劇団民藝『正造の石』

  • 正造の石』の「正造」とは、栃木県の足尾銅山から流れる鉱毒の被害を訴えった田中正造さんのことである。明治末の頃である。田中正造から渡良瀬川の石をもらったのが26歳の女性・新田サチである。サチの家は谷中村の農家である。鉱毒のために母は死に、父と兄と三人で農業に従事し頑張っているが土地は鉱毒のためひどい状態である。兄は田中正造の考えを信じている人であった。サチは谷中村を離れ東京の福田英子のところに住み込みの家事手伝いとして上京する。

 

  • 福田英子は女性活動家で仲間たちと女性新聞世界婦人を発刊する。ところがサチは文字が読めないのである。福田英子は文字を教えるというが、サチはとんでもないという。サチにとって字が読めないことは今まで生きる上で困ったことではなく、それがあたりまえのことであった。ただ、石川啄木の歌を読んでもらい歌というものが自分の心に何かを伝えてくれるものなのだということを知る。歌だけは文字で読みたいとおもう。

 

  • その啄木にサチは出会うのである。サチはもう一度啄木に会いたいと思い探して訪ねたところは、浅草の十二階下(凌雲閣)の裏の私娼街であった。啄木は自分はダメな奴なんだという。ただサチには、福田英子たちの話しより、貧窮にあえぐダメな啄木の作った歌のほうが感情的にわかり伝わるものがあったのである。

 

  • サチには、福田英子に内緒で警察に福田家の様子を知らせる役目があった。兄のためだからといわれサチは引き受けさせられる。サチは警察がいう社会主義者は恐ろしい人間なんだということが信じられなかった。だからといって、福田英子たちの話しの内容はサチにとって別世界の事に思えよくわからない。しかし、福田家に集まる人々が警察につかまりひどい目にあっていることを知ると、自分は福田英子にひどいことをしている人間だと思い始める。

 

  • サチは、ひとつひとつ自分で感じることで自分の糧としていくのである。兄は苦しむ農民の立場を捨てそれを押さえる側に回ってしまった。サチは分からなくなるばかりで谷中村に帰り田中正造のそばで働きたいというが、正造に自分で考えて自分のやりたいことを見つけろといわれる。その時浮かんだのが、福田英子の母が入院している看護婦さんのことであった。親もなく独力で看護婦さんになった人であった。サチは、初めて真剣に文字を習おうと決心するのである。

 

  • サチは人の裏を見てもへこたれない。自分も汚いことをしてきたからである。ただそのことが負い目となって負けそうになったこともある。正造の石は重く、邪魔でもあった。それでも捨てられなかった。今、その石を投げるつけられる自分がいた。色々なことを知るうちにその石はもらった時よりも重くなっていたのかもしれない。自分を戒めてくれていたのかもしれない。その石をどこに投げつけるべきか、そして自分はどう進むべきかを教えてくれ、手放しても大丈夫な自分がみえたのである。

 

  • 芝居では役者さんたちは、客席の通路を使った。通路を道などとしてそこを役者さんが歩いて観客を喜ばせるという手法もあるが、今回の舞台では必要不可欠という感じで、舞台上の出入りだけでは表現できないその時代の人々のエネルギーを発散していた。明治政府の富国挙兵・殖産興業政策は時には国民を置き去りにし、時には切り捨てて突っ走っていた。その中でも足尾銅山の公害問題は、田中正造さんという人を得て大きく注目された。その運動の中で自分の生活体験を芯にして自分の進むべき道を切り開いた若き女性を主人公にしている。

 

  • 足尾銅山事件については多少詳しく知ったのは、田中正造さんの生家を訪れた時であった。そこの展示資料で、国会議員をやめ足尾銅山の鉱毒問題を明治天皇に直訴したり、死ぬまで公害に苦しむ人々や立ち退き問題と闘った人であることを知ったのである。よくここまで自分の信念を貫けるものだとその不屈の精神にただ驚嘆するばかりであった。

 

  • その前に渡良瀬渓谷を電車で眺めつつ足尾銅山跡を見学していて、ここで働いていた人々の大変さを想ったが公害に関しては触れていなかったような気がする。観光気分でいたが、その後、渡良瀬川が鉱毒を運んで農家を苦しめたのを知る。自然は警告したのであろうが、当時の富国挙兵・殖産興業政策はその警告をも無視したのである。

 

  • 田中正造は、足尾銅山を閉山にしなければ公害はなくならないし農民の暮らしはもとにもどらないと考えている。福田英子たちは、足尾銅山の労働者の待遇改善を主張している。閉山まで考えるとそこで働く人の場所がなくなる。田中正造にしてみれば、閉山をしてそのあとの労働者の働く場所を考えてやり、公害の被害者の補償をも考えるべきであるという考えで、先ず閉山ありきであった。

 

  • 芝居の中で、警官がこんななまぬるいことをしていないで田中正造をしまつしたらどうですかと上司にいうが、殉教者になってもらっては困るからと答えている。調べたところ田中正造さんの遺骨は6か所の墓所に分骨されている。それだけ広い地域の多くの人々の支えとなったのである。

 

  • 正造の石』に石川啄木が出てくる。田中正造の直訴を知って盛岡中学生の啄木は「夕月に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」と歌っており、足尾銅山鉱害被害者のために義援金を募っているのである。15歳の時である。この人は社会に対しても非常に早熟であった。その問題点に神経がぴりぴりと反応している。

 

  • サチが訪ねた浅草の十二階下であるが「十二階下の層窟」と言われた場所で北原白秋も啄木にここに連れられてきている。(『白秋望景』川本三郎著) 芝居を観ていて石川啄木と十二階下の設定にはよく調べておられると思った。啄木とサチの結び付け方も効果的であった。読み書きのできなかったサチは、啄木をも越えて生活者としての自立に立ち向かっていくのである。

 

  • 新田サチ役の森田咲子さんは劇団において大抜擢であったようだが、田中正造が伊藤孝雄さん、福田英子が樫山文枝さん、英子の母が仙北谷和子さんとベテランに囲まれてサチを演じきる。時には自分にはよくわからい、時にはそれは自分にもわかる、どうしてそうなってしまうのか、おかしいではないか、自分はどうすればよいかなど、その場その場で考え一歩一歩探しながら歩いて行く。啄木の大中耀洋さんは自分にはわかっているが貧しさゆえにという家族をかかえる若き苦悩がでていた。

 

  • その他、景山楳子さん、石川三四郎さん、堺為子さんなど実在した人物がでてくるが、福田英子さんの活動を把握していないので芝居の中だけでの人物像となった。『民藝の仲間』の中で、女性史研究者の折井美耶子さんが書かれている。「戦後1945年8月、市川(房江)らが政府に婦人参政権の要請を行い、幣原(しではら)内閣の初閣議で決定した。その翌日にGHQから婦選を含む5大改革指令がでたのであって、女性の参政権は決してマッカーサーからのプレゼントではない。」一日違いとは !

 

  • 群馬県館林の『田山花袋記念文学館』と『向井千秋記念こども科学館』に行ったことがあるが、『田中正造記念館』はその頃はまだ開館されてなかった思う。足尾銅山は栃木県で鉱毒は栃木県と群馬県にまたがっていたわけでそれぞれの県の思惑もあり、抗議運動も大変なことであったろう。

 

  • 作・池端俊策、河本瑞貴/演出・丹野郁弓/出演・森田咲子、樫山文枝、神敏将、大野裕生、山梨光國、本廣真吾、近藤一輝、保坂剛大、望月ゆかり、境賢一、吉田正朗、大中輝洋、船坂博子、梶野稔、金井由妃、山本哲也、仙北谷和子、伊藤孝雄

 

新派・松竹新喜劇競演『華の太夫道中』『おばあちゃんの子守歌』

  • 新派130年と松竹新喜劇70年を合わせると200年ということでの記念公演とも言える。それぞれの良いところがつながったり引っ張り合ったりして面白い舞台となった。『華の太夫(こったい)道中』は、北條秀司さんの作品『太夫(こったい)さん』である。どうして芝居名を変えたのかと思ったら太夫の道中を豪華にという思惑からのようであるが変えてほしくなかったです。京都の島原では「太夫」のことを「こったい」と呼ぶのだそうで、新派の『太夫さん』で知ったのである。けったいな呼び方やなあと思ったものであるが、そのいわれについては島原には島原の心意気があるようである。

 

  • 妓楼の女将おえいを花柳章太郎さん、新しい太夫となるきみ子を京塚昌子さんでの古い映像を観た事がある。白黒映像であり妓楼の台所でのそこに住む人々の営みが話の中心で、薄暗く乗り気ではなかったが観ているうちに引きつけられていた。最後はその暗さにほのかな灯りが射すと言った感じで終わった。やはり花柳章太郎さんはいつのまにかおえいの人物像を観客に残し、テレビドラマでしか知らなかった京塚昌子さんの舞台人としての演技力も新鮮であった。

 

  • 映画『太夫(こったい)さんより 女体は哀しく』は、おえいが田中絹代さんで、喜美代が淡路恵子さんである。映画は、おえいに要求書えを提出する太夫役が乙羽信子さんで、この役にも色を濃くしていて、人間関係を広げ映画ならではの外の世界も映し出し、そこからこの仕事に従事した女の哀しさを膨らませている。

 

  • 三越劇場でおえいが水谷八重子さん、やえ子が波乃久里子さんで観た。この時が新派の『太夫さん』の全体像が明らかとなったわけでなるほどと堪能させてもらった。今回は、やえ子役が藤原紀香さんであどけなさは好演であるが、あまりにも現代的美人ということでちょっと夢物語的であった。そこを波乃久里子さんがカバーされ新派の味を壊さなかったのは見事です。それと、三越劇場の舞台の狭さに対し、新橋演舞場は広いので、島原の古い妓楼の広さが出ており、島原の角屋を見学していたのでその辺りも上手な舞台美術と思えた。

 

  • 新派と松竹新喜劇の競演で何が良かったかというと、おえいと善助の二人の場面である。おえいにはかつて恋仲だった善助という島原での古株がいる。今は島原を知る共に歩んできた同士のような存在で、それでいて気の置けないたわごとの言える中である。そして今では二人で時には琵琶湖あたりに小旅行などにも出かけている。おえいはしみじみとその旅行が唯一の楽しみだと語る。善助は曾我廼家文童さんで松竹喜劇の軽いひょうきんな喜劇性が場をなごませ、おえいの聞かせどころを受けていい場面となった。

 

  • おえいは自分で好んでつとめに出たわけでは無く、好まざるとに関わらず次々と旦那を持たされ気がつけば妓楼の女将である。時代と共に自分なりに妓楼の女性達の事を考えてきたと思っていたが、太夫たちは権利を主張し始め、自分はいったい何だったのであろうかとしんみりと善助に語るのである。仲を裂かれた二人だが、今では時間が運んで来てくれたご褒美のような間柄である。おえいは華やかに見える花街の薄暗い大きな台所のような場所で這いずり回ってきたのである。この芝居の全体を分かる観客ならこの二人の会話の部分だけ『太夫さんより』として取り出して上演してもらっても良いくらいであった。

 

  • ここがあるから、きよ子に肩入れして自分の生き方が洗われるような気持になり、そのことが明るい話題へと転換し芝居が生きてくるのである。きよ子は少しやることが人よりおそく自分の想うことが真実でその中で生きているような人である。男にだまされ妓楼を産院と思って連れて来られ、おえいも男にだまされてお金を取られてしまう。そのきみ子が太夫さんとなるのである。おえいに預けられたきよ子は幸せな縁であり、おえいもまたきよ子によって傷つけているのではなく何かを育てているという想いを持つことができ倖せが届くのである。

 

  • 演出・大場正昭/井上惠美子、瀬戸摩純、春本由香、丹羽貞仁 etc

 

  • おばあちゃんの子守歌』は、舘直志(二代目渋谷天外)さんの作『船場の子守歌』を『おばあちゃんの子守歌』としたようである。おばちゃんは水谷八重子さんで、「船場」を意識させてくれた。船場の薬問屋・岩井天神堂では高松から当主のお母さんである節子が出てくるという。節子は隠居して生まれ故郷の高松に引っ込んでいたらしい。ということは、節子は高松から大阪の船場にお嫁に来たのである。どれだけ苦労したことであろうか。

 

  • 岩井天神堂の当主・平太郎と妻・佐代子は大弱りである。節子が会いたいという孫の喜代子は長女であるが、事情があり社員の吉田と駆け落ちのような状態で行方がわからないのである。佐代子は後妻で、喜代子は前妻の子で、次女は自分の子供であるが分け隔てはないようである。もしかすると節子は岩井家の事を考えて高松に引っ込んだのかもしれない。喜劇であるからそういうことは匂わせないがそう勘ぐった方が面白くなり、新派の味も加わるのである。

 

  • 当主・平太郎の渋谷天外さんはあくまでも松竹新喜劇であるが、お母さんが歳だから心配させて具合が悪くなってはというが、次第に自分がしっかり船場でやっていることを母に認めてもらいたいという気持ちもあるように思えてくる。そう思って観てもおかしくないのである。喜代子は名古屋の支店にいっていることにするが、外からの情報は押さえることができない。おばあちゃんが登場してんやわんやである。そんな時、喜代子と吉田の居所が判るのである。

 

  • おばあちゃんはさすが行動が速い。喜代子と吉田の住む駄菓子屋の二階を尋ねる。駄菓子屋の主人が良い人過ぎて笑わせてくれる。喜代子の祖母と知らずに岩井家の人間関係を自分なりに説明し始めるのである。全く自分本位の自由発想の展開である。駄菓子屋の主人である曾我廼家寛太郎さんの一人芝居全開である。そこへ喜代子が帰って来る。おばあちゃんとひ孫との対面でもある。吉田は本家ともめる原因を作り社員を首になったのである。おばあちゃんは喜代子にいう。なんで、本家と実家と吉田の三方の橋渡しをしなかったのかと。これが船場で苦労した節子の言葉であった。

 

  • この台詞を聞いた時、やはり節子は喜代子には自分の生き方を学んでいてくれると思っていたのだあとおもえた。節子が高松へ引っ込んだのも自分が出過ぎることを警戒していたのであろう。当主の父も現れ吉田と喜代子にもどってくれるようにと頼む。おばあちゃんは、駄菓子屋の主人が直しかけの物干し台にひ孫を抱いて隠れていた。自分ではなく息子の平太郎に解決させるのである。泣き笑いの締めであるが、平太郎も当主として大丈夫であるということを母に見せたかったのである。そんなぼんぼんぶりが渋谷天外さんにはあった。それを水谷八重子さんの母は全部わかっていたのである。「おばあちゃん=船場」で笑いの中に船場三代の泣き笑いを見せてくれた。

 

  • 新派の水谷八重子さんが加わることによって松竹新喜劇の笑いの中に違う空気がフワっと加わり船場の香りがした。『華の太夫道中』と同様『おばあちゃんの子守歌』も新派と松竹新喜劇の良い競演となった。

 

  • 補綴・成瀬芳一/演出・米田亘/高田次郎、井上惠美子、曾我廼家八十吉、春本由香、藤山扇治郎 etc

 

歌舞伎座2月『暗闇の丑松』『団子売』

  • 暗闇の丑松』も初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言である。長谷川伸さん作である。丑松は女房・お米の母と浪人を殺して江戸から逃げる。丑松はお米を信頼している兄貴分である四郎兵衛に頼む。一年後、お米恋しさに江戸にもどり、嵐で立ち寄った板橋の妓楼で女郎になっているお米と再会するのである。責める丑松。お米は四郎兵衛にだまされて身体を汚され、さらに女郎として売られ、それも転々と売り飛ばされていたのである。

 

  • 丑松はお米の話しに耳を貸そうとはしない。自分の身持ちの悪さを兄貴のしわざにして言い逃れしているのであろうと、なお一層腹を立てるのである。お米は怨めし気に丑松をそっと見つめて立ち去ってしまう。そして、嵐の中大木にぶら下がり自殺してしまうのである。店の者が風でお米の身体が揺れて降ろすのが大変であると告げる。丑松はお米の身の潔白を知らされるのである。

 

  • 四郎兵衛の家では、料理人たちが丑松のうわさをしている。丑松の事はお米の母も散々に毒づいていた。板前といっても洗い場や煮炊き専門で包丁も握らせてもらえないではないかと。料理人たちも丑松は親方にいいように利用されていて人がよすぎると。どうも、丑松は人を見る目が甘すぎるようである。それだけに兄貴の表の顔のみ信じていたのであろう。丑松は四郎兵衛の家に押し入り女房・お今から四郎兵衛は湯に行っていることを聞き出す。

 

  • お今は丑松のただならぬ様子から、自分の身体を投げ出すから四郎兵衛の命は助けてくれと言い出す。そんなお今に、いやだいやだ女は、惚れた男のためと自分の身を守るために自分を投げ出すのかと言って、お今を刺し殺すのである。丑松は四郎兵衛とお今の関係と同時に自分とお米の姿もそこに見ているのであろう。そしてそこに陥れたのが自分なのである。そのやるせなさが四郎兵衛を殺した後の花道を去る丑松の姿に重なっていた。

 

  • 何んとか今の生活から這い上がろうとする底辺の俗悪さをお米の母が映し出す。その俗悪さの中で、貧しくとも懸命に生きようとする一組の夫婦が願うような人の世の中ではなかったということである。物悲しい芝居であるが、丑松の菊五郎さんが皆に慕われている丑松であることを世話物のさらっとした感じで表される。板橋の妓楼で仲間内と会うが、丑松に対して好意的で丑松も力で納めるような人間ではない。そんな丑松だからこそお米も惚れたのであろう。それだけに丑松やお米のような人間が足下をすくわれるようないやな世の中が浮き出ている。

 

  • その闇のような暗さを風呂屋の裏方の様子で景気づけるのが湯屋番頭である。これまた元気であるが重労働である。この舞台、いつも井戸から水をくんでためるとき、本水であったろか。記憶が薄い。手の込んだ作りで江戸の人はよく考えたものだと思う。湯が熱ければ裏から水止めを上げて足すようになっている。湯桶も日に干し、個人専属の湯桶もある。そんな人々の触れ合いの湯屋の湯船で丑松は四郎兵衛を殺すのである。庶民生活そのものでの殺しの場面設定であり、後に独特の悲哀感を残す。

 

  • お米が養母に責められる部屋も隣同士がくっついていて、時々住民が窓からあの家らしいがと様子をうかがったりする。江戸の映画『裏窓』ではないかと思ってしまった。そういう点からも舞台装置が面白い芝居であり、粋な江戸のはずが、裏を返せばうら寂しい人間模様が見えてくる。長谷川伸さんならではの作品である。

 

  • 菊五郎さんの丑松と小さな幸せを願っていただけのお米の時蔵さんを軸に、ベテランが脇を固め、さらに次の世代の世話の形が出来てきているため台詞が生き生きとしてきていた。なんでもないような台詞に意味があることに気づかされる。落ちていく人のすがるもののない世の哀れさの機微を見せてくれた。

 

  • 浪人(團蔵)、料理人(男女蔵、彦三郎、坂東亀蔵)、妓楼の客(松也、萬太郎、巳之助)、妓楼の遣手(梅花)、妓夫(片岡亀蔵)、湯屋番頭(橘太郎)、お米の母(橘三郎)、岡っ引き(権十郎)、四郎兵衛女房・お今(東蔵)、四郎兵衛(左團次)

 

  • 団子売』(竹本連中)。江戸の物売りの舞踏で、「景勝団子」という名物があったらしい。くず粉ともち米の粉を混ぜて蒸してついて団子にして砂糖ときな粉をまぶしたもので、今でいう実演販売のようなものであろう。その団子売りの仲の良い夫婦の仕事ぶりと、息の合った様子をおかめとひょっとこのお面も使って踊りでみせるのである。軽快な明るい踊りで、芝翫さんと孝太郎さんコンビである。特に孝太郎さんの足の動きが働き者の女房を現わしていて、夫と一緒に働ける嬉しさを振りまいていた。

 

歌舞伎座2月『義経千本桜 すし屋』

  • 義経千本桜 すし屋』。今回は平重盛(小松殿)の名前が耳に響いた。平清盛の長男で平家の物語の中でも人望の厚かった人として描かれている。その重盛の長男の維盛(これもり)が奈良のすし屋にかくまわれているのである。すし屋の弥左衛門は重盛に恩義がある人である。高い身分の人や有名な事件の登場人物が庶民の生活の場に登場させるための常とう手段である。シチュエーションとして庶民に身近な話として観客に引きつける。そして大きな流れが庶民生活の悲劇へと展開していく。『仮名手本忠臣蔵』の勘平とおかる一家もそうである。

 

  • 『義経千本桜』と言えば奈良の吉野である。そこの名物のすし屋というのもよい設定である。そして、鮨桶が重要な役割を果たすわけで、並んだ鮨桶を間違うところがヒッチコックも使いたくなるかもと思わせるところである。お金が入っている鮨桶と人の首が入っている鮨桶の間違いである。熱心に見ている観客はその鮨桶の取り違いに「あっー!」と小さな声を発する。この首の主は小金吾という人物で、今回は上演されないが『小金吾討死』の場面に登場し、維盛の奥さんの若葉の内侍(ないし)と子息・六台君を守りつつ追手から逃れているのであるが、無念、殺されてしまう。

 

  • その死体に遭遇したすし屋の弥左衛門は、維盛の首の代わりにこの死体の首をと考える。家に隠し持参し鮨桶に隠すのである。これにより小金吾は結果的に維盛を助けることになるのであるから家来としては本望ということになる。さらに、小金吾の首は弥左衛門の息子であるならず者の男のいがみの権太を親孝行者にするのである。しかし、まさかいがみの権太が改心するなどと思わないから父・弥左衛門は権太を刺してしまう。全て忠義につながる悲劇である。

 

  • 弥左衛門には娘・お里がいて、公達の維盛が奉公人としているわけであるから惚れないわけがない。周囲から怪しまれないようにと維盛とお里は明日祝言をあげることになっている。そこへ維盛の奥さんの若葉の内侍と子息・六台君が一夜の宿を求めて訪ねて来る。本妻の登場である。お里は寝ており、出来すぎているがきちんと考慮された設定である。

 

  • 一つの部屋に低い二つ折り屏風で仕切られていて、この屏風の置き方に注目である。屏風の内側は外からは見えず、内の者は外の様子がわかるのである。その後も屏風はしっかり役目を果たし隠したい人を隠す。そうした道具の扱い方も役者さんの役になってのしどころである。

 

  • 一つの舞台で行われる舞台劇であるが、ヒッチコック映画にもこうした一つの部屋で起こる殺人事件の映画があるがそれは先に伸ばすこととする。この一部屋に出たり入ったりして活躍するのが、いがみの権太である。歌舞伎は花道があるので、その出入りもみえるのが強みで、そこが役者さんの見せどころでもある。登場人物の特色をみせなければならない。松緑さんは何かありそうなヤツだなあと思わせる出であった。母親をだます自分自身がオレオレ詐欺のような人物である。ところが観客も家族も見た目で見事にだまされるのである。そして、父に刺されてからの権太の謎解きの告白になる。松緑さん、解ってくれよ親父さまの語りである。

 

  • 自分の妻子をも巻き込んだ梶原景時をだます大博打である。しかし、頼朝はそれを見抜いていたという更なる展開となる。清盛の継母・池禅尼が重盛を通して頼朝を助けたということから維盛を逃がしてやるのである。台詞の中にこうしたことがちりばめられている。これは夜の部の『熊谷陣屋』で義経が敦盛を平宗清に預けるのと類似している。観客もこうした情を好んだためでもあろう。

 

  • 初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言の一つである。松緑さんのいがみの権太はもう少し悪の強さが欲しい気もするが、母親をだませても頼朝はだませず、親孝行で終わるという悪さ加減からいえば正解なのかもしれない。菊之助さんの奉公人の弥助から維盛になる変わり身の変化が、手ぬぐい一つの扱い方、袖の扱い方などを通してなるほどと思わせられた。お里の梅枝さんの身体も綺麗に動いていた。若葉の内侍の新悟さんはもう一歩貫禄が必要で、亀三郎さんの六代君の可愛らしさに助けられていた。母・おくらの橘太郎さん、父・弥左衛門の團蔵さん、梶原景時の芝翫さんと役どころを押さえられているので台詞を堪能でき、『すし屋』の構造が明確になった。(梶原の臣・吉之丞、男寅、玉太郎、橋吾)

 

映画『ホワイトナイツ/白夜』『愛と喝采の日々』(2)

  • 映画『愛と喝采の日々』(ハーバート・ロス監督)は『ホワイトナイツ/白夜』よりも7年前に制作されていている。かつてバレーダンサーとしてライバルだったディーディー(シャーリー・マクレーン)とエマ(アン・バンクロフト)の二人が、長い時間を経て逢う。エマはバレエダンサーの現役でバレエ公演がディーディーの住む街で開催されたのである。ディーディーは今、三人の子持ちの主婦で夫のバレエスクールの手伝いをしている。ディーディーはかつてエマと主役の取り合いを巡って心に引っかかることがあった。そのことをはっきりさせたいとの思惑がエマに逢う事によって強くなる。その心理葛藤と二人の女優の演技力が見どころである。

 

  • エマの長女はバレエをやっておりその優秀さからエマの所属するバレエ団に入団する。そのため、ディーディーも娘・エミリアン(レスリー・ブラウン)の世話のため一緒に他の家族から離れてニューヨークで二人で暮らすことになる。バレエ団に接することによって、ディーディーは妊娠してバレエから離れたことに忸怩たる想いが芽生える。そして、エマはエマで年齢的に現役でいられない分岐点であることに正面から向き合わなければならなくなる。その二人の間で輝き始めていくのがエミリアである。

 

  • アン・バンクロフトはバレエダンサーでもなく年齢的な事もあり、練習風景などそのあたりは上手く処理し、その分、プリンシパルであるユーリのミハイル・バリシニコフやレスリー・ブラウンやそのほかのバレエダンサーがカバーしている。特にミハイル・バリシニコフは存分に古典バレエを披露してくれる。その姿にエミリアが恋してしまうのももっともなことであるが、ユーリは浮気者でエミリアは裏切られる。そのため酔っぱらって公演に遅れて来て、エマに大丈夫だからと酔っぱらいつつ舞台で踊るのが可笑しさを誘う。

 

  • ユーリはエミリアの元に戻るが、エミリアは一段階成長していてバレエにかける心構えが強くなっていた。そうした経過の中で、ディーディーとエマは体ごとぶつかる喧嘩をして、今までの自分を認め、これからの自分を取り戻す。そのあたりの心境の微妙さやあけすけなやりとりが上手く出ている。こうしたライバルバレエ映画は、近年では映画『ボリショイ・バレエ 二人のスワン』(2018年・バレーリー・トドロフスキー監督)にもつながっている系列である。

 

  • シャーリー・マクレーンは独特の表現力を示す女優さんで、ヒッチコック監督の『ハリーの災難』でもそれは発揮されていてこの映画がシャーリー・マクレーンの初映画出演である。ヒッチコック監督は自分がシャーリー・マクレーンを有名にしたと言われているようだが、『ハリーの災難』はヒッチコック映画でも珍しいコメディー溢れるミステリーである。ハリーというのは死体で、誰に殺されたのかということが謎で、次から次へと殺した人が変わり、その度に埋められた、掘り起こされたりするのである。

 

  • シャーリー・マクレーンはハリーの妻で、ハリーから逃げて息子と暮らしていたのである。死体を見つけたのが息子で、息子に知らされて死体を確かめにくるが、見なかったことにするようにとさっぱりとあっけらかんと言うのである。ここに住む村人全員がどこか可笑しな人たちでまさしくハリーにとっては災難であった。いやハリーも可笑しな人であったと思える。その妻もやはり変わったキャラで、シャーリー・マクレーンならではであり、今もって映画『素敵な遺産相続』『あなたの旅立ち、綴ります』で存在感を充分に発揮している。

 

  • 映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年・クロード・ルルーシュ監督)は、ジョルジュ・ドンのバレエ『ボレロ』から始まる。これまたバレエ『ボレロ』が見事である。今まさにユニセフと赤十字・チャリティーショーが開催されているのであるが、映画はここから過去に戻される。別々の国や場所で4つの家族がそれぞれ第二次世界大戦をくぐりぬけ、その4家族の生き残った次の世代が引きつけられるようにユニセフと赤十字・チャリティーショーに集まるという構成である。

 

  • ナチス強制収容所に送られる途中で赤ん坊だけでもと手放し拾われて育った子、父親が人気楽団を率いていた娘、ヒトラーと写真におさまった演奏家と親子と知らない娘、ボリショイバレエ団に関係していた人の子などがお互いの人生を知らないままに一つの大イベントのために同じ時間にそこに立っているのである。解ることは戦争という大きな時代に呑まれていた多くの人々をこの家族が代表しているということである。ジョルジュ・ドンのバレエ「ボレロ」が哀しみを象徴するような身体表現で、バレエが出てくる異色作といえる。どれもバレエダンスから目が離せない作品である。

 

 

映画『ホワイトナイツ/白夜』『愛と喝采の日々』(1)

  • 昨年の11月に三浦雅士さんの講演『ベジャール/テラヤマ/ピナ・バウッシュ』の中で、どんな関連からであったのか忘れたが、映画『ホワイトナイツ/白夜』の最初に出てくるバレエがバッハの『若者の死』であるということを言われた。映画の記憶としてはダンスが良かったということは残っているがその他は記憶が薄れている。まあ見直せばよいと思って見返したら初めて観るようなハラハラドキドキであった。

 

  • ミハイル・バリシニコフが踊るバッハ『若者の死』は、ジャン・コクトー台本で振り付けはローマン・プティである。導入から画面に釘付けになる。そこから主人公は飛行機事故で旧ソ連のシベリアに不時着。主人公は奇怪な行動に出る。次第に明らかになるのだが、主人公はソ連からアメリカに亡命したバレエダンサーで、亡命者はソ連では犯罪者である。主人公はKGBの監視の下に置かれるが逃れて脱出を試みるというサスペンス的な緊張感である。

 

  • もう一人、アメリカ人でベトナム戦争で白人より黒人の戦死者が多いのに疑問を持ち脱走兵としてアメリカから亡命した男性がいる。アメリカではタップダンサーであった。彼はソ連の女性と結婚していて、この夫婦は主人公を監視しつつバレエ公演に出るように説得する役目を担わせられる。お互いに心が通じ、脱出を計画する。そのため監視カメラの前で二人並んで踊る場面がいい。タップに合わせた音楽を作り、さらに振り付けが二人を光らせる。

 

  • もう一人脱出に協力するのが主人公の元恋人である。彼女はバレエの相手役でもあり恋人だったので彼が亡命した後はKGBから尋問を受けるなど苦境を強いられた。そのため主人公には再会の時怒り心頭であったが、自由なバレエダンスを求める主人公のバレダンサーとしての気持ちを理解して協力するのである。この元恋人がヘレン・ミレンで彼女は実生活で、この映画のティラー・ハックフォード監督と結婚している。ミハイル・バリシニコフも実際にアメリカに亡命していてる。ソ連時代のエリートは許せる限りの自由と豪華な生活の保障があったが、それだけではないバレエに対する窮屈さがあったのであろう。

 

  • 映画はソ連ではロケできなかったが、レニグラードをこっそり撮影している。映画での車の移動はセットで、背景は実際のレニグラードの映像で合成している。批評家がこの合成が下手だといい、レニグラードの場面は全てヘルシンキだろうと言ったが、撮影した人に迷惑がかかるのでレニングラードを映したとは当時は言えなかったと映像特典で監督が語っている。そういう時代の映画でもある。

 

  • KGB幹部の役のイエジ―・スコモリフスキが上手い。世界的バレリーナをソ連で再び受け入れて舞台に立たせれば、その寛大さが賞賛され彼の手柄となる。その手柄を自分の物にできる絶好のチャンスである。必死である。一度舞台に立たせ、その後は尋問にするという計画である。この役者さん、この映画をたっぷりと盛り上げてくれる。アメリカ領事館へ主人公にピッタリくっついて向かい、メディア関係のカメラに微笑むのも見どころであるが、さらなる展開もありなかなか手が込んでいる。タップダンサーの妻役が、イザベラ・ロッセリーニで初々しくて美しい。

 

  • タップダンサー役のグレゴリー・ハインズも映画の中で、みすぼらしい小さな場所で『ポギーとベス』を演じていて、場面場面で見事なタップを披露する。ミハイル・バリシニコフが出るのでバレエ映画と思っていたら思いがけない展開が始まり、バレエ、タップ、バレエダンサーとタップダンサー共演のダンスという場面ありで驚いたことを思い出したが、再度観ても面白さは薄れなかった。

 

  • ティラー・ハックフォード監督は映画『愛と青春の旅立ち』(1982年)で興行的に大成功だったようで次が映画『カリブの熱い夜』(1984年)でミステリアスな展開をさせ、そして映画『ホワイトナイツ/白夜』(1984年)となる。『愛と青春の旅立ち』『カリブの熱い夜』も見直したが懐かしかった。そして、同じ<愛>でもバレエ映画となれば『愛と喝采の日々』(1977年)であろう。こちらの映画にはミハイル・バリシニコフが浮気なプリンシパルとして登場する。

 

ヒッチコック映画『鳥』と『マーニー』そして・・・(3)

  • グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』では、グレース・ケリーの最後の出演映画『上流社会』(1956年・チャールズ・ウォルターズ監督)の撮影が終わる。撮影セットでの車から降りるグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)は白いフードつきのコートを着ている。映画『上流社会』でこの場面は、フランク・シナトラがグレース・ケリーの運転する車に乗せられ、上流社会のお屋敷が税金のために売られたり、維持費がなく閉じられたりする情景を案内されるシーンである。スピードを出す運転など車の事故で亡くなることと重なるのを意図してであろうか。

 

  • 1961年12月、ヒッチコック監督がモナコ宮殿を訪れグレース大公妃と会う。『マーニー』の出演依頼のために。その時、ヒッチコック監督は『』(1963年)の脚本をケリー・グラントに渡したのでその意見を聞かなくてはならないと言っている。まだ『』の撮影には入っていず、ミッチの役は、ケリー・グラントに要請したようであるが、実際には、ロッド・テイラーとなった。グレース大公妃はマーニーの役が気に入り、遣り甲斐があるとして映画出演に心動かす。ところがモナコは大変な時期であった。

 

  • この時期のモナコとフランスの関係はこの映画から知った。ただ映画からなので偏るかもしれないが。フランスはド・ゴール大統領の時代である。アルジェリアに手を焼いており、戦費調達を急務としていた。そのためモナコが無税で誘致した企業に所得税を払わせフランスに納めさせ、フランス企業の誘致を中止するように言ってくる。その大変な時期にグレース大公妃がアメリカ映画『マーニー』に出演するとの情報が流れる。グレース大公妃は発表の時期の機会をうかがっていて秘密にしていた。ところがモナコ宮殿内から漏れ、アメリカ映画会社ユニバーサル側は急きょ発表したのである。時期が時期だけにグレース大公妃はモナコから逃げるのかと非難される。

 

  • フランスはさらにモナコ国民にも課税してフランスに納めるようにと言う。モナコ大公は要求を一部飲むがモナコは独立国だとして拒否する。国境は封鎖される。食料も水道も電気も全てフランス経由であった。グレー・ケリーはモナコ大公妃としての古くからの礼儀作法を学び直し、モナコ大公妃になりきる訓練を始める。モナコはオナシスの提案で、ヨーロッパの首脳に集まってもらいモナコ支援を取り付けようとするが、ド・ゴール暗殺失敗の情報が入りこの集まりもとん挫する。そして、モナコ大公の実姉夫婦がフランスと親密な関係であることが発覚。まるでヒッチコックのサスペンス映画のようである。

 

  • グレース・ケリーはヒッチコック監督に映画出演を断る。ヒッチコック監督は忠告する。フレームの端によりすぎないようにと。グレースは、大公妃主催の国際赤十字慈善舞踏会を催し、世界各国からの著名人を招待する。そこで、モナコが独立国であることを各国に披露するのである。ド・ゴール大統領も出席した。これが、グレース大公妃の切り札であった。モナコ国民にも愛される圧倒的存在感のモナコ大公妃である。

 

  • 人の集まる重要な場面にオナシスがいて、深くかかわっていたようである。投資したものは守らねばという。複雑極まりない世界である。グレース・ケリーもこのモナコとモナコ宮殿の複雑さに困惑気味で、ヒッチコック監督の映画出演で自分の力を発揮し、本来の自分をとりもでしたい希望を持ったのかもしれない。しかし、その希望を封印しグレース大公妃への演技力に全力を傾ることになる。赤十字のパーティーで、マリア・カラスが歌劇『ジャン二・スキッキ』(プッチーニ)より、「私のお父さん」を歌う。それを聴くグレース・ケリーは、お父さん見ていて私はしっかりやりとげて見せるわよと静かな闘志を秘めているようである。

 

  • 1963年5月にフランスの徴税の要求を取り下げ国境の封鎖は解除した。ラストには、映画『上流社会』のセットの中で白いマントのグレース・ケリーが座って静かにクールな微笑みを浮かべる。それはかつてのグレース・ケリーである。どう、この私が最後に到達した演技はこんなものじゃないでしょ。完璧だったでしょうと言いたそうである。

 

  • 忘れていたが映画『ヒッチコック』のことを記していた。 「ヒッチコック」と「舟を編む」 ヘレン・ミレンに関しては映画『ホワイトナイツ 白夜』を見直すことになりこの映画に出ていたのかと改めてその演技力を確信する。好みというものはそう変わらないのかもしれないが嫌いなものもそう変わらないものである。

 

ヒッチコック映画『鳥』と『マーニー』(2)

  • マーニー』(1964年)はヒッチコック映画では人気度がそれほど高くないようであるが面白かった。女性が歩いている後ろ姿。左腕脇に黄色のバックが抱えられている。右にはスーツケース。髪は黒。黄色のバックがアップされる。観客の目をひき大切なものが入っていることを察知させ、さらにその女性は何者か、観客は黙って彼女の後をつける。そして、その後の彼女の行動を覗き見る誘惑の中にいる。

 

  • 彼女は会社の金庫から多額のお金を盗んでいた。何回もやっているようである。ショーン・コネリーが演じるマークは、マーニーが自分の会社の社員として雇う。盗難にあった取引き先で彼女を見かけていた。マーニーはそれを知らない。マークは彼女に盗癖がありそれが病気のようであり、どうしてそうなったのか興味を持つ。マークはその原因となる過去を究明するのである。

 

  • マークは言う。このままだと刑務所か乱暴されて身の破滅となるだけだと。それでもマーニーは結婚してまで自分を守ってくれようとするマークを拒否して自由を求める。マーニーは赤の色に異常な反応を示す。その場面は赤の色が画面一面に重ねられる。これは、『裏窓』(1954年)で、主人公が殺人者から身を守るとき焚かれるカメラのフラッシュの時にも出てきた手法である。そしてマーニーの実家を訪ね母親から明らかになる過去。原作では、一人の女性に二人の男性という関係だそうだが、映画では、マークの死んだ妻の妹が加わり、二人の女性に一人の男性という設定である。

 

  • ショーン・コネリーのマークがさすが頼もしくて格好良い。そのマークを拒否してまで自由を求めるマーニーの謎を観客は知りたいと思う。マーニーの美しさに加えて病理的疑問からマークがマーニーに魅かれたことは、マーニーにとっては幸いであったし、サスペンスとしても面白くなった。美人女優の起用の多いヒッチコック監督は、当然男優人も美男子が多い。しかし脇俳優もしっかりと計算している。脇役の女優陣がベテランの演技力をみせてくれる。『ロープ』の家政婦、『裏窓』の看護師、『』のミッチの母親、『マーニー』のマーニーの母親などもその例で、ユーモアを加えてくれたり深みを出してくれたりしている。

 

  • 映画『ヒッチコック』では、ヒッチコック監督が『サイコ』(1960年)の女優を誰にするか決めかねている。グレース・ケリーなら何を演っても許されるのにとつぶやき、妻に王妃なんだから無理よと言われる。最終的に妻のジャネット・リーはどうと言われて決まる。ヒッチコック監督の机の上に女優のポートレートが重ねられている。妻はその写真の一枚に、自分のイヤリングの一つを置く。その写真がグレース・ケリーの写真で、グレース・ケリー大公妃の出演依頼を暗示しているようにも思える。出来るものならやってみたら。

 

  • 映画『ヒッチコック』(サーシャ・ガヴァシ監督)は内容も興味あるが、ヒッチコック監督役のアンソニー・ホプキンスと妻・アルマ役のヘレン・ミレンの演技上のぶつかり合いも見どころであった。

 

  • 女優グレース・ケリーのことは今までもにも多少見聞きしたことがある。両親に認められることを願っていたが、特に父親が女優という職業をよく思っていなくてグレース・ケリーの努力を認めてくれなかったというようなことなど。ドキュメンタリー映画『グレース・ケリー 公妃の生涯』(ジーン・フェルドマン監督)ではそうしたことまでは触れず父母の生い立ちや、グレース・ケリーの生涯を個人的波風は少なく公的に追っている。

 

  • 喝采』(1954年・ジョージ・シートン監督)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したグレース・ケリーは、モナコ大公レーニエ3世と出会い結婚(1956年)へと進むのである。映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(オリヴィェ・ダアン監督)では、モナコ大公妃になってからの1961年から1963年までの大公妃の身に起ったこととして描かれている。

 

ヒッチコック映画『鳥』と『マーニー』(1)

  • アルフレッド・ヒッチコック監督の『』を見直すことにした。引き延ばしにしていた確かめたかったことがあった。オペラ映画のフライヤーに『マーニー』が載っていて、ヒッチコック監督も映画にしているのを知り『マーニー』を続けて鑑賞する。そして、この二つの映画が、モナコの大公妃となっていたグレース・ケリー大公妃に『マーニー』出演を依頼と関係していたことを知る。

 

  • 』で確認したかったのは、主人公メラニーが魅かれている男性・ミッチの妹を学校へ迎えに行く場面である。教室では子供たちが歌を歌っており、もう少しで終るというのでメラニーは外のベンチで煙草を吸いながら待っている。後ろの遊具にカラスが一羽。メラニーのアップから後ろの遊具を映すと二羽、三羽と増えていく。この時のBGMがどんなであったか確かめたのである。子供たちの歌声が続いていた。これからの展開を何も知らず歌う子供の声。それに反し、彼女はイライラしている。イライラしているのにはそれまでにいたる鳥による体験による。

 

  • 彼女は飛んでくる一羽のカラスに目をやり、視線はその後を追う。カラスが行き着いた遊具はカラスでおおわれていた。彼女は学校に飛び込み教師に窓からその様子を知らせる。ガラスなどは簡単に割られてしまい襲われるので、誘導して子供たちを避難させることにする。逃げる子供たちに襲いかかるカラス。CGのない時代なので、実際の撮影用に訓練したカラスと飛んでいる鳥の映像とを編集して作り上げている。この映画に出てくる多くの鳥の場面は本物と作り物の鳥を混ぜて、観る人の錯覚を利用したらしいが、映像の切り替えなどから、あれはニセモノと思わせる時間を与えなかった。

 

  • メラニーはミッチが探していた<愛の鳥>を届けるためにミッチの住む町に来たのであるが、カモメに襲われたり、ミッチの家では驚くべき数のスズメが暖炉から部屋の中に飛び込んできたりする。ミッチの母が鶏がエサを食べなくなったので同じ状態の知り合いの農家を訪ねていったところ、その農夫は目をえぐられて死んでおりカモメに襲われた思われる。母は家にもどり寝込んでしまい学校に行っている娘のことが心配だということでメラニーが様子を見に行ったのである。

 

  • 』の前が『サイコ』で、『サイコ』に関しては、映画『ヒッチコック』が詳しくその撮影にいたる経過を教えてくれる。ヒッチコック監督は新しい試みの映画を作りたいと考えていて実際の事件を題材にした『サイコ』の映画製作に入るが、どこも企画を受け入れてくれず家を抵当に資金は自分持ちとする。夫婦間の問題、撮影現場、俳優とのやり取り、映画公開の仕掛け方などが盛り込まれている。

 

  • ヒッチコック監督は『サイコ』は失敗だと認めるが最終的に妻が編集に加わりシャワーの殺人場面に音を入れる。ヒッチコック監督は音を入れることに反対するが、これが臨場感を生み出し効果抜群となる。映画館のロビーで監督自身もシャワー場面の観客の悲鳴と音に大満足である。映画の最後に、ヒッチコック監督のいつもながらのしゃべりがあり、ヒッチコック監督の肩にカラスが止まって奥さんの呼ぶほうへ去っていく。次の映画の予告である。『』では音は鳥の鳴き声など最小限にしている。

 

  • 』のメラニー役のティッピ・ヘドレンはモデルでこの映画が初めての映画出演であった。ヒッチコック監督は美人が好きである。ファッションに関しても女性があこがれそうな衣裳を着せ、そこに恋愛も含ませ女性の入りやすいサスペンスとしている。そして男性の気をそそる色香も忘れない。『』の場合はミッチとの最初の出会いの場面と男性の住んで居る場所で事件に巻き込まれるため洋服は二着である。二着目は理由のわからぬ鳥の襲撃など想像もできないさわやかな若草色系である。鳥と緑の調和のイメージが見事に崩壊する。

 

  • サスペンス映画よりもスリラー映画に近い。ただ、ミッチの母がメラニーを見る目が敵視しているようで謎を秘める。母は息子を恋人に取られるのが恐怖であった。ところが、鳥の出現で、母は自分が守られることしか考えていなかったのが、最後にはメラニーを守る強さが生まれていた。そのあたりも恐怖だけではない人間心理の変化も加味されている。そして、この母の心理が『マーニー』ではもっと複雑になるのである。さらに、主人公のマーニー役をヒッチコック監督は、グレース・ケリー大公妃に依頼していたが断られ『』に出演していたティッピ・ヘドレンに決定するのである。

 

歌舞伎座2月『當年祝春駒』『名月八幡祭』

  • 當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)』。洋画を見続けていたので長唄の八丁八枚、お囃子が心地よく響く。中央のセリがあがり、工藤祐経(梅玉)、小林朝比奈(又五郎)、大磯の虎(米吉)、化粧坂少将(梅丸)が登場。人数は少ないが長唄お囃子連中をバックに梅の華やかさと相まってパーっと明るい。花道から曽我十郎(錦之助)、五郎(左近)が春駒の門付けで登場。

 

  • 左近さんの節のないすっと伸びた素直さがさわやかである。踊りでの工藤に対する仇の気持ちもむき出しではなく、それとなく伝える。それを押さえる兄の十郎と朝比奈。十郎はあくまでも気品をもって、それに添う朝比奈の踊りにユーモアが加わる。大磯の虎は少し威厳をもって、化粧坂少将は愛らしく、曽我物のキャラの雰囲気をそこはかとなく描いている。工藤が狩場の切手を「切って」に掛けて投げ与えて大きさをみせて幕となる。曽我物が続く中、ほど良いリズム感に梅の香りを感じる舞台である。

 

  • 名月八幡祭』。真面目で真っ直ぐな考え方の越後の行商人縮屋新助が深川芸者美代吉に百両用意してくれればいっしょになると言われる。ひたすら信じて家、田畑を売り払い百両こしらえる。田舎には老いた母もいるのであるが、美代吉と二人で働いて頑張れば取り戻せると考えている。コツコツと働いて生きてきた新吉と美代吉では世界が違い過ぎていた。

 

  • 美代吉には藤岡慶十郎という旗本の旦那がいる。この旦那が良い人で、美代吉には船頭三次という情夫がいるがそのことも知っている。お金に綺麗な旦那で美代吉の旦那である以上、美代吉が三次にかんざし与えたのを知って、そんなみっともないなりじゃ俺が笑われるとお金を渡す。申し訳ないといってかしこまる美代吉だが、お金を貰い、三次が現れるとこのお金でぱーっと飲もうよという。お金がないのだがはした金では仕方がない、宵越しの金はもたないよの性格なのである。

 

  • 土地を抵当にでもして百両こしらえ、八幡祭りの用意をして美代吉姐さんの粋をみせてそのあとはどうとでもなれの生き方である。そこに美代吉に惚れこんでいる真面目な新助があらわれる。新助が気になっていた三次が現れるが、美代吉は啖呵を切って三次を帰してしまう。これも美代吉の気分屋のあらわれで、なんとでもなるという性格なのである。新助は美代吉が困っているならと一生懸命になる。その真面目さを深く考えることもなく一緒になることを約束する。美代吉には新吉のような行商人にお金が作れるわけがないという投げやりなおもいもある。

 

  • お金の使い方を心得た旦那の藤岡から手切れ金が届く。そこへ三次が恥をかかされたと刃物をもって現れる。美代吉は三次が自分を本気で殺しに来たとは思っていない。三次もそのつもりで一種の二人の戯れなのである。美代吉の母も二人にはあきれてしまうほどなのである。そういう世界の二人なのである。そんな二人のところに新助が息せき切ってもどってくる。美代吉は新吉にお金は出来たからもう大丈夫という。利子をつけて返しておくれと軽く云う。新吉が思い込んでいるような美代吉ではなかった。新助の帰る場所はもうないのである。

 

  • 八幡祭りを見て帰りなと越後に帰るのを引き留めた魚惣は心配してやってくるが、まさかこんなことにまでなるとは想像しなかった。どこかで新吉が美代吉の性格を知って深入りしないであろうと思っていたのである。面白おかしくその日を暮らす美代吉。自分の生き方を通す美代吉は、新助とは世界が違うが客商売ゆえ軽くその場その場であしらっているのである。ところが、新吉は美代吉も自分と同じ世界に生きてくれる人間になってくれると思い込んでしまっていたのである。

 

  • 切れると言って切れない男女の仲、お金に対する価値観など美代吉の住む世界と新助の世界は違い過ぎた。その亀裂に挟まって狂ってしまう新助のその先は。新助は美代吉を殺すしかなかった。高々と笑い、祭りの若い衆に担がれて花道を去る新吉。三次のような男を情夫にして好きなように生き、お金が転がりこみ何とかなってしまうような生活をしている者には、新助の実直さは通じなかったのである。月の明るさもどこか妖艶である。

 

  • 深川の花街で繰り広げられる人間模様。美代吉に明るく声をかけられる新吉。そのずれに観客は可笑しさを感じる。魚惣の心配がわかる。藤岡の遊び方。その中での美代吉と三次の仲。苦笑がおこる。そこへ飛び込んだ新吉。信用が第一と商売してきた新吉には泳ぎ切れない人の流れであった。

 

  • 初世尾上辰之助三十三回忌追善狂言である。初世辰之助さんが縮屋新助を演じられた時、今回同様、芸者美代吉は玉三郎さんで、船頭三次は仁左衛門さんだったそうである。その先輩たちに挟まれての松緑さん初世辰之助さんにどんな報告をされるのであろうか。

縮屋新助(松緑)、芸者美代吉(玉三郎)、魚惣(歌六)、魚惣女房(梅花)、美代吉母(歌女之丞)、船頭長吉(松江)、藤岡慶十郎(梅玉)、船頭三次(仁左衛門)