柿葺落四月大歌舞伎 (六)

【第三部】 二、勧進帳

「勧進帳」は長唄の中でも一番多く聞いている作品である。舞台を観てても音楽と役者さんと一体感に成れる作品でもある。弁慶は幸四郎さんである。幸四郎さんはミュージカルも多く演じられており、五線譜の洋楽と邦楽では間が違うのでは無いか、違和感は無いのであろうかと思うがどうなのであろうか。

平家追討に大きな業績を残しながら、それが義経の想いとは違う方向に進み、兄頼朝の不興をこうむってしまう。義経の若さ、一途さと云う事でもある。芝居での義経は強力(ごうりき)に身をやつしても品良く振る舞い、じっと弁慶に従うが、義経は梅玉さんである。弁慶はいかにして義経の存在を消し安宅の関を越えるか。義経は居ないのであるから何の懸念も無いという大きさがその知略を現す。そして、弁慶と同じように義経を思う四天王を従えている。四天王の染五郎さん、松緑さん、勘九郎さんはこれから弁慶を受け継いでいく方たちなので力の入れ方が凄い意気で伝わってくる。弁慶とその三人の間を持つ左團次さんも良い位置にある。これらを束ねつつ弁慶は関を守る富樫・菊五郎さんとの対決である。弁慶は何も書いていない勧進帳を読み上げるが、これが源平の戦で焼けた東大寺再建の勧進である。平重衡が火を点けてしまった奈良炎上で焼失した東大寺ある。誰もがすぐ思い浮かぶ事実である。上手く事は運び関を一行は通ろうとするが番卒が強力が怪しいと富樫に進言する。富樫は引き止める。

怪しまれた弁慶は主人の義経を杖で打ちすえる。もし義経であれば、家来がそんな事は出来るわけが無い。富樫はそこまでして主人を助けようとの弁慶の心意気にうたれ、逃がしたことが知れると自分の命が危ないのに係わらず見逃すのである。この辺の緊迫感とそれぞれの内面が少ない動きで分かるのが面白い。富樫が引いた後、弁慶は主人を打ち据えてしまい身の置き場がない。そんな弁慶を義経は手を差し伸べ労わるのである。これには泣かない弁慶もついに涙してしまう。

そこへ富樫が再び現れ疑ったことを謝り弁慶に酒を勧める。本当であれば断って早くこの場を立つところであろうが、そこは富樫の温情に答え酒を豪快に飲み延年の舞を踊る。ここは観客への緊張感からの開放でもある。そして楽しんでいると見せながら何気なく義経たちを先に発たせるのである。ここがまだ気は許してませんよと観客に思わせる好きな仕草で、幸四郎さんは軽快にやられた。そして一行が花道から去り姿が見えなくなって初めて弁慶は安堵するのである。お客も弁慶が無事義経を安宅の関を抜けさせた功績と弁慶役者が無事ここまで成し遂げたことに安堵し弁慶とそれを演じる役者とが一瞬切り離され役者さんを讃える空気が生まれる。

最期、観客も弁慶にもどり、弁慶は大きく六法で花道を引っ込むのである。

四天王の若手三人が本当に真剣な眼差しで全身に力が入り、自分達が次には演じるだという気迫が感じられ、動かなくても頭の中では動いていたと思われる。富樫に見破られたとき、<かたがたは何ゆえに・・・>から四天王の勇みを押さえる弁慶に迫力と威厳があり、しばらくはこの世代間の葛藤が楽しめる様に思える。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (五)

【第三部】 一、盛綱陣屋(もりつなじんや)

徳川幕府は戦国から江戸時代の事を芝居にする事を禁じていたので、この話も大阪冬の陣での真田幸村と信之兄弟が敵味方に分かれて戦ったことを題材にしているが、時代は鎌倉で頼朝の死後、鎌倉の実朝と京方の頼家との争いにしている。鎌倉は実朝の祖父・北條時政が実権をにぎっている。鎌倉は(江戸)で京方は(大阪)。鎌倉(江戸)の北條時政は(徳川家康)である。この争いに佐々木家(真田家)が、鎌倉方には兄の佐々木盛綱(真田信之)がつき、京方には弟の佐々木高綱(真田幸村)がついている。江戸時代の観客はその辺りの二重性をも楽しんでいたのであろうが、そこまでは踏み込めないので、架空の鎌倉時代の芝居として堪能する。

弟高綱は知略家で時政を悩ませている。高綱には息子・小四郎(松本金太郎)がおり、盛綱(仁左衛門)には息子・小三郎(藤間大河)がいる。この小三郎が初陣で従兄弟の小四郎を生け捕りにしてくる。京方の軍使・和田兵衛秀盛(吉右衛門)は自分の首と引き換えに小四郎を逃がしてくれと頼むが盛綱は応じない。盛綱は考える。小四郎に対する情愛から弟の高綱が自分の戦が出来なくなるのではないかと。そこで母の微妙(東蔵)に母の手で小四郎を討ってくれと頼む。ここは、兄弟の情、母と子の情、祖母と孫の情が交差して戦の悲劇性をも伝えるところである。

さらに微妙が小四郎に父の為に切腹してくれと諭す時、外では小四郎の安否をきずかってやって来た母・篝火(時蔵)が事の次第を知りつつなす術も無い。そこへ時政(我當)が高綱の首を討ち取ったとして、盛綱に首実検を命じる。

ここからが盛綱と小四郎の駆け引きであり、観客の推理の為所である。高綱の首を見て子四郎は「父上様!」と叫び自分の刀を自分の腹に突き刺すのである。盛綱はその首が高綱ではない偽首である事を見抜いているので、なぜ小四郎が自害するのか疑問に思う。ここは見せ場である。今回は特に盛綱と小四郎のお互いに見やる目線の位置がピタリときまりお互いの気持ちが通じた息がこちらに伝わってきた。金太郎くん上出来である。苦しさを押し殺し叔父をみつめる小四郎。高綱の首をたしかめながら甥の視線を追う盛綱。盛綱はたと気づく。そして、高綱の首に間違いないと答える。時政は喜び、褒美に鎧櫃を置いてゆく。

盛綱は微妙、妻の早瀬(芝雀)、篝火の前で小四郎をほめてやってくれと、真相を伝える。高綱は自分の偽首を時政に自分の首と思わせ死んだと思い込ませ油断させるつもりであり、その知略を小四郎は父から聞かされそれを守ったのである。自分が父の死を知って後追いしたと見せたのである。息子が後を追うのだから、高綱の首に間違いない、その事を叔父に分かって欲しいと一心に目で伝え、盛綱も小四郎を通して弟の気持ちを理解したのである。盛綱もこの親子によって主従の関係より肉親の情をとったのである。盛綱は主人を裏切ったので自害しようとするが、和田兵衛が鎧櫃に時政の間者が潜んでいることを教え、今死んでは高綱の事もすぐ露見し何もならないから時間を稼ぎ露見してから死んでも遅くは無いと説得し、盛綱も納得するのである。

戦の中での様々な人間関係を描きだし、美しいながらもいかに残酷で悲しいことかを伝える芝居でもある。役者さんたちの立ち居振る舞いの美しさ、威厳、大きさ、情感の表現の豊かさ等が揃えば揃うほど舞台は過去と現代人の心の狭間を埋め共鳴し、さらには現実よりも普遍的な高見へも連れて行ってくれるのである。

 

ドキュメンタリー映画二本

『シュガーマン 奇跡に愛された男』

聞いたこともない<ロドリゲス>という名の歌手のドキュメンタリー映画である。チラシによると 「70年代デトロイト、忽然と姿を消した幻のシンガー、ロドリゲス その歌が国と時代を超え 南アフリカで奇跡を起こしていく 驚くべき人生に胸が震える」

デトロイトの外れの小さなバーで歌っていた若者が見い出されアルバムを出す。全く受け入れられず忘れさられてしまう。失意のうちにコンサートの舞台で自殺したとの話が残されている。その彼の歌が誰が運んだのか海を越え南アフリカで爆発的に支持される。その歌は南アフリカの反アパルトヘイトの若者達のシンボルとなり、その後も20年に渡って広い世代に指示される。ロドリゲスは、デトロイトの町を歩きまわりそこに生活する人々の気持ちを自分の気持ちに同化させ歌にした。その生活からミュージシャンとして飛びたてなくて絶望したのであろうか。

この先は先入観無しに映画で見て欲しい。映画館を出る時その一歩が軽くそれでいて力強く地を踏みしめていることに気づく。

 

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』

長嶺ヤス子さんの名を聞けばフラメンコである。彼女の踊りを実際に観た事が無いのであるが、我の強い方との印象をなぜか持っていてる。それは民族的意味合いの濃いそれもジプシーの踊りの中に日本人が入り込めるのか、そこに挑戦し続ける人というのは余程の我と欲がなければ出来ないと思ったのである。この映画での長嶺さんは猫と犬を愛しフラメンコを踊るおばさんである。そう思われても長嶺さんはその事に頓着する暇も感慨もないであろう。100匹以上の捨て犬や猫と暮らしていて可愛い可愛いではなく<命>と供に生きている。<命>の醜さも愛しさも全てを奢ることなく受け入れている。だからフラメンコに対しても美しさだけを求めてはいない。

憎しみ、嫌悪、憎悪、邪悪ら全てを吐き出している。その後に何が残るか。死を目の前にしている犬の不安ややるせなさへの寄り添う心であり<命>である。<命>に対峙していなければ長嶺さんは踊れないのかもしれない。その踊りは(映像)何かに対して抗議しているようでもある。言葉を発せられない弱気もののために。そして<命>に対してはただその存在を愛しく撫で続けるのである。

“でも、ホントのわたしじゃないかもよ” と付け加える。そこに観る者の逃げ場を造ってくれる暖かさがある。ドキュメンタリー映画の痛いところも突いている。重いことを軽く言ってのけるふんわりとした言葉が聞くものを包みニンマリさせる。孤高でありながらこんなおばさんがそばにいてくれたら<命>も曇り時々晴れになるであろう。晴れっ放しではない時々晴れでいい。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (四)

【第二部】 二、忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの) <将門>

平将門は実際に登場しないが、将門を中心に据え、それにまつわる常磐津の舞踏劇である。この演目は観た印象が薄く、暗くて重いという印象が残っている。今回は常磐津の詞だけは目を通しておいた。

花道スッポンから玉三郎さんの傾城如月が上がってくる。指し照らされるロウソクの灯りがなんとも如月の怪しい色香を撒き散らす。髪の大きなくしかんざしがロウソクの灯りによって顔に影となり、それが遠目には髪が乱れて顔にかかっている様に見え、如月の心の内の複雑さを表しているようで妖艶でもある。実はこの傾城如月は将門の娘の滝夜叉姫で彼女は蝦蟇(がま)の妖術を使うのである。

大宅太郎光圀(松緑)は将門が住んでいた相馬の古い御所に不審を抱きやってくるが、そこでまどろんでしまう。目を覚ました光圀は如月に怪しいと思うが如月は、<嵯峨や御室の花盛り 浮気な蝶も色かせぐ 廓の者に連れられて 外めずらしき嵐山>そこであなたを見染めて追ってきたとクドクのである。

光圀はわざと将門の最期の戦話をする。松緑さんの見せ場である。もう少し大きさが欲しい。同年代の方たちではなく玉三郎さんが相手となるとどうしても小さく見える。玉三郎さんは最初は若手の方に合わせるが、その次からは玉三郎さんの位置まで上がるように要求するように思える。玉三郎さんと組める嬉しさと同時に苦しさも皆さん味わっておられると推測する。

将門の話に如月が涙するのを見咎めた光圀をそらして、如月は廓話をする。話の途中で如月は相馬錦の旗を落とし、二人で取り合いとなるが如月はついに将門の娘滝夜叉姫の正体を現す。そして蝦蟇の妖術を使い古御所が崩れ(屋台崩し)大屋根の上に大蝦蟇と滝夜叉姫が姿を現し赤旗を翻す。これは、出の花道で白い巻紙の手紙を手に舞うのとは対称的で光圀を油断させ仲間にしようとしての白旗にも思える。それが赤旗で光圀との対峙で終わるあたり上手く出来ている。常磐津の詞を頭に入れてもう一度観てみたい。

平将門を小説で読んでからと思ったが時間が無く進まない。平清盛の前であり、将門の頃は藤原時平と菅原道真との政略争いの後である。将門の最期はこれから自分で読み進めるとする。

東京の大手町のビルの間に将門の首塚があるという。将門の首は京で晒され、その3日目に故郷に向かい空を飛びここに落ちたという事らしい。

これは首塚というより将門塚で平将門公の御首(みしるし)をお祀りする墳墓であるらしく、将門公の所縁者たちにより、この地に納められ墳墓が築かれたそうだ。ここは神田明神創建の地でもあり、色々な経緯から神田明神が将門公を合祀し、江戸時代になって神田明神が現在の地に移る時、墳墓はそのままにして毎年9月の彼岸には将門塚例祭をこの将門塚で執り行い、神田祭の時には鳳輦・神輿が将門塚に渡御して神事が行われているようである。今年5月には4年振りに神田祭が行われる。

 

 

柿葺落四月大歌舞伎 (三)

【第二部】 一、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)

「白浪五人男」。<白浪>とは盗賊のことで、五人の盗賊の男と云う事になる。<白浪>がなぜ盗賊なのか、マジメさんに見習い辞書で調べると、《中国の白波(はくは)の谷にいた盗賊「白波賊」から》とある。では五人とは、日本駄右衛門(吉右衛門)・弁天小僧菊之助(菊五郎)・忠信利平(三津五郎)・赤星十三郎(時蔵)・南郷力丸(左團次)である。

「弁天娘女男白浪」は弁天小僧菊之助と南郷力丸と日本駄右衛門の三人の白浪が登場する <雪下浜松屋見世先の場>から始まる。歌舞伎は江戸時代の話を鎌倉時代にしたり江戸での話を鎌倉に移したりと当時の幕府の検閲を逃れる工夫をしている。この話も江戸であるが鎌倉にしており、現在でも鎌倉散策で<雪ノ下>の地名に会える。よくぞ残しておいてくれたと嬉しくなる。

白浪は浜松屋の財を取ろうと企んでいる。弁天小僧は武家の娘に南郷はその供侍に化け、万引きの疑いをかけられるように仕組み、実際はやっていないため難癖をつけ金をせびるが、駄右衛門が弁天小僧を男と見破り浜松屋の信用を得る。この弁天小僧の女から男に変わるところが見所で、作者・河竹黙阿弥の七五調の聴かせどころである。菊五郎さんの弁天小僧菊之助は手順から台詞まで手の内なので、こちらはゆったりと楽しむだけである。歌舞伎座はしばらくは三部制でいくのであろうか。二部制だと三演目は入るので一演目は舞踊をいれたりして気を抜く演目が入るが、今回は次の「将門」の舞踊劇も重いので、ベテランの演技を安心して観ていられるのは有り難い。全体像が分らないと駄右衛門の位置が分りづらいが、いつか話の全体像に出会えることがあり、そういう事であったのかと驚くのも楽しい。役者さんは部分的な場面だけでも全体像を頭に入れて演じているので、それを分って観ている人はあそこはさすがであるとなるのである。

<稲瀬川勢揃いの場>は白波五人男の晴れの場である。悪事がばれ追っ手がきているのであるから。捕らえられる前の男振りである。それぞれ生い立ちから語るので地名などもでてくるが 「人に情を掛川から金谷をかけて・・・」「鬘も島田に由比ガ浜・・・」「月の武蔵の江戸育ち・・・」など耳に心地よい言葉が並ぶ。

盗賊などのような悪人を格好よく描いているのも、歌舞伎ならではかもしれない。それは台詞であったり、衣裳であったり、スペクタルな大道具であったり、役者さんの芸の大きさであったりするわけである。

そのスペクタルな大道具の力が<極楽寺屋根上での場>での大捕り物であったり、<極楽寺山門の場>の山門の上<滑川土橋の場>の山門の上と下の橋との上下関係であったりする。役者さんだけではなく、新歌舞伎座ではどう展開するのかという舞台装置も披露する演目となり、安心させてくれたのである。

 

 

寺山修司没後30年「寺山修司◎映像詩展」

映画館シネクイント(渋谷パルコ パート3・8F)で寺山修司の映画特集を開催している。

寺山修司没後30年/パルコ劇場開場40周年 ~幻想と詩とエロチシズム~「寺山修司◎映像詩展」

4月11日<意外なところで楽しい発見>で関容子さんの著書「舞台の神に愛される男たち」を紹介したが、そこに出てきた方が寺山修司さん関係の映画の上映に際しトークショーのゲストとして名前があった。「乾いた湖」上映後、篠田正浩さん(映画監督)×九條今日子さん(元寺山修司夫人/プロデューサー)。「無頼漢」上映前、白井晃さん(演出家・俳優)。

関さんの本の中で篠田正浩監督は、山田太一さんと寺山修司さんの大学の先輩で、お二人の様子を 「寺山と山田は仲がよくて、毎日学校で顔を合わせてるのに文通しているんだからね(笑)」 と証言(?)されている。山田さんによると、とにかく幾ら話しても話し足りなくて、別れた後も手紙に書いていたのだそうである。これは楽しい話が聴けそうだ。白井さんは、申し訳ないが舞台も映画もドラマも観ていない。機会があれば観たいと思っていたらお名前が。それも映画「無頼漢」の前。「無頼漢」はDVDで観て非常に面白く、寺山さん脚本で篠田監督なので大きなスクリーンで観れるのは幸せであり、白井さんと寺山さんの関係も興味がある。

篠田監督と九條今日子さんのトークは予想通り楽しかった。寺山さんがSKD時代の九條さんに惚れこみ「乾いた湖」に出てもらうため篠田さんが、寺山さんと一緒にシナリオを書いていた神楽坂の川田旅館に来て貰い、それが寺山さんと九條さんの縁で、九條さんは篠田さんだから行ったので篠田さんからで無ければ行かなかったし、寺山さんとの縁も無かったと言われた。その川田旅館は、川田晴久さんが奥さんにやらせていた旅館で、川田さんが松竹で美空ひばりさんと共演したギャラがそちらに廻ったらしく、松竹関係の人達もよく利用していたらしい。「乾いた湖」のシナリオを篠田監督と寺山さんが書いている隣の部屋で大島渚監督たちは「太陽の墓場」のシナリオを書いていて、寺山さんは大島監督の政治的行動を意識して自分として意見をシナリオの中に書いていた部分もあるようだ。話を聞いているだけで当時の熱さがわかる。

「小津監督の「東京物語」、木下監督の「二十四の瞳」、大庭監督「君の名は」で松竹は年4回のボーナスがあり、その後映画界は斜陽の兆しが見え始め次の監督を作らなければならない。どんな映画であれば良いか会社も判らず、好きにさせてくれたところがあった。」

篠田監督と寺山さん(脚本)は6本の映画を作っている。 「乾いた湖」(寺山さんの映画初脚本) 「拳銃よさらば!『みな殺しの歌』より」 「夕陽に赤い俺の顔」 「わが恋の旅路」  「涙を、獅子のたて髪に」(篠田監督も脚本参加・寺山さん作詞も担当・加賀まりこさんデビュー作)「無頼漢」(河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」を題材にしている。斬新で舞台人も多数出演。)

観客の方の質問「瀬戸内三部作は寺山さんの何かに通じるのか」に対し篠田監督の答えは「小津さんが子供の映画が作れなくては監督としてダメだといわれた。小津さんも「生まれてはみたけれど」、木下さんが「二十四の瞳」、大島渚も「愛と希望の街」「少年」を撮っている。松竹の伝統のようなものです。」

「夕陽に赤い俺の顔」 は 5月27日(月) NHK・BSプレミアム 13時から 放映される。

白井晃さんは寺山さんの本から衝撃を受け大学受験のとき寺山さんの劇団の「天井桟敷」を目の当りにしてこんな演劇があるのかと驚愕。ただそこに自分が入ろうとは思わなかった。ただ劇団のエキストラ見たいなのには出たことがあり、劇団の稽古を観に来て寺山さんの声が聞こえてきて「ああ!寺山さんだ!」と声だけで感動をおぼえたと。寺山さんの作品の舞台映像は観たことがあるが寺山さんの実際の舞台を観ていないのと、白井さんの舞台も観ていないので、その辺のつながりが判らなくて残念であったが、白井さんが舞台をやりたいと思わせたのは寺山さんの存在であろうことは判ったし、今は無い<怖い舞台>だったそうである。

 

「ヒッチコック」と「舟を編む」

久々の新作映画鑑賞である。と言っても「ヒッチコック」は映画「サイコ」に関連していているので、「サイコ」をまた鑑賞するような雰囲気であるが、様々な舞台裏が出て来て面白かった。まず、アンソニー・ホプキンスのヒッチコックがぴったりである。太り具合はもちろんであるが口の動かし具合からしてしっかり捉えている。「サイコ」を撮ろうとの動機からの奥さんとの会話が何ともお互い機知に富んでおり楽しい。儲からない仕事はどこもそっぽを向くもので、それを内心の動揺をかくしつつも奥さんに吐露しそれを軽くいなす奥さん役のヘレン・ミレンも適役。

色んな問題が山済みでさらには奥さんと男友達との関係も目が離せない。それでいて美人女優でなければ撮りたくない。「サイコ」のモデルである異常殺人者の実物の犯人ともヒッチコックの中で語り合わせ、誰の中にでもある異常心理の狂気としてヒッチコックを追い込んで、それがあのシャワーシーンの成功へと結び付けていくあたりは上手い展開である。ジャネット・リーが雨の中追いかけられるように車を走らせる場面の撮り方など裏が見れてわくわくする。

アンソニー・パーキンスの出は短いが、雰囲気はわかり、彼はやはり「サイコ」の実際の彼を見るのが一番でそれを邪魔しない出し方である。検閲官の厳しい制約が、反って映画の撮り方に工夫する結果となり、そのやり取りから撮影方法が浮かび上がるのもさすがである。宣伝の仕方、公開されてシャワーのシーンにロビーでその音楽に合わせて身体を揺り動かし満足する稚気さら、映画を見ている観客をもどんどん巻き込んでゆく。この音楽を入れることを提案したのは奥さんである。

そして、奥さんをやり込めるつもりが、反対にやり込められ、その時のヘレン・ミレンはさすが「クイーン」女優と思わせる。やり込められて唖然とし、それでいて安心しているアンソニー・ホプキンスの繊細さを判らせない余裕の演技も見事である。最後お決まりのヒッチコックの登場で次のサスペンスへのお誘いで肩にカラスが。でも当然「サイコ」を見直したくなる。

「舟を編む」。2012年の本屋大賞第一位のベストセラーを映画化したものである。本の題名がそこらに転がっていそうもない発想である。内容も、辞書を作る編集部に集う人々の話で、心躍る事件も起こりそうに無いが、そのとおり起こらないで辞書の役目のような役目をする、そこに有ってくれれば、そこに居てくれればいいなあ思わせる人々の話である。

原作を読んでいたので、これを壊されるといやだと思いつつ観たが、なかなか味のある映画になった。松田龍平さんが主人公の馬締光也をだんだん男前にしていってくれた。それもそれに気がつくか気がつかない加減で進んでいく。それを助ける軽薄なオダギリジョーの西岡の役目も上手くはまった。小説もそうであるが、人間関係の暖かさと同時に辞書ともっと仲良くしなくては勿体無い事であると思ってしまう。映像での辞書の言葉たちが本よりも強く印象づけた。沢山の言葉に触れたい人は小説の方がいいと思う。作業などは映画のほうが動きがあって流れが飲み込める。人間関係の下手な馬締くん(まじめの当て漢字が何とも冴えている)を無理に変えようとせず、そのままで上手く周るようにした脚本も芯がある。観ているほうもやはり馬締くんはこう来るのかとこちらも楽しい笑いと先輩達に対する気持ちにほろリとする。舟を辞書「大渡海」のカバーデザインだけで、海の映像に出さなかったのも懸命である。「大渡海」の辞書編集部は嫌々行っても夢中にさせるゆれ具合の舟である。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (二)

【第一部】 三、熊谷陣屋

「熊谷陣屋」での熊谷直実の腹の内を判ったつもりでいたが、もっと厚い深層部分があるような気がした。直実は、義経から桜の花の制札<一枝を切らば一指を切るべし>を与えらる。それは桜のひと枝を切ったら自分の指を切り落とせということで、この桜は敦盛で自分の指は自分の息子小次郎の事と解釈し、敦盛の身替わりに小次郎の首を差し出す。この首実検が「熊谷陣屋」の重要な場面なのである。直実は義経の言葉の解釈がこれで良かったのかどうか陣屋に帰るまでじっと考え続けたであろう。直実(吉右衛門)の花道からの出となる。

義経の言葉の解釈を間違えたら我が子を身替わりにしたことが何の意味もなくなる。直実はなぜ自分の子を身替わりにせねば成らなかったのか。ここでは敦盛は後白河院と藤の方との間に誕生した、院のご落胤なのである。そして直実とその妻・相模(玉三郎)は後白河院の御所に仕えていたとき恋仲となり不義の罪で死罪(職場恋愛は認められていなかったのかこの辺は不確実)となるところを藤の方に助けられ武蔵の国へ下り、今の地位となる。東国へ下るとき相模と藤の方は二人とも懐妊しており、その子が小次郎と敦盛なのである。

先ずは無官太夫敦盛を後白河院のご落胤に設定していて、直実夫婦は藤の方に命を助けられ一子小次郎がいる。この複線が凄い。さらに義経はこの事実を知っているのである。

義経の意を汲み首実検に臨もうとする直実の前に考えに入れていなかったシチュエーションが出現する。妻の相模が東国から陣屋に来ていたのである。今回、吉右衛門さんと玉三郎さんが顔を見合わせたとき、直実の心の動揺とどう対処すべきかを瞬時に考える直実の内面の動きが反射し、そうだこれは大変なことなのだと今まで以上に納得した。

さらに、妻相模を上手くあしらおうと思ったのに、藤の方(菊之助)までが来ていて、直実を敦盛の仇として切りかかる。直実はそれを押さえ、敦盛の最後を語ってきかせるのである。この物語が、相模と藤の方の出現によって出来た直実の見せ場で、芝居の話の筋と同時に役者の見せ場を作るための筋立ての素晴らしさと思う。直実は藤の方に語っていながら見えているのは小次郎なのである。何回かこの芝居を観ていると、ここは藤の方を忘れて父親としての直実かなと想像する箇所がある。吉右衛門さんの直実にもそれが透けて見えた。

藤の方は納得し敦盛の青葉の笛を取り出し吹くと障子に敦盛の影が、それは敦盛が身に着けていた鎧兜であった。この辺りは「平家物語」を基盤として観客も敦盛の死を想像している。敦盛の死と考えているとその後の展開が驚きでそうなのかと思うし、すでに小次郎と知っていても今度は役者の演じ方に目が行きそれぞれに楽しみ方がある。

いよいよ義経(仁左衛門)の首実検である。制札を前に仁左衛門さんの義経が「敦盛の首に相違なし」の前にちらっと直実に」対し情をみせ、ここで涙がでてしまった。「相違なし」で吉右衛門さんの直実はやっとほっと安堵する間もなく、相模が小次郎の首と知り、藤の方も立ち騒ぐ。それを制札で押さえ、制札を逆さまにして肩に受ける見得となる。この制札も小道具として大活躍である。

真実を知ってからの玉三郎さんの相模のくどきは初めてである。打ち掛けを使い、打ち掛けに包んだ小次郎の首をしっかりと抱きかかえ、観客にその顔をみせつつ嘆き悲しむ。菊之助さんの藤の方に同じときに生まれた小次郎の首を敦盛の首として見せ、藤の方の涙を誘う。座敷上で敦盛の死を嘆いた二人が、今度は庭先で観客に近づいて嘆き悲しむのも立場の逆転の設定として見事である。役の位置関係も見せ所でよくできている。

この後、義経は石屋の弥陀六を、幼いころ自分を助けた宗清と見破り敦盛を託すのである。全てが終わり直実は世の無常を感じ出家する。花道での有名な台詞「ああ十六年はひと昔。夢だ、夢だ」小次郎の生きた年を思い、さらにあの時自分の命は助かったがそれは何の為なのか。やるせなさ、せつなさが胸を打つ。

「平家物語」が史実のはっきりしない部分の多いこともあってそれを使い、新たな複線で役者の見所を作り、さらには人間の組織の中での個人の無力観、無常観をも引き出した芝居である。この芝居に押し潰されないように長い時間をかけて練り上げられてきたのである。

 

柿葺落四月大歌舞伎 (一)

新しい歌舞伎座で一番拍手を贈りたいのは三階席から花道の七三(すっぽん)が見えることである。ここが見えるのと見えないのでは物によっては芝居が半減するものもある。今回の観劇で感じたのは、役者さんたちが気持ちを引き締めていることである。これだけの数の歌舞伎役者が同じ舞台に立つということは滅多にあることではない。この機に、幹部たちは芸を伝えようとし、次の世代はそれをしっかり受け止めようとの気迫がある。それはやはり、新しい歌舞伎座出演を成し得なかった方々への鎮魂と魂の引継ぎであろう。華やぎの中にも静謐さがある。

【第一部】 一、壽祝歌舞伎華彩(ことぶきいわいかぶきのいろどり) 鶴寿千歳

宮中での祝いの舞と新歌舞伎座の祝いを掛け合わせた舞踊で厳かな中にも艶やかさがある。染五郎さんの春の君と魁春さんの女御の踊りの後、権十郎さんと高麗蔵さん率いる宮中の男性と宮中の女性10人が並ぶと華やかさが増し、そこに長寿の象徴の藤十郎さんの鶴が降り立つと、新歌舞伎座開場を供に寿ぐ気持ちにさせられる。染五郎さんは先月一條大蔵卿を演じられているので一層貴族の優雅さが増したように観える。衣裳の扱いも美しい。おそらく若い役者さんで初めて着る衣裳の方もあるであろうが、一ヶ月その衣裳と付き合えると云う事は体に馴染むわけで貴重である。金の鶴を飾った冠に薄物の白の衣裳でゆったりと鶴の形を見せつつ踊る藤十郎さんのほんのりした柔らかさがほのぼのとさせてくれた。

二、お祭り  十八世中村勘三郎に捧ぐ

勘三郎さんゆかりの役者さんたちが明るく踊ってくれる。幕が開き浅黄幕のとき「十八代目中村屋」のお向こうさんの声がかかる。浅黄幕が下りると三津五郎さんの鳶頭を中心に、橋之助さん、彌十郎さん、獅童さん、亀蔵さん。芸者衆が福助さん、扇雀さん。若い者、手古舞と賑やかである。途中勘九郎さんと七之助さんと、なんと勘九郎さんの息子の七緒八くんが花道から登場である。予想外のサプライズである。舞台真ん中の床几に行儀良く座り動じることなく、開いた扇を持って動かしたりして皆の踊る様子などをみている。驚いたのは勘九郎さんが踊りの最後右袖を左手で少し上げ見得を切ると七緒八くんが同じように座ったままで可愛らしく見得を切ったのである。今回、この一番小さい七緒八くんから始まり、国生くん、宗生くん、宜生くん、虎之介くん、金太郎くん、大河くん、玉太郎くんがきちんと役にはまり子役としての力量を示してくれた月でもあった。

三津五郎さんと巳之助さんがおか目とひょっとこのお面で踊るのを観ていると、三津五郎さんと勘三郎さんの「三社祭」がふっと浮かぶ。勘九郎さんが左足で立ち右足をたっぷり引いて間を置き大きく前にせりだしいい形に決まると、勘九郎さんが膝を痛めたとき勘三郎さんが「俺さらはなくても踊れるよ。代わろうか。」と言われてた映像を思い出す。七之助さんは、厳島での連獅子の時毛振りを注意されていた。もっともっと勘三郎さんに怒って注意して欲しかったと思う若い方は多いであろう。怒られてもこの人ならと思える関係はなかなか得られるものではない。そんな事をつらつら考えつつ「お祭り」を楽しませてもらった。

 

意外なところで楽しい発見

友人から借りた本を早く読むように催促され慌てて開いたら楽しいことが。(「舞台の神に愛される男たち」関容子著)

役者の柄本明さんが銀座生まれ。それも聖路加病院で誕生している。5、6歳頃銀座から引越しされてしまった。新橋演舞場そばのかつての築地川でボートに乗ったし三原橋の映画館にも覚えがあると。お父さんが殿山泰司さんと泰明小学校の同級生。お母さんは歌舞伎が好きで、両親の映画の話を聞きつつ育ったようである。新橋演舞場での「浅草パラダイス」のときなど銀座生まれのアドリブもなく、筋書きも買わなかったのでこの本に出会うまで全く知らなかった。柄本明さんと和泉雅子さんは同じくらいの年齢である。幼少の頃の和泉さんの探検場所はお聞きしたので柄本さんの探検場所をお聞きしたいものである。お二人がそれぞれの世界観で銀座をちょこちょこ走り回っている姿を想像しただけで楽しくなってしまう。どこかでお二人はニアミスしていたであろう。

殿山泰司さんの人生を新藤兼人監督が映画「三文役者」で表したが殿山さん役は竹中直人さんだった。映画好きの柄本さんのお父上も殿山さんの映画は沢山観られたことだろう。

加藤武さん。この方は歌舞伎通で有名である。生まれが築地で泰明小学校。歌舞伎座の前を通って通学していたのであろう。戦時中、小学生は集団登下校させられ同じ班の下級生に澤村田之助さんがいて、ツー・カーで歌舞伎の名セリフをやりとりしている様子が、子供ながらも得意げで夢中である。歌舞伎座が空襲で燃えてるのも目にしていて、焼けたのは第三期歌舞伎座でその後に建ったのが第四期、そして今のが第五期歌舞伎座である。

この本に登場される役者さんは個性的な方が多い。関さんは高校の歌舞伎研究会に入られ、その他沢山の舞台を観ておられるので実現可能となったのであり、嬉しいことに意外な楽しい話を沢山引き出してくれている。役者さんの幼少時代から入り役者や演出家、脚本家、映画監督などへの経過を聴かれていくが、出会った人などの個性や影響力も感じ取れるような引き出し方で、その影響を与えた人についてももっと知りたくなる。

その一人は、関さんが別本にも書かれている勘三郎さんで想像以上に勘三郎さんは他の方たちの舞台を観られていたことがわかる。

坂東三津五郎さんは良き友、良きライバルであったので勘三郎さんが登場するのは当たり前であるが、三津五郎さんが勘三郎さんを見る視点が三津五郎さんならではで、勘三郎さんの芸に対する冷静さも捉えている。お城の好きな三津五郎さんが勘三郎さんに請われて案内したのが福井県にある丸岡城というのも、小さいがきりっとした古城で微笑ましい。例えば赤穂城をお二人に示したら、三津五郎さんは学術的興味から入られるであろうし、勘三郎さんは内蔵助を演じる前にされた、江戸と赤穂を駕籠で何日で行けるかという発想になるのだろうなあと考える。

その他、三木のり平さん、寺山修司さん、三島由紀夫さん等語る人たちが並みの方たちではないのでいつもの照明ではない光りを当ててくれてきらきら光ったり違う光りかたもあったとも取れる。何かを目指す人間が良き仲間を得たりまた反対にどうしても相容れなかったりという確執も垣間見れ、語り口は優しいが痛みも隠さない意外な怖さもはらんでいる本である。だからこそ<意外なところで楽しい発見>が濃密となるのである。

《柄本明・笹野高史・すまけい・平幹二朗・山崎努・加藤武・笈田ヨシ・加藤健一・坂東三津五郎・白井晃・奥田瑛二・山田太一・横内謙介》