ひとこと・朝井まかて『残り者』

朝井まかてさんの小説『残り者』を前進座が舞台にしたのですが観ることができませんでした。残念。というわけで原作を読みました。面白い。朝井まかてさんは軽くいくように見せて知らない世界を展開してくれます。

残り者』も江戸幕府が江戸城明け渡しの江戸城の前日からその日までを、大奥に勤める女性達の考え方仕事ぶりなどを見せてもらえます。そして外見の姿によってその階級制もわかるようになっています。さらに天璋院(篤姫)と静寛院宮(和宮)では武家と公家の違いがあり、そんなことも交えて、天璋院が可愛がっていた猫のサト姫が五人の江戸城に残っていた者を会わせるのです。仕事の部署の違う者との出会い。

是非再演があり観劇する日を願っています。

前進座の公式サイトを紹介しておきます。劇団前進座 公式サイト (zenshinza.com) 前進座チャンネルの松涛喜八郎さんのーふかぼり芝居講座シーズン3ー「おうち散歩 四谷漫談 エピソード1~4」は戸板のお岩さんの川の旅が紹介されていて紹介地図から鶴屋南北さんの頭の中の地図が想像できました。『残り者』はーふかぼり芝居講座シーズン4-でおたのしみを。

朝井まかてさんの読者といたしましては、森鷗外さんの末っ子の類さんのお話『』の世界に侵入いたします。ソワソワ、ワクワク。心落ち着けて。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(気まぐれ編)

映画からいろいろな方向に派生していくものである。(3)で記した有島武郎さんの旧宅が保存されているので写真を紹介しておきます。

旧有島武郎邸 (sapporo-jouhoukan.jp)

映画の中での有島武郎さんで記憶に残るのは、『華の乱』(1988年・深作欣二監督)です。主人公が吉永小百合さんの与謝野晶子を通して大正時代を描いたもので、松田優作さんが有島武郎でした。

坂口安吾さんの小説にも『白痴』(1946年)があります。こちらは短編なので読んでみました。

毎日警戒警報がなり時には空襲警報もなった。伊沢は大学を卒業し新聞記者になり、そのあと文化映画の演出家となりまだ見習いであった。彼が一室借りている建物の路地の奥に資産家の家があり、夫婦と夫の母親が住んでいた。その女房はもの静かで日常的な家事などは何もできず、しゃべるのがやっとであった。その女房が姑のヒステリーから逃れてか伊沢の部屋にきた。

伊沢は女房と肉体関係になり、近所からその女性を隠して暮らすようになる。女性は肉体関係にしか興味がない。空襲がひどくなり4月15日、どうにも家にいては危ない夜間大空襲となり近隣の皆が逃げた一番最後に伊沢は女性と外に飛び出し逃げまどう。逃げまどう途中、伊沢は女性に二人一緒だから自分について来いと声をかける。その時女性はうなずいて初めて自分の意思をあらわした。

雑木林の中に二人だけとなる。女性は眠っている。女性はただの肉塊にすぎなかった。ここから記憶の世界に入りそこから男は女の尻の肉をむしりとって食べるのである。男は女に未練はなかったが捨てるだけの張り合いもなかった。伊沢はとにかく彼女を連れて停車場を目指して歩き出すことにしようと考えて小説はおわる。

伊沢はうなずいてくれた女性とのあの一瞬にあこがれたのかもしれないがそれはもうおこらないのである。尻の肉を食べたところで反応はないのである。リアルな空襲の中を逃げる場面から伊沢の頭の中の世界が突然出現するのでとまどってしまう。

坂口安吾さんがでてくると、歌舞伎の『野田版 桜の森の満開の下』が思い出される。

その時の感想がこちらです。→ 2017年8月23日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

そこで、坂口安吾さんの『桜の森の満開の下』で、男は女を絞め殺したところまでを記しています。小説はそこが最後では無くて、彼は女の顔の上の花びらをとろうとするが女の顔は消えてしまい花びらだけしかありません。その花びらを掻き分けようとしたら彼の手はなく彼の身体も消えていたのです。これがわからなくて殺したところで終わらせたのである。(姑息でした。)

今回、『白痴』の尻をむしりとって食べるところで『桜の森の満開の下』の男はすでに鬼に食べられていたのだと確信しました。鬼ですからね、死んだかどうかわからないすばやさで食べることだってやるでしょう。坂口安吾さんの手法が少しわかったような。(このあいまいさ。)

歌舞伎の『野田版 桜の森の満開の下』がまた観たくなります。それぞれの役者さんの演技が走馬灯のように思い出されます。新作歌舞伎の面白さは古典では観れない役者さんが観れるという事であり、古典ではきっちり型にはまった役者さんが観れるという楽しさである。

驚いたことに坂口安吾さんの『白痴』が1999年(手塚眞監督)で映画になっていました。20周年記念ということで現在上映されていました。気まぐれではすまなくなりそうですので今回は挑戦をさけます。

黒澤映画『白痴』は、265分の長さがあったのだそうです。もしフイルムが残っていたら挑戦したかった。

追記: 『札幌芸術の森』に保存されているモダンな洋館の旧有島邸が黒澤映画『白痴』の大野家の外観です。室内での撮影があったのかどうかは今のところ確認できていません。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(3)

黒澤映画『白痴』に関しては前に書き込みしているが、三作品と比較するうえで便宜上こちらにも移すことにする。そして再度観たので少し書き足す。

その前に、字幕で解説が映し出されるのでその最初を部分を紹介しておきます。

「原作者ドストエフスキーは、この作品の執筆にあたって、真に善良な人間が描きたかったのだと云っている。そして、その主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だがこの世の中で真に善良であることは “白痴(ばか)” に等しい。この物語は、一つの単純で清浄な魂が、世の不信、懐疑の中で無慙に亡びて行く痛ましい記録である。」

人物設定は、ムイシュキン公爵は亀田、ラゴージンは赤間、ナスターシャは那須妙子、アグラーヤは大野綾子、ガーニャは香山、エパンチン将軍家は大野家で、大野家には娘がふたりで綾子は次女である。

【 映画『白痴』(1951年、黒澤明監督)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにして場所を日本の札幌にし時代を戦争の終わった後にしている。主人公は亀田(森雅之)と赤間(三船敏郎)が北海道に渡る青函連絡船のなかで出会う。亀田がうなされて奇声を発したのである。

亀田は沖縄戦で戦犯となり銃殺寸前に人違いとして助かりそのショックから神経がおかしくなりアメリカ軍の病院に入院し退院して札幌の知り合いの家に行くところであった。赤間はこの亀田が気に入り自分のことも話す。好きな女がいて父のお金を盗み彼女にダイヤの指輪をプレゼントして勘当になっていた。その父が亡くなり遺産が入ったので札幌に帰るところであった。

二人は札幌で写真館に飾られている赤間の彼女の写真をながめている。圧倒させるような美しさの那須妙子(原節子)である。亀田は、この人はとても不幸せなひとであるとつぶやく。さらに妙子の目にこの目をほかのどこかで見た目であるとおもう。

亀田は父の友人である大野家をおとずれる。大野家は那須妙子と関係があった。妙子は妾の身であったが、大野家の秘書の香山(千秋実)に持参金付きで結婚させるという話ができあがっていた。香山は大野の次女・綾子(久我美子)が好きであったがお金も必要であった。亀田の出現でこの仕組まれた動きが大きく変わっていくのである。

誰も見ぬけなかった妙子の心の中を亀田の純粋さが感じとっていた。妙子にとって同じ感性それは光であった。亀田は妙子の目と同じ目をおもいだす。処刑されるとき自分は助かるが処刑される前の若いまだ少年のような青年の目であった。自分はどうしてこんな苦しいめにあわなければならないのかと目は語っていたのである。その目と妙子の目が重なった。

この映画は非常に長くて2時間45分である。第一部が「愛と苦悩」、第二部が「恋と憎悪」である。妙子は亀田を選ばずに赤間を選ぶ。亀田は二人を追いかける。赤間は妙子の心が自分に無い事を知って亀田を殺そうと考えたこともあった。綾子が現れて亀田は綾子に恋をする。妙子への愛とは違うものであった。妙子はそれを感じていて綾子を天使として亀田を傷つけずに一緒になってくれる人として希望をもった。

しかし、綾子は妙子が亀田の理想の女性で自分と亀田の間に入って邪魔をする者と思われ、妙子と対決するのである。亀田の妙子に対する愛は、処刑の時何もできなかったあの青年と同じ妙子を傷つけないで救えないか、いや妙子の魂をじぶんが守り救わなければという愛であった。綾子への愛とは別物であった。

心のねじれは悲劇へと向かわせる。残った綾子は「私が白痴だったわ」とつぶやく。亀田の白痴は純粋さで、綾子の白痴はおろかという意味である。

出演者の個性がきわだっている。原節子さんの存在が強烈でそれでいながら心はガラスのように壊れやすく、いやすでに壊れていて、森雅之さんはそのかけらを集めて修復しようとしているようにもみえる。

この札幌のロケでは有島武郎さんの旧宅が使われていた。ロケをした家は1913年(大正2年)に建てられた家でこの家で森雅之さんは幼い頃を過ごしたことになる。『札幌芸術の森』に保存されている。森雅之さんが生まれたのが1911年で有島武郎さんの文学年表からすると、『北海道開拓の村』にある旧有島邸が森さんが生まれた家ということになりそうである。

映画のクレジットには美術工芸品提供がはっとり和光とあるのも興味深い。 】

映画『ナスターシャ』のところで、ムイシュキンがてんかんの発作を起こすところがリアルであると記したが、ラゴージンは、ムイシュキンが舌をかまないようにナイフを口に挟むので印象にのこったのである。黒澤映画『白痴』でも赤間にナイフを振りかざし亀田は発作を起こすが雪の中に倒れ、赤間はそのまま逃げてしまっていた。

妙子の写真はやはり強烈である。妙子と亀田が直接顔を合わすのが、フランス映画『白痴』と同じ香山の玄関であった。映画『ナスターシャ』での馬車から降りての登場が異彩を放っているかも。赤間は香山宅に早々と再登場するのである。

その夜の妙子の誕生祝いの席でお金によって値段を付けられる妙子の苦悩と自暴自棄の様子に心配になった亀田は妙子を引き取るとつげる。皆は無一文の亀田を笑う。亀田は子供のような純真さだけで言葉を発している。その真剣さに大野(志村喬)は懺悔する。亀田には父の残した牧場があり、それを黙っていたと。

妙子が赤間の持ってきた100万円を暖炉の火に投げ込み香山に欲しければ拾いなさいという場面はフランス映画同様圧巻である。小津監督映画の原節子さんのイメージであるからなおさらである。赤間と去っていき、ここからしばらく妙子は出現しない。

亀田と赤間、亀田と綾子の関係が描かれていく。赤間とは十字架の交換でなく、お守りの交換をしている。亀田のお守りは、銃殺から逃れられてあの青年が銃殺された時発作を起こしその時手に握られていた小石である。赤間は母が持たせてくれたお守りである。

そして妙子が現れるのが、スケートのカーニバルの夜であり、亀田と綾子の結婚を信じて別れを言う時であり、さらに綾子がどうしても妙子に会わなくてはと亀田と赤間の家をたずねたときである。

この妙子と綾子の対面が結果的に亀田にどちらかを選ばせる対決の場となってしまう。原さんと久我さんの演技の対決の火花もすばらしいものです。二つの三角関係がからみあっていてそのため、最初から綾子の存在も意識して構成されている。

亀田、妙子、赤間の関係は死を持ってしか解決の道はなかったようで、妙子を殺した赤間は雲に乗ってくる妙子の幻覚を見て、「さあ、あの雲に乗ろう。」と言って目を見開き身体を硬直させる。その赤間に寄りそう亀田。亀田は言葉で表現するのが上手くできないが、寄り添う心がある。ローソクの灯も消え、極寒の時間だけが過ぎてゆく。

綾子は「私が白痴だったわ。」とつぶやく。

最後の亀田と赤間からしても、もう一つの三角関係を主軸にした映画『ナスターシャ』が生まれるのも自然の成り行きであろう。

三作品みるたびに重なり合ったり、独自の発想であったり、あのセリフがこう使われるのかなど新しい発見があり充分満喫させてもらった。と同時に上手く結び付けられない点もありますが、時間がたって観直せばそうであったかと気がつくかもしれませんのでそれを期待して、エンド。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(2)

フランス映画の『白痴』(1946年・ジョルジュ・ランパン監督)に入るが、ジェラール・フィリップの人気が出る兆候はこの映画でも予想できる。無邪気な表情と哀愁に満ちた目が物語る表情のコントラストがいい。人物設定が原作に近いのではと思ったが読んでいないので正確なことはわからない。

ムイシュキン公爵とロゴ―ジン(映画の字幕による)の車中での出会いがないのである。そして、ナスターシャの愛人である資産家のトーツキイが、後にムンシュキンと相思相愛となるアグラーヤと婚約しているのである。これには驚きで、やはり原作を読まなくてはとおもってしまう。はめられてしまいそうである。そのことは別にして、先ず映画の方を進める。

頭の方の病気がありスイスで療養していたムイシュキンは、親戚にあたるエパンチン将軍夫人を頼り、将軍邸をたずねる。将軍、トーツキイ、将軍の秘書のガー二ャはトーツキイが将軍の三番目の末娘・アグラーヤと結婚するため愛人のナスターシャを持参金付きでガーニャと結婚させる相談をしており、それぞれが自分の得るお金のために動いていた。そして今夜ナスターシャの返事をもらうことになっていた。その部屋にナスターシャの写真があった。

そこで、ムイシュキンはナスターシャを知るのである。アグラーヤは汚らわし人と言い、ムイシュキンは哀れな人だと言う。「一目で君は幸せな人だとわかる彼女は違う。私と似ている。」

そのナスターシャとムイシュキンの初めての出会いは、ガーニャの家でムーシュキンがドアを開け彼女をむかえるかたちとなりみどころである。ムイシュキンはガーニャの家に下宿することになったためである。ナスターシャは結婚するガーニャの家族に会いに来たのである。ガーニャの妹に侮辱を受けナスターシャは公爵も今夜私の家に来てと告げて去る。

ナスターシャの家に関係者があつまる。そこに持参金より多額のお金を持参して現れたのがロゴ―ジンである。ナスターシャは皆の前でトーツキイが自分の後見人であったが16歳の自分を犯し、それが8年も続いたと具体的に自分の体験や意見を主張する女性である。ムイシュキンは叔母の遺産が入り、僕と結婚しようというが、ナスターシャはロゴ―ジンと去っていく。

ここで将軍は「登場人物は狂女と乱暴者と白痴」と自分たちと彼らをわける。自分たちは拝金主義であると自ら分類したのである。ロゴ―ジンも拝金主義であったがナスターシャが現れてお金の力でどうすることもできない事を知り苦しむのである。

ナスターシャとロゴ―ジンたちの祝宴の席に酔っぱらいが酒のため本を売りにくる。買ったその本は清書でナイフが挟まれていた。一つの暗示となっている。

トーツキイとアグラーヤの婚約式でムイシュキンは、「打算のために神を利用するな」といって自分の考えを主張する。ムイシュキンは神を崇める者のひとりとして自分の意見をいうのである。この映画のムイシュキンはちょっと聖職者のような雰囲気もある。アグラーヤも両親の意に従っていただけだったので、このことからムイシュキンに愛をかんじるようになり、ムイシュキンと相思相愛の関係となる。

ナスターシャは心のよりどころがなくムイシュキンを呼び助言を求める。ここでもムイシュキンは聖職者のような答えをだしナスターシャを支えようとする。そこへロゴ―ジンが現れ嫉妬するが、ムイシュキンは、十字架を買った話をする。ロゴ―ジンは兄弟の契りにと十字架を交換する。この十字架は、ロゴ―ジンがムイシュキンを殺そうとしたときムイシュキンが胸の十字架をみせ、思いとどまらせる。解りやすい宗教色の濃い展開となっている。

ナスターシャはムイシュキンとアグラーヤを結ぶ手助けをしようとし、トーツキイと将軍一家がいる場所で、トーツキイの手形をロゴ―ジンが買ったと伝える。トーツキイの資産があやしくなったと知り、将軍夫人は娘の結婚に反対する。

アグラーヤは、ムイシュキンのナスターシャに対する愛を断ち切るためナスターシャに会いにいきあなたの力は借りないと断言し、ムイシュキンにどうなのとせまる。ムイシュキンは愛の種類が違うが答えられない。アグラーヤを純真で賢い人と思っていたナスターシャは怒りから、ムイシュキンがかつて結婚すると言ったことを実行すると告げ、アグラーヤは去ってしまう。

ウエディングドレスのナスターシャ。それをながめるムイシュキン。ナスターシャが語るが、ムイシュキンは上の空である。「何を考えているの。」「アグラーヤのこと。」これはナスターシャにとっては残酷なことである。ナスターシャは姿を消す。

ムイシュキンはロゴ―ジンの家に行く。彼女はベットに横たわっていた。殺されていた。

ロゴ―ジンは静かにいう。「自由になるために彼女はここに来た。俺とお前のことを解放するために。」

野卑なロゴ―ジンとは思えない言葉である。善を主張していたムイシュキンでさえもが正直なだけに彼女を救うことができなかった。ロゴ―ジンは悪で彼女を自由にしたことになるのか。ムイシュキンの魂が抜けたような表情で映画はおわる。

映画『ナスターシャ』で他を排除してナスターシャ、ロゴ―ジン、ムイシュキンの三人をとりだし照明をあて映像化したくなることも何となくわかるのである。

将軍が切り離してくれたおかげで、拝金主義者にはそれ以上の物語性はないのである。お金に着いていくだけだから。そしてもしかして救い得た天使であったかもしれないアグラーヤは天使ではなかった。いや天使にできなかったのかもしれない。ナスターシャは天使がいなくなった話もしていて、それに対し何かの暗示かしらとムイシュキンにたずねている。暗示かもしれないとムイシュキンは答えている。

三人は迷える子羊だったのであろうか。しかし、言うべきことは言って何とか道を探そうとしていた。そのことはよくわかる。

さらにムイシュキンは、外国でロシアの時代の流れにも期待していた。「改革が進み、誰もが幸福な社会になるはずと。だがそれは口だけで誰も真剣に考えていない。偽善と卑小さと無関心だけ。誰も気づいていないのか。足元の薄い氷の下には深い穴が口を開けて破局が待っている。」三本の映画の中で、このムイシュキンの思考過程は、世の中の人よりもまともである。それがゆえに人々から白痴といわれるのであるが。

この時代のロシアというのはどんな時代だったのかという興味もわくのであるが今はここまでとする。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(1)

ジェラール・フィリップがムイシュキン公爵役の映画『白痴』(1946年)があるのを知る。映画『肉体の悪魔』の前である。これはワクワクであるが、玉三郎さんの映画『ナスターシャ』を解明しなければである。まいったな。まいったな。難しい。

映画『ナスターシャ』はドストエフスキーの『白痴』が原作で、監督はアンジェイ・ワイダ監督で脚本にも参加されている。ナスターシャの最初の登場は写真ではなくその人として登場する。ウエディングドレスでの圧倒させる玉三郎さんのナスターシャである。

ナスターシャを待つのが玉三郎さんのムイシュキン公爵。二人は結婚式に臨むのである。陰から見つめる永島敏行さんのラゴージン。突然ナスターシャはその場からラゴージンと共に逃げ去るのである。

ムイシュキンはラゴージンの家へ行き、机をコツコツコツコツと叩く。この場面がその後二回でてきて過去と現在の複雑な交差となる。舞台『ナスターシャ』の映画化ということで、ラゴージンの家の書斎でのムイシュキンとラゴージンそしてムイシュキンが白いショールと耳飾りでナスターシャに入れ替わる三人の登場人物で話しは進む。女形の玉三郎さんならではの設定でありみせどころである。

黒澤明監督の筋的な展開があるので何となくわかるが途中から混乱してくる。ということで、ジェラール・フィリップの『白痴』をみる。人物設定はこの映画が原作に近いようである。ナスターシャの登場が一番多い。この映画はここで置いておき『ナスターシャ』に再度挑戦である。

ムイシュキンとラゴージンのセリフが多く、さらにムイシュキンが能弁なのである。彼はてんかんという病いがあってロシアのペテルスブルグから離れて外国で治療にあたっていた。サンクトペテルブルクにもどる車中でラゴージンと会う。そのこともラゴージンとの部屋で二人のセリフが続く。このあたりの切り替えが初めて映画館でみたときついていくのが大変であった。今回はある程度ついていける。ムイシュキンがナスターシャの写真と対面。「いい人だといいな。」とほほづえをつきじっとながめる。

他の映画ではみられないのがラゴージンがムイシュキンを殺そうとしてナイフを振り上げた時、ムイシュキンは恐怖からてんかんの発作をおこしリアルな演技となっている。ムイシュキンは死について自分の今までの体験から自分と切り離せない問題としてあるようだ。フランスでみたギロチンの処刑のことを話す。処刑の宣告ほど残酷なことは無いとし神も言っていると。そうなのである。この宗教、神のことがでてくるとこちらは理解不能になる。ただ黒澤映画での主人公は、この処刑の間際に中止となりそれによって神経が壊れてしまったことが思い出される。

宗教に関しては、ムイシュキンとラゴージンは正反対に位置しているのかもしれない。ナスターシャに対しても相反している。ムイシュキンはナスターシャに対しては恋で愛しているのではなく憐憫から愛しているという。

ラゴージンにとって、ナスターシャが自分よりムイシュキンに好意をもっていることが我慢ならない。二人が通じ合う心が許せない。ナスターシャは自分の価値はお金に換算されるもので、肉体は暴力によって汚されているとおもっている。ムイシュキンがそうした自分ではなく汚れていない自分を見つめてくれたことに愛を感じている。

ラゴージンは、「あいつはお前にほれている。お前の顔に泥をぬることになり、お前の一生を台無しにしたくないから、絶望と一緒に俺と結婚するのだ。」と。

かなりつっこんだ議論をするムイシュキンとラゴージンの関係である。ムイシュキンは、ラゴージンが嫉妬から自分かナスターシャかどちらかを殺すと直感している。そのため女というものはとラゴージンに説明したりしてラゴージンにお前らしくないといわれる。観ている方も似合わないとおもうが彼は何とかラゴージンがナスターシャを殺さないようにと必死なのである。「じゃ僕帰るよ。」と何回となくしょげて帰るところが、ラゴージン同様止めたくなる。

ムイシュキンは、旅であった三人の話をする。二人の農夫の一人が相手の持っている銀の時計が欲しくて十字をきってから殺して時計を手に入れる。普通の農夫であるが欲しいと言う欲望に勝てなかったのである。もう一人は、スズの十字架を銀だと言ってムイシュキンに売りつけ飲み代にした。それを聴いてラゴージンはムイシュキンが買った十字架と自分の金の十字架と交換する。これで僕たちは兄弟だねとムイシュキンはいう。

ここで思ったのである。ラゴージンは、ナスターシャの愛を持っているムイシュキンではなく、ムイシュキンを所有しているナスターシャという位置にかえたのである。自分はムイシュキンを欲しいからナスターシャをころすのであると。まるでそれを理解したようにナスターシャは自分を殺すようにラゴージンを誘うのである。静かに確信をもって。あなたにしては上出来よとでもいうように、その誘いが何ともいいようがない魅惑である。そうしか今のところ解釈が働かない。

そしてラゴージンはムイシュキンに二人で息をしないナスターシャのそばで一夜を明かそうと支えあうのである。ナスターシャがいなければ二人は好い関係で存在できるのである。その時、ナスターシャは二人にとって純真な白痴として存在しているのである。

ということになりましたが、また観るとこの構成が瓦解するかもしれません。

最初の登場のナスターシャと途中で入れ替わる玉三郎さんの演技と台詞の妙味だけに気をひかれるだけで一見の価値ありです。武骨で粗野なラゴージン役の永島敏行さんも玉三郎さんの台詞に反応するのは大変だったことでしょう。ムイシュキンは突然質問したりしますし、コツコツコツコツなんて冴えた音を響かせたりします。さらにナスターシャに変わっていじめられたりもするのですから。

コツコツコツコツ、「僕よくわからないけで違うとおもう。」なんて言われそうなのでこれ以上考えず公開します。

ひとこと・寿ぎの中でのお別れ

坂田藤十郎さんの舞台を観た最後が、昨年の四月歌舞伎座での米寿を祝う『寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ)鶴亀』であった。その時の印象が強く、昨年の11月にテレビ『にっぽんの芸能』でも放映されたので再度鑑賞し、藤十郎さんの舞台に柔らかい光を放つ佇まいは、「寿」の言葉が似合う方であるとおもえた。

武智歌舞伎で歌舞伎を知らない者にも何か凄い事をされたらしいとおもわせ、お幾つのときだったのかお初の足の色香の芸を知り、心中の道行きに圧倒させられ、自己中のぼんぼんの柔らかさに笑わせられ、政岡、戸無瀬に驚かされた。

寿栄藤末廣 鶴亀』では、後に続く役者さん達に囲まれ祝われながら次世代の姿を見守りつつ、しっかり所作の息の止めと吐きどころを大切に押さえられている。(合掌)

少し時間を置いてから、あらためてDVDの『封印切』と『河庄』鑑賞いたします。

水上バス・浜離宮恩賜庭園~浅草

歌舞伎座観劇の後、ランチをして浜離宮恩賜庭園へ。飲食店を応援しようとのおもいがあるが、友人たちとの食事はやめている。一人で席を独占するのも気が引けるが初めてのお店に入ってみると、検温、消毒あり。広くて四人席にひとりでも気にならない。後から年輩の男性がひとり入店しビールを飲みながら次々とメニューを注文していく。テーブルの料理の写真を写している。お一人様に慣れているのかも。

お店を出ようとすると年輩のご婦人が入ろうかどうしようかと迷っておられる。お店のかたが声をかけられていた。お一人様いいとおもう。人数多い方が儲けがあるかもしれないが、お一人様は滞在時間が短い。

久しぶりの浜離宮恩賜庭園。入口から少し斜め後方をながめると中銀カプセルタワービルがみえる。

黒川紀章さんが設計したカプセル型の集合住宅である。どこかの美術館で紹介されていて面白いと思ったのであるが、街歩きをしていて突然この建物がみえた。ここにあったのかと嬉しくなったが、今回も確かこの辺かなと振り向いたらあった。

庭園の中に水上バス乗り場あったのを思い出しチケット売り場でたずねると、浅草行きが40分後にあり、左手に10分ほど歩くと乗り場とのこと。庭園は紅葉にはまだ早く、お花畑のコスモスを眺めつつ散策して10分前に水上バスの乗り場へ。自動販売機で乗船券を購入。ほどなく水上バスが到着。パンフレットは品切れとのこと。

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水上バスは、浅草に向かうが、日の出桟橋に寄ってから浅草に向かう。途中竹芝桟橋の案内があり、伊豆大島へ行く時利用したので懐かしい。レインボーブリッジがみえる。日の出桟橋で乗車客を乗せUターンして浅草へ。

フジテレビ。パレットタウンの観覧車。左手東京タワーで正面にスカイツリーが見える。築地大橋勝鬨橋。昨年の5月に隅田川水辺テラスを歩いた時、この勝鬨橋から始めたのである。佃大橋。右手が佃島で住吉神社の赤い鳥居が頭を出している。中央大橋。スカイツリーが近くなってくる。永代橋。左手に日本橋川。ここも日本橋から神田川コースで舟での橋めぐりにいきました。隅田川大橋清洲橋。右手に小名木川で見える橋が萬年橋。

左右の隅田水辺テラスの風景が歩いた時を思い出させる。色々な案内板があった。なるほど、ふ~ん、ほうー、などと楽しみつつ歩いたのである。塗り替え作業の橋が幾つかあり被いがしてあったりしたが全て塗り替えが完了されていた。

新大橋両国橋。左手神田川。蔵前橋厩橋(うまやばし)。駒形橋吾妻橋。終点浅草である。

浜離宮から浅草は所要時間60分ですが日の出桟橋で10分ほど停まっていました。残念だったのが船の上のテラスがなかったこと。船尾は開放されていますが、橋を前からみて通り抜けたいので船室に。窓は開放されていて川風が気持ちよかった。パンフレットが無かったので案内放送で橋を確認。

浅草で行きたいところがあったが欲を出さずに帰路に着く。

映画『ある映画監督の生涯』で溝口健二監督が少年時代みていた風景が今戸橋付近で、石浜小学校では川口松太郎さんと一緒だったのである。そして白髭橋の近くにはかつての日活向島撮影所があり今はその案内板がありそうなのである。昨年歩いたときはその情報を忘れていて気にかけなかった。

隅田川水辺テラスは勝鬨橋から千住大橋まで歩いた。

橋は歩いて渡り、渡った方のテラスを歩いたり、場所によってはまた橋を渡りもどって歩くという感じで進んだ。

桜橋の近くでは「長命寺桜もち」で休憩。「正岡子規仮寓の地」の案内板があった。「大学予備門の学生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の2階を3カ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次の句を詠んでいる。 桜の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ 」 

こんな具合でなかなか多種多様の惹きつけどころがある散策でした。 

ひとこと・歌舞伎『蜘蛛の絲宿直噺』

蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』

全神経を集中。常磐津と長唄の生が嬉しくなる。ツケも迫力あり。

猿之助さんの五役の変化は衣裳、動き、絡みと緩急自在。こちらも全てに敏感に反応。中でも幇間が気に入りました。着物の裏地の縞柄、さすが江戸っ子の遊びの粋。足さばきもいとおかし。

女房役の笑三郎さんと笑也さんの豪華衣装と佇まいが御殿の格をあらわす。

猿弥さんと中村福之助さんのはっきりした対照さがこれまたよし。隼人さんが土蜘蛛にねらわれそれも廓攻めなのに納得。福之助さんと隼人さんの存在感がなんとも若々しくすっきりしていて、それでいてぎこちなさが薄れた成長ぶりが頼もしい。

とにもかくにも楽しかった。それでいて陰でのチームワークの心意気が伝わる。襖の美しい絵から蜘蛛の巣へ。黒衣さんがラスト後ろから飛ばす蜘蛛の糸も効果抜群。

終わってみれば、あれは夢だったのか。下りてきたクモが可愛いかった。やはり夢だ。

猿之助さんの『鏡獅子』がみたい。

映画『白痴』『虎の尾を踏む男達』

映画『白痴』(1951年、黒澤明監督)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにして場所を日本の札幌にし時代を戦争の終わった後にしている。主人公は亀田(森雅之)と赤間(三船敏郎)が北海道に渡る青函連絡船のなかで出会う。亀田がうなされて奇声を発したのである。

亀田は沖縄戦で戦犯となり銃殺寸前に人違いとして助かりそのショックから神経がおかしくなりアメリカ軍の病院に入院し退院して札幌の知り合いの家に行くところであった。赤間はこの亀田が気に入り自分のことも話す。好きな女がいて父のお金を盗み彼女にダイヤの指輪をプレゼントして勘当になっていた。その父が亡くなり遺産が入ったので札幌に帰るところであった。

二人は札幌で写真館に飾られている赤間の彼女の写真をながめている。圧倒させるような美しさの那須妙子(原節子)である。亀田は、この人はとても不幸せなひとであるとつぶやく。さらに妙子の目にこの目をほかのどこかで見た目であるとおもう。

亀田は父の友人である大野家をおとずれる。大野家は那須妙子と関係があった。妙子は政治家の妾の身であったが、大野家の秘書の香山(千秋実)に持参金付きで結婚させるという話ができあがっていた。香山は大野の次女・綾子(久我美子)が好きであったがお金も必要であった。亀田の出現でこの仕組まれた動きが大きく変わっていくのである。

誰も見ぬけなかった妙子の心の中を亀田の純粋さが感じとっていた。妙子にとって同じ感性それは光であった。亀田は妙子の目と同じ目をおもいだす。処刑されるとき自分は助かるが処刑される前の若いまだ少年のような青年の目であった。自分はどうしてこんな苦しいめにあわなければならないのかと目は語っていたのである。その目と妙子の目が重なった。

この映画は非常に長くて2時間45分である。第一部が「愛と苦悩」、第二部が「恋と憎悪」である。妙子は亀田を選ばずに赤間を選ぶ。亀田は二人を追いかける。赤間は妙子の心が自分に無い事を知って亀田を殺そうと考えたこともあった。綾子が現れて亀田は綾子に恋をする。妙子への愛とは違うものであった。妙子はそれを感じていて綾子を天使として亀田を傷つけずに一緒になってくれる人として希望をもった。

しかし、綾子は妙子が亀田の理想の女性で自分と亀田の間に入って邪魔をする者と思われ、妙子と対決するのである。亀田の妙子に対する愛は、処刑の時何もできなかったあの青年と同じ妙子を傷つけないで救えないか、いや妙子の魂をじぶんが守り救わなければという愛であった。綾子への愛とは別物であった。

心のねじれは悲劇へと向かわせる。残った綾子は「私が白痴だったわ」とつぶやく。亀田の白痴は純粋さで、綾子の白痴はおろかという意味である。

出演者の個性がきわだっている。原節子さんの存在が強烈でそれでいながら心はガラスのように壊れやすく、いやすでに壊れていて、森雅之さんはそのかけらを集めて修復しようとしているようにもみえる。

この札幌のロケでは有島武郎さんの旧宅が使われていた。ロケをした家は1913年(大正2年)に建てられた家でこの家で森雅之さんは幼い頃を過ごしたことになる。『札幌芸術の森』に保存されている。森雅之さんが生まれたのが1911年で有島武郎さんの文学年表からすると、『北海道開拓の村』にある旧有島邸が森さんが生まれた家ということになりそうである。

映画のクレジットには美術工芸品提供がはっとり和光とあるのも興味深い。

ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにした玉三郎さん主演の映画がありました。『ナスターシャ』(1994年、アンジェイ・ワイダ監督)。これは映画館で観たのを思い出したがとらえられなかった。見直す予定なので、再度挑戦し納得したいものです。

映画『虎の尾を踏む男達』(1945年、黒澤明監督)は59分と短い。歌舞伎の『勧進帳』の映画化である。脚本は黒澤明監督。「虎の尾を踏む」は、長唄『勧進帳』の最後「虎の尾をふみ毒蛇の口をのがれたる心地して陸奥の国へぞ下りける」の詞からきているのである。安宅の関所をこえる時の義経一行の気持ちである。

弁慶(大河内傳次郎)、富樫(藤田進)、義経(岩井半四郎)、亀井(森雅之)、片岡(志村喬)、伊勢(河野秋武)、駿河(小杉義男)、常陸坊(横尾泥海男)、強力(榎本健一)梶原の家来(久松保夫)

強力の榎本健一さんの動き、表情、せりふがこの噺の軽さと世情を現わしている。音楽は服部正さんで、長唄の詞の一節を使って合唱にしたり、独唱や重唱などを挿入し映画の『勧進帳』を楽しめるようにしている。

安宅の関では梶原の家来を登場させ、勧進帳を読む弁慶と富樫の緊迫の場面を、弁慶と梶原の家来にかえ、勧進帳を読み終わる寸前でのぞきこもうとさせている。勧進帳を隠して巻き取る弁慶の優位性の雰囲気となる。

弁慶と富樫の山伏問答も簡潔にし富樫は関を通ることを許可する。そして「虎の尾を踏み~ 虎の尾を踏み~」と合唱がながれる。

そこへ梶原の家来が呼び留めて弁慶の義経を打つ。驚いて止めに入るのが強力である。何が起こったかわからないのである。その様子を見て富樫は家来が主君を打つはずがないと逃がす。

弁慶が義経にあやまるところで、強力がいう。そういうことだったのか。弁慶が気が狂ってしまったのかとおもったと。ここで初めて義経が顔をあらわす。十代目岩井半四郎さんは襲名したのが1951年なので本名の仁科周芳となっていてDVDなので(岩井半四郎)とクレジットされている。

そこへ富樫の家来がお酒を持参する。その盃に富樫氏の八曜紋が描かれているので、富樫は弁慶に対し、あなたの行動には感服したとの意があるのだろうと想像できる。

ここでの舞も強力がどじょうすくいをいれて陽気に踊る。そして弁慶がひとさし舞うと立ち上がって場面がかわる。見事な雲である。強力が酔って寝込んでいる。彼は目をさまし夢ではなかったのだと確信し、飛び六法で立ち去るのである。最初に観たときも面白いとおもったがやはり上手く作りあげられていると再度まいってしまった。

せっかくなので、歌舞伎の『勧進帳』(1997年・平成9年収録)のDVDも観る。映画で山伏に姿を変えているとの情報から弁慶が自分たちは艱難辛苦を通過してきたのだから作り山伏などではない。本当の山伏の姿だという。たしかにである。歌舞伎のほうは優美なつくり山伏なのが歌舞伎である。弁慶が團十郎さん、富樫が富十郎さん、義経が菊五郎さん、常陸坊が左團次さん、そして三之助時代の新之助さん、菊之助さん、辰之助さんである。

観慣れているのに、違う分野で観たあとのためか新鮮で、そうそうこうなるのであると一つ一つ確認する感じでしっかり堪能してしまった。長唄もたっぷりである。こういう交差も好いものである。

映画『武器なき斗い』『わが青春に悔なし』

映画『武器なき斗い』(1960年・山本薩夫監督)より14年前に映画『わが青春に悔なし』(1946年・黒澤明監督)を撮られているのだが、時代としては映画『武器なき斗い』は1920年代、『わが青春に悔なし』は1930年から1940年代までである。

武器なき斗い』は生物学者で政治家であった山本宣治さんが産児制限や農民運動などで貧しい人々に手をかし、政治家となるが右翼によって殺されてしまうのである。

メッセージの文が映し出される。「山本宣治は生物学者であった。いのちをかぎりなくあいしたが故に貧しい人々に深く同情し、抑圧する権力を憎んだ。山本宣治の意志は、平和と独立のために斗う日本人民の心の中に生きる。」

映画では、暗い雨の中、記念碑のような大きな石に向かって周囲を気にしつつ人々が何かをしている。これがよくわからなかったのだが、これは山本宣治さんのお墓の裏に「 山宣ひとり弧壘を守る  だが私は淋しくない  背後には大衆が支持いてゐるから 」と彫られているのだがそれを埋めてぬりつぶされるので農民たちがそれを削り取って字が見えるようにしているのであった。そういう弾圧もあったのである。

山本宣治(下元勉)は両親(東野英治郎、細川ちか子)が経営している京都宇治にある料亭「花やしき浮舟園」に妻子(渡辺美佐子)と住んでいる。

山本宣治は婦人たちを集めて避妊のことなどを教えて歩く。貧しい中で女性達の負担は大きく、女性達に自分で選ぶ権利をもってほしかったのである。婦人たちも知識がないため知りたいと思う。生物学者である山本宣治は静かに研究がしたかったが、小作人たちの生活をみていると地主の横暴に黙っていられず色々な法的知識も教えなくてはとおもう。農民たちが行動すればそれを手伝う。京都大学と同志社大学で教職についていたがそこから追われるかたちとなる。

次第に他の人から頼られ応援もあり労働農民党から国会議員選挙に出馬し当選する。治安維持法改正に反対する国会での質問をまえにして彼は東京に泊まっていた神田の旅館で右翼(南原宏治)に刺殺されてしまうのである。

地主制度は詳細には調べていないが小作人がいかに支配され耕作権が無視されていたかは想像できる。弁のたたない小作人に自分たちの意見を言えるように助け、何んとか理論的に守ろうとしたのが山本宣治であった。そして治安維持法が改正され貧しい人々やそれを応援しようとする人々を弾圧するとして国会で明らかにしようとしていたのである。

原作は西口克己さんの小説「山宣」で、西口さんは映画『祇園祭』の原作者でもあった。脚本は依田義賢さんと山形雄策さんで、依田義賢さんは映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(新藤兼人監督)を見直していたところなので発見が多い。

山本宣治さんの実家の「花やしき浮舟園」は今も旅館として残っている。これまた驚きであった。宇治には3回ほど行っているが平等院、宇治上神社、源氏物語などしか頭になかったので今回この映画を観てあの地でこういう闘争と関係があったのだと教えられた。

山本宣治役の下元勉さんはひょうひょうとして優しく大きな流れのなかで闘った闘志というイメージではなくかえって、進んでいくうちに次から次と道を見つけていきそれに従う芯を感じさせる。お母さんの細川ちか子さんが気丈で料亭を采配しつつ息子を応援する役どころが印象的である。

宇治川は色々な歴史を感じながら流れているのである。

この時代のあとにつづくのが映画『わが青春に悔なし』である。

字幕が映し出される。「満州事変をきっかけとして、軍閥、財閥、官僚は帝国主義的侵略の野望を強行するために国内の思想統一を目論見、彼等は侵略主義に反する一切の思想を”赤“なりとして弾圧した。「京大事件」もその一つであった。この映画は同事件に取材したものであるが、登場人物は凡て、作者の創造である。」

昭和8年(1933年)に京都大学の学生と八木原教授夫妻(大河内傅次郎、三好栄子)と娘・幸枝(原節子)が吉田山にピクニックにいくのどかな明るい場面から始まる。その学生の中に、野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)がいる。二人は幸枝を意識している。

八木原教授は京大事件によって京大を追われてしまい、それに対して大学の弱腰に我慢できず野毛は行動を起こし検挙されてしまう。幸枝は糸川と結婚すれば平凡に安泰であろうが野毛と結婚すれば激動の人生を送らなければならないであろうと想像していて、野毛に魅かれつつも踏み込めなかった。野毛は刑務所から出て来て糸川と八木原宅を訪れる。野毛は変わっていた。

幸枝は親から自立し東京で暮らす決心をする。希望のない生活のための仕事であった。そして野毛と再会する。幸枝は悔いのない人生をおくりたいと野毛と結婚する。野毛は自分が陰でしている仕事を幸枝には教えなかった。ただ10年後には皆がわかってくれることをしているのだと語る。

野毛は再び検挙される。戦争妨害大陰謀事件の首謀者とされた。幸枝も警察に引っ張られるが彼女は何も知らなかったので留置所から出られるが、野毛は留置所で亡くなってしまう。

彼女は妻として野毛の実家におもむく。実家はスパイの家として村八分であった。彼女は農婦となり姑(杉村春子)と水田を耕す。それをみて息子を不名誉と想い物言わず動かなかった舅も水田に出て立てかけられたスパイとかかれたムシロを引き抜き立ち上がるのである。幸枝はそこに根を張り農村の婦人たちのためにも新しい風を送ることを決意する。

戦後、八木原教授も京大に戻り、講演する。野毛隆吉は今はいないがそこの椅子に掛けていた。諸君のなかから同じ志の人がつづくように自分はがんばるのだと。

大河内傅次郎さんの独特の言い回しは押さえられている。大河内さんの黒澤映画で思い出すのは『虎の尾を踏む男達』の弁慶である。藤田進さんは『姿三四郎』で黒澤監督ともども広く知られるようになった作品である。

原節子さんと言えば小津安二郎監督と原節子であるが、この『わが青春に悔なし』の前半の原節子さんは何とも言えない怪しい美しさがある。自分の心の迷いを現わしているのだが日本人というより外国人の表情を観ているようである。後半は農婦となりリアリズムに描かれていくがその差の幅が興味深い。小津監督の原さんとは違う魅力である。黒澤監督の『白痴』を見直したくなった。『わが青春に悔なし』の脚本が久保栄二郎さんで『白痴』の脚本が久保栄二郎さんと黒澤明監督の共同作業である。

原節子さんは、孤高の人というイメージが強いが、多くの監督の映画に出られていて俳優は監督の素材であるということに徹しられていたように思える。素材であるから生身は自分として生きる自由をもらいますといった分け目がはっきりしていた方のようにおもえるのである。