ドラマ『半沢直樹』から歌舞伎雑感

堺雅人さんとなればドラマ『半沢直樹』である。続編に入ったが、歌舞伎役者さんが増えて濃い。半沢直樹のあの屈託のない笑顔を奥さんの花ちゃんに向けるのはいつの事であろうか。次回も満面の笑顔は見れない可能性が高い予感。

歌舞伎って隈取が派手で見得を切って顔力が強く、顔で演技するように思われる方も多いかもしれませんが、歌舞伎は身体表現です。顔の演技は抑え気味で、身体全体でその役柄を観せる芸能です。猿之助さんや中車さんも歌舞伎では顔芸はおとなしい。時には新歌舞伎で披露する場合もあるが。猿之助さんは、今回は思いっきり楽しんでいるふしがある。

こちらは「ルフィ~、どこへいったの。もしかしてルフィまでどこかに閉じ込められてしまったのか。伊佐山め!」である。

他に注目度の高いのは、及川光博さんの渡真利である。京マチ子さんの映画を観ていてドラマ『晴れ着、ここ一番』に出会った。及川さんは京マチ子さんの孫で、祖母の教育方針の締め付けから失語症になってしまっている。その役がぴったりで気に入り、偶然テレビで及川さんを見た時は今度はどんな役か注目する。なるほど、微妙な演技差で役柄を現わしていますなと納得している。ただしそのドラマを見続けると言うことは無い。前作の『半沢直樹』は一気に観たので、今回も、半沢直樹を助ける情報源の収集役には満足。

金融庁・黒崎の愛之助さんもこれからの出演なので、どうなることか。ねっちりくるんでしょうね。松也さんを含めてテレビでの演技の濃さは別として自然です。かつては歌舞伎役者さんがテレビに出ると間やセリフ回しに違和感を覚えることもあった。浮いてしまうというか。近頃は浮くどころか鳴門の渦です。

さて歌舞伎は『新版 雪之丞変化』について。このフラウヤーを観た時、中車さんが5役でこれは無理であろうと思った。いくら玉三郎さんが特訓をしてもそれほど簡単に習得できる歌舞伎ではない。さらに、浪路の名前がない。橋蔵さんの映画では浪路は大川恵子さんで、長谷川一夫さんの映画では若尾文子さん。重要な役である。疑心暗鬼のわくわくドキドキ感である。

中車さんの顔が映像で大きく映った時には笑ってしまい納得でした。そうきますか。それなら5役も務まります。顔芸は得意ですから。今まで玉三郎さんと共演して出来上がった役どころは身体と台詞で勤めあげられた。そこらへんは玉三郎さんもぬかりはありません。浪路も役者としては出現しませんでしたが話しとしてはきちんと登場し押さえられていた。

そしてもう一人映画では登場しなかった秋空星三郎の七之助さん。中村雪之丞の玉三郎さんの役者より上になる役者で、色々芸について雪之丞に教えるのである。「はい、はい」と神妙になって聴く雪之丞。七之助さんやりずらいのではと内心思いましたがしっかりと雪之丞に自分の役者魂を伝えてました。

親の仇をとってそこで役者として終わりではなく、その後も役者として雪之丞は立派に精進していくということになるのである。上手く3人の役者さんでまとめたなとの感想であった。ただ名前がないが狂言回しのような役を若い役者さんがつとめられ、なかなかの力演であった。これを書くにあたり捜したら玉三郎さんが語られていた。その中でお名前を知りました。(鈴虫・尾上音之助、坂東やゑ六のダブルキャスト)どちらの方だったのかはわからないのであるが、いいお役をもらったとおもいます。

玉三郎が語る、『新版 雪之丞変化』|歌舞伎美人

新版 雪之丞変化』が昨年の8月なのである。ふり返ってみればコロナのこの時代、出演人数を制限しての新作歌舞伎がすでに試みられていたと言うことになる。昨年は若い役者さんも沢山出演されていた。

その後、染五郎さんと幸四郎さん、團子さんと猿之助さんは、『連獅子』に挑戦された。染五郎さんはそのたくましさにいまだにあれは染五郎さんのバーチャルとしか思えないのである。友人が染五郎さんがテレビに出ているのを見て色気があるという。舞台ではおっとりとしたマイペースかなと思っていて色気は感じられなかった。見方はさまざまである。そこで、『連獅子』を勧めたら大満足で観劇後はいつものところでカンパイだったそうである。

團子さんと猿之助さんの『連獅子』を観た友人は感想のメールがこない。2日後に会う予定なのでと会ったとたん開口一番「メールではなく直接言いたかった。年齢的にも最強の組み合わせ。」と超興奮であった。こういう時は勧めた方も一安心である。「いつもの『連獅子』と違っていたわね。」澤瀉屋型である。この二つの『連獅子』を並べてシネマ歌舞伎かDVDにしてほしいものである。こういう時代なのでDVDがいいですね。

前回の『半沢直樹』を観ていた友人は、2019年6月の『封印切』の丹波屋八右衛門の愛之助さんについてドラマと重なったみたいである。黒崎のねちねち感が八右衛門にも出ていて押さえた演技でよかったとのこと。わたしは悪くはないが、八右衛門の我當さんのあのテンポの可笑しさと憎たらしさにはかなわなかったと。友人は我當さんのは観ていなかった。ドラマって見る眼に影響するのだと知る。

女車引』は初めてで、松王丸の妻・千代(魁春)、梅王丸の妻・春(雀右衛門)、桜丸の妻・八重(児太郎)の舞踏なのである。児太郎さんが魁春さんと雀右衛門さんに囲まれて大丈夫であろうかと少しはらはらして観ていたが、なかなかしっかりとつとめられていて次第にゆったりと鑑賞した。友人は、雀右衛門さんの後ろの襟首に色気を感じてずっと雀右衛門さんを眺めていたそうである。これまたそれぞれの見方で面白い。

壽式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』は、松江さんの千歳が抜群に良かったと一致。松江さんはこういう雰囲気が合っているのかと再認識。幸四郎さんと松也さんの三番叟は、やはり踊り込んでいるかどうかの差が出たと思う。松也さんは少しテンポが遅れていた。幸四郎さんは、操り三番叟の動きが所々で垣間見えていた。踊りは役者さんの踊り方があって、その踊り方が好きというお客さんも多い。たとえば松緑さんはきちんと基本が決まっていて好きであると言うお客さんの声をきいたことがある。友人も幸四郎さんの踊り方も好きで松緑さんの踊り方も好きだという。

吉右衛門さんと仁左衛門さんは別格。そんな感想を勝手気ままにしゃべりまくるのも観劇の楽しさである。出来れば数日おいてしゃべる方が冷静になって話題が増える。

生の身体表現がみたくなる。八月の歌舞伎座は迷いが増す。無事に迎えて無事に終わって欲しい。

映像ではドキュメンタリー『マイヤ・プリセツカヤ』が神業であった。こんなバレエであったのかとじっくり観れたことに歓喜である。これからも映像での時間が続く。DVDの紹介にアニメ映画『ワンピース フイルム ゴールド』が映った。これ観なくては。そして『ワンピース フイルム ゴールド』映画連動特別編『シルバーマイン』があった。さあこれからかたずけなければ。

半沢直樹がんばれ! 奥の手は伊佐山へのルフィからのパンチと大和田のポケットに新種の昆虫をもぐりこませること。

テレビドラマ『BG~身辺警護人~』の最終回に海老蔵さんが出演とのこと。観た事が無いので最終回みてみよう。テレビ朝日 30日(木)夜9:00~

追記

歌舞伎座の中の観劇は安心です。松竹さんも最大限に注意されています。その前から行き慣れた劇場ですので、一幕で休憩も無いので静かに入って静かに去ればいいことと思っていました。多分観劇されるお客さんは、そこまでの行き帰りの途中と道を検討されると思います。車でいければ安心度は高いです。そうできない時は悩みます。外にいる時間の長い、人との接触の少ない移動を検討。そのため乗る電車のいくつかのシュミレーションを検討。あとは暑くなりますので観劇者の自己体調との対話です。家を出て家に帰るまでが、今は観劇の作法ですから。

これからの観劇の一つの目安となることを願っています。

追記2

5日の歌舞伎座の三部が公演中止になったようです。即対応されました。舞台関係者の方々が自分の体調について言いやすい環境であってください。今はそれが大切です。この時期の重圧に押し潰れませんように。

追記3 歌舞伎、演劇など無観客舞台無料配信や動画などで愉しませてもらい、愉しませてもらっている。近頃あやしいコロナの動きなので、無観劇観客へ方針転換も考慮し始める。そこにいなくても誰かが潜んでいます。夏の怪談話。ただし、おあしは払いましたので足はあります。油断大敵。

劇映画『沖縄』・ドラマ『ニセ医者と呼ばれて~沖縄・最後の医介輔~』

劇映画『沖縄』(1970年・脚本・監督・武田敦)が、DVD化されていて観ることができた。沖縄のアメリカ軍統治下時代の映画は観ていなかったのでとても参考になり勉強になった。戦争の悲惨さは映画『ひめゆりの塔』などで観ていたがその後から日本復帰までは実感として自分の中では希薄であった。

山本薩夫監督が製作にあたっている。山本薩夫監督の映画の中でストーリー性があり印象的な作品も多く、『華麗なる一族』(1974年)、『金環食』(1975年)、『不毛地帯』(1976年)などは豪華俳優陣で俳優さんたち一人一人の演技をみているだけで惹きつけられ、さらにドラマ展開に釘づけにさせられる。

武田敦監督は、主に山本薩夫監督に師事していて、初監督作品は『ドレイ工場』(1968年)である。劇映画『沖縄』でメッセージが映る。「この映画は、『ドレイ工場』の土台の上にみんなでつくりみんなでみる運動としてさらにひろい人々によってつくられました。」

ドレイ工場』には次のようなメッセージが映る。「この映画は、1000をこえる団体と個人の呼びかけによって10万人の労働者が資金をだしあい、専門家と一体となってつくりあげました。」

劇映画『沖縄』に入る。<劇映画>としているのは、沖縄の歴史的事実を調べましたが、実証を細かくやっていくのは時間のかかることなので、<劇映画>と規定しますとの製作側の誠実さのように思える。この映画をもとに知りたければ各自が書物などで調べてみるのもよいであろう。

映画は第一部「一坪たりともわたすまい」(昭和3X年)、第二部「怒りの島~太平洋のかなめ石~」(昭和4X年)からなりたつ。一部の十年後が第二部の時代設定で、父母時代から父母の背中をみて育った子供世代に話は進んでいる。

第一部は、アメリカ軍によってアメリカ軍用地として沖縄の人々の農地が強制接収されてしまう。一応借りると言うことであるが、煙草10円の時借地料は、ひと坪当たり1年間1円8銭である。代替地は石と砂利でさとうきびも育たないようなところで、代わりに軍の従業員として雇ってくれるという。

主人公の三郎(地井武男)は、20歳前で軍の従業員としても雇ってもらえず、アメリカ軍の物資をかすめ取ったり、危険を犯して基地内の演習後の砲弾の空やっきょうを盗みだしたりして生活費をかせいでいる。母とアメリカ人との間に生まれた弟と祖母を抱える朋子(佐々木愛)も野菜を売ったり、基地内の演習後の弾丸のやっきょうを集めてひたすら生活のために働いている。

父母世代は、農地を取り戻そうと闘う者と、アメリカ軍関係から残飯を払い下げてもらい家畜会社を設立する者など、それぞれの生き方が別れていく。一坪運動の中心になっているのが中村翫右衛門さんでまったく力の入らない演技と語り口でありながら存在感がしっかりしていて、抵抗する者の土着性を現わしてくれる。新しい事業を起こすのが加藤嘉さんで、その狡猾さも時代に乗ろうとする生き方のひとつであり、息子をアメリカ留学させるという目標もある。

朋子の祖母は、基地の鉄条網のすぐそばに借りた畑を細々とたがやしている。演習の飛行機が飛べば身をこごめる。そしてその実弾射撃演習の弾をを受けて亡くなってしまう。基地の中にある先祖伝来のお墓に骨を埋めて朋子と弟は親戚に引き取られ、若者たちもそれぞれの道を歩むのであった。

第二部では、若者たちの10年後である。三郎は、軍用地の従業員として働いていた。従業員たちは組合を結成していた。ベトナム戦争もあり、従業員たちの仕事は残業続きで危険性もあった。そんな中で三郎は朋子と再会する。彼女はスクラップを集めて売る仕事を立ち上げたくましく成っていた。

父と一緒に一坪運動を続けた息子は、買い取った土地にサトウキビを植えていた。アメリカに留学した息子は、高校の教師となって赴任してきた。三郎は朋子の弟のわたるとも再会する。わたるは高校三年生になっていた。わたるは、スナックをやっている母と一緒に暮らしたくないので朋子の元には帰らず、山城運輸でアルバイトをして学校は長期欠席である。担任になったのが新興企業のアメリカ帰りの山城の息子であった。

三郎は、パスを取り上げられ働けなくなった二人の従業員の嘆願をする。ところが助ける条件としてアアメリカ軍側は三郎に組合の情報を提供するように持ちかける。三郎は拒否するが、朋子を手伝った密輸の現場写真を突き付けられる。船をかした仲間も同罪だとおどされる。組合はストを計画していて三郎は苦しい立場に追い込まれる。

わたるは青信号で渡ったのにアメリカ軍の自動車に轢かれてしまう。その車には拘束された三郎が乗っていた。目撃者の山城教諭は軍の裁判で証人として立つが認められず運転していたアメリカ軍人は無罪になってしまう。山城教諭は沖縄の現状を知る。

三郎は解放され彼のおかれた立場も仲間に理解されストに参加する。そこで三郎はかつてつるんでいたひろしに再会する。ひろしは一家でアメリカのボルネオに移住したが沖縄に戻っていた。7年間働いて貯めたお金を強盗によって奪われ、父母は殺されていた。ひろしの旅券は、琉球人と書かれ、発行責任者はアメリカ高等弁務官で、どこの国の保護も受けられない無国籍者で、どんな目にあわされても泣き寝入りだと泣く。山城も他の教員と共にストの応援にかけつける。

ストは大きな流れとなってうねりはじめた。それはアメリカ軍基地の完全撤去、沖縄の即時無条件全面返還要求の声となり、沖縄の本土復帰への道へと続く。その時沖縄と本土は一つとなっていた。

地井武男さんの映画初主演作品でもあった。演技がしっかりしていて、あの人なつっこい笑顔がやるぞーという元気を与えてくれる。朋子の佐々木愛さんは細い体でありながら何回も打ちのめされながらも立ち上がる芯の強さをみせる。三郎と朋子は寄りかかり過ぎず上手い具合に呼応し爽やかなコンビで前に前に進む。当時の沖縄の現状がよく映し出され、では現在はという問いかけをも観る者に考えさせる。

もう一つの作品はテレビドラマで『ニセ医者と呼ばれて~沖縄・最後の医介輔~』(2010年・脚本・遊川和彦、演出・国本雅広)である。

<医介輔>とは初めて聴く言葉である。沖縄は1945年、アメリカ軍に統治され日本から引き離され、深刻な医師不足であった。アメリカ国民政府は医師免許を持たない医療従事経験者(戦争中の衛生兵等)を離島や無医村地区に<医介輔>として医者の代わりに派遣したのである。

1951年に実施された試験に合格した126名の医介輔の方々は地域医療をささえることに一生を捧げられたのである。但し医者ではないので医療機器や薬などは限定され、何かあれば町の病院に回すということになる。それは医者でもそうしたことはあるが、<医介輔>ということで、患者さんの自分を見る眼を意識し、心のどこかに負い目があったようである。

実際に診療にあたっていた医介輔・宮里善昌さんをモデルにしてつくられたヒューマンドラマで、宮里さんは、60年間、87歳で引退するまで勤め上げられ沖縄最後の医介輔の道をまっとうされた方である。

宮前良明(堺雅人)はいつも患者に笑顔で接している。それは患者さんにとっては安心感を与えるものである。だが同時にそれは宮前医介輔にとっては、ニセ医者として思われているように感じている彼の心の闇を隠す笑顔でもあった。

診療所は小さく、時間があれば自転車で布袋にわずかな医療器具などをつめ往診にまわり村の人々の心の支えであった。農地をアメリカ軍に接収された患者もいて診療代を催促できず貧乏で、それを支えているのが妻のハナ(寺島しのぶ)であった。

娘が学校で作文にお父さんの職業を医者と書いて皆にニセ医者といわれ傷つく。ハナはニセ医者ならどうして診療所に毎日あんなに沢山の人がくるのかと説明する。心の内を明かさない夫をハナはじっと見つめているだけであった。

そんな時一人の妊婦・仲間由美(尾野真千子)が診療所にきて宮前医介輔は自分の心の闇と由美の闇を共有することになる。それはとてつもない闇を引き受けることになるが、いつかは白日の下に姿を現すことであった。悲しい結末となり、宮前医介輔はこの仕事を辞めると決心する。それをくつがえさせたのもハナであった。

町の病院に患者に付き添っていっても小さくなっている宮前医介輔と、村人に信頼されている宮前医介輔のいつも笑顔であるのが何ともつらくなるが、心から笑える日もおとずれるのである。そんな医介輔の複雑な心境を堺雅人さん流の笑顔の演技が效を奏している。本当の笑顔を引き出させるまでじっと見ていた寺島しのぶさんのハナさんの胆力も相当である。

沖縄の歴史の中で様々な事情がありその中で生き抜いてきた人々が映画やドラマなどフィクションの世界でも語られることは知らなかった者にとってはありがたいことである。美しいところだけに隠され続ける闇はその美しさと対等に語りつがれることが大切である。

追記

ドキュメンタリー映画『米軍が最も恐れた男 ~その名はカメジロー~』(2017年・佐古忠彦監督)。沖縄のジャーナリストで政治家であった瀬長亀次郎さんの生き方をえがいている。戦後のアメリカ統治時代からのことがよくわかる。アメリカは分析している。弾圧することによって瀬長亀次郎を英雄にしてしまったこと。

日本映画専門チャンネルにてドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵、大矢英代監督)。陸軍中野学校出身者が指揮した沖縄戦での少年兵の事、住民を守るのではなく秘密保持のために犠牲にしていく過程などを沖縄県民は話す。この時代まで知られなかった事実を知ることができる。話す方々の長い沈黙の時間と、死して語ることのできない魂が重なり合ったのである。

暑い夏に放送される番組は一から考えさせてくれます。

https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10009159_0001.html

映画『箱根風雲録』

映画『箱根風雲録』は、箱根用水の完成までを描いた作品である。箱根の西側の三島は水がないため稲作ができなかった。そのため箱根の芦ノ湖から湖尻峠を掘り進め芦ノ湖の水を三島に通すことを考える。これが箱根用水である。箱根用水が出来上がるまでの農民や民衆そしてそれを請け負った浅草の商人・友野与右衛門と村の名主・大庭源之丞を中心とした人々の苦難の道のりが時代劇として描かれている。

前進座が新星映画社と提携して1952年に山本薩夫監督(原作・タカクラテル『ハコネ用水』)で制作している。

時は徳川四代将軍家綱の時代である。友野与右衛門は、商人でもあるのでこれが成功すれば新田開発にもなると考えていた。芦ノ湖側と三島側の両方から掘り進めて、貫通するようにした。よく江戸時代にこれだけの土木事業ができたものである。

ところが幕府としては民間人が成し遂げては幕府の失墜とばかりに色々邪魔をする。与右衛門にいわれなき罪をかぶせて捕えようとする。その時助けてくれたのが、野盗の蒲生玄藩である。玄藩は与右衛門の土木の腕と農民たちをまとめる力を見込んで幕府を倒すため仲間にならないかと誘う。与右衛門は断り自分の仕事に没頭する。

しかし、工事は難航し資金の援助も絶たれる。賃金をもらえない農民や民衆たちの気持ちが土木工事から離れ始める。与右衛門の妻・リツは江戸へ金策にでかける。リツは浅草の家屋敷を全て売って帰って来る。そして自分たちの家はここである。ここが自分たちの骨をうずめる場所であると皆に伝える。与右衛門も始めた時お金儲けも考えていた自分を恥じた。再び皆工事に励んでくれる。

今の箱根神社は箱根権現といわれそこの快長僧正も与右衛門を応援してくれ力となってくれた。かつては芦ノ湖の水利権は箱根権現社が所有していたわけでそこのトップである快長僧正の協力を得て後ろ盾となってくれたことはありがたい事であった。しかし快長僧正は京都のお寺に左遷されてしまう。トンネルは水が出たり難題ばかりである。トンネルの中では与右衛門の闘う姿に動かされた玄藩がそっと隠れて工事を手伝っていた。

三年の月日がたちそろそろ両方のトンネルが合わさるときが近くなった。そんな時にまたまた与右衛門は役人に捕えられてしまう。牢から与右衛門はトンネルが貫通した知らせの狼煙を待っていた。玄藩は一味を従え役人たちと一戦交え討死してしまう。

トンネルが貫通する。農民たちは大喜びである。狼煙が上がった。感無量で狼煙を眺める与右衛門。背後から悪の刃が。与右衛門は無念の最後を遂げる。何も知らずに農民たちは流れる用水の後を追う者、用水の中に入いる者等喜びをかみしめていた。

与右衛門がどんな商売をやっていたのかわからないのであるが、新田開発を考える人であるから測量などの出来る人である。映画の中でもひたすら図面を広げ資料を調べて熟慮している。両方から掘り進んでそれを合体するなど思いもよらないことを与右衛門は自信をもって進めている。そのトンネルの合体が1メートルの違いということであるから驚くべきことである。

実際には、芦ノ湖の水を静岡県の深良川に合流させ、正式には深良用水(ふからようすい)とされる。大庭源之丞も深良村の名主である。三島は富士山の水がきていた。「メモ帳 5」でも三島の「楽寿園の庭園の池はかつてはたっぷりと富士山からの水で満たされていた」とある。ところが富士山に近い麓は表層部が火山灰を含む地質で水もちが悪かったということである。(深良村は現在、静岡県裾野市)なるほどである。

前進座の役者さん総出演である。友野与右衛門(河原崎長十郎)、蒲生玄藩(中村翫右衛門)、快長僧正(川原崎國太郎)、大庭源之丞(瀬川菊之丞)で、その他、女優陣には友野与右衛門の妻・リク(山田五十鈴)、蒲生玄藩の情婦・サヨ(轟夕起子)、トラ(飯田蝶子)らのベテランがそれぞれの立場を演じている。

DVDには中村梅之助さんのインタビューもあり、トンネルのセットは前進座の庭に設置され撮影は寒い時期で水が冷たかったらしい。梅之助さんは体調を崩しそれでも現場に行こうとしたが、病気を治すのが一番だと翫右衛門さんに止められたとか。梅之助さん、座員一同頑張っているので自分が歯がゆかったのであろう。

時代劇としてスペクタルな面も加えた映画になっている。色々検索して位置的な関係もはっきりし、映画からは江戸時代に機械もなく手で成し遂げた凄さを見せてもらった。また一つ整理できました。

テレビ『英雄たちの選択』

ハードディスクの録画容量が満杯になってしまい整理した。その中に『英雄たちの選択 ~水害と闘った男たち 治水三傑の叡智』(NHKBSプレミアム)があった。この番組は興味ありそうと思った時に録画していて3月である。おそらく治水三傑に魅かれたと思う。水害に立ち向かった人はたくさんいたわけで、治水三傑はどんなことを成したのであろうか。今回は海水温度の上昇に伴い被害増大で痛ましく心折れる状態である。

これは映像で見てもらわねば文章で説明できないが、傍若無人に試みる。三傑にあげたのは、武田信玄(山梨県)、津田永忠(岡山県)、金原明善(静岡県)である。

武田信玄の戦国時代には、川は縦横無尽に甲府盆地に流れ込んでいた。特に御勅使川(みだいがわ)と釜無川(かまなしがわ)の合流点で氾濫が起るため、その合流点を堤(信玄堤等)などで一箇所に集めるようにした。根元を抑える。

津田永忠(つだながただ)は江戸前期時代の岡山藩士である。岡山城は旭川を堀として利用していたため川があふれ出し大洪水となった。旭川から城下と領民を守るために百間川を作った。分流部にしかけがあり巻石といわれている。花崗岩でかたい巻石を通って旭川の水は流れ、百間川は放水路となるのである。さらに新田開発もした。

金原明善(きんぱらめいぜん)は明治時代前期の人で浜松の実業家である。「暴れ天竜」といわれた天竜川を治めるため私財をなげうって堤防工事を計画。天竜川で生活している人々もいて反対もあり頓挫。乱伐の山に目が行き、これでは堤防も決壊すると考えた。治水から治山へ。森を守り川を守る。さらに林業で人々の雇用を生み出していった。天竜美林。

時代時代によって、さらに地形によってさらなる考え方が変化していくのが興味深い。水は越えるかもしれないが壊れない堤防(床下浸水まで)。現代に問われているようだ。

15日、今日の午前8時からNHKBSプレミアム『英雄たちの選択  鬼か?仏か?その後の新撰組土方歳三~宇都宮城攻防戦の真実』の放送がある。再放送である。気がつくのがおそかった。

宇都宮城址に行った時、土方歳三さんが宇都宮城を攻めたジオラマがあった。どんな攻め方をしたのかわかりやすい解説を期待したいが、どう展開されるのか楽しみである。そして鬼か?仏か?

メモ帳 5 ← に宇都宮城のことがメモされていた。

追記

宇都宮城の攻防戦よくわかりました。北側を厳重に警護していたのは、伊逹藩への守りであったということ。南東からなら侵入しやすかった。そして、宇都宮二荒山神社から大砲で攻めれば北側も打ち破れた。確かに神社は高いです。地形をよく偵察していたわけである。満足であり、一つ整理がついた。歳三さんの組織論はかわらないと思う。自ら先頭に立って戦うからそこは揺るがなかったであろう。

治水から映画『箱根風雲録』に続く予定であったが、歳三さんの宇都宮攻防戦の番組があることを知って急きょ変更した。「メモ帳 5」をみたら、箱根神社と三島の旅も宇都宮城址の旅と並んで書かれてあった。忘れていたので驚いた。道筋は出来上がっていたようである。

ひとこと・映画『イエスタデイ』

たのしくて、おかしくて、ビートルズが聴きたくなり、そして深い映画。『イエスタデイ』(2019年)。発想に先ず驚く。ばかばかしくなりそうなのにそうはおもわせず上手い。ビートルズの歌ってこんなにもよかったのか。そして、主人公がビートルズの曲名をメモに書いて張り出すのだが、時期的に「香港のレノン・ウォール」と重なってなんか深いところへもさそってくれた。コメディ度も優秀な高さ。

映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(5)

グロリア・グレアムさんも今回が最終章でしょうか。映画『復讐は俺に任せろ』(フリッツ・ラング監督)のデビー役はこの人あっての映画と思わせてくれた。ギャングの情婦の役であるが、身体表現のリズム感が何とも言えないのである。この映画のグロリアは『リヴァプール、最後の恋』のグロリア役のアネット・ベニングの表情と一致するところが多い。生き生きとしていて、演じている感の無い自由さがあって魅力的である。

記録係りの警察官・トムが自殺する。その担当となったディヴ警部(グレン・フォード)は何かがあるとにらむ。ところが警察の上層部も署長もディヴが深入りすることを許さない。町を牛耳っているギャングのラガーナと警察とは癒着していたのである。さらに自殺したトムの妻が夫の握っていた遺書の情報でラガーナをゆすっていた。

最悪なことに、ディヴの最愛の妻が自家用車を爆破され亡くなってしまう。ディヴは警察を辞めて復讐へと立ち上がる。そんな時ラガーナの子分であるヴァンスの情婦であるデビ―(グロリア・グレアム)はディヴと出会い、その男気に魅かれる。そのことを知ってヴァンスは激情し、熱いコーヒーをデビ―の顔にかける。火傷をおったデビ―はディヴのところへ助けをもとめる。そして自分の知っている人間関係を話すのである。

ディヴは妻を殺した犯人に復讐し、自殺したトムの妻も殺害しそうになる。なぜなら、トムの妻は自分のつかんでいる遺書を自分が死んだら新聞に発表するように手はずしていたのである。ディヴに代わってデビ―がトムの妻を殺し、さらにヴァンスの顔に熱いコーヒーをおみまいする。しかし、ディヴが駆けつけた時にはデビ―はヴァンスに撃たれていた。救急車に連絡し、ディヴはヴァンスを追い詰めて捕まえ警察にひき渡す。

デビ―は瀕死の中でディヴに亡くなった奥さんの事を話してくれという。ディヴは奥さんの様子を話す。観客は仲の良かった二人の様子を見ているから、そうだよなあと思って聞いている。

デビ―は「良かった。仲よくなれそう。」といって亡くなるのである。オシャレな言い方である。私も復讐を手伝わせてもらった甲斐があったわ。あちらの世界で会うのが楽しみともよみとれる。グロリアのデビ―がいなければこれほど面白い映画にならなかったであろう。『孤独な場所で』では、ローレン・バコールならと思ってしまった。申し訳ない。

次の『仕組まれた罠』(フリッツ・ラング監督)は『復讐は俺に任せろ』と同じ監督で、主人公もグレン・フォードである。グロリアの役柄は、悪女ということになる。映画の始まりが列車の走行場面で外の景色が飛び、グレン・フォード(ジェフ)が機関士として運転していてスピード感があり期待を持たせてくれる。列車は終着駅に到着する。その駅に勤務する鉄道員が関係するのである。操車場なども映り目新しい場面である。

この映画は、殺人が列車の客室で起こり、最後にグロリア(ヴィッキー)が夫(カール)に客室で殺され、列車が重要な役割を果たしている。問題のある夫婦にジェフが巻き込まれながらも二人から上手く逃れることができたという筋立てである。それを仕組むのが美貌で若い妻のヴィッキーである。ヴィッキーの語りを信じれば子供の頃から苦労してそこから何とか這い上がろうとする生き方にも同情できる。ジェフも同じ気持ちであったが、夫殺しにまで手を染める程ジェフは正常心を失ってはいなかった。破滅はカール夫婦のみで終了となる。

面白い場所設定であるし、ジェフが帰還兵で戦争での殺人と一般人の殺人についてもからませているが、話しの展開としては単純である。グロリアの熱演が生きなかったのが残念。『復讐は俺に任せろ』と続けて観たので肩透かしの感じであった。

2017年の7月から8月にかけてシネマヴェ―ラ渋谷で上映した『フイルム・ノワールの世界Ⅱ』のフライヤーが出てきた。その時はフイルム・ノワールには興味なしである。そこに書かれているフイルム・ノワールの定義を紹介しておく。

「フランスの映画批評家のニーノ・フランクが、『マルタの鷹』など第二次世界大戦中アメリカで作られた犯罪映画をこう呼んだことが始まり。多くは低予算のB級映画として製作され、上映時間や俳優の起用に厳しい制限があった。

ドイツ表現主義にも通じる影やコントラストの強調、夜間ロケーションを多用したモノクローム映像、モノローグや回想による時系列が錯綜した物語展開などが特徴。ファム・ファタール、私立探偵、警官、ギャングなど、一筋縄ではいかない登場人物たち。彼らの相互の裏切り、それに伴う殺人、主人公の破滅が、しばしば映画のストーリーの核となる。」

ラストはミュージカル映画『オクラホマ!』(フレッド・ジンネマン監督)である。叔母と二人で大草原に住む娘・ローリーが、恋人のカウボーイ・カーリーと横やりが入りつつも結婚にこぎ着ける。手伝いのジャッドが嫉妬から二人を殺そうとするが、反対にカーリーに殺されてしまう。判事がいたので急遽裁判となり、自己防衛とされ、二人は無事新婚旅行へ向かう。明朗快活な作品である。グロリアのアニーは、言い寄られるとすぐ心が動いてしまうという三枚目役でコメデイータッチの花をそえている。シャーリー・マクレーンに似ていた。

映画はちょっと長すぎるなの感想である。前半のクレモア駅でのタップがたのしい。若者たちがお祭りに行く途中でローリーの家に寄り、娘たちは身なりを整えたりする。その時の娘たちのダンスが、バレエの基本がしっかりした人たちで振り付けも面白かった。残念ながらその後、心惹かれるダンスは無かった。明るく楽しく鑑賞しましょうと言ったところである。

グロリア・グレアムさんは、8本の映画でも様々なキャラクターの人物を演じていて、演じるのが好きで、最後まで演者として全うされた女優さんであったというのが結論である。

追記 

映画『拳銃の報酬』(1959年・ロバート・ワイズ監督)が観れた。出だしの光の陰影、反射の映像に見とれてしまう。フイルムノワールである。三人の男が銀行強盗を計画し実行する。刑務所帰りの元警察官パーク(エド・ベグリー)、前科者で情婦・ロリーに食べさせてもらっているスレイター(ロバート・ライアン)、博打好きで借金だらけの酒場の歌手ジョ二ー(ハリー・べラフォンテ)。ハリー・べラフォンテの歌う場面がさすがである。

スレイターは人種差別意識が強くでジョ二ーとの仕事に難色をしめすがパークがなだめて実行へ。しかし、スレイターとジョ二ーの気持ちのづれが失敗へと導く。パークは警官に撃たれて死亡。ジョ二ーはスレイターのやり方に怒り彼との銃撃戦へ。ラストが壮絶。途中のテンポにだらける部分があるのが残念。

グロリア・グレアムはスレイターと同じアパートの住人でロリーとも付き合いがある女性ヘレン。スレイターに挑発的な色仕掛けを。ロリーは情のある女性で、ジョーの別れた妻も子供を育てるしっかり者である。そんな中で、違うタイプの女性を登場させている。その役目をグロリア・グレアムははたしている。

ウエストサイド物語』「サウンド・オブ・ミュージック』がロバート・ワイズ監督だったとは。さらに『市民ケーン』の編集をしている。驚きである。グロリア・グレアムさん、たくさんの情報をありがとうございます。

映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(4)

映画『悪人と美女』(ヴィンセント・ミネリ監督)はハリウッドの内幕を描いた作品である。凄腕のプロデューサー・ジョナサンが傲慢さゆえに今は上手くいっていないが復帰を試みようとかつて一緒に仕事をした仲間3人に電話がある。この3人は彼との過去に苦い体験があり、彼の電話には出ない。制作責任者のハリーに呼ばれ3人は集まり、一人づつ過去のジョナサンの仕打ちを話し始める。

ただ基本的に3人がジョナサンと会った時は世の中に今ほどの名声は得ていなかった。フレッドは、映画監督を目指していたが、映画業界での何でも屋であった。女優・ジョージアは、名優を父に持ちその呪縛から抜け出せず脇役女優であった。ジェームズは大学教授で最初の小説が売れ次はハリウッドかと世間にささやかれていた。

今彼らは、アカデミー賞も受賞した有名な映画監督であり、大スター女優であり、ピューリツァ賞も受賞したシナリオライターとなっていた。3人はジョナサンに飲まされた苦汁を一人づつその出会いと別れを話し始める。

ここで、ジョナサンのカーク・ダグラスの登場である。野心家で癖のあるプロデューサーは、はまり役である。大女優のジョージアのラナ・ターナーは出始めの華やかさはさすがであるが、酒浸りの女優からスターとなりジョナサンを愛するようになる過程はそれほど光らなかった。彼女にとっては当たり前すぎる役柄かもしれない。

グロリア・グレアムは、ジェームズの妻役であり関係してくるので、ジェームズとジョナサンの関係だけ少し紹介する。ジョナサンは、ジェームズをハリウッドに呼ぶ。ジェームズは妻のローズマリーがハリウッドに行きたがったからである。少しにぎやかだがジェームズにとっては可愛い妻であった。

ローズマリーはハリウッドに大満足で、妻のためジェームスはシナリオの仕事がなかなかはかどらない。ジョナサンは一考を案じ、ジェームスを別の場所に滞在させローズマリーにはプレーボーイの俳優・ガウチョをエスコート役に頼む。ところがローズマリーとガウチョは飛行機事故で亡くなってしまう。ジョナサンが仕組んでいたとはジェームズは知らなかった。彼は失意の中、映画撮影にも参加し完成となる。そこで、妻とガウチョの関係にジョナサンが手を貸していたことがわかりジェームズは去るのである。

ローズマリー役でグロリア・ゲレアムは助演女優賞を受賞する。典型的な淑やかで可愛らしい南部出身者の妻役に対してであった。重荷を背負った役が多い中で彼女にとってはめずらしい役であり、しっかり演じ分けられたということであろう。典型的な南部女性の定義がわからなかったので、これがなあと思ったが、数回ほど観て、そういうことなのだとやっとわかった気になった。一つの国であっても地域によっての違いなどは簡単には理解できないものである。

3人はジョナサンからの国際電話に協力は出来ないと答え部屋を出るが、そっと別の電話を取り、ジョナサンとハリーの電話でのやり取りを聴くのである。おそらくジョナサンはその事を知っていて話しているであろう。それがジョナサンである。

ハリウッドの内幕ものとして近頃観たもので面白かったのはドキュメンタリーでは『くたばれ!ハリウッド』(2002年)と映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年・クエンティン・タランティーノ監督)である。

ドキュメンタリー『くたばれ!ハリウッド』は、カリスマ的プロデューサー・ロバート・エヴァンスのジェットコースターのような映画人生である。俳優から映画制作に野心を抱き、パナマウントの制作部門のトップに。『可笑しな二人』『ロミオとジュリエット』『ローズマリーの赤ちゃん』『さよならコロンバス』『ある愛の詩』『暗殺の森』『ゴッドファーザー』等の制作を。これだけの映画名をあげれば凄腕であることが想像できるであろう。そこから急下し、また上がるという人生である。

映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が、レオナルド・デカプリオとブラッド・ピットの共演でクエンティン・タランティーノ監督となれば期待と裏切られるかの気持ちが振幅する。最初に激しい暴力シーンがあるのでの注意勧告がある。このシーンはラストなので、嫌な人はラストはカットしたほうが良い。今は自信がなく自己嫌悪のテレビのスター俳優(レオナルド・デカプリオ)が映画に方向転換をするが敵役ばかりである。その俳優を励ましそばにいるのが仕事の来ないスタントマン(ブラッド・ピット)である。久しぶりに格好いいブラッド・ピットで、ダメなレオナルド・デカプリオも楽しい。

女優のシャロン・テートが殺害された事件が匂わされていて、隣にロマン・ポランスキー、シャロン・テート夫妻が引っ越してくる。『リヴァプール・最後の恋』でグロリア・グレアムも自分の出演映画を観ていたが、シャロン・テートも劇場に自分の出演映画を思わせぶりに目立つように観に行くのが可笑しい。駄目俳優を気にいっている一人として、アル・パチーノも出演している。スティーブ・マックイーン役も出て来て目が離せない。

ブラッド・ピットの扮するスタントマンのモデルは、ハル・ニーダムといわれている。ハル・ニーダムが監督した映画に『グレート・スタントマン』(1978年)がある。これまた、ハリウッド映画のスタントマンの内幕を描いた映画と言える。リアルなスタントマンの仕事ぶりが観れてどの分野もプロは素晴らしい。

1950年につばぜり合いをしたのがブロードウェイの内幕を描いた『イヴの総て』(ジェフ・L・マンキーウイッツ監督)とハリウッドの内幕を描いた『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー監督)である。『サンセット大通り』はフイルムノワールでもある。悪女役で魅了したラナ・ターナーの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』もフイルムノワールである。

映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(3)

フィルムノワールについての定義は検索していただいてこういうものかなあと想像していただきたい。こちらも確かな定義の説明は無理である。明るいの反対の暗くて幸せよりも不幸せな方向に話は進んで行く。観ている方も不安に駆られてしまうが、どこかで人の隠れた本質をもさぐりあてるという傾向もある。犯罪や暴力があり、私立探偵、警察、ギャングなどが関連し、ハードボイルド的要因もある。

代表作としてハンフリー・ボガートの出世作である『マルタの鷹』は第一に掲げられる。私立探偵が客の要請を受け、同僚の私立探偵が殺されて謎の事件究明に乗り出す。ラストに主人公の本心が明らかになると言う展開である。モノクロが多く、その事によって照明が工夫され、暗さやどんな人物かが強調されることになる。

グロリア・グレアムがハンフリー・ボガートと共演した映画『孤独な場所で』もフイルムノワール物とされている。脚本家のディクソン(ハンフリー・ボガート)は脚本を頼まれ、原作の本を借りて読んだレストランのクローク係の女の子を連れて帰り、原作のあらすじを話させる。その娘が、ディクソンの部屋を出た帰りに殺されるのである。

ディクソンのアリバイの証明をしてくれたのがディクソンの部屋から二階の入口が見える隣の部屋に住む女性・ローレル(グロリア・グレアム)であった。ディクソンとローレルは急接近し、特にディクソンは待っていた理想の女性が現れたと仕事の方も順調である。

ただディクソンは激しやすく、すぐ手が出てしまい何度か警察の世話にもなっている。担当刑事は軍隊時代のディクソンの部下でディクソンのことを理解しているが警部は信用せず疑っている。

ディクソンは脚本家だけに想像力もたくましく言葉に対しても敏感であり、その事が彼流の捉え方で瞬時に怒りを爆発させてしまい、爆発すると止まらないところがあった。女性を連れ帰ったのも、原作に忠実な脚本を求める映画界への反発で、自分で原作を読む気がなかったからである。

ローレルは女優なので言葉に対する敏感さと、映画業界に対する彼の位置も、それは彼の才能ゆえと理解していた。だが一緒にいるうちにその性格に不安を抱き、彼が犯人なのではないかと恐怖しはじめる。

ローレルの不安は観ている方にも伝わってくる。彼が犯人でないとしても一緒になることには躊躇してしまう。ディクソンはすぐ結婚するという。そのお祝いの席でまたディクソンは暴力沙汰を起こす。それも長い付き合いのマネジャーに対してである。興味深いのは、ローレルが不安でマニキュアを直すゆとりがなくお祝いの席で、マニキュアがはがれていると指摘される。ディクソンがそれに対し、彼女は最近おかしいんだよと言う。彼女の心の変化がマニキュアにもあらわれているということである。

映画『リヴァプール・最後の恋』で、グロリアが病身で飛行機でアメリカに帰るためやっとタクシーに乗せてもらった時、ピーターに尋ねる。「私美しい。」「美しいよ。」最後まで女優であった。ただ赤いマニュキュアは無残にはがれていた。カラーなので目についた。

犯人が捕まるがすでに遅しで、ディクソンとローレルは別れることとなる。刑事の奥さんが夫の刑事に「あなたが天才ではなく普通の人でよかった。」という台詞も最後までみるとなかなかである。この奥さんは普通の人として不用意な言葉を発して二人を悪い方へと向かわせる。普通の人が観ればディクソンの性格では彼との関係と自分をコントロールする女性はなかなか現れないであろうとの感想が成り立つ。ローレルが現れた時。マネージャーが喜んだのもうなずける。グロリア・グレアムさん、そんな女性像をボギーの相手役として健闘しているが多少弱いかなという感じも受ける。

ラストのディクソンのボギーがドアのところで振り返る一瞬と去る後ろ姿がなんともたまらない。強いボギーではない弱い孤独なボギーである。

映画『地上最大のショー』(1952年・セシル・B・デミル監督)はガラッと変わってカラーである。このDVDは持っていてかつて観はじめたらカラーの映像が悪く即止めてしまったのであるが今回は頑張った。サーカス団を舞台とする内容で豪華で変化に富み見続けられた。ハリウッド黄金期らしいお金のかけかたである。

やはり同じように観ずらかった1948年のイギリスのバレエ映画『赤い靴』が2009年にデジタルリマスター化してくれた。バレエの場面が安心してじっくり観れたのは幸いであった。

サーカス団ののブラッド団長(チャールトン・ヘストン)は、公演短縮の話しもありサーカスのことで頭がいっぱいである。サーカスの規模をみると当然と思える。沢山の団員を抱えているわけだし、猛獣を含む動物も多く抱えているのであるから。

スターが必要と考え、プレーボーイの空中ブランコ乗りのセバスチャン(コーネル・ワイド)を団員に加える。団長の恋人であるホリー(ベティ・ハットン)は空中ブランコ乗りの花形で自分が中央の座と思ったのにセバスチャンに取られてしまう。ホリーは、自分の実力で取り返すと危険な技に挑戦し、セバスチャンに挑発し、受けて立つセバスチャンもネットなしで演技し落下となり重傷をおう。

ホリーは、セバスチャンに言い寄られていた。ブラッド団長の仕事第一の生き方からセバスチャンに心が動く。そんなホリーに、ブラッド団長を好きなエンジェル(グロリア・グレアム)は、自分は恋多き女だがあなたは純真でブラッド団長はあなたを想っているのが解ると意見する。しかし、ホリーはセバスチャンが怪我のためブランコ乗りができなくなったことに責任を感じセバスチャンには自分が必要とそばにいることにする。

エンジェルは、象を使っての演技をみせていて象つかいののクラウスに付きまとわれていた。エンジェルが団長を好きなのを知って、嫉妬からクラウスは象の足の下のエンジェルを踏みつぶさせようとする。怒った団長はクラウスをクビにする。怨みに想うクラウスはサーカス列車から収益金を盗むことにする。

発煙筒で急止した列車は後続の列車にぶつかり転覆してしまう。ブラッド団長は重体で医者も動けなかった。ホリーは、道化師のバトンズが医者の腕をもっていることを知っていた。普段もお化粧を落とさず素顔をみせずわけありであったが、動かないと思っていたセバスチャンの腕が動くことを見つけたのもバトンズであった。彼はブラッド団長の命を助ける。

ホリーは、団長に代わって動ける者を指揮し、青空サーカスを試みることとし次の町でパレードをくり広げ客を集めることに成功するのである。団長とホリーはお互いの愛を確認し、なんとも、エンジェルとセバスチャンは結婚することになる。なぞの道化師バトンズ(ジェームス・スチュアート)は妻を愛するあまり安楽死させてしまって追われていたのであるが法的罪の償いをすることにする。

映画の内容は分かりやすいので、サーカス場面を楽しみつつ観ることができる。俳優がサーカスの技を見せているというよりも団員がそもまま見せているように撮影されていてエンターテイメントを楽しむ感覚である。飽きさせないサーカス団の内容である。観客も映し出され子供よりも大人の方が楽しんでいてリアクションが強い。

サーカスのテントなどを設置する場面などもリアルで、ここでサーカスがはじまるのだという風を運んでくれる。サーカス専用列車なども、事故によってかえってよくわかりその移動の大変さが伝わってくる。

グロリアのエンジェルは、ホリーの純真な生真面目さで花形を維持する意志の強さとは違う、少し軽さがあり、協力性、柔軟性もあり、自分の意思も通す団員像としての生き方を表現していた。

映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(2)

グロリア・グレアム出演映画で観たのは次の8作品である。

素晴らし哉、人生!』(1946年)役名・ヴァイオレット

十字砲火』(1947年)役名・ジニー

孤独な場所で』(1950年)役名・ローレル・グレイ

地上最大のショー』(1952年)役名・エンジェル

悪人と美女』(1952年)役名・ローズマリー

復讐は俺に任せろ』(1953年)役名・デビ―・マーシュ

仕組まれた罠』(1954年)役名・ヴィッキー・バックリー

オクラホマ!』(1955年)役名・アニー

ハリウッドの黄金時代』(川本三郎著)に次のような記述がある。「監督のキング・ヴィダーが語っているように、第二次大戦後ハリウッドも新しいタイプの女優が登場していた。従来のスタジオの意のままになる大人しい人形のような女優ではなく、社会意識もコモセンスもある自己主張する女優である。ローレン・バコールやグロリア・グレアム、リザベス・スコットという女優である。彼女たちは、自分で演技のコンセプトを持っていたし、衣裳に関しても自分で選べるセンスも持っていた。」

グロリア・グレアムが助演女優賞を受賞した映画『悪人と美女』にラナ・ターナーも女優役として出演している。同著書で「エヴァ・ガードナー、ラナ・ターナー、マリリン・モンローと1950年を代表するグラマー女優がいずれも貧困家庭の出身であることは興味深い事実だ。セーターも買ってもらえなかった子供時代から宝石と毛皮に囲まれたスター時代へ、彼女たちは極端から極端への振幅の大きい人生を生きた。その点でも、常識はずれだった。」としている。それぞれの立ち位置の違いが面白い。

素晴らし哉、人生!』の内容は次を参考にされたい。

 映画『ステキな金縛り』から『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』(2)

続きとなるが、翼のない天使はもしジョージアがこの世に生まれていなかったら今の世界はどうなっていたかを見せるのである。その世界に驚きジョージアは自分でも役に立っているのだと自殺を思いとどまるのである。

ヴァイオレット(グロリア・グレアム)は、自分を男性に注目させるように行動するタイプの女性である。しかし、上手くいかなくなって心機一転ニューヨークへ出ることにする。その時ジョージアがお金を手渡してくれるのである。感謝するヴァイオレット。もしジョージアがいなかったらヴァイオレットは身を持ち崩して悲惨な状況にいた。

十字砲火』(エドワード・ドミトリック監督)は、犯罪事件をあつかった映画なのであるが、なかなか奥が深いのである。第二次世界大戦が終わり、兵士たちが復員して除隊を待っている。4年間の戦場から解放されてその状況に対応できない兵士もいる。自分の想いとは違う状況にいら立ちを感じている者もいる。あるいは、隊の上下関係から怖れを抱いている者もいる。夫を待つ妻。自立したくて酒場で働く女性など殺人事件によって映し出されてくる。ただ、3回ほど観てなるほどとわかってきたのである。

サミーが自室で殺された。バーで4人の兵士と会っている。サミーの部屋には、ミッチ、モンティ、フロイドの3人の兵士がいた。その一人の財布が落ちておりミッチに疑いがかかる。一緒にいたモンティ軍曹(ロバート・ライアン)は彼には人殺しは出来ないと主張。ミッチの友人のキーリー軍曹(ロバート・ミッチャム)はミッチではないと彼の無実のために動く。捜査の指揮をとるの警察署長(ロバート・ヤング)。

事件の夜、ミッチはサミーの部屋を一人先に出て街中をうろつく。ある酒場でジニー(グロリア・グレアム)と出会う。彼女は生活のためにここで働いていた。ミッチに妻に似ているから一緒に踊りたいと言われ食事に誘われる。ジニーは何となく魅かれて自分の部屋でスパゲティーをご馳走するからと部屋の鍵を渡す。夜中、ミッチの妻と署長からミッチのアリバイを聴かれるがそんな人知らないと答える。ジニーの複雑な心境の役どころである。ジニーとジニーが別れたい夫からの証言はミッチのアリバイにはつながらなかった。

署長は犯人の殺人の動機が見つからず、犯人の心の中を考える。ユダヤ人に対する偏見である。サミーはユダヤ人であった。犯人はわかった。しかし、証拠がない。そこで、バーに一緒の居たフロイドの友人のハロイに協力を求める。フロイドも殺されていた。

ハロイは同じ隊であったモンティ軍曹にテネシー生まれの田舎者としてあつかわれ彼を恐れて関わりたくないと主張する。ここから署長の話がはじまる。自分の祖父の話しである。祖父はアイルランドからの移民であった。祖父は土地も買い自分はアメリカ人と思っているカトリック教徒であった。しかし、ある日、バーからの帰り道襲われて亡くなってしまう。嫌いなだけだったのだ。それが憎しみとなり爆発する。モンティも同じである。

ここが凄いのだが、モンティはテネシーに行ったこともないのに田舎だといい、田舎者はのろまだと思っている。嫌いが憎しみになり爆発するとどうなるか。どこにでも偏見が発生し暴力と結びつくことを暗示するのである。ハロイの協力によりモンティの犯行は明らかになり逃亡する所を署長に撃ち殺されてしまう。

撃ち殺してのラストはちょっと考えてしまった。ここまで言う署長なら生かして逮捕すべきなのではと。映画であるから最後はケリをつけるということにしたのかもしれない。ミッチの心の内なども語られ心理劇も展開されるがそれだけではなく、どこにでも一方に暴力性が潜んでいることを強調したのかもしれない。

グロリア・グレアムさんからこんな映画にぶつかるとは。ハリウッド黄金時代には、一方にフイルムノワールの最盛期でもあり、アメリカ映画にとってなかなか面白い時代でもあったということを教えてもらいました。

映画『『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(1)

映画『リヴァプール、最後の恋』(2017年・ポール・マクギンガン監督)で、50年代ハリウッド女優のグロリア・グレアムを知る。『ガラスの動物園』のポスターがありグロリア・グレアムと名前がある。どうやらこの舞台開演前であるらしい。鏡の前にお化粧道具やお気に入りの物が並べられる。大きめのロケットペンダント。1950年「孤独な場所で」ボギーよりと彫られたコンパクト。(おそらくコンパクトと思うのであるが、定かではない。)十字砲火・グロリア・グレアムと記した写真も飾られている。

後に知ったのであるが『孤独な場所で』と『十字砲火』はグロリアが出演していた映画であった。開演前のグロリア・グレアムは、1981年の彼女(57歳)である。開演直前グロリアは倒れてしまう。そして連絡された先が舞台俳優の駈け出しであり元恋人のピーター・ターナーのところであった。ピーターは、1979年グロリアと出会い二人は恋に落ちる。ところがその後二人はアメリカで別れその後、音信不通であった。そのグロリアがイギリスのランカスターに来ていたのである。

ピーターと会ったグロリアは、病院はいやだからピーターの母に看病してもらいたいと希望する。ピーターはその希望をかなえ、家族も受け入れるのである。グロリア(アネット・ベニング)とピーター(ジェイミー・ベル)のかつての恋人としての時間と、現在の時間とがそこから映画では交差して描かれ彼女のハリウッド時代のこともわかってくる。

二人が出会ったのはグロリアが舞台のために借りた部屋と隣同士となり、グロリアが『サタデー・ナイト・フィバー』のダンスの相手をしてくれと頼んだことから急接近する。

グロリアとピーターが一緒に観る映画が『エイリアン』でグロリアは大笑いし、ピーターは怖がる。映画撮影の裏側を知っているグロリアには可笑しいのであろう。それともう一本はグロリアが酒場で色っぽく歌う場面の映画で『ネイキッド・アリバイ』とタイトルが出る。楽屋の鏡台に置かれたペンダントは、この映画の中で歌った曲をオルゴールに入れペンダントとしてピーターがグロリアにプレゼンとしたものであった。

グロリアは、ハンフリー・ボガード夫妻の隣に住んでいたことがあって、演技のアドバイスもしてくれたと話す。ボギーのアドバイスは「影に潜んでカメラを引き寄せろ」である。ピーターが「ローレン・バコールに似ている。」というと「ボギーもそう言ってた。イヤだったけど。」と答えるグロリア。

ピーターの両親はグロリアの全盛時代ファンで、父親がピーターに話す。「彼女の映画は全部みていた。セクシー女優で色っぽい唇。吸い寄せられ目が離せなかった。」

アメリカに呼ばれピーターはグロリアの母と姉も加わり4人で食事をする。グロリアの母もかつては舞台女優であった。その時何歳かと聞かれる。ピーターが28歳と答えると、グロリアの四番目の夫も同じ年だったと告げられる。そしてその夫は二番目の夫の連れ子で義理の息子であった。二番目の夫は後にジェームズ・ディーンの『理由なき反抗』の監督・ニコラス・レイである。『孤独な場所で』の監督もニコラス・レイで、この映画を撮っている時、監督とグロリアは結婚していた。

ピーターはそうした過去も全て受け入れるが、グロリアの態度が急に冷たくなる。この時グロリアは乳がんの再発が発見され、心のゆとりがなくなっていた。ピーターはグロリア倒れて呼ばれ再会し、そのことを知る。そしてグロリアの病気は治らないと察知し、彼はグロリアのためにサプライズを実行する。

グロリアには、目標があった。RSC(ロイヤル・シェークスピア・カンパニー)で『ロミオとジュリエット』のジュリエットを演じたいと。ピーターは、病身の彼女をリヴァプール劇場の無観客の舞台でジュリエットのセリフを語らせるのである。彼はこの時舞台俳優としてグロリアの一番の理解者であった。

グロリアは、息子が迎えに来てアメリカへ帰っていく。部屋の床に『十字砲火』の時のグロリアの写真が落ちていた。

ラストにグロリア・グレアムがオスカーを手にする実写が映される。受賞したのは映画『悪人と美女』での助演女優賞である。グロリア・グレアムは舞台に上がりオスカーを受け取り「ありがとう。」と一言告げると退場してしまう。あっけないほどの一瞬である。会場に笑いが起こる。この時のグロリアの心の内はちょっと想像できない。想像を拒否しているようにも受け取れる。

その時助演女優賞にノミネートされた他の女優さんは次のとおりである。

雨に唄えば』のジーン・ヘイゲン。『赤い風車』のコレット・マルシャン。『愛しきシバよ帰れ』のテリー・ムーア。『わが心に歌えば』のセルマ・リッター。こういう映画が上映されていた時代である。

さてここから、グロリア・グレアムの出演映画の鑑賞となった。

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』は、ダンス映画にハマった時観直したが、ブルックリン橋をはさんで、労働者の街のブルックリンと洗練された都会的な街という比較もあったのだと知った。グロリアとピーターはひたすら楽しんで踊っている。