茅ヶ崎からの歩かない旅

テレビの『英雄たちの選択』(名優誕生!九代目市川團十郎新時代に挑む)から、かつて歩いた茅ヶ崎を思い出してその旅を読み直した。

茅ヶ崎散策(1)  茅ヶ崎散策(2)

http://www.chigasaki-kankou.org/pamphlet/images/walking_map2019_a.pdf (茅ヶ崎の散策地図)

随分時間が経ってしまったものである。その時もイサム・ノグチさんの名前が出ているが、どういうわけかそれ以上にイサム・ノグチさんに興味が深まらなかった。今回はとても惹かれてしまった。イサム・ノグチさんのお母さんを主人公した映画『レオニー』(2010年・松井久子監督)も知っていたが今回は観るのがたのしみであった。

何が原因なのか。やはり新型コロナの影響なのであろうか。人種差別の問題と関係するのかもしれない。イサム・ノグチさんは、日本人の父とアイルランド系アメリカ人の母との子としてアメリカで誕生(1904年)する。その時、父の野口米次郎さん(詩人)は日本へ帰ってしまっていた。イサム・ノグチさんは芸術家となるが、その仕事は二つの祖国で揺れ動きながら、最終的には国を越えて自分の目指すものを表現する広さを獲得した。それは、お母さんのレオニーさんの生き方も大いに影響していたであろう。

ドキュメンタリー『イサム・ノグチ  紙と石』では、イサム・ノグチさんの作品がそれを取り巻く空間やそこに位置する人を包んでもっともっと広がっていくのが伝わってくる。そこに国境はない。イサム・ノグチさんは、父と母の国のどちらからも疎外されている孤独感を味わっている。そのことがかえって広がりを作ったようにおもえる。

ドキュメンタリー『イサム・ノグチ 紙と石』と映画『レオニー』からまとめてみる。

イサム・ノグチは、3歳の時母と日本へ来る。父が親子を日本へ呼んだのである。ところが米次郎は日本人の妻を持ち、レオニーは妻としては認められなかった。レオニーは米次郎から自立するため茅ヶ崎に移り住んだ。そうなのである。茅ヶ崎はレオニーさんが選んだ町なのである。

レオニーは茅ヶ崎で英語教師などをし、妹のアイリスを出産する。誰の子であるかは最後まで口を閉ざした。家も建てるのである。(映画ではアメリカの友人からお金を借りている)その時、10歳のイサムに設計を手伝わせる。

イサム13歳の時、母の意向でアメリカでの教育を受けるため単身旅立つ。入った学校は間もなく閉校となるが、助けてくれる人がいてコロンビア大学の医学部に進みことができた。母とアイリスもやっとアメリカのイサムのもとに来る。イサムは夜は美術学校の彫刻科に通い、その3か月後には初の個展を開いている。そのとき、イサム・ノグチと名乗る。幼少の頃は、野口勇とし、それからイサム・ギルモアと名乗ったようである。その後26歳の時、父からノグチの名前を名乗ることを禁じられたりもしていて、イサムと父の関係はずーっとギクシャクしたものであった。

父は父でアメリカで疎外感を味わい、レオニーと恋愛関係があっても日本女性の古さを求める男性でもあった。彼にとって、レオニーという女性は手こずる相手であった。アメリカであってもこれだけの自己を保持する強さをもった人はまれであったろう。レオニーは60歳で肺炎で亡くなっている。

第二次世界大戦でイサムは、ニューヨークに住んでいたため対象とはならなかったのであるが、アリゾナ州の日系人の収容所に志願して入所する。そこで、芸術的なことで日本とアメリカのつながりを持ちたいとするが思うようにいかず収容所から出ることとなる。

ニューヨークに戻ったイサムは、工事現場から薄い石の壁材を集めそれを磨いて組み立て、石の彫刻をはじめ、世間の注目を集めるようになる。これが石とイサム・ノグチとの作品としての出会いといえる。

戦後は、インテリアの作成にもたずさわり、彫刻などもただ眺められるものではなく、その空間に眺める人をも包みこむ広さを求めていく。そこは自分の作品が生み出す空間であった。

岐阜提灯から竹と紙が創る新しい人を包む灯りを作り出す。「紙の提灯は壊れてもまた新しい物に替えられる。私はこの概念を日本に教わった。過ぎ行くものをいつくしむ心。いずれ人生は終わり桜の花は散る。そこに残るのは芸術と命なのだ。」

イサムが創る庭園や公園、そしてそこにある彫刻はひとの命を現わしているのだろう。「庭園は彫刻のあるべき姿を表現したものだと思う。美術館に並んでいるものだけが彫刻ではない。実際に生きる人々が生活の中で経験するものだ。その空間を共有し体感するのだ。」

1986年、高松の牟礼で「黒い太陽」の制作に入る。「石と向かい合う私は決して一人ではない。彫刻の歴史、現代までの彫刻の歴史と一緒に作業しているのだ。自然、風や星、私達が生まれそして帰っていくところ。」一緒に仕事をされた和泉正敏さんはイサム・ノグチさんがこういわれていたという。「石を割り過ぎて失敗したと思っても、一年か二年するとそれが良い味わいになってくる。人間の体と同じように手とかに傷してもそれが回復する。色など美しいところもでてくるものだ。」そして「もうこの石の中に入ってもいいだろう。」と言われて少したってから亡くなられたそうである。

牟礼のアトリエと住まいは今はイサム・ノグチ庭園美術館となっている。

映画『レオニー』のエンドロールには札幌のモエレ沼公園で遊ぶ子供たちが映される。札幌の大通公園には、「ブラック・スライド・マントラ」と名付けられた黒御影石の滑り台があるという。札幌の大通公園近くに住む友人に尋ねたら、この滑り台は東京のお孫ちゃんのお気に入りだそうである。イサム・ノグチさんの想いはつながっていたのである。

映画『レオニー』は、主人公のレオニー・ギルモアを演じたのが、映画『マイ・ブックショップ』のエミリー・モーティマーだったので、観始めた時から彼女ならと落ち着いてみていられた。気丈さが過剰に誇張されずに描かれていて満足であった。野口米次郎の中村獅童さんも根底にある古い日本男子をコントロールして苦悩を抑え気味にし、レオニーとのぶつかり合いを上手く出していて、レオニーの人格を浮き彫りにした。

実際にレオニーがこれほど日本語を覚えなかったとは思えないが、下手な日本語で演技するより伝わり方が直接的であり、レオニーに対する非難も一つ一つ捉えていたら話しがそれてしまいがちなところを上手く筋道を通してくれていた。そして小泉八雲の奥さんの竹下景子さんがこれまた通訳としての良い位置にあった。レオニーさんは女として母として硬い石をコツコツと削ったり、時には割り過ぎたりしながら生きられた方である。

イサム・ノグチさんも晩年は硬い石に惹かれて玄武岩や花崗岩など削るのに時間がかかり彫刻に困難なものを選んだそうである。この母にしてこの子ありであるが、レオニーさんはイサム・ノグチの母でもあるが、レオニー・ギルモア個人として想像できないほどの意思を通した方である。

東京都美術館で『イサム・ノグチ 発見の道』2020年10月3日(土)~12月28日(月)が開催予定である。

その時には興味ひかないものが、ある日発見することもある。ドキュメンタリー『わが心の歌舞伎座』(2010年)もそれである。勘三郎さんが舞台で、いつまでやってんだろうね「さよなら歌舞伎座公演」と冗談を言われていたが、正直本当と思ったくらいである。2009年1月から2010年4月まで行われていたのである。そのため『わが心の歌舞伎座』も申し訳ないが観ようとは思わなかった。

ところがである。今回観ると惹きつけられて集中して観てしまった。役者さん達の芸に対する考え方とその芸の技の一致にまず魅了される。そして舞台裏の技の世界がこれまた知られざる積み重ねの世界なのである。もしかすると、歌舞伎舞台のできない今だからこそ、魅入ってしまったのかもしれない。好い時に観ました。

イサム・ノグチさんの言葉を勝手にあてはめてみた。「舞台と向かい合う私は決して一人ではない。先人の歴史、現代までの舞台の歴史と一緒に作業しているのだ。舞台装置、音楽や語り、私達が生まれそして帰っていくところ。」

映画『ステキな金縛り』からドラマ『ステキな隠し撮り~ 完全無欠のコンシェルジュ~』(3)

さて映画『ステキな金縛り』には、出演の時間に関係なく個性的な出演者が多いので、こちらの頭の中の整理を兼ねて紹介しておきます。

・すこぶる好奇心の強い裁判長(小林隆)

・六兵衛の子孫で歴史家として六兵衛の名誉回復のため慰霊碑建設に尽力する木戸(浅野忠信)

・殺された鈴子の姉の風子の夫でなぜか外国人的ジェスチャーの日野(山本耕史)

・エミの恋人の工藤と役者仲間でやる気だけはあるが売れていない村田(佐藤浩市)

・法廷画家で六兵衛が見えていている日村(山本亘)

・奥多摩からエミと六兵衛を乗せる落ち武者頭のタクシー運転手(生瀬勝久)

・ファミレスの店員(深田恭子)・ファミレスで六兵衛を見て驚く男(梶原善)・道路で六兵衛を見て悲鳴を上げる女(篠原涼子)・エミのボスを看取る医者(唐沢寿明)・テレビの中での心霊研究家(近藤芳正)・エミと並んでエンディングにとんでもない人が出ている(大泉洋)(その他・相沢一之、西原亜希、榎木兵衛 等多数)

映画『ステキな金縛り』の公開を記念して製作されたのがスペシャルドラマ『ステキな隠し撮り~完全無欠のコンシェルジュ~』(脚本・演出・三谷幸喜)である。『ステキな金縛り』の出演者を起用して、あるホテルの新人コンシェルジュ・西條ミエ(深津絵里)が、8人のスイトルームのお客様からの要望に応えるのである。上司のコンシェルジュ・菅原(小林隆)からコンシェルジュの言ってはいけない言葉「駄目です。無理です。出来ません。」をやんわりとつきつけられる。

一番目の客は、芸術家(浅野忠信)で、色々探っていたらダンスの振付師で新しいアイデアが浮かばなくて苦しんでいた。ミエは盆踊りから発想して新しいダンスを披露する。どんな盆踊りだったのか、そちらが気になる。「ONCE IN A BLUE MOON」 

二番目の客は、映画監督(三谷幸喜)であらかじめDVDを見せられその感想を聴かれる。どうやら『ステキな金縛り』のようである。条件は自信の持てる言葉が欲しい。ミエは泣けたところは三か所。監督は七か所。しいて言えば七か所は多すぎであろう。最後にミエはバシッと決めの言葉を言う。13台の隠しカメラがフル回転。

三番目の客は、写真家(山本耕史)で、ミエにモデルになってほしいという。ミエは出来るだけ協力するとやる気あり。テーマはワーキングガール。部屋の中はドンドン暑くなっていくどんどん脱いでゆく。誰が。

四番目の客は、料理の出来ない料理研究家(竹内結子)明日のテレビの生出演のためにニョッキの実演練習である。この実習を見せられるのかと、しいて言えば退屈であった。しかし、このドラマの撮影は長廻しなのである。ハプニングあり。怪我されなくてよかった。

五番目の客は老人(浅野和之)である。愛人と一度だけこのホテルに泊まり至福の時間を過ごした。その愛人も亡くなり自分の命ももう長くはない。一時間でいいから愛人の代わりになってソファーに並んで座って欲しい。老人の話術に単純にダマされてしまって笑ってしまった。

六番目の客は、コール・ガール(戸田恵子)で一緒にいた国会議員(木下隆行)が亡くなってしまった。その死体の下に議員からプレゼントされた200万円のピアスがあるので探して欲しいと。大きな死体を動かして探しているうちに秘書(相島一之)が来て手切れ金を置いてゆき遺体を運び出す。役に立つ盆踊り。

七番目客は、シルク・ド・それゆけのスター(草彅剛)は、新しい技を考えなければならないので見ていてくれと。箱にライオンと入るのだそうであるが、なかなかスター一人が箱に収まらない。スターのオーラに箱が小さすぎるのかなんてことはない。技がないのでは。

八番目は会社員(西田敏行)で、会社のお金を横領していた。人生で最初で最後の贅沢にスイートルームに泊まる。一度でいいから誰かの役に立ち、ありがとうと言われたい。ミエは答えられるであろうか。

その他、怪我で包帯だらけの客(小日向文世)、歌手KAN、超ショートの小佐野(中井貴一)と外務省役人(阿部寛)、映画『ステキな金縛り』の宣伝をする阿部つくつく(市村正親)、最後はミエのコンシェルジュとしてのダメさぶりを見つめていた盗影犯人(生瀬勝久)

個性的な客(俳優)に深津絵里さんはよくコンシェルジュとしても俳優としても答えられていた。8人との長が回しであるからお疲れであったろう。ショートの客の要望も細かかったり想定外だったりで、よく言いますよと楽しかった。

三谷幸喜さんは歌舞伎の台本も書かれていて演出も。『月光露針路 日本風雲児たち』(つきあかりめざすふるさと)で原作はみなもと太郎さんの長編マンガ『風雲児たち』からである。映画『おろしや国酔夢譚』を観ていたので内容は分かっていたが、ロシアの宮廷をどう描くのかが興味あった。さすが歌舞伎役者さんと舞台装置である。

女帝カテリーナが猿之助さんで公爵ポチョムキンが白鸚さんである。猿之助さんは高杉早苗さんを思い出してしまった。ミュージカルでもベテランである白鸚さんは、さすが外国の高官のそのものであった。お二人で豪華絢爛な宮廷を描いてしまわれた。それに圧倒されながらも負けない光太夫の幸四郎さん。彼の願いは乗組員と途中で亡くなった者たちの魂を日本に連れ帰ることであった。(シネマ歌舞伎として10月上映予定。)

追記: NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』(名優誕生!九代目市川團十郎新時代に挑む」の放送は大変よくまとめられていてわかりやすかった。活歴や川上音二郎との関係など。再放送は24日(水)午前8時~。川上音二郎との関係では茅ヶ崎の「ちがさきナビ」の「地図でめぐる茅ヶ崎と芸術」の地図が参考になると思います。http://www.chigasaki-kankou.org/faq/http://www.chigasaki-kankou.org/pamphlet/

映画『ステキな金縛り』から『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』(2)

映画『ステキな金縛り』がないがしろにされそうであるが、こちらの勝手な勢いで『素晴らしき哉、人生!』に進むことにする。主人公のジョージ(ジェームズ・スチュアート)の父は、貯蓄貸付組合を運営している。この会社は貧しいものが少しずつお金を貯蓄してそこから融資をうけ自分の家を持つというしくみで運営は苦しく、ジョージは自分で働いてやっと大学に進むことが可能になった。

ジョージを好きなメアリー(ドナ・リード)とダンスパーティーで得意でないダンスに興じる。背が高く足の長いジェームズ・スチュアートのダンスはちょっとした見どころである。「ステキな金縛り」のエミのボス、速水弁護士(阿部寛)が法廷でタップを披露するがこのあたりがつながっているのかも。

ジョージの夢は父の急死で延期となる。彼は、貯蓄貸付組合の後を引き継ぐのである。ためた学資は弟の大学の学資にあてることにする。貯蓄貸付組合を手に入れたい人物がいた。多くの貸し家を所有して営利をむさぼっているヘンリーである。家を持たれると自分の利益は減るのである。

ジョージはメアリーと結婚し新婚旅行へという時、金融不安。新婚旅行の費用を預金者にまわし危機を乗り越える。二人の間には4人の子供が誕生していて、楽しいクリスマスイブ。叔父が会社の売り上げを銀行に預けに行きお金を紛失してしまう。間違ってヘンリーに渡してしまいそのことに気が付いていない。もちろんヘンリーは会社を乗っ取る絶好の機会と知らんふり。

絶望のジョージ。そこへ、翼のない天使・クレランスがあらわれる。ジョージを助ければ翼を貰えるのである。クレランスはどうやって自殺しか頭にないジョージを再起へと導くのであろうか。

さて『ステキな金縛り』ではどうやって被告の無実を証明するのか。ところで、幽霊を証人として連れて来るしかないですねと言ったのは小佐野検事(中井貴一)なのである。もちろん冗談で。ところがエミの行動は弁護士として崖っぷちである。やるしかない。六兵衛も自分の立場と被告の立場の名誉回復は一致するとタッグ成立。

幽霊であるから難問続出である。ひとつ使えるのは六兵衛さん息を吹きかけることができるのである。ボス愛用のフエラムネから音を出せるので、ハーモニカ登場。ハイはひと吹き、イイエはふた吹きでOK。しかし、小佐野検事は納得しない。この検事、エミの亡き父・宝生弁護士の事は認めているがエミには懐疑的。あたりまえである。

ところが、あちらの世界の公安係・段田が六兵衛さんにあちらの国への強制送還書を提出し連れ去ろうとしたとき助けてくれる。そしてエミにいうのである。「我々は敵ではない。真実を求めると言う意味では味方同士だ。我らの敵は真実を隠そうとする者たちです。」パチパチパチ!

佐野検事は勝利にもこだわる人で、六兵衛さんの証人としての資格を歴史的見地から論破してしまうのである。段田公安係は六兵衛を連れて行こうとするがエミは『スミス都へ行く』のDVDを観る間待ってもらう。

話しは急展開。あのエミの力になってくれたボスが倒れる。臨終の間際ボスにエミはあちらに行ったら段田さんにメモを渡してほしいと頼む。メモには『素晴らしき哉、人生!』を見せると。もちろん姿を現す段田公安係。エミが頼んだのは、被告の死んだ奥さんを連れてきてほしいと。

法廷に現れた鈴子(竹内結子)。それを見て驚く姉の風子(竹内結子)。え!幽霊見えるの。見える人と見えない人がいるのである。その事を究明したエミはなかなかの腕前である。殺人事件はあらぬ展開をみせエミは勝利する。

六兵衛さん、エミの父親を連れてきてくれる。でもでもエミにはもう六兵衛さんもあれほど会いたかった父も見えないのである。見える条件の一つを失ってしまったのである。しかしハーモニカで父は「アルプス一万尺」を吹いてくれる。父は「ヤンキードゥードゥルなんだけど」とつぶやく。え?この歌は、アメリカ合衆国では民謡で独立戦争の時の愛国歌なんだそうである。『スミス都へ行く』にも出てきて「アルプス一万尺だ」と思っていた。そうであったかと知らされる。『ステキな金縛り』を観なかったら気にもとめなかったことである。

スミス都へ行く』と『素晴らし哉、人生!』も是非ご覧あれ。天使の腕前も。グロリア・グレアムはヴァイオレットというメアリーとは違うタイプの女性役で登場しました。

映画『ステキな金縛り』から『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』(1)

映画『ステキな金縛り』(2011年・三谷幸喜監督・脚本)は、予告映像を観ておふざけ過ぎじゃないかなと感じて観ていなかった。この際観て置こうと鑑賞したら可笑しくてラストはウルウルときた。相も変わらず面白い事を考えるものである。

法廷劇あり、サスペンスあり、家族愛あり、幽霊とのガッチリタッグありのエンターテイメント映画である。そして、映画『スミス都へ行く』(1939年、フランク・キャプラ監督)、『素晴らしき哉、人生!』(1946年・フランク・キャプラ監督)のお土産付きである。もちろん映画の中でも陰で活躍してくれているのである。

主人公・宝生エミ(深津絵里)の部屋に、写真とその横にDVDのパッケージ『スミス都へ行く』が飾られている。この写真の主は亡くなったエミの父(草彅剛)であるらしい。エミは売れない役者の恋人(木下隆行)と同棲している。そして彼女は、優秀とは言えない弁護士らしい。

そのエミが殺人犯の弁護をすることになる。妻殺しの被告人・矢部(KAN)は、自分はその時間は奥多摩の宿に泊まっていて落ち武者の金縛りにあっていたと主張する。エミはその宿を訪ねる。宿の主人夫婦(浅野和之、戸田恵子)は何度も警察に聴かれへきえきしている。

エミは被告が泊った同じ部屋に泊めてもらうことになる。さて金縛りはあるのか。落ち武者があらわれる。名前は更科六兵衛(西田敏行)。六兵衛は北条氏の家臣で裏切者の汚名をきせられ打ち首にあっていて無念のあまりさまよっていたのである。エミは、六兵衛に証人として法廷に立ってもらうことにする。奇想天外である。ありえないことを実行するのがエミの弁護士としての使命感である。成り行き任せのとこもあるが、その勢いは止められない。

エミの父が好きであった映画『スミス都へ行く』の内容をすこし。アメリカのある州出身の上院議員が亡くなり、その後任を決めなくてはならない。知事、もう一人の上院議員・ペイン、この地を牛耳っている新聞社経営のテイラーは自分たちが操れる人物を探す。ボーイスカウトのリーダーである田舎者のスミスが選ばれる

スミスの父は、正義感が強く悪の凶弾に倒れていた。その時親友だったのがペインで、スミスはペインを尊敬しており、ペインに推薦され上院議員になれたことをとまどいながらも喜びでいっぱいだった。彼はワシントンで議事堂を眼にして感動し、リンカーン記念堂ではリンカーンが自分を待ってくれていたと思い込むほどの愛国者であった。

スミスは何か仕事をしなくてはと、地元の子供たちのためにキャンプ場の建設許可の法案を提出する。ところが、ペインは同じ場所にダム建設の法案を出していた。これには不正がからんでおり、これを追求しないような政治にうとい議員としてスミスを選んだのである。スミスはペインやテイラーの罠にはまり落胆し故郷へ帰ろうとするが、秘書の助けもあって自分の法案を通すために闘うのである。

意見のある議員は立って意見を述べる間は、質問以外誰もそれをさえぎることはできないという決まりがあり、スミスは立ち続ける。地元の報道は、テイラーに牛耳られていて正しい報道はされない。ボーイスカウトの少年たちは正しい報道を自分たちの手で配達するが、テイラーはそれさえも妨害する。議会ではスミスはついに失神して倒れてしまう。

ペインは自分の行ないに嫌気がさし真実を語る。ついにスミスの勝利。議長がなかなか粋な人で合間合間でスミスの正義感に同調し楽しんでいるのが憎い。子供たちの活躍も目をひく。そうかそうかこういう映画で感動したのかと記憶を呼び戻す。

エミの父以外にもこの映画を好きな人が、いや幽霊がいた。あちらの世界からきた管理局公安の段田(小日向文世)である。六兵衛をそろそろあちらの世界に戻さなくてはならないという。エミは、『スミス都へ行く』のDVDを見てもう少し待ってくれという。段田は承知する。段田はキャプラ監督なら『素晴らしき哉、人生!』のほうが好きだという。次に会ったときエミはそのDVDを用意するからと段田に頼みごとをする。

もう笑えてしまった。DVDの『素晴らしき哉、人生!』のDVDは観ようとしてそばに置いていたのである。ジェームス・スチュアートを観るためではなく、グロリア・グレアムが出ているとの情報からである。アネット・ベニングもアカデミー賞とってもいいのだがと彼女の映画を観続けていて『リヴァプール、最後の恋』にぶつかる。かつてアカデミー助演女優賞もとったことがあるグロリア・グレアムがモデルの映画であった。それまでグロリア・グレアムを知らなかったのである。

グロリア・グレアムの映画を探して『素晴らしき哉、人生!』に行き当たり、観ようとしつつ、ひと月ばかり放置していたのである。観なさいとの催促である。参考までに記すなら『リヴァプール、最後の恋』にでてくるグロリア・グレアムの若き役者の卵の恋人役のジェイミー・ベルは『リトルダンサー』の主役だった少年で、『ロケットマン』では、エルトン・ジョンの作詞のパートーナー役をやっている。その成長には驚きである。話しが飛び過ぎた。

段田推薦の『素晴らしき哉、人生!』は次の機会に。段田が嫌いなのは、陰陽師系である。安倍晴明の友人の子孫である安倍つくつく(市村正親)は吹き飛ばされてしまう。

テレビドラマ『黒井戸殺し』『名探偵ポワロ ~アクロイド殺人事件~』

アガサ・クリスティーの原作、「アクロイド殺し」。『黒井戸殺し』から観るべきだったのか、『名探偵ポワロ ~アクロイド殺人事件~』から観るべきだったかは、今となっては検証すべきもない。ミステリーであるから結末が解っていると、どうしても後の方が不利のようにおもえるが、やはり『黒井戸殺し』が先で良かったと思う。なぜなら、ミステリーと知っているのにそのドラマの運び方が出演者の個性的な演技力とテンポに乗せられて、ミステリーなしのドラマのように観始めていた。

黒井戸殺し』は三谷幸喜さん脚本で2018年に放送されているがその時は観ていない。題名が面白い。黒井戸って何。黒い井戸、いわくつきの古井戸かな、井戸を殺してもなあとつまらぬことを考えていたら、黒井戸とは人の名前(苗字)であった。こねくり回しすぎていたがこのこねくりがなかったら観なかったであろう。原作は、「アクロイド殺し」、アクロイドが黒井戸に変換されていたのである。

先ず、大泉羊さんが野村萬斎さんに原稿を読んで貰うことから始まる。殺人事件に遭遇するなどめったにないのでと。三谷幸喜さんの話しの進め方には色々トリックがあり先に進んで出会う些細なヒントがちらっとでてくるのでこちらもそれなりに頭の中でチェックを入れるのであるがそのサラリ感が憎い。

医者である柴平祐(大泉羊)と隣に住む名探偵・勝呂武尊(野村萬斎)との出会いは勝呂(すぐろ)が家庭菜園で育てたカボチャが平祐の足元に飛んで来て始まる。

昨年ご主人を亡くした唐津佐奈子(吉田羊)が自殺し、医者の平祐が呼ばれる。平祐の姉のカナ(斉藤由貴)が村の情報屋でこの姉と平祐の話しの受け答えのテンポが非常に観る者を楽しませてくれる。ミステリー感を失くしてしまう条件の一つとなる。

もちろん殺人事件は起こる。自殺した唐津夫人と婚約していた黒井戸禄助(遠藤憲一)が短刀で殺されていたのである。さて名探偵勝呂の出番となる。勝呂は、平祐にシャーロック・ホームズのワトソン役を頼むのである。平祐も悪い気がしない。黒井戸家にいる人々の話しを勝呂と一緒に聞くのである。そんな立場から平祐はこの殺人事件を記録しはじめていた。出来れば出版したいとも望んでいた。

そうした中で、姉のカナさんがやはりいいキャラをしていて、なべ焼きうどんがのびると平祐に電話してくる。平祐は今捜査中で帰れないというが、勝呂の分もあると聞きつけた勝呂は、なべ焼きうどんが大好きだという。

なべ焼きうどんがのびないうちにと平祐は自転車の後ろに勝呂をのせて自転車をこぎ、無事なべ焼きうどんを口にすることができるのである。このなべ焼きうどんが非常に役立つのである。カナさんのキャラは素晴らしいはめ込みかたである。さらにミステリーを忘れてしまうキャラは登場人物すべてにある。そのキャラを楽しんでいるうちに突然謎解きは訪れるのである。

他のキャラを紹介しておく。

兵藤春夫(向井理・殺された禄助の義理の息子で金銭感覚に問題があり、東京から帰って来たのに黒井戸家に顔を出さない。)

黒井戸花(松岡茉優・禄助の姪で春夫と婚約)

黒井戸満つる(草刈民代・禄助の義理の妹で花の母、金欲強い)

袴田次郎(藤井隆・黒井戸家の執事で盗み聞きの名人)

冷泉茂一(寺脇康文・黒井戸家の秘書でミステリー好き)

蘭堂吾郎(今井朋彦・録助の友人で女性関係の評判が悪い作家)

来仙恒子(余貴美子・黒井戸家の女中頭で感情を表情に出さない)

本田明日香(秋元才加・黒井戸家の女中で禄助から解雇されていた)

袖丈幸四郎(佐藤二郎・警部で名探偵勝呂のファン)

茶川建造(和田正人・不審な復員兵で事件当日平祐に目撃されている)

鱧瀬(はもせ・浅野和之・黒井戸家、唐津家の顧問弁護士)

これだけの興味深い人々が名探偵勝呂の頭の中で考察され、平祐の記録に記されるいるのである。さて犯人は誰なのであろうか。

犯人が解って『名探偵ポワロ』のほうをみる。観る眼は登場人物が『黒井戸殺し』とどう違うかをみているが、流れとしては名探偵ポワロを追う形となっている。登場人物も『黒井戸殺し』ほど個性的でないのでその点でものめり込み度は低い。

最初は、ポワロが貸金庫から手帳を出し読み始める。回想的な始まりとなる。医者の足元に飛んでくるのはカボチャではなく冬瓜である。医者には姉ではなく妹がいる。情報通であるがカナよりテンポはゆるい。

ワトソン的役割は、ジャップ主任警部がになう。作家と復員兵にあたる人物はでてこない。そして大きな違いは、殺人がもう一件起こるのである。そして、アクロイドを殺す動機が違い、さらに犯人がピストルで撃ちまくるというアクションつきであり犯人の凶暴性がはっきりしている。

黒井戸殺し』には興味深いことがエンディングロードに記されていた。桑名市六華苑と静岡市旧マッケンジー邸である。六華苑は黒井戸家の屋敷であり、旧マッケンジー邸は名探偵勝呂の住まいである。こういうおまけも嬉しい。

映画『記憶にございません』にも斎藤由貴さんが出られていた。『黒井戸殺し』ほどの活躍ではないが、驚く食べ物を提供してくれる料理人なのがつながっている。よくこういう発想が出てくるものである。

浅草映画『清水の暴れん坊』

映画『清水の暴れん坊』(1959年・松尾昭典監督)は主人公が浅草六区の映画街を闊歩する。それも数秒でどこの映画館の前なのだというのが判別しづらいのである。

石原裕次郎さん主演の『紅の翼』に赤木圭一郎さんはエキストラ的役で出ているらしく、『清水の暴れん坊』はお二人の初共演作品となる。

放送局の清水局から東京の本局に転勤になった石松俊雄(石原裕次郎)は、東京駅ホームに立つ。当時は、今のようにホームの足元に乗車位置の表示がなく、柱に8入口とか表示があり乗車するときそこに並んだのであろう。ホームで待つのは先輩プロデューサーの児島美紀(北原三枝)である。石松は当分山登りができないであろうと穂高に登ってその登山姿で降りたつのである。

あきれる美紀。石松は寮を寮へ行く途中お腹がすきソバ屋に入る。ソバ屋は待ち人来るとばかりに、石松のリュックに白い粉の袋を入れる。石松が帰った後、同じ格好の男があらわれる。品物を受け取りに来た戸川健司(赤木圭一郎)である。赤木さんの登場は、裕次郎さんのイメージから一変させる印象付けは効果的である。健司は品物が間違って渡してしまったのを知る。

石松のリュックから見つかった不審物が麻薬であると判明する。ラジオのプロデューサーである石松は、麻薬の実態をリポートして放送で流したいと企画を出す。石松はかつて、クスリによる悲劇に立ち会っていた。新劇の役者が仕事が上手く行かずクスリに手を出し奥さんを殺害してしまう。その時、姉と弟は逃げるのであるが鉄道自殺をしようとしているのを危機一髪で石松が助けたことがあったのである。

クスリを持ち去られた健司は、クスリを取り返すべく仲間と石松を追いかける。健司の顔をみて石松は「健坊!」と声をあげる。「兄貴!」。健司は命を助けた弟のほうであった。

健次の姉・令子(芦川いづみ)も田舎から出て来て、健次をいさめるがそう簡単には悪事から足をあらうことは出来なかった。石松はそれとは関係なく、麻薬取締官(内藤武敏)の力も借りて、自分なりの情報をあつめに動き出す。それらしき恰好をして「にいちゃん、ヤクあらへんか?」とさぐりをいれる。

そして、学生服を着てワル大学生気取りで浅草の六区の映画館街を大股に歩く姿が。石松の右手の映画館が映るが、名前がはっきりしない。電気館と千代田館かなと思うのであるが。そうなると映っていない左手は浅草日活劇場ということか。その辺りが確信がもてないのである。映るのは数秒である。

小沢昭一さんと川本三郎さんの対談で、小沢さんが話されている。浅草でお客が入れば間違いなく全国制覇できるというきまりがあって、封切の日には各社首脳部が浅草に集まり、石原裕次郎さんや小林旭さんの映画の封切には日活の常務さんが浅草日活の入口に立ち客の入りを点検していたと。

映画のほうは、麻薬組織とのおきまりのアクションがあり、健次は石松の仕事のために利用されたとして石松のことも信用できなくなっていた。そして拳銃を交番から盗み追いかけられる身となる。その健司を説得する石松。若者の何を信じていいのか解らなくなった状況を、まだ俳優として経験の浅い赤木圭一郎さんが上手く役にはまり、ゆとりをもって語りかけ説得する石原裕次郎さんは兄貴として役者の先輩としての貫禄が映る。そういう意味で面白い共演作品といえる。

六区は江戸時代は伝法院の敷地である。国際通りを挟んで国際劇場(現・浅草ビューホテル)側は古地図(1853年・嘉永6年)によると大きなお寺が並び、国際通りを挟んだ向かい側は小さなお寺が並んで、後方に浅草寺がひかえている。そして伝法院があり、その南西部分に蛇骨長屋というのがある。その長屋のあったところに蛇骨湯という温泉の銭湯がある。江戸時代から続く銭湯であるが5月31日で閉店となってしまった。何んとも残念である。蛇骨(じゃこつ)の名前が何かの形で残って欲しいものである。

追記: http://saint-girl.hateblo.jp/entry/2014/11/01/184035  こちらのかたが、古地図の蛇骨長屋を載せてくれています。蛇骨湯の紹介も。