2012年締めの観劇 『日本橋』

2012年の最後の観劇が、日生劇場の『日本橋』になった。最後にしてまたもや良い芝居に巡りあえた。 録画で玉三郎さんと孝夫(仁左衛門)さんの『日本橋』も観た。他の方々のも観たが、どうも腑に落ちなかった。泉鏡花の世界はこれだけか。自然主義に挑戦してきた彼の花柳界を描いたものがこんなところに落ち着いていい訳が無い。小説を自ら戯曲にしたのであるから舞台の上で、芝居として表現してこそ自分の世界を現せると考えたのではないか。玉三郎さんにとって25年目の『日本橋』である。それまで演じられてきた足跡は確実に『日本橋』を鏡花の世界にした。

言葉は美しくさらに『日本橋』にも<異界>はあった。それは、葛木の姉の身代わりの人形の世界である。

稲葉家のお孝と葛木の出会う一石橋の場面がいい。もうここで鏡花の言葉と世界に操られる。雛祭りに供えた栄螺(さざえ)と蛤(はまぐり)を汐入りの川へ返してやる放生会、その事自体が粋である。葛木はそのため巡査の不審尋問にあう。お孝は、巡査に向かって、雛にあげて口を利いた生き物を蒸したり焼いたり出来ないと伝法に言い放つ。この辺の言葉からもうお孝の人物像ははっきりしている。

葛木は姉に似ている瀧の家の清葉に7年目にして打ち明けるが清葉は旦那があり葛木を受け入れない。お孝はその事を知っていて葛木に近づいたのである。お孝の中にはその時邪悪なものが在ったのかもしれないが、葛木にも観客にも見えない。見えないだけに五十嵐伝吾との事で後悔するお孝の苦しみが悲痛である。

葛木が清葉との事をお孝に話して聞かせるとき、回り舞台を使い清葉を登場させ、お孝を明かりの外に置く。これは、葛木が清葉との会話を全てお孝に誠実に話したことになり、また重要な姉のことがくっきりと浮かび上がる。葛木の姉は自分に学問をさせるため人の妾となり、絶対に自分と会おうとしない。葛木が学校を卒業すると姉は雛人形と姉に似た人形を残し姿を消してしまう。姉は弟に対し自分の現実の姿を見せようとはしない。姉が弟に残すのは<異界>の姉である。葛木は生身の姉を受け入れようとするが姉はそれを許さない。葛木は一層生身の姉を求める。ところが夫婦とも思ったお孝が伝吾をもてあそんだと知ったとき彼は、姉を捜す旅に出てしまう。

その事を告げられる前に葛木の研究室でお孝はお雛様の飾った横に姉に似た人形を抱かせてもらう。黒の羽織を脱ぎそれに包んで抱きたかったという。お孝はその人形で自分を浄化させたいと願っているようでもある。しかし<異界>の人形はそれを拒否する。

葛木が旅に出てからお孝は気がふれてしまう。伝吾はお孝と間違いお千世を殺してしまう。正気にもどったお孝は、伝吾を殺し硝酸を飲み、戻っていった葛木の腕の中で、清葉に葛木の事を託すのである。この時思ったのは、お孝は葛木が望んでも入る事の出来ない<異界>から清葉に預けることで切り離し、自分が<異界>に入ったなと感じた。人形はそれを許したのである。それが私の『日本橋』の鏡花の世界観である。

出て来る市井の人々も生き生きとしている。もっと人間の交差は入り組んでいる。その中で必要な部分は浮かび上がらせる。とにかくお孝さんも清葉さんも着物の着付け方、左つまの位置、立ち姿、動きかた、美しい。ため息がでる。清葉の帯指した笛の包みの薄いブルーも美しい。彼女は笛の名手なのだがそれを使うこともなくなっている。お孝が最後清葉の笛の音の中で死出に旅立つが、それは、芸に生きてねとも伝えているようである。

一つだけ残念だったのは、路地を舞台装置として作れなかったことである。葛木が日本橋に戻ったとき背景の絵に屋根を描きその雰囲気を出そうとしていたが、金沢の鏡花の住んだ町からしても路地が欲しかった。残念である。

作・泉鏡花/演出・齋藤雅文・坂東玉三郎/ 稲葉家お孝(坂東玉三郎)・滝の家清葉(高橋恵子)・葛木晋三(松田悟志)・五十嵐伝吾(永島敏行)・お千世(齋藤菜月)・巡査(藤堂新二)・植木屋(江原真二郎)

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<日本橋> →  2013年1月3日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

《満天姫》の周辺と大滝秀治さんの事など

舞台『満天の桜』の脚本家・畑澤聖悟さんは、民藝への書き下ろしはこれが二作目で、一作目『カミサマの恋』では、奈良岡朋子さんが津軽弁で演じられたので観たかったのであるが残念ながら時間が取れなかった。奈良岡さんは女学生時代弘前に疎開されてて、きちんとした津軽弁であったようだ。

畑澤さんは青森県立青森中央高校の演劇部顧問でもあり震災の被災地からの転校生を巡る作品『もしイタ~もし高校野球のマネージャーが「イタコ」を呼んだら』をつくり、第58回全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞している。被災各地を部員とともに無償で上演してもいるらしい。

満天姫に関しては、歴史小説「満天姫伝」(高橋銀次郎著)があり、ネットで「満天姫旅日記」を検索すると、作者の取材の旅を辿ることができる。チラッとのぞかせてもらったが思いがけない地にも満天姫の足跡があるようで再度ゆっくり読ませてもらう。

劇団民藝の長老・大滝秀治さんが役者人生を全うされた。最後に観た『巨匠』の最後まで俳優を貫いた役と重なる。ありがたい事に『浅草物語』『喜劇の殿さん』『座漁莊の人びと』なども観させてもらった。思うに、三演目とも小幡欣治さんの脚本で奈良岡朋子さんとの競演である。

『浅草物語』では、吉原の花魁あがりの20歳年下の奈良岡さんに惚れて結婚を考える大滝さん。結婚などさらさら考えていないさっぱりの奈良岡さんに対し、ルンルンの大滝さんが可笑しかった。『喜劇の殿さん』は喜劇役者ロッパさんの話。一世を風靡したロッパ(大滝)さんも晩年は日のあたらない場所に。ミヤコ蝶々(奈良岡)さんが、自分の劇団に招くが演技になら無い。楽屋でこれだけをしてくれればいいからと指導するがそれも覚束なくなっていた。『座漁莊の人びと』では西園寺公望(大滝)の別荘・座漁莊にもと奉公していた新橋の芸者・片品つる(奈良岡)が執事に懇願され女中頭として7人の女中を束ねていく。これは西園寺公望さんがどういう方かよくわからないので困ったが、つるさんが西園寺さんの為に女中さんたちをまとめていくところは面白かった。西園寺さんは偉い方でも、日常的にはつるさんに任せるしかない。何か奈良岡さんがいつも大滝さんをしっかり支える役で、それがお二人の演技に合っていて、その兼ね合いをいつも楽しませてもらっていたような気がする。その掛け合いがもう観られないのは淋しいことである。合掌。

 

 

 

三越劇場 『満天の桜』

劇団民藝の公演である。津軽藩主二代目の時代の物語である。頼朝の鎌倉幕府は始めての武家政治で、戦って勝った者に土地を与えると云う事で統治していった。非常にわかりやす、力ある者が得るという世界である。徳川になってからは、もう戦って勝った者に土地を与える土地がない。ある土地を上手くまわすだけである。

お家騒動があればそれを理由にお取りつぶしとなり、継ぐ跡取りがいなければこれもお取りつぶしとなり、誰かに与えたりする。そんな時代である。芸洲、福島正則の養嗣子(ようしし・跡を継ぐ養子)正之に家康は姪の満天姫(まてんひめ)を養女とし、嫁がせる。満天姫は直秀をもうけるが、夫・正之は幽閉され獄死する。その後満天姫は実子の直秀を弟とし、津軽藩二代目藩主・津軽信枚に再嫁する。これも家康の北を統治する策略である。

信枚には石田三成の娘との間にもうけた信義がおり、満天姫は自分の子を津軽藩家老の養子とし信義を津軽家嫡男として育て夫亡き後は信義を三代目藩主とする。満天姫は葉縦院と名乗り津軽藩のために尽力するが、実子・直秀が福島家再興を言い出す。そんなことをお上に申し出れば津軽藩はお取りつぶしであり、直秀の命もなくなる。

満天姫の幼い頃から仕えた女中頭・松島は、家康近くに仕える南光坊天海が訪ねて来た事に重大さを察し、天海と話し合う。ここがこの芝居の一番のかなめである。直秀の命と引きかえにしか津軽藩と天下泰平は守れない。松島(奈良岡朋子)と南光坊天海(伊藤孝雄)の会談は緊迫感があり、どうしてもそうせざるおえないと納得させる空気に充ちている。

直秀の中には、母を姉としか呼べず、家老の養子である屈折から死をかけても主張しようとする何かが渦巻いているようである。静かにしていれば平穏に暮らせるという母の願いも聞き入れない。

ついに決断しなければならなくなる。直秀が桜が好きと思い松島は苦労して桜をやっと一本、十数年かけて花を咲かせる。直秀は桜を好きだと言ったのは姉(母)だと話す。松島は結果的に満天姫のために桜を育てていたのである。直秀亡き後満天姫は松島と口をきいてくれず、亡くなる。松島は城を去り、ひたすら城内に桜を植え続ける。

舞台は桜を植える年老いた松島の姿で始まりそして終わる。泰平の世になっても時代に翻弄される人々の物語である。子の命のみを考え生きてきたのにそれが叶わず、主人の安泰のみを考えていたのに深い溝を作ってしまう悲しさ。大義名分では埋め尽くせぬ悲しみである。桜のみがその心を知っている。

 

日本橋から品川宿 (2)

寄り道はせずひたすら道のみを歩くことに決めた。暖房はあったが屋根なしの船だった為か、体が冷えていたので歩くには好都合であった。

日本橋から京橋に向かう。京橋には<京橋大根河岸青物市場跡の碑><江戸歌舞伎発祥の地の碑>がある。中村座のあったところで座元は初代中村勘三郎である。1624年であるから約390年前から中村屋は続いている。勘九郎さん、七之助さんのこれからの責務は大きいのである。

銀座に入ると歩行者天国になっていて道の真ん中を歩いたため碑などは無視となってしまった。銀座4丁目を進み銀座と新橋の間に<銀座の柳の碑>。西條八十作詞・中山晋平作曲の「銀座の柳」の詞と楽譜が。

新橋から浜松町へ。左手には浜離宮庭園が位置する。浅草から水上バスで行ったことがある。そして同じ方向JR浜松駅の東京湾寄りには旧芝離宮恩賜庭園であるがまだ行っていない。一度は行きたい点である。右手奥には増上寺、芝公園、東京タワーであるが、この点は行っている。ビルの間からチラッと東京タワーが見えた。とにかく線を目指しているので第一京浜を歩く。地下鉄「三田駅」のそばに<勝海舟・西郷隆盛会見の地の碑>がある。西郷隆盛は西郷南洲となっていて、西郷吉之助書とある。いつ書いたのか気になるが軽く流す。この会見で江戸は火の海から救われるのである。当時この辺は裏がすぐ海で月の美しい風光明媚なところだったようで落語の「芝浜」の舞台もこの辺りらしい。札の辻の歩道橋をわたると<港区の花あじさい>とあり、さら進むと<港区の花バラ>とある。引き返して<港区の花あじさい>を再度たしかめる。港区の花は二つなのであろうか。軽く、軽く。

どうも街歩きらしきご婦人が階段を上がってくる。「街歩きですか。」と尋ねると「泉岳寺から来ました」と。泉岳寺が近いのか。仲間たちは泉岳寺に寄ったようだがその点も行っているので前進。楽勝、品川。考えが甘かったのであるが。

品川駅の前を通り、いつか原美術館を捜すのに手間取ったことを思い出す。いよいよ東海道品川宿である。入り口の案内板を見ると最終に<鈴ケ森刑場跡>とある。ここだったのか。

勘三郎さんの最後に観た舞台が2月の新橋演舞場の「六代目中村勘九郎襲名披露」である。「御存知鈴ケ森」の白井権八。美しかった。綺麗な形で、勘三郎さんがもどってきてくれたと安堵したのに。「土蜘(つちぐも)」では勘三郎さん、仁左衛門さん、吉右衛門さんが番卒で豪華に脇をかためられていた。西郷隆盛の名前を目にすると「西郷と豚姫」の勘三郎さんの豚姫を思い出す。純情で初めて恋をして思いつめて、それでいながら自分を励まして周りに可笑しさ振りまいて。舞台場面を思い出していたら止まることがない。役者18代目中村勘三郎さんを忘れることはない。

ではゆっくりと北品川商店街を楽しんで帰路に。途中、古本屋さんに寄ってご当地のマップを買う。小さい本屋だがその狭さにきちんと迷路のような本の積み上げ方。いかにして多くの本を狭い中に並べるか考えに考え抜かれたのであろう。眺めたいのを帰りにしますと伝える。

足の裏に痛みがきて品川橋まで永く感じられる。マップを開くと3分の1位来ている。まずは鈴ケ森まで行き帰りにゆっくり歩こうと足を速める。青物横丁商店街、鮫洲商店街。かなりある。横路地には沢山の神社やお寺があるようだが横目で見過ごす。突然、<龍馬通り>の道しるべ、坂本龍馬像ありのお知らせの路地。どうやら京浜急行の「立会川駅」までの横路にあるらしい。そして浜川橋(なみだ橋)。鈴ケ森の刑場に引かれる罪人と縁者が涙ながらに別れた橋とある。そこから7、8分、やっと目的地に到着。旧東海道と第一京浜(国道15)がぶつかるところの角で陰惨さはない。道にあまりにも近いので旅人もお仕置きがあれば遠くからでもわかったことであろう。旅の途中では遭遇したくないものである。

龍馬さんとこの町の関係は知りたいので京急の「立会川駅」までもどる。途中の公園に龍馬の像がある。立会川河口の浜川砲台に、龍馬は黒船来襲の警備に通ったのである。そうであったか。やっと電車に乗れる。古本屋さんの事はもう頭になかった。

帰ってきてからマップを見ると、驚く事実もあった。あの映画「ゴジラ」でゴジラの第一歩が品川宿入口のそばにある八ツ山陸橋である。数日前ドキュメント『イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎の知られざる絆』を見ていたので親近感がわく。ここにゴジラは上陸したのか。ジョージ秋山さんのマンガ「浮浪雲」の舞台が江戸時代のここにしている。土佐藩主最後の山内容堂のお墓もある。日蓮の直弟子・天目上人が開祖した天妙國寺には、切られ与三郎とお富、剣豪・伊藤一刀斎、浪曲の桃中軒雲右衛門、新内の鶴賀新内等が眠っている。ゼームス坂の近くには高村智恵子終焉の地でゼームス坂病院があった場所に<レモンの碑>がある。

恐るべし品川宿。今度は点としてもう一度訪ねたい。

追記: その後、京急大森海岸駅から続きを歩いたので鈴ケ森の刑場跡から多摩川までの写真を載せます。

磐井神社

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鈴石による鈴ケ森の由来

梅屋敷

里程標

旧東海道・川崎宿から神奈川宿 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

日本橋から品川宿 (1)

東海道を歩くという仲間がいて1回目、日本橋から品川辺りまでと誘いを受けたが、体の故障でいけなかった。そのため一人で実行に移すことにする。三越劇場へ民藝の「満天の桜」を観に行ったとき、日本橋から墨田川周遊30分コースがあるのを知ったので、それを組み込むことにする。

<日本橋魚市場発祥地碑>があり解説板によると、佃島から将軍家、旗本に魚が届けられ、その残りを庶民用にさばくためここに魚市場が開かれたのが始まりだそうだ。

佃島は、江戸時代初期に摂津国佃村(大阪市)の漁師たちによって開かれたところで、将軍に毎年白魚を献上しており、かがり火を焚いての白魚漁は江戸の風物詩だったようです。                                                     と記したが、佃島の漁師たちは家康が連れて来たとの話もあり、佃島は将軍家の魚市場だったわけである。としますと、大久保彦左衛門は庶民用の一番善い魚を一心太助に届けてもらったことになる。

【 日本橋クルーズ 】

日本橋の昨年出来たという日本橋桟橋から船は出る。その桟橋には<双十郎河岸>と西の坂田藤十郎さんと東の市川團十郎さんの名前に因んで河岸名が付けられた。海に続いているので満ち潮もあり船は屋根が無い。一度<日本橋>を潜る。橋げたが低いので下を通るというより潜る感じで橋の作りが肌に伝わる。Uターンしてもう一度<日本橋>。東野圭吾さんの推理小説「麒麟の翼」でこの橋の麒麟は再度注目された。表紙の写真に釣られ読んでしまった。ライオンの方は橋に32個あり川下から見えるものもあった。

上は高速道路である。それも愉しみの景観の一つと加えなければ気が滅入る。<江戸橋><鎧橋><茅場橋>右手には日本橋水門がある。<湊橋>ここで高速道路が消え空が顔をだす。ゆりかもめが飛んだり水面に浮かんでいたり。ゆりかもめは冬鳥で春には寒い所へ渡ってしまうらしい。船長の“生”コースガイドの声がなかなか良い。<豊海橋>を通ると日本橋川は墨田川に出る。急に揺れが大きくなる。<墨田川大橋>先には<清洲橋>が見え、その先にスカイツリーが姿をあらわす。<清洲橋>は国の重要文化財になってる。

[8月23日[深川本所の灯り(3)]2012年8月23日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)で、「万年橋を渡り川岸へ降りるとスカイブルーの清洲橋が見える。とても美しい橋で後ろの高層ビル群の前に<われここにあり>と横たえている。ドイツ・ケルン市にあったライン川にかかる大橋をモデルに造られたそうだ。」と記したが、反対側から見た時のほうが美しかった。見る方角、光の加減で橋の姿は変わるものである。

Uターンして<永代橋>へ。この橋も国の重要文化財である。国の重要文化財の橋はもう一つあって<勝鬨橋>である。<永代橋>を通ると先には<中央大橋>が、そばに大川端リバーシティー21のマンション群が林立する。再びUターンして日本橋川に入り日本橋へと向かう。

時間があれば<日本橋川・神田川めぐり>や<浅草・日本橋めぐり>もある。今回はミニクルーズであったが楽しめた。帰りにもとあった川を埋め立てて出来た高速道路がビルの間からでている景観も説明され、子供のころ雑誌にのっていた未来の生活の絵のようだと思った。絵の方は夢があったが、現実はいささか老朽化していた。違う角度から見るのも良いものである。橋は様々な形をしている。作る時にはいろんな思いが込められているのである。

日本橋から品川宿 (2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

本との縁ある出会い

パソコンで想わぬ映像や書き込みに出会うのも嬉しいが、本との出会いは格別である。

図書館で「冥途の飛脚」を捜していたら、その隣に「“古典を読む” 平家物語」(木下順二著・岩波)が並んでいる。『平家物語』に出てくる人物を<忠盛・俊寛・文覚・清盛・義経・知盛>物語の中から追いもとめ、それぞれの生き方を捉えている。文覚を『平家物語』から選び抜粋していたので、抜け落ちが無いかどうか確認でき助かった。

「“古典を読む” 平家物語」の、<巻尾に>に木下さんが『平家物語』と本当に付き合いだしたのは、 <1957年、故・石母田正君の「平家物語」(岩波新書)に接した時からだと言っていい>と書かれてある。石母田さんの本は、木下さんの本と出会う数日前に初めて入った古本屋さんで目にし購入していた。またまた奇縁である。

木下さんは、画家・瀬川康男さんと組まれ「絵巻平家物語」(全九巻)を作られた。瀬川さんが凝りに凝って刊行に八年かかったとある。一人一巻で岩波の本に<祇王・忠度>を加えている。この本は児童書であるが、年数をかけただけに絵・文章ともに味わい深く解かりやすい。

さらに木下さんは<山本安英の会>で “群読” という問題を考え始め、「『平家物語』による群読ー知盛」を発表、上演し、その延長に「子午線の祀り」があるという。

この「子午線の祀り」は、1999年に出演・野村萬斎・三田和代・鈴木瑞穂・市川右近・木場勝巳・観世栄夫・等で見ている。その物語の膨大さに感動したのであるが、細部は解からなかった。その頃『平家物語』は頭の中にはない。もう一度観たいものであるが、戯曲だけでも読む事とする。

 

国立劇場 12月文楽公演 (2)

『刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』                     【高野山の段】

石童丸は一人で高野山に登り一人の修行者に会い父の名を伝え尋ねる。その修行者こそ名を改めた父・刈萱道心でしたが刈萱は <『待てしばし、仏前にて誓ひを立てたる恩愛妹背、ここぞ』と思ひ>名乗らず、母親のためにと薬を与え <来た道筋は難所にてくたびれ足では叶うまじ。こちらへ往けば花坂とて平地も同じ事、馬もあり駕籠もありいざいざ立つて往かれよ>と泣く泣く引き返す石童丸の跡をそうっと追うのである。

石童丸の幼さ、刈萱道心の修行者の姿になっても迷う父の子に対する気持ちは、高野山という情景の中で静かに淡々とすすんで行く。

私たちは、大阪難波から南海高野山線で極楽橋駅へ、高野山ケーブルで高野山駅へ、そこからバスで高野山へ登っていったのであるが、石童丸は <いたはしや石童丸、かかる難所をたどたどと心も空に浮き草の根ざしの父は顔知らず、名のみしるべに尋ね往く。>

大夫の語りと太棹の糸に乗って物語の高野山へと導かれていくのである。

『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)』                                                【新口村(にのくちむら)の段】

『傾城恋飛脚』は今回が初めてなのかもしれない。『冥途の飛脚』は【淡路町の段】【封印切の段】【道行相合かご】まで見ている。【新口村の段】は『傾城恋飛脚』で見る事になった。        実話を人形浄瑠璃作品にしたのは近松門左衛門で、その改作に紀海音(きのかいおん)の『傾城三度笠』があり、これらの作品を基にしたのが『傾城恋飛脚』である。(今回学んだ)

歌舞伎では『恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)』 【封印切】【新口村】となり、こちらは何回も見ている。

『傾城恋飛脚』の【新口村の段】は、公金を横領するかたちとなってしまった大阪の飛脚屋・亀屋の養子・忠兵衛が遊女・梅川と落ち延び忠兵衛の父・孫右衛門との対面と別れの場面である。忠兵衛と梅川は追われる身なので孫右衛門の家に往く事は出来ず、孫右衛門の下働きをしている人の家を尋ね、その家の内で孫右衛門と会う。歌舞伎では外での対面だったので違うなとおもいつつ見ていた。

孫右衛門は氷に足を滑らせて転び鼻緒を切ってしまう。それを梅川が家の内に招き入れすげ替えてくれる。孫右衛門は言葉の様子から息子の恋人・梅川と知る。孫右衛門は養子先の親への義理から息子に会えば訴人しなければならないので息子には会えない。梅川は機転を利かせ、孫右衛門に目隠しをして親子の対面させ、そっと目隠しを外す。再会を果たしてもすぐに別れなくてはならない親子。孫右衛門は二人に裏の道を教え涙ながらに見送るのである。

『冥途の飛脚』では親子は直接会わず、忠兵衛と梅川が捕えられて孫右衛門は対面するかたちと成り、忠兵衛は父に自分の姿を見せたくないので、<面を包んでくだされ>と頼み、忠兵衛が目隠しをして幕となる。

今回の親子の対面は、語りが竹本文字久大夫さん、三味線が野澤錦糸さん。文字久大夫(もじひさだゆう)さんの師匠は、人間国宝の竹本住大夫さんでその相方の錦糸(きんし)さんの三味線だったので、時として住大夫(すみだゆう)さんを思わせるかたりの部分があり思わず床の方を見てしまった。テレビのドキュメントで文字久大夫さんが住大夫さんから何回も駄目だしをだされながら教えを受け、住大夫さんが公演で語るときは床下に位置し学ばれていたのが印象にある。その住大夫さんが、引退された越路大夫さんのところに教えを請いに往かれ、そばには錦糸さんが常にいて伝統芸能を受け継ぐ厳しさを伝えていた。

 

 

 

北林谷栄さんとミヤコ蝶々さん

水木洋子さんはエッセイの中でお二人の事を書かれている。

北林さんは映画「キクとイサム」の時 <その最初の打ち合わせに農村漁村の分厚い風俗写真集や、へキ地で老婆から譲りうけた着物や帯や、財布のアカじみた数々をかつぎこんで、どれにしようかと見世をひろげる北林谷栄の土根性は、映画を金かせぎと考える人たちには見られない一本気であり、またヅラ(かつらのこと)一つにしても、予算で意にそわないものは、自前を投じても他であつらえなおすという慎重さは、顔に描くシワひとつにしても背や腰に入れるフトンひとつにも彼女独自のチミツな工夫がある。>

水木さんは映画「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」の北林さんの競演するお婆さん役にミヤコ蝶々さんを希望した。 <映画で北林さんと競演の時、ひそかに8ミリで自分の歩きつきを研究し、北林さんはコンタクトレンズに凝るなど、火花の散る両者であったが、私の目算通り、蝶々さんは創り上げた相手に対し、さりげなく淡々と味を滲み出して天下の婆さん女優に遜色を見せなかった。>

ミヤコ蝶々さんは <それからお婆さん役が続々ときて、音を上げ、イメージがこわれると断るようになったと聞いている。>

「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」のラスト、自殺を考え薬を飲もうとする蝶々さんが見るテレビの中に北林さんが、マイクを突きつけられテレビ局の演出のもっていきたいほうにしゃあしゃあと養老院で上手く行っていると答えている。北林さんは自殺まで考えて飛び出して来た所なのだからバラ色の世界の場所ではない。蝶々さんもそれは解かっている。でもここだけしか自分の居場所が無いと悲観するよりも、同じ行動を取った友もいるということに生きる価値を回復させるのである。したたかな老人にならなければ。

役者としてもそれぞれの個性を貫くしたたかな心意気をもたれたお二人である。

こちらでも少し触れている →https://www.suocean.com/wordpress/2012/12/16/

国立劇場 12月文楽公演 (1)

『刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』                                              【守宮酒(いもりざけ)の段】

<守宮酒>というのは、つがいのイモリを浸した酒で、これを飲むと心寄せる人間が自分のほうへ心が傾くという媚薬である。

筑紫国の城主・加藤繁氏(刈萱道心)は世を儚んで出家してしまい、幼い石童丸が跡継ぎとなる。そこへ、豊前国の領主・大内之助義弘が加藤家の家宝<夜明珠(やめいしゅ)>をさし出せと命じる。加藤家は、この珠(たま)は二十歳を過ぎた穢れのなき娘がもたなければ光を失うと伝え、義弘の家臣の娘ゆうしが使者として受け取りに来る。

人形ゆうしの衣装、紅白梅の飾りを付けた被りもの、出で立ちが美しい。ゆうしは伊勢神宮に仕える娘で、操を守るため髪に白羽の矢を挿している。人形の衣装の着付けは、その人形を遣う人が整える。そのため少しゆったりと着付けたり、引きつめて着付けたりする事によって人形の雰囲気も変わるのであるがそこまで見極めるのは至難の業であろう。

ゆうしは自分の任務を果たすべく気を引き締めて来たのであるが、この<守宮酒>を飲まされ、加藤家の執権・監物(けんもつ)の美男の弟・女之助と結ばれてしまう。その事を盾に取り、偽物の<夜明珠>を見せ、ゆうしの不浄により珠が光を失ってしまったと説明する。  ゆうしは自分を恥じて髪に挿していた白羽の矢で喉をつく。うまい道具立てである。

ここでゆうしの乱れ姿が一層悲しみをおびた色香となり、半身の白い衣装の袖がゆらゆらゆれる。人形だけに透明感のある美しさである。人形は時として生身の人間では表現できない艶かしさを見せてくれる。ゆうしは自分の父に向かい契ったからには女之助は夫であると主張し息絶える。

ゆうしの父は図られた事を悟るが娘の死を無にせぬため、珠を切り〈この珠こそ娘の敵である。あとでその珠偽物などというなよ。本物があるなら石童丸と御台に持たせて立ち去れ〉と言い残す。その夜、石童丸御台は加藤繁氏のいる高野山に向かうのである。

物凄い展開である。お家騒動があり、そこには常に宝物がでてくる。そして誰かが死に追いやられ親子の情、家臣の情、男女の情などがかたられる。この展開は作者の腕の見せ所であり、その見せ所を語りと三味線と人形が見物客に伝えられるかどうかの闘いなのである。

その闘いの中に見物客の心地よい居場所があるかどうかそこに懸かっている。

展開がよく解かったので客としては、もう一度見て噛み締めたいところである。

 

 

息抜き雑感

歌舞伎「籠釣瓶(かごつるべ)」の観劇感想がいまだ上手くまとまらずもやもやしている。元歌舞伎座であれば一幕見があったので駆けつけてもう一度見ているところである。新しい歌舞伎座に一幕見は出来るのであろうか。昼の部を見て夜の部の一幕を見るため走ったり、昼の部の一幕を見て安心して夜の部を見たりと様々なバージョンを組み合わせられたのも観劇継続の条件に入っていた。願わくば・・・・であるが。

 

長唄にも盛遠(もりとう)と袈裟御前(けさごぜん)の逸話を題材にして作品が出来ていた。「鳥羽の恋塚」で、どんな長唄か聴きたかった。YouTubeで検索したら映像があって聴けた。それも作曲した四世吉住小三郎さんの映像である。何と幸せな事か。作詞は半井桃水(なからいとうすい)。あの樋口一葉の文学上の師であり恋した相手である。詞はよくまとまっておりなかなかである。そして曲が良い。こういう時、パソコンの便利さを思う。京都の丹波橋から桂川よりに盛遠が文覚上人となってから袈裟御前のために建立した恋塚寺があるようだ。

 

お勧め映画。<山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 喜劇編>にいよいよ「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」が放映される。12月18日(火) NHKBSプレミアム 21:00~ 監督は社会派の今井正、脚本が水木洋子、主演がミヤコ蝶々と北林谷栄である。主演お二人のやり取りは見所だが、その他色々なおばあちゃんが出て来て、それまで演じてきた役者さんの特徴をよく掴んだ役柄にしていてそれも可笑しくて楽しい。セールスマンの木村功さんのセールスマンぶりは必見かもしれない。水木さんの締めくくりは転んだままでは居ないのである。すくっと起き上がるのが良い。三木のり平、小沢昭一、渥美清、伴淳三郎等うまく使っている。山田監督、山本晋也監督、小野文恵アナウンサーのコメントも興味深い。