でこぼこ東北の旅(1)

三月末に函館へ旅をした時の帰り、函館空港にいくバスの乗り場で「フェリー乗り場に行きますが」とバスの運転手さんに言われる。「空港にいきます。青森までのフェリー今もあるのですか。」「ありますよ。」

その言葉から、今度は友人達と函館へフェリーで集合と思い立ち、帰ってから連絡したところ即連絡した四人が参加である。

ところがきちんと調べていなかったので、検討したところフェリーは時間的に無理であった。急遽弘前集合となる。まだまだと思っているうちに旅の日となり、五人集まれるのは奇跡かもという予想をこえて無事実現したのである。

ただし、一緒の行動は、一泊二日、二泊三日、三泊四日とでこぼこになってしまったが、とにかく五人で乾杯できたことは旅の神様に感謝である。

弘前はお城などはいっても、お城の周辺を見ていない。寺町があったり、驚いたことには洋館も多い。距離的に見学しやすい<青森銀行><旧東奧義塾外人教師館><旧市立図書館><藤田記念庭園>を散策する。<旧東奥義塾外人教師館>の裏側には、弘前の洋館のミニチュアがならんでいてこれがまた建物の全体像がわかり親しみがわく。

この一画には、<市立観光館>があり中には「ねぷたまつり」の山車が展示されていて係りの人が説明してくれる。<弘前市立郷土文学館>には「石坂洋次郎記念館」があり、作品が多数映画化されており映画ポスターもならんでいる。

小説の『若い人』は、函館の「遺愛女学校」をモデルとしていて、映画では函館ではなく長崎をロケ地としているようである。函館の「遺愛学院本部」はピンクの可愛らしい建物で外からのぞかせてもらったが、劇団民藝の『真夜中の太陽』はこの学園を舞台としている。

石坂洋次郎さんの作品は読みやすいとされているが、『若い人』を読み始め途中でギブアップしてしまう。古い文庫本で字が小さく、描写がこまかく、男性教師・間崎からみた登場人物にたいしても一人一人を観察し感じた気持もかかれ、簡単におわるとおもっていたのがくつがえされてしまった。

『若い人』では、女学生が間崎も引率教員のひとりとなり東京に修学旅行にくるところがあり、宿に戻らない生徒がでて、原作と映画ではその生徒がちがっている。映画では、吉永小百合さん演じるところの江波恵子である。間崎が石原裕次郎さんで、宿から恵子を捜しに行く場面でニコライ堂が映る。御茶ノ水である。明治大学で『映画のなかの御茶ノ水』の著者・中村実男さんの無料の公開講座があり、その場面を写してくれた。そのあとDVDも見直したのであるが、江波恵子はむずかしい役である。そのことを吉永さんは『夢一夜』のなかでかかれている。ほかに吉永さんが御茶ノ水に映画の中で立たれているのは『伊豆の踊子』である。

劇団民芸には『満天の桜』の舞台があり、津軽藩二代藩主信枚に嫁いだ家康の養女・満天姫の話である。 三越劇場 『満天の桜』 こちらの探索は止ったままである。

弘前市内をみてまわるには半日では足りない。100円バスが15分おきにでているのでかなりかつてより便利になった。

次の日は金木である。私は再訪である。今回は津軽鉄道の金木駅から一つ先の芦野公園駅まで行き、そこから金木に歩いてもどる。芦野公園はひっそりとしていて桜の時期には美しいであろうと思われる桜並木がつづく。「津軽三味線発祥の地」の碑、二重マント姿の太宰治さんの像がある。芦野湖(藤枝溜池)にかかる桜松橋のつり橋は通行どめであった。

金木では定番の<津軽三味線会館>で生演奏を聴き、<斜陽館>見学である。今回はそこから駅に向かう途中にある<太宰治疎開の家>(旧津島家新座敷)での時間をとる。前回時間がなく説明を超スピードにしてもらったのである。

ここはもともとは、津島家の長男文治さんの新婚の離れ座敷としてつくられたもので、太宰さん夫婦が戦中焼け出され津島家に疎開したとき住んだのである。座敷といっても様式を含めて5部屋あり、津島家から見放された太宰さんが、疎開ということで津島家に守られた時期である。<津島家>に複雑な想いをもっていた太宰さんにとってそれはどんな想いを心にのこしたのか判断の難しいところであるが、妻にも胸をはれる優遇を受けたこととおもわれる。

この時期に太宰さんが心穏やかに多くの作品(23作品)を残したことなどを、館長さんが作品を紹介しつつわかりやすく説明してくれる。かつて太宰さんが、兄の文治さんのお嫁さんをのぞきにきた座敷でもあり、病床の母を見舞った離れ座敷でもある。今この座敷は津島家の<斜陽館>から分断され移動されて残されている。長男の文治さんの死後、津島家の斜陽がおとずれるのである。太宰さんは故郷で終戦をむかえ、ふたたび東京へもどることとなる。

弘前、五所川原、金木には豪商がいて、その住いは贅沢で大きい。太宰さんの父・源右衛門さんは津島家に養子に入っており、津島家をさらに大きくしたひとである。実家も裕福で、津島家の屋敷も自分の実家に模して造られたそうである。津島家は女系で持ちこたえる傾向がある。

 

青梅から 映画『トキワ荘の青春』

奥多摩への途中駅、青梅駅は降りたことがなかった。映画『雪女』から、青梅は映画看板の街でもあるので訪れてみようとおもいたった。塩船観音寺は以前から行きたいとおもっていたので調べると、本数の少ないバスのようである。東青梅駅から15分のところに吹上しょうぶ公園があり、そこから20~30分で塩船観音寺まで行けそうなので、青梅から塩船観音寺までの行程とする。

青梅駅の駅舎は三階建ての四角いビルである。山手線の原宿駅が建て替えられるとの情報から、『関東の各駅途中下車ー小さな旅で訪ねたい、いい駅100』(原口隆行著)をさらさら読んだ中に青梅駅もあった。

なぜ三階建ての四角いビルかというと、大正に建てられたその時はJRではなく青梅電気鉄道でその本社が駅のビルとなったからである。それにしても、今の原宿駅がなくなってしまうのは残念である。

青梅駅のホームから入る地下通路に映画看板が並ぶ。駅のそばの観光案内所でまず地図と<雪女の碑>までの経路と青梅の見どころを教えてもらう。

行って歩いてわかったことであるが、青梅駅から映画の看板をながめつつ、<雪女の碑>のある調布橋をわったて、釜の淵公園を散策して多摩川の自然をながめつつ歩いて青梅駅にもどるのがよさそうだということである。

今回は、吹上しょうぶ公園と岩船観音寺を入れていたので調布橋を渡ってUターンしてしまった。調布橋からの両岸を緑におおわれた多摩川はどんよりした梅雨空を払拭する美しさで、大きな街道を消し去って、雪をふらせれば雪女の伝説のうまれた土地と思えてくる。正式には「雪おんな縁の地」の碑である。

裏に小泉八雲さんの写真と『怪談』の序文がある。

この「雪おんな」という奇妙な物語は、武蔵の国、西多摩郡、調布村のある百姓が、その土地に伝わる古い言い伝えとして私に語ってくれたものである。

青梅は青梅街道の宿場町で、商店街が旧青梅街道にあり、その建物に映画の看板がすえられている。映画の看板はこの青梅以外ではこれだけの数をみることはできないであろう。

昭和を楽しむ三館めぐりというのがあって「昭和レトロ商品博物館」「青梅赤塚不二夫記念館」「昭和幻灯館」がある。「昭和レトロ商品館」には、映画看板絵師・久保板観さんの紹介もある。二階に「雪おんなの部屋」がある。小泉八雲さんの『怪談』序文からの青梅市との関連を展示説明している。

赤塚不二夫さんの記念館で、昭和31年5月頃のトキワ荘二階の漫画家たちの上から見た部屋のふかん図と赤塚さんの部屋の様子から映画『トキワ荘の青春』をみたくなった。<トキワ荘>というのは、東京都豊島区にあった漫画家たちが住んだアパートである。映画『喜劇役者たち 九八(クーパー)とゲイブル』(瀬川昌治監督、井上ひさし原作、愛川欣也とタモリコンビ)のポスターがあり、こんな映画もあったのかとしばしながめる。

「昭和幻灯館」は、小さな灯りのジオラマである。そこで売っていたスターのプロマイドの中に十二代目團十郎さんのプロマイドがあった。新之助さんか海老蔵さん時代であろう。お若い。

青梅の街はそのほか、古い建物やお寺もあり、青梅鉄道公園なるものもあるので、人によって楽しみかたがまだまだありそうである。

青梅駅から東青梅駅に移動し、吹上しょうぶ公園で多種類のしょうぶの花をめで、塩船観音寺にむかう。裏からの道でなかなか風情ある道も通った。塩船観音寺はツツジで有名なお寺であるが、時節がらアジサイであった。仁王門も風格があり、十一面千手観本菩薩も拝観でき、本堂の右側がアジサイ園ということでアジサイを見つつお寺の裏側にまわり、登って上から本堂をながめると、一面まあるく刈り込まれたツツジの緑色の玉が見事であった。これは、ツツジの時期は混みそうである。

帰りは、塩船観音寺前からバスで川辺駅にむかう。このバス、土日は一時間に一本か二本である。

映画『トキワ荘の青春

この映画以前見始めたが気分が乘らずやめてしまったことがある。今回は、じっくり味わえた。

漫画家の寺田ヒロオさんが主人公で、手塚治虫さんがトキワ荘を去ってから、この寺田さんが、つぎつぎ引っ越してくる若き漫画家のリーダーとして均衡をとっていくのである。寺田さんはマンガの絵をみるとこの人だったのかとわかる。赤塚不二夫さんも重要な位置をしめ、記念館でみた、机が買えないのでマンガ本を支えに板を置きその一方を窓の敷居にくぎで打ち付けて固定させ机にしていた。その板がなにかの拍子にとんでもないことになり、赤塚さんらしい場面もある。

売れなくて悲喜こもごもの葛藤の時代であろうが、市川準監督はあくまでも真摯に漫画に向かう青年たちを寺田さんの心棒に合わせ、静かにふっと暗転にしてすすませる。それがかえって効果的である。次第に世の中に認められ、認められる漫画を模索する方向へといき、そうした中で寺田さんは、自分の漫画を捨てることを拒みつつトキワ荘を去って行き、トキワ荘の青春時代の映画は閉じられる。

当時の写真や昭和歌謡曲を入れつつ、そのなかでひたすら時代の寵児となっていく以前の若き漫画家の姿を、商業主義の編集者のつきまとう動きで明暗を色づけしながら、本木雅弘さん演じる寺田さんを通して映像で語る市川準監督である。寺田さんが黙ってバットを振る空気の振動音が言葉よりも深い。現在の個性派俳優さんが多数でていて押さえた演技も見ものであり、子供達を喜ばせていた漫画がその読者層の年齢をあげていく過程をみているようでもあった。

青梅はやはり映画好きを刺激してくれる街であった。

監督・市川準/脚本・市川準、鈴木秀行、森川幸治

出演/寺田ヒロオ(本木雅弘)寺田の兄(時任三郎)赤塚不二夫(大森嘉之)安孫子素雄(鈴木卓爾)藤本弘(阿部サダヲ)藤本の母(桃井かおり)石森章太郎(さとうこうじ)石森の姉(阿部聡子)手塚治虫(北村想)森安直哉(古田新太)鈴木伸一(生瀬勝久)水野英子(松梨智子)つのだじろう(翁華栄)つげ義春(土屋良太)棚下照生(柳ユーレイ)、学童社関係(原一夫、向井潤一、広岡由里子)娼婦(内田春菊)、編集者(きたろう)

 

 

映画『怪談』(2)

怪談』(1965年)監督・小林正樹/原作・小泉八雲/脚本・水木洋子/撮影・瀬川浩/音楽・武満徹

黒髪」 京で武士の夫婦(三国連太郎、新珠三千代)が貧しいながらも仲睦まじく暮らしていたが、夫のほうが貧しさにいやけがさし、遠い任地に一人でいってしまい、新しい妻(渡辺美佐子)をめとる。しかし、新しい妻はわがままで、武士はかつての妻が恋しく、京にもどりかつての住まいをたづねる。妻は夫を優しくむかえ二人は一夜をともにすごす。朝になってみると、妻の黒髪は白髪で、骸骨となっていた。館も朽ちはて、夫はそのおぞましさに恐怖で顔がどんどんやつれはて館をころげまわるように逃げだす。

『今昔物語』の第三部霊鬼のなかに「死んだ妻とただの一夜逢う話」としてのっている。

雪女」 若い巳之吉(仲代達矢)は年寄りの茂作と山の中で吹雪にあう。逃げ込んだ山小屋に美しい女があらわれ茂作を殺してしまう。女はだれにも話さないようにとつげ消えてしまう。巳之助は旅の美しい女と出逢い母(望月優子)とともに暮らし、母なきあとも子供たちと家族で幸せな日々を過ごす。ある夜、ふっと女房に雪女のことを話してしまう。女房は雪女で巳之吉が約束をやぶったため去ってしまう。

武蔵の国の調布村に雪女の伝説が伝えられ、青梅市の調布橋には『雪女の碑」がたてられている。

耳無芳一の話」 ある寺に盲目の琵琶法師・芳一(中村賀津雄)がいた。ある夜、甲冑姿の男(丹波哲郎)が、高貴なお方のために「平家物語」を語れと言われその屋敷につれていかれる。そこには、建礼門院(村松英子)、尼(夏川静江)など平家の亡霊が鎮座していて、毎夜、毎夜、芳一は語りつづけ次第に昼は眠るといった生活に、寺の住職(志村喬)は心配し、副住職(友竹正則)と寺男(田中邦衛、花沢徳衛)たちに芳一の後をつけさせる。芳一は平家の墓の前で一心に壇の浦の合戦を語っていた。住職は、平家の亡霊から救うため、体中にお経を書くが、耳だけわすれてしまったため、芳一は耳をちぎられてしまう。命の助かった芳一は耳無芳一として琵琶法師としての名声をえる。

義経(林与一)、弁慶(近藤洋介)、知盛(北村和夫)、貴人(中谷一郎)、教経(中村敦夫)そのほか、大勢の新劇団員が壇の浦の合戦の船上場面や、平家の人々として出演していた。

茶碗の中」 ある家臣の関内(中村翫右衛門)が主人の年始廻りの際、喉が渇き用意されていた水をのもうとして茶碗をみると、茶碗の水に人(仲谷昇)の不気味な笑い顔がうつる。ふしんに想い二度目、三度目と茶碗をかえるが人の顔がうかぶ。三度目に関内はかまわずに水をのんでしまう。それから関内は、関内にしか見えない亡霊に悩まされ乱心となる。この話しを書き留めていた作家(滝沢修)を版元(中村鴈治郎)が訪ねてくる。妻(杉村春子)が夫はどこへもでかけていないがとふっと水瓶をみると夫の顔がその水瓶にうつっている。妻も版元も恐怖のあまり叫び声をあげる。

宮口精二、佐藤慶、神山繁、田崎潤、天野英世、奈良岡朋子

「人生には理屈ぬきで怖いと思う瞬間がある。それでいいではないかという頭書がついている。まさに怪談とはそういうものである。しかし、我々の周囲には他人の魂をのんでヌケヌケと暮らしている人間がうようよいる。それも現代の怪談といえるのではないか。」(小林正樹)

怪談』(2007年)監督・中田秀夫/原作・三遊亭圓朝「真景累ヶ淵」/脚本・奥寺佐渡子/撮影・林淳一郎

深見新吉(尾上菊之助)、豊志賀(黒木瞳)、豊志賀の妹・お園(木村多江)、お久(井上真央)、お累(麻生久美子)、お賤(瀬戸朝香)、深見新左衛門(榎木孝明)、皆川宗悦(六平直政)、三蔵(津川雅彦)、講釈師(一龍齋貞水)

『真景累ヶ淵』は因縁話で、最後に謎解きのように登場人物の因果関係があかされる話しである。この映画を見たあとで、桂歌丸さんの『真景累ヶ淵』のDVD1から7巻までをみて聴いた。この話しの全容がわかり、この映画がそぎ落としていった部分もわかった。

一龍齋貞水さんの講釈を挟みつつ、深見新左衛門があんまの宗悦からお金を借りる。その取り立てにきた宗悦を新左衛門は殺してしまう。時はたち、宗悦の姉娘・豊志賀は、富本節の師匠で人気があり弟子も多い。そんな豊志賀に新左衛門の次男である新吉が惚れてしまう。新吉は叔父に世話になりつつきざみたばこを売ってあるいている。

豊志賀と新吉は深い仲となるが、豊志賀のほうが、新吉なしではいられなくなり弟子も減り、三味線のバチで傷した頬が化膿してひどい顔になってしまう。豊志賀は新吉へのおもいをのこし自害する。そこからそのおもいは、新吉に惚れる女性たちにのりうつり、新吉が殺すことになってしまう。

新吉と一緒に羽生村の叔父・三蔵を訪ねるお久。新吉と結婚する三蔵の娘お累。三蔵の囲い者であるお賤。ついには三蔵を殺し、新吉は追われる身となる。豊志賀の妹のお園が新吉を助けようとするが、豊志賀は新吉を死の世界に奪い取り、新吉の首を抱き微笑むのだある。新吉もまた幸せそうな顔をして微笑んでいる。

二回ほどドッキリさせられた。そのタイミングはさすがである。ただ、ラストでは、どうせ新吉を死の世界につれていくのなら、女たちを殺すこともなかったであろうに、さっさと連れて行けばよかったのにとおもってしまった。新吉は豊志賀への想いよりも、怖くて豊志賀から逃げたいという気持ちがあったのでこらしめられたわけであるが、女性達がお気の毒であった。

最後に妹のお園に見せつけるようなかたちととれて、本質はここなのであろうかと、すっきりしないかたちで終わった。因縁話がうすめられてしまった感もある。

『文学』に中田秀夫監督の文もある。『累ヶ淵』は中田監督が敬愛する中川信夫監督も撮られ、溝口健二監督も無声映画で撮られている。溝口監督のは残っていないが、淀川長治さんが大傑作といわれたらしい。中川信夫監督は『東海道四谷怪談』があったからこそ映画で飯を食ってこられたといわれたように、中田監督も自分も映画を生業としていられるのも、円朝のような天才の怪談物のおかげであるとされている。

壮大な怪談が「日本の高音多湿な夏と相まって、落語も、歌舞伎も映画も夏は納涼で怪談物が定着したおかげである。」

八雲さんも、日本に土着している怪談物の日本人の楽しみかたを紹介したわけである。八雲さんの怪談を書きものの文学としてとらえて映像化したのが小林正樹監督の『怪談』であり、江戸時代から人々の生活のなかにあった怖い『怪談』を映像化したのが中田秀夫監督につながる怪談映画のながれの一つということであろう。

中川信夫監督の『東海道四谷怪談』が怖いらしいが、まだみていない。

『真景累ヶ淵』(岩波文庫)では、近頃怪談話はすたれてしまったとはじまる。「幽霊というものは無い、全く神経病だということになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。」

明治の西洋、西洋の掛け声に圓朝さんは一席投じたくなったようである。

 

 

映画『怪談』(1)

『怪談』と題名の映画二本についてである。

1965年、小林正樹監督で原作が小泉八雲の『怪談』の中から「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」の四つをそれぞれ短編で撮り『怪談』としているオムニバス形式である。

もう一つは、2007年、中田秀夫監督で原作が三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』である。中田秀夫監督といえば『リング』の監督ということで、これまた縁のないはずであった。ここまで怪談ものをみたのなら尾上菊之助さん出演であるし、『真景累ヶ淵』は歌舞伎とも縁が深いので、うわぁー!とおどろかされるのを覚悟してみた。

その結果、最終的に小泉八雲さんと三遊亭圓朝さんが結びついた。

ちかごろ図書館に、どうぞ自由にお持ちくださいと <リサイクル図書> がおかれている。図書館で保存しておく期間が図書種類によってきまりがあるらしく、それがすぎると <リサイクル図書> としてどなたでもどうぞということらしい。次から次、新書も入ってくるわけで、保存する場所の問題も生じるからであろう。古い書物は図書館で探そうとおもっていると、近くの図書館では、そうした利用のしかたは無理になってきているようである。

その <リサイクル図書> のなかに、雑誌『文学』の2013年3、4月号「特集=三遊亭圓朝」があった。読みやすそうなところをよんでいると次の文がでてきた。

「三遊亭円朝を初めてヨーロッパに紹介したのがラフカディオ・ハーンだということはよく知られているようである。」(マティルデ・マストランジェ)

紹介をしたきっかけが1892年に歌舞伎座で上演された『怪異談牡丹灯籠』で、ハーンさんも芝居をみて、「菊五郎のおかげで、またひとつ新しい恐怖の楽しみ方を知ることができた」と紹介したのである。

ところが、セツ夫人によると、ハーンさんは歌舞伎を見ていないといわれ、そのことをうけて、マストランジェさんは興味深いと書かれている。

面白いことである。歌舞伎で評判となったことで、円朝さんというひとの怪談話は今もこういうかたちで皆さんを楽しませているんですよということを伝えたかったのであろうか。八雲さんは、たくさんの怪談を発掘して書物で紹介したが、芝居などのかたちで楽しむことを怪談の楽しみ方としてより楽しいのだがという気持ちがあったように思えた。

とするなら、映画でとりあげられることは、もし八雲さんが知ったらどんなものになるのかとワクワクされたに違いない。

『怪談』(1965年)にかんしては、日本映画黄金時代の<にんじんクラブ>~三大女優~    で、この映画が赤字で「にんじんクラブ」が倒産したこと紹介したが、「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」(春日太一著)でもそのことにふれていた。仲代さんたち役者もスタッフもノーギャラで頑張ったようである。

さらにカンヌ国際映画祭に出品するが、事務局からながいということで、「雪女」がカットされる。岸恵子さんは、フランスに住んで居たため、いろいろ下準備をして駆けまわってくれていたが、その岸恵子さんの出ていた「雪女」を小林監督はカットしたのである。この映画祭で、『怪談』は審査員特別賞を受賞する。岸さんの胸の内は複雑であったことであろう。

DVDの特典の説明では、『雪女』は1969年ロンドン映画祭短編部門で受賞とある。この一作品だけでも世に認められたわけである。『怪談』の中での怖さからいうと「雪女」がその怖さが薄く美しくおわっている。小林監督がカットした気持ちもわかる。

さらにエピソードとして「黒髪」で、三国連太郎さんが、足の骨に届くようなトゲをさされたそうである。これは、みていてケガをしなかったのであろうかと思うほどの古く朽ちた廃屋での逃げまどう演技である。さもありなんである。

京都宇治にあった大倉庫を借り切っての撮影で、自動車メーカーの倉庫で車を走らすテストコースもあるような広さの倉庫だそうである。かつては飛行機の格納庫だったようで、ふつうの撮影所ではできないような大きなセットだったわけで、それだけでもお金がかかったことがわかる。「雪女」の雪に埋もれた家。「耳無芳一の話」の壇の浦の源平合戦や芳一が連れられて行く平家の亡霊たちの館のセットは幽玄な巨大さである。

「黒髪」の中の市の店の場面があるが、それが奈良の円成寺の境内の中の風景に似ている。ロケをされたか、小林監督は寺社などの知識も豊富なかたなので、もしかするとセットにつくられたのかもしれない。

「茶碗の中」の茶碗も陶芸家のかたに木ノ葉天目茶碗の一種をつくってもらい、小道具にいたるまで手をつくしている。こういう中で撮影できるということは、役者さんもスタッフさんも大変さはあったであろうが、もう体験できない贅沢な時間だったともいえる。

その時代その時代を踏みしめて、映画はつくられていくわけである。

 

歌舞伎座6月「新中納言知盛」「いがみの権太」「源九郎狐」

6月の歌舞伎座は三部制である。8月の三部制はあるが、他の月では初めての経験である。5月の観劇のときほかの観客のかたが、「実質の値上げですよね。」「交通費をかんがえると出費がふえて。」という会話がきこえてきた。実際のところそうである。

なぜ三部制にしたかというと、『義経千本桜』の登場人物の印象を強めたかったようである。歌舞伎座にいくと、三つ折りのチラシができていた。

【第一部】新中納言知盛  碇とともに身を投げる豪快にして悲壮な武将  【第二部】いがみの権太  放蕩の限りを尽くすいがみと呼ばれた無法者 【第三部】源九郎狐  親への情愛一心に鼓と旅する狐の子

新中納言知盛は染五郎さん。いがみの権太は幸四郎さん。源九郎狐は猿之助さん。三人の役者さんを前面にだして『義経千本桜』の三本柱として浮彫にしようということなのであろう。その試みはうまくいったとおもう。一人一人が印象づけられた。しかし、スペクタルな濃厚な味にかけ、腹八文目の健康献立であった。脂分をとりおとされ、形よくさらに盛り付けされたかんじである。その点では観るものは楽をさせてもらったことになる。

もうひとつ感じたことは、自分の見方が、相対評価と絶対評価にわけて観るシステムができているということである。相対評価というのは、ほかの役者さんと比較して観劇していて、絶対評価はその役者さん自身の流れで観劇しているということである。

古典芸能となれば、続いているものであるから、長く観劇をつづけていると、相対的になるのが宿命である。

たとえば、知盛であれば、わたしが最初によいとおもってみた知盛は吉右衛門さんの知盛である。当然、染五郎さんに吉右衛門さんの脳裏の映像で期待する。前半はよい。ところが、平家一門の今、六道のくるしみは、父清盛の非道のゆえかと嘆き安徳帝を義経に託すその心の流れがうすいのである。生きのこって亡霊と思わせてまで義経を討とうとする激しさ。これがずしんとほしかった。

主馬小金吾にかんしては、今の錦之助さんが信二郎時代の小金吾が美しい動きであった。それに比較すると、松也さんの動きの切れがもうひと押しである。

よいとおもったとき、感動したときは実際にはそれほどではなかったのかもしれない。その観たものは増幅されて記憶にのこっているだけかもしれないが、先に感動させたもの勝ちのところがあり、次の人々はそれを打ち破らなくてはならない。

では、猿之助さんの源九郎狐はどうか。動きもいい。身体全部で表現している。あきさせない。菊五郎さんが演じられたとき、年齢も高く動きも猿之助さんにはかなわないのであるが、狐の親にたいする情は、菊五郎さんのほうが伝わったのである。猿之助さんは、狐の言葉としてセリフを工夫している。そこをつきつめすぎて、聞きづらく肝心のところでジーンとこないのである。

絶対評価。すし屋での弥助が維盛になるところの染五郎さんである。これは今までみたことのない変化の面白さである。弥左衛門の錦吾さんにまずと手を差し上げられ、上段にあがってくるっと正面をむくと高貴の維盛である。空気が動く。

猿之助さんの渡海屋の女房お柳から大物浦の典侍の局へのかえし。この役は猿之助さんで観ていない気がする。早変わりに忙しいかただから、こうしてゆっくりと演じるのは新鮮味がある。初お目見えの市川右近さんの子・武田タケルくんのお安と安徳帝がきちんと姿勢をたもちがんばった。猿之助さんとタケルくんコンビが平家の悲哀をひきうけた。

門之助さんの義経が大きく存在感が増し、笑也さんの静御前が、義経に代わって狐忠信の正体を詮索するという心構えがしっかりしていた。猿弥さんは、逸見藤太役さらに手中でころがしている。

いがみの権太の幸四郎さんは相対的にも絶対的にも、前半はゆすりたかりのいがみを納得させる展開をみせられる。これは、『不知火検校』でのお市役をこなしての型のあるいがみの権太に重ねあわせてつくられた感がある。いがみの権太の愛嬌や花道での足さばきなどで権太をうまくつくりあげられた。女房小せんの秀太郎さんとの息もあってどうしてこうなったかのくだりの流れがよい。

終盤の父親に刺されてからも、周囲の役者さんがそろい考えもしなかった悲劇へとつなげてくれる。三人の人物ではやはり一番印象に残った。

知盛には悲劇的勇壮さを、狐忠信には情をもうすこし色づけしてほしかった。今回は逸見藤太からも推奨される染五郎さんと猿之助さんコンビは、屋根の上の染五郎さんの竜馬と亀治郎さんのおりょうが焼き付いているが、さらに新たなコンビを楽しませてもらった。

そして「染五郎さんの知盛もいいですね。」「いやあ楽しかった。上ばっかり見ていて首が痛くなった。」と言われて宙乗りを楽しまれたかたがたがいたことも付け加えておく。

こちらは、さらに来月の相対評価と絶対評価が、どう面白く表れてくれるかをはや期待している。

 

 

 

『四谷怪談』関連映画 (1)

怪談映画は観ないほうなのであるが、木下恵介監督の『新釈 四谷怪談』<前篇・後編>を観たところ、鶴屋南北さんのとは登場人物の名がおなじでも、設定がちがいそのあたりが面白かったので、その後6本ばかり観てしまった。

怪談ものとあって、おどろおどろした映像には閉口したが、伊右衛門、お岩、お袖、直助、与茂七、宅悦、伊藤喜左衛門にあたる人物が商人だったりして、人物構成の相違などに頭がいき、お岩さんの怖さなど薄れてしまった。

『新釈 四谷怪談』(1949年)監督・木下恵介/脚本・久板栄二郎、新藤兼人

伊右衛門が上原謙さんで、お岩の田中絹代さんが妹のお袖の二役である。『愛染かつら』コンビが、四谷怪談である。上原謙さんの伊右衛門は悪になりきれず、迷いに迷う伊右衛門で最後は毒を飲んで死んでしまう。田中絹代さんのお岩は、かつて茶屋女で武士の妻として努めるが、仕官できない伊右衛門につらくあたられ、ついにはむなしい最後となる。顔の傷は、伊右衛門に行水をさせるための熱湯で火傷をし、火傷にきく薬と渡されたのが悪化させる薬であった。妹のお袖の田中絹代さんは、姉の死に不審におもい、岡っ引きの親分に調べてもらうというしっかりした妹である。

お袖の夫の与茂七が宇野重吉さんで、この二人がお岩の死をきちんと弔うこととなる。直助は、滝沢修さんで、しっかり伊右衛門をあやつる悪人である。お槙が杉村春子さんで、まわりを新劇俳優でかため演技力もたのしめる。江戸時代の怪談でありながら、近代人の人物描写も伝わってきて、木下監督らしい解釈の四谷怪談である。

『四谷怪談』(1959年) 監督・三隅研二/脚本・八尋不二

長谷川一夫さんが伊右衛門である。ファンへの配慮はおこたらない。御家人の役付きも賄賂を使っての世界で、そんなことまでして役付きになどなりたいとは思わない伊右衛門である。直助の高松英郎さんや仲間内にはかられての展開とし、最後はそれらの悪人を切り倒し、仏堂で岩に謝っての死となる。さらにお袖がくれた岩の美しい着物がどこからともなくふわっと飛んで来て伊右衛門を包み込むのである。美しい大スター好みを裏切らない終わり方としている。お岩は中田康子さんである。

『四谷怪談 お岩の亡霊』(1969年)監督・森一生/原作・鶴屋南北/脚本・直居欣哉

原作・鶴屋南北といれている。<お岩の亡霊>とつけ加えているのは、佐藤慶さんの伊右衛門が根っからの悪人だからであろう。岩の父は殺すし、札差伊勢谷の娘梅を悪漢から助けてやるがはじめから段取りをして悪漢をやとってのやらせである。

自分には能力があり、士官さえすれば実力を発揮できるとする自己顕示欲の強い伊右衛門である。そんな伊右衛門であるからお岩が邪魔であるとはっきりおもっていて沢村宗之助さんの宅悦にお岩に言い寄るように命令する。沢村宗之助さんは時代劇の悪役のうまい役者さんでこの宅悦もなかなか味がある。

お岩の稲野和子さんは蚊帳で生爪をはがすが、この場面は観た映画の中でこの映画だけであった。その傷の薬を買ってお岩に渡し喜ばせ、そのあとで、毒薬を飲ませる伊右衛門である。最後に伊右衛門、「首がとんでも動いてみせる」のセリフをはく。

先ごろ亡くなられた、演出家名でお客さまを呼べた蜷川幸雄さんの監督映画を二本。舞台でも『四谷怪談』を演出されているが観ていない。

『魔性の夏 四谷怪談・より』(1981年) 監督・蜷川幸雄/原作・鶴屋南北/脚本・内田栄一

伊右衛門が萩原健一さん、岩が高橋恵子さん、袖が夏目雅子さん、与茂七が勝野洋さん、直助が石橋蓮司さん、宅悦が小倉一郎さん、梅が森下愛子さんで、若者たちの「四谷怪談」という印象である。

筋としては鶴屋南北に近いが、どこか現代風の感覚である。かたき討ちなどする気のないくせに、かたき討ちには金がかかるという伊右衛門の言葉が結構きいている。かたき討ちのためには情報がひつようである。情報をえるためには動きまわらなくてはならない。たしかにお金が必要である。全体の発想としては、それほど過激ではない。他の注目点では伊右衛門と岩と梅が歌舞伎を観にいく。演目が「かさね」で、役者さんは市川左團次さんと先代の嵐芳三郎さんであった。

『嗤う伊右衛門』(2003年)監督・蜷川幸雄/原作・京極夏彦/脚本・筒井ともみ

原作が京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』で、鶴屋南北さんの原作や他の書物をからめあわせて作品化しているので発想の基盤が異色である。まず、岩が、伊右衛門と会うまえから顔に疱瘡のあとがある。じつは疱瘡のあとではなく父の思惑から薬をのまされてのことである。

お岩の小雪さんが顔の醜い右と美しい左を見せ、さらに正面をみすえて、心は凛としているさまをあらわす。しかしそれを支えているのは、民谷家の武家の総領としての自分の立場である。ところが、お岩のすべてをみとめてくれる夫があらわれる。それが、唐沢寿明さんの伊右衛門で、民谷家に養子に入り岩の夫となる。それをあっせんするのが、又一の香川照之さんで、この又一が世間のしくみに精通している。ようするに情報をもっている。しかし乞食同然である。

幸せになるはずのお岩さんは、父の上役の伊藤喜左衛門の椎名桔平さんによって伊右衛門と別れるようにしむけられる。お岩さんの民谷家をまもる意地を利用されてしまう。この映画では伊藤喜左衛門が悪の権化である。つらぬいているのは岩と伊右衛門の愛の物語である。伊右衛門は岩を殺し、蚊帳の中の長持ちの上に座り、笑ったことのない伊右衛門がはじめて笑い、喜左衛門を切るのである。「首が飛んでも動いてみせるわ」のセリフをいうのは喜左衛門である。後に長持ちをあけてみると、岩と伊右衛門の亡骸が寄り添って横たわっている。周囲には幸せそうな二人の笑い声が響いている。

おどろおどろしい映像ではなく、もう少しすっきりした美しい映像にしてほしかった。こういうときは、原作を読んで、あらたに映像を自分で作りなおすしかない。どれも耐え忍ぶお岩さんだが、事実を知って怒りを爆発させる小雪さんのお岩。すべてのお岩さんの怒り、くやしさを一気に吐き出している感がある。

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年) 監督・深作欣二/脚本・古田求、深作欣二

この映画は、発想が飛んでいる。そしてテンポが深作監督ならではのリズムである。忠臣蔵でよく知られた面々が登場し人数も多いが、それぞれの役どころを抑え配置して、俳優さんの個性もいかしている。浅野家の家臣となって日の浅い佐藤浩市さんの伊右衛門を内匠頭の切腹の場に位置させ、伊右衛門が義士のひとりでありながら、脱落していく過程をわかりやすくしている。

岩は、湯屋で娼婦をしているが、その登場場面の高岡早紀さんの笑顔がなんともあいらしい無垢さである。このお岩さん、伊右衛門に裏切られるが吉良家の侍に殺されることもあって、死んだあとは、雪女のように雪を噴き上げ赤穂の義士たちに加勢する。この映画は見直しであるが、発想の面白さに再度ひきこまれた。琵琶も効果的である。

伊右衛門とお岩さんは、幽霊になって赤穂浪士の本懐をとげた姿をみとどけ、ふたり仲睦まじく死後の世界を歩み始めるのである。最終的にはラブストーリーとしている。出会ったときの二人である。

喰女ークイメー』(2014年)監督・三池崇史/原作・脚本・山岸きくみ(『誰にもあげない』)

『四谷怪談』の舞台稽古と重ねて、その芝居の伊右衛門役の市川海老蔵さんと、お岩役の柴咲コウさんとの関係を描いている。『四谷怪談』同様、海老蔵さんが柴咲さんを裏切り、柴咲さんが海老蔵さんの首を自分だけのものとするという話である。

発想は面白いが、舞台稽古が暗く、スローテンポで退屈してしまった。おもわせぶりがながすぎる。こういう部類の映画はテンポが必要である。残念である。

好んで選ばない映画をみてしまったが、今後、ほかに『四谷怪談』系の映画がみつかれば観るであろう。