映画『ハクソー・リッジ』そして「蘇る戦没学生の音楽作品」

映画『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)は、人を殺す武器は持てないという宗教と自分の体験のに基づく信念のもとに、軍法会議にかけられながらも除隊を拒否しやっと衛生兵として戦場へ行き、傷ついた仲間を安全な場所へ運び命を助けた兵士の実話の映画化です。それが沖縄戦でのことだということを知り急遽見てきました。

意志を貫く青年も凄いですが、やはり沖縄戦がいかに棲ざまじい戦いであったのかということがあらためてわかりました。その前の大戦で戦争に行って心を病んだ父親の姿にも戦争の爪痕は残っており、アメリカ側から見た戦争ですが、何のために人間は殺し合わなければならないのであろうかと敵も味方もなくなって見ておりました。

その後、沖縄の戦争を描いた映画、『激動の昭和史 沖縄決戦』(岡本喜八監督)も見直しましたが、再度、映画としてよく残してくれたと感嘆しました。そして、全然違うきっかけから北野武監督の『ソナチネ』を見て、これは、ヤクザの世界のことであるが、北野監督は沖縄での戦争をも視野に入れて違う形で撮った映画なのではないかと思えました。死ぬことがわかっていながら沖縄に行くことになってしまう主人公。沖縄の美しい自然の中で悪ふざけをして愉しむ姿が可笑しくもあり悲しくもあるという死の匂い。何の表情も見せずに撃ち込むピストルの弾。エンドクレジットの後に映る、時間が過ぎ去り忘れられてしまった当時の釣り道具や舟の残骸の映像。

ハクソー・リッジ』を見たなら、日本側からの沖縄の映画『沖縄決戦』でも『ひめゆりの塔』でもいいですから見て欲しいですね。沖縄に住む人々や兵士がどう闘い亡くなっていったのかを。岡本監督が一番こだわったのは場面は戦闘場面ではなく、夜間の雨も中での群衆の撤退場面だそうです。この場面がなければこの映画を撮る意味がないとまで言われたそうです。そして是非見て欲しいのが『ソナチネ』です。ヤクザ映画と同じにするなというかたもあるでしょうが、設定は違いますが人間の虚しさが共有できます。 映画『沖縄 うりずんの雨』『激動の昭和史 沖縄決戦』

深作欣二監督が、『仁義なき戦い』シリーズで1作目の最初に広島のキノコ雲を2作目から5作目の最後に必ず広島の原爆ドームを映したのは、深作監督の中に燃えたぎる上に立つものへの怒りです。

沖縄の地に立った時、沖縄戦の映画をみているかどうかで感じ方が違うでしょうし、その後で沖縄の自然を満喫していただきたいです。<ハクソー・リッジ>は浦添市の<前田高地>だそうで『沖縄決戦』では、<嘉数高地>とか<棚原高地>などはとらえられましたが、<前田高地>は気がつきませんでしたので再度時間的経過などを確かめつつ見ようと思います。

かつて学徒出陣で戦争に行きやむなく命を絶った村野弘二さんのことを書きましたが、村野さんの作品が7月30日、東京芸術大学で開催されるコンサートで聴くことができます。   白狐の「こるは」

東京藝術大学130周年記念「戦没学生のメッセージ(スペシャル・プログラム)~戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」

童謡「夕焼け小焼」(中村羽紅作詞)を作曲した草川信さんの長男である草川宏さんも東京音楽学校に在学し戦没され、今回『ピアノソナタ』が演奏され、その他の在学した戦没者の作品も披露されます。志なかばで亡くなられた若い人々の、生きておられればやりたかったことの作品が紹介されるわけです。入場券はチケットぴあでも購入できます。

村野弘二さんは作曲家の團伊玖磨さんと同期で、團さんは生きてもどられ、團さんの書かれた随筆『陸軍軍楽隊始末記』を映画化されたのが松山善三監督・脚本による『戦場にながれる歌』で4月にラピュタ阿佐ヶ谷で見ることができました。

戦争末期で音楽経験のない人がほとんどで、猛特訓の末戦場へて旅立ちます。教官とのやりとり、珍演奏に笑いも起こりますが、次第に過酷さだけが映しだされ、映画としての引っ張る力が単調化してしまうのが残念です。森繁久彌さんが中国人で娘の結婚のために踊るため京劇の衣裳での出演で印象を際立てますが唐突な感もあります。後半、松山善三監督のヒューマニズムが多くの出演者を活かしきれなかったところが見受けられました。(児玉清、久保明、加山雄三、加東大介、藤木悠、名古屋章、青島幸男、大村崑、桂小金治、千葉信夫、佐藤充、小林桂樹、森繁久彌)

映画としては、岡本喜八監督の『血と砂』のほうがエンターテイメント性が強いのに心に沁みる度合いが濃いです。音楽性からいっても。松山善三監督のほうは、真面目に多くのものを取り入れ拡散したように思います。岡本喜八監督は、ハチャメチャに撮っているようでいながら一人一人の人物像が生きていて、伝わってくるものがあるのです。  映画 『血と砂』

若人たちが戦争で出来なかったことの遺作が整理され発表され、今の人々とつながることによって鎮魂となれば、こちらも少し救われます。

映画『ハクソー・リッジ』から、戦争での若人の命が投影され、再び光輝くきっかけとなりました。映画館は若い人、中年、老年まで巾ひろいかたが鑑賞していたのが嬉しいです。捉え方はそれぞれでいいとおもいます。色々思い起こさてくれた映画でした。

 

音楽劇『マリウス』と前進座『裏長屋騒動記』

3月日生劇場での音楽劇『マリウス』は、映画監督山田洋次さんが脚本・演出で、5月国立劇場での前進座『裏長屋騒動記』は、脚本が山田洋次監督で演出が小野文隆さんでした。

『マリウス』(「マリウス」「ファニー」より)は原作がフランスのマルセル・パニョルで、日本映画としては日本を舞台として山本嘉次郎監督の『春の戯れ』、山田洋次監督の『愛の讃歌』があります。

あらすじとしては、フランスの港町のマルセーユで恋仲のマリウス(今井翼)とファーニー(瀧本美織)が将来を約束しますが、マリウスは船乗りになる夢が捨てがたく、マリウスの気持ちを尊重してファニーは彼を後押しして海に出してしまうのです。ファーニーはマリウスの子どもを身ごもっていて、マリウスが数年してもどったときにその事実を知りますが、ファニーは、お金持ちの商人・パニス(林家正蔵)と結婚していました。

マリウスは自分の子どもであると主張しますが、その時マリウスの父・セザール(柄本明)がマリウスにいう言葉が心に沁みます。「あの赤ん坊は生まれたときは4キロだった。今、9キロもある。その5キロがなんだかお前にわかるか。情愛ってやつだ。その5きろのうち情愛を一番たくさんやってるのがパニスだ。」

ここにきて、セザールの柄本明さんが、この台詞で全部持って行かれた感じでした。それに負けじと最後は今井翼さんが、『男はつらいよ』のテーマソングから始まるフラメンコを披露してくれました。新橋演舞場での『GOEMON 石川五右衛門』のときよりもフラメンコの腕が上がっていました。

フラメンコは盛り上がりましたが、音楽劇のためか、港町の様子の人物設定などはよく作られたと思いますが、セザールが経営しているカフェでの人々の動きに物足りなさを感じさせられ、そのあたりが残念でした。

映画『春の戯れ』(1949年)は、高峰秀子さんと宇野重吉さんの共演とあって数年前に観たので記憶が薄れていますが、場所は明治の始めの品川で、初めのほうの、宇野重吉さんのマドロスには違和感があり、後半は高峰さんがしっかりした奥さんになっており、二人が再会しての高峰さんと宇野さんの台詞のやり取りにはさすが聞かせてくれますという場面でした。その程度の記憶でしたので、『マリウス』と『春の戯れ』が同じ原作と知り、あの違和感は日本の設定にしたということのように思えました。

映画『愛の讃歌』(1967年)のほうは、舞台と違いカメラが動いてくれますから、設定場所も自在に動いてくれます。場所は瀬戸内海の港町で伴淳三郎さんの食堂を手伝いながら小さい妹を育てるのが親のいない倍償千恵子さんで、恋人役が中山仁さんです。この食堂に集まるのが、個性派の千秋実さん、太宰久雄さん、渡辺篤さん、左卜全さんと医者の有島一郎さんたちです。

海からもどってきた息子は事実を知って父の伴淳さんと対立して飛び出し、その後父親は亡くなってしまいます。倍償さん親子と妹を預かっていた有島さんは、倍賞さんに居場所のわかった中山さんのところへ行くように勧め、見守っていた食堂の仲間たちは、港から倍償さんと子供を見送ります。亡き伴淳さんの親心に対し有島さんがこれでいいだろうというところが、この映画の心でもあります。

港の人々の生活感や心情などからしますと、映画『愛の讃歌』が一番若い二人を支える心情がしっくりくる作品となりました。

前進座と山田洋次監督のコラボ『裏長屋騒動記』は、落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」を合わせての喜劇そのものとなりました。裏長屋に嫌われ者の<らくだの馬>と「井戸の茶碗」の<浪人朴斎とお文の父娘>を隣同士に住まわせるという設定がよかったですね。突然らくだが朴斎の家にフグを料理するために庖丁を借りに来たのには驚きと笑いでした。別の噺の登場人物がお隣さん同士なのです。考えてみればありえますよね。

この噺とお隣さん同士をつなぐのが、くず屋の久六です。自然に行き来できる人物で大活躍です。

それを取り巻く長屋の住人。井戸端と共同便所。これで、裏長屋で二つの噺が展開できます。落語では、らくだは嫌われものであったということですが、芝居では嫌われ者のらくだの馬が登場して、亡くなっても長屋の人々はホッとするのがよくわかります。

馬の兄貴分の緋鯉の半次がこれまた強面のごり押しの人物ですから長屋の人もさっさと帰ってしまい、そこからは半次とくず屋と大家と死人の馬とのやり取りですが、これはよく知られているのではぶきます。

朴斎は元武士ですから考えが硬いのです。くず屋は朴斎から買った仏像を高木作左衛門に売りますが、その仏像から50両でてきます。作左衛門はお金は受け取れないとし、朴斎も受け取れないとくず屋は行ったり来たりあたふたです。生真面目な売り手買い手と、とんでもないキャラの作左衛門の藩主赤井剛正が登場したりしますが、お文は作左衛門とめでたく結ばれ、長屋から木遣りのなか嫁入りとなります。

笑い満載の『裏長屋騒動記』でした。お芝居の基本がしっかりしていて、それを膨らます役者さんの芸もそろい、気持ちのよい笑いを楽しむことができました。前進座の大喜劇作品が一つ加わりました。

くず屋久六(嵐芳三郎)、緋鯉の半次(藤川矢之助)、らくだの馬(清雁寺繁盛)、朴斎(武井茂)、お文(今井鞠子)、高木作左衛門(忠村臣弥)、赤井綱正(河原崎國太郎)

先代の國太郎さんが出演している『男はつらいよ』12作「私の寅さん」は、旅に明け暮れる寅さんが、おいちゃん夫婦と博・さくら一家が九州に旅行に行ったため留守番をするという逆パターンの作品で、寅さんは自分が心配しているのに電話をしてこないと怒ります。そこから自分がいつも心配されていることには一向に気がつかないという寅さんらしさが可笑しいのです。

マドンナの岸恵子さんが売れない絵描きで、その恩師が國太郎さんで、出は少ないですが、岸さんが想いを寄せていた人が他の人と結婚することをさりげなく告げるという重要な役どころです。岸さんのコートの裏があざやかな緋色なのも印象的な作品です。

前進座が創立80周年記念作品として上演された『秋葉権現廻船噺』は観ていないのですが、日本駄右衛門が主人公で七世市川團十郎も演じています。7月歌舞伎座は海老蔵さんが通し狂言『駄衛門花御所異聞』で演じられます。楽しみですが、海老蔵さん飛ばし過ぎのときがありますから、しっかりとした作品に仕上げられることを期待しております。

 

『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(3)

満福寺>から海に向かって歩いていきますと小動の信号がありましてそこを渡って見渡しますと、七里ケ浜、稲村ケ崎、由比ケ浜、材木座海岸などがカーブして目にはいります。この信号から海に突き出ているのが小動岬で、その一番高い所に<小動神社>があり、展望台があります。

 

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小動神社>の説明板によりますと、<小動(こゆるぎ)>の地名は、風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬にあったということに由来し、弘法大師がこの松の命名したともあります。文治年中(1185年)源頼朝に仕えた佐々木盛綱の創建と伝えられて八王子宮を勧進したが明治に入って<小動神社>と改名しています。新田義貞が鎌倉攻めの時には、ここで戦勝祈願したともあります。

7月第一日曜日から第二日曜日にかけておこなわれる天王祭は、江の島の八坂神社と共同で、この時は、御神輿やお囃子と江ノ電が路面で仲良くすれ違うようです。

展望台のところには、「幕末相模湾の忘備を固めた腰越八王子山遠見番所」とあり、おもに異国船渡来の通報拠点としての役割を担っていました。歴史的重要人物の名が飛び交う<腰越>でした。

 

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国道134号線を挟んで<小動神社>の向かいにある<浄泉寺>は、空海開山といわれ、寺子屋が開かれていて、明治に入ってから一時は腰越小学校としての役目も果たしていました。134号線を江の島方面に向かいますと<腰越漁港>がありました。整備されていて、静かな小さな漁港です。

手前の漁業組合の販売所に、「朝とれフライあり」というのが目につきまして入ってみました。そこで食べる人、お持ち帰りの人ありで、アジとサバのフライが一枚から受け付けていて、名前と枚数を書いて「食べていきます」とアジ一枚を注文しました。新鮮な出来立てのアジフライ、中の身は柔らかく外はカリカリで美味しかったです。映画の撮影場所で美味しいものまで食べれて満足でした。

そこから海岸沿いを歩いて鵠沼(くげぬま)海岸まで行きたかったのですが、暑いので江の島の弁天橋を渡り、小田急江ノ島線の片瀬江の島駅から電車に乗りました。小田急江ノ島線は初乗りです。JR、江ノ電に比べると小田急の走る音が一番静かなような気がしました。江ノ電は細かくカーブするので音がでるようで、それがまた魅力なのでしょう。

そんな江ノ電も映画『天国と地獄』公開のころは、江ノ電廃止の検討もされていました。マイカーブームに押されてしまったのです。東京オリンピックの時は江の島が競技会場となり、選手輸送の貸し切りバスでバス部門は追い風でした。しかし残すことを選び、交通渋滞やオイルショックから乗客がもどり今に至っているわけです。

まだ乗っていない<大船>からの湘南モノレールというのが江の島まで走っていますので、こちらも次の機会には乗ってみたいですね。

一応<鵠沼海岸駅>で降りて海岸方向に向かったのですが、行って戻ってくるのもしんどい気分でこれまた次に伸ばしました。<鵠沼海岸>は、小津安二郎監督の映画にでてくるのです。

映画『天国と地獄』の題名ですが、犯人の竹内銀次郎が横浜の自分の住んでいるところは地獄で、権藤金吾が住んでいる高台の冷暖房完備の大きな家を天国だと言ったのです。その天国から権藤は引きずり降ろされたわけです。

しかし、権藤は誘拐されたのが自分の子供ではなかったのに身代金を払い、子供の命を守った行為に対しては世間から称賛を得ました。そして彼には、見習工からたたき上げた靴職人の技があり、良い靴を作りたいという信念がありました。ほぼ戻って来た身代金で権藤は自分の小さな靴製造会社を始めていました。竹内は医者という立派な人命を助ける技を磨く機会がありながら彼はそれを間違った使いかたで天国を目指し、さらなる地獄へと落ちていくことになってしまいました。

結果的には、権藤は竹内によって天国でもない地獄でもない本来の進むべき道へと修正してもらったことになるのかもしれません。

その天国と地獄の実態を知っているのが、戸倉警部たちです。かれらは足を使って地図上の天国と地獄を立体化して見せてくれたのです。

<腰越>という旅の場所が風光明媚なだけではなく、海と山に挟まった地域の生活があり、そして歴史と共存しているところで、日帰りで滞在時間も短かったのですが厚みのある旅になりました。

何かまだあったようなと帰ってから気になり調べましたら、腰越駅の次の鎌倉高校前駅は、ホームから前面が海、海、海の湘南の海で、映画『男はつらいよ』の第47作<拝啓 車寅次郎様>で寅さんが甥の満男に失恋の哲学を語るシーンがこの駅のホームだったのです。江ノ電さん、親しみやすくて、なかなか深いです。

 

『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(2)

映画『天国と地獄』では、無事もどった進一少年の思い出して描いた絵から、監禁されていた場所が藤沢から鎌倉の間と限定し、犯人の電話の中に電車の走る音を発見します。走る電車は国鉄、小田急線、江の島電鉄です。鉄道関係者により録音された電車の走行音が江ノ電であることがわかります。

誘拐した時に使った車が発見され、その車に魚を洗ったような水たまりを走ったようなものが付着しているというのです。漁港があるのは<腰越>だけということになり捜査の手は<腰越>まで進みます。

漁港から江の島が見えます。しかし、進一少年の絵には島ではなく陸続きになっています。漁港の人が、後ろの小動岬(こゆるぎみさき)と江の島が、もう少し後方の高い所から見ると重なって陸とつながってみえるというのです。

刑事たちが車で進んで行くと、権藤家の車が見つかります。運転手は息子を乗せて息子の記憶から監禁場所を探していたのです。危険なことはするなと刑事は注意しますが、進一少年は監禁された場所を探しあてます。しかし共犯者は殺されていました。そこから見ると、江の島と小動岬が重なり江の島は陸続きになっていました。

姿を出さなかった犯人である竹内銀次郎の山﨑努さんも登場し、逮捕し身代金を取り戻すべき捜査陣の包囲網が次第にせばまってきます。

さて江ノ電は藤沢、石上、柳小路、鵠沼、湘南海岸公園、江の島、腰越となり、<江の島>と<腰越>間は道路中央を走る路面電車となるところでもあります。腰越駅はホームが短く一両目はドアが開かないとの放送があり、途中の駅でホームを降りて二両目に乗り替えました。混んでいて車内の移動は無理です。土曜日に行ったのが間違いでした。外の景色も乗客で見えません。

江ノ電には何回か乗っていますが、今回は特に外の景色に注目でしたが、またの機会にします。

無事、腰越駅に降りられました。<生シラスあります>の表示に、やはり生シラス丼でしょうと食事をしてから、<満福寺>へ。このお寺のすぐそばを江ノ電が走っていまして、お寺に上がる石段から江ノ電の通る姿を見ることができます。今までの旅の中でお寺と走る電車の近いのはここが一番と思います。

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東海道本線の興津にある清見寺は、敷地内を線路が通っていて階段の途中に踏切があるというお寺でしたが、線路から本堂までは距離がありました。

平家物語』で義経は壇の浦で捕えた平宗盛父子を連れて鎌倉にやってくるのですが、頼朝は会ってくれず<腰越>にとどめられる鎌倉には入れてもらえません。そこで、義経は自分の胸の内を書状にしたため大江広元へ送ります。これが「腰越状」といわれるものです。

しかし、兄頼朝の勘気は解けず逢う事叶わず、平宗盛父子を連れて再び京を目指すのです。

満福寺>の案内によりますと、このお寺は、天平16年(744年)に聖武天皇の勅命で行基が建立したと伝えられ、義経がここを宿とし、「腰越状」は義経の心を汲んで弁慶が下書きされたとしています。この「腰越状」は、『吾妻鑑』『義経記』『平家物語』など文字に表される前から語られていたようです。

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判官びいきは、この「腰越状」の文も大きな役割を担っているのかも知れません。

お寺には弁慶ゆかりのものもあり、鎌倉彫の襖絵もあります。江ノ電の紹介記事がおいてあり、それによりますと<腰越駅>は4両編成の電車だと鎌倉方面の一両がホームからはみ出してしまい、こういう駅を電車愛好家は「はみ電」の駅と呼ぶそうです。駅名板が鎌倉彫だそうですが見落としました。

そしてなんと、太宰治さんが1930年(昭和5年)に心中を図り、彼だけ命を取り留めた場所が小動岬と書いてあり驚いてしまいました。漠然と鎌倉の海岸でと思っていて詳しく探索もしませんでしたが、ここだったのです。思いがけないことをしりました。

満福寺>には「義経庵」という茶房があってしらす料理が食べられるようです。残念食べたあとでした。お寺脇のトンネルを抜け、そこからお墓のある高台へあがっていくと、テラスのようになったところがあり、そこから見ると、江の島とすぐ近くの小動岬が重なるのがわかります。しかし、江の島は島に見えますから、もっと鎌倉寄りの高台だと進一少年の観た風景になるのでしょう。

映画『天国と地獄』の脚本は黒澤明さん、菊島隆三さん、久板栄二郎さん、小国英雄さんの四人の名前があり、凄いことを組み合わされて書かれたものだとおもいます。

こちらは『平家物語』から太宰治さんまでも繋がってしまいました。さてつぎは、小動岬です。岬といっても樹木に覆われた小さな岬です。

『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(1)

腰越>は、『平家物語』にも出てきまして、歌舞伎にも『義経腰越状』という作品があり気になっている場所ではあったのですが、<腰越>一箇所ではと思い組み合わせ場所を探さなければと考えていたのです。ただ歌舞伎の場合、現在上演されている部分は<腰越状>とはあまり関係ないのです。

ところが、黒澤明監督の映画『天国と地獄』を見直していましたら、<腰越>が出てきました。それではと、観光も兼ねて江ノ電腰越駅へと出かけることにしました。

映画『天国と地獄』は、誘拐犯と警察の攻防で、誘拐された子供が会社重役の子供ではなくそこの家のお抱え運転手の子供で、身代金を要求された重役は、苦悩のすえ身代金を払うのです。重役は、靴職人の見習工からのし上がった靴製造メーカーの常務である権藤金吾で、お金をかき集め自分が会社のトップになれるという時に身代金3000万円を要求されるのです。

犯人の要求通り、身代金の入っている鞄を特急の「第二こだま」から酒匂川(さかわがわ)の土手へ投げ落とし無事、子供は取り返すことができました。この場面までが、権藤の人生が大きく変わる起点でもあり、ここからが警察の捜査陣と犯人との闘いとなるのです。

身代金を投げ落とす場所が酒匂川に架かる鉄橋からで、この場面に関して新聞の映画記事になったこともあり興味深い場所でもありました。旧東海道を歩いた時に国道1号線の酒匂橋を渡り歩きました。鉄橋の位置からする東海道は駿河湾に近い位置にあり、権藤が警察の車で誘拐された進一のもとに訪れる時後方に映っているのが酒匂橋です。今は酒匂橋と東海道本線との間に小田原大橋ができています。そして、東海道本線の横には東海道新幹線が走っているのです。

映画『天国と地獄』は、1963年公開で、初の電車特急「こだま」が運行したのが1958年、東海道新幹線が開業したのが1964年ですから、特急こだまの前面部分と内部を見れる貴重な映画ともいえます。

黒澤監督の助手であった野上照代さんの話しによると、本物の「こだま」を編成ごと借り切っての撮影で、犯人からの電話が「こだま」の電話室にかかります。電車は国府津駅を通過したところで、次の鴨宮駅が左にカーブした土手に進一がいるから顔を確かめて鉄橋を渡ったらお金の入った鞄を洗面所の窓から投げろとの指示なのです。

同乗して車内を警戒していた警察もその時点で初めて知るわけで、それぞれが、映写のため車内を走り位置につきます。犯人があと2、3分で鉄橋にさしかかると言っていまして、その間に行動するわけです。映画ですから、台詞をいいつつきちんと演じなければなりません。車内場面だけでも、3カ月リハーサルをしたそうです。

進一の顔を確かめて鞄を投げる権藤の姿は、戸倉警部が権藤という人物を全面的に信頼する場面でもあるとおもいます。そして犯人に憎悪を燃やします。権藤はお金がなくなり、これで、会社から追い出される人間になったのです。権藤金吾が三船敏郎さんで戸倉警部が仲代達矢さんです。三船さんの鞄を投げたあとの緊張感のゆるみが、演じ切ったというところでしょうが、そのまま権藤が進一の姿を確認でき犯人の言う通りに出来たという安堵感と重なって観ているほうの臨場感もたかまります。

警察役が映写していると同時にその姿を映画スタッフも撮影しているわけですから、その時の動く外の風景そのままなのです。橋を渡る時間は1分位です。

先ず東海道線の在来線で酒匂川の確認です。鴨宮駅から小田原駅まで車中のドアから見ましたが、ガラス部分の丁度顔あたりに広告が貼ってあり、変な格好で酒匂川をみることとなり、小田原から鴨宮にもどるときは、対向電車とすれ違いよくわからず、再度、鴨宮から小田原へ向かいもどり二往復しましたが、風景が変わっていてよくわかりませんでした。ただ、在来線の電車でも短い時間ですから、「こだま」の速さにすると、本当に緊張するとおもいます。今の在来線で鴨宮から小田原まで3分です。前の1分が川を渡る時間と考えていいでしょう。

土手に進一と共犯者が立っている場面は、実際にはその前に二階建ての家があり二人の姿が「こだま」から見えないため二階部分を壊してもらい、その日の内に大工さんを連れて行き元にもどしたそうです。映画で、屋根の部分の木材が格子のように見える家がありますが、それのような気がします。

権藤と警察は横浜から「こだま2号」に乗ったでしょうが、横浜15時41分に出発して小田原を通過して熱海到着が16時37分です。熱海まで警察は動けません。「はと」ですと横浜を13時22分に出て、小田原に14時01分に着き、熱海に停まらず沼津までいきます。小田原で停まられては逃走する時間ががないので都合が悪いのです。なぜ「こだま」に乗るように指示したかがわかります。20分位は時間稼ぎができます。

いかに頭の働く犯人かということがわかります。ここから警察と犯人の攻防戦となるわけです。

さてこちらの旅は、藤沢駅にて江ノ電に乗り換え腰越駅へと向かったのです。

歌舞伎座6月歌舞伎『浮世風呂』『一本刀土俵入』

浮世風呂』は澤瀉十種の一つです。猿翁さんが猿之助時代に書かれた『猿之助の歌舞伎講座』の澤瀉十種のところを読み返してみました。「猿翁十種」が『二人三番叟』『酔奴』『小鍛冶』『吉野山』『黒塚』『高野物狂』『悪太郎』『蚤取男』『独楽』『花見奴』で、「澤瀉十種」が『二人知盛』『猪八戒(ちょはっかい)』『隅田川』『夕顔棚』『檜垣(ひがき)』『武悪』『三人片輪』『浮世風呂』『連獅子』『釣狐』で、自分が選んだと書かれています。

猿翁さんは、祖父である初代猿翁さんの踊りをさらに工夫して『浮世風呂』に関しては、曲は長唄で、最初風呂屋の前を大勢の人が通る群舞があったのをとってしまい、長唄を常磐津にかえ、木村富子さんの原作にある、小唄、端唄、民謡が入る部分を初代が省いていたのを復活させたとあります。

この小唄、端唄、民謡部分は現猿之助さんの見せ場ともなり、音楽的にも楽しい場面でもあり、初代さんの踊りがどんなであったかはわかりませんが、猿翁さんの工夫の『浮世風呂』は、身体の舞踊性もあり楽しく、踊り手四代目猿之助さんの上手さをも引き出させています。

風呂屋の三助が仕事の合い間に踊るという趣向で、ナメクジが出てくるというのも可笑し味がありますが、ナメクジの種之助さんがそばに寄られると嬉しいような、いやいややはりナメクジであるからと思わせる好い雰囲気で、新たな愛嬌のあるコンビを楽しませてくれました。そして、猿之助さんの踊りを存分に味わわせてもらえました。

一本刀土俵入』も茂兵衛の幸四郎さんとお蔦の猿之助さんは、少し差が出過ぎてギクシャクするのではと思ったのですが、そんな心配はありませんでした。茂兵衛が、お蔦を美しいと思い、あばずれだと船戸弥七の猿弥さんがいうと、そんなことは無いとムキになって言い返す茂兵衛の言葉が映えるお蔦さんでした。

夫を死んだと思っても女の細腕で娘・お君(市川右近)を育てる生一本のところもあるのですから、一時の生活苦からくる自棄な部分の中に、お蔦の本質は見えていたともいえます。有り金から櫛、簪までくれた恩からくる美しさだけではないお蔦を茂兵衛は心の中に刻んだのだなというおもいにかられました。そう思わせる猿之助さんのお蔦でした。

そして十年。お腹を空かした取的の茂兵衛は渡世人なっていました。取的の情けない可笑しさから一匹狼の風を切る渡世人の違いを幸四郎さんは、すぱっとすっきりとみせてくれます。

長く音沙汰のなかったお蔦の夫・辰三郎の松緑さんがいかさま博打をやって追われてお蔦のもとに帰ってきます。そんな中でもしっかりしているお蔦。後悔しつつもお蔦とお君との再会に心震わす辰三郎。この親子の関係が情ある場面となっているので、お蔦が逃がしてくれる茂兵衛に何度も頭を下げるのが実をもっての茂兵衛への土俵入の花向けとなります。

茂兵衛がお蔦を探しあてるのが、お蔦の歌った越中小原節を娘のお君が父の辰三郎に聞かせるのを耳にしてというのも上手くつながっている作品です。

そこに、その土地を仕切る任侠の歌六さん、松也さん、猿弥さん、船頭の錦五さん、巳之助、船大工の由次郎さん、酌婦の笑三郎さんなどが加わり、水戸街道の様子を芝居とともに登場人物で構成してくれました。

歌舞伎座5月歌舞伎で書いていなかったのですが良い舞台でした『魚屋宗五郎』について少し書きます。菊五郎劇団の手堅さが出た芝居で、笑いを取ると言った方向は押さえて、市井の人々の生活の中での悔しさをお酒という力をかりてしか表すことの出来ない悲しさと可笑しさ、そして醒めてみれば、やはり殿さまを前にすると何にも言えなくて、お金を頂戴してしまうという身につまされる、何とも言えない生活感覚を見事に作りあげました。

魚屋宗五郎の菊五郎さん、女房おはまの時蔵さん、父親太兵衛の團蔵さん、小奴三吉の権十郎さんの長い間の積み重ねが抵抗感のない自然の動きですんなりと気持ちよく流れ、受け入れていました。作っているという感じのない、魚屋一家のつながりでした。

無理に笑わそうとしていなくても、芸の積み重ねでみせてくれる味わいでした。

あとは辛口気味ですが、『吉野山』の海老蔵さんと菊之助さんは美しいお二人なのに花見遊山ような舞台装置は不要とおもいました。『伽羅先代萩』も想像していたのとは違い芝居の山場の緊迫感の締めが甘かったようにおもいます。申し訳ありませんが、期待していたので辛めです。

思いました。舞台という狭い空間でも、その時代性の空気が見えたり、感じたりできるかどうかということ。これって大事なことなのではないでしょうか。

 

歌舞伎座6月歌舞伎『曽我綉俠御所染』『名月八幡祭』

曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ) 御所五郎蔵』は両花道を使っての、御所五郎蔵と星影土右衛門の出会いがあり、それぞれの子分を加えたつらねがあり男伊達の見せ所でもあります。

この場面は、台詞と立ち姿が良いかどうか試されるところで、御所五郎蔵の仁左衛門さんに並んでの男女蔵さん、歌昇さん、巳之助さん、種之助さん、吉之丞さんがしっかりした子分でした。若手の皆さんも安心して観ていられる姿、形になってきました。星影土右衛門の左團次さんの何かありそうな雰囲気と、臆病な子分たちも好調です。この二組の一発触発のところを収めるのが、甲屋与五郎の歌六さんできっちり収めます。

星影土右衛門の家来のほうが出番と台詞が多いです。それは、御所五郎蔵の女房・皐月の雀右衛門さんが傾城になっており、星影土右衛門が皐月を我が物としようとしているからです。五郎蔵は皐月のことを信頼していて、土右衛門に好きなようにしろと啖呵をきりますが、土右衛門とその家来のいる前で皐月から退き状をつきつれられたのですから逆上してしまいます。皐月を待ち伏せして、間違って主人の惚れている傾城・逢州(米吉)を切り殺してしまうのです。

逢州の身請けのお金を工面するため、心の内を隠しつつ愛想尽かしをする雀右衛門さんと男の顔をつぶされた仁左衛門さんの対比に躍動感があり侠気の華やかさがありました。その間に坐す左團次さんが鷹揚に構えているのが、一層男と女の心情を複雑にしています。

米吉さんも絶対評価では、『弁慶上使』でのしのぶとは違う傾城に変身していましたが、仁左衛門さんの怒りを静める大役なので、相対評価では少し辛い点数となります。点数よりもやれるということほうが幸せなことと思います。

 

名月八幡祭』は、祭りの中を狂って女にだまされた男が復讐する話です。場所は深川で、芸者・美代吉の笑也さんに惚れた、越後から反物の行商にきている真面目で仕事一筋の縮屋新助の松緑さんが美代吉に翻弄されてしまうのです。

新助は仕事を終え越後に帰ろうとしますが、お得意の魚惣の猿弥さんに祭りを見てから帰るべきだと引き留められます。ところが、魚惣は、引き留めるのではなかったと後悔するようことが起きてしまうのです。美代吉は悪い人間ではないがあの女には深入りするなとも忠告していました。

松緑さんは、低姿勢で信用第一にお得意を大事にし、それでいながらしっかり品物を売っている行商人だということがわかり、だまされたと知るや狂気してしまうのももっともだという人物像を上手く表現されました。

美代吉には、ばくち好きの船頭三次という情人の猿之助さんがいます。さらに旗本である藤岡慶十郎の坂東亀蔵さんがいます。この藤岡から国元へ帰るからと手切れ金を百両渡され、新助の女房になると約束した美代吉は、あんな田舎者とわたしがなんでと一時の気まぐれの本性をあらわしてしまうのです。田畑を売った新助には行き場がありません。本気にするとはと軽くあしらう美代吉と三次。

田舎と深川の色町の金銭感覚の違いをあらわした作品でもあり、その辺も伝わってきます。笑也さんには、台詞に深川芸者の男勝りな言葉もでてきますので、もう少し気風の良さと粋さが増して欲しいです。藤岡は、包容力がありさっぱりした旗本で亀蔵さんの台詞もいいので、顔のつくりがもう少し優しさがあってもいいようにおもえました。

猿之助さんの三次は、美代吉からお金の代わりにもらった簪を挿し、遊びにいくところに無頼さの色気がありました。

松緑さんがこういう役にあっているとは思いませんでした。ただ、3月の歌舞伎座での『どんつく』で表情や顔のつくりから違う面がでてくるのかなという感じはありました。そんな松緑さんや猿之助さん、猿弥さん、亀蔵さん、さらには、竹三郎さん、母役の辰緑さんに囲まれ、国立劇場歌舞伎俳優養成所出身の笑也さんが大きな役に挑戦され、芝居としても面白くなったことは、観ているほうとしても嬉しいことです。

 

 

歌舞伎座6月歌舞伎『御所桜堀川夜討』『鎌倉三代記』

雀右衛門さんの快進撃です。立役に吉右衛門さん、幸四郎さん、仁左衛門さんをむかえて、しっかりした舞台を展開してくれました。その間に挟まって、猿之助さん松緑さんが健闘され見どころのある芝居を見せてくれました。

御所桜堀川夜討 弁慶上使』は、弁慶が生涯に一度だけ契りをむすんだ女性とおもいがけないところで遭遇し、そのときできた娘を忠義のために身代わりとして殺してしまうのです。

弁慶は、義経の正室・卿の君(平時忠の娘)が懐妊したため、頼朝から首を討つよう命令されていました。おさわは腰元となってつとめる娘・しのぶが犠牲となることを拒みます。その理由が、顔を見ていない父親に会わせるまではという理由でした。ところが、その父親であり夫である弁慶にしのぶは殺されてしまうのです。

弁慶も身代わりになるのが自分の娘とは知らなかったのですが、おさわの娘を守る様子を陰で聴いていて知るのです。弁慶の表と裏の心のうち、おさわの夫が解ってもその手で娘を殺されてしまう悲しさ、喜びと悲嘆が同時に訪れるのです。そのあたりを、吉右衛門さんの荒事風の弁慶と、雀右衛門さんのおさわで、それぞれの気持ちの変化をじっくりとみせてくれます。

竹本に乗った雀右衛門さんの動きから目が離せませんでした。気持ちと動きがしっくりとしていました。

脇を又五郎さん、高麗蔵さんが手堅く押さえられ、米吉さんの娘・腰元しのぶが目が見えなくなって父の顔もわからず、可憐な哀れさが、時代に翻弄される悲しさを際立させました。

鎌倉三代記 絹川村閑居の場』は、三姫の一つ時姫の出てくる作品です。お姫様でありながら、恋に対しては一途で大胆なところがあるのです。そこを、お姫様の様相は崩さずに表現しなくてはならないのです。何をしてもお姫様なのです。

<絹川村閑居>というのは、三浦之助義村の母・長門が病床の身で住んでいるところです。源頼家に仕える三浦之助は味方が劣勢なので母・長門に別れにきますが門前で気を失ってしまいます。

ここに三浦之助の許婚である時姫が長門の看病のため来ていて、倒れている三浦之助をみつけます。時姫の出と、三浦之助を介抱する動きが重要で、かいがいしくもお姫様である品と色香と恋する一途さが、雀右衛門さんは芝雀時代よりも芸道が太くなっています。ここも目が離せませんでした。

ところがこの一途なお姫様は、三浦之助の敵側の北條時政の娘なのです。このお姫様の気持ちは三浦之助と佐々木高綱によって利用されてしまいます。佐々木高綱は『盛綱陣屋』で自分の贋首を息子に自分の首だといわせたあのかたです。

ここでも、自分と似ている百姓・藤三郎を自分の影武者として時政に近づけさせ、時政はそれを見破って、藤三郎と女房・おくるに時姫を連れ戻すようにと命じるのです。高綱は今度は、自分が百姓・藤三郎になりすまし、時姫の前にあらわれますが、時姫は父のもとにはもどらないことを宣言します。

しかし、三浦之助はさらに、自分のことを想うなら父・時政を討てというのです。時姫は承諾します。そこへ藤三郎実は高綱があらわれ、高綱の計略だったことをあかします。可愛そうな時姫。そしてもう一人は藤三郎の女房・おくる(門之助)は百姓であった夫が武士となって死ねたことは誉であるといって自刃します。これまた時代に翻弄される身の処しかたです。

時姫さんはそういうことは考えてはいません。一途ですから、恋の一字しかありません。三浦之助を相手に恋のクドキ。父・時政と三浦之助の間に立っての苦悩のクドキ。それでも、選ぶ道は恋の道で、そこを演じきるのが時姫役者さんなのです。

三浦之助の母・長門もしっかりもので、母のことなど心配する時かと息子とは会わないのです。秀太郎さんが、しっかりこの場は押さえられます。三浦之助も色々な役割があるのですが、手傷をおっていますから、大きな動きをせずに堪えつつ、心の内を隠さなければなりません。松也さんは、美しい若武者の姿、形はいいですが、この難役が身につくにはもう少し時間が必要です。

策略家の高綱の幸四郎さんは、藤三郎になりすまし、実はで高綱の大きさをみせられました。この大きさに見合う、時姫役者として雀右衛門さんは最後まで通されました。

最初に、阿波の局(吉弥)と佐貫の局(宗之介)と富田六郎(桂三)が出て、六郎が捕えた高綱はよく似た百姓・藤三郎で顔に入墨を入れられ侍に取り立てられ時姫を連れ帰るように言われ、自分たちも時姫を連れ帰る役目をおおせつかったことをかたり、高綱と藤三郎の関係を説明するかたちをとっています。

それにしてもややこしい話で、時姫は三姫の一つといわれて観てきましたが、今回やっと筋道がたち、雀右衛門さんの時姫を楽しむことができて良かったです。

北条時政は徳川家康、佐々木高綱は真田幸村、三浦之助義村は木村重成、時姫は千姫をモデルとしているそうです。

 

映画『海辺のリア』からシェイクスピアへ

四苦八苦しております。

やはりシェイクスピアですか。苦手なんですよ。あの台詞。道化なども出て来て、その台詞がもっとわからない。もう少しストレートにはっきり言ってくださいよといいたいところです。いつかはサラッとでもなぞってみなくてはと、DVDは少しづつ集めていたのですが、今がやりどきなのかと多少覚悟した次第です。

フレッド・アスティアからオードリー・ヘプバーンとつながって映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』のレンタルで『ローマの休日』へと好い繋がりとなり順調だったのですが、シェイクスピアという岩盤が顔を出しました。

映画『海辺のリア』は、小林政広監督が仲代達矢さんをとにかくスクリーンの真ん中にドーンと撮りたいという映画です。そこにシェイクスピアの作品の台詞もいれて、<リア>とありますから『リア王』なわけでしょう。人物設定も状況も『リア王』を意識していて、その中心が認知症のかつての大スターというわけです。

『リア王』を御存知なら、それとの比較をして楽しむのもいいでしょう。知らなければ知らないで疑問に思ったり、はぐらかされたり、現実の認知症老人と家族の話としてはリアルさに欠けると思ったりしても良いでしょう。

とにかく舞台のような台詞劇映画とも言えます。主人公の桑畑兆吉は、かつては大スターだったらしく、そのために周囲は彼に振り回され、引退後は周囲が彼を振り回し、さらに彼も認知症ということで周囲を振り回し、さらにさらに観客のこちらも振り回されます。登場人物の主人公との関係を映画の進行に従って観る方は組み立てていかなくてはなりません。そうしつつ役者さんたちの演技力にもチェックをいれなければなりません。

振り回せなければこの映画の味もないことになりますから大いに振り回されましたが、認知症の桑畑兆吉は、認知症の世界の中で決めるんです。壁の中にいるのはいやだ。認知症の役者・桑畑兆吉を自分の納得した場所で、彼の中の観客に向かって演じることを。

バレーダンサーで振付師のニジンスキーが、精神障害となり病院生活を余儀なくされます。そこでの最後のインタビューで、一切言葉での反応がなかったのですが、最後に素晴らしいジャンプをして見せるという映像をみたことがあり、それを思い出してしまいました。桑畑兆吉の見事な台詞のジャンプでした。

観てからが大変です。オーソン・ウルズの映画『リア王』(監督・アンドリュ―・マカラ)をみて、雑誌『月刊 シナリオ』(7月号)に『海辺のリア』の脚本が載っているのでそれを読みました。映画はこのシナリオから変更になっている部分もあります。『ヴェニスの商人』の台詞も出てきたのを知って、アル・パチーノの『ヴェニスの商人』(監督・マイケル・ラドフォード)を観ましたら、シャイロックの亡き妻の名前がリアとあり偶然の一致なのか暗示なのかとちょっと気に係りましたがそこまでとします。

アル・パチーノさんもシェイクスピアはお好きなようで初監督作品に『リチャードを探して』というがあります。この映画は、『リチャード3世』を演じる俳優たちとの討論する場面もいれるというドキュメンタリー要素もあり面白い設定でした。

黒澤明監督の『乱』も見直しました。『リア王』の三人の娘を三人の息子に置き換えた日本版といえる有名な作品ですが、自然の雄大さ、戦闘場面、人物描写など観た回数だけ発見があります。『海辺のリア』の原田美枝子さんの長女、次女の黒木華さんが私はコーディリアではないと言い切り、長女の夫の阿部寛さん、そしてこの人はどんな関係なのかとそれこそ「あなたどなたさま」と思わされた小林薫さん。映画を観ていた時よりも人物像がはっきりしてきました。

圧倒的に仲代達矢さんが主人公の映画ですが、後になって台詞の少ない人物も気にかかって場面場面を思い出してしまいます。そして、84歳の仲代達矢さんに、観客が刀を使わない<果し合い>を挑んでいるようで嬉しいです。

小林政広監督と仲代達矢さんの映画はこれで三本になりました。『春との旅』『日本の悲劇』『海辺のリア』。『春との旅』は、孫の春に最後には生き方を教えるという好作品でした。『日本の悲劇』も今回見ましたが、こちらのほうは、日本の大きな社会性を一点に集中させました。リストラ、離婚、母の介護、東日本大震災、父の最後の選択。不幸なことが重なることは誰にでも起こりえることなのです。部屋に閉じこもった父の仲代さんのアップの表情の一つ一つが息子への気遣いであることがよくわかります。特に電話の音に耳をそばだてるのが、観る側の気持ちと一致します。

小林政広監督の『愛の予感』は、監督自身が出演していて台詞が全くない映像が続きますがじーっと見続けてしまうという映画です。

さてこんな映画鑑賞状況から、シェイクスピアさんの映画を今回は忍耐をもって一本一本見て行こうと思ったのも、桑畑兆吉さんの念力でしょうか。

追記 : 今夜(11日)7時からBSフジで「役者 仲代達矢 走り続ける84歳」があります。

日本映画があらゆる輝きを放っていた時代の中を歩かれてこられた役者さんですから、お話しが面白かったです。『果し合い』で佐之助が次第に忘れていた剣術を身体に思い出させていく場面など、現場での仲代さんの緊張感も見どころでした。

シェイクスピア映画の『ロミオとジュリエット』(1936年ジョージ・キューカー監督)に、ロミオ(レスリー・ハワード)の友人・マキューシオ役がジョン・バリモアさんでした。おしゃべりで陽気で、こんな役も演じていたのかと仲代さんの『バリモア』のしぐさを思い出していました。そして、桑畑兆吉さんはスター時代、喜劇も演じていたような気がします。

無名塾『バリモア』(再演)