新橋演舞場初春歌舞伎

  • 十三代目市川團十郎と八代目新之助襲名が2020年と決まり新橋演舞場は賑わっていった。ただ十三代目市川團十郎白猿とあり、白猿は俳名でもあるらしくそれも継ぐということらしいが、十三代目市川團十郎(俳名・白猿)とかでは駄目なのであろうか。すきっとした名前につぎ足しましたという感じである。このあたりがよくわからなかったが、その後皆さん十三代目團十郎と記しているのでそれでいいのであろう。

 

  • 今回の舞台を観ていても思ったが、「團十郎」という名前は知名度が高く重い名前である。それだけ芸の歴史のある名前である。歌舞伎が芸を伝える古典文化とするなら、一つの家では伝えられないほどの重量がある。一代の一生は、成田屋全ての芸をその時代に伝えるには短いのである。そのため成田屋だけでは無理である。歌舞伎界全体に拡散されて伝わってきているのである。一代がその家の芸一つをを身につけるだけでも年数がかかるのである。そうした中で受けついだ当代さんが当代はこんな團十郎であると認識されるまでが大変でもあり、楽しみでもあるわけです。

 

  • 今回も海老蔵さんが大奮闘(人気は堀越麗禾さんと勸玄さんに奪われていたが)で夜の部は『俊寛』の後に『鏡獅子』という並べ方である。『鏡獅子』を生で観るのは久しぶりである。綺麗な弥生であった。ただ二枚扇でもこれといった印象はなく獅子頭へと移る。獅子は予想通り勢いがあった。

 

  • 俊寛』であるが、これが泣かせられたのであるが疑問が浮かんだ。その泣かせ方が、俊寛は千鳥の父の立場であるが芝居の方では、もっと年齢的に近い位置に観える。千鳥の児太郎さんのくどきがいい。よくここまで身体の使い方を練習して作り上げたと感心して観ていた。その後、俊寛が船から降りて千鳥を自分の代わりに乗せようとする。自分には都に帰っても愛する妻はもういないと話す。この時点で、父親的立場でなくて、千鳥に聞いて欲しいという感じなのである。同じ年代に切なさを語っているように見える。

 

  • 瀬尾の市蔵さんがこれまた憎たらしい敵役で、隠れていてこちらも砂を投げつけたいくらいの好演である。そして俊寛は瀬尾を殺すことになるのであるが、清盛に対して妻の仇をとったぞのような雰囲気となる。俊寛の中にその気持ちがわき上がるのもわかるが、あくまでも芯は娘とも思う千鳥を少将成経と共に船に乗せて添わせてやりたいと想う親心であるが、どうも私憤を晴らしてやったぞと伝わってくる。こちらもその気持ちに引きずられて気持ちが入れこむ。最後は俊寛が満足して菩薩の世界に到達したように思えて涙してしまったのである。

 

  • 人間の悲しさ、寂しさというものが飛んでしまった。こう受け取ったこちらの見方がおかしかったのか。海老蔵さんは個人的想いを盛り込み過ぎたのではないだろうか。古典は私的感情に偏るとちがったものとなり、受けつがれるべきものが不確かになってくる。受け継ぐことを基本にするならその芯はしっかりさせるべきである。こちらは観る側であるからいくらでも解釈はでき勝手に鑑賞するが、歌舞伎を受けつぐことを伝統文化とするなら、演じる側の立場は全く違ってくるとおもう。そのことが今回の海老蔵さんを観ていて疑問にも思ったところである。

 

  • 幡随院長兵衛』は、やはり柔らかさの余裕が欲しい海老蔵さん。長松の勸玄さんの「おとっつあん、はやくかえってきておくれよ」のト~ンがいい。女房お時の孝太郎さんの身体での動きから気持ちが伝わってくる。ドーンとしている左團次さんの水野十郎左衛門。長兵衛の子分たちの出来は経験の差あり。『三升曲輪傘売(みますくるわかさうり)』は海老蔵さんが登場したとき、ずいぶん着ぶくれしているなと思ったら傘を次々と手品のようにだす。芝居のなかでこれが挿入されればそれなりの効果があるとおもうが一つの舞踊としては軽すぎる。

 

  • 義経千本桜 鳥居前』は、忠信の荒事である。『道行初音旅 吉野山』の舞踊との違いに驚かされる演目である。弁慶も『勧進帳』と比較するとあれあれである。『勧進帳』は能を取りいれているので別物であるが。歌舞伎は役者さんが荒事の衣裳で出てくればそれに合わせて楽しむしかない。見得があり、引っ込みがありで荒事の勇壮さを愉しませてくれるかどうか。獅童さんは愉しませてくれた。弁慶の九團次さんと静の廣松さんが少し軽すぎであった。

 

  • 鳴神』の児太郎さんの絶間姫の手練手管がいい。そして、絶間姫が亡くなった夫とのなりそめを語るとき、夫からもらった歌の下の句が出てこない。(この句は『伊勢物語』によるらしい)経験はないが教養のある鳴神上人はこの下の句がスラスラでてしまう。これが言霊の恐ろしさでもある。右團次さんの鳴神上人ここから、話しから実体験へと入り込んでいくのである。お二人の息も会っていて楽しませてもらった。

 

  • 牡丹花十一代』は十一世團十郎生誕百十年を寿いでの舞踏である。その舞台に麗禾さんと勸玄さんが元気に出演し明るい舞台となる。十三代團十郎、八代目新之助の襲名を控え、その名跡の重圧に負けることなく一歩一歩、歩まれてほしい。

 

映画『12人の怒れる男』『12人の優しい日本人』(2)

  • アメリカ映画『12人の怒れる男』(1957年)は、1997年に『12人の怒れる男 評決の行方』(ウイリアム・フリードキン監督)でアメリカでリメイクされている。1957年版のオリジナルが上映時間96分で1997年版が117分である。1997年リメイク版は基本設定は変わっていないが陪審員の人物像が強くなっている。

 

  • 1997年版は、陪審員10番がスラムに住む人々に対する悪意が他の陪審員から病的だといわれるほどである。映画では、休憩時間にトイレで陪審員同士が話しかけるところがあり、その人の生活感や他の陪審員に対する見方が出てくるのがひかれる。野球観戦に行きたかった陪審員がセールスマンで、8番にあんたは優秀なセールスマンだと皮肉をいったり、他の陪審員が自分は職人で、面倒なことは親方がやってくれるからこういうのは苦手だという。ところが、目撃者の状況見直しのときにはその職人の労働経験が生かされるのである。

 

  • スラムに住んでいる陪審員は、飛び出しナイフの持ち方を知っていて、少年が上から被害者を刺殺したという疑問に呼応する。証拠の飛び出しナイフの使い方を実演し、下から上に刺すと話す。この陪審員はオリジナル版ではスラムに住んでいたことがあるとしている。無罪にいたる陪審員の生活感もオリジナル版よりリメイク版のほうが濃い演技を要求しているしアップなどで協調している。

 

  • 自分の経験してきた生き方や私憤などをぶっつける陪審員は、はっきり主張し、その人に対してその考え方は違うだろうという感情を他の陪審員に与える。そのことがなおさら、目撃者が目撃したという事実が本当かどうかを検証していく冷静さが加わるのである。自分の経験が生かされると思った時、人は自分のこととして真剣になる。リメイク版の陪審員8番はジャック・レモンで、こちらのほうが雄弁である。ヘンリー・フォンダのほうが疑問があれば知りたいという朴訥さである。1997年版は、環境の違う場で生活していることが物の見方にも相違があり、それぞれの人々がそれぞれの意見があるのだということを思い起こさせる。

 

  • ニキータ・ミハルコフ監督版『12人の怒れる男』(2007年)は、始まりから驚かされる。戦闘のあった後の場所に雨がふり、死んだ人が見え、そこを犬が雨に濡れながら走って来る。この場面は最後にも出て来る。上映時間が159分と長い。少年が自転車で田舎を走り、母親に「ロシア語を話して」と何回か言う。これはどうもちょっと違うな。ニキータ・ミハルコフ監督版だなと覚悟する。

 

  • 殺人の設定はチェチェンの少年が養父であるロシア元軍将校を殺したとの容疑である。現代のロシアの問題も大きく取り込んでいる。ニキータ・ミハルコフ監督も陪審員2番で出演している。そて陪審員2番が陪審員長となり、最後に有罪を主張するのである。それはなぜか。有罪で刑務所のほうが少年は長く生きれるというのである。無罪となりこの少年は誰も頼る人がいない。この少年は真犯人を探すであろう。真犯人はこの少年を殺すであろう。だから刑務所のほうが安全なのだと。

 

  • 容疑者である少年も映像にかなり出てくる。少年はチェチェン紛争の戦闘で父母を亡くし孤児となり戦闘の中で見つけられ引き取られるのである。そのため少年の体験した過去の映像が挿入されている。独房での少年の動きも映される。始めは寒さのために、規則的に動く。次第に身体を回転していく。これは、少年が兵士から踊りながらの独特のナイフさばきを見せられ一緒に踊る場面と重なることがわかる。アメリカ版とはナイフも違う。

 

  • 陪審員室が改装中で12人の陪審員が案内されたのは学校の体育館である。パイプがむき出しになっていて、こんなところで子供たちが学んでいるのかなどロシアの現状に対しても12人の陪審員の目がいく。そしてその意見のやりとりが強烈である。アメリカ版よりも一人一人の意見や生き方がもっと複雑でそれぞれを観るお互いの交差線も複雑である。上映時間が長い分陪審員の一人一人の発言も長い。

 

  • 目撃者の検証も体育館の体育道具なども使い舞台のような映像である。さらに少年の住んでいた建物が立ち退きを要請されていたことがわかる。ここもアメリカ版とは大きく異なるのである。新たな展開となり、陪審員2番の危惧が生じるのである。しかし、無罪であると思っているのでの評決は無罪となる。このあと、そうなるのであるかという状況が映される。大きな問題を抱えつつ、無実になった少年のその後までを考えたのがロシア版である。ラスト最初の雨の中の犬が次第に近づいて来る。この映像、メッセージがありそうである。

 

  • 笑いの多い『12人の優しい日本人』。4本の映画を観た後で気がついて笑ってしまった。三谷幸喜さん、そこまで考えていたのであろうかと疑問であるが、この映画での被告が無罪になった後はどうなるか。ハッピーである。5歳の息子と今まで通りに生活できるのである。ここまで深く考える必要があるのかどうか疑問であるが、そこまで考えても大丈夫なような設定である。恐るべし。

 

映画『12人の怒れる男』『12人の優しい日本人』(1)

  • 映画『フィラデルフイア』でトム・ハンクスが弁護士のデンゼル・ワシントンに聴かせるオペラが『アンドレア・シェニア』の中のマッダレーナのアリア「亡くなった母を」である。歌うのは、マッダレーナ役のマリア・カラスで、それを聴きながら説明するトム・ハンクスと耳を傾けるデンゼル・ワシントンの二人の顔に暖炉の火の灯りが照らしたり消えたりするのが効果的な見せ所の場面であるが、その名場面は置いておく。

 

  • この映画は法廷映画でもあり法廷の場がこれまた見せ場である。弁護士・ジョー(デンゼル・ワシントン)はよく理解できないことに関しては、私が6歳の子だと思って説明をという。弁護士・アンドリュー(トム・ハンクス)の訴訟に関しての話しには、2歳の子だと思って説明をという。いよいよ陪審員が集まり評決を話し合う時、一人の陪審員がいう。「雇い主はアンディを並みの弁護士だというが、その彼に大切な顧客の重要な訴訟をまかせた。彼の実力をみるためだと。敵地に3億5千万ドルのジェット機を飛ばすとする。操縦士をだれにするか。実力をみたいからといって青二才をつかうか。経験豊かな操縦士にするか。そこが不思議だ。6歳の子だと思って説明してくれ。」

 

  • その陪審員の言葉で映画『12人の怒れる男』を思い出し見返したくなった。そしてこの際だから『12人の優しい日本人』も見ようと。ところが『12人の怒れる男』が二回映画でリメイクされていた。ということはその二本も観なければ。

 

  • 12人の怒れる男』(1957年・シドニー・ルメット監督)は、陪審員の評決の様子を描いた映画である。簡単に「有罪」の結論がでる事件のようである。ところが一人だけ「無罪」という。11対1である。無罪といった男性(陪審員第8番・ヘンリー・フォンダ)も無罪というこれといった確証はない。被告は18歳の少年で有罪となれば死刑である。陪審員8番はもっと話し合おうと提案する。

 

  • そこから被告の18歳の少年の犯行が明らかになっていく。そして生い立ちも。スラムに生まれ、9歳で母と死別。父が服役中は1年半施設に預けられ、その後も父のDVの中で育った。その少年が父親を殺したとして裁かれようとしていた。目撃者も二人いる。討議していくうちに無罪とする陪審員が1人増え、2人増え、無罪が12人全員となるのである。その間、スラムに住む者への強い偏見を持つ人、自分と息子の関係からそれを被告の少年と重ねる人、早く終わらせて野球観戦に行きたい人などの人間性も明らかになっていく。

 

  • 最初にこの映画を観た時の強い印象は忘れられない。こんなことが起りえるであろうかと。無罪を主張する人が1人から次第に数が増えていく。話し合っているうちに目撃者の証言の真偽が問われていく。そして1人よりも2人、2人よりも3人のほうが視る観点の違いと同意がはっきりしてくるのである。わくわくして観た記憶があるが、見返したら内容も知っているためかサスペンス的なわくわく感は薄れていた。そして登場人物のこの人の人間性はもう少し強くなければなどと思っていたりした。ここで話し合わなければ一人の少年の命が短時間で決められてしまったわけでその怖さは今回のほうが強かった。

 

  • 12人の優しい日本人』(1991年・中原俊監督)は、『12人の怒れる男』をもじっての題名とも思えるが、日本にはない陪審員制度(日本は裁判員制度)を想定して三谷幸喜さんが主宰劇団・東京サンシャインボーイズのために書かれた戯曲を映画化したものである。映画『12人の怒れる男』の日本版パロディとしても楽しめる。陪審員が飲物の注文ができるという予想外の行動から始まるのである。それとか、無記名投票で決をとると13票であるという奇怪なこともある。そのあとの投票用に有罪、無罪と書き、丸をするという用紙を作っておくという人も現れる。人物描写が細かいのである。

 

  • 始めは全員が無罪とするのであるが、そのあとで一人有罪と主張する人が現れる。『12人の怒れる男』と逆パターンである。陪審員8番ではなく陪審員2号である。このあたりから別の設定の映画として切り替えて観始めた。被告は美人の5歳の息子がある離婚歴のある女性である。元夫に呼び出されて会うが話がもつれ彼女は逃げる。追ってきた夫と人気のないバイパスでもみ合いとなり、元夫はトラックに引かれて死んでしまうのである。元夫を突き飛ばしたかどうかが重要な点である。次第に有罪が増えていく。ところが今度は無罪を主張する人が一人いて、話し合いは続く。無罪が増えていく。

 

  • 『12人の怒れる男』では証拠品のナイフがあったがこちらはない。そのかわりピザの配達を頼むのである。食べるためではない。ピザの大きさを知るためである。その展開が可笑しい。被告と元夫が会った居酒屋のチェーン店のメニューなどもでてきて日本の日常性や生活感がにじみでてくるのが笑えるところである。有罪を主張した陪審員2号の他は無罪と決める。なぜ陪審員2号が有罪を主張したのかそのことが最後に明らかになる。無罪と決まり陪審員が帰るとき、直接評決には関係ないが、少し重要なことも明らかとなる。有罪から無罪に変わるとき活躍した陪審員11号のこともその一つである。

 

  • 12人の怒れる男』の社会問題上の根深い偏見を主題にしているのと比べると『12人の優しい日本人』は弱い感じもする。しかし、陪審員制度が日本人に適用されたら長い物には巻かれろ式で人を裁いてはいけませんよと話し合いへの警告も含んでいるのかもしれない。そこが無罪→有罪→無罪としつこく展開させているところかも。可笑しさを増してくれるが重要なところでもある。

 

  • 出演・陪審員1号から/塩見三省、相島一之、上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善、山下容莉枝、村松克己、林美智子、豊川悦司、加藤善博/守衛・久保晶、ピザ屋の配達員・近藤芳正

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』『フィラデルフィア』

  • 美容室で美容師さんに映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観たかどうか尋ねたら彼も観たいが観ていないという。最近映画館で観た映画を尋ねられたので『私はマリア・カラス』と答えたら、誰ですかと聞かれてしまった。その後で『ボヘミアン・ラプソディ』を観たら、フレディ・マーキュリーがマリア・カラスの『カルメン』のレコードをかけたので驚き桃木である。先に映画を観ていれば美容師さんに『ボヘミアン・ラプソディ』の映画に出て来るわよと答えられたのに残念。

 

  • 確か二枚目のアルバムを作る時だったと思う。レコード会社でフレディが『カルメン』のレコードをかけて次はオペラのようなものにすると宣言するのである。クイーンは同じようなものは作らないと仲間も同調。驚きつつ、咄嗟に第一は声かなと。それから制作が始まるが、ロジャーが声が壊れるよと抗議するがフレディは、もっと!もっと!と要求する。曲の『ボヘミアン・ラプソディ』は6分以上になり不評であった。字幕で歌詞を見ていると何かを心から吐き出し、それでいて語りかけている。

 

  • クイーンのフレディ・マーキュリーを主人公にしているが、他の三人のメンバーの映しかたもそれぞれ個性が感じられ素敵である。意外と四人一緒で、これは映画のためかと思ったらこの四人は公的には行動を供にし、プライベートはそれぞれが大切にするということだったようである。一時フレディがソロとなり3対1となるが、音楽に関しては仲間意識が強く、再びフレディを受け入れる時も3対1が一呼吸置いてぱっと4人になるという爽やかさで、クイーンあってのフレディ・マーキュリーの印象である。フレディは多額の契約金でソロとなり他のバンドとやってみるがイエスマンばかりで、音楽に対しては貪欲に言い争いつつ臨むクイーンがやはり本来の居場所であった。

 

  • そして家族を持つことのないフレディにとって仲間は孤独を感じさせる場所でもあった。それは、フレディにとってはどこにいても通過しなければならないことであったと思う。恋人であったメアリーが友人となるまでの葛藤。危うさの中で、フレディは帰る場所を間違わなかった。彼は声が出にくくなっていたが、チャリティーコンサート「ライヴ・エイド」出演の練習では、少し待ってくれ声を取り戻すからと言って当日は見事な歌声を披露し観客を魅了するのである。フレディは、ロックであっても声を大切にしていたのである。マリア・カラスのレコードをかけた時の想いは続いていたのである。

 

  • 映画『フィラデルフイア』が公開された時にはフレディは亡くなっていた。『フィラデルフイア』では主人公がオペラが好きで、マリア・カラスの歌声を弁護士に聞かせ死を目の前にした自分のぎりぎりの気持ちを伝える。この映画からはエイズに対する差別の感情がよく伝わってくる。主人公は優秀な弁護士であったが彼が勤務する法律事務所は彼がエイズとわかり解雇する。病気を理由に解雇することは法に触れるため仕事上のミスで解雇する。それも巧妙な罠をしかけてである。彼は法の力を使って闘うのである。

 

  • フレディは、そのことについては強く語らないが音楽で闘っている。結論も勝利も見えはしないがこのままで何が悪いんだ。ラストのライブは圧巻である。声を出したり、手を叩いても良い「ボヘミアン・ラプソディ応援上映」というのがあるらしい。体験したくなる。

 

  • DVD『クイーンヒストリー』は、1973年から1980年までの「クイーン」のライブ映像を含めての「クイーン」の経過がわかる。ロックの流れの中での「クイーン」の位置づけ。ブライアンのギター奏法の解説。クイーンの作品がどう変わっていったかなど。「クイーン」に詳しい人は作品に対してはそれぞれの想いがあるから異論もあるかもしれないが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で「クイーン」に接した者にとっては流れがわかりフレディの私的なことを離れて鑑賞できた。そしてスタジアムロックを意識的に目指したということがわかった。「クイーン」聴きたくなる。

 

歌舞伎座初春歌舞伎

  • 吉例壽曽我』は初めてで、曽我兄弟物のこれまた一つである。今度は場所が大磯の「鴫立澤 対面の場」であるから歌舞伎の飛びようは変幻自在である。ただ、東海道という万民周知の設定は外さない。曽我兄弟の仇である工藤祐経が箱根権現に参詣に行くというのであるからこの道である。曽我兄弟は、春駒門付けとしての登場で呼び出すのは小林朝比奈の妹・舞鶴の児太郎さんで、新橋演舞場との掛け持ちである。

 

  • 春駒門付けの兄弟は弟・箱王の芝翫さんと兄・一万は七之助さん。そして鴫立庵にいたのは、工藤祐経の奥方・梛(なぎ)の葉の福助さんである。そのため居並ぶのも女中たちで、馬入川、藤沢、花水橋などの風景を現わすセリフもあり、時期は冬。雪の対面なのである。こういうのも歌舞伎ならではの、小さい舞台に大きな風景を乗せる趣向の定番である。そして、福助さんにその風景を背景とした曽我物にふさわしい大きさがある。今のこの声が好きである。

 

  • 廓文章』は染五郎さんの伊左衛門のどうしょうもない上方のぼんぼんのダメさ加減と可笑しさをたのしむ。花道でのし所に女形かなと思わせるところがちらっとみえたのが気にかかり、ここが上方の和事の形の難しさなのかなとふっと思わせられた。吉田屋の座敷での場は、よくこうまで夕霧を待つ間に考えるものだと思える一人芝居。会いたい、不満、しっと、不安など様々の心の中の葛藤が身体で表される。観ているほうは笑うしかない。笑えるのは、その身体表現にほころびがなくなっているということである。七之助さんは傾城の大きさと夕霧の本心をゆったりとみせてくれた。

 

  • 一條大蔵譚』はめずらしく白鸚さんの一條大蔵卿である。若手での記憶が残っているのであるが、今回は、常盤御前が魁春さん、お京が雀右衛門さん、鬼次郎が梅玉さんで、やはり平家時代物の厚さが浮かび上がりその違いを感じた。それぞれの役どころが時代を背景として人物像がはっきりする。それぞれが、秘して生きている。鳴瀬の高麗蔵さんと勘解由の錦吾さんも加わって、大蔵卿の仮りのあほうが明らかになる。大蔵卿のここぞの方向性の示し方、それを受け取る者とがはっきりする濃密な短い時間。そして再び秘密の扉は閉じられる。

 

  • 絵本太功記』も、光秀の吉右衛門さん、妻・操の雀右衛門さん、母・皐月の東蔵さん、敵側の久吉の歌六さん、正清の又五郎さんでしっかり構成された。息子・十次郎の幸四郎さんと許嫁・初菊の米吉さんが再度のコンビでさらに悲哀を深くした。『松竹梅湯島掛額』で幸四郎さんは吉三郎という若い役で、猿之助さんがそれとなく、若くみせてますが40過ぎていますからといって観客を笑わせていたが、40過ぎようと50過ぎようと若者を演じられなければ歌舞伎役者ではないのである。

 

  • 幸四郎さん、芸の力で若くみせていた。手の置き方、横座りの脚の位置、はやる心の若武者の走り方など上手く調和した身体の芸で、今回はそれがさらに身についていた。米吉さんの初菊も前はただ教わった通りを無我夢中でそれが可愛らしさにつながっていたが、今回は少し落ち着きを持って気持ちを発露させる。このお二人がアップした分、吉右衛門さんの私憤だけではない主君春信を討った動かぬ覚悟のほど、雀右衛門さんのくどき、孫と共に死に臨む東蔵さんの最後、そして結婚したばかり若い二人の哀れさなどが凝縮された。小さな庵で出会ってむかえる家族の悲しみが大きな歴史の一端を展開する。

 

  • 松竹梅湯島掛額』はこんな笑いも歌舞伎にはありますよという芝居である。時代性も変則ではあるが加味している。木曽の源範頼が攻めてくるということで、町人の娘たちは本郷駒込の吉祥院に逃げ込んでくる。おくれて美しい八百屋のお七の七之助さんもやってくる。範頼は義朝の息子で、頼朝や義経と兄弟ということになるが、木曽とつけているのは木曽義仲を意識して、京に上った時乱暴であったという印象とを重ねているのであろう。そしてこの範頼がお七が美しという話から家来に連れてくるよう命令する。

 

  • ところが、お七は吉祥院の小姓の吉三郎と夫婦になりたいと思っている。八百屋は借金のためお七の母の門之助さんは結婚相手をきめてあるのだがそれも覆しお七は吉三郎一筋に突き進み、最後は「櫓お七」の人形振りとなる。そこまでの悲劇を喜劇でつなぐのが紅屋長兵衛の猿之助さんである。皆にベンチョウと呼ばれていて、お七が悲しむのがいやでお七が笑顔になるように一生懸命にあれこれ考えるのである。それがベンチョウならではのアイデアである。範頼の家来なども巻き込んでのてんやわんやである。お正月にテレビでも放映されていたが、それ以上に松江さん、吉之丞さんらは喜劇役者となっていた。どなたの仕込みであろうか。(竹三郎さんは休演で代役は梅花さん。)

 

  • 初春にふさわしく三番叟の芝翫さんと千歳の魁春さんの『舌出三番叟』と、梅玉さんを筆頭に若い鳶の者が加わり、にぎやかに獅子舞の登場する『勢獅子』の舞踏。踊りあり、重厚な時代物あり、笑いありの歌舞伎座であった。

 

シネマ歌舞伎『沓手鳥孤城落月』『楊貴妃』

  • 沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』。実際の舞台でも落城前の大阪城での臨場感ある場面には圧倒されたが、映画は表情がよくわかるので息を詰める箇所もあった。あの淀君が、千姫を連れ出そうという徳川側の動きを察知して止め、怒り心頭である。さらにそれを企んだ主要人が舌を噛み切って自害するのであるから、なんたる失態かと局たちへの叱責も次第に増大するばかりである。居たたまれない千姫はその場から消え、城を出る。

 

  • 次第に淀君の心は壊れていく。自分の両親を殺した秀吉と一緒になり秀吉亡き後は、秀頼の母としてその権力を握ったわけであるが、今、それが崩れる寸前である。自分と秀頼の位置を脅かそうとしている者たち。そばに仕える者に対する猜疑心。それらがかみ合わさって壊れていくしかない淀君。

 

  • そんな母を見るに耐えない秀頼。この芝居の中の秀頼はマザコンではない。しっかり母親の姿を見据えていて憐れんでいる。この母の姿を広く周知させてはならないと母を殺し、自分も自害しようとする。周囲は、正気に戻るからそれまで待ってくれと懇願する。正気に戻る淀君。秀頼のことは認識できた。しかし、元の母ではない。秀頼は自分が豊臣家としての判断をしなくてはならないと腹を決める。そして側近たちの意見に耳を貸し、徳川に降伏することを決断するのである。

 

  • 映画を観て、この秀頼は凄いと思った。見終わった後、友人と淀君はあの最後の秀頼を育て上げただけでも凄いよと感じ入ってしまった。まさか淀君は自分を客観的に見つめ決断するだけの判断力があるとは思っていなかったのではないだろうか。自分が守らなければの母としてのいつまでも子供である意識である。ところが息子はしっかり最期を自分で決めるまでに成長していたのである。

 

  • さらに観ていて面白かったのは、玉三郎さんという役者さんの大きな壁に向かって他の若い役者さんたちがぶつかっていく姿が大阪城の落城の異常な緊迫感を漂わせているのである。その玉三郎さんの淀君に負けまいとしつつも冷静に心の内をおさえつつ臨む七之助さんが現実と芝居を一致させているところに深さがでた。もしこの壁のない若手同士でやるときはどうするのか。仮想の壁を自分たちで作らなければならないのである。今でもその心構えは必要と思う。いらぬ心配かもしれないが。(松也、梅枝、米吉、児太郎、坂東亀蔵、彦三郎)

 

  • 楊貴妃』は、『沓手鳥孤城落月』の世界からすると、浄土の世界である。玄宗皇帝は亡き楊貴妃が忘れられないでいる。方士に楊貴妃の魂を探し出すように命じる。方士というのは特別の能力がある人のことを指すようで、方士の徐福は秦の始皇帝から不老不死の薬を探すように命じられる。和歌山県新宮市に徐福の墓があった。日本にも来たことになっていて伝説が残っている。

 

  • 『楊貴妃』のほうの方士も難問を命じられたわけである。日本ではイタコという死者の言葉を口寄せで語るのがあるが、『楊貴妃』は姿を現すのである。そして、自分と会った証拠にと簪を方士に与えるのである。シネマ歌舞伎の前に先の映画予告『七つの会議』があって、方士の中車さんが香川照之さんで凄い顔で映っていた。

 

  • 現れた玉三郎さんの楊貴妃は、もう阿弥陀様になられているのを楊貴妃の姿にもどって出てきたという感じである。本来の趣意としては、私も玄宗皇帝のことを想い続けていますよということなのかもしれないが、そういう人間性はもう飛んでいる感じで、玄宗皇帝あなたももうそろそろ救われた気持ちにおなりなさいという風に思えた。これはもしかすると映像のためかもしれない。舞台ではそう感じなかったので。舞台と映像では、違った見方となるのが面白い。

 

  • 映画のあと、友人が『平家物語』の講話を聴いているというので、義仲、義経、頼朝の源氏の同族争いのことや、義経のゲリラ戦術などの話しを聞いた。埼玉県嵐山町散策の後だったので復習のようなかたちとなって楽しかった。嵐山町を案内したいが、足が不自由で無理なのが残念である。

 

国立劇場『通し狂言 姫路城音菊礎石』

  • 今年一番始めの観劇が国立劇場『通し狂言 姫路城音菊礎石(ひめじじょうおとにきくそのいしずえ)』だったのであるが、歌舞伎をめったに観ない友人が珍しく観に行くという事なので友人の感想を聞いてからと思っていた。歌舞伎のほうは、話しの流れとしては分かりやすい。菊五郎さんが桃井家を守る従順な家老かとおもったら実はその反対のお家を潰す悪家老で、出番は少ないが主軸である。桃井家再興のために奔走する人々と、さらに桃井家に恩のある狐の夫婦が恩返しと頑張るのである。例年菊五郎劇団が国立劇場の新春歌舞伎を飾り、スペクタルな奇想天外な芝居が多いようにおもうが、今年は地味系である。

 

  • 友人に感想を聞くと「う~ん、う~と。」とうなっている。何となくわかる気がするのである。少しずつ誘導尋問風に尋ねてゆく。「芝居の筋はわかった。家老が悪人と知ってそう展開するのかと思った。お家騒動が現代においてそれほど重要なテーマなのであるかどうかよくわからないので距離感もあった。まあ歌舞伎だからであろうが。いや、う~ん。」役者さんは。「役者さんは、途中からイヤホンガイドを借りたので何となくわかった。」この役者さんはもう一回違う芝居で観たいと思う役者はいたか。「いなかった。」残念。出演している役者さん一人一人の輝きが薄くなかったか。「そう、そうなのよ。」

 

  • やはりなあと思う。内容的も分かりやすかったので、役者さんの役どころの光を求めたのだがそれを感じとれなかったのである。お家再興のために働くのにそのオーラが低いのである。どうしてなのであろうか。友人は本と演出かなという。

 

  • 観ているうちに今作品が、復活狂言を目指しているわけでそこに主眼があるが、菊五郎さんが、次の世代に橋渡しの試みをしているようにも思えた。菊之助さん、松緑さん、梅枝さん、萬太郎さん、尾上右近さん、竹松さん、坂東亀蔵さん、彦三郎さん等へ。現代の人が観るのであるから現在の役者さんの輝きをも考慮する必要があるのでは。そのさじ加減が難しいところであろうが。この作品もかつては芝居の内容と役者さんが一致して盛り上がったと思う。芝居自体の盛り上がりとその中で切磋琢磨する役者さん、その両方が観れるのが観客にとってはベストであり、理想である。なるほどなるほどで終わってしまった。それぞれに小さな竜巻を起こして欲しかったのであるがそこまでいかない納得さでまとまってしまった感じである。

 

  • テニスを趣味としている友人はテニスに例えると話がはずむ。遅まきながらコーチについて基本を習い始めたら、基本というものがいかに美しいかを知ったという。それと同じことが歌舞伎の身体の基本にはある。美しいのである。上手な人のプレーを見るとあの形をやってみたいと思う。歌舞伎役者さんも先輩たちの芸をみるとああなりたいと思い演じて見たいとなるであろう。それは凄くよくわかる。相手のプレーがわかっている場合待ち受けて基本の形で受けることができる。ところが、思ってもいない球がくると基本などはなくなっている。それではいけないのであるが、でもそうくるかとこれまた面白いのである。レベルの上の人とやっていると少ないが、その面白い場面に会って嬉しくなり楽しくなる。役者さんにもそんな感覚があるのではないだろうか。

 

  • 小さな役者さんの寺嶋和史さんと寺嶋眞秀さんに対してはどうおもったのか。お客さんに拍手をもらって喜びを感じてこの道を進んで行こうと思うのであろうが、大変な進むべき道ね。でもスポーツの場合は勝ち負けで決まってしまう厳しさもある。勝ち負けがないだけにつかんだという手応えがないかも。それは、観客との空気かなあ。可笑しいときの空気、息を詰めている時の空気、先輩の役者さんと観客との空気、それを感じれるのは舞台に立っていれるからこそだろうし、テニスはコートに立っていればこそよ。生身の一か月は大変ね。取り留めない長電話であった。プロでない気楽さのなせるわざである。

 

  • 舞台は始めに姫路城の美しい映像が浮かび上がっている。歌舞伎の舞台もこういう新しい手法がどんどん盛り込まれていく。桃井家の後室の時蔵さんは、姫路城に妖鬼がでると噂を流しその事を利用して妖鬼退治の名目で求人し、剣の達人を見つけお家再興に役立たせようという試みも行う。お家没落も先代萩のごとく、しかけられた若殿様の遊蕩である。そして狐の恩返しの早替わりも盛り込まれる。

 

  • 楽善さん、團蔵さん、権十郎さん、片岡亀蔵さん、萬次郎さん、橘太郎さんらが脇をがっちり固めてくれるので、その中心の花芯を担う世代の重要性を強く感じる。先輩達からの教えを受けつつ、自分たちでお互いに主張し高める時期にきていると。稽古時間の少ない歌舞伎であれば、その切磋琢磨する時間をどこで作るのか。そういうことも考慮しなければならない時代性も感じる。そしてそこに次の世代を巻き込む勢い。そんなことを感じさせられた国立劇場観劇であった。
  • BSプレミアム 2月3日の夜中24時から放映とのこと。

 

木曽義仲の生誕地 埼玉県嵐山町

  • 浅草の新春歌舞伎でも上演されている『義賢最期』の源義賢は木曽義仲のお父さんで、芝居で葵御前は身ごもっていて、お腹の赤ちゃんが義仲なわけである。『実盛物語』で色々あって無事この世に誕生するわけであるが、幼児の頃の名前は、駒王丸(こまおうまる)である。芝居では、義賢の兄・源義朝が平清盛に討たれるが、義賢は平家側についている。清盛は義賢の忠誠を再度確かめるため、義賢に兄・義朝の頭蓋骨を踏めと申し付けるのである。義賢はそんなことはできるかとばかり反旗をひるがえし、壮絶な最期をとげることとなる。
  • 埼玉県の嵐山町には、義賢が構えていたという大蔵館跡がある。義仲が生まれたのはもう少し西の鎌形と言われた地で、源氏の氏神としての鎌形八幡神社がある。義賢は近衛天皇が皇太子の時、その警護役である帯刀(たてわき)の長官をしていたことから帯刀先生(たてわきせんじょう)とよばれていた。『義賢最期』で所持していた白旗は帝から賜ったという設定はそういうこととも関係しているのであろうか。
  • ひとつの説によると駒王丸(義仲)の母は小枝御前で、父・義賢は「大蔵の戦い」で最期をとげる。兄・義朝の長男である悪源太義平がこの地方に勢力を伸ばすため大蔵館を攻めたとある。一族はほとんど討死にし、駒王丸は二才で鎌形で母と共に捕らえられたが、畠山重能(しげよし)と斉藤別当実盛に助けられる。そして木曽の中原兼遠にあずけられることとなる。そして無事元服し、木曽義仲となるのである。『平家物語』と『源平盛衰記』などによったりその後の調査などで史実は錯綜するが、義賢の兄・義朝は頼朝や義経の父であるから結果的には兄・義朝の系列が鎌倉幕府となり、源氏は親族間での争いも絶えなかったことになる。
  • この地を訪れるには電車であれば東武東上線の武蔵嵐山駅である。「武蔵嵐山」の文字をみると京都の嵐山を連想したりするがその名の由来はやはり関係している。昭和の初期、日本初の林学博士の本多静六博士がここを訪れて、その美しい景観が京都の嵐山に似ていることから「武蔵嵐山」といったことが始まりだそうである。読み方は「むさしらんざん」である。都幾川辺りは桜並木が続き、嵐山渓谷は紅葉の名所で、今年からはラベンダーの新名所もできる予定だそうである。
  • 一応ネットでも調べて訪れたのであるが、駅西口にある観光案内所での地図と、分かりやすい道案内の説明のおかげで散策できた。ただその地図には義賢の墓は記載されていなく、こちらも、大蔵神社から鎌形八幡神社に上手く行けるであろうかと心配だったので義賢のお墓のほうが飛んでいて、帰りに戻る形となった。案内の方の話しから帰りには「埼玉県立嵐山史跡の博物館」に寄る予定であったがあきらめた。大蔵館跡→大蔵神社→鎌形八幡神社→班渓寺→大蔵神社→義賢のお墓。最初に義賢のお墓に行くのが良さそうである。
  • 義賢のお墓大蔵館跡大蔵神社鎌形八幡神社班渓寺菅谷館埼玉県立嵐山史跡の博物館 鎌形八幡神社は坂上田村麻呂が勧請したともいわれている。義仲の産湯の清水がある。班渓寺は義仲生誕の地となっており、こちらにも義仲の産湯の清水がある。また義仲の妻の一人である山吹姫のお墓もある。山吹姫が義高の母とも言われ、嵐山町が源義賢、義仲、義高三代関連の地ということになる。大蔵の地が本館で、鎌形の地が下館であろうか。
  • 武蔵嵐山駅からお墓まで歩いて40分くらいであろうか。大蔵にはバス停もあった。そこから鎌形八幡神社へは観光案内で教えて貰った道で嵐山町総合運動場のそばを通って進み30分くらい。戻りは、都幾川辺を歩いて桜の時期を想像して歩き途中で地元の方の親切な案内で無事大蔵神社にもどれた。地図上ではラベンダー園の場所もわかるし、紅葉の頃の道もわかる。道は観観案内で聞くのが一番と思う。義賢のお墓や木曽義仲生誕の地などは他にもあるようで、それだけ人気のある歴史上の一族ともいえる。
  • 「埼玉県立嵐山史跡の博物館」のそばには、菅谷館跡がある。鎌倉時代の畠山重忠の居館とされる。木曽義仲を助けたとされる畠山重能の次男で宇治川の合戦、一の谷の合戦、奥州攻めなどで功績をあげた御家人で、北条氏によって神奈川の二俣川で滅ぼされている。その他、この地にはホタルの里やオオムラサキの森などもあり、歴史と伝説と自然の詰まった地域である。一つ手前のつきのわ駅から歩いて30分のところに『丸木美術館』がある。桜かラベンダーの頃再訪するのもよさそうである。

義賢のお墓

大蔵館跡

大蔵神社

班渓寺

義仲の産湯の清水

班渓寺は、義仲の側室で義高の母である山吹姫が義賢、義仲、義高の源氏三代の菩提を弔うために開基したともいわれている。

新春浅草歌舞伎

  • 戻駕色相肩(もどりかごいろあいかた)』は、観るのは初めてである。駕籠を担いで花道から登場であるが、その衣裳は駕籠かきとは思えないもので、駕籠に乗っていたのは可愛らしい禿(梅丸)であった。京・大阪・江戸の廓話を洒脱に踊るのだが、三都の廓の違いがよくわからなかった。面目次第もございません。駕籠かきの二人は誰なのかなと思いましたら久吉(種之助)と石川五右衛門(歌昇)でした。なるほどであるが、歌昇さんは、『関の扉』の関守関兵衛にも似ていて今度関兵衛に挑戦してはいかがかな。種之助さんの台詞のニュアンスに一瞬これはと面白さを感じた。変化に幅がある。『番町皿屋敷』で納得。

 

  • 義賢最期』は、ダイナミックな演出があるが、そこに至る義憤の場面が難しい。松也さんはなんとかクリア。義賢の周囲の女形が弱いのが難点。若手のチームワークだけでは持ちこたえられない源平合戦前の悲哀がこの芝居にはあるはずである。御台葵御前の鶴松さんと小万の新悟さんがまだ熟していない。小万は難しい役どころである。義賢の最後を看取る役であり常に義賢に気を使う役である。出が少ないだけに難しい。『実盛物語』にも続き、義賢の壮絶な死に方を無駄にしないで白旗を次に渡す役でありその腹をどこかで感じさせる深さが必要である。義賢の想いを仏倒しという演出の死に方にしているが、それに拮抗する義賢の周囲の演技があっての義賢最後である。小万の父親の桂三さんは全体の流れが分かっていてのこの場での百姓九郎助であった。

 

  • 芋堀長者』は、芋掘りがお姫様に恋をしてという身分違いの恋愛始末記を面白く踊りにしている。巳之助さんの得意とする役どころでもあるが、若さと明るさで出演者一同自然体でこなしている。芋掘り藤五郎の友人の治六郎の橋之助さんが襲名披露も終わったためか介添え役が力が抜けていて愛嬌がある。歌女之丞さんが全体の軽さを程よく締める。

 

  • 壽曽我対面』は、五郎の松也さんと十郎の歌昇さんであるが、反対の役どころで、松也さんが押さえのほうが良かったような気がするが浅草ならではの挑戦ともいえる。工藤祐経に錦之助をむかえ、周囲は先輩たちに囲まれて修業してきた成果がでていた。巳之助さんの小林朝比奈の道化役がいい。今までも居並ぶ役どころでしっかり声を張り上げ、やってますね、と思って観ていたのであるがその声の調子とコミカルさが結実してくれた。

 

  • 五郎と十郎が持って出る島台の飾りが江戸三座でそれぞれ違うのだそうで初めて注目した。宝尽くしに金の烏帽子と小づちで、これは市村座だそうである。大磯の虎の新悟さんの声がいい。化粧坂の少将の梅丸さんとともに傾城での居並ぶ体験が生かされている。こういうのは場数を踏んで衣裳に負けない姿勢が大切なのであろうと思えた。幕切れの工藤祐経の見得の形は鶴を現わし、五郎、十郎、朝比奈は富士を現わしているそうで初春らしいおめでたさたっぷりの対面なのである。

 

  • 番町皿屋敷』は隼人さんの青山播磨と種之助さんのお菊で純愛ものになった。先輩たちの場合は純愛といえない年輪が加わるのであるが、今回は純愛そのもであった。種之助さんが耐える女形を演じるとは思ってもいなかったのでお菊のできには驚いた。『戻駕色相肩』でちらっと感じた台詞の幅がこういうところでも生かされたのかと納得した。隼人さんの青山播磨は、ここで声高に張り上げて台詞を引っ張るのかなと聞いていたらそうはならず、あくまでもお菊を諭す感じである。これならお菊も納得して死んで行けるであろう。

 

  • お菊の死骸を捨てた井戸に片足をかけ覗き込むところに青山の悲哀を出し、自分の宝も愛も捨てた男をみせる。そして、それを振り切るように喧嘩へと飛び出すのである。純愛にしてくれたほうがこのお話救いがある。『義賢最期』や『壽曽我の対面』でも隼人さんの台詞の調子が整ってきていたので長台詞も大丈夫かもと期待したら及第点であった。種之助さんのお菊ともども浅草ならではの挑戦である。鶴松さんのお仙がお菊の心を知らず綺麗な立ち振る舞いで腰元としての仕事をし、お菊に受け答えする様子が、お菊の不安さを引き立たせてくれる。桂三さんの十太夫がお家大事の役目をになう。錦之助さんが、播磨が苦手とする伯母さま役で播磨の若さを強調してくれた。

 

  • 最後『乗合恵方萬歳』は、橋之助さんが女船頭という見慣れぬ役どころであるが、皆さんそれぞれ納得いく役どころでにぎやかに幕となる。今回は若手9人(松也、巳之助、種之助、橋之助、梅丸、鶴松、隼人、新悟、歌昇)という挑戦である。先輩から受け継いだ浅草新春歌舞伎も、松也さんの求心力も強化し、千穐楽までにさらなる回転力を増すことが予想される。

 

小幡欣治戯曲集

  • 新橋演舞場での『喜劇・有頂天団地』観劇から小幡欣治さんの戯曲を読んだ。読んだのは『隣人戦争』『女の遺産』『遺書』『鶴の港』『春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』『浅草物語』『かの子かんのん』『明石原人ーある夫婦の物語ー』である。

 

  • 女の遺産』は、代々娘に養子をとらせて商売の安定をはかってきた日本橋横山町の玩具問屋の人間関係を描いている。時代背景の情報もでてくる。「ツェッペリンの号外!」というのあり、世界一周のツェッペリン伯号が帝都上空に到着した知らせである。そして円本の時代である。そうした時代の中での古さと新しさがせめぎ合いの中で、それぞれが新しい一歩を踏み出していく。小幡欣治さんの戯曲には人の情愛と常に一歩踏み出すという設定が多い。小幡欣治さんは、最後は新劇のために作品を書くが、商業演劇と新劇の境を意識しないで書き続けた劇作家でもあった。

 

  • 遺書』は、金沢犀川大橋近くの割烹・犀明館の息子の結婚と戦争により特攻隊となり出陣するまでの夫婦の絆がえがかれる。浅野川の友禅流しやその川に生息する魚のゴリを金沢ではグズと呼ばれ、そのグズと息子を重ねたり、結婚相手が水引人形屋の娘で金沢伝統の水引で作品をつくっていたりと金沢文化も色濃い。息子は京都の学校に通っており、特攻隊として飛び立つとき一緒に奈良の秋篠寺の伎芸天を見たかったと語る。妻は水引で伎芸天を作ることを約束し、南九州の鹿屋航空基地から妻の立つ城山公園ぎりぎりまで低空飛行をして飛び立つのである。

 

  • 鶴の港』は、長崎の稲佐地区は維新前からロシア艦隊の冬の間の休息地で、稲佐楼はロシア艦隊の乗組員のためにロシア料理を提供している。ところがロシアと戦争となるとの話しから他の料亭などはロシア人相手の商売の鑑札を返し、ロシア相手の商売をやめる。稲佐楼の女将は、今までの付き合い通りロシア人相手に商売を続ける。最初から日本料理しか出さなかった玄海楼の女将や日本人の母とロシア人との間に生まれて成長した娘などを含めて鶴の形に似ている港での人間模様が展開する。ロシアが戦争に負け、ロシア兵の捕虜が稲佐山の仮収容所に連行され、ロシア人の父と娘が思いがけず再会する。芝居の始めのほうではぶらぶら節も流れている。

 

  • 春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』は、題名からもうかがえる幕末から明治への混乱の時代の話しである。郡上八幡の郡上藩には幕末に凌霜隊(りょそうたい)というのが存在した。この隊は郡上藩とは関係がないということを約束されて江戸に立つ。江戸で幕府軍の手助けをするために。小さな藩は、旧幕府につくか新政府側につくかを迷い、二枚舌を使うこととして、そこに参加している人間は藩と関係なく凌霜隊の一人であるというだけの身分で、何かがあれば消される運命にあった。芝居であるので史実どおりではないが、凌霜隊が存在していたのは確かである。郡上八幡の歴史の一部を知る。藩主の姉や家老の娘が同道し、凌霜隊は藩のため幕府のためを信じて行動するのであるが・・・。要所、要所に郡上踊りが踊られたり歌が流れたりと、小幡欣治さんは、その土地の空気を漂わせる。

 

  • かの子かんのん』は、歌人であり小説家である岡本かの子さんをえがいている。岡本かの子さんは、漫画家の岡本一平さんの妻であり、芸術家の岡本太郎さんの母である。自分の恋人を自宅に住まわせ自由奔放な人ととされている。小幡欣治さんは、瀬戸内晴美さんの『かの子繚乱』の原作をもとにして、岡本かの子さんの仏教に対する考えかたなども挿入している。人から見ると気ままで自分勝手に想えるかの子さんだが、脚本の中のかの子さんは只一生懸命に突き進んでしまいその道しかなくなってしまう。そういう生き方しかできない人である。そして、それを一番理解していたのが、夫の岡本一平さんであった。

 

  • 明石原人ーある夫婦の物語ー』は、明石原人の発見者の長良信夫さんと妻の音さんの夫婦の物語である。民間人が発見しても考古学の世界ではなかなかそれを認めてはもらえないというのは、群馬の岩宿で石器時代の黒曜石製小頭石器を発見した相沢忠洋さんの著書『「岩宿」の発見ー幻の旧石器を求めて』で知った。たまたま岩宿遺跡と岩宿博物館に寄ってこの本があって読んだからで遺跡に興味があったわけではない。長良信夫さんの場合は、石器時代に人が存在したということ自体が、日本古来の神話に触れることになり曖昧にされ、戦後になってはじめて認められるのである。民間人の発見と、戦争という時代とも重なりもみ消されてしまいそうな事実がやっと認められるのである。

 

  • 相沢忠洋さんの本のあとがきにも、「明石原人の発見者で有名な直良(なおら)信夫先生も来られた。」と書かれてあり、小幡欣治さんも戯曲の中に、相沢忠洋さんに会いにいったことがでてくる。小幡欣治さんは、この戯曲のあとがきで、長良信夫さんの家族に了承を得て創作させてもらったと書かれているが当たり前と思っていた石器時代にも人間が存在していたということが認められるまでには大変な苦労があったのだということを改めて戯曲から知ったのである。

 

  • 小幡欣治さんの戯曲は、日本の知られざる土地の消えてしまいそうな生活者のことが、音楽や風景や生活や歴史を織り込みつつ書かれていて読み物としてもぐんぐん引っ張てくれた。『遺書』は十八代目勘三郎さんが勘九郎さん時代に出演していて、『春の嵐』には、吉右衛門さんが出演されていた。岩宿遺跡は、両毛線の岩宿駅から歩いて25分くらいである。

 

  • 3月にある七之助さんの特別舞踏公演は、この岩宿から距離的にはそう遠くない大間々の「ながめ余興場」から始まるのである。わたらせ渓谷鐵道の大間々駅から徒歩5分の「ながめ余興場」は見学したことがあり、この小屋で演芸が観てみたいと思っていたのである。勘三郎さんの歌舞伎を観た事がない人にもという意志を継いでの公演である。それだけに地元の人の席を取るのは不心得者であるが、先行の抽選に応募したが落選で、潔くあきらめることにした。もう一度この芝居小屋に見学だけでも訪れたいし機会があれば観客になりたい芝居小屋である。

 

 

  • 小幡欣治さんが書かれたのであればと『評伝 菊田一夫』を読む。菊田一夫さんの生い立ち、そして浅草時代が大変参考になった。さらに<あちゃらか>から<商業演劇>への脱出。東宝関連の演劇の流れも初めて文字として知る。菊田一夫さんを描きつつ一つの演劇界の歴史をも知りえて興味深かく楽しませてもらった。