能登半島から加賀温泉郷への旅(2)

加賀温泉郷は、片山津温泉、山代温泉、山中温泉で、今回は温泉好きにとっては残念なのですが、<那谷寺>が第一で、<魯山人寓居跡>が第二なのです。過去何回か計画したのですが、金沢と組み合わせることになり挫折していました。一応金沢は満喫し終わっていますので、<那谷寺>を軸に計画しましたら、素敵なバスを発見しました。<加賀周遊バス/キャン・バス>です。

JR加賀温泉駅前から山まわり・海まわりのバスが出ていたのです。時刻表をながめつつ至福の時です。さあどう回るか。

山まわりで<魯山人寓居跡いろは草庵>→<九谷焼窯跡展示館>→<那谷寺>→JR加賀温泉駅前にもどり、海まわりで<北前船主屋敷蔵六園>→<北前船の里資料館>→JR加賀温泉駅前

北前船のほうも回れるとは思っていませんでした。雨と時間の関係でひとつ、ふたつ変更を入れておきましたが、予定通りまわれました。キャン・バスには、車掌さんとガイドさんを兼ねたかたが乗られていて、乗る人が何処で降りるかによってその場所の案内や解説を加えて下さり、その他切符の利用方法も教えてくれます。パスポート券もありまして加賀温泉に宿泊した方用のクーポン券もありで選択肢が乗られた方に聴かれ適切にアドバイスされます。

山中温泉の自然を歩きたいという方達には、CMで吉永小百合さんの立っている「こおろぎ橋」などもいいのではと話され、そうですよねとお客さんもうなずかれていました。なかなか面白い試みのキャン・バスです。

最初に乗った山まわりのバスとJR加賀温泉駅前で海まわりのバスが同じバスで、パスポート券を出そうとすると車掌さんに、顔パスで大丈夫ですと言われてしまいました。<北前船主屋敷蔵六園>から<北前船の里資料館>は近いので歩いて行けて、もし時間があったら<北前船の里資料館>から<橋立漁港>バス停まで歩いて雰囲気を楽しんでくださいとのアドバイスありで、地図も渡してくれましてその通りにしました。

北前船主屋敷蔵六園>に内田康夫さんの『化生の海』の文庫本があり、どうやら北前船のことが関係しているようです。今読んでいますが、死体が浮かんだのが<橋立漁港>だったのです。

魯山人寓居跡いろは草庵>は、山代温泉にあり2002年から一般公開されました。旅館「吉野屋」の主人・吉野治郎さんが自らの別荘・いろは草庵を北大路魯山人さんに提供し、他の旦那衆が集まり文化サロンとなりました。

魯山人さんを旦那衆に紹介したのが、金沢の細野燕台さんで、自分の書いた吉野屋看板を魯山人さんの彫った看板のほうがよいと自分のを下ろして魯山人さんの看板を掛けさせたそうで、両方展示されていました。魯山人さんのは刻字看板で力強いですが、細野さんの看板の字も優しい味わいあるものでした。

他の所ではよく喧嘩をしていた魯山人さんも山代では一度も喧嘩をしたことがなく、書家、篆刻家に加えて、茶、美術、骨董、陶芸、食などに精通した場所でもあり、山代は魯山人さんも大切に想われていた場所です。いろは草庵の建物の中も心静かに落ち着ける場所で、茶室もそれとなく気取らずに位置していて好い感じで、出されたお茶を庭を眺めつついただきゆったりゆらゆらです。

九谷焼窯跡展示館>は、明治に九谷陶磁器会社が設立され高い生産量をあげていました。魯山人さんが、自分の師とする初代・須田菁華さんなど多くの陶工さんが関わっていましたが、その事業期間は短く、そのあとも志は引き継がれてました。昭和15年まで使われた大きな登り窯跡があり燃やす薪の量がいかばかりであったか想像するだけで溜息がでます。

昭和15年から40年頃まで使われた九谷焼としては最古の本焼窯があります。小規模でも一回の窯詰めで1000個入ったそうです。

体験もでき、店の間は展示室にもなっています。囲炉裏がありまして陶芸家さんがお茶を入れてくださり、ずうずうしくもお話しを聞かせていただきました。

成形と絵付けの両方をされていて、どうして両方なんですかとお尋ねしますと、「形あるものは置くという前提がありますが、絵は飛べるんです。シャガールの絵は人が飛んでいますよね。」 「九谷は有田の土に比べると不純物が多いため真っ白ではないので、それを隠すために絵付けしたのかもしれません。」有田の土は使われたことありますかとお尋ねすると「使いました。でも九谷の土のようには上手く成形ができないのです。やはり九谷の土にもどりました。」

こんな感じで拙い質問にも真摯に答えて下さり、物を作り生み出すかたの想いに触れさせていただき、大変貴重な時間を過ごさせていただきました。時間があったらもっとお話をお聴きしたかったです。

 

能登半島から加賀温泉郷への旅(1)

能登演劇堂での無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』の観劇を決めてから、能登半島と加賀温泉郷の旅の計画をしました。さてどう回るか。

能登演劇堂へは金沢駅、七尾駅、和倉温泉駅からの予約制の送迎バスがあり、七尾は長谷川等伯さんの生誕地です。駅の近くに明治から昭和初期に建てられた商家が残る一本杉通り商店街があり、送迎バス時間までの約2時間をこの商店街散策にあてました。

七尾には前田利家さんが小丸山城を築いていて、北前船の寄港地でもあったのです。駅前には長谷川等伯さんの像がお出迎えです。といっても等伯さんは何を目指されているのか笠を上に持ち上げ遠くを眺めておられます。

「高澤ろうそく店」では、絵ろうそくやこんな風なろうそくもあるのかと眺めているだけで楽しかったです。「花嫁のれん館」では、お嫁入りの日に婚家の仏間の入口に花嫁がくぐる花嫁のれんが展示されていて解説もしてくれます。加賀藩の領地で幕末から明治にかけて始まったということで、もっと古くからの習慣と思っていましたので意外でした。お婿さんに入られるときには、花婿のれんもありました。紋は実家の紋で、一生に一度だけ使われるのです。

毎年、花嫁のれん展の時期には、一本杉通りの商家や民家に花嫁のれんが掛けられるそうで、美しいのれんですので、一度だけというのは勿体なさすぎますので多くの人に愉しまれるほうがいいとおもいます。金沢からのJR七尾線には、花嫁のれん列車というのも走行しているようです。

仏壇も立派で、七尾仏壇といい、利家さんが地元の産業起こしを考えて奨励したようです。「花嫁のれん館」のそばに利家さんとまつさんの像があり、小丸山城址公園に上がって行けますが、時間の関係で上までは行きませんでした。

能登演劇堂での観劇感想はこちらで。能登演劇堂・無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』 

次の日は、能登半島の観光ですが、行きたいところが含まれている定期観光バスが和倉温泉バスターミナル出発の「おくのと号」なのです。

輪島朝市輪島キリコ会館白米千枚田道の駅すず塩田村→珠洲ビーチホテル(昼食)→見附島<軍艦島>→のと里山空港→輪島ふらっと訪夢→和倉温泉バスターミナル→和倉温泉駅

一番行きたかったのが<揚げ浜式>で塩づくりをしている「すず塩田村」です。東京の墨田区にある「たばこと塩の博物館」で塩の作り方と生産地の変遷の講演をきいたことがあり、能登に<揚げ浜式>が残っていることを知ったのです。ものすごく大変な作業で、天候に左右され、行った10月20日は曇りで時に雨で、数日前の天気の日で今年の塩作りもお終いなのかもしれませんと言われていました。海水を汲んできて塩田に海水を撒くのですが実際にやってくれましたが、均等に遠くまで広く撒かなくてはならないのです。お見事でしたが、名人になると虹がみえるのだそうです。

この定期観光バスはガイドさんがつかず運転手さんが、歴史的なことは案内の録音を流してくれるのですが、地元のかたなので、実際の生活のエピソードなどをまじえてくれて、ではこの町につて案内しますと録音をながしてくれますので、親しみと客観性が相まって楽しい観光でした。

行くところそれぞれが興味深く、輪島なども廃線で鉄道がなくかつての駅は、道の駅になっていました。輪島の朝市も楽しかったです。見ていませんが朝ドラ「まれ」のロケ地だったのですね。何かなと思って入ったところに、「まれ」に出て来たのでしょう理髪店などのセットの一部があり、さらに映画のロケ地案内がありました。『能登の花嫁』(見ていません)『幻に光』『君よ憤怒の河を渉れ』(見ていますが『君よ憤怒の河を渉れ』は意外でした)そして、5月に公開されたという『追憶』がありました。11月にDVDの新作として出るようなので見ることにしますが、富山に渡る広範囲のようです。

輪島キリコ会館では、神様の道を照らす大きな細長い奉灯(キリコ)が展示されています。ぐるっと上からも眺めることができ、本当に日本には様々な様式のお祭りがあるものだと感心します。お祭りの映像もありましたが、暴れ祭りといって、御神輿を川へ投げたりふみつけたり、火の中へいれたりとまさしく暴れまわります。そうした幾つかの祭りを総称してキリコ祭りというようです。

千枚田は海に面した想像していたよりも狭い段上の田んぼでした。狭い段差のある土地ゆえの工夫ではあるのですが。夜はLEDの明かりが観光写真のように美しく輝き、その姿を照らしだすのでしょう。

珠洲(すず)では、黄色い標識のようなものがあり、運転手さんが説明してくれました。珠洲市は能登半島の最先端で今では不便なところなのですが、<奥能登国際芸術祭スズ>というのを開催(9月3日~10月22日)していて、色々なアートを展示したり、掘り起こしたりしてそれの案内板にそって自分たちで捜しあてていく催しなのだそうで、若い人が集まり予想以上の集客力となったそうです。

見附島<軍艦島>のところにも、その芸術品がありますから見つけてくださいとのことでしたが、見つけた人はガラクタの様でよくわからなかったと言っていました。私は海の中の見附島を方角を移動しつつ眺めていましたので、場所の違う砂浜に置かれたアートには気がつきませんでした。面白い試みだとおもいます。探してアートと思うかどうか、ケンケンガクガクもいいのではないでしょうか。

さらに源義経さんが兄・頼朝さんの追っ手から船を隠したという場所もあり、能登は平時忠さん(平清盛の義弟)が流されたところでもあり、平家の郷があり、歴史的にも興味深い地でありました。

和倉温泉から能登島大橋を渡り能登島を通り、ツインブリッジで能登半島に入り輪島へ進み、そして奥能登を周遊するコースで満足感たっぷりでした。このコースを選んだ甲斐がありました。

 

 

国立劇場10月歌舞伎『霊験亀山鉾』(2)

この作品は、国立劇場では平成元年、平成14年、今回の平成29年と三回目の上演で、平成14年に上演されたものを踏襲されています。平成14年はどう変化させたかというと、70年ぶりに復活させた駿州の<弥勒町丹波屋の場><安倍川返り討ちの場><中島村入口の場>で、そこから<中島村焼場の場>につながるのです。丹波屋は揚屋で郭なのです。

そこで、水右衛門、香具屋弥兵衛に身をやつしている源之丞、源之丞の子を宿す芸者・おつま(雀右衛門)、八郎兵衛(仁左衛門)が入り乱れるのです。八郎兵衛は水右衛門にそっくりなため、おつまは源之丞の敵の水右衛門と勘違いして八郎兵衛に快い返事をします。ところが、人違いで本物の水右衛門がこの丹波屋の二階にいると知り、八郎兵衛を袖にします。八郎兵衛はそれを逆恨みし、さらに水右衛門も源之丞とおつまの関係を知るのです。

弥兵衛実は源之丞の町人としても身のこなし、同一人物と思われるくらい似ていても小悪党の八郎兵衛、そのあたりがまた見どころです。

そこには、丹波屋の女将・おりき(吉弥)、飛脚早助(松十郎)が関係していて、全て水右衛門の仲間でさらに、源之丞をおびき出し落とし穴まで掘って闇討ちにするのです。落としいれるならどんな手でも使うという水右衛門です。観客のほうは、水右衛門の悪を忌々しいと思いつつ、こうなっていたのかと愉しまされる結果となるのです。

まだ悪は続きます。水右衛門は姿を隠すため棺桶に入って焼き場へ運ばれます。殺された源之丞も棺桶で焼き場へ。何か起こらないわけがありません。当然棺桶の入れ違いがあります。焼き場でまっているのは、実は焼き場の隠亡である八郎兵衛です。

おつまと八郎兵衛は顔を合わせ、襲い掛かる八郎兵衛をおつまは殺してしまいます。ところが、棺桶から現れた水右衛門は、稲光の雨の中(本水)凄惨にもおつまを殺し、不敵な笑いを浮かべ、悪が流す血は増すばかりです。

場面は明石で源之丞の隠し妻・お松のいる機織りの家です。源之丞には二人の隠し妻がいたことになります。まあそれは置いといて、お松は品物を高い値で買ってくれる商人・才兵衛(松之助)にその上乗せ分を貯めて置いて返そうとします。貧しいのに大変律儀な人柄で、商人はそれは、源之丞の養子家の母・貞林尼からであったことを明かします。

そこへ貞林尼(秀太郎)が現れ、お松と源之丞を祝言させるといい、喜ぶお松です。ところが、源之丞は位牌となっていました。敵討ちが出来るのは血のつながっている者で、残るは、源之丞の息子の源次郎ですが、腰が立たない奇病です。

この奇病を治すには、人の肝臓の生き血がきくのです。貞林尼は自らの肝臓に短刀を刺し命と引き換えに源次郎の奇病を治し、その姿に貞林尼は安堵して亡くなるのです。悪が続いたあとに、情の場面となり若い観客も涙したのでしょうが、しっとりといい場面でした。

お松の兄・袖介(又五郎)が助太刀をし、ついに亀山城下での敵討ちとなるのですが、これには水右衛門の親・卜庵(松之助)が盗んだ鵜の丸の一巻が関係していて、水右衛門をおびき出すための亀山家重臣大岸頼母(歌六)の計らいだったのです。名を変えて現れた水右衛門は正体がばれ、ついに源次郎は母・お松と叔父・袖介に助けられ敵討ちをはたすのでした。

実際の敵討ちの困難辛苦を、舞台の上では歌舞伎独特の悪の華を開花させ、そこから情を含めつつ、溜飲をさげさせるという手法を無理のない強弱で展開させてくれました。友人も言っていましたが、セリフの声がよく、この互いのぶつかり合いが効果てき面でした。

役者さんたちの役どころの配置もよく、それぞれの役どころもその所作や台詞回しでよりはっきり浮き彫りにされ、その上に立つ仁左衛門さんの悪が稲妻のごとく怪しい光を放っていました。

お松の父・仏作介(彌十郎)、兵介に従う若党・轟金六(歌昇)、大岸頼母の息子・主税(橋之助)、石井家乳母・おなみ(梅花)、その他(嶋之亟、千壽、孝志、仁三郎、折乃助、吉太朗、延郎、吉五郎、吉三郎、蝶柴、又之助、錦弥、幸雀)

 

亀山の照光寺には、藤田水右衛門のモデルで討たれた赤堀水右衛門(五右衛門から改名)のお墓があるそうで、知っていれば寄ったのですが。

亀山宿~関宿~奈良(1) この時は志賀直哉さんのことで、その後、桑名から関宿まで歩いたときも亀山宿はまだ志賀直哉さんでした。『霊験亀山鉾』で<石井源蔵、半蔵兄弟の敵討>が加わりました。

この観劇のあと「あぜくらの夕べ 漱石と芸能」という催しがあり参加しました。漱石生誕150年の記念の年で、漱石さんは謡を習っており、小説にも謡曲や一中節のことがでてきて、漱石さんは芸能とどんなふれあいかたをしていたのであろうかと想像しつつ、能楽・森常好さんと一中節・都一中さんのお話をお聴きしました。(聞き手・中島国彦さん)作家の作りだす文字の世界と楽しんだ音の世界との関係。谷崎潤一郎さんに続く国立劇場ならではの企画かなと思います。

あぜくら会会員の催しは、なかなかいいものがあります。無料ですし。あまり言いたくないのですが。なぜなら人数が増えると抽選に落ちる確率も高くなり近頃よく落選しています。歌舞伎好きなかたには楽しみ方の参考になるとおもいます。

漱石に関する公演が12月には国立劇場で『演奏と朗読でたどる 漱石と邦楽』(12月2日)が、国立能楽堂では『特集・夏目漱石・と能ー生誕150年記念ー』公演があります。

国立劇場わきの「伝統芸能情報館」では、「弾く、吹く、討つー日本の伝統音楽の魅力」を開催していまして、関連映像が黒御簾からの舞台を見つつ演奏されるお囃子方さんの様子や、歌右衛門さんの舞台稽古での様子など、音楽中心に見ることができます。歌右衛門さんの身体自体が音楽の宝庫です。玉三郎さんの阿古屋もあります。もう一回観たいと思っていましたら、10月27日までなんです。残念!

 

国立劇場10月歌舞伎『霊験亀山鉾』(1)

もっと早い日程で観劇する予定が用事が入り友人に行ってもらいました。国立劇場初めて、通し狂言初めてで大丈夫であろうかと気にかかりましたが、面白かったとの知らせにホッとしました。

一つの芝居を4時間も観ているのとちょっと引いたそうですが、観ているうち引き込まれ長く感じなかったそうで、「立つことの出来ない孫のためにお婆ちゃんが、自分の臓の生き血を飲ませて孫が立てるようになるんだけど、私も物語に入っていたけど、あなた、近くの若い女の子は泣いていたわよ。」とのことでした。お芝居の展開がスムーズで分かりやすく、涙を誘うまで高揚させる舞台であったということでしょう。

さて、観劇の感想ですが、やはり何んといっても、色悪の仁左衛門さんの魅力がお芝居の流れに添って大きくなっていく楽しさです。二役ですが、両方ともに悪役で、その違いもくっきりと演じられました。実際にあった伊勢亀山城下での敵討を題材にして四世鶴屋南北さんは4つも作品を書いていて、その一つが『霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)』で、鉾は、お祭りのほこで、亀山八幡祭りの日に敵討がなされ、威勢よく傘鉾が出てくるのです。

敵討ですから色々な場所へ話しが飛びます。甲州石和(いさわ)は石和温泉が有名ですし、播州明石となれば源氏物語、駿州安倍川となれば静岡の安倍川近くで、ここでは遊郭と焼き場が重要な場面となります。そして、勢州亀山となります。旧東海道を歩いた時、亀山宿で確かにこの敵討をした<石井兄弟敵討の碑>があったのです。ながめつつ聞いたことがないけれどずいぶん立派な石碑だことと思ったのです。江戸時代には曽我兄弟と重ねて語られるほど評判の敵討だったようです。

藤田水右衛門(仁左衛門)は、遠州浜名で石井右内を闇討ちにし、その弟・石井兵介(又五郎)が石和で掛塚官兵衛(彌十郎)の検使のもと仇討ちをしようとしますが、水右衛門と官兵衛は懇意な中で、兵介のほうの水盃に毒をもり、兵介は無念なことに死んでしまいます。

敵討ちは、右内の養子の源之丞(錦之助)に引き継がれます。源之丞は実家は明石なのですが、お松(孝太郎)との不義から右内のところへ養子にだされていたのです。お松との間の長男・源次郎は、腰の立たない奇病で、お松は機織りをして子供を育てており源之丞が帰ってきました。兵介を心配する二人ですが、兵介が返り討ちにあったことをしります。

そしてこの源之丞も、水右衛門にまたまた闇討ちにあってしまうのです。水右衛門は二人も返り打ちにしてしまうのです。それも汚い手をつかって。如何に水右衛門が悪党だかわかりますが、色悪は、悪いやつだがちょっとその悪には、ぞくっとする色気があり華があります、とこなければいけないわけです。その色悪ぶりをしっかり仁左衛門さんは見せてくれるわけです。

さて、若い女の子が泣いたという場面までどう展開するかは次といたします。読むより観たほうが面白いとおもいます。

 

能登演劇堂・無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』

一度は訪れて仲代達矢さんの舞台を観劇したいと思っていた能登演劇堂での『肝っ玉おっ母と子供たち』です。舞台の背後が開かれ、そこにある自然と舞台が創り出す空間はそれだけで感動です。映像ではとらえられない圧倒感であり、舞台は生きているとおもわせてくれます。

スタッフ(ボランティアの方かもしれません)の方に、舞台後ろは、演劇の無い時自由に見れるのですかと尋ねましたら、「見れますが舞台のような風景ではありません。舞台のために造りますので、その為に穴を掘ったりなど造形しているのです。」とのことで、主軸は変わらないのでしょうが、舞台に合うようにあの風景は造られているわけです。灯りの火が燃えていて戦場のその中を進む<肝っ玉おっ母と子供たち>の幌車です。

幌車は幌馬車ではありません。自分たちで引いて移動するのです。時代は「30年戦争」と言われる1618年から1648年なで断続的に続いたカトリックとプロテスタントのキリスト教を二分する戦いで、その戦いの移動とともに<肝っ玉おっ母と子供たち>は商売をしながらついていくのです。

肝っ玉おっ母は、父親の違う三人の子供を育て、真っ当な仕事と信じて兵士たちにお酒を飲ませたり、日用品などを売って生活しているのです。兵士たちは、お金を出して雇われた傭兵です。肝っ玉おっ母の大きいあんちゃんと小さいあんちゃんも肝っ玉おっ母は好きですが、もっとお金が貰えて楽しいことがあると言われると幌車を引くよりもそちらの生活に魅かれてしまいます。

二人の息子は、肝っ玉おっ母の兵になることは死ぬことだという言葉も耳に入りません。肝っ玉おっ母は、プロテスタントに勢いがあればプロテスタントの旗を、カトッリクに勢いがあるとカトリックの旗を掲げて商売をします。休戦になると肝っ玉おっ母は商売にならず、戦争があればこその商売なのです。

しかし、肝っ玉おっ母の生きかたに破たんが生じてきます。確かに肝っ玉おっ母の生き方はたくましく子供を想う愛で満ちていますが、そこにはウソも繕いも偽善もあり、それでも生きて行こうとする民衆の生き方など戦争はサァ―と風が吹けばだれかれ関係なく吹き飛ばしてしまうのです。

末娘は、言葉を発することが出来ず、自分の思っていることを伝えることが出来ません。それだけに、心の中で熟慮しているのかもしれません。しかし、彼女だって、美しい帽子や靴、恋にもあこがれを持っていて、肝っ玉おっ母に対しても全面的に信頼しているわけではありません。そして、彼女は自分の意思に添って行動します。

鉄砲の玉が頭上を飛び交う中、大きな戦争という風の吹く流れの中、どんな生き方をすればいいというのなどと考えている時間もなく、ただ食べ生きていくために生活の糧である幌車を引きながら肝っ玉おっ母は今日も商売相手の軍隊を追いかけるのです。

仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、時には陽気に、時には怒り、嘆き、悲しみつつ子供たちや、肝っ玉おっ母のもとに集まる人々と冗談を言い、お酒を飲み、商売をします。肝っ玉おっ母の生き方が真っ当とは言えないだけに、肝っ玉おっ母の仕事を手伝ってついてきたり、本音を言って自分の利益を推し量ったりする人も登場します。

戦争という風のなかで、真っ当な生き方などできるのでしょうか。人が殺し合う状況の中でこれが正しい生き方であるなどという道など見つけられない空気で覆われてしまうでしょう。

そもそも汚れつつ人は生きて行かなくてはならない宿命なのだとおもいます。迷いつつ、汚れつつ、絵でかいたような美しい生き方などないでしょう。ただ、平和であれば立ち止まって考える時間はあるでしょう。仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、長い戦争のなかでの、そんな矛盾だらけの一人の母の姿を見せてくれました。

語りと唄での場面設定の紹介も、肝っ玉おっ母と子供たちのこれからの場面、場面を静かに暗示してくれます。

美しく美しく生きようとしてもそれは、周囲がまき散らす美辞麗句の飾り物でしょう。その中には、あらゆる混沌が、不純物が含まれています。肝っ玉おっ母には美辞麗句も悔恨もありません。だからといって他にどんな生き方ができたのか。劇作家のブレヒトは、この舞台では一人一人に捜させるということを、観る者に提示するという、冷静さをもった作家だとおもいます。ですから、暗さのみを強調することもありません。

肝っ玉おっ母には、同情したり、そのたくましさに感嘆もしますが、待て待て、本当にそうかと思わされるのです。そのあたりが、単純ではないこの舞台です。

カーテンコールの時、仲代達矢さんの役者人生の道標を示され、無名塾の母であり演出家であった隆巴さんの写真に、無名塾の出演者全員で頭を下げられるのが印象的です。

能登演劇堂は、のと鉄道の能登中島駅から歩いて20分位のところにありますが、金沢駅、七尾駅、和倉温泉駅からの予約制のバスが出ていまして、旅の計画を立てやすくしてくれました。

次の日、奥能登の定期観光バスで、中島町を通りまして、仲代達矢さんと能登演劇堂の関係も紹介してくれました。帰りにも紹介してくれましたので、行ってきましたと申告しましたら、他にも私もというかたがおられ、さらに観光バスの運転手さんのお母さんがボランティアで出演したことがあるということでした。

今回も遠くを歩く傭兵たちは、ボランティアの方々です。

肝っ玉おっ母は、年齢を超えた膨大なセリフの量と動きの〔上演時間80分、休憩20分、上演時間80分〕の舞台です。それをも越えて演じられる役者・仲代逹矢さんというのは何んと表現すればいいのか言葉が出てきません。

2017年11月12日まで。

作・ブレヒト/翻訳・丸本隆/演出・隆巴/舞台統括・仲代達矢、林清人/音楽・池辺晋一郎/出演・仲代達矢、小宮久美子、長森雅人、松崎謙二、赤羽秀之、中山研、山本雅子、本郷弦、鎌倉太郎、進藤健太郎、川村進、渡邊翔、井手麻渡、吉田道広、大塚航二朗、十代修介、高橋星音、田中佑果、高橋真悠、上水流大陸、島田仁、中山正太郎

 

 

歌舞伎座10月『沓手鳥孤城落月』『漢人韓文手管始』『秋の色種』

沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』は、大阪夏の陣での豊臣家最後の状況を坪内逍遥さんが脚本化したものです。(石川耕士 補綴・演出)

見どころは、淀君の心の動きということになりますが、玉三郎さんがその荒れ狂う機微を表現されることです。事に至って、秀頼(七之助)の正室で家康の孫である千姫(米吉)が、奥女中常盤木(児太郎)の導きで大阪城から脱出しようとしている現場を淀君は目撃します。

淀君にとっては、裏切りと家康の指図に煮えくりかえり、千姫にその気持ちをぶつけます。常盤木は舌を噛み切り、導いた局は斬られます。さらに、淀君は自分に仕える奥女中たちにも何をしていたのかと叱責します。そんな事がありながら、庖丁頭・与左衛門(坂東亀蔵)が台所に火をつけ混乱の中から千姫を城外へ逃がします。

淀君は、刻々と豊臣家の滅亡の中で、秀頼を守れない母としての想いと自分のかつての栄光などが入り乱れて、苦しい葛藤が起っているのであろうか、正常な状態を保てなくなっています。そんな母を前にして秀頼は母を殺し自分も死のうとしますが周りの説得で開城を決心します。

玉三郎さんの淀君の気魄に、周囲の役者さんも淀君に平伏したり、言上したり、なだめたりと必死さが出て、緊迫感がでていました。そういう点ではリアルさも増幅された芝居となりました。

淀君と秀頼は炎に包まれての自害や死までが描かれることが多いので、心理面での場面で終わる逍遥さんのこの作品は、難しく、やはり淀君の玉三郎さんの大きさで支えられた芝居となりました。

正栄尼(萬次郎・あの独特のお声で押さえがきいていました)、大野修理亮(松也)、饗宴の局(梅枝)、氏家内膳(彦三郎)

漢人韓文手管始(かんじんかんもんてくだのはじまり)』<唐人話>は、江戸時代におきた朝鮮国の使節が殺された実際の事件を題材にしていますが、場所を長崎に変えています。芝居の見どころは、役として「ぴんとこな」、「つっころばし」、「たちやく(立役)」がはっきりと印象づけられる芝居であるということでしょう。

「ぴんとこな」の代表は『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢のような色男の和事でありながら武士の心意気もあるという役どころのようですが、鴈治郎さんの十木(つづき)伝七は、さらに一生懸命なのであるが観客側からするとその一生懸命さに可笑し味と愛嬌も見え隠れするという味も加わるという役柄でした。

唐使接待役を仰せつかった相良家の若殿・和泉之助(高麗蔵)は、例によりまして頼りなく女にもてて身請けしたい名山太夫(米吉)がいますがお金がなく、さらに唐使に献上すべき家宝の槍先の菊一文字を紛失しているのです。色男だが頼りない、お金がない、家宝紛失の三無いづくしの「つっころばし」で、高麗蔵さんです。十木伝七は、相良家の家老で高尾太夫(七之助)と恋仲です。

「たちやく(立役)」は、通辞の幸才典蔵(こうさいてんぞう)の芝翫さんで、伝七と高尾太夫の深い仲を知らず、高尾太夫との取り持ちを伝七が引き受けてくれたと勘違いして、唐使呉才官(片岡亀蔵)が横恋慕している名山太夫の身請けの金も用立て、偽物の菊一文字も本物だと偽ってやると請け合います。

そこまでの経緯がそれぞれの役柄で演じられ、なんとかここまであたふたとして道筋をたてた伝七は柔らかさと懸命さで働きます。

ところが、高尾太夫と伝七の仲を知った典蔵はがらりと態度を変え、菊一文字を偽物だといい、名山太夫を呉才官に渡します。この変化を芝翫さんは上手くあらわし、それにあたふたする高麗蔵さんとそれを補佐する鴈治郎さんがそれぞれの役どころを掴み繰り広げてくれます。上方独特の持ち味です。

辱しめを受け我慢が爆発し、伝七は典蔵を殺してしまいます。そこへ奴光平(松也)が本物の菊一文字のありかを知らせに来て、伝七は本物を手に入れるため走ります。

話しは他愛無いですが、三役が上手く演じわけられ面白い舞台となりました。

千歳屋女房(友右衛門・珍しく女方ですが違和感ありません)、珍花慶(橘太郎)、須藤丹平(福之助)、太鼓持(竹松、廣太郎)

 

秋の色種』は、現実の気候はおかしいですが、舞台は理想的な秋の装いでした。背景が薄い水色系に秋の草花が程よく描かれ、玉三郎さんは高島田の前には輝きを押さえた金の花櫛で、着物は薄い紫のぼかしから薄い水色にかわり、袖と裾に秋の草花が刺繍されています。扇が秋風にここちよいほどに優雅に遊び、秋の虫の音に聴き入ります。

静かにしましょうとそっと梅枝さんがピンク系で、児太郎さんが朱色系のぼかしをいれた着物姿で花道からあらわれます。

あの扇使いは無理であろうから使って欲しくないなと思っていましたら、そこでお二人は使われませんでした。

終盤近くで、玉三郎さんが上手に消えて、梅枝さんと児太郎さんはお箏の前にすわります。誰もいないお箏が最初から気にかかりましたが、そういうことですかと、やはりサプライズありです。何事でもないようにお二人は箏を演奏されます。

それが終わり出て来られた玉三郎さんは黒の着物で、櫛と笄のみの名前はわかりませんが好きな髪型です。がらっと雰囲気が変わりこれまたサプライズです。三人で静かに扇を使われて終わりました。谷崎潤一郎も好んだと言われる『秋の色種』、堪能しました。満足感でいっぱいです。

 

歌舞伎座10月『マハーバーラタ戦記』

<新作歌舞伎 極付印度伝>とあります。「マハーバーラタ」は世界三大叙事詩の一つで、あと二つはギリシャの「イーリアス」と「オデュッセイア」だそうです。原作は膨大で手も足もでませんから、歌舞伎座の舞台で触れさせてもらうことにします。(脚本・青木豪/演出・宮城聡)

チラシ置きコーナーに、『マハーバーラタ戦記』の神たちと人物相関図がありました。この図がなくても、セリフを聴いていると何が起ろうとしているのか、どういう人物が出てくるのかは大体わかります。国立劇場で上演される菊五郎劇団の新作歌舞伎をイメージしていましたら、それとは違うセリフ劇でした。動きが少ないだけにセリフは聴きやすいです。

神の世界と人間の世界に分け、当然神様たちが人間界を眺め、人間は戦さを始めるらしいがどうするかと話し合いがもたれます。主なる神は、那羅延天(ナラエンテン・菊五郎)、シヴァ神(菊之助)、太陽神(左團次)、帝釈天(タイシャクテン・鴈治郎)、大黒天(楽善)、多聞天(彦三郎)、梵天(ボンテン・松也)の7神です。

古代インドの神々は知りませんので、シヴァ神や太陽神と並んで帝釈天、大黒天、多聞天が出てくるのが不思議な気持ちでした。話し合いの結果、様子を見ようということになり、太陽神は争いをさけ和をもって平定する自分の子を、帝釈天は力をもって支配する自分の子を人間界に送りだします。ここから人間界となるわけです。

子を宿すのが、(ここから人間界の人物はカタカナにします)クンティ姫(梅枝)で太陽神の子・カルナ(菊之助)はガンジス川に流され、帝釈天の子・アルジュラ王子(松也)は、クンティ姫の三男として育てられます。弓の名手に成長したカルナは王位継承の争いに巻き込まれ、結果的にはこの異兄弟同士の、一騎打ちの戦いとなります。

象の国のクンティ姫(時蔵)の夫は亡くなり、夫の亡き兄の先帝の長女・ヅルヨウダ王女(七之助)は自分に王位継承権があるとしてと弟王子(片岡亀蔵)とともに主張し、仙人クリシュナが仲裁に入ります。

カルナは自分がこの世を救う者であることを夢で知り、育ての親(萬次郎、秀調)のもとを離れて弓技を磨く修業にでて、この王位継承争いの中に係ることとなります。ヅルヨウダ王女はカルナを自分の永遠の友人となることを約束させます。ヅルヨウダ王女の本質を見抜けないカルテの呑気さが少々きになるところです。

クンテ姫には五人の王子がいます。ユリシュラ王子(彦三郎)、ビーマ王子(坂東亀蔵)、アルジュラ王子、双子のナクラ王子(萬太郎)、サハデバ王子(種太郎)です。ヅルヨウダ王女はユリシュラ王子を賭け事に誘い、いかさまで全ての兵力やアルジュラ王子の婚約者・ドルハタビ姫(児太郎)まで賭けのかたに奪おうとしたり、五人の王子を招待して焼き殺そうとしたりします。

それでもカルテはヅルヨウダ王女を永遠の友として、自分の倒すべき相手は、力で治めようとするアルジュラ王子であることを知り二人の対決となるのです。対決すべきアルジュラ王子が、帝釈天が言った力でおさえる性格より優しくて、自分がカルナと血のつながった兄弟であることを知っていて最後は、カルナもそのことがわかり、わざとアルジュラ王子に殺されて死ぬのです。

何かすっきりとしませんでした。その後神々があらわれて、象の国はユリシュラ王子が国を治めたといい、なぜなら彼には欲というものがないからであるというのですが、賭け事で物に対する執着心なく次々賭けていきますが、それが欲が無いとは違うであろうと思えました。

一応、まだ人間たちを生かしておいていいであろうということで、人間界は滅亡することなく続くということに決まります。

考えてみますに、太陽神の子カルナが自分の力を過信し、帝釈天の子アルジュラ王子が力ではなく情があり、それは人間界で生きていくうちに変わっていったことで、最後にカルナがそれに気がついたということなのでしょうか。そういう結論になってしまいました。

和だけではない楽器の生演奏も入り、古代インドの雰囲気も加わりました。ただ、両花道のつらねのときの音はいらないとおもいました。リズムが頭に響いて歌舞伎ならではのつらねのセリフの良さを邪魔されてしまいました。

舞台の大きな屏風様の背景が圧迫感があり、カルナとアルジュラ王子の一騎打ちになって初めてこの屏風が畳まれ、その回りを馬の引く一人乗り戦車機でカルナとアルジュラ王子が走りまわります。初めて観る舞台光景で新鮮でしたが、このためだけだとすれば勿体ない気もしました。せっかくの舞台空間なのですから。

シキンピ(梅枝)とビーマ王子のところは、二人で踊ってもいいのにとも思いました。ヅルヨウダ王女側と五人兄弟との対立が、神の子であるカルナとアルジュラ王子の一騎打ちで代表され、歌舞伎的大団円がなく、スペクタクルさにかけたのが少し寂しかったです。

叙事詩的であったということでしょうか。セリフ的にも聞きやすかったのですが、歌舞伎的セリフ術を味わうというわけにはいきませんでした。若い役者さん中心の世界三大叙事詩の一つの歌舞伎化ということでしょう。若い役者さんあっての歌舞伎化といえるのでしょう。

その他の出演/ドルハタ王と行者(團蔵)、修験者ハルカバン(権十郎)、シキンバ(菊市郎)、ラナ(橘太郎)

 

 

新橋演舞場 再演『ワンピース』観劇一回目

2015年の『ワンピース』が帰って来ました。ただ猿之助さんのルフィが難破したらしいとの情報が入り心配でしたが、白い島に無事漂着したらしいので先ず一安心です。その次の日に尾上右近さんの代役二代目ルフィ(二代目といってよいとおもいます。)を観劇することとなりました。

実は、チケットを取る日が遅れて、特別マチネの券は購入できなかったのです。仕方がない、マチネは11月と思っていましたら、10月に観れることとなりました。11月にはマチネの役者さんもかなり役が身についているでしょうとおもっていたのですが、何んと10月の始めからこの出来上がりなのかと驚きました。

結果的に、猿之助さんの演出家としての力を見せつけられたのと、初演の『ワンピース』が練り込まれてバージョンアップして個々の役が濃厚になり、その中で鍛えられ、二代目ルフィを持ち上げて舞台に飛ばすことができたわけです。事故は突発的なことですが、舞台はそれに対処できるように積み上げられていました。

2015年の感想で 新橋演舞場 『ワンピース』 <2年後には船長ルフィと仲間が船出できることを祈る。>と書きましたが、それはこの歌舞伎演目、海外に船出できるとの想いからだったのです。それが新橋演舞場に再上陸して観劇し、そうかここまでバージョンアップできる可能性を秘めていたのかと納得しました。

ハリウッドで実写映画が作られるということですから、実演で海外に船出するチャンス到来とおもいますが、宙乗りは海外では無理なのでしょうかね。猿之助さん白い島で考えて下さい。

ニコ・ロビン、ナミ、ゾロ、ブルック、ウソップ、サンジ、フランキー、チョッパーの見得のあと後方に名前が出ます。これは大助かりです。ウソップに抱かれたチョッパーに関しては名前が出たかどうか定かではありません。(11月にしっかり注視します。)

尾上右近さんのルフィでわかったのは、猿之助さんはルフィをゴム人間としてゴムまりのような動きを考えられていたようです(勝手に)。狐忠信は人間の姿で狐の習性を見せそれが形となっています。ルフィもそでに去るときゴムまりの弾むような走り方をするのを見て思った次第です。

手が伸びるところで手だけを見せる何人かの黒い衣裳の人と組み合わせて手を伸ばすときのルフィが、間で踊りのような手を使った綺麗な動きを見せますがこのあたりもただ手が伸びるだけではない歌舞伎ならではの動きでした。

ルフィは、兄エースや白ひげや仲間たちに対する想いが膨らむと物凄い弾みがでます。そして自由にどこでも転がって忍び込んだりします。しかし、その対象がなくなると空気が抜けたように動けなくなってしまいます。空気を入れてポンと弾ませてくれる力が必要なのです。その場面も後半の女ヶ島で丁寧に描かれたとおもいます。

ボンクレーと出会う大監獄インペルダウンも前回より印象的になっていますし、ニューカマーランドは、イワンコフを中心にやはり可笑しくて楽しくて愛すべき集団世界でした。

エースを捕らえたセンゴクを頭とする海軍一団も、つるが数回でることによって、人数が増えた白ひげ海賊団とのバランスもとれました。白ひげとスクアードの関係にプラスされて白ひげ海賊団がマルコなど登場人物がふえていました。尾上右近さんは、マルコとサディちゃんで大阪の松竹座から参加されたわけですが、こちらは、隼人さんのマルコで観ることとなりました。宙乗りありで羽根のような衣装がぴったりで、マルコが芝居の中に上手くはまっていて白ひげをより大きくしました。

エースは福士誠治さんから平岳大さんで、赤犬サカズキとの戦いの場のドグマの映像はなかったように思うのですが、(二年前に一回の観劇でしたので、反省し今回は11月も観劇します。)迫力がありました。岩の崩れるところ、他の海賊船が現れる映像も今回印象的でした。

平さんのエースは福士誠治さんのエースより大人っぽい感じで、シャンクスは恰好よく決まっていました。

本水も相変わらず頑張っていて、マゼラン前回あんな高い所から飛んだっけ、体重大丈夫かな。客席への水かけサービス多くなったような。看守役の人たちこんなにすべったかな。お風邪には要注意です。

初参加の新悟さんも前から参加されているような感じで、ニョン婆と三人姉妹のこともよくわかりました。冷静なマリーゴールド、それに従う新悟さんのサンダーソニア、サデちゃんで発散しています。『弥次喜多』で七之助さんに診断されていた竹三郎さんが女医ベラドンナで名医です。

ルフィとハンコックの早変わりもスムーズで、何の問題もありませんでした。元気いっぱいの尾上右近ルフィですが、これからもう少しゴムの弾みと、稚気が加わるといいなあと思いました。まだ少し尾上右近さんの演じるルフィですが、次第に尾上右近ルフィになっていくことでしょう。

ということは、猿之助さんは安心して白い島の駕籠の鳥として、もっと遠くの海と空を眺めていてもいいということになります。さらなる風を集めて帆をあげるために。

『TETOTE』のこの部分速くて波に乗りそこないそうになるんですよね。もちろんファーファータイムはスーパータンバリンで盛り上がりましたよ。マーガレットさんとスイトピーさんごめんなさいです。そちら見る暇なくて自己流で叩き続けていて、終わってみれば左手が痛かった。来月はきちんと指導に従います。以上。

追記: 昨年、シネマ歌舞伎『ワンピース』 見ていたのだ! ぽっかり抜けていました。ショック! 今回の実際の舞台を観つつ脳が探していたのは映像ではなく2015年の舞台の残像なんですよね。しかし、映画を見た事を忘れていたというのはかなり問題ありです。

11月に観に行った時、尾上右近さんのルフィ忘れていて、尾上右近さんのルフィ初めて観ましたと書いたら完全に問題ありです。しかし、猿之助ルフィがうかんだとしてもそれは問題ありとはいえません。

結論です。舞台は自分の眼でとらえたいように主体的に観ていますから記憶として残りますが、映像は誰かさんの勝手な眼ですから記憶としての濃度が薄いのでしょう。そういう事にします。呂上。

 

 

川島雄三監督映画☆『愛のお荷物』☆

赤ちゃん誕生にまつわる風刺喜劇で題名の『愛のお荷物』がなんとも可愛らしくユーモラスであると同時に大人たちの勝手さが見え隠れします。

上映が1955年(昭和30年)で、第一次ベビーブームが1950年前後で、始まりのナレーションも、こんなに人口が増えて将来どうなるのでしょうかと心配しています。今では羨ましい限りということになります。

国会では産児制限の必要性や性に関する論議が活発で、売春防止法が1956年に成立していますから、国会議員が並んでイチニイチニと行進しつつ、赤線地帯に視察に行くなど川島雄三監督の腕は冴えています。

そんな最中、厚生大臣夫人が48歳にして妊娠してしまうのです。子供は少なくしていこうと主張している大臣にとっては、夫人は高齢出産に困惑し、大臣は出生率を押さえる方法を考えて提案している立場上これまた困惑します。そのことはまだ公表されていませんが、国会の答弁から新聞に大臣が赤ちゃんのオシメを替える風刺漫画(清水崑画)が載ったりします。

大臣ご夫婦・新木錠三郎(山村聡)、蘭子(轟夕起子)には、きちんと定職につかず自分の好きな電気器械をいじり研究しながら新内などにも現をぬかす長男の錠太郎(三橋達也)がいます。名前に<錠>がつくのは、この家が老舗の薬屋であるためでしょう。お祖父さんも錠造(東野英次郎)という名で箱根で楽隠居で、薬店は妻に死に別れた番頭の山口(殿山泰司)が任されています。

錠太郎は、恋人である五大冴子(北原三枝)にもどうやら子供ができたようで、結婚したいと父に打ち明けます。五大冴子は錠三郎の秘書をしています。次女のさくら(高友子)には、婚約中の出羽小路亀之助(フランキー堺)がいて、京都に住む亀之助は元貴族の家柄ですがドラマ―で、電話でさくらにドラム演奏を聴かせながらのデイトです。こちらも赤ちゃんができているらしいのです。

結婚している長女夫婦(東恵美子・田島義文)には子供がいないため、私が赤ちゃんを引き取ってあげると軽くいいます。

蘭子の妊娠は誤診とわかり一安心。さくらは、結婚式を早めるため祖父を病気にして作戦成功、五大冴子との結婚を反対していた蘭子も、興信所で調べたら五大冴子が明治の大阪の実業家・五大友厚の子孫とわかりこれも了承となります。

京都で錠三郎は、昔舞子であった頃つき合った貝田そめ(山田五十鈴)に会いたいと言われ会ってみると思いがけないことに、そめは錠三郎に伝えずに子供を産んでいて育て上げ東京に就職したので、一度会ってやってほしいと告げます。錠三郎は承諾します。

その息子・錠一郎(三橋達也)は、錠三郎のいない時自宅に現れ蘭子と会い、帰り際、おばさんのことが好きになりましたと言われ、蘭子も呆気にとられる感じで事実を受け入れるかたちとなります。

番頭の山口はお手伝いのとめとの間に子供が出来、二人も結婚させる事にし、長女も子供が出来たから、他の子は引き受けられないといい、蘭子もガマガエルでの再再検査でやはり妊娠と判明。錠三郎の秘書官鳥井(小沢昭一)も具合が悪く実家に帰っていた妻が妊娠とわかり、厚生大臣の新木錠三郎の周囲には、赤ちゃんが6人生まれることになったわけです。「愛のお荷物」も無事「愛の贈り物」となってめでたく誕生できることになりました。

そしてなんと、内閣改造で新木錠三郎氏は、今度は防衛庁長官に就任ときまりました。

脚本は、川島雄三さんと柳沢類寿さんの二人で、助監督に今村昌平さんの名が映りました。登場人物の名前にも風刺がきいていて、厚生大臣に質問する神岡夏子議員(菅井きん)は神近市子さんをかけているらしく、質問で、厚生大臣はもはや青春の情熱もなく赤ん坊をつくる能力がないなどといわれ、大臣もそれは妻に聴いてみなければわからないことでと答弁していたり、なんともよく注意していないと聞き逃す台詞が飛び交っています。

三橋達也さんは、錠太郎、錠一郎、さらに京都で撮影されている場面で赤ん坊を背負った勤王が三橋さんで新撰組と戦っている俳優の三役です。その撮影を見て一言錠太郎が物申したりとテンポが軽快に進みますから、さらさら流されますが、川島監督流の風刺は結構強いですが、風刺喜劇ですからその手法はきっちり守られています。

それでいながら、祇園での場面などはしっとりと映され、このあたりの映像の変化は喜劇であっても見逃せないところです。

日活映画というと、石原裕次郎さん、小林旭さんらのアクション映画が前面に出されますが、この頃の映画の中の北原三枝さんや芦川いづみさんなどの演技力や、思いがけずちらっと出てくる宍戸錠さんなども楽しませてくれる一因でもあります。

映画館ラピュタ阿佐ヶ谷で、轟夕起子さん特集をモーニングショーのみ上映しています。宝塚出身でありながら小太りのおばさんの雰囲気も惜しみなく披露され、親しみやすさと天然の育ちの良さなども表現される女優さんです。今年は、生誕100年、没後50年だそうで、50歳で亡くなられているのです。かつての女優さんは短時間で人生の年輪を演じられていたわけです。

そういうところを引き出す映画監督の怖い存在もあったということになります。

 

追記: 子どもの頃、清水崑さんの政治漫画から似顔絵に興味をもったのが和田誠さんで、墨田区の『たばこと塩の博物館』で「和田誠と日本のイラストレーション展」(10月22日まで)を開催しています。『週刊文春』の表紙や作画姿の映像など和田誠ワールド満開です。

テレビで映画『快盗ルビー』(和田誠監督)が偶然見れてラッキーでした。映像が和田誠さんのイラストのように美しい色合いで、お洒落な喜劇です。小泉今日子さんのキュートさと、真田広之さんのずれ具合が軽くて楽しいコンビとなって展開します。

 

劇団民藝『33の変奏曲』

劇団民藝は知らなかった事、考えておかなくてはなどの事柄に灯をともしてくれつつ演劇を楽しませてくれますので、今回はどんな芝居であろうかと好奇心がわきます。

ベートーベンが、ディアベリの作ったワルツをもとに33の変奏曲を作ったという事実に基づき、どうしてなのだろうという疑問から展開していくお芝居です。西洋のクラシック音楽は苦手です。音の組み合わせから情景を想像したり情感を言葉に表すというのは至難の技です。

憎まれ口がまた出てきますが、野田秀樹さんの歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』のラストで音楽が流れて音が大きくなるにつれて涙が出てきまして、「野田さんこれはズルいですよ。」と思って高揚の気分の中にいました。音楽ってそういう効果があるのです。そういう怖さもあります。

演出家の丹野郁弓さんがパンフレットのなかで、自分の演出のときは音楽は最小限度しか使わないと書かれていて、丹野さんらしいなと思いました。ただ今回は生のピアノ演奏を使われ、音楽の力に「どっぷり甘えてみよう」との試みでした。

こちらは、音楽の力よりも台詞の力のほうが作用して丹野さんの試みに応えれなかったことが残念ですが、最初の<主題>のディアベリのワルツが、聴きやすい音楽でいいな!と思っていたら、めちゃくちゃけなされて、やはりこれは駄目だと小さくなってしまいました。ただこれは回復する結果となりますが。

ディアベリという人は作曲家なのですが、その作り出す力がないため楽譜出版もしているのです。自分の作ったワルツをもとに、五十人の音楽家に作曲してもらいそれを出版しようという企画です。ベートーベンはそれを33曲も作ってしまうのです。耳が聞こえなくなる状況の中で。ディアベリは一曲で充分だし、ベートーベンの秘書のシントラ―も身近で世話をしつつ、もっと大きな作品に力を注いでほしいと思っています。

この時代から飛んで現代、音楽学者キャサリンは、どうしてこの変哲もないディアベリのワルツからベートーベンが33もの変奏曲を書いたのかを研究しているのです。ただ彼女は難病に犯されていて肉体は変容していくのです。心配する娘のクララと恋人のマイクをよそにキャサリンは研究に心を躍らせています。観る側も推理劇のように謎解きを楽しみます。

ニューヨークに住むキャサリンは病の身で、ドイツのボンにあるベートーベンの資料のある資料館にいくのです。そこにはキャサリンの謎解きの資料が埋まっていて、資料館に勤める司書のゲルティはキャサリンのよき理解者として自分も一緒に謎解きに参加してキャサリンを支えるのです。

母娘関係が難しいながらもクララは、心配のあまりボンの母のそばにきます。それぞれの関係も変容していきます。

こちらは、台詞ではわかるのですが、音楽ではわからないというこまった症状です。猪野麻梨子さんの素敵なピアノも、それがベートーベンのどういう心の内を表しているのかというベートーベンとの一体化ができなかったということです。

ベートーベンとキャサリンは、生き方としても音楽のなかでも一体化できたのでしょう。変容する肉体と心の在り方において。それはわかりましたのでそれで満足することにします。これは、名を残した人も普通の人も、最後に向かう肉体と心の変容の過程時間をどう刻んでいくかの命題でもあります。

その一例を『33の変奏曲』は提示してくれたのです。そこで、浮かんだのが池田学さんの絵で、大きな宇宙や自然の驚異のなかでも、より良い変容をこつこつと営んでいる人々が無数に今存在しているということです。そう、こつこつ、こつこつと変容しつつ。どう変容するかを探りながら。

ベートーベンもキャサリンもそれを支える人々もコツコツコツコツと生をいとなんでいたのです。そこに何か心躍るものをみつけながら。

近頃、アマやプロの無料の音楽会で演奏を聴かせてもらっていまして、マンドリンの音がこんなにも優しくて繊細な音だったのかということを発見し、音楽に対して少し変容したかなと嬉しくなりました。

ベートーベンの音楽がもう少しわかっていれば、もっと躍動感があったのかもしれませんが、台詞だけでこれだけ感じれたのは役者さんたちの技の賜物です。ベートーベンの音楽をわかる方が観たらどう想われるのか知りたいところでもあります。

作・モイゼフ・カウフマン/訳・演出・丹野郁弓/出演・キャサリン(樫山文枝)、クララ(桜井明美)、マイク(大中輝洋)、ゲルティ(船坂博子)、シントラ―(みやざこ夏穂)、ディアベリ(小杉勇二)、ベートーベン(西川明)

紀伊國屋サザンシアターTAKASIMAYA(新宿南口)10月8日(日)まで

 

劇団民藝で上演した『野の花ものがたり』も人の最後の過ごし方の一つの選択肢を提示していました。鳥取市でホスピス「野の花診療所」を開かれている徳永進さんをモデルにしていまして、終末期の患者さんとどう寄り添っていけるのかということがテーマでした。

ひとりひとり違うわけで、ものすごく重いテーマですが、避けられない問題です。こういう方法もあるなと思わせてくれるのは、一つの灯りになりました。

作・ふたくちつよし(徳永進『野の花通信』より)/演出・中島裕一郎・出演・杉本孝次、大越弥生、加塩まり亜、藤巻るも、白石珠江、和田啓作、松田史朗、桜井明美、野田香保里、箕浦康子、安田正利、横島亘、新澤泉、みやざこ夏穂、飯野遠