伊能忠敬の歩いた道(3)

萬年橋を渡り隅田川テラスにおります。次の新大橋

その前に芭蕉庵史跡展望庭園へ上がっていきます。開園時間があって以前に来たときは閉まっていたのです。

芭蕉さんの座像は、午後5時前は川上をみていて、5時過ぎると清州橋の方向をみるという回転式なのだそうです。

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間隔をあけて描かれている北斎さんの「深川万年橋下」。富士山が小さく姿をあらわしています。

下におりますと観光高札がありました。「赤穂浪士ゆかりの道」。赤穂浪士が本所の吉良邸を引き上げ泉岳寺に向かうのと反対に私は進んでいますのであしからず。

説明を簡略化しますと、本所吉良邸から堅川の一之橋を渡り隅田川沿いの道を南下し、小名木川の萬年橋、佐賀町あたりの上之橋中之橋下之橋を渡って永代橋のふもとでひと息入れたと伝えられています。この道は、時代が武断政治から文治に移りかわろうとした元禄時代の出来事がしのばれる道です。

一之橋は後で出てきます。このあたりの隅田川沿いの道は赤穂浪士引き上げの道でもあるわけです。

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その隣に正木稲荷があります。由来の石碑から興味あるところを抜き書きします。

かつては征木稲荷であったが正木稲荷に改められた。江戸時代の古くからあり為永春水の「梅暦」の挿絵にも描かれている。江戸名所図会では、真先稲荷大明神となっている。昔征木の大木がありそれを社名とした。征木の葉が腫物にも効いたといわれ、蕎麦断ちをして祈願し、全快すると蕎麦を献じるという信仰があった。

隣には船番所があった。近くには芭蕉庵があって大正時代に東京府の「芭蕉翁古池の跡」として旧跡に指定されたが昭和56年に旧跡は芭蕉記念館に移転された。

おできの神様とは、庶民の日常生活に根ざした信仰心です。

小説『橋ものがたり』の「約束」にでてきたのがこの稲荷神社とおもいます。五年後幸助はお蝶に会うため約束の萬年橋に向かい待つ間、稲荷社の境内に入ります。征木の大木のことは書かれてません。幸助のその時の幸福な期待感が好くあらわれています。

「幸助は境内の端まで歩き、大川の川水がきらきらと日を弾いているのを眺め、その上を滑るように動いて行く、舟の影を見送った。そこに石があったので腰をおろした。石は日に暖まっていて、腰をおろすと尻が暖かくなった。」

さてむかいに芭蕉稲荷神社があります。芭蕉庵史跡芭蕉稲荷神社とあります。

深川芭蕉庵旧地の由来。芭蕉さんは、門弟の杉山杉風に草庵を提供されここから全国の旅にでかけ「奥の細道」などの紀行文を残しました。芭蕉さんが亡くなった後は武家屋敷となりそれも焼失。大正6年津波のあとに芭蕉さんが愛好していた石造の蛙がみつかり、地元の人々が芭蕉稲荷を祀りました。さらに戦災のため荒廃していたのを地元の人々が再び尽力し復旧されたのです。しかし狭いため芭蕉記念館を建設しました。石の蛙もそちらのあります。

芭蕉庵跡の石碑の右手に蛙がいます。

芭蕉記念館の前の道は通らず、隅田川テラスを新大橋に向かって進みます。

隅田川テラスには大川端芭蕉句碑がならんでいます。

新大橋の下から反対側の隅田川テラスが見え、あちらはあちらで、壁に何か描かれています。

途中から金網があり通れなくなりましたので隅田川テラスから道を変えました。歩いているとむかい側に神社が。

江島杉山神社

将軍綱吉が鍼術の腕を認めた杉山和一総検校という人がいて、この地を拝領されその西隣に弁財天の一社を建立したのが江島杉山神社の始まりです。和一さん、幼いころ失明し鍼術を学び、江の島の弁財天の岩屋にこもり管鍼術を授かったため祀ったのでしょう。学びに学び鍼術の神様といわれたようです。

竪川にかかる一之橋に出会いました。そうです。赤穂浪士が吉良邸から引き上げる時に最初に渡った橋です。

堅川

隅田川側には堅川水門があります。上を首都高が走り、風景としては味わいがありませんが、治水は大切なことです。

一之橋までといたします。

国立劇場周辺の寄り道

東京メトロ半蔵門線半蔵門駅から国立劇場の行き帰りの寄り道を紹介します。半蔵門駅の1番出口か6番出口を出ますと道向かいのマンションの間にに小さな稲荷神社があります。千代田区麹町にあるので麹町太田姫稲荷神社と呼ばれているようです。

神田にある太田姫稲荷神社の分社で、伝説によると太田道灌の娘が天然痘にかかり、さる稲荷神社に祈願したところ治り、江戸城内に勧請し祀られたました。そのあといろいろな変遷があり麹町の有志によって、地域の守護神、病気平癒、商売繁盛の神としてまつられたようです。

「バン・ドウーシュ」というオシャレな名前の銭湯もあったのですが今回見ましたら名前がなく廃業したようです。皇居周辺をマラソンするかたも利用していたようですが憩いの場がまた一つ消えていました。

1番出口、6番出口を右に坂を下っていきますと平河天満宮があります。これもまた太田道灌が江戸の守護神として江戸城にお祀りしたようです。二代将軍秀忠によってこの地にうつされ、平河天満宮の名にちなんで平河町と名づけられました。御祭神が菅原道真公ですから学問の神様で合格祈願のお参りも多いようです。

鳥居が銅で作られています。左右の台座の部分に小さな四体の獅子がいます。初めてみました。銅の鳥居は何代も続く名ある鋳物師(八代目・西村和泉藤原政時)によって作られ、江戸時代の鳥居の特色の一つとのことです。鋳物だからこそできる意匠です。

稲荷神社の横には、百度石があり、力石、筆塚などもあります。そのほか、石牛、狛犬なども奉納されています。

半蔵門駅の改札を出てすぐの右手に『半蔵門ミュージアム』のポスターがありいつも気になっていたのです。仏教に関係があるらしく無料なのです。駅すぐそばなのです。いつも使う出口ではなく4番出口すぐそばでした。

運慶作と推定される大日如来座像だけでも必見の価値があります。そのほかガンダーラ関係のものもあり、今回初めて入館しましたが、静かで入場者も少なくゆったり鑑賞できました。シアターも二つ観ました。「曼荼羅」は解説を読んでも難解ですが、映像によりほんの少し近づけました。「大日如来坐像と運慶」も心が揺さぶられました。次回は「ガンダーラ仏教美術」も観たいとおもいます。

そして今回は写真家・井津健郎(いづけんろう)さんの「アジアの聖地」の特集展示がありました。お名前も作品も初めての出会いです。プラチナ・プリントなのだそうでが白黒写真とは違う不可思議な感覚が呼び覚まされます。静寂、恐れ、邂逅、祈り、命の尊厳、悠久の時間空間、一瞬、などなど言葉を越えた世界です。

大日如来様に会えるだけでも嬉しい場所となりそうです。ただ展示替えの休館日などもありますのでお確かめください。

半蔵門ミュージアム (hanzomonmuseum.jp)

追記: 『猿之助×壱太郎「二人を観る会」』。予定していなかったのですが出先から電話すると当日券ありなので寄り道しました。頭から足の土踏まずの丸みまで全身見えての素踊り鑑賞。歌舞伎舞踊の身体表現の深さ。壱太郎さんの進行が絶妙で途絶えることのないトークの楽しさ。芸の話がさらっと何気なく出て超納得。愉快な思い出話など爆笑多し。最後は打ち上げ花火のような『お祭り』。まさしく「二人を観る会」でした。

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追記2: 『猿之助×壱太郎「二人を観る会」』が開催された日本教育会館の1階ロビーに御神輿が飾られていました。休憩時間にゆっくり眺めさせてもらいましたが、清元『お祭り』にぴったりの偶然の出会いでした。御神輿のように歌舞伎座などとは異なるピカピカのおふたりでした。この雰囲気は他では観れないかもです。(笑)

上野・トーハクから上野東照宮へ(3)

歌舞伎座6月の『京人形』から左甚五郎さんが彫った龍があるということを知り、これは良い機会と拝見しに寄りました。上野東照宮ちょっと派手派手さに避けていたところもあり、今回はあらゆる異文化を受け入れつつの江戸徳川家の威信を示すための建築物とおもうと、その工夫も一つの時代のながれに残したものとして大工さん達の努力の結晶でもあるのだという感慨がわきました。

大石鳥居をくぐりますと表参道となりますが、石燈籠が並んでまして約200基あるのだそうで現在の社殿の造営の年(1651年)に諸大名が奉納したのです。

そして唐門と後方に社殿があるのが解ります。お天気が曇りでお日様に照らされず助かりましたが、建物はかなり渋めに写りました。白の丸印が左甚五郎さんの彫刻の昇り龍降り龍です。よく見えませんが青の丸印は銅灯篭です。これは48基あり、唐門の両側の6基は内側から、紀伊、水戸、尾張ということです。青丸は紀伊家が寄進した銅灯篭となります。こんな写真じゃいやだよと思われるかたは是非上野に行かれたら立ち寄ってください。

社殿を拝観するのは有料ですが、社殿側から見た唐門です。

こちらの龍のほうが近くから見ることができます。昇り龍降り龍は毎夜不忍池に水を飲みに行くという伝説があるそうで、<京人形>も動いたのですからもそれくらいのことはするでしょう。そして頭を下げている龍が昇り龍で、偉大な人ほど頭を垂れるということからだそうです。

印象的だったのが透塀(透かし彫りの塀)です。東洋館でイスラームのブルーの透かしタイルを見た後だったので、日本の木の彩色の透かし彫りが金色に負けない存在感でした。風土の違いや寺社仏閣の建物の違いなどは新しい発見があり楽しいです。

表側の唐門の左側とするなら、水戸、尾張の銅灯篭でしょうか。それぞれの透かし具合がおもしろいです。

社殿を拝観していると整備されているかたが、お狸様ご神木も観て行ってくださいとすすめてくれました。

お狸様というのは栄誉権現社です。大暴れのタヌキでしたが本宮に奉献されてからは<他を抜く>強運の神様となったのです。お狸様を拝見して笑ってしまいました。発想外でした。あまりにも笑ってしまい免疫力アップしたかもしれませんが、笑いすぎと怒ってられるかもと写真は撮れませんでした。お狸様ファンになりました。

ご神木は整備中でそばには寄れませんが拝観できました。見どころの多い上野東照宮です。

表参道からは五重塔もみえます。明治に入っての神仏分離令により壊されるところを寛永寺の所属であるとして願い出、東照宮五重塔から寛永寺五重塔と改められました。しかし離れているため維持が難しく都に寄付されたので今は動物園の中にあるのです。

ここからが五重塔への表参道だったので、こちらが五重塔の正面だそうです。残してもらってよかったです。

大石鳥居を出たところにはおばけ灯篭もありまして、日本の三大石灯篭は、名古屋熱田神宮、京都南禅寺、そしてこの石灯篭だそうです。

不忍口鳥居もありまして、こちらから出て不忍池の弁天堂に寄るのもいいですね。ぼたん園には来ましたが、東照宮は興味薄だったため改めて今回しっかり観させてもらいました。これで友人を誘えばガイドできそうです。

帰りは韻松亭で一人ランチでした。ショックなのはこれだけの行動で帰宅するとものすごく疲れたことです。自粛生活は心身に少なからず影響を与えているようです。