メモ帳 3

  • 国立劇場で伝統歌舞伎保存会第21回研修発表会があり、本公演も観劇。『今様三番叟』は箱根権現が舞台。源氏の白旗を使いさらし振りがあり女方がみせる変化にとんだ三番叟で楽しさも。『隅田春妓女容性』<長吉殺し>は、同じところに用立てるお金を巡って梅の由兵衛(吉右衛門)と義弟の長吉(菊之助)の義理立ての姿が悲しい。観劇二回目なので、もう少し芝居に濃い味があってもと思う。今度、亀戸天神と柳島妙見堂へ行こう。

 

  • 研修発表会のまえに時間は短いが『お楽しみ座談会』(吉右衛門、東蔵、歌六、雀右衛門、又五郎、錦之助、菊之助) 『本朝廿四孝』で先輩に習ったときのことなどを披露。映像での勉強が多い今の時代に苦言も。<十種香><狐火>が研修発表舞台。皆さん内心は別なのであろうが堂々と演じられる。米吉さんの八重垣姫が<狐火>引き抜きのあと、着物の左袂から下の赤い袂が出てしまう。振りが横向きの時に左腕が後ろになって戻した時直っていた。その後も問題なし。狐の化身になっているので赤の出過ぎは禁物。立女方としての心意気で最期を締めた。

 

  • 研修発表舞台に刺激されてその後、歌舞伎座『楊貴妃』の一幕見へ。立ち見ですと言われたが、2、3席空いていた。時間が短いので自分の観たい場所での立ち見の人が多い。詞を反復して行ったので、よくわかった。つま先の優雅な動き。揺れる衣裳。二枚扇の使い方。扇の左右の位置関係も綺麗に見えた。今回は集中でき音楽も声も耳に心地よく、それと玉三郎さんの舞いが一体化。中車さんの動きも良い。玉三郎さんが、玉すだれから現れる時、拍手が邪魔。納得いく『楊貴妃』で、今年の観劇も終了。

 

  • 全身の動きの線を見せる踊りのバレエ。購入してしまえばとおもうほどレンタルするのが、バレエドキュメンタリー映画『ロパートキナ 孤高の白鳥』。ロシアバレエ団マリインスキー・バレエのプリンシパルのウリヤーナ・ロパートキナ。残念なことに今年引退を表明。古典からプティやバランシンの作品にも挑戦され自分のバレエにされる。自分に合う作品を選び最高の表現者となる。大好きなバレエ表現であり映像である。観終るとなぜか歩いて返しに行く。

 

  • フラメンコの映画『イベリア 魂のフラメンコ』。スペインの偉大な作曲家、イサーク・アルベニスのピアノ組曲「イベリア」にフラメンコを中心としたダンスで構成した映像である。カルロス・サウラが脚本・美術・監督を担当していて、その構成はフラメンコダンスも背景も照明も音楽も飽きさせない。鏡などを使い、顔や衣裳にあたる照明も美しい。切れ味がよく変化に富みフラメンコに魅せられた。

 

  • カルロス・サウラ監督が気に入り映画『サロメ』『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』を見る。『サロメ』は舞台稽古をしている設定からで出演者にフラメンコとの出会いや経歴なども聴く。そして「サロメ」を通しで演じるダンサーたち。「サロメ」をどう作りあげたいかがよくわかり、舞踏「サロメ」も圧巻。さすがカルロス・サウラ監督作品。『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』は題名通り、天才劇作家、ロレンツォ・ダン・ポンテとモーツァルトが出会って、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が出来上がるという筋。新説らしいが旧説も知らないのでただ流れのままに。

 

  • 渋谷のル・シネマでカルロス・サウラ監督の映画『J:ビヨンド・フラメンコ』が上映中。スペインのアラゴン地方が発祥とされる「ホタ」といわれるフラメンコのルーツのひとつ。いままでの映画のフラメンコのタップの音が耳についているので、こちらはタップがほんのわずかでさみしいが、カスタネットが軽快に鳴り響きつま先がよく動く。民族舞踏なだけに地方にそれぞれルーツが残っているのであろう。歌と音楽も素晴らしい。

 

  • 映画『花筐/ HANAGATAMI』おそらく2017年締めの映画館での鑑賞。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』よりも前に書かれた脚本「花かたみ」。原作は檀一雄さんの初短篇集『花筐』で映画化の許可をもらっていた。檀一雄さんの本の解説も語られる。映画を観始めて乱歩と思ったら、エドガー・アラン・ポー『黒猫』の英語の授業の場面が。大林監督の映像の多様性。戦争を前にした個々の青春からほとばしるぎりぎりのポエム。文学者、映画監督などの様々な群像も重なり合う。芥川龍之介の不安さえもそこにはある。唐津の風景と唐津くんち。何のために流すのか。真っ赤な血。有楽町・スバル座で上映中。

 

  • 檀一雄さんの『花筐』。この作品載っているかなと本をだしたら〇印。これは読んだ印。まったく覚えていない。いつ檀一雄さんの作品を読もうと思ったのか。どんなきっかけで。記憶にない。映画チラシに『花筐』を読んで三島由紀夫さんは小説家を志したとある。この落差。『花筐』を読み返すより掃除でもしたほうが良さそうだ。頭の中も。大林宣彦監督の観ていない作品も来年ゆっくり。小説『花筐』も。も、も、も、づくし。

 

  • 昨夜、大林宣彦監督の映画『この空の花 長岡花火物語』を観てしまったら午前2時半を回ってしまう。『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』で式場隆三郎さんの資料と会い、甲府での『影絵の森美術館』では山下清さんの作品に会い、映画『この空の花 長岡花火物語』は、山下清さんの「 世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界 から戦争が無くなるのにな」の言葉に出会う。何かつながってしまった。長岡の花火にイベントを超えた人々の想いが込められていたのを初めて知る。平成29年もあと10分。平和に暮れるであろう。このしあわせがいつまでも。よき新しい年を。

 

メモ帳 2

  • 北野恒富展 -「画壇の悪魔派」と呼ばれた日本画家』(千葉市美術館) ナニワで明治、大正、昭和と活躍された画家。期待の「画壇の悪魔派」がよくわからない。結果的には美人画家の印象。作品多数でナニワの美人画家がチバで頑張り、寒風の最終日鑑賞者も頑張る。日本酒の美人ポスターから熱燗連想。「鷺娘」の絵からナニワの『鷺娘』がきになる。

 

  • 映画『総会屋錦城 勝負師とその娘』 表舞台から消えていた大物総会屋・錦城の志村喬さんがやはりこの人ありの抜群さ。老いていながら娘のために相手の総会屋を倒し、総会屋はダニであると自ら豪語。妻の轟夕起子さんも適任。近頃、轟さんに注目。京マチ子さんにも。

 

  • 男はつらいよ純情詩集』の京マチ子さんと寅さんの出会いは最高。満男の先生・壇ふみさんを好きになり、さくらにお兄ちゃんは先生のお母さんと同じ年代よと注意されて、寅さん納得。そこへ先生のお母さんの京マチ子さんが登場。こんな落ちありと爆笑。世間離れしたふたり。山田監督の俳優さんの芸歴に合わせた人物像の設定の上手さ。

 

  • 溝口健二監督の遺作『赤線地帯』は、売春防止法が議論されている時代の娼婦たちの様子をえがいている。京マチ子さん、若尾文子さん、三益愛子さん、木暮実千代さんなどがそれぞれの事情からその生き様を演じる。この女優さんたちが渡辺邦男監督の『忠臣蔵』にこぞって出演。その振幅がお見事。『赤線地帯』の前に、同時代の厚生大臣一家を描いた川島雄三監督の『愛のお荷物』があり、厚生大臣夫人が轟夕起子さんで好演。過ぎし日の映画鑑賞はやめられない。

 

  • 国立科学博物館で『南方熊楠』展始まる。(2018年3月4日まで)
  • NHKEテレビ 12月19日22時~「知恵泉」究極日本人・南方熊楠

 

  • 映画『女の勲章』原作・山崎豊子さんで吉村公三郎監督。船場のとうはんの京マチ子さんが、洋裁教室から商才に長けた八代銀四郎の力を借り洋裁学校にし、チェーン学校へとファッション界を登りつめる。銀四郎の田宮二郎さんがギンギンの大阪弁のテンポの速さで女も経営も手にしていくが、とうはんは自殺。若尾文子さん、叶順子さん、中村玉緒さんと個性がくっきり。ファッションも楽しめる。原作のほうが、経営手腕の機微は面白いであろう。驚き。テレビドラマで銀四郎を仁左衛門さんが、孝夫時代に。現代物の色悪。

 

  • 世界最大級のファッションイベント「メットガラ」密着ドキュメンタリー『メットガラ ドレスをまとった美術館』。ファッション満載であるが、NYメトロポリタン美術館のスミに追いやられている服飾部門の地位獲得の目的がある。ファッションはアートになれるか。テーマは「鏡に中の中国」。今まで中国のイメージで創作されたファッションの展示。和服の場合。日本では工芸としての位置づけがすでにある。織り、染め、刺繍などから、帯留め、煙草入れまで工芸品のアートとして展示。洋服のファッションは動いてこその意見もある。そんなこんなで裏も表も刺激的。

 

  • 映画『楊貴妃』溝口健二監督である。実家での下働きのような生活。宮廷での優雅な生活。どちらも自分なりの生き方で行き来する京マチ子さん。枠組みは狭く、権力争いの中でそれとは関係なく自分の生き方を探すがやはり負けてしまう楊貴妃。溝口監督の世界。玉三郎さんの『楊貴妃』はその後のことで難解。言葉と踊りが自分の中で曖昧。玉三郎さんの世界に入りきれなかった。

 

  • 映画『大阪物語』原作は井原西鶴作品をもとに溝口健二監督が。脚本・依田義賢。溝口監督が急死され、吉村公三郎監督が引き受ける。夜逃げの百姓一家が大阪で大店に。主人の二代目鴈治郎さんのお金に対する執着心が引っ張る。最後はお金の妄執にとりつかれる鴈治郎さん。この方が出演されと映画に一味深みが加わる。

 

メモ帳 ー吾輩はメモ帳であるがまだ名前はないー

  • 国立劇場 『今様三番叟』雀右衛門さんの鼓のリズムに乗った動きか軽快で艶やか。『隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)』 菊之助さんの女房役にやっと満足できてうれしい。娘役と女房役の境界線が成立。

 

  • 単色のリズム 韓国の抽象画』(東京オペラシティアートギャラリー) 画家の生き方など関係なく作品のみ目の前にある。紙に傷をつけたり、線を引いただけだったり。観てしまうとこれって出来そうと思わせるところがいい。できっこない。

 

  • 歌舞伎座12月 中車さんの台詞の上手さが生きた。『瞼の母』の渡世人・忠太郎の形も驚くほど。彦三郎さんのほどよさもあり半次郎の兄貴分になっていた。母役の玉三郎さんへ体当たり。関西弁『らくだ』が達者な愛之助さんとのコンビでいつもと一味違う。橘太郎さんの柱の蝉の素早さに不意打ち。

 

  • 土蜘』の松緑さんの僧の足使いが良い感じで面白く気に入った。今月の歌舞伎座は『ワンピース』の出演者が新橋演舞場から大移動で『蘭平物狂』の捕手などに活躍大奮闘。脇からの次世代の地固めが始まっている。

 

  • 民藝『「仕事クラブ」の女優たち』(三越劇場) 小山内薫亡き後の築地小劇場とそれを取り巻く演劇状況。左翼劇場との合同公演を機に女優達が悩み、迷い、生活の糧を求める。新劇界の空白分部をよく調らべ、そこを芝居で埋めた、新劇による新劇史。奈良岡朋子さん演ずるなぞの女性。そばにいてくれると弱い心が救われる存在感。

 

  • シネマ歌舞伎『め組の喧嘩』 十八代目勘三郎さんの粋な火消鳶頭の辰五郎の動きをしっかりと見つめる。わらじを履くとき踵をとんとんと強く叩く。どうしてなのか知りたいところである。橋之助さんは芝翫となり、片岡亀蔵さんのらくだの足先までの上手さが、時間を交差させる。芝居後の勘三郎さんの映像が涙で一気にゆがむ。

 

  • 映画「忠臣蔵」は各映画会社が競って制作。これぞと役者さんをそろえる。大映映画『忠臣蔵』は長谷川一夫さんの内蔵助に歌舞伎役者、映画スター、新劇俳優の豪華さ。内蔵助の長女役の長谷川稀世さんが新橋演舞場では貫禄の戸田局。大河ドラマ『赤穂浪士』の右衛門七の舟木一夫さんが内蔵助。堀田隼人の林与一さんが吉良上野介。時の流れの速さ。(映画『忠臣蔵』16日 BS朝日 13時~)

 

  • 新橋演舞場『舟木一夫公演 忠臣蔵・花の巻・雪の巻』 昼の部と夜の部の通し狂言。通しでありながら昼だけ夜だけにも気を使う構成の難題に挑戦。芝居だけを続けて観たいのでコンサートは失礼して泉岳寺へ。短慮な内匠頭の刃傷沙汰を承知で、自分たちで物語を作ってしまう舟木一夫さんの内蔵助。上杉家も家を守るため必死である。この役者陣なら3時間半くらいの芝居で一気に観たかった。

 

  • 朝倉彫塑館『猫百態ー朝倉彫塑館の猫たちー』へ猫大好きの友人と。新海誠監督の『言の葉の庭』の雨描写が好きというので急遽新宿御苑へ。東屋を探す。東屋4つあり全部見て歩く。池のそばなので正解は見つけやすい。藤棚が二つ。モデルはわかる。加えたり削ったり。入口は千駄ヶ谷門か?。印象的な坂道が。満足したニャン!

 

  • レンタルショップに映画『忌野清志郎 ナニワサリバンショー 〜感度サイコー!!!〜』があり、初めて忌野清志郎さんと対面。ライブも面白いが映像の構成もラジオからという設定で渋い。ナニワの風景も楽しい。めっちゃナニワのノリノリライブ。あれっ、獅童さんも。ナニワの砦が一つ消えたような。ファンでなくてもしんみり・・・

 

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』『北斎とジャポニスム』(2)

日本からの浮世絵などの風を受け取った一人がゴッホさんなら、送った一人が北斎さんという設定が『北斎とジャポニスム』です。

「東京都美術館」と「国立西洋美術館」でそれぞれ忍者を忍び込ませて、どうやらあちらはこういう手を使っているらしい、こちらはこういこう、なんて探り合いをやっていたとしたら面白い映画ができそうです。丁度二つの美術館の間で伊賀市のフェステバルをしていたのです。

怖かったのが「上野の森美術館」の『怖い絵展』の観覧者の長い列の怖さ。国立博物館の『運慶』も終わりに近づいていますから並んでいたかも。鑑賞終わらせているので冷たく他人ごとです。上野公園の美術館等はビルの中でないのがいいです。ただ東京国立博物館の年間パスが無くなって、新しいシステムは相当の割高になりました。保存修復とかいろいろ財源が必要なのでしょうがかなり不満です。

北斎さんの漫画にはこの不満顔に似た絵も載っていることでしょう。北斎さんは人、動物、魚類、ハ虫類などのあらゆる姿を前からも後ろからも横からも、あるいは踊っている姿、相撲をとっている姿など動画のように描いてもいます。

こういう絵を観た西洋の絵描きさんたちは、描く人物がかしこまっていなくていいのではないか。そのほうが、その人物の本質がわかり、絵を観た人がもっと自由な発想をするのではないかと思ったのではないでしょうか。

北斎さんの絵と並べて、その影響を示してくれています。お行儀悪く足を開いてソファーに座る少女。すねているのか、遊び疲れきってしまったのか子供のあどけなさがでています。踊子を描いたドガも、舞台裏の踊子はそれぞれの想いのポーズで出番を待ちます。ロートレックは酒場の様子や踊子の絵やポスターを描いていますが、線が重要な要素になっていて、その当時の人々はその描かれている対象からも、これが芸術だなんて思わなかったでしょう。

北斎さんの浮世絵だって、江戸の人は芸術だなんて思っていません。どこかのお城やお屋敷の襖絵とかは何々派の偉い絵師の絵であるとおもっていたでしょうが、浮世絵は庶民のもので、役者絵、美人画、名所絵など庶民の生活とつながっていました。

その風が西洋にも吹いていったのです。西洋に雪景色を描くなどの発想はなかったようです。北斎さんは雨だって描いていますからね。映画『ゴッホ 最後の手紙』でゴッホが雨の中で絵を描いていて周囲は止めるのですが、もしかしてゴッホさんは雨を描くにはどうしたらよいかと考えたのかしらと思って観てました。

虫とかカエルとかトンボとか花などは、エミールガレやドームなどのガラス工芸にも影響しているわけで、その他の工芸にも影響しています。ただ日本だって大陸から風が吹いてきていたわけですから、日本で熟成して違う風になって送ったともいえます。

「神奈川沖浪裏」の波の影響力は強大です。クールベさんの港や海の風景は暗くて好きではないのですが、北斎さんの波の影響とするなら上手く使っているなと思えました。女流彫刻家のカミーユ・クローデルも北斎さんの波に触発されています。

とにかくなんでも描いた北斎さんは、これも絵になるのか、これも描けるのだ、工芸に使うと面白いと刺激を与えまくったことは間違いないです。

東海道の松の間から富士山を描いた絵から、モネさんは風景画の中に木々を並べ、ゴッホさんも同じような木の並べ方で描いています。いくら江戸時代でもこんな風景ではなかったであろうと思われる切り口の北斎さんならではの風景画です。そこには北斎さんの独自性があります。鯉に乗った菩薩の絵では、こちらは歌舞伎の『鯉つかみ』の鯉を思いだしていました。

北斎さんは線であっても、積み重ねられたデッサンの量は超人的ですからそのリアリティはしっかりしています。

二つの絵画展は、えっ!そうなのという楽しさでした。楽しかったことのみ思い出すままに書きましたので悪しからず。でもこれから北斎探偵団員になって、絵をみてしまいそうです。ロートレック展(三菱一号館美術館、2018年1月8日まで)もやっているのですね。師走でもあり眼がチカチカします。

そう師走なのに右手首を痛めてしまい、これ以上悲しいことにならないよう書き込みは控えようとおもいます。足首でなくて良かったのかどうか。どちら様もお気を付けください。

 

『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』『北斎とジャポニスム』(1)

一日二つは無理でしょと思いましたが新たな視点を分断させるのは嫌だなとの想いで『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』(東京都美術館)『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館)と二箇所続けて鑑賞しました。混んでいましたが、浮世絵のほうは今まで少し観ていますから人の多い絵は人と人の間から覗き込み時間を多くとらず、観たい絵だけ集中し今回の展示の意図を頭の中で組み立てました。

楽しかったです。芸術品を鑑賞するというよりも、見たことも会ったこともない国の人々が絵を通して交信し合っているのです。これは、遅く生まれてきた人に与えられた特権でしょうか。そういう企画を実行してくれたことに感謝です。

ゴッホさんに関しては、弟・テオさんに多くの手紙を出していますので、そこからの研究も多く生前売れた絵は一枚だけだそうで、テオさんの経済的援助で成り立っている制作です。ゴッホさんの望みは、テオさんの生活を脅かすことなく絵についてテオさんと語り合えることだったと思います。残念ながらその現実に負けてしまいました。押し寄せる状況に疲れてしまったのでしょう。

ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』では、多くの日本人がオーヴェールを訪れていて、ゴッホさんと最後まで交友のあったガシェ医師のもとに訪れた人の名前が記載された「芳名録」も残されていて紹介されていました。画家たちも訪れていて、日本画家・橋本関雪さんが訪れときの映像もありました。

佐伯裕三さんはオーヴェールの教会を描き、前田寛治さんは、ゴッホのお墓を描き、横尾忠則さんも訪れています。

ゴッホさんに関する研究者であり精神科医・式場隆三郎さんの資料も多数ありました。斎藤茂吉さんにオーヴェールを訪ねるように薦めたのは式場さんです。 『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』

ゴッホさんがパリに出て来た時、絵を描く人が多いのに刺激を受けたことでしょう。そんなとき浮世絵に会うわけです。独力のゴッホさんにとって、線、構図、描かれている庶民、風景、花々に大いなる違う世界をみられ、親戚に日本に来たかたもいて話しを聞かれたらしいのですがどんな話を聴かれたかは記録には残っていません。

広重の『亀戸梅屋敷』などは模写をし、そこから自分の絵に木を中心に大きく描いたり、英泉の花魁の絵を模写して、その周囲にも他の浮世絵をモチーフに描いたりしています。それがどの浮世絵からとったのかも解説してくれていまして、こういう浮世絵も観ていたのかと注目しました。ただ色はゴッホさんの色です。

ゴッホさんの色というのはゴッホさんのもので、『表現への情熱 カンディンスキー、ルオー と色の冒険者たち』(パナソニック汐留ミュージアム 2017年12月20日まで)でカンディンスキーがゴッホから原色を含む激しい色づかいを学んでいます。

ゴッホさんにも優しい色づかいはあり、ゴッホ=ひまわりから離れて、浮世絵との関係から、夢中になって模索するゴッホさんの絵があります。日本初公開の絵もあり、その後のゴッホさんの苦しみとは違うゴッホさんの絵に触れているんだという感覚が新鮮で、その風が日本からのものであり、巡り巡って、ゴッホさんが日本に向けて風を返してくれ、文化というものはいい風を吹かせるものだと明るい気持ちになりました。

もしこの風域に境界をもうけるようなことがあればそれは無粋というものです。浮世絵を江戸の庶民誰もが楽しんでいたことをゴッホさんは知っていたでしょうか。おそらく知っていたでしょう。

式場隆三郎さんに関しては、山梨県甲府の昇仙峡そばにある『影絵の森美術館』で山下清展も開催されていて、ペン画や美しい色に複製された張り絵などがあり、式場さんのことをふっと思い出して忘れられてしまうのかなと思ったりしましたので、今回その仕事ぶりがきちんと紹介されていて嬉しかったです。さて浮世絵は、まだ風を起こします。