ごよみ』の仇吉の玉三郎さんと勘三郎さんの辰巳芸者の恋の立て引きと意地の張り合いがたまりませんでした。

たわいない話を二人の役者さんが役者の味わいで見せてくれるのです。辰巳芸者とはこうであろうと思わせてくれるのです。実際にはどうであるか判らないことを、そうよね、こうっだたのよね、と思わせてくれるのが舞台の面白さであり、芸の立て引きでもあります。スター性もいいですが、この芸の立て引きがないと物語性が薄まることもあります。

為永春水さんは、幕府の統制がますます厳しくなって出版禁止処分に引っかかったりするのです。『春色梅誉美』の挿絵は柳川重信ですが、あの『(くらら)』(朝井まかて著)にも登場する渓斎英泉とも組んでいるのです。絶えずうごめいている江戸文化です。

作家と楽しむ古典』はこの全集で訳された方々の興味深い作品への想いや、試みへの工夫などを読むことができます。

気軽に読めて楽しく、三浦しをんさんの『菅原伝授手習鑑』では三つ子の三兄弟の勤め先がそれぞれ立場の違う人に仕えるのですが、松王丸の悲劇はこの勤め先によるわけです。それを世話したのは道真公で、三浦さんは、松王丸をライバルの藤原時平に仕えさせたのはライバルの様子を探るためではないかと推測されています。全然考えてもいなかったのでこれまた驚きの展開へと導いてくれました。

「寺子屋」の悲劇の場所は、日本の文字を読める人の多さに貢献し、江戸文学を楽しむ読者を増やしたことでしょうからこれまた面白い展開です。

好色一代男』は、『伊勢物語』パロディ化でもあるそうで、そうなれば『伊勢物語』も読まなくてはです。この全集なら読むのが楽しみであり娯楽の範疇ともいえるのが嬉しいです。

追記: デルタ株、これでおさえられるのであろうか。おさえてもらわなければこまる。国内での実態の検証は?

000788445.pdf (mhlw.go.jp)

井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(1)

島田雅彦さんの現代語訳『好色一代男』は池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集 11』で読んだのですが、ほかにも現代語訳作品が載っているのです。

雨月物語』(上田秋成)は新たな感覚で読み直せて、『通信総籬(つうげんそうまがき)』(山東京伝)は初めてお目にかかる作品です。『春色梅誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(為永春水)は歌舞伎の『梅ごよみ』の原作でもあります。

まさか山東京伝、為永春水作品を読むとは思ってもいませんでした。現代語訳に出会わなければ、西鶴作品と並んでいなければ読まなかったでしょう。楽しませてくれました。

西鶴のころより出版物に対する幕府の統制は厳しくなり山東京伝は手鎖を受けています。

何回も言いますが西鶴の同時代として、芭蕉、近松の関係があります。西鶴と芭蕉は何となく概要はつかめました。西鶴さんと近松さんは浄瑠璃の台本をお互いに書き、バトルとなったときもあります。その時は近松のほうの作品が人気をとりました。その後、近松は歌舞伎で坂田藤十郎の作品を書きます。近松はその後浄瑠璃にもどり心中物というジャンルを確立します。何となく近松、藤十郎、心中物とつながっていましたがそうではなかったのです。

西鶴が亡くなる 1693年(元禄6年)52歳

芭蕉が亡くなる 1694年(元禄7年)51歳

・赤穂浪士の討ち入り 1694年12月 (この事件が入ると時代的により親しみが持てるとおもいます)

・『奥の細道』刊 1702年(元禄15年)

近松の『曽根崎心中』初演 1703年(元禄16年) 近松はそれまでの浄瑠璃の時代物に世話物を取り入れ人気をはくすが幕府の圧力により上演禁止となる

西鶴さんが商人や庶民の生活や旅を描いたことが芭蕉さんや近松さんにも少なからず影響や刺激を与えたと思うのです。芭蕉さんは旅に想像を加え、近松さんは現実に起こった事件にさらに物語性を加えて作品仕上げています。

このことはさらに江戸文学の次の世代によって進んでいきます。

大阪で浮世草子というもの広げた西鶴。それが江戸文学としてどうつながっていくのかは、西鶴、秋成、京伝、春水という道があるのだということを教えられたのです。ありがたい並べ方であり読みやすい現代語訳でした。

・『好色一代男』 (1682年) 浮世草紙 → 同時代の町民の恋愛を描き難しいいましめなどは語らない娯楽的な風俗小説。

・『雨月物語』 (1776年) 歴史奇談集 → 浮世小説では物足りない歴史的知識などのある人々にために中国から日本に舞台を移してこの世ではないことも加えた。

・『通信総籬』 (1787年) 洒落本 → 同時代の色里の様子が描かれている。吉原の中の様子。遊女や太鼓持ち、客などの様子。当時の装いや唄などの流行は悪所と言われる遊里と歌舞伎から発生している。会話あり。

・『春色梅誉美』 (1832年) 人情本 → 物語性があり市井の人々の恋愛が描かれていて次はどうなるのであろうか読者をひきつける。女性も読者に。会話あり。

『好色一代男』に描かれたことの中からさらにその狙いどころの細部の拡大を試みています。

色々な方々の解説などを参考に自分用にまとめました。そして『春色梅誉美』では、玉三郎さんと勘九郎(18代目勘三郎)さんの歌舞伎の『梅ごよみ』にぶつかってくれたので、よっしゃー!です。

自分流の横線と縦線、少しはっきりしました。