世田谷文学館 『幸田文展』

幸田文さんは幸田露伴さんの娘さんである。幸田露伴さんが亡くなられたとき、近くに住んでいた永井荷風さんは喪服が無いとして、家には入らず外から露伴さんを弔われている。(『永井荷風展』 (2))その家の中では、喪主の文さんとその娘さんである玉さんが並んで座られていたのである。その時、文さんは43歳である。その年令から父・露伴さんのことを書き始め好評を博し認められるが、自分の力ではない様に感じられ、筆を絶つ事を宣言され、台所仕事なら自信があるとして職を探し、47歳の時柳橋の芸者置屋に賄婦として住み込む。この仕事の経験から生まれたのが「流れる」であり映画にもなっている。映画会社から、「流れる」ではどうも縁起が悪いのでと改題を申し込まれたが、文さんは頑として断ったらしい。他の所でこのことを、室生犀星さんが書かれている。

絶筆宣言は、幸田露伴の娘からの文筆家としての決別ともとれるが、既に文さんの文さんとしての文章表現力は確立されていた。露伴さんとの共に生活した題材からの決別で、新たな主題を見つけていかれる。

それでいて、露伴さんから習った植物のこと、木のこと、日常生活のことなどに自分の目を加えられて作品化していく。

60歳を過ぎてから、奈良斑鳩の法輪寺の三重塔再建への協力され一時は奈良に住まわれる。しかし、この経過については法輪寺の住職のかたが本にまとめられたので、文さんはその経過については書かれていない。そこに位置する人を尊重されてのことであろう。

72歳の時、大谷崩れを取材し、各地の崩壊する自然を訪ね、これが最後のライフワークとなる。このことは死後(没86歳の1年後)「崩れ」として発表される。

文さん好みの着物も展示され、文さんが選んだという自分の花嫁衣裳は黒地に白、濃さの違う赤、ねずみ色の松が描かれ、裏地は赤鹿の子で袖のふりからその赤が極細く表に見せているのが花嫁さんの愛らしさが覗いていて素敵であった。文さんの好きな縞柄は本の装丁にも使われている。露伴さんもおしゃれであったようで、石摺り(しのぶ摺り)の羽織があった。裏は雲に龍を配置してあった。(しのぶ摺りについたは司馬遼太郎 『白河・会津のみち』)

幸田文さんの文学領域について見やすく分類されていて、文さんの娘さん・青木玉さんの遺品の管理の良さのお陰でもある。映画「おとうと」の映画ポスターや脚本は、市川市文学ミュージアムからの提供であった。市川市文学ミュージアムでは「水木洋子展」(2013年10/26~2014年3/2)を開催している。同じ時期にお二人の仕事の展示が開催されていてとても嬉しいのである。「幸田文展」は、2013年10/5~12/8までである。着物が好きでよく着る友人が、幼い頃から田舎で木や草花に親しんでおり、近々屋久島に行くというので、「幸田文展」を見てから行ったほうが良いと伝えたら早速行ったようで、感謝とメールがきた。木とどんな対話をしてくるのであろうか。それを聞くのが楽しみである。

 

 

 

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (4)

七段目は祇園一力茶屋の場となるが、祇園での遊興の場でそれぞれの人間関係を知らない者同士が全然違う思惑で動いていて、気がついて見れば全て繋がっていて一点に集約されていくのである。

由良之助(吉右衛門)は、祇園で放蕩三昧、仇討のことなど忘れている。ところがこの放蕩が仇討の為に敵にも味方にも悟らせない戦術ということをほとんどの観客が知っているので、由良之助役者がそれをどう演じるかを見られる場面でもある。役者さんにとって遣り甲斐があると同時に怖い場面でもあると思う。吉右衛門さんは由良之助の遊び方の柔らかさ、日常を突き抜けたゆったりしたばか騒ぎなど、パッーと劇場を包まれた。その雰囲気が上手くいけばいくほど、若い同志の怒りが由良之助に向って激昂する様が納得できるのである。その同志と共についてきた寺岡平右衛門(梅玉)が仇討に加わるために由良之助に嘆願するが、軽くあしらわれてしまう。

由良之助一人の座敷に顔世御前からの手紙を力弥が届けに来る。その力弥を返す時、「祇園を出てから急げよ」と注意を促す。この台詞も良く出来ている。酔態しつつも本性のしっかりしていることを表す。この密書を隣の部屋の二階からあのおかる(芝雀)が鏡で覗き、縁の下では師直と通じている斧九太夫が盗み読んでいた。由良之助はこの二つの事実を知り動揺するが、すぐ放蕩の由良之助にもどり、おかるを身請けして三日後には自由にして良いと告げる。おかるは大喜びである。勘平のもとへ帰れるのである。

勘平に手紙を書いているところに平右衛門が現れ、ここで平右衛門がおかるの兄であることが分かる。平右衛門はおかるの身請けの話を聞き、由良之助が手紙を読んだおかるを殺すつもりであると理解し、おかるに自分の刀で死んでくれるよう頼む。おかるは驚くが、勘平がこの世にいないことを知り兄の願いを聞き分けるのである。そこへ由良之助が現れそれを留めさせ、九太夫をおかるに討たせ平右衛門を仇討に加えるのである。

この一力茶屋でおかるは同志の妻であり、平右衛門はおかるの兄で、仇討のためなら妹をも犠牲にしようと思う腹がある。そして、密偵の九太夫の息子・定九郎はおかるの父の敵でもある。その全てを捉えた由良之助は一点に集約させるのである。この一力茶屋という狭い世界の中で、由良之助の手腕をも表している。それは広い世界を狭い舞台に乗せてしまう芝居空間の面白さである。

おかるの芝雀さんは福助さんの休演の代役であったが、歌舞伎の場合すぐそれが出来てしまう。相手が違えばそれに合わせて即、息も変えれる凄さが修練された役者さんたちにはある。仁左衛門さんも出られる予定だったのが療養を必要とされ残念であるが、体調のすぐれない時はしっかり休まれ、また素晴らしい舞台を見せていただきたい。

最後は若い役者さんたちの活躍する討ち入りの立ち回りを見せ、ついに師直は討たれるのである。(十一段目)

バランスの行き届いた『仮名手本忠臣蔵』であったと思う。複線も分かり、それぞれの決められた形の落ち着きもよく、今まで取りこぼしていた台詞も幾つか拾うことができ、それは、芝居の膨らみに重要なことであった。

 

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (3)

主君の関係でありながら、男と男の誓いのせつなき思い(四段目)の後は、男と女の道行である。<道行旅路の花婿>。京都南座12月公演には昼の部に<道行旅路の嫁入>があります。こちらは嫁入りの旅路です。種明かしになりますが(歌舞伎を見られている方はご承知ですが)誰が誰の所に嫁に行くのか。加古川本蔵の娘・小波が、大星由良之助の息子・大星力弥のもとへお嫁入りである。その母に付き添われての道行である。その先どう考えてもすんなりとはいきそうにない。それを知りたい方は京都から東京へ起こし下さり九段目『山科閑居』をどうぞということか。さらに、国立劇場では12月は、「知られざる忠臣蔵」として、私はまだ観た事のない演目が並ぶのである。

さて<道行旅路の花婿>は、塩冶判官のそばにいなくてはならない早野勘平(梅玉)は恋人のおかる(時蔵)と逢引をしていて、刃傷ざたとなり館の中へ入れなくなる。大失態である。おかるの勧めで彼女の郷里に身を寄せる事となり、その旅路の舞踏である。おかるは勘平と所帯を持てると何処か浮き浮きしているが、勘平は切腹しようとまで考え、おかるに止められおかるの郷里へと向かうのである。この男と女の気持ちの違いなどを梅玉さんと時蔵さんが形よくしっとりと踊られる。

この二人にも、幸せとは成らぬ運命が追いかけてくる。おかるとその両親は勘平が仇討に参加したい気持ちを察し、そのための軍資金を得るため、勘平に内緒でおかるは遊女となる決心をする。そのお金を受け取ったお軽の父親は家に帰る途中、盗賊にお金を盗られ殺されてしまう。この悪い男が斧定九郎である。この短い出の悪役を中村仲蔵は工夫を凝らしたのである。今回は松緑さんである。形は良いが、顔の目の化粧の作りが好みではなかった。目の周りの線が濃過ぎていた。松緑さんの目は凄味がきくので化粧の力に頼らなくても良いと思った。この定九郎を猟師になった勘平(菊五郎)が猪と間違って撃ってしまう。暗闇の中、人を殺したと知り勘平は驚くが、お金を何とかしたいため、その懐から財布を盗んでしまう。その財布は舅の財布である。(五段目)

家に帰りつきおかるが遊女となることを知り止めるが、事の次第を聞き、自分の盗んだ財布が舅のものとわかる。自分は舅を殺しおかるが遊女となってこしらえたお金を貰いに行って受け取ったお金半金50両を盗み、そのお金を同志に仇討のための資金として渡してしまっていた。おかるは遊女屋の迎えの駕籠の人となる。苦悩する勘平。一夜の内に勘平の人生は変っていた。その心理の流れを鉄砲撃ちから勘平の思い違いの苦悩までを菊五郎さんは丁寧に演じられる。この場の出で鷹揚に構えていた勘平がどんどん追い込まれていく。姑(東蔵)に血のついた舅の財布を見られ、責められ尋ねてきた同志にもなじられ、ついに勘平は切腹するのである。しかし、舅の傷口は刀傷であることから犯人は定九郎と判明する。早まりし勘平。身の潔白が分かり連判状に血判を押し、死出の仇討参加となる。(六段目)

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (2)

塩冶判官が腹切り刀を腹に刺す、遅かりし由良之助ついに現れる。別の部屋に控えていた家来たちが摺り足で塩冶判官の後ろにサァーと控える。こちらも由良之助は何時来るのかと待っていたわけで、この辺りの場面設定もさすがである。ここで家来たちの主君に対する忠儀心は一段と増すのである。

国家老・大星由良之助(吉右衛門)は、塩冶判官(菊五郎)の仰せに従い主君の傍による。塩冶判官はやっと心中を吐露出来る人物が現れ苦しさの中から、由良之助に伝える。「憎っくきは加古川本蔵・・・」そこで由良之助はその言葉を全部まで言わせない。この場に及んでそのことは言われるなと止める。塩冶判官もそうだなと納得する。今回初めてである。この台詞から二人の身に添う交流を感じたのは。そしてここでまで出てくる本蔵は芝居的には九段目に繋がるのである。ここにも伏線はあったのだ。この九段目は今回は無い。一月の歌舞伎座での演目となっている。この本蔵がどうなるかは来年新春のお楽しみである。

塩冶判官は腹切り刀で師直の首を取る事を暗示する。この時の塩冶判官の気持ちを汲み取るまでの由良之助のわずかな間。上使に気取られないように分かりましたと自分の腹をポンと打ち、目で伝え、塩冶判官はそれに安堵し息を引き取るのである。このお二人のやりとりは見せ場である。空気が熱かった。この主君の意思をしっかりと血刀とともに懐にした由良之助は、家来達の気持ちを押さえ敵討することを伝え、屋敷明け渡しとなる。この若き役者さん達の家来が一点に気持ちが集中しているのが分かり、この勢いを押さえる役者の大きさを見せる立役者であることが分かった。吉右衛門さんは大きな役者さんであるが、相対する力関係も必要な条件である。そして、その勢いが去ったあと、由良之助は一人屋敷の門前で主君の形見の血刀の血を手に受け口に含み性根を見据え、家紋のついた提灯のじゃばらの部分をたたみ袖にしまい屋敷を後にするのである。場面的には城明け渡しである。

評定の場で家老の斧九太夫(おのくだゆう)はお金の配分のことから我さきにその場を立ち去ってしまう。この<お金>もこれから、様々な人の人生を狂わしていくのである。賄賂といい底辺にはお金がうごめいてもいるのである。中村仲蔵が演じた斧定九郎はこの斧九太夫の息子である。やはりお金が絡む。

 

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (1)

立川志の輔 『中村仲蔵』での解説はかなり記憶から薄れてきているが、どうなるであろうか。友人から歌舞伎座に行きたいのだが、何をやっているのかと尋ねられ11月12月は忠臣蔵と答えたところ、忠臣蔵と幕末ものはもういいよとの答が返ってきたが、分からなくもない。またと思うところもある。しかしそれがひっくり返されるかどうかは観るまで判らないところもある。

今回、筋道は一本ついている。どこに注目が行くか。前半は加古川本蔵(かこがわほんぞう)であった。塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御(かおよごぜん)に懸想した高師直(こうのもろなお)はしつこく顔世御前に付きまとい、それを桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)に見とがめられる。そのため若狭之助は師直から嫌がらせを受け、堪忍袋の緒が切れる寸前である。初めて見た時は、若狭之助を塩冶判官と思い違いをして観ていた。苛められるのが塩冶判官と思い込んでいたためである。そうではなく初めは若狭之助が嫌がらせを受け若狭之助が師直を殺そうと思うのである。それを知った若狭之助の家来・加古川本蔵が鎌倉の足利館門前で師直に進物をするのである。この時、師直の家来・鷺坂伴内(さぎさかばんない)が、本蔵に館に入り将軍の弟・足利直義の饗応の模様を見学するようにと誘う。ここで本蔵は身分上断るのであるが再度勧められ師直の駕籠の後ろから付いて行く。

この部分、進物(賄賂)から本蔵が師直について館に入るという重要なところを今まで素通りしていた。なぜ本蔵があの刃傷のあった松の間にいて、塩冶判官が師直を切りつけたとき、後ろから抱きかかえられたのか。きちんと芝居の中で説明されているのである。それは前面には出てこないが伏線としてひかれている。この伏線を線の部分の台詞が今回は太くみえたのである。

この本蔵の賄賂と、顔世御前に拒絶された返歌から、師直の苛めは塩冶判官に向けられ、押さえきれなくなった塩冶判官は刃傷へと走るのである。(三段目)

そして、塩冶判官は自宅にて、上使から切腹、さらにお家断絶、所領没収を言い渡される。この切腹の様式美の場面は、観劇にきた高校生なども真剣に見詰め緊張の時間である。家来たちが、別の部屋から主君のそばに行きたいと願い出るが、由良之助が来るまではそれはならないと塩冶判官は答える。塩冶判官はその場においてひたすら大星由良之助を待つのであるが。

 

 

11月花形歌舞伎 (明治座)

昼の部 『鳴神(なるかみ)』『瞼の母』『供奴(ともやっこ)』

夜の部 『毛抜(けぬき)』『連獅子』『権三と助十』

こちらの一押しは『連獅子』である。澤瀉屋の『連獅子』と言えるもので、躍動感に溢れていて、親獅子と子獅子の情愛というより、右近さんと弘太郎さんの若い動きを楽しむものであった。動きが良いので弘太郎さんの谷底から這い上がってからの微笑みはいらないと思う。身体の動きでその喜びは十分伝わり、緊張感は最後まであったほうが力強くて良い。

松也さんの『供奴』、個人的舞台意外での一人踊りは初めてなのではないであろうか。一生懸命さが伝わる。足のテンポも良いと思う。ただ花道の出から箱提灯が、ピタッとまっすぐに決まらず、斜めになる時があり気になった。姿を美しくとなるとそうした少しの事も影響するものである。故富十郎さんのを見直したら矢張り箱提灯も綺麗に形よく決まるのである。声の響きが良い方に変わってきた。世話物に欠かせない役者さんになりそうである。

獅童さんの『瞼の母』の忠太郎は感情を母親に手いっぱいぶつける。獅童さんの身体、容貌からすると希望としてはもう少し押さえてほしかった。秀太郎さんが自由自在の方であるから、そのほうが忠太郎の空しさがジーンと伝わるような気がした。役に成りきってその役で笑いを取ってほしい。『毛抜』は荒事でありながら、失敗もしその愛嬌で客を楽しむ。力強いのに失敗する可笑しさ。謎解きをする機転があるのに他では上手くいかない人。それは役に成りきってこその可笑しさである。ところが、世話物『権三と助十』ではアドリブで笑わせる。

隣に座られた若い方が「菊五郎劇団ではやりますが、澤瀉屋は世話物珍しいですね」と言われた。その一言から思ったのである。世話はその間が難しい。当たり前に出来ると思われるが当たり前ではなく、その役の生活、人間性を表し伝えるのは技量を要する。その技量は荒事などのように大きな表現方法よりも観客に見せづらいし解っては観客もしらける事もある。そこを充分納得しないうちにアドリブに頼るとせかっくの積み重ねの時期、もったいない事になると思う。客は役者の芸を楽しむよりもアドリブを楽しみ、その要求は増幅していくものである。その辺をしっかり心して励んでほしいものである。

嫌味なもっともらしい感想となったが、<花形>の時期は体力もあり覇気もありそこでの一生懸命さは観ている方も気持ちが良いが、ベテランが、一生懸命だと観ているほうも疲れるものである。やはりベテランは芸がありその工夫を見せる時期である。それぞれの時期を大切にして戴きたいのである。

中村獅童、市川右近、市川笑也、尾上松也、市川猿弥、市川春猿、市川寿猿、市川弘太郎、坂東新悟、市川笑三郎、市川門之助、市川右之助、片岡秀太郎

 

映画 『京都太秦物語』

〔NHK教育テレビ「知るを楽しむ・歴史に好奇心」<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>〕(2007年12月)のテキスは中島貞夫監督が書かれている。その中で<大阪芸術大学で教えている教え子に、中国人の向陽という青年がいて、満映をテーマに取り上げた実録風な映画製作に取り組んでいて、私も協力している。>とあり、この映画は『キネマの大地(記録黎明)』のタイトルで2008年に公開されたようである。

更に中島監督は映画の衰退により、撮影所を全く知らない新人監督も増えていることを危惧されている。そして、2007年に立命館大学に映像学部が開設され<学生には松竹京都撮所で実習もやってもらおうと準備を進めている>として<マキノ省三が最初の劇映画を作ってから百年。><先人が残した宝物、偉大な遺産を、どう活用していくか>問題提起をされている。

この立命館大学映像学部の学生と山田洋次監督が共に作ったのが『京都太秦物語』である。嵐電の走る太秦。広隆寺から帷子の辻に至る商店街を大映通りという。ここを歩いた時、この商店街を映画にすると良いのにと思ったのであるが、すでに2010年に映画になっていたのである。そういえば太秦と名前の入った映画があったと思い出し、レンタルショップで手にすると、<大映通り><立命館><山田洋次監督>が目に張り付く。かなり遅れているが、どうやら繋がってくれたのである。

嵐電の車窓も広隆寺も大映通りの商店街もたっぷり映される。さらに実在の商店街の方々も出演である。遅れてはしまったが、余りにもはまり過ぎの映画で嬉しくなってしまう。『京都太秦恋物語』だったのが、恋を取り『京都太秦物語』としたそうで、ラブストーリーであるが<恋>はないほうが<太秦>が活きる。

大映通りのクリーニング店の娘さんが、恋仲のお笑い芸人を目指す豆腐屋の息子さんと結ばれるのかどうかというお話である。娘さんは立命館大学の図書館で臨時で働いている。そこへ、白川静さん系統の文字学を研究している短期研修の青年が現れ、娘さんに猛烈にアタックする。恋と縁のない研究一筋の青年のためその一途さは可笑しいやら、応援したくなるような真面目さである。この青年が『さらば8月の大地』で中国人の脚本家を演じた田中壮太郎さんで、どちらも熱い役どころである。声も魅力的である。<太秦>の語源や命名の謎も解いてくれる。この専門家に対して豆腐屋の息子のUSA(EXILE)さんはダンスを披露してくれる。バイト先のデパートでの夜警巡回中にマネキンに誘われての踊り出しも素敵である。特典の映像によると立命館大学の大学祭の場面など多くのエキストラの移動など学生さんのスタッフは一苦労のようであった。

映画の企画も映像も意味あるものとなり、こちらも遅まきながら、映画のロケ地の発想は当たりであり記念すべき映画の一つである。

監督・山田洋次、阿部勉/企画、原案・山田洋次/脚本・山田洋次、佐々江智明/出演・海老瀬はな、田中壮太郎、USA、西田麻衣、北山雅康、ボレボルズ弓川、アメリカザリガ二、田中泯/ナレーション・檀れい/立命館大学映像学部スタッフ

 

『さらば八月の大地』 (新橋演舞場11月)

映画、芝居好きには、日本映画の歴史、芝居としての出来など多くの好奇心を満たされた舞台であった。勘九郎さんは襲名後、初めての現代劇。日本による傀儡国家満州で、日本人と映画作りをする中国人の助監督の役である。内に矛盾を感じつつも、助監督として撮影現場を上手くまとめ様と努める役でもある。この方は間が上手いのであろうか。歌舞伎の見得もない、受けの役でもあるが、舞台にきちんと位置を決めてくれる。演じてますという臭さがないのである。それでいながら演じている。勘九郎さんあっての舞台と言えば褒め過ぎであろうか。

1937年(昭和12年)満州に日本国策の映画会社、満州映画協会(満映)が作られた。そこで終戦を挟んでの数年間、映画作りに賭けていた日本人と中国人の反発と交流の物語である。

満映の理事長が、元憲兵大尉・甘粕雅彦大尉である。大杉事件(アナキストの大 杉栄と伊藤野枝さらに大杉の甥が関東大震災の時憲兵隊に連行され殺害されたとされる事件)の首謀者とされており、その人と映画の結びつきを始め知ったのは高野悦子さん(岩波ホールを開設、日の目を見ない良質の世界の映画を紹介)の本からであろうか、映画に関しては自由な解釈の人とも思え捉えどころの難しい人である。舞台上では、甘粕大尉をモデルとして高村理事長として出てくる。得たいの知れない人物として木場勝己さんが好演である。中国人の助監督・凌風(リンフォン・勘九郎)も高村理事長のことを怪物と表現し、女優の美雨(メイユイ・檀れい)に高村理事長に近かづかないほうが良いと忠告するが、美雨はスター女優になることのみを夢見ている。宝塚出身の檀さんの歌とスター性が適役である。

そんな中へ映画を撮りづらくなった日本からまた一人撮影助手として池田五郎(今井翼)が飛び込んでくる。凌風と五郎の最初の出会いと撮影を通しての偏見や仲間意識など現場風景を見せつつの舞台は山田洋次監督ならではの演出であり、鄭義信さんの脚本の面白さである。撮っている映画は長谷川一夫さんと李香蘭さん共演の映画と思わせるし(李香蘭さんの半生を描いたテレビドラマで中村福助さんが長谷川一夫の役をやり雰囲気が似ていて驚いたことがある)、美雨が終戦後中国当局から拘束されたりと、李香蘭さんの歴史的事実とも重ねられる。そういう下敷きのなかで、架空の登場人物たちがどう映画作りをしていたのかを見せてくれるのである。

五郎の今井さんはもう少し凌風との出会いに惡が強くても良いのでは。映画を語ったり、終戦となり凌風と反対の立場となるあたりの変化がもっと躍動的になると思うのだが。それは、舞台始まりと中国語訳が字幕としてでるため、更に撮影現場セットの舞台に観客が気をとられ、舞台の状況に慣れるまで少し時間を要する事も原因のひとつであり、そのずれ分今井さんは損をしているかもしれない。

拾っていたら切りがないが、凌風と五郎が、黒澤監督の『姿三四郎』の映画の場面を語るところも、こちらを喜ばせてくれる。その他、主演男優(山口馬木也)が、冬に夏の場面を撮り、寒さから白い息が見えない様に口の中に氷を含んだりと、現場の大変さや、端から見る可笑しさも加わり見どころが多い。それでいて筋は通していて出演者の動きもよく計算されていて見逃さなくて良かったと思える舞台であった。

そして、映画 『天地明察』 (改暦1)で書いた〔NHK教育テレビ「知るを楽しむ・歴史に好奇心」<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>〕(2007年12月)のテキストがこの舞台の時代をも含む映画の歴史としてとても参考になったのである。この満映の人材の受け皿が東映だったということなど。

演出・山田洋次/作・鄭義信/出演・中村勘九郎、今井翼、檀れい、山口馬木也、田中壮太郎、有薗芳記、中村いてう、関時男、鴫原桂、広岡由里子、木場勝己

大杉栄の時代とその周辺に関係する舞台については 『美しきものの伝説』(宮本研の伝説) と 『美しきものの伝説』のその後 を参照されたい。

 

前進座『明治おばけ暦』 (改暦2)

もう一つ明治に入ってから改暦があった。それは、2012年の前進座創立八十周年記念公演『明治おばけ暦』で知る。今回改めて振り返った。

明治5年11月、暦問屋角屋では来年明治6年の暦を小売に渡しひと段落ついた後で号外が出る。明治6年から太陽暦を採用する改暦の号外である。明治6年には6月の後に閏6月があり、1年が13ヵ月ある年であった。太陰暦では2年か3年に一度、閏月を設け1年を13ヵ月にして調整しなければならなかった。太陽暦にすれば4年に一度、1日を増やせばすむのである。ところが改暦となると明治5年の12月は2日で終わり、3日目は明治6年1月1日なのである。暦問屋角屋は大変である。小売から前の暦は返品となり急遽摺りなおした新しい暦は人気がなく売れない。ついに角屋の主人は大赤字のため自殺に追い込まれる。芝居が好きで芝居にうつつを抜かしていた息子の栄太郎と戯作者・河竹新七は、改暦をすすめた大隈重信を懲らしめる芝居を考える。

この芝居の作者は、今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の山本むつみさんである。河竹黙阿弥となる前の新七が出てきたり、他にも歴史的なことや、当時の庶民の生活や心情がでてきたり、かなり盛りだくさんである。そうなのか、そうなのかと思って観ているうちは良いのだが、見終わってみると改暦の混乱さのような状態であった。架空の話も加わりお気楽のようでいて中々奥が深いのであるが観るほうの理解度がそこまで手が届かなかった。

ここで、政府の改暦の事情に触れる。それまで役人の報酬が年俸制だったのが、明治4年から月給制になった。明治政府の財政は大赤字である。次の年が13ヵ月である。ここで改暦すると、12月は2日間であるから役人の月給12月分を払わないとし、さらに来年は12ヵ月で1ヵ月分払わなくてもよい。ここで2ヵ月分の給料が浮くのである。相当明治政府として助かったことになる。諸外国との関係からも、太陽暦にしたほうが統一され都合が良かったのである。ただ国民には極秘で明治5年11月9日に突然発表されたのであるから、暦問屋さんと同じような大変な事になった人々も多々あったであろう。この時、太陽暦や改暦について分かりやすい本をだしたのが福沢諭吉で、その著書『改暦弁』は大ベストセラーになったようである。

前進座『明治おばけ暦』 作・山本むつみ/演出・鈴木龍男/出演・嵐芳三郎、河原崎國太郎、嵐圭史、中村梅之助

 

映画 『天地明察』 (改暦1)

日本独自の暦を作った人、安井算哲(のちに渋川春海)の話である。こういう世界があるのかと、この映画を作られたことを歓迎します。天体と算術により、今までの暦に誤差がありすぎるということを証明し、新たな日本独自の暦を作るのである。この算哲は秀才であって天才ではなく、秀才が努力をするというタイプの人である。算術では初めから間違いをおかしたり、それでいながらぶつかっていくという行動にも好感がもてる人物である。その算哲の魅かれる人物達を周囲に設定し、算哲の人間性をうまく引き出して、見る方にも肩の凝らない展開にして、難解にならないように工夫されている。きちんと説明は出来ないが、このようにして暦がつくられたのかと興味は広がる。

算哲は徳川四代将軍家綱の時代、幕府の碁方を務めている。碁方とは将軍の前で碁の勝負を披露したり、幕府の要人に碁を教える人である。将軍家綱の後見役の会津藩主・保科正之(ほしなまさゆき)や水戸光圀にその才能を認められ、改暦(暦を改める)を託される。黄門さんでない光圀さんが見れるのも面白い。

ところが暦は朝廷が司るもので聖域であった。それまで、「宣明暦」を使っていたが次第に誤差が生じてきた。そこで算哲は「授時暦」が正しいとして、「宣明暦」「授時暦」「大統暦」の三つの暦の比較を三年間6回の日食、月食で証明しようとしますが、5回当たっていた「授時暦」が最後の6回目ではずれ「宣明暦」が当たってしまい、改暦は叶わない。そこで中国から伝わった暦ではどうしても日本では誤差が出てしまうため、さらなる観測を続け新たな日本の暦を作り上げるのである。そしてついに、貴族たちの妨害を押し破り、算哲のつくった「大和暦」は「貞享暦(じょうきょうれき)」の名をもらい採用されるのである。(この部分のまとめはNHK「知るを楽しむ・歴史に好奇心」のテキストを参考にさせてもらいました。これは2ヶ月分のテキストで、先に<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>があり、こちらが目的でした。次の月は<古今東西カレンダー物語>で難しそうで読む気もしません。ところが、『天地明察』の映画を見てこの<古今東西カレンダー物語>を参考にさせてもらえるのですから映画の力は凄い。)

ライバルとの切磋琢磨、先輩たちの教え、師の教え、為政者からと期待、仕事仲間、夫婦愛等を取り込んで暦の世界に賭けた男たちの世界を堪能させてくれます。

名前・算哲の響きがいいです。算哲と呼ばれる度に見せる岡田准一さんの笑顔、驚き、悔しさ、苦渋もいいです。周りの役者さんも上手くはまっていて気持ちのよい流れです。一つ算哲に見せたいものがあります。北海道の阿寒湖畔のホテルの屋上露天風呂から見えた、冬の北斗七星です。本当に近いです。あの時の感動を算哲に分けてあげたい。「ウッオオー!」と目を輝かせると思います。

監督・滝田洋二郎/原作・冲方丁/脚本・加藤正人、滝田洋二郎/出演・岡田准一、宮崎あおい、佐藤隆太、中井貴一、笹野高史、岸部一徳、市川猿之助、市川染五郎、松本幸四郎